2016年7月21日木曜日

岸田智史『パーマネントブルー』を買った結果、また未DVD化の傑作映画を知ってしまった。

岸田智史さんを知ったのは、もちろん大ヒットした「きみの朝」だった。
短調の導入部が美しい佳曲だが、長調になって盛り上がるはずのサビの歌詞の単調さが疵だと感じていた。

たぶん中学生の頃、NHK-FMでその岸田さんのライブが放送されたのをエアチェックした。
『蒼い旅』という曲で歌われた「死ねなくて生きてきた、ただそれだけなのに」という歌詞がズドンと胸を撃った。

ずいぶん経ってから、谷村新司さんが歌詞を書いたと知ったその曲を収録した『パーマネントブルー』を、中古レコード漁りを始めてから、ずっと探していたのだ。
今回入手できてよかった。


歌詞カードには、全曲分の譜面が載っていて、コードも書いてあるのでこのまま弾き語りができる。


通して聴くと、中学の頃ラジオで聴いていいなと思った「蒼い旅」と「黄昏」が、思い出補正を考慮しても出色のデキで、残りの曲については特に書きたいことがないが、捨て曲ナシのアルバムほど飽きるのも早いわけで、そういう意味でこのアルバムは、時々取り出してみたくなる末永く付き合える作品なんだと思う。

ところで『蒼い旅』という曲は、映画『パーマネントブルー真夏の恋』の主題歌だったんだそうで、映画と同名の『パーマネントブルー』という曲も入っていて、そちらはその映画のイメージソング。
この映画はDVD化されていないようで観る手段がないが、詳細な解説をしてくれているサイトを見つけた。
→『DVDで見れない傑作映画』~パーマネントブルー真夏の恋

秋吉久美子主演。
いい映画っぽいんだよなあ。
山根監督ファンが、間違いなく70年代邦画の最高傑作とまで言ってたりするんだよ。
観たいよなあ。

2016年7月20日水曜日

鳥山雄司『Silver Shoes』

今朝は鳥山雄司さんの『Silver Shoes』を。


キャニオン・レコードのアガルタ・レーベルから1982年に発売された、ソロキャリアとしてのセカンド・アルバム。
以前、札幌で露崎春女さんと一緒に演奏しているのを観た。
→その時の記事がこちら

とにかく上手い!というのがその時の印象。
チュニジアの夜などの難曲をアコースティック・ギター一本で雰囲気良く、しかも激しく再現してしまう。

その夜のライブで、鳥山さん自身がラーセン・フェイトン・バンドとのレコーディングについて語っていたが、これがそのアルバムなんである。
ジャンル分けするならフュージョンということになるが、80年代フュージョンのサウンドにありがちなリズムセクションの「無機質さ」はこのアルバムには見られない。
そこが、ラーセン・フェイトン・バンドのお手柄なのだろう。

アルバムはまるでライブのようにキャッチーな曲から始まり、徐々に楽器演奏の難易度が上がっていく。
あの夜のライブと同じ。
もう最後のあたりは、パターン識別できない、流麗というよりは破壊的な速弾きが走っていく。
フレーズにはブルースの影響が顕著だが、半音下降で締めるフレーズの多用がよくあるブルースギターの印象を薄めていてクレバーだ。

2016年7月19日火曜日

来生たかお『オーディナリー』〜『少年時代』のピアノと対をなすソングライターの矜恃

朝のレコード。
来生たかおの『オーディナリー』を聴く。


1983年リリースということは、81年の「夢の途中」82年の「シルエットロマンス」といった作家的に絶頂期の作品ということになるだろう。
しかし、この人の作風はいい意味でのマンネリズムで、ある種の「茫洋さ」とでもいったものがどの作品にも溢れていて安定感がある。

