2013年5月31日金曜日

ロバート・ジョンソンが伝播した「ブルーの誕生」

小学校の低学年の頃、引っ込み思案で友達を作るのが苦手で、部屋に引きこもって遊びがちだった僕にとって、父が買ってくれた「ジャンルジャポニカ百科事典」がとても大切な友達だった。
何を調べるでもなく、パラパラとページを捲って、見たこともない動物や、宇宙の彼方で起きている不思議な現象に思いを馳せて、想像の世界で遊ぶのが好きだった。

そんな僕の転機になったのは、4年生の時転校した先の小学校で行われたバス遠足だった。
バスの中で突然始まった歌合戦で、買ってもらったばかりのナショナルのラジカセでエアチェックして聴いていた「燃えろいい女」を歌って優勝したのだ(賞品は先生が自腹で買ってくれたと思われる図書券500円分だった)。

にわかに音楽が好きになった僕は、友人のお兄さんやお姉さんが当時夢中になって聴いていたBay City Rollersを知り、のめり込んでいった。
同じレコードをみんなで誰かの家で聴くことで、友達ができて、苦手だった野球に誘われたりして、いつの間にか毎日外で遊ぶ子供になっていた。

そしてそんなとき僕の友達「ジャンルジャポニカ百科事典」は、また僕にとても大切なことを教えてくれた。

それはこんなコラムだった。
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憂鬱を表す「ブルー」というコトバは、アメリカに奴隷として連れてこられた黒人たちが、晴れると辛い労働が待っているため、「青い」空を見ると憂鬱な気持ちになったことに起源している。そして、その心情を表現した音楽ジャンルをブルーズと呼ぶようになった。
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子供心に、何かとても大切なことを聞いたような気がした。

そしてブルーズは、南北戦争を経て西洋古典音楽と出会いジャズを生み出し、カントリーやフォークと融合してロック・ミュージックの土台となり、海をわたってエリック・クラプトンやジョン・レノンの心を動かしてブリティッシュ・インベイジョンの銃爪を引いた。

現在ある、どんなポピュラーミュージックも、この時生まれた「ブルー」の影響下にあるのだ。そして僕もまた、小学校時代に知った「ブルーの誕生」の魅力から逃れる事が出来ずにいる。



しかし、それもこれもロバート・ジョンソンという名のブルーズマンがいなかったら、彼が残したたった29曲の音源が無かったら、こんなふうになっていただろうか。
そのことは神様にはもちろん知るよしもなかった。
だって彼が魂を売った先は悪魔だったのだから。


高校の学校祭の浮かれた空気の中、僕は教室にエレキギターを持ち込んだ。
よく一緒にベースを弾いてくれていた友人のYが、覚えたてのペンタトニック・スケールでたどたどしく弾く僕のアドリブをサポートしてくれた。

ひと通り僕の演奏を聴いた彼はおもむろに僕のギターをとりあげて、「こんなのコピーした?」と、クリームが68年にリリースしたWheels of Fireに収録されているライブ録音「クロスロード」の有名なギターソロを弾き始めた。

特に難しいところもないのに、ブルーズ・フィーリングにあふれたフレーズの見本市みたいな曲だった。
楽譜を買って練習してギタリスト、エリック・クラプトンの大ファンになった。

この「クロスロード」という曲こそロバート・ジョンソンの残した遺産の中の一曲Crossroad Bluesのカバー。

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クラプトン以外にも、当時の英国ロックを牽引していた中心メンバーたちは、ロバート・ジョンソンに大きなリスペクトを捧げていたようだ。
ローリング・ストーンズはLove In Vain Bluesをカバーしているし、

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Led Zeppelinも Travelling Riverside Bluesのカバーをステージでやっていて、これは現在BBCセッションズというアルバムで聴くことが出来る。
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ロバート・ジョンソンは、1930年代にアコースティック・ギター一本を抱えてアメリカ全土を演奏して回ったブルーズマンで、聴衆が彼のあまりのギターの上手さに、あれはきっと悪魔に魂を売ったのに違いないと噂したという。

19世紀に、やはり高度なテクニックで聴衆を驚かせたヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニが悪魔に魂を売ったと噂されていたことが下敷きになっているのだろうか。

パガニーニはこの噂のおかげで埋葬を拒否され、防腐処理をして各地を転々とした末にジェノヴァの共同墓地に埋葬されたと言うし、ロバート・ジョンソンも27歳で毒殺されてしまう。
やはり才能とは何かと引き換えにしなければ手に入らないものなのかもしれないな。
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2013年5月30日木曜日

スピーカーを「平行法」でセッティングしたら(音場が)驚きの広さに!

世の中には「知らなければよかった」と思うことが時々あるが、今夜の体験もまさにそのようなもののひとつだ。

先日、最近なにかとオーディオやクラシック音楽のことについて教えていただいている先輩のおうちにお邪魔して、「平行法」というスピーカーセッティングの実際の音を聴かせていただいた。

たいていの場合、生活の場でもある部屋では、スピーカーは壁の近くにセットされていると思う。
オーディオのセッティングに詳しい人は、後ろの壁から一定の距離をおくと、音の広がりが良くなることを知っているだろう。
平行法というのは、その考え方を一歩推し進めたもので、スピーカーを部屋の中ほどまで持ってきて、かつスピーカーを内振りにせず、音の放出線を並行にして部屋全体の前と後ろの全部を使って部屋のエアボリューム全体を震わせようという試みである。

一般に音響のことを考えると長方形の部屋の長辺側にスピーカーをセットするのが有利である。短辺側に置くと定在波の関係で低音部分に欠落が生じるからだ。
しかし、日本の家屋の条件では、だいたい短辺側に置いて、部屋の長い方を使って音楽を聴くことになるのではないか。
そして、この「平行法」はそのような住環境への福音なのである。

先輩のおうちの音は、本当に今まで聴いたこともないような臨場感で、スピーカーの遙か後方でティンパニが鳴り響いたのには本当に驚いた。
どうして前を向いて鳴っている筈のスピーカーの後ろから音がするのだ?

