2013年3月25日月曜日

音量問題

前にも書いたかもしれないが、イザベル・ファウストというバイオリニストの演奏が好きで、CDを見かけると買うようにしていた。

それで、このアルバン・ベルクのバイオリン協奏曲をフィーチャーしたアルバムも買っていたのだが、アルバン・ベルクといえば、無調音楽、十二音技法の祖シェーンベルクの一番弟子、ということで、まあ聴きはしたものの腰がひけていて、理解するとかいうレベルの聴き方ではなく、最初から「わからない音楽」と決めつけて一度聞いて「やっぱりね」ということで聴かずにいた。

しばらくワーグナーの音楽を聴いていて、オペラってのは舞台芸術なのにレコードで聴いたってわかるわけないよね、と思っていたのが、周りのファンたちが皆口をそろえて、いやいやむしろレコードで聴くべきものだよ!と言うので聴いているうちにだんだん好きになってきた。

まだまだ膨大なワーグナー音楽の入り口を齧った程度だが、もしかして他にも聴かず嫌いにしてた音楽がたくさんあるんじゃないかと疑うようになった。
マーラーの五番、ブルックナーの四番など、一度聴いただけで自分には合わないと決めつけてしまった楽曲がいくつかある。

今回は、とりあえずアルバン・ベルクのバイオリン協奏曲にもう一度トライしてみようと思った次第だ。

実はこの間、僕の音楽を聴く方法にも大きな変化があった。
僕のオーディオの作法は、基本的に「小音量」であったのだ。
盆栽の美学というか、模型製作の悦楽というか、自分の「手の中に入ること」が重要テーマだったわけだ。
原音再生派のひとたちは「原音量」も再生しようとするが、僕は部屋の中に「小さな」コンサートホールを再現しようとしていた。

しかしある時、キャリアのあるオーディオファイルのお部屋で耳が割れんばかりの大音量で聴いてから、そこまではいかなくてもある程度音量がないと聴こえてこないものもあるのだなと気がついた。

それで、今までの5割増しくらいの音量で音楽を聴くようになった。(それでも先輩たちの半分くらいの大きさだ!)
これで聴いてみると、おお、なんとなく今ままでとっつきにくいと思っていたアルバン・ベルクが、なんだかわかりそうな気がした。



この「ある天使の思い出に」というロマンティックな副題にも少し心惹かれる。

確かに難解な楽曲!
しかし無調という感じではない。調べてみると十二音技法に改めて調性を持ち込んだ人だとある。なるほど。
やはり最初はよくわからないが、二日目、三日目になると徐々に見えてくるものがある。
不安、それに続く激しい苦痛の表現を経て、最終部分に現れる神がかった美しさと儚さ。
素晴らしい楽曲。素晴らしい演奏。

この曲はマーラーの娘が死んだ時のことを描いた曲なのだそうだ。
娘を持つものとして、心穏やかに聴くことは難しい。

しかし、そういった先入観を捨て(これになにより時間がかかる)平明な心で聴きいった時に、はじめて姿をあらわすこの楽曲の真の姿にこそ強い共感を覚えた。



調子に乗って、以前やはり面白いとは思えなかったマーラーの全集にも手を出した。
クラウス・テンシュテットの全集。



はい、そうです。ジャケ買いです。かっこいいですよね。
まだ今一番を聴きこんでいるところだが、なんかすごくいいぞ、マーラー。
これも音量を大きくしている恩恵かもしれない。


ところで、僕は今までの人生の大半をロック・ファンとして生きてきた。
だから、幾多のロック・レジェンドたちに大きな影響を受け、今でも現役の皆さんの作品にはやはり手が伸びる。

中でも最も好きなアーティストのひとりエリック・クラプトンの新作は出る度に聴いている。最近だと、うれしいボウイの復活。そして変わらず元気なディランの定期的なリリースも実に頼もしい。
  

大好きなクラプトンの新作もさっそく買って、いつものようにCDをセットしてプレイボタンを押した。
最初のドラムの音がなんだかすごく耳障りに感じてショックを受けたが、すぐに音量が上がりすぎていることに気がついた。
そう。クラシック音楽とロックでは適切な増幅率が違うということなのだ。
だいたいロックの場合には、通常特にギターの音は録音する前にアンプで増幅している。肉声や生ドラムのような生楽器も、その音圧レベルに合わせて、持ち上げて録音しているだろう。それをさらにオーディオ・アンプで増幅することになってしまう。

僕は、こういうロック音楽をずっと愛してきたし、それを最高に楽しめるようにオーディオをセットしてきた。
「増幅された音」で構成された「生音」、これがロックというものが流通されていくときの姿であり、受け止める我々がそれを「盆栽の美学」的な聴き方に成熟させていったのだと思うのだ。
もちろん原音どおりの爆音で楽しむのを是としているファンもいるだろうし、どちらがいい、という話ではない。ただ、どちらかというと「盆栽派」はロックファンに多いような気がする。

2013年3月2日土曜日

DENON DP-500Mにオルトフォンのトーンアームケーブルを導入!

