2012年10月27日土曜日

『展覧会の絵』めぐる冒険|なぜか終着駅がシューベルトだった件

『展覧会の絵』ピアノ版とラヴェル編曲版について

たぶん学校の授業でも聴いたことがあるのだと思う。ムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」という曲は冒頭の印象的な「プロムナード」のメロディは一度聴いたら忘れることはない。

それ以上に我々の世代なら、エマーソン・レイク&パーマーのプログレッシブ・ロック・アレンジの大ヒットアルバムを通して、非常に馴染み深いものだろう。




だから、全曲通して聴いたことがなくても「展覧会の絵」という曲名も作曲者のムソルグスキーもよく知っているつもりでいた。

しかしクラシック音楽をよく聴くようになると、展覧会の絵のオリジナルであるムソルグスキーの作曲したものはピアノ曲であって、一般的によく聴かれる、オーケストラで演奏される「展覧会の絵」は、オーケストラの魔術師とも呼ばれるラヴェルの編曲によるもので、このラヴェル版の存在によってこの曲は初めて世に広く知られるようになったのだ、などということもわかってくる。

と、なるとそのオリジナルのピアノ版だって一度は聴いてみたくなるではないか。




特に入手しにくい音源というほどのものでもないのだが、なんとなくどれを選ぶという決め手がないまま聴かずにきたのだが、 アリス=紗良・オットの新譜がピアノ版の展覧会の絵だという。

アリス=紗良・オットならば間違い無いだろうと、購入。
そしたらなぜかシューベルトのピアノ・ソナタ17番D850も併録されていた!

歌曲王シューベルトのピアノ曲|村上春樹「海辺のカフカ」に連れられて

クラシック初心者の僕にいろいろと教えてくれる友人に、シューベルトは歌曲王と呼ばれているくらいだから歌曲を聴かなきゃと思って「冬の旅」を買ったと言ったらドイツ語もわからないのに歌曲を聴いてどうする。ピアノ・ソナタを聴け、なんでもいいから。
と、言われていろいろ調べて世評の高い内田光子さんの全集を買ったばかりだった。




幻想曲なども含めかなりの曲数が入っているのだが、流して聴くと有名な楽興の時以外の曲はどれも同じに聴こえてしまう。
とっかかりを掴むために、特に村上春樹の「海辺のカフカ」の第13章で車を運転しながら大島さんがカフカ少年に聴かせた曲である17番を聴きこんだ。

それはとても不思議な曲だった。
大島さんは「不完全な曲」だと言った。
またシューマンが「天国的に冗長」だと評しているとも説明している。(シューマンが本当にそう言ったかは確認していません)

僕はその曲は図形的なアイディアで構成された曲だな、と捉えた。
それは美しさに主眼を置かずに、転んでいくようなリズムを、違う形のリズムが受け止めるカタチで展開していく楽譜の形が頭に浮かんだ。

ベートーヴェンが、小さな音形を組み合わせたり、並べたり、次々と変奏していったりして長大な楽曲を作っていったのとはちょっとだけ違うアプローチ。
あくまでも崩れ転んでいくリズムを異なるリズムで受け止めるというアイディアを繰り返し繰り返し手を変え品を変え繰り出していくという構成。

冗長という評価も厳しすぎるとは言えない。しかしクレバーな内田さんの演奏は、その図形的なアイディアを見事に音に定着させていて、僕はまったく飽きなかった。

違う人が弾いたらどうなるんだろう、というのはいつか確かめてみたかったテーマだったので、今回のアリスの新譜にはもう一つの楽しみがプラスされたことになる。

アリスのピアノ

そのアリスの弾く「展覧会の絵」は、オーケストラ版を聞き慣れた耳にも十分な迫力を持って迫ってくる快演だった。
一人で弾いている分だけ表現に自由さがあり、冒頭の四七抜き音階の素朴なフレーズから、最終キエフの大門のクライマックスに登場する現代的で不安定なペダルトーンの複雑なコード進行までを最適な表現で駆け抜けてくれた。
ライブ収録の本盤の最後の盛大な拍手がこの演奏の素晴らしさをなにより雄弁に証明している。

しかし続いてのシューベルトのピアノ・ソナタ17番は、始まった瞬間から転んだリズムが受け止められることなく、ピアノの技巧として吸収されてしまう。
アリスの指は高速で動き、複雑に設計されたシューベルトの「図形」を無視して感情的に弾き切ってしまう。

うまいのだと思う。

でもそれゆえに、この楽曲の持っている、シューマンが言うところの「天国的な冗長さ」から、どうしても欠いてはならない正確さを切り取ってしまうのだ。

このアリスの演奏は、内田光子さんの演奏がいかに非凡で貴重なものであるかを、あらためて教えてくれた、とも言える。

2012年10月25日木曜日

哀悼、小林悟朗さん:Victor SX500DEで「人を正気にする音」を奏でたあなたに学んだ事。

Greenwichユーザーが、なぜかIIILZを薦めらがちな件


ベテランオーディオ・ファイルと話していて、私がTANNOY Greenwichを使っていると知ると、必ずといっていいほどモニターゴールドの入ったIIILZというスピーカーを薦められる。

とっくに廃番になったスピーカーで、素っ気ない外観からもその実力は窺い知れない。
どんなすごい音がするんだろうといつも思っていたのだが、まあ色々あって聴く機会が得られた。