自分の部屋でも試してみたかったが、あいにく手持ちのケーブルが短く、スピーカーを移動するのは無理だった。

見かねたのか、件の先輩、余ってるスピーカーケーブルがあるから貸してあげるよ、とおっしゃる。
有難くお借りして、今夜実験と相成った。

お借りしてみると、ケーブルは「伝説の」という形容詞がよく似合うウェスタン・エレクトリック製。キャリアが長いってこういうことなんだよね。


さっそく自分のケーブルを外し、スピーカーを部屋のちょうど1/3あたりに持ってくる。もともと部屋のちょうど真ん中に収納家具があるのと、1/3のところに置くと、本棚前の作業用の椅子のところとちょうど1/2の距離になるのだ。

下の写真が、今までのセッティング。
左下に見えているソファ・チェアで聴くようになっている。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それをこのようにしたわけだ。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうなるともう、ソファはスピーカーの真横といってもいいほどの距離で、とうていここでは聴けないので、この後ろにあるPCデスクの椅子で聴くことにしたわけだ。


ケーブルをつなぎ直し、聴き慣れたコパチンスカヤのベートヴェン・ヴァイオリン協奏曲をかける。
ぐいっとボリュームを上げると、いとも簡単に先輩の家で出会った魔法が再現され、部屋の一番奥までサウンドステージが広がる。

これホント何度聴いても不思議なんだよなあ。
自分の目の前1.5mくらいのところに確かにスピーカーはあるのに、音は3m先から聴こえてくるんだから。

しかし、これ試しに聴いてるうちはいいけれど、今のこの部屋ではこのまま生活するのは無理なので、この環境を実現するためにはいろいろ考え直さなくてはならない。

本を読むこと。
音楽を聴くこと。
楽器を演奏したり、歌を作ること。


この中のどれを犠牲にできるだろうか。

悩ましい。
しかし悩んでしまうくらい、この音が凄いのだ。
まいったなあ。知らなきゃよかったなあ。


2014年9月28日追記
その後の平行法セッティングの完成編はこちらです。→「平行法、その後」

2013年5月29日水曜日

バーンスタインの「春の祭典」がLPレコードで復刻

ストラヴィンスキーの「春の祭典」をLPレコードで買った。
ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と並んで、近代音楽の幕開けを語る上で必ず言及されるバレエ音楽。
その「春の祭典」の初演から今年が100周年にあたるとのことで、バーンスタイン指揮のこの盤が記念盤として発売された。

作曲家の生誕や没年から数える記念盤はよくあるが、初演から数えての記念盤というのは珍しい。
が、この「ハルサイ」に関してだけは、これ以上相応しいメルクマールはない。
その初演は現代音楽史上屈指の「スキャンダル」として知られているのだ。


ピエール・モントゥ (1875-1964) の指揮、ニジンスキーの振り付けによるロシア・バレー団によって、1913年5月29日パリのシャンゼリゼ劇場においてその初演は行なわれた。

バレエの内容は、太古のロシアの異教徒たちの儀式を描いたもので、太陽神イアリロに捧げるために選ばれた処女たちが、踊り狂って倒れてしまうまでを、様々な踊りで紡いでいく。
パリの洒脱な聴衆に、この異教徒の踊りというテーマそのものが、いかにも不似合いだった。

また不協和音、変拍子、混合拍子といった、意欲的な音楽的実験も、この不似合いなテーマの違和感を増幅し、その真価を覆い隠してしまっていた。

劇場の幕があき、曲はファゴットのソロで始まる。
低音楽器である筈のファゴットが、その期待を裏切るかのように、当時としては非常識とも言える高音域で曲を開始する。もうこの部分だけで野次が飛んだ。
聴衆の一人だったサン・サーンスは冒頭を聞いた段階で、

「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」

といって席を立ったと伝えられる。

楽曲は、その後もめまぐるしく、半ば躁うつ病的な大きな感情の起伏を描き出して落ち着かない。
観客は、あまりに既定の音楽の常識を覆し続ける楽曲に、興奮してしまい音楽が時々聞こえなかったくらいの喧しさで異を唱え続けたという。

その喧騒の中で、ストラヴィンスキーがこの楽曲の野心的部分の裏側に通底させていた美しいメロディはすっかり掻き消されてしまった。
公演はモントゥの超人的な集中力でなんとか最後まで演奏しきったものの、作曲者ストラヴィンスキーはいたたまれなくなって客席を立ち、舞台袖から混乱を極める劇場を演出家のニジンスキーとともに見守っていたという。


不幸なスタートきったものの今や、クラシック・コンサートでは屈指の人気プログラムとなったこの曲を、時代を超えて生き永らえさせてきたものは、時折耳を撫でる優しく美しいメロディと、混合拍子部分で奏でられる和音の、あのなんとも言えない哀しい響きだと思う。
ちょっとギターで和音を探ってみたが、minor9thの響きによく似ている。
初演時に観客が感じたバーバリズムのようなものとは無縁の奥深い響きがこの曲にはあると思う。


このレコードは、ジャケットがダブル・フォールドになっていて、中面にバーンスタインによる収録ピンナップや初演時のバレエ衣装のスケッチなどの写真が掲載されている。


作曲者ストラヴィンスキーとバレエの振り付けをやったニジンスキーの珍しいツーショットも。これは初演時の2年前の写真。


この時にはまだ、2年後の初演があんなことになろうとは思いもしていなかっただろう。

このアルバムのAmazonレビューに、下記のような刺激的な指摘がある。
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洋泉社の某ムック本で、セント・ジョージホテルの「Grand Colorama Ballroom」がどのような場所かを知らない、無知な自称・評論家がオーマンディ指揮のCDを珍盤と酷評し、録音場所がホテルであることを馬鹿にするような文章を書いていた。
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で、その「Grand Colorama Ballroom」の写真がこれである。