アナログ再生の見直しも最終段階に入った。
僕の心に最後に刺さっていた棘は、ケーブルだった。

現在僕のレコードプレーヤーDENON DP-500Mに刺さっているのは、プレーヤーに付属していたケーブル。

一定ランク以上の機器の場合、付属しているケーブルは音が出ることを確かめるためのものと考えなければならないとよく言われる。
残念ながら、僕の愛するこのプレーヤーは、その一定ランク以上のものとは言いがたいもので、だから、ケーブルもそのまま使っていたのだが、ここまで7年間このプレーヤーに付き合ってきて、諸先輩のおかげで、多くの名盤の音を聴くことができたし、良いカートリッジの音なども試させてもらって、演奏も音も良い愛聴盤も何枚か手にしたし、これだ!というカートリッジも入手することができた。

いよいよ棘を抜く日が来たのだと思った。

実はこのプレーヤーを買おうと決めた時から、ケーブルはこれしかない、と決めていたものがある。
オルトフォンのトーンアーム・ケーブル。両側がRCAのケーブルはそれほど選択肢がないし、オルトフォンなら文句はない。
思い切って注文した。

これです。
写真でしか見たことなかったんですが、お店で使ってるオルトフォンのスピーカーケーブルの皮膜をトランスルーセントの青に変えたというイメージですね。金色のプラグが良い感じです。
さっそく交換してみます。
外しました。
改めてよく見ると、意外に太くていい造りのケーブルでした。しかし、やはりこの赤白のプラグが付属品というイメージです。イメージは大事ですから。
他のすべての機器の接続に使っているアクロリンクのケーブルと同じように信号の流れる方向を指示してあります。友人の理系技術者によれば、根拠はほとんどないそうですが、わざわざ反対に付ける理由もないわけで、指示にしたがって接続します。

接続後、さっそく試聴してみる。
聴き慣れた山下達郎、ポケットミュージックのB面をかける。聴き慣れたものでないと、例えば左右の音がひっくり返ってるなんてのは論外だが、バランスが悪かったりするのに気が付きにくい。
今回は、まったく問題ないようだ。

さらに最近よく聴いている、シューベルトの「ます」もかけてみる。
やはりアンビエンス音などのあるクラシックになると差が出てくる。ここでは、さきほど登場した友人の理系技術者の「ケーブルにはエージングの効果はない」という言葉が実感できた。

ここで、明確に違う音だ、と言えたら僕もうれしいが、今までの音でだって充分感動してきたのだ。だから、ここでは素直に、他の機器にかけてきた最低限の愛情を今回アナログ再生に関しても今出来る範囲でかけてあげる事ができて、心にかかっていた霧が晴れた、と言っておく。
そして、それが実際に聴いている音のベールを一枚剥いでいることは、僕の心の中で起こっていることなのであり、それを楽しむのがオーディオという趣味なのだと、誰に言うのでもなく、呟いてみる。
最高に心地よいこの時間の中で。

2013年3月1日金曜日

オーディオテクニカAT-150MLXカーリッジの導入

お店の方に新しいアンプを迎えて、三週間ほどが経った。


音のことは、いいと思う。
それ以上に、これでもう「何だよ、DENONかよ」という目で見られるのを心配しなくて済むと思うと、とても晴れやかな気分だ。
もし、それが被害妄想だったとしてもだ。


それで、すっきりしたついでに、もうひとつ気がかりだった件を解決しようという気になっている。
それはレコードプレイヤーに関することだ。

現在使っているプレーヤーはDENON DP-500M。
一般にエントリー機というカテゴリーに分類される機種だ。
なぜ、エントリー機を使うのか、についてはすでに書いた
が、最も大事なポイントについてもう一度言う。

これが「ダイレクト・ドライブ」機だからだ。

自分で所有して日常的に使用するターンテーブルに、僕はベルト・ドライブを使うことに大きな抵抗がある。

うん。これは気分の問題だ。

現代のハイエンド・レコードプレーヤーのほとんどがベルト・ドライブやそれに類する方式を採用しているところをみると、理想的な方法なのだろう。
実際にベルト・ドライブのプレーヤーの音も何度も聴いたが、充分楽しめた。
ただ、所有するとなると話は別なのだ。

アナログ再生は「信頼性」との勝負だ。

回転は正しいだろうか。
針は正常だろうか。
水平だろうか。

いつも自分が出している音が正しいかどうか、僕にとってのアナログ再生は常に疑いとの戦いだ。
その土台となる回転への不安要素は、すべてを揺るがせる。
僕はその不安感を自分の機材の中に置いておきたくないのである。

