現代アメリカSFの女王、コニー・ウィリス。
名作を求めて:ワンコイン版へのこだわりと、我が善き友
全盛期のベティ・デイヴィスが魅せる、圧倒的な演技力
視線を独占する、特別なマリリン・モンロー
ハイセンスな台詞回しが紡ぐ、至高の「演劇賛歌」
現代アメリカSFの女王、コニー・ウィリス。
ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)の代表作といえば、誰もが真っ先に『サキソフォン・コロッサス(Saxophone Colossus)』を挙げるでしょう。ジャズ史に燦然と輝く名盤であることは間違いありません。
しかし、「レコードのジャケット(ルックス)」という一点において、私はどうしてもこのアルバムに軍配を上げざるを得ません。
それが今回ご紹介する、1958年録音の『Sonny Rollins and the Contemporary Leaders』です。
何と言っても、ジャケットに写るロリンズの凛々しい表情と、サックスを携えた堂々たる立ち姿。一目で心を射抜かれるような格好良さがあり、まさに「ジャケ買い」の醍醐味が詰まった1枚です。ちなみに、この作品にはなぜか別バージョンのジャケットもいくつか存在しますが、やはりこのオリジナルデザインの佇まいが最高だと確信しています。

初期3部作で地球人ジョン・カーターの戦いはひとつの大団円を迎えましたが、赤き惑星「バルスーム」の伝説はそこでは終わりません!『合本版・火星シリーズ〈第2集〉』に収録されている中期の3作品は、カーターの息子や娘、そして新たなる地球人が主人公となり、火星のさらに深い秘境へと読者を誘うエキゾチックな冒険絵巻です。
もちろん、創元SF文庫版のページをめくれば、武部本一郎氏によるあの溜息が出るほど美しい挿絵が健在。第1集でデジャー・ソリス派に魂を奪われたファンたちを、今度は彼女の血を引く娘ターラや、数々の美女たちが再び惑わせにやってきます。
第2集の最大の魅力は、前作以上に「奇想天外なアイデア」が爆発している点です。思考を具現化する幻兵、人間を駒に見立てた命がけのチェス、そして恐るべきマッドサイエンスによる脳の交換――。バローズの想像力がさらに研ぎ澄まされた、中期の3作品を1作ずつ紐解いていきましょう。
【あらすじ】
ジョン・カーターとデジャー・ソリスの息子であり、偉大な父の血を受け継いだ若き王子カーソリス。彼は、かつてカーターに救われたプータスの王女スビアに密かに恋心を抱いていた。しかし、スビアが何者かに誘拐される事件が発生し、カーソリスにその疑いがかけられてしまう。
身の潔白を証明し、愛する彼女を救うため、カーソリスは火星の未踏の地へと飛び立つ。彼が迷い込んだのは、古代火星の栄華を今に伝える幻影の帝国「ロサール」。そこは、念じるだけで数十万の「幻の戦士」を現実に出現させる、恐るべき精神力を持った怪人たちが支配する悪夢の世界だった――。
【あらすじ】
ジョン・カーターの愛娘であり、母譲りの絶世の美女であるターラ王女。彼女は勝気な性格が災いし、飛行艇での遠乗り中に巨大な嵐に巻き込まれ、未開の秘境へと不時着してしまう。そこで彼女を待ち受けていたのは、頭部だけの奇怪な精神生命体「カルド」と、その乗り物として支配される肉体「リカル」という、歪んだ生態系を持つ恐怖の種族だった。
ガソールの若き王ガハンに助けられ、辛くも脱出したターラだったが、次に迷い込んだ都市では、火星の伝統的なチェスに似たゲーム「ジェタン」を、本物の人間を駒にして戦わせる狂気の闘技が行われていた。敗北は即「死」を意味する命がけの盤上で、彼女を賭けた究極のゲームが始まる!
