レコードの盤面に残された「奇妙なシール」の謎
中古レコードを掘っていると、時として歴史の生き証人のような盤に出会うことがある。1980年にリリースされたダリル・ホールのファースト・ソロアルバム『セイクレッド・ソングス(Sacred Songs)』の日本盤(RCAレコード)もそのひとつだ。

このアルバムのレーベル面(中央のラベル部分)を見ると、不自然に貼られた奇妙な目隠しシールに気づく。実はこれと同様のシールは、デヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカンズ』など、当時のRCAから発売された他のレコードにも見られる。
このシールの下に隠されているのは、Victorの文字と、グラモフォンに耳を傾ける有名な犬「ニッパーくん」のアイコンだ。
1975年、日本ビクターやビクター音楽産業などが合併してRVC株式会社へと再編された際、権利問題の都合から、日本国内での「Victor」の文字やニッパーくんの商標使用に都度費用が発生することになった。
これを嫌ったビクターの日本法人が、なんとレコード店の現場に命じて手作業でロゴを消すシールを貼らせたのだという。1枚ずつシールを貼らされた当時のレコード店スタッフの苦労が偲ばれる、アナログ時代ならではの生々しいエピソードである。
しかし、この『セイクレッド・ソングス』に隠されていた「異常事態」は、レーベル面のシールだけではなかった。アルバムの音楽性そのものが、当時のレコード会社を震撼させるほどの実験作だったのだ。
ブルー・アイド・ソウルの帝王、ダリル・ホールとは
ダリル・ホールは、ジョン・オーツとのデュオ「ホール&オーツ(Daryl Hall & John Oates)」のフロントマンとして知られる、ポップス界最高峰のボーカリストでありソングライターだ。
フィラデルフィア出身の彼は、黒人音楽であるR&Bやソウルミュージックに多大な影響を受け、白人が歌うソウル、いわゆる「ブルー・アイド・ソウル」の代表格としてシーンを牽引した。1970年代中盤から1980年代にかけて、「リッチ・ガール(Rich Girl)」や「プライベート・アイズ(Private Eyes)」、「マニアック(Maneater)」など、キャッチーなメロディと洗練されたポップ・センスで全米チャートの1位を連発したヒットメーカーである。
しかし、そんな彼が「ホール&オーツ」の枠組みから飛び出し、自身の純粋な芸術的衝動を突き詰めて制作したのが、本作『セイクレッド・ソングス』であった。
アルバムの音楽的特徴:ロバート・フリップとの運命的な邂逅
本作を語る上で絶対に欠かせない存在が、プロデューサーとして迎えられたキング・クリムゾンのリーダー、ロバート・フリップである。
ホール&オーツの1978年のアルバム『赤い断層(Along the Red Ledge)』にフリップがギタリストとして参加したことをきっかけに、二人の交流が始まった。フリップは当時、独自の三部作構想を抱いていた。
それは、彼自身のソロアルバム『エクスポージャー(Exposure)』、ピーター・ガブリエルのセカンドアルバム『ピーター・ガブリエル II(Scratch)』、そしてダリル・ホールの本作『サクレッド・ソングス』の3作でひとつの壮大なプロジェクトを形成するという野心的な試みであった。
Exposures

ソウルのエッセンスを持つダリル・ホールの歌声と、フリップ特有の計算されたアヴァンギャルドなプログレッシブ・ロック、そしてギターの残響音をループさせる音響技術「フリッパートロニクス」の融合。これにより、本作はホール&オーツの洗練されたポップスとは全く異なる、鋭利で実験的なニューウェイヴ・サウンドへと仕上がった。
このあまりの変貌ぶりに驚愕したのが、所属レーベルであるRCAの上層部だ。「ホール&オーツの商業的なイメージを損なう」「売れるわけがない」と判断され、アルバムは完成していたにもかかわらず、約3年間も倉庫に未発表のまま眠らされる(発売延期される)という憂き目に遭っている。
主要な楽曲の分析:ポップと前衛の奇跡的な融合
今改めて本作を聴き返すと、当時のレコード会社が恐れたような「難解で奇異な音楽」ではなく、むしろダリルの卓越したメロディセンスがアヴァンギャルドなアレンジによって美しく引き立てられた傑作であることがわかる。
Sacred Songs(セイクレッド・ソングス)
アルバムの幕開けを飾るタイトル曲。ダリルのソウルフルなピアノの弾き語りから始まり、次第に熱を帯びていくボーカルが圧巻だ。バックを支える性急なビートとフリップのギターワークは、当時のポストパンクやニューウェイヴの空気感を色濃く反映しており、ダリルの新しい一面を鮮烈に提示している。
Something in 8/8(サムシング・イン・8/8)
タイトルの通り8/8拍子のリズムが刻まれる中、ロバート・フリップの代名詞である「フリッパートロニクス」が全面的にフィーチャーされた楽曲だ。浮遊感のあるシンセサイザーとギターのレイヤーが、ダリルの甘く切ないボーカルを包み込み、まるで宇宙空間を漂うようなサイケデリックかつアンビエントな質感を作り出している。
NYCNY
ニューヨークの混沌としたエネルギーをそのまま音楽にしたような、エッジの効いたロックナンバー。フリップの過激でノイジーなギターカッティングと、ダリルのシャウト気味のボーカルが激しく火花を散らす。ホール&オーツでは絶対に聴くことのできない、ガレージロック的な衝動に満ちた名曲だ。
その後のホール&オーツへ繋がるミッシングリンク
RCA上層部から「時代を先取りしすぎている」と拒絶された本作だが、最終的に1980年にリリースされると、熱狂的なリスナーから高い評価を獲得した。
興味深いのは、このプロジェクトでダリル・ホールが吸収したニューウェイヴのエッセンスやエッジの効いたビート感が、1980年代にホール&オーツが世界的な大ブレイクを果たす原動力になったという点だ。
『ヴォイシズ(Voices)』や『プライベート・アイズ(Private Eyes)』といった80年代の傑作群で見られる、時代の最先端を取り入れたシャープなサウンドスタイルの雛形は、すでにこの『セイクレッド・ソングス』で完成していた。
レーベル面のシールに隠された大人の事情と、レコード会社の猛反対。数々の障壁を乗り越えて世に出たこのアルバムは、一人の天才ポップスターが本能のままに挑んだ、音楽史に輝く不朽の実験作なのである。


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