それでも来生たかおと聞いて僕が真っ先に思い出すのは井上陽水の「少年時代」で、作家としての知名度が高い来生たかおをピアニストとして起用している。
プロっぽくないピアノが欲しくて、というのは決して名誉な起用理由ではないだろうが、ポール・マッカートニーのような、という前置きがついていれば話が違ってくる。
シンガー・ソングライターのピアノ、くらいの意味だろうか。

ジャケットにも自身がピアノを弾いている様子が描かれているし、ライナーにもライブでピアノやギターを弾いている写真が多数掲載されていて、楽器演奏にも思い入れがあるように見えるが、各楽曲のクレジットには来生本人の名前はない。
商材としての自身の楽曲への矜恃と、来生本人の楽器演奏の捉え方が、井上陽水が彼に求めたものと対をなしていて、なんというか実にやはり音楽というものは 人間的なものだなあと思うのだ。





2016年7月18日月曜日

レコードクリーニング液を自作してみたよ

年に一度、地元の新聞販売店主催の古本バザーがあって、そこにけっこうな数のアナログレコードも出品されるので毎年楽しみにしている。
今年は7月15日(金)に開催された。
なんと一枚100円なので手当たり次第に買うという手もあるが、僕は昔カセットテープに録って愛聴していたが、レコードは持っていなかったものを中心に買っている。

今年の獲物はこの19枚と相成りました。



一般家庭に死蔵されていたレコードは、触れば残る皮脂に黴が生えてこびりついているケースが多い。
湿式のクリーニング液が必要だ。

僕の愛用品は1液式のNinonyno。
以前2液式のレイカ・バランスウォッシャーを使っていたが、200mlで5000円弱という高価さからクリーニング回数が減ってしまうという本末転倒に疑問を感じ、500ml3000円のNinonynoに転向した。

そして今回19枚のクリーニングをするにあたって、さらにコストダウンを図るべく、自作にチャレンジすることにした。

すでに先達が充分な研究と経験を積んでおられる。
ありがたくノウハウを使わせていただこうと思う。
多くの情報の中から、なるべく経験値や感覚論に拠らない、合理の論に乗ってみる。

結局のところ湿式のレコードクリーニング液とは、
塩化ヴィニールは溶けないが、皮脂は溶ける濃度のアルコールに、水滴化を防止する界面活性剤を添加したものである。
どれも比較的簡単に手に入る。


まずベースになる精製水はコンタクトレンズの洗浄用に500ml100円ほどで売っている。

アルコールに何を使うかは考えどころだ。
最良の選択肢は純度の高い無水エタノールだが、これには酒税がかかり、わりと高価だ。
イソプロピルアルコール50%という製品を使えば酒税も回避できるし、等量で混合すれば25%という適度な濃度のアルコール液ができて、次回精製水とタイミングを合わせて購入できるため扱いもいい。価格も400円程度と手頃だ。

界面活性剤には、写真の現像の際、現像液が水滴状になって現像ムラが生じるのを防ぐドライウェルという薬剤が使える。
このアイディアを最初に思いついたのは誰なんだろう。
きっとオーディオ趣味とカメラ趣味というのは似たところがあるのだろう。両方を嗜む人が思いついたに違いない。
ヨドバシカメラで350円で入手できた。

しめて約850円で1000ml分のクリーニング液が手に入ったことになる。比較的安価なNinonynoとくらべても六分の一程度である。

さっそく精製水250ml、50%アルコール250ml、ドライウェルをヤクルトの短いストロー一本分で作ってみた。
Ninonynoの空き容器に入れて振ってみると、泡が立って軽く発熱したので、ちょっと焦るが、すぐに泡も熱も落ち着いた。


肝心の使用感だが、製品とほとんど変わらない。
黴汚れは確実に落ちるし、ドライウェルの効果で薬液が盤面に残らないため、長期的な変質も起こらないだろう。
ただしひとつ問題がある。
それはアルコールの匂いで、製品に比べるとかなりキツい。
イソプロピルアルコールの特有のものなのかもしれない。
いずれにせよアルコールに何を使うか、がこのクリーニング液作りの肝のようだ。