【あらすじ】
戦傷によって瀕死の重傷を負った地球人の若き大尉ユリシーズ・パックス。彼は前世の記憶を保ったまま、精神のみが火星へと転移し、奇跡の復活を遂げる。しかし、彼が目覚めたのは、火星最高峰の天才でありながら、倫理観を完全に喪失した老科学者ラサーム・ケンの実験室だった。
ラサーム・ケンが確立していたのは、生きた人間の「脳」を別の肉体へと移植する恐るべき『交換頭脳』の技術。富豪の醜い老女に、美しき王女ババ・リサの若々しい肉体を移植する非道な実験を目の当たりにしたパックスは、王女の心を救うため、自らも怪しき医術の世界へと身を投じ、狂気の科学者に立ち向かう!
第1集が「圧倒的な身体能力による肉弾戦」だったとすれば、第2集は「心理戦やSF的ガジェット」が前面に押し出されています。『幻兵団』の思考具現化や、『交換頭脳』のグロテスクでありながらワクワクさせる外科手術の描写など、現代のダークファンタジーやSFサスペンスの先駆けとも言えるアイデアが詰め込まれています。
デジャー・ソリスの気高さを受け継いだ娘ターラをはじめ、第2集のヒロインたちは一筋縄ではいかない魅力を持っています。特に『チェス人間』でのターラは、囚われの身でありながらも誇り高く、男たちを翻弄する強さを持っており、バローズの描く女性像の進化を感じさせます。
第6作『交換頭脳』では、ついにジョン・カーター以外の地球人「ユリシーズ・パックス」が主人公として登場します。カーターが「無敵の戦士」だったのに対し、パックスはマッドサイエンティストの弟子として知恵と技術を武器に戦うため、シリーズに全く新しい風を吹き込んでいます。
偉大な英雄ジョン・カーターの物語を引き継ぎつつも、それを単なる二番煎じに終わらせないバローズの筆力には脱帽するほかありません。
親から子へと受け継がれるバルスームの血統、そして「チェス人間」に代表される、異文化のルールに命がけで挑むプロットの巧みさは、今読んでもページをめくる手が止まらなくなる極上のエンターテインメントです。
リアルな宇宙探査が進んだ現代だからこそ、この「脳内移植も幻兵も何でもあり」な大らかでエキゾチックな火星の姿が、私たちの乾いたイマジネーションを極彩色に染め上げてくれます。
第1集を読み終えたなら、迷わずこの第2集の扉を開けてみてください。そこには、まだまだ私たちが知らないバルスームの深淵な魅力が広がっています!
独特の軽妙な会話劇、パズルがパチパチと嵌まっていくような極上の伏線回収、そして理不尽な現実のなかにポッと灯る人間の優しさ。
今や日本を代表するストーリーテラーである伊坂幸太郎氏のキャリアにおいて、「最初の到達点」であり、今なお最高傑作のひとつとして語り継がれるのが、2003年に発表された『アヒルと鴨のコインロッカー』です。

前年にリリースされたセカンド・アルバム『Orleans II』がヨーロッパや日本を中心に高く評価されながらも、本国アメリカではレーベルの不都合により日の目を見ないという苦難を味わったオーリアンズ。しかし、彼らは立ち止まることはなかった。
1975年、心機一転して名門アサイラム・レコードへと移籍を果たし、通算3作目として発表されたのが本作『レット・ゼア・ビー・ミュージック(邦題:歌こそすべて)』である。
歌こそすべて - オーリアンズ
『火星シリーズ』は、地球人ジョン・カーターが、未知の生態系と高度な文明、そして荒々しい部族抗争が渦巻く赤き惑星「バルスーム(火星)」へと転移し、縦横無尽に駆け巡る壮大な惑星冒険ファンタジー(惑星ロマンス)です。
創元SF文庫からは、武部本一郎氏によるあまりにも美しい伝説的な挿絵とともに長年親しまれてきました。
SF少年たちの初恋はデジャー・ソリスかジョオン・ランドールかに相場が決まっていましたが、この挿絵のおかげでデジャー派が一歩リード、ジョオン派の私はちょっと悔しかったのを覚えています。その後鶴田謙二版のジョオンが創元SF文庫に現れ、互角の勝負になったことは、まことに嬉しい出来事でした。
