2015年6月28日日曜日

映画「ハンナ・アーレント」〜我々の日常に棲む悪の凡庸

映画「ハンナ・アーレント」をやっと観た。

ハンナ・アーレント [DVD]
ポニーキャニオン (2014-08-05)
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観終わって胸を刺すのは、現代社会に生きる我々は、程度の差はあっても皆が凡庸なアイヒマンなのではないかという疑問だ。

会社に所属して仕事をしたことのある人間ならば誰でも、「それが仕事だから」というだけで、特に良心に問いかけたりせずに上司からの命令に従って日々を送った経験があるはずだ。

殺人犯が書かれた本は、それを禁じる法律が無いという理由で出版され、ベストセラーになるし、 キッチンでは、表示された消費期限が来ていなければ、食べられるものと判断するだろう。

科学は進歩し、社会は高度化したが、かえって我々の思考は停止している時間の方が長くなったのではないか。
世の中にはとうてい見きれない程のチャンネル数を備えたテレビシステムがあり、インターネットには日々膨大なコンテンツが流通している。
ネットに集積した口コミを眺めていれは、明日何を食べようか考える必要はない。自分に相応しくない店に足を踏み入れてお店に冷たくあしらわれたら、ネガティブな書き込みをして復讐だってできる。
何か答えが知りたければGoogle先生が、Wikipedia先生が、そして池上彰先生までもが、ハイデガー先生のかわりに教えてくれる。考える必要はない。信じればいい。

ハンナ・アーレントが、アイヒマン裁判を通して警告した現代の新しい悪である「凡庸さ」は、それが人間の深い部分に根ざした心性の悪でないゆえに、簡単に蝕み、簡単に拡散していく。
このことは広く理解されないまま、事実現代の病理として今我々の日常の中に静かに存在しているのではないか。
だとしたら今度人類が起こす悲劇は、アイヒマンを絞首刑にして終わるようなものではないのかもしれない。

映画のラスト8分のスピーチにあった「考える事で人間は強くなる」という言葉を信じたい。John LennonがImagineで歌ったのもきっとこのことだったんだと今は思う。

2015年6月5日金曜日

ジェシの音楽は雨のように優しい

北海道には梅雨がないというが、やはりこの時期には雨が多い。
長い間のマンション住まいから、一軒家に住まってみて気づくのは、今までは雨音が聴こえないところで暮らしていたんだな、ということ。
雨の朝、屋根を叩く雨音を聴きながらレコードを選ぶと自然にこれになることが多い。



ジェシ・ウィンチェスターの「雨のように優しく」(現行盤はタイトルが原題になっています)

ア・タッチ・オン・ザ・レイニー・サイド
ジェシ・ウィンチェスター
ヴィヴィド・サウンド・コーポレーション (2007-01-17)
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ジェシは、徴兵を拒否しアメリカからカナダへ逃れた人である。
きっと優しさゆえの強さを持った男なんだろう。

このアルバムは、カーター大統領の特赦によって10年ぶりにアメリカに帰れるようになってナッシュビル録音によって制作されたものだそうだ。
そのせいかロビー・ロバートソンプロデュースの有名盤「ジェシ・ウィンチェスター」に横たわっていた悲痛さは影を潜め、柔らかな優しさと落ち着きに包まれている。

ジェシ・ウィンチェスター
ジェシ・ウィンチェスター
ワーナーミュージック・ジャパン (2013-10-16)
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ジェシの近年のアルバムもこの柔らかな優しさが基調になっているように感じる。
たとえばこれ。

Love Filling Station
Love Filling Station
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Jesse Winchester
Appleseed (2009-04-21)
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2009年のこのアルバム収録の曲「Sham-A-Ling-Dond-Ding」の動画だが、この歌声にホストの役割も忘れ釘付けになっているコステロの表情がジェシの重ねてきた音楽との日々を物語っているように感じる。


残念ながら2014年4月に他界してしまったが、この柔らかな歌声は永遠にこの世界に響き続けると思う。

2015年6月4日木曜日

音楽は時間の芸術なのだから

レコードで持っている音楽を一生懸命CDで買い直していた時期があった。
就職で東京に出た1989年くらいが、アナログでは新譜が出なくなり始めた時期で、引っ越した先でオーディオ機器を新調したとき、レコードプレーヤーは買わなかったから。



自分の家を建てた時、実家に預けっぱなしだったレコードを回収したから、アナログレコードの再生環境も整えた。
結果的に部屋には、同じ音源のレコードとCDが揃ってしまった。

で、両方ある盤はアナログをかけることが圧倒的に多い。
音の鮮度が高く感じられるからだが、有名盤は近年上手にリマスターされているものもあって、そういうリマスターCDを買い直したものなんかはCDで聴いている。


会社員だった頃はだいたい営業で一日中外にいるから、買ったCDはiPodに入れてイヤホンで聴いていた。外出しなくなった今iPodは用済みになってしまったが、PCに取り込んだデータは残っている。時々、カラオケの練習にAmazonでMP3を買うこともある。
常時起動しているPCで手元で音源を扱うのにデジタルファイルは便利だ。
ちまたではハイレゾハイレゾと喧しいが、そのような高音質音源ならPCのスピーカーやヘッドフォンで聴いてもしかたがない。しかしメインシステムに組み込むためにはDACか、ストリームプレーヤーを導入する必要がある。

レコードにCDにデジタルファイル。
音楽を聴くために三種類の再生環境を用意するというのは、いささかシンプルさに欠け、自分のスタイルでないと思うのでハイレゾに踏み込むのは自粛している。

とはいえ今どきは、試聴会などにでかければデジタルファイルの再生音に触れる機会も多い。昨年はマランツの新しいネットワークプレーヤーの音を聴いたが正直感心しなかった。
先駆者であるLinnのDSは素晴らしい音を出していた。
20万円のマランツと140万円のLinnを較べても仕方がないような気もするが、これはまだデジタルファイルでまともな音を出そうとするととんでもないカネがかかるということを意味しているのだろうか。
それともLinnというメーカーそのものに力があるということか。
そのLinnにしても、演奏途中でプレーヤーがネットワークを見失って失音してしまうアクシデントがあった。
このコンピュータ・システムやインターネットの業界は、こういう不安定さを解消しないまま性能だけ高度化させていく傾向があり、どうも信頼がおけない。
ひかり電話なんぞに通信インフラを預ける気になれず、いまだにアナログ回線を保持しているのはそういうわけだ。
業者さんとの大切な日々の連絡は今でもファックスを使っている。

例えば、CDで新譜が出なくなるような事態になってもちっともかまわない。
LPレコードもそういいながら今でも入手できている。
だいたい所有するのが目的ではない。
音楽は時間の芸術で、演奏するのと同じだけの時間が鑑賞するのにかかるのだから、自ずと聴くことのできる限界が決っているし、「聴いてみた」だけでわからないのが音楽というものだ。
自分の経験につれて音楽の聴こえ方は変わっていく。
そういう意味でもやはり音楽は時間の芸術なのだ。
今世の中に流通している音源を賞味し尽くせるほど僕の時間も残っていないだろう。
縁あって入手できた音楽たちと大切に付き合っていきたいと思う。