確かにデカイ!
ホテルにこんな場所があるとは!
クラシックの収録ではよく使われているんですね。

レコードではレーベルも気になるところ。


一般に6ツ目とよばれているレーベル。
色などが違うが、60年代くらいまでのコロンビアレーベルに使わていたデザインを踏襲している。
外縁部にThe Walking Eyeとよばれるロゴが6つ描かれていることからこの名で呼ばれているが、これはCBS=Columbia Broadcasting Syatemという報道機関の象徴として目と足を表しているのである。

記念盤ならではのイレギュラーなレーベルもうれしい。

2013年5月28日火曜日

「私がクマにキレた理由」とイノセンスの本当の意味

NHK BSプレミアムで「私がクマにキレた理由」を視聴。


私がクマにキレた理由 (特別編)〔初回生産限定〕 [DVD]
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お話は、シングルマザーの母親に将来を期待され、苦しい生活をやりくりして大学を卒業させてもらった、スカーレット・ヨハンソン演じる主人公の女性アニーが、ゴールドマン・サックスの面接で、「あなた自身のことを自分の言葉で表現して」と問われて、答えられないところから始まる。
「私って、誰?」

この躓きひとつで、彼女は就活そのものを放棄しちゃったわけだから、相当なショックとして描かれているわけだ。
だからココは、コメディとして流さずに、慎重に吟味してみる必要があると思う。

人の親ならば誰だって、自分自身が気づかないうちに、自分の人生への後悔をその深い愛情の裏側に隠して、子どもを育てていく。
何かの願いを込めて付けられた名前。
進路を選び取る度に繰り返される自分の経験からのアドバイス。

しかしその愛情の真の意味は、子ども自身が親と同様の経験をした時にしか正しく認識されないものだ。
映画では、その気付きを引き出す道具立てとしてイーストアッパーサイドの奥様に雇われる「子守(ナニー)」という仕事を用意したわけだ。

そして映画は、アニーの「成長」を描き出す。


昔お世話になった哲学の先生に発達心理学で言う「イノセンス」という言葉を教わった。
子どもは、どんなに選択の自由がある環境下であったとしても、絶対に「親」だけは選ぶことができない。
言うまでもなく、選択には責任が伴う。
でも子どもであるうちは、選択と絶対的に無縁な「親」という存在を持っているから、うまくいかないことはすべて親のせいにすることができる。
「こんなふうに僕を産んだから」という魔法の一言で。
この状態を「イノセンス」と言っているのだそうだ。

そして、その呪縛から逃れ、すべてのことは自分の責任だと受け入れることが出来た時、人は大人とよばれるのだ。

アニーは、一連のMr.X一家との騒動を経て、母親が行かせてくれた大学の影響下にない進路を自分の手で選び取ろうとするようになる。
これがアニーの成長だ。

しっかりした成長物語という背骨があるからこそ、この映画はコメディとして存分に楽しめるのだと思うなあ。

2013年5月27日月曜日

ネイサン・ヘインズ、また4年ぶりのニューアルバム「The Poet's Embrace」

ネイサン・ヘインズというテナー奏者は、本当に寡作だ。
前作から4年。
その前作の時だって4年ぶりだったはずだ。

それでも毎回裏切らない佳作を作ってくれる。
The Poet's Embrace

後ろにアナログプレーヤと真空管アンプが写ってるのが嬉しいね。
今作はアナログ盤で買ったからさ。



楽曲は、最近珍しいくらい極めてトラディショナルでオーソドックスなジャズ。
そんで、また珍しいことに、録音機材がライナーの一番上に書いてある。
アンペックス300(テープレコーダーです)でハーフインチのテープを使用って書いてあるから、アナログ録音。
しかもパートごとに録らずに、マイク2本立てて、そのままステレオで録ったって書いてある。

すげえな。
こりゃ本当に演奏している姿が見える。
昔、マイルズやらコルトレーンやらエヴァンズやらがやってたように、目を合わせながら演奏をその場で作っていっている様子が見える。

優秀録音ってわけじゃない。
ちょっとベースが奥まりすぎてるし、肝心のテナーの音がぼやけてピアノに負けてる。

でもそのピアノの繊細なプレイがすっかりマイクに入っている。
すっとテナーのフレーズの合間にパッセージをすべり込ませる時のアイコンタクトの「音」まで聴こえるようだ。

ジャズはこうでないとね。

2013年5月26日日曜日

アンナ・ネトレプコの「椿姫」

故黒田恭一氏の「オペラへの招待」は、米倉斉加年さんの素晴らしい挿画も含め、オペラ入門者に実に優しい本だ。

知識なんかないほうがいい。
とにかく聴くのだ。オペラは「音楽」なのだから。
という黒田氏の言葉は、これからオペラを楽しもうと思う者に勇気を与えてくれる。


その黒田氏が、知人に「まず最初に何を聴いたらいいでしょうか」と聞かれた時、まず勧めるのがヴェルディのオペラ「椿姫」だと書いてあった。

クライバーのグラモフォン・ボックスに全曲収録されているのに聴いたことがなかった。
さっそく聴いてみたが、なんだか古臭い音楽に聴こえた。
オペラで最初に聴いたのがモーツァルトの「魔笛」で、次がもういきなりワーグナーの超巨編「指環」、そしてまたモーツァルトに戻って「フィガロ」と聴き進めてきたのだから、イタリア・オペラに馴染みがなかったのだ。

そうこうしているうちに、いつもクラシックのことを教えてくださるお師匠さんが、これ聴いてみ、と持ってきてくださったのが、今をときめく美人ソプラノのアンナ・ネトレプコの歌う椿姫からのデュエット集「Violetta」の珍しいLPレコード。
CDは容易に入手できるが、このレコードは貴重だ。


しかし綺麗な人ですね。
ヴィオレッタは、この椿姫のヒロインの名。
不思議なもので、この人が歌っているのか、と思うとなぜか、やっと運命の純愛に巡りあいながら「世間」というものに引き裂かれていく悲しい娼婦ヴィオレッタの恋が、すっと胸に入ってきて、このオペラの持っている悲しさ故の美しさに気付くことができた。