本作の最大の魅力は、20世紀初頭に書かれたとは思えないほどの圧倒的な世界観の構築にあります。重力が地球より軽いため超人的な跳躍力を発揮する設定や、緑色人・赤色人といった多様な火星人類の生態、奇妙な火星生物たち。緻密でエキゾチックな設定が、読者を一瞬にして異世界へと引き込みます。
今回はシリーズの幕開けであり、ひとつの巨大な大河ドラマとして完結する「初期3部作」を1作ずつ紐解いていきましょう。
【あらすじ】
南北戦争の退役軍人であるジョン・カーターは、アリゾナの洞窟で先住民に追われ、奇妙なガスに包まれて意識を失う。目が覚めると、そこは重力が地球の数分の一しかない、滅びかけの衰退した惑星・火星(バルスーム)だった。
並外れた身体能力を見初められ、好戦的な「緑色火星人」の捕虜となったカーターだったが、やがて高度な文明を持つ「赤色火星人」の都市国家ヘリウムの王女、デジャー・ソリスが捕らえられてくる。彼女の気高く美しい姿に心を奪われたカーターは、彼女を救うために命がけの脱出を試みるが――。
【あらすじ】
前作の衝撃的な結末から10年後、ふたたび火星へと戻ることに成功したジョン・カーター。しかし、彼が降り立ったのは、火星の人々から「天国」と信じられている、伝説のイサス川が流れ込む南極の「ドール谷」だった。
だが、そこは天国などではなく、謎の植物人間や「白黒の火星人」が支配し、巡礼に訪れた人々を奴隷として貪り食う恐るべき地獄だった。さらに、火星全土で全知全能の神として崇められている「女神イサス」の狂気と残酷な正体を暴いてしまったカーターは、火星の古い信仰そのものを敵に回す、あまりにも危険な戦いへと身を投じていく。
【あらすじ】
偽りの神イサスを打倒したものの、最愛の妻デジャー・ソリスは、1年に1度しか開かない太陽寺院の暗黒の監獄へと閉じ込められてしまう。妻を救い出すため、カーターは火星に残された未知の領域、氷に閉ざされた「北極地方(黄色火星人の国)」へと追跡を開始する。
あらゆる部族の陰謀が渦巻き、絶体絶命の危機が連続するなか、カーターは火星の全種族を巻き込む未曽有の大決戦へと突き進む。愛する人を奪還し、火星に真の平和をもたらすため、地球人ジョン・カーターの最後の死闘が始まる!
バローズの筆致は、とにかくスピーディーでエネルギッシュです。1ページ先では包囲され、次のページでは決闘が始まり、その次には新たな怪物が襲いかかってくる。この過剰なまでのイベントの連続とテンポの良さは、現代のエンタメ小説やライトノベルの源流そのものです。
単なる勧善退治の冒険譚にとどまらず、価値観の全く異なる種族との交流が深く描かれています。特に、冷酷な緑色火星人の戦士タルス・タルカスと、地球人であるジョン・カーターとの間に芽生える、種族を超えた熱い友情のドラマは、シリーズを通しての屈指の涙腺崩壊ポイントです。
繰り返しにはなりますが、創元SF文庫版を語る上で外せないのが、武部本一郎氏によるカバーイラストと挿絵です。バローズが描いたエキゾチックで少しエロティックな火星のコスチュームや、美しき王女デジャー・ソリスの姿を見事に具現化したそのビジュアルは、文字通り日本のSFファンに決定的なイメージを植え付けました。本を開くだけで、異郷への郷愁を誘うアートとしても一級品です。
現代のリアルな科学的知見から見れば、この『火星シリーズ』に描かれる火星は「あり得ないファンタジー」かもしれません。
しかし、ここにあるのは、かつて人類が夜空を見上げて抱いた「あそこには、誰も見たことがない壮大な文明と、命をかけるに足る冒険が待っているかもしれない」という、純粋無垢なロマンそのものです。
500年の時を超える切なさを描いた『500年の恋人』とはまた一味違う、100年の時を超えて語り継がれる「人間の勇気と愛」のストレートな熱量を、ぜひ創元SF文庫のページをめくって体感してみてください。赤き惑星バルスームは、いつでもあなたを待っています!
エドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)の最優秀長編賞を受賞したデビュー作『夜明け前の時』で知られ、「サイコ・ドメスティック・ノワールの祖」とも称される英国の女流作家、シーリア・フレムリン。
彼女が描くのは、おどろおどろしい殺人鬼の館ではなく、私たちのすぐ隣にある「ありふれた家庭の日常」にじわじわと侵入してくる悪意や狂気です。
そんな彼女の邦訳長編のなかでも、ひと際異彩を放ち、プロットの妙技が絶賛されているのが1980年発表(邦訳1991年)の『泣き声は聞こえない』です。
「15歳の少女が、中絶したあとも妊婦のフリをして街を歩く」という衝撃的なシチュエーション。これだけで、一筋縄ではいかない人間の業を感じさせますが、フレムリンの手にかかれば、単なるショッキングなミステリには留まりません。今回は、本作のあらすじと、思わず唸ってしまう読みどころをネタバレなしでご紹介します。
シーリア・フレムリン(1914~2008)は、オックスフォード大学で古典を学んだ才女であり、戦時中は戦時労働者の心理調査などに関わった経歴を持ちます。その経験が活かされてか、人間の言葉の裏にある「欺瞞」や「自己弁護」、そして「無意識の悪意」をすくい取る観察眼は圧倒的です。
パトリシア・ハイスミスやシャーリィ・ジャクスン、あるいはドメスティック・ノワールの現代の書き手たち(ギリアン・フリンなど)の源流に位置する作家であり、緻密な心理描写と、英国風のどこか冷徹でビターなユーモアが融合した作風が特徴です。
春までは、地味で目立たない「第4学級生」として控えめな青春を送っていた15歳の少女、ミランダ。しかし、夏の街をゆく現在の彼女は、マタニティウェアを身にまとい、周囲からの好奇の視線を一身に浴びていました。
実は彼女、一夜の過ちによって妊娠したものの、すでに中絶手術を終えていたのです。
それなのに、彼女の膨らんだお腹の中には、ぶざまに詰め込まれた「枕」が入っていました。
学校で一躍「悲劇のヒロイン」「大人びた特別な存在」として注目を浴びてしまったミランダは、その歪んだ自尊心と周囲の関心を失いたくないがために、嘘の妊娠を演じ続けることを選んでしまいます。消えた赤ん坊、家族の焦りと罪悪感、そして周囲の目。不穏な嘘が積み重なるなか、事態は思わぬ方向へと転がり始めます――。
この手の「思春期の少女の暴走」を描いた物語では、親や周囲の大人たちが「世間体ばかりを気にする頭の固い悪役」として描かれがちです。
しかし、本作の秀逸なところは「ミランダの両親は、決して悪い人間ではない」という点にあります。彼らは娘を理解しようとし、傷つけないように気を配り、まっとうに苦悩します。
悪意を持った強烈な悪人が誰もいない。それなのに、家族の間に流れる空気はどんどん息苦しくなり、すれ違いが加速していく。この「誰も悪くないのに破滅へと向かう焦燥感」の描き方は、フレムリンの真骨頂です。
SNSもない1980年代の作品ですが、ここで描かれるミランダの「注目されたい」「その他大勢の凡人に戻りたくない」という承認欲求の心理は、現代の私たちが読んでも恐ろしいほどリアルに突き刺さります。
嘘がバレる恐怖よりも、「注目されなくなる恐怖」が勝ってしまう病理。平凡な少女が、嘘のマタニティウェアという鎧をまとうことでしか得られなかった「万能感」の描写は、切なくもゾッとさせられます。
フレムリンの作品は、カチッとしたパズル的な本格ミステリ(それこそクイーンのような作風)とは異なり、人間の心理動向のうねりに従ってプロットが自然に変貌していくような、有機的な美しさがあります。