視聴会なんかで聴く、超高級な巨大スピーカーとは較べることがそもそも無意味で、生活の中で程よく品の良い音を聴かせるスピーカーとお見受けした。

愛聴しているベートーヴェンのピアノ協奏曲4番のCDを持っていったのだが、感情の起伏を隠さない演奏を、IIILZは品よく鳴らしていた。




人を正気にする音


システム改善のヒントを得たような気がして、各方面を調べていて、なんと元NHKのディレクターとして小澤征爾さんの番組なんかを作っていた小林悟朗さんが亡くなったという記事を見つけてしまった。
ご病気だったのだろうか。確かまだ50代後半くらいではなかったか。

現在はフリーでオーディオに関する執筆もかなり意欲的に行われていて、先月発刊の雑誌でも小林さんの記事を読んだばかりだ。

オーディオ誌の記事というとどうしても機械から出てくる「音」云々の話になりがちだが、小林さんの記事は完全に音楽サイドからの言葉で素直に頷かされる。

特に、ビクターのSX500DEという安価だが優れたスピーカーを、ご自身の「ゴトー」という素人にはまともな音を出すことさえ難しい巨大スピーカーシステムの前に置かれて、マニアユーザーの電源ケーブルよりも安価なスピーカーから出ているこの音が「人を正気にする音」だ、と書かれた記事には本当に衝撃を受けた。

オーディオ誌でそんなこと書いていいのか!でもそうだよなあ、と思い、いろんな所で「人を正気にする音」というフレーズを使わせていただいた。ここに盗用を告白し謝罪いたします。
しかし使わせていただいた手前、小林さんのこのご遺志、微力ながらも引き継いでいきたいものだなあと思う。

(2026年改稿)

上記の投稿記事を書いて、14年が経つ。
TannoyのIIILZも現代のスピーカーとして2024年に復活を遂げた。



視聴会で聴いてみたが、十分な進化を遂げたまったくの別物。
もちろん価格も別物で、1本99万円。

Victorさんは、ウッドコーンスピーカーを主力に20万円前後のコンパクトオーディオに注力していらっしゃるようだ。
人を正気にするオーディオの精神は生き続けている。

2012年10月19日金曜日

【音楽エッセイ】僕のSoundtrack of Lifeに刻まれた音。

母の買ったミュージックテープ


釧路の高校を卒業して、その年の大学受験に失敗した僕は札幌の予備校に一年行かせてもらえることになった。
予備校の隣にある寮に入ることになったので、自炊の必要もなかったし、寮は一人暮らしに必要な最低限のものを備えていた。

母は新しい下着や湯沸しポットといった寮が持ち込みを許している生活用品と一緒に、小さいがハイパワーのラジオカセットと、数本のミュージックテープを買ってくれた。

当時母は釧路のミサキレコードで働いていたので、若い店員さんにでも聞いてくれたのだろう。センスの良いセレクションだったと思う。

服でも靴でもカバンでもそうなのだが、こういうものを買うときも僕の欲しい物ではなく、これを聴きなさい、と自分でセレクトして買うのは母の昔からの習慣なのだ。

予備校時代を彩ったアルバムたち


買ってくれたのは、ビリー・ジョエルの「イノセント・マン」と「コールド・スプリング・ハーバー」、稲垣潤一の3rdアルバム「J.I」、レイ・パーカー・ジュニアの「I Still 愛してる」、松田聖子の「Canary」。
どれも素晴らしいアルバムだったし、何より、母の心づくしが嬉しくて、予備校のよく出来たテキストをやりながら小さな音で繰り返し繰り返し聴いた。

ミュージックテープは、レコードに較べると多少扱いが雑でも大丈夫なので、こういう何かをしながらの聴取に向いている。それに思ったよりずっと耐久性が高い。

5年後、社会人になって初めて車を買った。
黒いISUZUジェミニ1600ZZ Handling by LOTUS。

まだCDに否定的だった僕は自分で取り付けたKENWOODのカーステレオにはカセットテープ用のモジュールしか載せなかった。
車では母が買ってくれたミュージックテープが現役で大活躍していた。

カセットテープ時代の終わり


時は流れ、我が家にはカセットテープを再生する手段が無くなった。しかたなくテープ類は、自分たちのバンドのライブ演奏などを収めたものはデジタルメディアに移し、その他のものは処分した。

東京での会社勤めを辞めて、札幌に引っ越してきた際、レコードプレーヤーを新調したこともあって、年に何回かデパートなどで行われる中古レコード市に出かけていった。そこで、レイ・パーカー・ジュニアの「I Still 愛してる」の帯付きのレコードを見つけた。




懐かしくて飛びついた。当然、ビリー・ジョエルだって欲しくなる。さすがにビリー・ジョエルなんかは探せば簡単に手に入る。すぐ見つかった。




松田聖子はCDで揃えているので、残りは稲垣潤一の「J.I」だが、これがなかなか見つからない。その時はあきらめて、大学時代よく聴いた伊藤銀次や安部恭弘などを見つけて聴いていた。

今回、このBlogを書き始めて、やはり自分のレコード棚に「J.I」がないというのは大きな欠落なのではないか、という気がして、あらためてオークション・サイトを覗いてみると三枚だけある!ファクトリー・シール付きの初回限定写真集付きで美盤とあった。しかも600円。600円で落札できました。ありがとう。