演奏者の「顔」でCDを選ぶのは悪癖だとよく言われる。
確かに音楽なのだから、演奏で評価すべきなのだろう。
でも僕は、人間の芸術に対する感性は、そのようなシンプルな構造にはなっていないように感じる事が多い。

作曲家の人生を知ってから、今までつまらないと思っていた楽曲の素晴らしさが急に見えてきたり、演奏家が変わることで、楽曲のイメージが180度変わってしまうことなどよくあることだ。
「顔」だって、僕達の審美的感性になんらかの影響を与えても不思議ではないと思う。

黒田氏は、「知識なんてないほうがいい」と言いながら、このような素晴らしい本をお書きになって、僕らに音楽の見る「目」を変えてくれるのだ。

 

2013年5月19日日曜日

「ミス・ポター」に描かれた軛の垂直分布

BS朝日で放送されていた、映画「ミス・ポター」を観た。
ポター、とはピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターのことで、だからこれは伝記映画ということになる。


別段、ピーター・ラビットに関心があったわけではないが、先日読んだコニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」と同じヴィクトリア朝時代が舞台と知り、童話作家の側面からイギリスが迎えた大きな時代の変革期をどのように描かれるのか興味があった。

なんだかんだ言っても、世界が今こういうカタチになっている変化の大本はだいたいヨーロッパにあるのであって、動乱の因果が目に見える形になる以前に、ヨーロッパの各国でどのような下地が作られていたのか、知っていればいるほど理解が深まるだろうと思ったのだった。

果たしてこの映画は、まさにその期待に応えてくれるものであった。


多くの革命を経て、王権の軛(くびき)から逃れ、自由を手にしたはずの「市民」社会も大きな軛を外してみれば、その下に家族内での父権や結婚に関するあれこれ、女性の自立に対する偏見などが根深く残っていて、より人間そのものに近い位置にある偏見ほど頑なだ。
現代において、我々個人の自由が保証されていることが、このように長い時間をかけて、有名、無名の人たちが自分自身の人生に悩み、行動した結果なのだということにあらためて思いを馳せる。


それにしてもビアトリクス・ポターは幸いだった。
偏見に深く囚われた母親はいたが、芸術家を志したものの家柄から夢を断念した父親が、彼女の魂の叫びには感応する心を持っていたからだ。
上流社会では「愛」と「結婚」は別物で仕方がないのだ、という観念を、弟のような駆け落ちではなく、言葉の力で突き破ったビアトリクスと、それを受け入れることができた父親。
このような心の声に耳を傾ける姿勢の重要さは、社会に自由の意義が浸透した現在であってもまったく変わらない。
愛する娘にとっての良き父親でありたいと願う自分にとって、心の声は聞こえているのか、こんなふうに振る舞えるのか、まったく他人ごとではないぞ、などと考え、落ち着かない気分で、むしろそこにハラハラしながらこの映画を観た。

精進したいと思う。

2013年5月17日金曜日

ブレット・ザ・ウィザード完結!

こんな歳(2013年5月現在、47歳です)になっても漫画なんかを読んでいる。
最近気に入って読んでいたブレット・ザ・ウィザードが4巻で完結した。

様々な魔法が刻み込まれた魔法銃をタネとしかけが命のマジシャンが上手に使いこなして、カネや地位を求めて魔法銃を悪用しまくる権力者をやっつけていくという筋立てがいい。
そしてその魔法銃なる不思議アイテムの出処がなんと・・・というオチもまずまず。

しかし、本当にこの漫画が面白いのは、例えば一度使った薬莢をリサイズして、もう一度弾丸として再生する手順を詳細に描いたり、まだ「羽が生えてた」頃のアメ車の当時流行した改造なんかにこだわってみせたり、コルトやS&W、ワルサーなんかの様々なバージョンのメリット・デメリットなんかを語るところだと思う。
趣味性全開なのだ。
ホント、男っていつまでも子どもだよねえ。
でもそれが楽しいんだよねえ。わかる、わかるよっ!!とついつい、批判されてもいないし、頼まれてもいないのに擁護してしまう。


それに、細部をゆるがせにしない描写は、魔法銃なんていう科学的根拠を持たないアイテムを扱うからこそ、それをとりまくものにリアリズムを追求したのだろう。
魔法銃に魔法を追加して書き込むときに「エッチング」という技術を使うのだが、書いてる人、これ間違いなくやったことあるよね?と思うくらい精緻な表現で、エッチング教本(なんてものがあれば、だが)の挿し絵としても充分通用しそうだ。


それにしても4巻で完結というのは連載漫画としては短い。
でも好きで読んでいた自分から見ても、このサイズがちょうどいいお話だったと思う。
だから、人気があるからとずるずる連載を延ばしてみっともない作品になってしまうよりずっと良かったと思うのだが、作者にしてみればそうも言っていられないだろう。
事実作者のコメントを読んでも打ち切られた感たっぷりで、こんなエピソードも入れたかったと恨み節が漏れていた。

ちょうど姉妹誌で浦沢直樹のビリーバットが連載中だが、両者の話運びはなんとも対照的だ。
ブレット・ザ・ウィザードでは、伏線が「コマ」単位で張られるのだが、浦沢作品では、伏線は「エピソード」単位で張られる。
普通伏線はそうとわからないように張るものだが、浦沢作品では、これは伏線ですよとはっきりわかるように書いている。
だから結末がすごく気になるのだね。
まあ、あげくに回収されなかったりするものがあるもんだから、20世紀少年の時のように読者の不満が爆発することもあるし、多すぎる伏線は、そのまま物語のサイズが大きくなることを意味して、結果散漫な作品になることも珍しくない。