最初は少女の奇行を追う心理小説のようでありながら、中盤から後半にかけてサスペンスのギアが一段、二段と上がり、誰も予想し得なかった鮮やかな結末へと着地します。タイトルの「泣き声は聞こえない」が持つ真の意味に気づいたとき、読者は極上のカタルシスと、冷たい余韻に包まれるはずです。
シーリア・フレムリンの訳書は、長編・短編集を合わせても決して多くありません。しかし、そのどれもが「打率1割の奇跡」ではなく、一作一作が極めて高い完成度を誇っています。
『体育館の殺人』のようなガチガチのロジックミステリが「動」の謎解きであるならば、この『泣き声は聞こえない』は、人間の心の闇をじっと見つめる「静」のサスペンス。
梅雨の時期、あるいは蒸し暑い夏の夜に、じっくりと冷や汗を流しながら読むにはこれ以上ない一冊です。古書で見かけたら、迷わず「ジャケ買い」ならぬ「中身買い」をおすすめします!
1970年代の音楽シーンにおいて、透き通るような美声と圧倒的な親しみやすさで世界を虜にしたオリビア・ニュートン=ジョン。彼女が1977年にリリースした初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』は、日本においては『詩小説』という極めて文学的で美しい邦題が与えられ、ファンの間で特別な一枚として愛され続けている。
Olivia Newton-John's Greatest Hits
レコード屋のエサ箱を漁っているとき、思わず手が止まってしまう瞬間があります。それは、何の前情報もなくても「このジャケット、絶対にいい音が鳴る」と直感が告げるときです。
今回は、そんな「ジャケ買い」の醍醐味をこれでもかと味あわせてくれる音楽家、橋本一子(はしもといちこ)氏の1980年代の名盤『Beauty』と『Vivant』をご紹介します。アートワークの美しさはもちろん、そこに収められた音世界のギャップについて紐解いていきましょう。
1枚目は、1985年にポリドールからリリースされたソロアルバム『Beauty』。
何と言っても目を引くのが、フロントを飾る橋本一子氏本人のモノクローム写真です。静謐でありながらどこか強い意志を秘めたその佇まいは、まさに「Beauty(美)」というタイトルそのもの。飾っておくだけで部屋の空気をガラリと変えてしまうような、圧倒的なポートレイトの力があります。
本作はギタリスト・渡辺香津美氏がプロデュースを手掛けており、聴く前は「スタイリッシュなフュージョンやジャズかな?」という先入観を抱きがちです。
しかし、いざターンテーブルに針を落とすと、その予想は見事に裏切られます。スピーカーから飛び出してくるのは、想像以上に威勢が良くエネルギッシュなロック・サウンド。ジャズやクラシックの素養に裏打ちされた緻密な構成でありながら、アグレッシブに攻めてくるその音のギャップに、聴き手は一気に目を覚まさせられます。
『Beauty』の熱が冷めやらぬまま、次にエサ箱の手を進めて出会うのが、翌1986年にリリースされた『Vivant(ヴィヴァン)』です。
『Beauty』が静かな佇まいだとしたら、『Vivant』はより映画的で、耽美なストーリー性を感じさせるジャケットに仕上がっています。モノクロの階調の中に漂うミステリアスな空気感。この2枚を部屋に並べるだけでも、所有欲が完全に満たされるほどの美しさを持っています。
オーディオのセッティングに悩み、「なんだか音像が曖昧だな……」とスピーカーの位置をあれこれ動かしているときに、これら橋本一子氏のレコードを鳴らしたとたん、劇的な変化が起こったことがありました。