ついに再会したJ.I.は、カセットテープよりも伸びやかな高音と驚くような豊かな低音を備えた優秀録音盤であった。名曲「夏のクラクション」が始まると一気に予備校時代のあの狭い寮の部屋の緑色の机にトリップしてしまう。最終曲「生まれる前にあなたと...」ではやっぱりちょっと胸に迫ってくるものがある。

Soundtrack of Lifeに刻まれた音


例えば、その頃よく読んでいた片岡義男さんの作品が数年前に早川書房と池上冬樹さんの実に優れた再編集で世に出た時、それを読んでも当時の思い出が胸に迫ってきたりはしなかった。音楽だけがそういう不思議な、時を超える力を持っているのだろうか。

評論家の傅信幸さんが、Soundtrack of Lifeという言い方をよくするが、もし僕らが人生が流れていくタイムラインの横を、音楽が刻まれていく専用のトラックを持っているのだとしたら、そこに何を刻んで生きていくのかは思ったより重要なことなのかもしれない。何かを想い出す時のきっかけは、できれば美しいものであって欲しいと思うから。

2012年10月18日木曜日

スタジオ録音の分離の良い音で聴くショルティ指揮のワーグナー

36枚組のオペラCDを買った理由


昨日、ショルティ指揮のワーグナーの全オペラを収録したCDボックス・セットが届いた。



なんと36枚組で7,415円。こんな計算にはまったく意味が無いが1枚あたりは206円になる。これはDECCAというイギリスのレーベルから出ていて、英国盤は2ヶ月ほど前にリリースされていた。そちらは8,000円以上したと思う。いやそれでも安いけどね。私が注文した方は米国盤で、少し安いのは為替のせいだろうか。しかし別に安いから買ったわけではないのだ。

少し前に、縁あってCDをお貸しくださる方がいて、ワーグナーの「ニーベルングの指環」全曲を聴いたのだ。一緒に寺山修司さんが一巻目をお書きになったという翻訳書も一緒に貸していただいたので数週間にわたって少しづつ聴き進めていった。物語の壮大さに惹かれ、最初難解で、退屈にすら感じることがあった音楽も、最後が近くなってくると、その素晴らしさが心に届くようになってきて、他のオペラも聴いてみたいなと思うようになった。

このニーベルングの指環、実際の劇場では四日間にわたって上演されるという長大な作品で、CDも確か14枚組だったと思う。そういう作品なので、上演された作品をライブで録音することはあっても、全曲をスタジオで録音したものというのはあまりない。お借りしたCDもライブだった。また主に演奏されるドイツのバイロイトというワーグナー自身が作った劇場は、オーケストラが隠されているため音響的には録音の難しい環境で、音の良いスタジオ盤がないかなあ、と思っていたところに、そのCDを貸して下さった方が、ショルティのスタジオ盤が再発されるよ、と教えてくれたのだ。

スタジオ録音音の分離が良くメロディの交わりまで見えてくる


届いたのを聴いてみると、一聴、やはりはっきりした音像。楽器の分離がよい音で、スタジオ録音のメリットが出ている。それぞれのメロディがはっきり聴こえるために、おそらく全幕で一番退屈な冒頭のライン川を描写するメロディさえも、ワーグナーの意図した複雑なメロディの交わりとして聴こえてくる。これはいい!
はやる気持ちを抑えきれずズルをして、一気に全幕で最も感動的な最も最終章近くの「ジークフリートの葬送曲」まで飛ばす。すごい!夜中で残念ながらヴォリュームは上げられなかったが、強いダイナミズムが聴こえてきた。

演奏自体はどちらかというとクールな印象で、ライブ録音の方が演者の高揚が伝わってくる。しかしこの楽曲は、どちらが良い演奏なのか、などという評価を拒絶するところがある。どう演奏してもワーグナーの音楽にしかならないし、どちらにしても相当な質量で聴者の心を叩く。むしろどこまでワーグナーの用意した音楽空間に身を委ねることができるかを問われる、これはそういう音楽なのだと思う。

例えば、剣を鍛え直す音や、雷の音など、舞台で実際に演者が鳴らす音を使わざるを得ないライブ録音と違って、スタジオ録音の場合は効果音は自由に足すことが出来る。このショルティの録音でも凝りに凝った効果音が聴けると聞いたことがある。こちらも楽しみにしたい。

Wagner: The Operas
B008H29YVY

2012年10月15日月曜日

【オーディオ】僕がアナログレコードを聴き続ける理由、そしてDENON DP-500MとMMカートリッジを偏愛する理由。

確かにCDの音はずいぶん良くなったと思う。
別に不満があるというわけじゃない。それでもアナログレコードをかけると、いつも「鮮烈さ」のようなものを感じる。

昔懐かしいレコードを聴いているのだから、ノスタルジーも手伝ってレコードの音を味わい深く感じているだけではないか、と疑わなくもないが、僕は新譜も可能ならばアナログで買うことにしていて、新しいサウンドの音楽もレコードで聴くとやっぱり鮮やかでカラフルな印象を受けるので、それだけでもないだろうと思う。

このCDとレコードの音の関係について、なるほど、そういう理由かと腑に落ちた事件があった。
僕は自分のオーディオに疑問を持ったことはほとんどなく、必要になった時、その時持っている予算で最も自分の好きな音を奏でてくれる機械を買って、しばらくあれこれ納得いくまでセッティングを詰めたら、何度聴いても、ああいい音だなあ、と思えてしまう幸せな男だ。
だからオーディオ店の試聴会なんてのには行ったことがなかったのだが、今年の夏に前の会社の先輩に、札幌で一番大きなオーディオ専門店であるCAVIN大阪屋の試聴会イベントに誘われて、もちろんオーディオは大好きなのでウキウキしながら出かけていった。
そこで心底驚くようなデモンストレーションを聴いてしまったのだ。