それでも掲載誌サイドとしては、これはありがたいだろう。
次を読みたいから必ず雑誌を買ってくれる。部数が出れば、広告掲載費も上がって収益性が高くなる。


しかし私のように雑誌は買わず、気の利いた漫画を単行本で読みたいと思うユーザーは、小さいけど宝石のように輝く作品のほうが嬉しいはずだ。
商業主義が万能な現代(いま)だけど、打ち切りの結果、ではなく意図してこのような完成度の高い作品を書く作家さんがいなくならないよう、その素質があると思われるブレット・ザ・ウィザードの作者園田健一氏の次作に期待しようと思う。


2013年5月16日木曜日

「エネミー・オブ・アメリカ」が本当に予見していたものは

しかし、今年のファイターズは本当に勝てない・・と昨夜地上波で放送された試合を観て、そのまま放心していたら、エネミー・オブ・アメリカという映画が始まったので流れで観た。
以前にもテレビで観たことがあったが、(いつものように)すっかり筋は忘れていた。

こんなことを書くとファンの不興を買うだろうが、僕はウィル・スミスという俳優があまり好きではない。
しかし、それをまるっきり帳消しにしてお釣りがくるジーン・ハックマンのかっこ良さよ!

高度に発達した情報機器がもたらす管理社会ならぬ、「監視社会」の到来に警鐘をならす一作と見たが、その意味でジョージ・オーウェルの1984年の正統的後継作品といえる。

となると、村上春樹が1Q84で喝破したように、近未来を描くことの「つまらなさ」も同様に継承していることになる。
1949年に出版された「1984年」は、その時点では憂うべき近未来であり、「自由」の本質的な両義性を問う問題作であったはずだ。しかし、小説内で提示された問題意識の本質性からこの作品は傑作として読み継がれていくうち、時は流れ否応なく実際の1984年はやってくる。
オーウェルが予想したような社会は、いくつかの革命の大きな挫折を経て、結果、到来しなかった。
そのことは作品価値をいささかも損なわないが、その価値を拾い切れない読者の「予想は外れたね」という的はずれな評価を得る。この「つまらなさ」が村上が1984年を近未来小説ではなく、過去改変小説として描くべきだったと考え、そして実践した理由だ。

エネミー・オブ・アメリカのシナリオも、二つの証拠ヴィデオを巧みに配置したプロットで充分楽しめるサスペンスを構成していたが、やはり冒頭二人の政治家の対立として描かれる二つの政治的思想のぶつかり合いのところに本題がある。

「個人の自由が保障される社会」と「安全を保障するために情報を必要とする政府」の二律背反。
公務員が「サーヴァント」のままでは生活者の安全が守れない時代のディレンマ。

この映画に描かれているものは、ジャン・ジャック・ルソーが社会契約論の中で描いた「自由」と「自由」の間に横たわる「公共」という名の妥協点を設定し、契約によってそれを守るという社会ヴィジョンが、人間が作り出していくテクノロジーによって歪んでいく様子なのだ。

日本国憲法ではこの点を、第13条において「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と明示して、特に「公共の福祉」という意識的な言葉で補強している。

現在96条の改定について議論が喧しいが、この「公共の福祉」という意識的で民主主義の原点に忠実な文言を「公の秩序」という序列的で、垂直的な文言に変更しようとしているあたりが、今回の自民党憲法改正草案のもっともきな臭く、思想的な部分なのであり、このタイミングでこの映画を再放送して、この隠れた悪意に対してこっそり民意を先鋭化させようとしているのだとしたら、テレビ局の慧眼である。
おおいに拍手を送る。

2013年5月14日火曜日

ジェネシスのSHM-CD化紙ジャケ再発は「買い」ですよ

ジェネシスの全カタログ13作品がSHM-CD化され再発されている。
2009年にも同マスター使用のSACDが出ているのだが、その時は3枚しか買えなかった。何しろDVDも付いているとはいえ4500円もしたからな・・

ジェネシスを好きになったのは、予備校時代、寮の隣の部屋に住んでた友人がフィル・コリンズ好きで、「ジェネシス」というアルバムを聴かせてくれたのだが、プログレってのがどうも苦手だった僕にもこのポップなサウンドは、すっと入ってきた。これが水先案内になってくれて、ジェネシスだけじゃなくて、キング・クリムゾンとかイエスとかにも興味を向かせてくれたのだった。

ジェネシスはどのアルバムも好きだが、ピーター・ガブリエル在籍期が特に好きだ。
お目当てのオリジナル・アルバムは5枚で、そのうち
1971年の「怪奇骨董音楽箱:Nursery Cryme」
1972年の「フォックストロット:Foxtrot」
1974年の「眩惑のブロードウェイ:The Lamb Lies Down On Broadway」
の3枚は、09年のSACDリリースの時に買っていた。

もちろん他のアルバムもすぐに買おうとしたのだが、ほどなく完売。泣く泣く諦めていたのだ。

そこに今回のSHM-CD化のニュース!ええ、飛びつきましたとも。
今回買った残り2枚は、
1970年の「侵入:Trespass」
1973年の「月影の騎士:Selling England By The Pound」

前回のSACD化も今回のSHM-CD化も何が素晴らしいって、紙ジャケの出来がジェネシスへの愛情に満ちているってとこにある!
紙質の選択。印刷の精度ともに素晴らしい。
多くの紙ジャケが、実物を縮小コピーしたかのようなピンぼけな印刷になっている中で、この見事な印刷は、素晴らしい。

今まで、スプリングスティーンやディラン、ザ・バンドの劣悪な紙ジャケを買っては、そのやっつけ仕事に涙した。最悪だったのはホール&オーツだったな。もう文字とか読めないくらい版ズレしてたっつーのよ!

