2014年4月29日火曜日

ジョナサン・キャロル「死者の書」に問われた<父>との向き合い方

こんな魅力的なダーク・ファンタジーは初めてだ。
ジョナサン・キャロルの「死者の書」のことだ。

死者の書 (創元推理文庫)
ジョナサン・キャロル
東京創元社
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高校時代の同級生に教えてもらった。
その人が読む本だから、きっと素敵な本だろうと思っていたが、本当に思っていた通りの素敵さだった。


有名俳優の息子で、高校の教師をやっているトーマス・アビイが、マーシャル・フランスという今は亡き天才作家の伝記を書こうと長期休暇を取り、調べ物を始める。
古書店で、見つけたマーシャル・フランスの稀覯本は、すでに売約済みという。買い手と交渉して譲ってもらおうと、待っていると現れたのは若い女性で、
「本の趣味が世界一なのだから美人でにこやかなのが当然」と期待して彼女を見ると、
「顔立ちはかわいいと平凡の中間」で、「清潔で健康的」「茶色い髪はまっすぐだが、肩のあたりで、触れるのが怖いというようにちょっと跳ね上がっている」女性だった。
名前は、サクソニー・ガードナー。

トーマスとサクソニーは、協力してフランスの伝記を書くことになる。
二人は、フランスがその半生を過ごし、愛し、そして死んだ「ゲイレン」という町に逗留し、伝記を書くことにする。

取材を始めたトーマスの目の前で、少年がトラックにはねられた。
事故のあと、町の人に「あの男の子、はねられる前は笑ってました?」と訊かれ戸惑うトーマス。それまでよそよそしかった町の人達が、その日を境にいやに協力的になったことや、自分の行動が瞬時に町の隅々にまで知れ渡っていることにも不審を覚える。

その不審をフランスの娘、アンナに質すトーマス。
そしてアンナから語られた恐ろしい町の真実。


ダークファンタジーの典型のような端正な物語が、これが処女作とはちょっと信じられない見事な構成力とユーモラスな筆致で語られていく。
物語は緩急を丁寧にコントロールされて、ゆっくりゆっくり進んでいく。
しかし、その秩序は、ラスト8ページで何の予告もなく破られ、突然物語は疾走を始める。
ああ、この凝集された不思議さ。
圧倒的なスピードのペンに、僕は不思議に思う暇もなかった。
それまで酔うように堪能していた不思議さが、まるごとこの瞬間のための伏線であったことを知ったときの驚き!
騙されることがこんなに気持ちのいいことだと、僕は本当に知らなかった。

読後、表紙を見返して、本当に久しぶりに本のことを「愛おしい」と思った。

東京創元社の本には、時々こういう「愛おしさ」を感じさせる本がある。

例えば、シーリア・フレムリンの「泣き声は聞こえない」

泣き声は聞こえない (創元推理文庫)
シーリア フレムリン
東京創元社
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ヘレン・マクロイの「幽霊の2/3」も忘れられない。

幽霊の2/3 (創元推理文庫)
ヘレン・マクロイ
東京創元社
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端正でコンパクトで物語然とした物語。
きっと大昔から人間に寄り添ってきた物語の多くは、このような姿をしていたのではないだろうか。


「死者の書」には、失われた父の復権というもうひとつのテーマが隠されている。
偉大な父を戴いた者が、「平凡さへの愛」と「非凡さへの欲求」の強い引力に翻弄される様子に心が動く。
現代に生きる我々は、直接的には、まだ貧しかった日本を豊かにしてきた特別な時代の嫡子であり、同時にもっと長い歴史を動かしてきた偉人たちや、その偉人たちを駆り立てた民衆の「息子(娘)」でもある。

そしていつも偉大さと平凡さを併せ持った「父」という存在を感じながら、自らはその心に抱いたイメージの父と自身をうまく重ねられずにいる。

トーマス・アビイはそれを書くことで友とし、アンナ・フランスは保存することで王とした。
決して逃げられないものとどうやって生きていくのか。
我々もまた問われているのだと思う。

2014年4月15日火曜日

Great 3のニューアルバム「愛の関係」が凄い:または佐野元春とGreat 3の深い関係について

もう日本人アーティストで継続的に新譜を買っているのは、佐野元春とGreat 3だけになってしまった。

そのGreat 3の新譜がやっと手に入った。
やはりそんなにたくさんはプレスされていないのだろう。入荷に時間がかかっていた。

愛の関係
愛の関係
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GREAT3
ユニバーサル ミュージック (2014-03-19)
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届いた新譜「愛の関係」をCDプレーヤーにセットしてプレイボタンを押す。
例によってシカゴ音響派の流れを汲む不可思議な音が流れてきて、エフェクトのかかったヴォーカルが、これまたヘンテコな歌詞を歌う。
そして片寄明人の作るメロディだけがどこまでも美しくセンチメンタルだ。