それはCDプレーヤーにマスター・クロック・ジェネレーターを加えると音がどう変化するのか、というものだった。と、言われても何のことだかわからない人も多いと思う。
なるべく簡単に説明しよう。

音は空気の振動だから、「波」のカタチをしている。
これをそのままビニール盤に刻み込んだのがレコードだが、CDはデジタルだから、この波を細かく切り分けてその回数だけ信号を読み込んで再生することになる。
その回数をサンプリングレートといって、現在のCDの規格では44.1kHz、つまり1秒間に4万4100回信号を読み取っている。
この4万4100分の1秒を測る時計をクロックと言っている。

普通のCDプレーヤーに搭載されているクロックは2~3ヶ月に1秒狂うくらいの精度のものだが、その精度を高めていくために外部から高精度のクロック信号を送る機器をマスター・クロック・ジェネレーターと呼んでいるのである。

さて、今回のデモで見たエソテリック社の新鋭マスター・クロック・ジェネレーターは10年に1秒の誤差、という精度のもの。
我々の感覚ではそれがどういう差なのかはちょっと判然としないが、出てくる音はまったくの別物だった。
まるで深い森の中に迷い込んだような濃密な空気感が突然音楽に纏わりついたような感じ。うまく言葉ではいえないが、それは確かに音楽再生の技術がひとつ高いステージに飛び込んだことを確信させる音質変化だった。

しかしこの機械、なんとお値段141万7500円也。
私の愛用しているCDプレーヤーは16万8000円である。なんという高価なグレードアップか。

そして、これはレコードプレーヤーに置き換えると「ターンテーブルの回転精度を上げる」ということに相当する。
モーターの回転精度を上げるなんていうのは、もう程々に「枯れた」技術で、大抵の中級機なら相当に高い精度で回ってくれるし、今回のCDにクロックを足したような驚愕の変化はたぶん現れようがない。


つまり、アナログレコードの再生システムと同等の音を出そうとした時の、CD再生にかかるコストは相当に高く付くということだ。
クロックのデモは、音がどこまで良くなるのかという限界点はもしかしたらデジタルの方が高いのではないかと思わせるに足るものだったが、無限の予算がない以上、僕はアナログの方を選ぶ。


同じように、CDプレーヤーは10年も回しているとピックアップが読み取りエラーを出すようになる。これを交換するとなると面倒だし、結構なコストもかかるから、それなら新技術の投入されたニューモデルが欲しくなるだろう。
何れにしても結構な出費だ。

アナログでは針を交換してしまえば、音がフレッシュになる。僕のカートリッジの交換針は2000円弱だから、毎年交換しても全然平気だ。
事実毎年正月に針を交換するのを習慣としている。


近年、またアナログ関連の商品は息を吹き返してきていて、プレーヤーもオーソドックスなスタイルのものからアバンギャルドなデザインのものまで様々な新製品が店頭に並んでいる。

それらの多くは音質的に有利とされるストレートアームを備え、簡単にカートリッジを外すことが出来ない。
私の使っているプレーヤーは今ではとんと見なくなったユニバーサルアームというのがついていて、簡単にカートリッジを外すことができるので、毎日レコードを聴いた後必ずテクニカのスタイラスクリーナーで針を掃除している。

このクリーナーの薬剤が針に(正確に言うと針を支えているカンチレバーやそれを支えているダンパーに)悪いというので、あまり頻繁には掃除をしないほうがいいという説があるが、それはまったくその通りなのだが、私の場合はそんな影響が出てくる前に針を交換してしまうのでぜーんぜん関係ないのだ。





そのようなわけで、僕はオーディオファイルの皆さんが見向きもしない、初心者用プレーヤーDENON DP500Mを使い、頑固にも付属のオーディオテクニカのOEM品であるMMカートリッジを使っているのである。
いや、これが本当にいい音するんですよ。信じないかもしれませんが。


2012年10月14日日曜日

【音楽エッセイ】レンタル・レコード・ラプソディ、あるいはCDから聴こえてこない音について。

レンタルレコードとカセットテープと


大学生の時、レイコードーというレンタルレコード店でアルバイトをしていた。

店長さんと僕と少し年上のギタリストの三人だけのお店。
だからとてもアットホームで、店長さんはとても優しい人でお店にかける音楽とかは僕達におまかせだった。

お気に入りのアーティストの新譜が入ると、僕らは店内にそれを流して、ついでに自分のテープに録音したりしてたけど店長さんは何も言わなかった。
そのうち、朝、開店するために鍵を預けられるようになった僕は少し早めに出勤して、開店前の店内で好きなレコードを聴いていた。
だから、この時期新しいレコードを聴くのに不自由はしなかったけど、録音するためにテープをたくさん買って(もちろんレイコードーで)いたから、バイト代はほとんど残らなかったな。

そういうわけで、この時期お気に入りになった音楽は自分で録音したカセットテープで持っていた。
テープはやがて劣化していくし、録音メディアもデジタルに移行していく。
もううちにもカセットデッキはなかったりする。
CD化されたものは、それを買えばいいのかもしれないが、アルバイトでずっとレコードを聴いていた僕にはその当時の音楽をCDで聴くのはちょっと違う気がして、数年前から中古レコード店やオークション・サイトなどで探して少しづつ買い揃えたりしている。