強烈な動機(不純であればあるほど強い、美ジャケへの執着)で手に入れたレコードだからこそ、「この音楽を最高の音で鳴らしたい」というオーディオリスニングの原点を思い出させてくれたのでしょう。
スピーカーの幅をギリギリまで狭め、少し開き気味にセッティングした瞬間に、スピーカーの存在が消えて目の前に立体的な音像が浮かび上がる——そんな「天啓」をもたらしてくれるだけのエネルギーが、この時代の彼女の音には宿っていたのだと思います。
『Beauty』『Vivant』の2作で彼女の多才さに魅了されたなら、ぜひ以下の作品もレコード棚やCDラックから探してみてください。
Colored Music 『Colored Music』(1981年)
藤本敦夫氏とのユニット「Colored Music」名義で発表された初期の傑作です。近年、国内外のニューウェイヴ/環境音楽/シティポップの再評価クレイズの中で「和レア・グルーヴの最高峰」として世界中から指名手配されている1枚。エスニックで実験的、かつ極めて洗練されたポップネスが同居しています。
カラード・ミュージック
橋本一子 『Miles Away 〜トリビュート・トゥ・マイルス』(1999年)
1980年代にYMOのサポート(テクノポリス2000-20)や渡辺香津美氏との共演でシーンを駆け抜けた彼女が、1990年代の終わりに突如として発表したピアノ・トリオ作品です。マイルス・デイヴィスへのオマージュでありながら、彼女の持ち味である浮遊感と、声(ヴォイス)を楽器として扱う唯一無二のパフォーマンスがジャズの枠組みを大きく広げています。
Miles Away~トリビュート・トゥ・マイルス
まとめ:不純な動機こそ、新しい音楽の扉を開く
「ジャケ買い」は、時に最高の音楽体験、そしてオーディオの覚醒へと繋がる最短ルートになります。橋本一子氏の『Beauty』や『Vivant』が放つビジュアルの引力は、ただの飾りではありません。その美しいジャケットの奥には、リスナーのオーディオ環境をも変えてしまうほどの、強烈で濃密な音楽世界が広がっています。
もし中古レコード店や街のワゴンで見かけることがあれば、少し値が張っても迷わず手に入れてみてください。あなたのスピーカーが、本当のポテンシャルを発揮する瞬間が訪れるかもしれません。

21世紀の巨大企業FUP社は、16世紀のスコットランド国境地帯へと繋がる〈タイムトンネル〉の開発に成功。過去の世界から資源を搾取しようと企む。
交渉役として送り込まれた人類学者の女性アンドリアは、現地を支配する無法者「スターカーム一族」の長の息子・ピーア(メイ)と恋に落ちる。しかし、21世紀の「資本の論理」と、16世紀の「略奪の論理」は激しく衝突し、やがて血みどろの戦争へと発展していく――。
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タイムトラベルものでありがちな「古き良き美しい過去の世界」という幻想を、著者は容赦なく踏みつぶします。
アンドリアが足を踏み入れた16世紀は、デザインも材質も奇妙な服、犬の匂いが染みついた人々、現代人には到底耐えられない強烈な悪臭とまずい食事に満ちています。
そして何より、16世紀の住人であるスターカーム一族は、決して「純朴な昔の人々」ではありません。「右手で握手をしながら、左手には短剣を握っている」と評されるほど狡猾で、自分たちの仲間を守るためには騙し討ちも略奪も平気で行う、獰猛で利己的な人間たちです。この「異文化・異時代」の生々しい描写が、物語に凄まじい説得力を与えています。