そして音が太い。
太すぎる。
今やスタジオの録音環境はほぼデジタルに移行したが、このアルバムはアナログ・テープによって録られているのだそうだ。
道理で。

アナログ特有のコンプレッションの効いた図太い音がこのアルバムの活きの良さを生み出している。
またデジタルのように簡単に切り貼りできない録音が、バンド本来の一体感のあるグルーブを創りだしたのかもしれない。

録音環境のせいだけではない。
2012年の復活アルバム「GREAT 3」以降、彼らの音は強靭に生まれ変わっている。
これは主に、ベーシストの交代によるものだ。

GREAT3
GREAT3
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GREAT3
ユニバーサルミュージック (2012-11-21)
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メロディアスなベースラインで楽曲に浮遊感を演出することが多かった、オリジナル・メンバーであるベーシスト高桑圭が脱退。
後任のjan(ヤンと読みます)という、メンバーの白根いわく「シド・ヴィシャスのような存在感」を持つ23歳のイケメン新ベーシストのベースラインが強烈なファンクネスを放っている。
中央がjan。確かに存在感がある。


このファンクネスに引きずられるように、長いことプロデュースも務め、第4のメンバーとも言える長田進のギター・カッティングが、かつてないほどラフで粘っこく、ザクザクと空間を切り裂いていくのだ。
これはもう単純にあきれるほどカッコいい。

そしてこの新ベーシストのjan、なんと佐藤奈々子の息子である。
Great 3のデビュー当時、佐藤奈々子が写真撮影を担当して、その撮影現場にまだ小さかったjanも居合わせていたという長い縁のある関係だそうだ。
佐藤奈々子といえば、デビュー前からの佐野元春の音楽的盟友であり、僕としてはこの不思議な縁を歓迎しない理由はない。
そういえば、サポートでギターを弾いている長田進も佐野元春のThe Heart Landの最後のギタリストだった。
で、Great 3を抜けた高桑圭は、今佐野元春のコヨーテバンドでベースを弾いてるんだな。
最近、コヨーテバンドに加わった長身でレフティのギタリスト藤田顕もGreat 3のサポートギタリストをやっていたと聞いた。
Moto's Childrenの長い系列が出来つつある。
日本のロックの良心を支える太い幹に育って欲しい。

Great 3の楽曲はどの歌詞も「意味深」である。
短い言葉を積み重ねて、むしろ欄外に意味を設けようとしているように感じる。
だから音楽そのものは、歌詞の「意味」に頼らない。
そして言葉が持つ響きの力を最大限に使う。

であれば、聴く側の我々も、それを<音楽>として楽しむのがいいと思う。
<歌>が主役でない歌。
それがGreat 3の音楽だと思う。
洋楽ファンにぜひ聴いてもらいたい、本当に良質な「ロック」である。

2014年4月13日日曜日

札幌の中古レコード店訪問:文教堂書店編

「日本のロック&ポップス・アルバム名鑑1979-1989」を読んで、過ぎ去りし若い日に夢中で聴いたレコードのことを思い出し、片岡義男さんと小西康陽さんの「僕らのヒットパレード」を読んで、ジャンルとか定評なんかにこだわって、愛すべきはレコードというメディアそのものなんだということを忘れかけていた自分の愚かしさを恥ずかしく思う今日この頃なのであった。

札幌はようやく雪も溶け、まだ風は肌寒いものの、この時期週末に晴れるのは久しぶりのことで、宿酔いでも無かったので思い立って中古レコード屋に出かけてみた。

きっかけがきっかけなので、なるべく日本の80年代近辺のレコードがあるところがいい。
と、なるともうここしかない。
白石の隣「南郷7丁目」の文教堂さん。


同名の大型チェーン店とは無関係の、町の古書店といった佇まいのお店である。
地下鉄東西線の「南郷7丁目」駅の3番出口を出ると、すぐ目の前に立地しており、交通至便。
在庫の中心は洋楽のロックで、次いで邦楽ロック、というところが特徴だと思う。
ジャズは少ないが、極めて「まとも」な品揃えで、マイルズやエヴァンスやコルトレーンに頼らず、何年かかけてひととおりジャズを聴いた人が次に買うべきレコードを揃えているようだった。
クラシックもあったが、量は少なく、こちらは初心者なので品揃えの良し悪しはまるで見当がつかない。