逆に良かったのはアル・クーパー、リンゴ・スター、ポール・バターフィールドあたりのやつね。忠実度なんか度外視して存在感のあるリメイクだった。
ただ縮小すりゃいいってもんじゃないのよ。

今回のジェネシスのはアタリですよ!
なくなっちゃう前に買うしかないっすよ。
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2013年5月11日土曜日

ワーグナーの「ニーベルングの指環」に思う人生の傲慢と煉獄。


(旧Cafe GIGLIO Blogから転載)

クラシックに目覚めたのも40歳の時で遅かったが、その後もしばらくはオペラの面白さはわからなかった。
ベートーヴェンが、シンプルな音形を構築的に組み上げ、変形させてドラマティックな楽曲を作り上げていく様子や、一音も忽(ゆるが)せにせず、精緻な音による小世界を組み上げていくバッハの音楽に夢中になったが、歌劇は食わず嫌いをしていた。

縁あって、ワーグナーの大作オペラ「ニーベルングの指環」全曲を聴く機会があり、その印象は随分変わった。
それにしても長い。CDにして14枚。生演奏の際は四日間かけて上演が行われる壮大な物語だ。
ドイツ語で歌われる物語は入り組んだプロットで、ドイツ人でも聴いただけでは意味は理解出来ないという難物だ。
オーディオの大先輩がCDといっしょに貸してくださった、一部を寺山修司さんが手がけたという翻訳本を読んで、CDについている英語独語対訳を参照しながら聴いていった。



傲慢さだけが切り開ける道がある。しかし、その先に待っているものもやはり煉獄である。

ワーグナーの示す人間観はあくまでも厳しい。しかし、その厳しさこそが崇高なのだとワーグナーの作った厳粛そのものの音楽が語っている。だからこの芸術は、音楽を消費材として扱う現代風の風潮を隔絶しながらも長く生きながらえているのだろう。

外国語のわからない歌詞を一生懸命追いかけて音楽を聴いていると、初めて音楽に夢中になった小学生の頃を思い出す。

小学4年生の時だった。
あの頃放課後になるとクラスの男子のほとんどが集まって、みんなで野球をやっていた。帰り数人でどこかの家に寄っていろんな話をした。

ある日クラスメートの馬場くんが「今日は姉貴いねえから」と言ってお姉さんの部屋からベイ・シティ・ローラーズのレコードを持ち出してみんなで聴いた。
当時もうラジカセは持っていたと思うけど、聴くのはベスト10北海道というローカルの歌謡曲番組で松山千春とか、キャンデーズとかを聴いていたので、英語で歌われたローラーズのロック・サウンドはずいぶん大人っぽく聴こえたものだ。
それで僕も親にねだってベイ・シティ・ローラーズの「青春に捧げるメロディー」というアルバムを買ってもらった。

このアルバムは本当に素晴らしかった。
名プロデューサー、ジミー・イエナーの仕掛けたポップの宝箱だ。
一曲目がエリック・カルメンの在籍したラズベリーズの永遠の名曲「レッツ・プリテンド」。
そしてダスティ・スプリングフィールドのヒット曲「二人だけのデート」。
ビーチ・ボーイズのポップなラブソング「ドント・ウォリー・ベイビー」。
これらのナイスなカバー曲だけでもかなりクラクラだが、彼らの本領はグラム・ロック・バンドとしてのハードなサウンドにあるのだ。

「ロックン・ローラー」「イエスタデイズ・ヒーロー」のオリジナル曲2曲をお聴きいただければ、このバンドがアイドルバンドだったなどとはいえないはずだ。
実は僕も武道館でのコンサート映像を見て、「演奏してねえじゃん」と思ったのだが、一昨年ふとしたことで知り合ったBCRファンから新潟公演をこっそり録音したテープを聴かせていただいて、明らかにかなり演奏力の高いバンドであったことを自分の耳で確認した。

小学生だった僕はその素晴らしい歌をどうしても自分で歌ってみたくて、歌詞カードにレコードから聴き取った発音をカタカナで書き込んで英語で歌う練習をしたのだった。
歌うとますますその歌が好きになった。
学校の休み時間にもずっと歌を歌っていた。
街を歩いているときも。

ところかまわず大声で歌を歌う僕の「傲慢さ」は中学に入ると急にしぼんで、おかげで僕は「煉獄」を味わわずにすんだのかもしれないが、もしあのまま貫いていたら今頃歌手になれていただろうか、と考える日もなくはない。

ともあれ、その日から現在にいたるまで、いつも音楽と一緒にいた。
今は「ずっと音楽と一緒にいられる仕事」という高校時代に思い描いたどうしようもなく子どもっぽい将来像を曲がりなりにも「音楽が流れるカフェを経営する」というカタチで実現できたことを素直に喜んでいる。
小学生の時にベイ・シティ・ローラーズを聴いて心が動いたあの時のキモチを、バッハが、スプリングスティーンが、コステロが、元春が、甲斐バンドが、ドヴォルザークが、ベートーヴェンが、そして今度はワーグナーが再現してくれた。

いろいろ持っていないものはあるけれど、僕は本当に幸せな男だと思う。

2013年5月8日水曜日

こんな夜にはコステロを聴いて

例年にない寒さが続き、なかなか春が訪れてくれなかった札幌に、やっと少しだけ暖かい日がさした今日一日を締めくくるのに聴きたい音楽はこれしかないですな。
エルヴィス・コステロ:ブルータル・ユース。

社会人になって5年目の1994年、CDショップの試聴コーナーで、ちょっと興奮気味の店員のPOPに背中を押されてこのエルヴィス・コステロのブルータル・ユースというアルバムを聴いたのでした。
有名なアーティストだったけど、なぜか聴く機会がなかったのですよ。
しかし、一聴、すごい声だ!と思わずのけぞってしまい、即購入。


その後ほとんどのアルバムを買い揃えた今でもコステロで一番好きなアルバム。
6曲目のYou Tripped At Every Stepを聴くと、いつだってその繊細なメロディと精緻に構成された楽曲の細部のいちいちに魂を奪われて、体が動かなくなってただ聴き入る。
10曲目のLondon's Brilliant Paradeでは、僕とロック・ミュージックの出会いであったBay City Rollersを思い出させる古き良きブリティッシュ・ポップの薫りがして、胸がキュンキュンして悶えるのみ。