主人公のアンドリアは、21世紀社会では自分の容姿に強いコンプレックスを抱き、居心地の悪さを感じて生きている女性です。
しかし、16世紀の世界に行くと、彼女の「豊かな体つき」は健康と富の象徴として大絶賛され、スターカーム一族から熱烈に歓迎されます。さらに、21世紀の高度なテクノロジー(アスピリンなどの近代医薬品や衣服など)を持つアンドリアたちは、16世紀の人々から「エルフ(妖精族)」のようだと畏怖される存在になります。
自分の価値が時代によって180度変わるという皮肉と快感。これがアンドリアをこの時代、そして粗野だけれど生命力に満ちたピーアとの恋にのめり込ませる強力な推進力となっていきます。
前作『500年のトンネル』の壮絶な結末を経て、物語は続編『500年の恋人』へと続きます。
プロジェクトが中止され、引き裂かれたはずのピーアがなぜか現代に現れたことで、アンドリアは再びFUP社の計画に加わり、16世紀へと向かいます。今度こそ最愛のピーアとやり直せる――そう期待したアンドリアを待っていたのは、「パラレルワールド(異なる時間軸)」というあまりにも残酷な壁でした。
新しく繋がった16世紀は、彼女が知る世界とよく似ているけれど、決定的に違う世界。そこにいるピーアや一族にとって、アンドリアは「初めて会う見知らぬ女」でしかないのです。
自分にとっては命がけで愛した記憶があるのに、相手にとってはゼロ。この「感情の非対称性」がもたらす切なさと泥沼の人間関係は、タイムトラベルSFのなかでも屈指の精神的サスペンスを生み出しています。
ロマンスの皮をかぶったディストピアSFであり、「持てる者(21世紀の資本主義)」と「持たざる者(16世紀の略奪者)」の果てしないエゴの衝突を描いた社会派ドラマ
元々はイギリスで児童文学(ティーン向け)として発表され、J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』を押さえてガーディアン賞を受賞した本作ですが、大人が読んでも(むしろ大人こそ)その容赦のなさに驚かされるはずです。
都合のいい理由をつけて自分たちの利益を守ろうとする21世紀の企業も、生き残るために平気で嘘をつく16世紀の戦士たちも、本質的には何も変わりません。500年の歳月を経ても変わらない「人間の利己主義と業」の深さに目眩を覚えつつも、ページをめくる手が止まらなくなる、タイムトラベルものの隠れた大傑作2部作です。

“平成のエラリー・クイーン”は、本家エラリーの代表作である『Yの悲劇』の極めて重要舞台設定である『館』を、後続の大ミステリ作家たちが、覇を競って独創的な『館』を産み続けてきた、その舞台装置を、こともあろうに『体育館』にしてしまったのです。
これだけですでに「只者じゃない」感たっぷりです。
それでも、デビュー作『体育館の殺人』を読んだ当初、頻繁に引用されるサブカルネタの多さに「賞味期限が短かくなっちゃうんじゃ?」と少し気になっていました。しかし、スピンオフ短編集『風ヶ丘五十円玉祭りの謎』を久しぶりに手に取ったことで、その認識は一変。キャラクター小説としての書き方の巧みさに惹かれ、そのまま『水族館の殺人』、最新刊の『図書館の殺人』まで一気読みしてしまいました。
実は、本家エラリー・クイーンの一分の隙もないが故に少しクドすぎる(?)推理描写が苦手な私。しかし、青崎有吾さんが描くロジックは驚くほどスマートで、ちっとも面倒な感じがありませんでした。
今回は、そんな裏染天馬シリーズの「館」を舞台にした初期3長編のあらすじと見どころを、ネタバレなしでご紹介します!