以前、特別な一枚と書いたDU PLEXのWITH MY HEARTの「二枚目」は、このお店がヤフオクに出品したものを落札したものだが、札幌のお店であることを知って直接取りに伺った。
その日は、あまり時間がなくて隅々まで見ることができなかったが、雑多で未整理なエサ箱(レコードを陳列する箱をこのように呼んでいます)にはお宝が眠っていそうな雰囲気に溢れていた。

お目当ての安部恭弘は、名盤の誉高い「SLIT」こそ無かったが、昔よく聴いていた「TUNE BOX」を見つけた。素晴らしいアルバムだが、これはCD化されているのだろうか。

そして「日本のロック&ポップス・アルバム名鑑1979-1989」で布袋寅泰さんと大村憲司さんのギターバトルが収録されていると書かれていて、よく聴いていたのにそんなことにはまったく気が付いていなかった中島みゆきさんの「Miss M」も見つけた。


で、おどろくべきことにどちらも300円台で売っていた。
ジャケはどちらもシュリンクが残っていて美麗。帰って聴いてみたところ、盤質も極めて良好であった。


僕がエサ箱を漁っている最中にも、文化人然とした身なりの少壮の人がダンボールに詰めたレコードを持ち込んでいた。

エサ箱の下には、まだ陳列されていないレコードが山ほどあったし、良心的すぎる値付けに応えるためにも定期的に覗いてみる必要のある店と認識した次第だ。


ところで、Miss M購入のきっかけとなった、アルバム名鑑に寄稿された「ノスタルジアでの布袋寅泰と大村憲司のキレキレのギターバトル」という松山晋也氏の講評だが、ライナーによると、ノスタルジアは布袋寅泰と松原正樹による演奏となっており、ギターソロは無い。確かに左右のチャンネルで異なるリズムを奏でていて緊張感の高い好バッキングだが、バトルという趣ではない。むしろこのアルバムから感じるものは、バックがどうであろうと関係ない「中島みゆき」という音楽性の強固さである。
蛇足だが、念のため付記しておく。

2014年4月5日土曜日

音楽大衆化の時代に、僕はレコードコレクターの魂を知る

最近、昔のようにはCDを買わなくなった。
世界的に見ても、CDの売上は落ちてきていると聞く。

海外では音楽ストリーミングのサーヴィスが充実していて、海外単身赴任中の友人などは音楽を紹介するとAmazonで買ったりせずにSpotifyでささっと検索して聴いている。
日本ではYoutubeで充分だという声も聞く。

確かにYoutubeの音楽ライブラリは非常に充実していて、しかも無料だ。
鬱陶しいコマーシャルは入るが、検索して聴くという物理性の無さもスピーディーでいい。

先日先輩にダリル・ホールの番組がYoutubeに上がっていると教えてもらい、大ファンの僕はもちろん早速検索してたくさんの曲を観た。
その中に、ダリル・ホールのオリジナルかと思うような素晴らしい曲を歌う女性シンガーソングライターを見つけた。
ダイアン・バーチのNothing But A Miracleという曲だった。



これはすごい曲だ!と思って、昔気質の僕は電車に乗ってタワーレコードにでかけて彼女のファーストアルバムを購入した。


Bible Belt
Bible Belt
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Diane Birch
S-Curve Records (2009-04-27)
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ところが、CDで聴く彼女の歌はYoutubeで観たのとは違って、なんだか平板だった。ダリル・ホールの向こうを張って充分な存在感を見せたあの“ソウル”は感じ取れなかった。

故佐久間正英氏が、生前、近年の音楽業界ではレコーディングに充分なコストと時間をかけられなくなったと嘆いていた。
あのドナルド・フェイゲンだって、スティーリー・ダンの頃のようにはレコードは売れない。だからスタジオにこもって妥協ない作品を作るなんて贅沢はできない。そんな暇があったら世界中を回って演奏をしなくてはならない、と言っていた。

もしかしたら、ダイアン・バーチもあまりクリエイティブでないレコーディング現場にノリ切れず、レジェンダリーなアーティストたちとの共演となるダリル・ホールの番組収録では、本来の力を発揮した、ということなのかもしれない。