ヘビロテレコードたち


そんなレコードの中で今でも、よくターンテーブルに載せるものがある。
そんな一枚が、このセンチメンタル・シティ・ロマンスの「夏の日の想い出 SUMMER DAYS」だ。
とにかく歌詞がいい。まるで自分自身が書いた歌を聴いているような気分になる。それも若い頃の自分のだ。もちろんこんな完成度の高い楽曲を書けるはずはないのだが。




こちらも今でも本当によく聴く一枚。安部恭弘の「MODERATO」。
ジャケットがいいよなあ。B-2の「トパーズ色の月」を聴くといつだって胸が詰まるように苦しくなるのは何故なんだ。
心理学者でも精神科医でもいいから誰か教えて欲しい。



レコードからCDへ


それにしても何故CDの音に違和感を感じるのだろうか。

僕がレイコードーに入った頃、店ではまだCDのレンタルは扱っていなかった。
最初にCDがお店に入ってきた時、あの小さなジャケットやプラスティックのケース、規格化された「背」のデザインなどを見て、こんなものを買う人がいるのだろうか、と思った。

一緒に入ってきたCDプレーヤーをお店のシステムに繋いで音を出してみると、これまた何だか鼻をつまんで聴いているような抜けの悪い音で、レコードのように掃除をしなくていいのと、頭出しやスキップが出来たりするのは確かに便利だとは思ったが、やっぱりこれは欲しくない、と思った。

しかし、予想に反してCDはあっという間に市場からヴィニール盤を駆逐していった。かつてヴィニール盤がSP盤を駆逐していったように。

ところがCDへの市場の移行後もLPレコード・ユーザーはしぶとく手持ちのレコードを聴き続けたし、逆に中古市場に放出されたレコードたちを救出しては、自らのコレクションを充実させていった。
確かにしばらくレコードでの新譜は出ない時期があったものの、現在でも音質を重視するアーティストたちが新譜でレコードを出し続けている。

CDから「聴こえてこない」音


かくいう自分は、それほど熱心なレコード・リスナーではなかった。
それまでのコレクションを売りはしなかったが、レコードで新譜が出なくなった頃、TEACのプレーヤーを質屋のガラスケースに見つけてCDリスナー・デビューをした。

CDの音は徐々に良くなって、今や空前のリマスターブーム。
僕も音質的に劣った盤をずいぶん買い直した。

けっこういいところまでレコードの音に近づいてきたんじゃないかとも思う。
PCでリッピングしてiPodで聴いたり、車用のCDを編集したりなんてことも出来て、本当はもうレコードなんていらないのかもしれない。

でも何故なんだろう。

新譜で買った高音質のクラシックやジャズのレコードをかける時は湿式のクリーニング・ウォーターとワイピング・ペーパーを使うのに、懐かしいレコードをかける時には、レコードに悪いとわかっていながらもNagaokaのレコードスプレーをシューっとかけてベルベットのクリーナーでひと拭き。
スプレーの匂いの残ったレコードをターンテーブルにセットして針を落とすと、あの若かった頃の僕を取り巻いていた空気ごと再生してくれる。
そしてそれは、どんなにリマスターしても決してCDからは聴こえてこない音なのだ。


2012年10月13日土曜日

【音楽エッセイ】予備校の湿っぽい廊下で、僕が見つけたものは。

ずっと後になって、浜田省吾のアルバムJ-BOY収録の「19のままさ」を聴いた時、冒頭の、「予備校の湿っぽい廊下で、あの娘を見つけた」というフレーズにドキッとした。





最初の年の受験に失敗し、釧路を出て札幌の予備校に通わせてもらった。
はじめて親元を離れて予備校の近くの寮に暮らした。
この新しい生活の中で、僕は本当にたくさんのものに出会った。

生涯の友との出会い


浪人することがほぼ確実になってから高校の進路指導室とは名ばかりの資料置き場に置いてあった予備校生のための学生寮「桑和学生ハイツ」のリーフレットを見つけた。
小学校時代からの友達でもあった剣道部の同期の主将と一緒にそこに入ろうと決めた。
ベッドと机以外何もない狭い部屋で、調理器具などは持ち込み禁止ですと書かれていた。


入寮したその夜、こんな壁だらけの場所で本当に勉強なんてできるんだろうかと心配しながらも予備校の資料を眺めていると、部屋のドアがノックされた。
お、一緒に入寮した剣道部のヤツか、と思いドアを開けると見たことのない大柄の男がインスタントラーメンの入った鍋を片手に持って立っていた。

まったく何の挨拶もなく「ラーメン食べる?」と言う。
いかにも人のよさそうな笑顔につい「お、おう」と答えると、じゃ隣来て、と。
ああ、隣の部屋の住人だったか、と後について彼の部屋に入った。

何も置いてはいけないはずの部屋にはカセットコンロの他に、レコード・プレーヤーまで備えた簡易ステレオが置いてあり、壁には大きなカセットテープのラックが設置され100本近いテープが並んでいた。

二人でインスタントラーメンを食べながら自然と音楽の話になって、そのままずっと話し込んだ。何年も昔から友達だったような気がした。

彼は留萌の出身で、同じ高校からやはりこの寮に入っている友人がいて、これがまた相当な音楽バカだという。
さっそくその友人の部屋を急襲することにした。
予想に反して歓待を受け、音楽談義は続いた。
その彼が「無名なんだけど、これだけは絶対聴いておいたほうがいいよ」と二本のカセットテープを貸してくれた。
鈴木雄大のファースト「フライデイ・ナイト」とセカンドの「YUDAI」だった。