日本のオーディオ黄金時代、プレーヤーの多くはダイレクト・ドライブ機だった。
だから中古市場を見渡せば、名機とよばれるマシンが多数見つかる。
しかし、プレーヤー系に限っては、中古はいかん、と思っている。
ヒトが作った機構が変化する先は「劣化」しかない。

すでにテクニクスのSL-1200Mk-6が生産完了となった今、現実的な価格帯で購入できるダイレクト・ドライブ機は、DENONのDP-1300mk-IIとDP-500Mしかない。
上級機との差は、キャビネットの仕上げによるハウリング・マージンとアームの高さ調整機構の有無。
僕は、それを補ってあまりある美点が500Mにあるので、そちらを選択している。
それは最低限のコンパクトな筐体と、素朴な仕上げの美しさだ。


見かけかよ、とお思いかもしれない。
しかし、僕にはあの1300Mk-IIのテカテカした塗装と、金色のアームだけはどうしても許容できないのだ。

で、このDENON DP-500Mというプレーヤー。お値段7万5750円なり。
安いなあ。
コンパクト&シンプル。
好みだなあ。

これによく出来たオーディオ・テクニカのOEM品であるカートリッジまで附属している。

このカートリッジは実によく出来たカートリッジで、一度銘機と言われるカートリッジをいくつかお借りして聴き比べたことがあるのだが、まったく引けをとらない、どころか元気の良さでは圧倒的に優秀。
常に安定してイキイキとした音像を提供してくれる。
ホント、安すぎるよなあ。

でもそこが問題。
音にはまったく問題を感じないけど、やっぱり数千円っていう感じのルックスで、ちょっと頼りない。
今、カートリッジの相場は、完全に二極化していて、世評が高いカートリッジは少なくとも7〜8万円台からで2〜30万円なんてのもザラにある。これじゃプレーヤーより高いじゃないか!
しかし幸いなことに、低価格帯の中にもオーディオテクニカやオルトフォン、そしてシュアーのMMカートリッジのラインナップには良い感じの価格帯で、なかなか立派なものがあるのだ。

それでも、以前のエントリーで書いたとおり、安価故に毎年交換針を替えることが出来る精神的安定が聴感にもたらすメリットを重視して、付属のカートリッジを愛用してきた。

この気持を変えたのが、先輩オーディオファイルがくださった、このカートリッジだ。

オルトフォンVMS20E
銘機の誉高いMMカートリッジだ。
さらに高価なオルトフォン540やDENON DL103といった時代を代表するカートリッジたちとともに貸してくださった中のひとつで、僕はとにかくこの音が気に入って、そう言うと、これはもう使わないから、使ってくれる人にあげるよ、と言って快く譲ってくださったのだった。

その頃僕はクラシックの、それもベートーヴェンの弦楽四重奏ばかり聴いていて、そんな時、このカートリッジは今まで聞こえてこなった弦の低い唸りのようなものを再現してくれて、ちょっとゾクッときちゃうような音楽体験をさせてくれた。

なるほど、やっぱりこういう微妙で、しかし決定的な違いがあったりするんだなあ、と思っていたのだが、先日マイルズ・デイヴィスのレコードを何枚か買って集中的に聴いていた時、なんだかマイルズの音楽を聴いている時にいつも感じる、高揚感が感じられていない自分に気がついた。

もしやと思い、付属のカートリッジに戻してみたら!
ああ、これだ。いつものマイルズの音楽がそこにあった。

やはり自分には、オーディオテクニカのカートリッジが合っているのかもしれない。
オーディオテクニカには、VM型というMM型と同等の出力を持つカートリッジが複数ラインナップされていて、現在その最高機種でも実売3万円を切っている。
これを試してみない手はないだろう。

で、さっそく取り寄せてみた。
AT-150MLXというVMカートリッジだ。


どうでしょう。
ゴールドのボディがかっこいいですよね。
シェルも新調したので、リード線もスムーズに接続できて、全体のルックスがぐっと洗練された感じがする。

そして、何よりも音だ。
このカートリッジの音はただの元気の良い音ではなく、中低域に張りがある充実した音とみた。
ふと思いついて、ジャーニーの後期の秀作「レイズド・オン・ザ・レディオ」をかけてみた。少し軽めのバスドラがトゥーン、と飛んでくる音の余韻が凄いぞ。

付属カートリッジに較べ、交換針が高価なのが、気にかかるが、メンテナンスに気を使ってなるべく長く愛用していきたいと思う。


で、アナログプレーヤーに関しては、もうひとつ懸案事項を残している。
稿を改めてお話したい。