そして、このアルバムのプロデューサーはミッチェル・フルーム。ここ重要。
その後大好きになったロン・セクスミスでミッチェル・フルーム・プロデュースにハズレ無しの神話が自分的には確定してマス。

で、エルヴィス・コステロのアルバムをファーストから買い揃えるわけだが、最初に買ったファースト・アルバム、マイ・エイム・イズ・トゥルーがまたすごい。


間違いなくこの2枚が僕にとってのコステロズ・ベスト・トゥー。
ことに5曲めのアリソンは、切なメロディ満載の大傑作で、この曲のサビの最後の一節がアルバム・タイトルになっておるのです。

このアリソンという曲、あのリンダ・ロンシュタットもミス・アメリカというアルバムでカバーしておりまして、ちょっとイメージ違うかな、と思ったら意外とハマってます。サビのメロディにかぶせてイヤに印象的なアルト・サキソフォンが聴こえて、見事なソロまで入ってくる。これは、と思って調べるとなんとデヴィッド・サンボーンさんじゃありませんか。豪勢ですな。

あとニール・ヤングのブリッジ・スクール・コンサートというライブに出演したコステロとニール・ヤングのハモってそうでハモらない、ハモらないのにかっこいいデュエットによるアリソンもなかなかのものでした。

コステロ先生におかれましては、少し前にクラシックの世界的に高名なメゾ・ソプラノであらせられるオッターさんとデュエットをおやりになったり、ダイアナ・クラールと結婚したからではないでしょうが、ジャズ・オリエンテッドな、らしくないヒットアルバム「ノース」と、バレエ音楽「マイ・フレーム・バーンズ・ブルー」をグラモフォン(!)からリリースされたりと幅広い活動をされた後、何枚かインポスターズという新バンドでロック・アルバムを出されましたが、それは、なんというかピリっとしませんでしたな。

しかし、さすがはコステロ先生。
ディラン先生の完全なカントリー・ロック路線での大復活に歩調を合わせるように、「Secret, Profane & Sugar Cane」でまずはカントリーで軽いジャブ。昔の胸キュンメロディーが復活しててとてもよかった。と思ったらセルフ・カバーも入ってますね。
そして!ついに!あのヒネたポップのコステロさんが帰ってきた「National Ransom」!
これこれ。これですよ。
というわけで、今夜は少し夜更かしして、もう一枚聴いて寝ますか。



2013年5月5日日曜日

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」Review Part-2

第一作の「風の歌を聴け」以来、村上春樹は、その文体を、基本的にアフォリズム(警句)を基礎に組み立ててきた。
だから時に揶揄されることもある「やれやれ」が多用されることになる。

しかし、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」には、「やれやれ」という言葉の多用は見当たらない。

その代わりにちょっと突き放したような現在形での描写が多用される。
近年の村上作品の多くは三人称で書かれているが、アフォリズムの立場で書く以上、批判者の視点が必ず混じるため、基本的には登場人物たちと同じ地平に立って書かざるを得ず、それまでの一人称的な手触りを残したままだ。だからそれはヘミングウェイというよりはチャンドラーの書法になる。


日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)
アーネスト ヘミングウェイ
早川書房
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ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11)
レイモンド・チャンドラー
早川書房
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しかし、この作品では一人称的な手触りは実に希薄で、どこかよそよそしくて、時々どこまでも遠くまで見通せる望遠鏡で覗き見たような書きぶりが現れることがある。
それも単に突き放しているのではなく、ホールデン少年を描くときのサリンジャーのような、遠さ故のもどかしさのようなものを感じるのだ。

この書法は、アフターダークでも観察者の視点として用いられているが、内実はずいぶん違うと思う。これは「父の視点」だと思うからだ。

灰田父の青年時代、全共闘で活動して挫折したとの表記がある。これはぴたりとではないにせよ、村上春樹の早稲田大学時代の経験と重なる部分がある。主人公たちはその息子の世代として書かれており、いつもより遠目の第三者視点は、このあたりの立ち位置に由来しているのではないだろうか。

初期の村上作品には「世代」の存在が希薄だ。
それが「ねじまき鳥」あたりから、「歴史」という縦糸を積極的に物語の中に織り込んでいくことになる。
これは、村上が海外で執筆を始めて、西洋と日本の「個」に対する考え方があまりに違うことに戸惑い、そしてノモンハンまでやるのに、その後連続した戦後観を持ち続けられない日本人の感覚の不思議さを問題意識として持ったからだと、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く(新潮社文庫,P56)」に詳しく書かれている。

その感覚は「カフカ」にも書き継がれるが、アフターダークで一度リセットされる。
そして1Q84において、父の存在を物語の一部として強く機能させることで、獏とした歴史という糸を、父子というはっきりした形を持った個人的な歴史の連なりにメタファーし直したのではないかと思う。
そうして問題意識の意味の再生を図っているように僕には思えるのだ。

そして今作でついに、「父の視点」(多崎の、とか灰田の、といった意味ではない)で書くというストレートな書法を持ち込んで、人にとっての縦糸を描こうとしたのではないだろうか。

通常「父性」といった場合、それは組織的な権勢を象徴し、理論的で垂直型の思考や統制を象徴する。
だからそれは、カタチがあり、言語オリエンテッドだ。
つまりそれは「引き継げるもの」なのであり、そこが水平型で包括的で愛情に彩られている「母性」との大きな違いだ。

本作で、その引き継がれるものは、緑川の言うワグナーの指環として、または多崎のホイヤーとして言及される。
さらに、その引き継ぐものは「いずれにせよ死を迎えるときに丸ごと理解するもの」なのであり、引き継ぐといっても「その種子を蒔くだけ」なのだ、と言っている。
しかしこれはあくまでも「父の世代」の話なのであり、この話を継承したはずの灰田はそうそうに物語から退場してしまう。