これは本当にぶっ飛んだなあ。
鈴木茂みたいなソリッドなギタープレイに、甘くて高い声。
小学生の僕を音楽の世界に引きずり込んだローラーズみたいに心を震わせて切なくなっちゃうようなポップセンス。
ある種の諦念観の中をあくまでも軽やかに泳ぎきるような独特の歌詞がその時の気分にものすごくマッチしてあっという間に大ファンになってしまった。


隣の部屋の友人とは今でも続く長い付き合いになった。
お互い雑な性格をしているせいで、住むところや職場が変わるたびに何度も音信不通になるのだが、その度奇跡的に再会して絆が切れない。

僕が札幌に帰ってきた時も、偶然そういえばあいつどうしてるかなあ、と気まぐれにGoogleで彼の名前を検索したら札幌の某専門学校にいることがわかって、学校に電話して再会したのだ。
その後彼は転職するため関東に移ったが、その時にあの懐かしい予備校時代から大事にしてきたLPレコードのコレクションを僕の家に置いていった。半分くらいもともと自分のものであったような気がするくらい懐かしいレコードたちと今、暮らしている。

予備校の湿っぽい廊下で


予備校の寮で生涯の親友を見つけたのと同じ頃、僕は予備校の廊下で見覚えのある女の子の横顔を見つけていた。

高校の時、休み時間に廊下で、周りの人よりも一段も二段も白くて透明で儚げなのに強い光を放っているような女の子の横顔を見かけて、あれは一体誰なんだろうと思っていて、いつの間に転校でもしたのか見かけなくなった女の子がそこにいた。

高校の時はなんとなく気になっていただけだし、いつの間にか忘れていたのだが、札幌の予備校で突然再会してしまうと、どうにも気になってしまって、でも話しかける勇気はなかった。
同じ教室にいるだけで僕は充分幸せだった。


だから灰色のはずの予備校生活は、完璧な薔薇色をしていた。
毎日予備校に通うのが楽しいし、帰れば話しても話しても尽きず音楽の話をする友がいる。

しかし、予備校の日々などしょせん、このまま続けばいいと願うたぐいのものではない。

春が来て、僕と彼女は同じ大学の同じ学部に合格し、友だちは郷里に帰ってもう一年頑張って進学を目指すことになった。

流れゆく時の中で


時間はいろんなものを変えていく。
二年後僕は結局フォークソング研究会というサークルで知り合った人と交際をしていた。
その頃サークルの先輩に紹介してもらった貸しレコード店でバイトをしていた。
その交際相手は浜田省吾が大好きだったので、新譜で入ってきた「J-BOY」を僕はよく店でかけていた。
そして「19のままさ」が流れる度に予備校の教室でいつも見ていたあの横顔のことをこっそり思い出していたのだ。

2012年10月12日金曜日

【音楽エッセイ】あの素晴らしきラジオ・デイズ。

NHK-FM『サウンドストリート』の日々


中学生の頃はまだレンタルレコード店というのは一般的な存在でなく、少なくとも近所にはなかったし、そうそうLPレコードが買えるような小遣いはもらっていないわけで、音楽を愛する少年にはラジオこそが味方だった。

そのラジオだって音質の良いFM局は、わが故郷釧路にはNHK-FMの一局しかなくて、だからNHKの放送をできる限り多く聴いた。

中でも平日の夜放送されていた「サウンド・ストリート」という番組は、クラシック番組の多かったNHKの中で貴重なポップス系の番組で、毎日欠かさず聴いた。

月曜DJ、松任谷正隆企画による細野晴臣レコーディング講座


当時のDJは月曜日が松任谷正隆でティン・パン・アレイ人脈の細野晴臣氏を招いて作曲や録音のデモをやってくれたのが印象に残っている。今でも自宅録音の際にこの時学んだノウハウを使うことがあるくらいだ。

細野さん、新譜も出ますよ!


火曜DJ、森永博志が教えてくれた『ヒロスケ』


火曜日の森永博志にも大変感謝している。なにしろ彼の放送では、ブレイク寸前の若手のスタジオライブが多かった。ヒロスケというシンガーソングライターのライブは本当に最高で、録音したテープはMDにダビングして今でも大事に持っている。
デビューアルバムのComing Soonは石田長生のプロデュースで金子マリがバックコーラスやってたりしてゴージャス。

独特の嗄れ声で歌う「深夜営業午前二時」とか「いくつもの星が流れ」といったブルージーな歌がカッコ良かったが、なぜかまったく売れず、ミサキレコードでも、これは入荷しないから、と言って見本盤をくれた。兵藤ゆきと結婚したあたりまでは情報が入ってきていたが今は何をしているのだろう。



水曜DJ、甲斐よしひろが嫉妬した佐野元春の『声』


水曜日は、甲斐さんですねえ。もうこの水曜日の放送だけは一言一句聞き逃すまいとヘッドフォンを両側から押さえて聴いていた。この放送で教えてもらった名曲は数しれないが、やはり何と言っても佐野元春のガラスのジェネレーションではないだろうか。その声と日本の楽曲では聴いたことのなかった純度の高いポップ性に衝撃を受けた。 釧路のミサキレコードでまずシングルを買って、その後発売されたハートビートも予約して買った。
甲斐さんはこの曲をかけた後、正直この声に嫉妬している、と言い、こいつの歌はいつか必ず日本中の人が聴くようになる、とまで予言していた。事実そのとおりになったと言っていいだろう。