2016年7月15日金曜日

グレアム・グリーン『情事の終り』

新潮文庫のスタークラシックスという新訳シリーズからグレアム・グリーンの『情事の終り』を読んでみた。

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あの名作映画「第三の男」の脚本を書いたグレアム・グリーンの代表作だけあって、「画が浮かぶ」筆致が見事すぎる。
そしてここでも、夫と愛人に続く第三の存在が鍵となっていますね。

サスペンス色の強い導入部から、物語は宗教的な色彩を帯びてくる。
宗教観のことから紐解けば、カラマーゾフの「大審問官」で語られる悪魔の誘惑とイエスの拒絶の構図がサラを巡る「情事」の顛末に重なる。

さらに言えば、時代背景を対ファシズム戦を戦う戦時下の英国に置いているところが、教会の全体主義的体質と個人の信仰の間に横たわる溝を暗示しているようにも感じる。

これはきっと、西欧文化を敷衍した近代社会が普遍的に持っている問題なんだな。

2016年7月13日水曜日

クリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』~愛国心ゆえに壊れていくその心は

クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を観た。

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原作は、主人公クリス・カイル自身が書いたイラク戦争の回顧録だが、幾つかの点で原作と映画は異なっている。
映画でのカイルは、9.11で崩れゆくビルを見て軍隊への志願を決めるが、実際には事件が起きた時、彼はすでにシールズに入隊していた。

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この脚色は、映画に重要な色彩を与えている。
「愛国心」である。

愛国心ゆえに、大切な人を守りたいという想いから戦う。
しかしその行為そのものは殺人なのであり、人間の心はそういうものに耐えられるようにはできていない。
愛国心の発露の方向はそれで良かったのか。

そこにいくら疑問は湧いても、もちろん世界は楽園ではない。
だから国家観の、そして宗教間の争いは未だ絶えず、今も世界の各地で戦火が交えられ、そして人の心は少しづつ壊れていく。
市井に生きるぼくたちにできることは、せめてその戦争PTSDとの闘いを支援していくことなのだろう。

この映画『アメリカン・スナイパー』は、ベトナム戦争での『ディア・ハンター』や『地獄の黙示録』と同じように、イラク戦争によって壊れていった人間を描いた作品といえる。


公開時、アメリカでは本作を「愛国的で、戦争を支持する傑作」として、保守派とリベラルが激しい論争を繰り広げたそうだが、どのように観ればそのような主題が導かれるのか僕にはさっぱりわからないので正直多少混乱している。
そして、現時点(2016.7.13)で、クリント・イーストウッドがアメリカ大統領選挙においてトランプ候補を支持していると聞いて、さらに困惑しているところだ。
人間とは複雑な存在なのだ、ということなのだろう。


また、クリス・カイルの『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』にはいくつかの虚飾が指摘されていて、このあたりは英雄の虚飾そのものを映画表現に盛り込んだ前作『J・エドガー』と共通した要素を持っている。

『許されざる者』以降のクリント・イーストウッド監督作品に共通して見られる、どんな事象も善悪のような二分法で切り分けることはできないという価値観はこの作品でも生きていると思う。



2016年7月12日火曜日

映画『イニシエーション・ラブ』~痛みに満ちた青春へのタイムトリップ

この映画は、内容だけ見れば純粋な恋愛小説であり、それでも原作も含め「ミステリー」の範疇に分類されているのは、偏(ひとえ)にラストのどんでん返しが叙述トリック的であるためだ。
そのどんでん返し自体も、煽り文句にあるほど驚愕の仕掛けではなく、むしろ全編に散りばめられた精妙な整合性をこそ楽しむ作品と言えるだろう。