「父の世代」に属する作者村上春樹自身が経験した学生紛争は、強力なコミットメントが一瞬にして「熱くなる方がバカ」みたいなムード(=デタッチメント)に変化していったと自身が回顧している。
そのデタッチメントを是とするようになった当時の若者たちが成長して、今度は自身が父になった時、今までとは違った「父性」を獲得したはずだ。
それはどのようなものだったのか。

物語では、灰田の退場の後を受けて、理想的な父親であり夫であるエドヴァルト・ハアタイネン氏が登場する。エドヴァルトとは、ホイヤーのドイツ系スイス人創業者と同じ名前だが、Part-1でも書いたようにこの作品では「命名」は意識的だ。
自然、エドヴァルトの存在は、肺がんでの死の床で、もう何も話すことはできず、ただホイヤーの時計と大きな財産だけを残したつくるの父親と対比される。

裸一貫で起業し(ここには若きアントレプレナーとして批判されながらも成功を収めるアカとの対比構造がある)、経済的成功を収め、一日50本の煙草とともにその人生を驀進し、肺がんのために言葉を失い、時計を残して死んでいったつくるの父親。
緑豊かなフィンランドの別荘地で半日を陶芸家として、半日を家庭人として、時に自分の技術を大学で教えながらシンプルに生きていくハアタイネン氏の生き方とはもちろん対称的だが、どちらがよいという話ではない。

今我々が生きているこの国が、そうやって形作られてきたのだということが、意味合いとして継承されているだろうか、と問われている気がするのだ。
豊かになった我々は、父たちががむしゃらに頑張って働いてきた日々を、社会の変革に当事者として立ち会ってきた日々を、「なかったこと」にしてはいないだろうか。
不都合なことは「捏造」だと言い、すべてを為政者たちの「無能」のせいだったと押し付けてはいないだろうか。

つくるが友人グループからつきつけられた「絶交」は、彼に大きな喪失をもたらし、それは過去をめぐる旅によって浄化された。
再生ではない。再生はできない。
だからこれはやはり「巡礼」でなくてはならなかったのだ。

この国に住む僕らは、いったい何を「なかったこと」にしようとしているのか。
ぼくらの巡礼の旅は、どこを目指せばいいのか。
まずはそこから考え始めてみたいと思う。

<了>

2013年5月3日金曜日

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」Review Part-1

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」読了。


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋 (2013-04-12)
売り上げランキング: 52

いつもと違う手触りに戸惑いながら読んだ。

やはり前作1Q84は作者村上春樹の大きな転換点であったのだと思う。

「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」で、せっかく出会った運命の恋人を無情にもすれ違わせ、「国境の南、太陽の西」でも、世界でたった二人理解し合えたと感じた少年と少女を引き裂く。
「ノルウェイの森」では、ワタナベは直子と結ばれないだけでなく、直子の服を着て現れる玲子と肌を触れ合わす。

村上春樹が持つ運命的なものへの冷徹な眼差しは、ある意味で世界の理に忠実だ。
原因と結果は、結果が表出してはじめて、ある事象を原因として再定義する。
因果関係というものは時系列的な順序と意味的な発生順序が常に逆転している。
だからあらかじめ決められた物事などは存在しない。そこには常に「現在」があるだけなのだ。
だから恋が運命的であることもなく、ましてや人の心の中だけで動く不可解なその感情は、だいたいいつも思うようにはならない。
村上は、運命の恋人たちをそのように処してきた。

しかし1Q84では一転して青豆と天吾を一直線に運命の恋の成就へと導く。しかも、Book2の終わりで充分成就した恋を、さらにBook3まで費やして完全なものとして描いた。
つまりそうならざるを得ない、強い運命へのコミットの物語を作者は紡ぎだしたということになる。


そして、今作でも村上小説は「運命」に関するコミットメントをもう一歩前に進めている。それが「名前」だ。

多くの村上作品で男性主人公に付けられている「ワタナベノボル」という名前は、親友の画家安西水丸氏の本名である。と言っても小説中の人物が安西氏を暗示しているわけではもちろんなく、要するに「昔から決まっている苗字とか生まれる前から決まっている名前なんかに物語上の意味があったら変でしょ」ということだ。
だからそんなどうでもいい「名前」なんてものを作品ごとに考えたりしないよ、ということなのだろう。
逆に後からつけた名前には意味があるのだが。
田村カフカしかり、加納クレタ・マルタしかり。

しかし今回は、苗字に色を含む人物を配し、その対比としての「色彩を持たない多崎つくる」という人物描写を成している。
そしてそれはつくる本人による錯誤なのであり、その錯誤がこの物語の中核をなす悲劇の遠因として描かれている。
だからこそ、「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」という言葉が物語の大きな推進力として機能する。
そう。「記憶」という思い込み(=錯誤)が心に形成する「運命」(=しかたないもの)を、厳然と存在し続ける歴史という事実に向き合うことによって打破していくという、これは人が強く生きていくための態度の提示なのだと思う。

多くの村上作品では、主人公は何気ない日常から異常な非日常に巻き込まれていくが、今作は最初から激しい喪失の只中にいる主人公が、その喪失の本質に辿り着いていく旅を描いている。力強いのである。
だからその旅は「巡礼」でなくてはならず、通奏される音もリストの「巡礼の年」でなければならない。
今までの作品世界を彩ってきた音楽はそれぞれに印象的なものだが、選曲に必然性はなかった。そのような曖昧な趣味性が村上作品に独特な味わいや面倒くささを与えていた。
必然性によって構築された本作の骨組みには、今までにないリジッドな感じがある。少しよそよそしさを感じさせるくらいに。
そのようにして村上は、今まで慎重に取り扱ってきた「因果」というものにぐっと強くコミットし始めているのではないだろうか。


さらに見逃せないのが、全共闘世代を「父の世代」として描いていることだ。
言うまでもなく、村上春樹本人が大学時代に学園紛争での大学封鎖を経験している。
つまりこの物語は、彼にとって「息子たちの物語」ということになるのであり、「父性」そのものがもうひとつの大きなテーマではないかと感じる。
次回、父性をテーマにまとめてみたい。