それからすぐに、佐野元春は月曜日のDJに抜擢された。一回目と二回目の放送は佐野元春& The Heartlandのスタジオライブで、「さよならベイブ」での伊藤銀次さんのギターソロがもうとにかく最高で、まだ買ってもらったばかりでろくに弾けなかった白いグレコのジェフベックモデルで一生懸命練習したものだ。この録音も今でも大事に持っている。

木・金DJ、渋谷陽一が教えてくれた洋楽の魅力


木・金は不動の渋谷陽一先生。なんか今思うと、ストーンズとツェッペリンばかりかけてたような気がしなくもないが、洋楽に疎かった僕にはありがたい放送でした。

そして、ラジオとの再会


クラシック音楽を聴くようになった今、ラジオをまた聴くようになった。ポップスに比べてクラシック音楽の歴史ははるかに長く名曲と呼ばれる楽曲の数も膨大だ。どんなに聴いても聴ききれない気がするのに、ひとつの楽曲を何度も聴かないと理解も覚束ないときている。NHKは相変わらず、コンスタントに有名、無名問わずに多くの楽曲を流してくれる。シューマンのピアノ・コンチェルトやブルッフのバイオリン・コンチェルトなんかはラジオが教えてくれた名曲で、何度となく聴き続ける愛聴盤となった。

現代は便利な時代で、録画の指示を機械にしておけば、好きなときに何度でも見られるし、いい曲だなと思えば、iTMSからすぐにダウンロード購入できる。試聴だってし放題だ。まさにオン・デマンドの時代。

しかし、不便さにだっていいところがある。ラジオの非オン・デマンド性こそが僕らを音楽に真剣に向き合わせていたのではないかと思うからだ。あの頃聴いた曲が心に深く刺さっているのは、その頃若かったからという理由もあるだろうが、どんな細かい音も聞き逃すまいと真剣に聴いたからではなかったか。なにしろ録音する時だって、テープをひっくり返すためにいつも以上に真剣に聴いていたのだから。

その一分一秒をもゆるがせにしない音楽への姿勢が、僕達の音楽体験を作り出していたことを今はとても幸せなことだと僕は思っているのだ。

2012年10月11日木曜日

甲斐バンドを教えてくれたラジオとレッド・ツェッペリンのドラマーの死を教えてくれた僕の担任。

最初の本格的なコンポーネント・ステレオは中学への進学祝いとして買ってもらった。

その頃住んでいたのは釧路市の桜ヶ岡という町で、大きな生協の店舗に隣接してそうご電器という電器店があった。
小学生の頃ラジカセが流行って、休みの日には悪友たちとその電器店をひやかしに行った。
次のステップとしてのステレオのカタログを無闇矢鱈と集めたりした。
いろんなメーカーのカタログを集めたが、当時テクニクスのカタログがぶっちぎりでカッコ良かった。

中学に入って、ステレオを買ってくれることになった。
カタログを手に母と意気揚々と電器店に乗り込んだが、その時点で自分の中ではすでにテクニクス一択。
あとはスポンサーである母の予算次第で、どのランクのものが手に入るのか。そういう選択なのだと思っていた。
そう、その時までは。

ところが、母が「ステレオが欲しいのです。息子がテクニクスというのがいいと言うのですが、どれですか。」と聞くと店員は
「ああ、テクニクスはいけません。あれはナショナル。家電メーカーが副業でやっているようなものです。専業メーカーのものになさい。中学生ならこのくらいでしょう。」
とONKYOのシステムコンポを指差すのだった。

それはその店で扱っているテクニクスのシステムコンポのどれよりも安価で、それなのにラックはガラス扉付きで豪勢だったし、スピーカーのサイズが一回り大きかった。
価格が思っていたより手頃で、しかも理由が一見まっとうで、あまりに店員が自信たっぷりに言うものだから、もう即断に近いカタチで、そのONKYOは僕のものになったのだった。


長いこと憧れていたテクニクスは手に入らなかったが、そのセットが僕の部屋に来たちょうどその日にNHK-FMで甲斐バンドの武道館ライブが放送された。これをその真新しい機械を使ってエアチェックした。

甲斐バンドは小学生の時に大ヒットした「HERO、ヒーローになる時それは今」を聴いて、それまで好きだった西城秀樹や松山千春なんかとはずいぶん違う音楽で、これがロックだと思っていたBay City Rollersともちょっと違うカッコよさをもった音楽だなと思っていた。
放送がはじまると、大きなスピーカーから松藤英男が叩くシンプルなエイトビートが、それまで行ったことのないコンサート会場の残響を引き連れて僕の小さな部屋に鳴り響いた。
それに合わせてこちらの鼓動までドクドクいいはじめた。
大森信和の弾く伸びやかに歪んだレスポール・カスタムのリフが高らかに曲のテーマを提示し、甲斐よしひろがあの嗄れ声で「あなたに抱かれるのも今夜かぎりね」と歌い始めた。
名曲「きんぽうげ」に僕はすっかりやられてしまった。



その日からローラーマニア(Bay City Rollersのファンの別称)を返上し、日本のロックシーンを追いかけ始めることになった。
タイミングの良いことに数週間後には、柳ジョージ&レイニーウッドのライブがやはりNHK-FMで放送されたし、甲斐よしひろがDJをつとめるサウンド・ストリートというラジオ番組を見つけたりで、ヘッドフォンにかじりつくようにラジオを聴いた。