もちろんこのような状況は、構造的にCDが売れない環境になったから起きたことで逆ではない。しかし、CDの売上減少に加速度をつける役割は果たしているのかもしれない。


こうして音楽を「購入する」時代は終わり、その影響は制作コストに跳ね返ってくる。
新しい音楽を作る商業的なモチベーションは失われ、握手券やコンサートチケットとの併売モノや、過去の名曲たちのカバー・アルバムを売り出すようになった。

一方でニコニコ動画のような新しいプラットフォームから、プログラミングと自宅録音とアニメを融合した次世代のコンポーザーである「P」が登場し、メジャーに起用されていく。

音楽は今、本当の意味で<大衆化>したのだ。
そしてそれは、あくまでも大衆化なのであるからして「音楽が好きだ」というだけでなく、音楽を生活の中の最も大切な「趣味」としてきた、いわばマニア的人間にとっては、ほとんど影響がない、とも言える。


事実、この音楽大衆化の時代においても、我々のような音楽「収集家」のやっていることは結局あまり変わらない。
我々はいまだにLPレコードで音楽を聞いて、ジャケットを眺めてはニヤニヤし、盤を磨いている。
周りにいる音楽収集家には、街のCDショップのようなところには、もう何年も行っていないという人が多い。新しい音楽を追いかけなくても、一生かけても聴ききれないほどの“名盤”が世の中にはあるし、だいたい人が名盤のお墨付きをつけた盤を「収集家」は好まない。

最近買った、「僕らのヒットパレード」という本には、レコード・コレクターに関するこの種のエピソードが満載で実に愉しい。


僕らのヒットパレード
僕らのヒットパレード
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片岡 義男 小西 康陽
国書刊行会
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共著者のひとり、ピチカートファイブの小西康陽氏は、年下のレコードコレクターである友人が、大海晴彦という歌手の「花園町哀歌」というレコードのジャケットが大好きで見つけるたびに買ってしまうというエピソードを披露し、逆にその曲が哀愁ただようムード歌謡であることを知っている小西さんにとっては、内容を知っているゆえに買うことが出来ないという意味で、自分はずいぶんと不自由なコレクターだ、と言っている。

音楽を聴かずにジャケットだけを鑑賞しながら、頭のなかに浮かぶ想像の音を楽しむほうが、ときにはずっと素晴らしいとまで。

音楽とカバーアートは小西さんの中では、それぞれが欠くべからざる「レコード」というものの一部で、まったく同格なのだ。

もう一人の著者、片岡義男さんに至っては、音楽とカバーアートの比重は完全に逆転している。いわく、美脚レコードは、脚が綺麗なほど音楽もいいよね、となる。

だから、彼らは買う。
とにかく買う。
本に出てくるレコードはみんな数百円のレコードだった。
きっとすっごい美脚ジャケのレコードだったら、どんな高値でも買うんだろうけど、誰かが言った「名盤」なんかには興味がない、と書いてあった。


最近僕の中で、存在感を増している湯浅学さんという評論家が編んだ「嗚呼、名盤」というディスクガイドがある。
湯浅さんと鈴木慶一氏との対談が掲載されているが、その中で、ジャズなんかで、レコードの裏を見て、あ、ベースが誰で、ピアノが誰だ、じゃあ名盤だな、という「じゃあ名盤」が多すぎるんじゃないかという話があった。


レコード・コレクターズ増刊 嗚呼、名盤
湯浅 学
ミュージックマガジン
ジャケの良し悪しでレコードを買い、それを愛で、出会いを寿ぐことのほうが、人の名前でレコードを買う「じゃあ名盤」よりもまともな感覚に思えるのは、もしかしたら小西さんと片岡さんの文章の美しさに目が曇っているせいかもしれない。

それでも「僕らのヒットパレード」のあとがきに寄せられた小西さんのこの言葉は、胸に刻んでおきたいと思う。

レコードを愛することと、音楽を愛することは似ているようだがまったく違う。レコードが素晴らしいのは、そこに封じ込められた音楽や会話、あるいは音のすべては、過去に奏でられ、発せられたものだ、ということだ。
言葉も、歌も、音楽も、ひとたび発音された後は時間の彼方に消えてなくなっている。どんなに新しい音楽も、録音されたときには過去のものとなっている。レコード・コレクターとは、つまり古いものを、過去を、もう取り戻すことの出来ないものを愛おしく思う人々のことだ。

 付け加える言葉は何もない。
そのようなレコードコレクター魂を僕もいつも心に抱いていたいと願うまでだ。