突然話は変わるようで変わらないのだが、子供の頃NHKのアニメで「キャプテン・フューチャー」を観ていた人には、主人公「鈴木夕樹(ゆうき)」の名前に既視感があっただろう。主題歌の「夢の船乗り」を唄っていた歌手が「ヒデ夕樹(ゆうき)」というちょっと変わった名前だった。
苗字のヒデがカタカナなので、名前のほうの夕(ゆう)をカタカナのタと誤認して、ながいこと「ヒデタ」までが苗字で、名前は樹、一文字で「いつき」とでも読むのだろうと思っていた。

鈴木夕樹のあだ名が「たっくん」に決まっていくプロセスを観ていて、案外作者も同じような経験があるのではないか、と思ったりしたがこれはまあ、どうでもいい話である。

で、さらに蛇足だが、大野雄二作の傑作曲「夢の船乗り」は当初タケカワユキヒデの歌唱の予定で書かれたもので、レコーディングもされていたのに、制作側の都合(というのがどういうものだったのかはわからない)でヒデ夕樹に変更された。
しかしヒデ夕樹が1979年に麻薬所持で逮捕されたこともあり、大野雄二自身の抗議でタケカワユキヒデ版に再度変更されたという経緯がある。
ヒデ夕樹氏はあの「この木なんの木」の最初のバージョンを歌った人でもあって、2005年放送のCMまではヒデバージョンだったそうだから、こちらには逮捕の影響が及ばなかったようだ。


さて本題に戻ろう。
個人的にはラストのどんでん返しは肩すかし。
むしろこの映画の見どころは女優としての前田敦子の開眼にあるのではないか。


AKBにさして興味のない僕は、前田敦子がどうしてあんなに人気があるのかさっぱりわからない人間であったが、この映画で見せる「媚」の演技は実にツボだった。
映画内で多用される下から見上げる仕草がこの映画のキラーコンテンツ。
それは「ケルベロスの肖像」で桐谷美玲が見せる「手を振る」仕草と双璧の必殺技だ。

思春期の男の子の頭のなかにだけ存在する女の子の理想像を、それらは象徴している。
その象徴さえあれば、ぼくらは何度でもあの青春の痛みに満ちた瞬間に舞い戻ることができる。
映画を見ているぼくらの頭のなかには、前田敦子ではなく、それぞれの思い出の中にある女の子の笑顔が浮かんでいるはずだ。

そう、この物語は青春へのタイムトリップのための物語だ。
映画(小説)を彩る80年代のヒット曲や黒電話は、その旅の道連れなのだ。

別に叙述トリックの整合性確認のために何度も観る気にはならないが、その素敵な青春へのタイムトリップのためになら何度でも観る価値があると思う。

2016年7月11日月曜日

クリント・イーストウッド『J・エドガー』~歪んだ司法のカタチ

クリント・イーストウッド監督の『J・エドガー』を観た。

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監督としてのクリント・イーストウッドは、アメリカの過ちに意識的な監督だと思う。

アメリカは、ベトナム戦争でベトコンの変幻自在なゲリラ戦に手を焼き、同胞を攻撃させるためにラオスのモン族を雇った。
そして戦争終結後祖国にいられなくなったモン族をデトロイト湖畔のグラス・ポイントに移住させるのだが、その街を舞台にモン族への贖罪を描いた作品が「グラン・トリノ」だった。

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本作でのJ・エドガー・フーヴァーは、FBIの設立に尽力し、長期にわたって長官職を務めた。
彼が頭角をあらわしたのは1930年代のギャング掃討だが、そもそもギャングとはどのようにして国を脅かすような力をつけたのか。

1910年代、ニューヨークの株への投機熱は過度にヒートアップしていた。
現在の中国やBRICsのように「世界の(いや当時は欧州の、か)工場」として機能したアメリカは、その時期どの企業の業績も大きく伸びていったからだ。
街には遊民があふれ、皮肉なことに彼らの富を作り出していた労働人口は年を追うごとに減っていった。
ニューヨーカーは世界の王となり、農村の貧困を尻目に、欲しいものは全て手に入れた。