当時の釧路にはFM局がNHKしかなく、それを聴くしかなかったわけだが、もしかしたらそれが良かったのかもしれない。
なにしろずっとそればかり聴いているのだから、クラシックや洋楽なんかにも(不思議にジャズはまったく印象に残っていない)いい曲があるなあ、と思えたからだ。
特にNHKはクラシックの番組が多い。
ドヴォルザークの「新世界」とベートーヴェンの「田園」、そしてホルストの「惑星」は録音して繰り返し聴いた。今でもとても好きな曲だ。

そして部活の剣道部の時間以外は音楽のことばかり考えていた。で、一番そういうものに近そうな文化専門委員会というのに入って学校の仕事をするようになった。
その年の委員長は、同級生の兄貴で、やはり音楽の好きな人だった。
彼は放課後の音楽室を開放してレコードコンサートをやろうと企画した。
レコードはオレが持ってくるから、と言っていた。

そのレコードはLED ZEPPELINの1~4で、僕はその仕事の手伝いをしてはじめてZEPの音楽を聴いたのだった。
ざらついたギターの音。
どこまでも金属質の声。
とてつもなく重いビート。
それはなんというか、衝撃という言葉以外ではとても表現できないものだった。



学校の音楽室で放課後にLED ZEPPELINを聴く。学校全体に何か面白いことが始まったんだ、という空気が充満し、音楽好きな仲間内でZEPは特別なバンドになった。

時は流れて、中三の秋。
放課後教室でたむろしていた僕らに担任の先生が「おい、大変だぞ。ちょっと職員室に来い。」と声をかけてきた。
ついていくと夕刊の小さな記事を指さした。

「ロックバンド、レッド・ツェッペリンのドラマーが死亡」と書いてあった。担任の先生はロックなんかを聴くような人ではない。
学校で起きていたムーブメントや生徒たちの関心事について深く理解していた人だったのだろう。

そんなこんなで、僕にとってLED ZEPPELINの音楽は中学時代を過ごしたあの校舎の空気の感じと深く結びついているのである。


Bay City Rollersがくれた胸の震えを探して。

小学4年生のとき、友達の家でお姉さんのものだというBay City Rollersのレコードを聴いた。
胸が震えた。

レコードを買ってもらって、何度も聴いた。
歌詞を聞き取っては父にもらった大学ノートに、カタカナで書きつけた。
自分で歌いたくて外に出て大声で歌った。
ちっとも恥ずかしくなんてなかった。
胸はもっと大きく震えていた。

僕は今もあの時の胸の震えを探して音楽を聴き続けているのだと思う。





はじめて買ってもらったレコードはBay City Rollersの二枚のアルバムだった。
その時点での最新アルバム「青春に捧げるメロディー」とベスト盤である「ニュー・ベスト」の二枚。

この「青春に捧げるメロディー」というアルバムは本当に素晴らしかった。
名プロデューサー、ジミー・イエナーの仕掛けたポップの宝箱だ。

一曲目がエリック・カルメンの在籍したラズベリーズの永遠の名曲「レッツ・プリテンド」。そしてダスティ・スプリングフィールドのヒット曲「二人だけのデート」。ビーチ・ボーイズのポップなラブソング「ドント・ウォリー・ベイビー」。

これらのナイスなカバー曲だけでもかなりクラクラだが、彼らの本領はグラム・ロック・バンドとしてのハードなサウンドにあるのだ。

「ロックン・ローラー」「イエスタデイズ・ヒーロー」のオリジナル曲2曲をお聴きいただければ、このバンドがアイドルバンドだったなどとはいえないはずだ。

実は僕も武道館でのコンサート映像を見て、「演奏してねえじゃん」と思ったのだが、一昨年ふとしたことで知り合ったBCRファンから新潟公演をこっそり録音したテープを聴かせていただいて、明らかにかなり演奏力の高いバンドであったことを自分の耳で確認した。

僕はその素晴らしい歌をどうしても自分で歌ってみたくて、歌詞カードにレコードから聴き取った発音をカタカナで書き込んで英語で歌う練習をしたのだった。
歌うとますますその歌が好きになった。

学校の休み時間にもずっと歌を歌っていた。
街を歩いているときも。

小学校の遠足のバスで目的地につくまで歌合戦をしようということになった時も真っ先に手を上げてツイストの「燃えろいい女」を歌った。担任の先生が審査員のその歌合戦で僕は優勝して、商品に図書券500円をもらったのだ。
今思えばその図書券は先生の自腹だったのだろうなあ。

その担任の先生も先日亡くなってしまった。
遺品を整理していたら、「お葬式にかけて欲しい音楽」というメモがでてきて、伸之助くん(私のことです)の「雨宿り」と書いてあったとお嬢さんから聞いた。

さだまさしさんのコミカルなのにじーんとくる名曲で、当時よく校庭で歌っていたお気に入りのレパートリーだ。
そんなことまで憶えていてくださってありがとうございます。
天国の先生のために、これから何度でも歌います。


音楽はいつだって人の人生の傍らにあり、その瞬間瞬間を彩っている。
そしてその彩りはとても深く胸に刻まれている。
だからそれは、ただの趣味ではないし、ましてや消費財では決してない。

明日からも、あの日見つけたこの胸の震えを探して歩いて行こう。