そして1914年、欧州は大きな戦火への火蓋を切った。
アメリカも17年4月にドイツに宣戦布告、大戦に参加した。国中から男たちがいなくなり、ニューヨークにはますます労働人口が不足して、州政府はセントラルパークの北に大々的な居住施設群を用意して、南部から大量の黒人労働力を誘致した。

さらに19年、信心深い婦人たちによって、男たちが留守の間に「禁酒法」がルーズヴェルトの拒否権発動にもかかわらず、議会を通過した。
ギャングたちは密造酒製造工場を各地に造り、軒並み億万長者になった。(ギャツビーのように)彼らは、農村で食い詰めていた人たちをこの非合法の工場に吸収し、おびただしい数の犯罪者予備軍とした。
そして粗悪酒の大量摂取はおびただしい廃人を作り出した。
ギャングは豊富な資金力で一国の軍隊並みの兵器と機動力を得て、多くの警官を殺した。

そして29年、金融大恐慌が起こる。
幻想の価格は無に帰し、恐慌の業火はウォール街を発し世界中を焼きつくした。

世界の王だったニューヨーカーの多くが無一文となり、路上に放り出された。
失意と悪酒に沈んだ彼らは高層ビルの乱立で陽光を失った冷たい路上で凍死した。
そしてそこはギャングの王国となったのだ。

むろんギャングたちはならず者だが、政治がそれを作ったとも言える。
そしてフーヴァーは、政治の責任は横に措き、司法の形を悪の進化に適合させていくことでギャングたちを掃討していくのである。
この後、毒を以って毒を制すスタイルは、簡単にエスカレートして、予算確保のため政治家のスキャンダルまで収集するようになる。


ブルース・スプリングスティーンは『ゴースト・オブ・トム・ジョード』で、スタインベックが『怒りの葡萄』で喝破したアメリカの問題はまだ解決していないぜ、と歌った。

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日本では自虐史観などと言われてしまうのだろうか。
クリント・イーストウッドも、アメリカの司法の形は今も歪んでいるのではないか、と問いかけているような気がする。
今もまた、アメリカでは警察権力と黒人の深刻な対立が再燃し、鎮火の緒(いとぐち)は見えない。

2016年7月1日金曜日

Nikkor 50mm f1.8改で、クローズアップ撮影を

知人が面白いレンズがあるから使ってみな、と言ってもってきてくれたのはNikkor 50mm f1.8単焦点レンズ。
しかしこれは見た目どおりのレンズではない。
複数のレンズで構成されたうちの一枚を抜いてある改造レンズで非常に近くのものにピントが合うようになっている。
「寄れる」レンズである。

その代償としてピントが合う範囲が非常にせまく、極端なクローズアップ撮影にしか使えない。
しかしまた、この方法でなければ撮れない画があるのもまた事実なのである。


レンズが一枚入っていないのだから、光を集める力が少し落ちるからなのだろうか、露出はプラス1にせよとの指示をもらった。
指示通りの撮り方でやってみると、クローズアップの明るい写真が撮れた。


しかし僕個人の趣味でいうと、もう少し暗くしたいのですね。
で、絞りを少し絞って撮ってみた。


やはり暗くすると難しい。
同じ条件のように思えても光の量は異なっていて、ちょっとした加減で充分な明暗が確保できなくなってしまう。
真ん中のサキソフォンのリード部は露出不足でソフトウェアの調整では追いつかなかった。




クローズアップ撮影の被写体の定番、植物だが、こちらはうまくピントが合わないものが出てしまった。なにしろ本当に一点でしかピントが合わないのに、屋外で風が吹くだけで花の位置は変わってしまう。

雨上がりに、強い日差しが降ってきた瞬間を狙って撮ったとは思えない暗い背景は、意図したものではないが、好ましい画だと思う。




ギターは被写体としては大きな物体で、この種の撮影に向かないが、パーツを撮ってみた。ヘッド部は画になるが、コントロール部はなんだかわからない。

クローズアップ撮影は被写体選びが肝だ。
何か見つけたらまたトライしてみたい。