体育館の殺人 〈裏染天馬〉シリーズ (創元推理文庫)
まずは、第22回鮎川哲也賞を受賞したシリーズ第1作目です。
雨が降りしきる放課後、風ヶ丘高校の旧体育館で放送部の男子生徒が刺殺される事件が発生。現場は完全な「密室」状態であり、警察は体育館内にいた唯一の人物、女子卓球部部長の犯行だと決めつけます。卓球部員の袴田柚乃(はかまだ ゆの)は部長を救うため、学内一の天才でありながら、校内の一室に住み着くアニメオタクの駄目人間・裏染天馬(うらぞめ てんま)に事件の解決を依頼することに……。
「学校の体育館」という、誰もが馴染みのあるシンプルな空間を舞台にしたガチガチの本格密室ミステリです。
探偵役・裏染天馬のキャラクター設定(報酬がまさかの10万円!)などのコミカルさとは裏腹に、現場に残された手がかりから犯人を絞り込んでいくロジックは超一流。「読者への挑戦状」が挿入される、クラシカルでフェアな謎解きが堪能できます。
体育館の殺人 〈裏染天馬〉シリーズ (創元推理文庫)
前作の「密室」に続き、第2作目のテーマは「アリバイ」です。
夏休み真っ只中の8月。風ヶ丘高校新聞部の面々は、取材先の水族館で巨大なサメが飼育員に喰いついているという衝撃的な現場を目撃します。しかしそれは、サメを利用した巧妙な殺人事件でした。警察の捜査により浮上した容疑者は11人。しかも全員に強固なアリバイが。困り果てた袴田刑事は、妹の柚乃を通じて再びあの「オタク天才高校生」裏染天馬を呼び出します。
帯に書かれた「容疑者は11人」という文字に、読む前は「本家クイーンのような面倒な消去法が続くのか?」と少し身構えました。
しかし、いざ読み始めると、膨大な可能性とアリバイの網の目を丁寧に、かつスピード感を持って解き明かしていく道筋が秀逸。まったくストレスを感じさせない、平成のクイーンらしい鮮やかな手腕に脱帽させられる一冊です。
水族館の殺人 (創元推理文庫)
「館」シリーズの現時点での集大成となる第3作目です。
期末テスト中の慌ただしい9月、風ヶ丘図書館の開架エリアで男子大学生の撲殺死体が発見されます。凶器はなんと、山田風太郎の『人間臨終図巻』。閉館後の図書館という静まり返った現場には、2つの奇妙なダイイングメッセージが残されていました。警察からアドバイザーとして呼ばれた裏染天馬は、1冊の本と1人の少女の存在にたどり着くのですが……。
シリーズ過去最大のボリュームを費やした意欲作です。大掛かりな事件構成に対し、天馬が天才的な洞察を見せながらも、真相への道筋に悩み、発見していく「謎解きの過程」を読者もリアルに共有できる面白さがあります。
高校生らしいテスト期間の瑞々しい日常描写と、重厚な本格ミステリが見事に融合しています。
図書館の殺人 (創元推理文庫)
青崎有吾さんの裏染天馬シリーズは、1話完結のミステリとしての完成度はもちろん、「シリーズを通して描かれる人間関係」も大きな魅力です。
作中では、登場人物たちの過去に関する思わせぶりな記述があり、読み進めるうちに「あの過去のいきさつは何なのか?」「それに、あの二人の恋はどうなるの!?」と、キャラクターたちの行く末が非常に気になってきます。登場人物がしっかり描けているからこそ、シリーズを追いかけたくなるんですよね。
現在は別のシリーズも手掛けられている青崎さんですが、この風ヶ丘高校のメンバーたちの物語の続刊も、ヒッジョーに期待して待っております!
1970年代から80年代にかけて、透き通るような美しい歌声と親しみやすいルックスで世界中を魅了したオリビア・ニュートン=ジョン。1974年の「愛の告白(I Honestly Love You)」でグラミー賞最優秀レコード賞を受賞し、名実ともにトップ・シンガーの座を確立した彼女は、ポップスとカントリーを融合させた「カントリー・ポップ」の先駆者として、音楽シーンに多大な影響を与えた。
のちに映画『グリース』への出演や、1981年のメガヒット曲「フィジカル」で見せる大胆なイメージチェンジへ向かう直前、彼女の初期カントリー・スタイルの一つの到達点として1976年にリリースされたのが、通算8枚目のスタジオ・アルバム『たそがれの恋(Don’t Stop Believin’)』である。
本作は、それまでの清純派なイメージを残しつつも、より大人の哀愁や内省的な表現に踏み込んだ意欲作であり、彼女のキャリアにおける重要な過渡期を捉えた名盤として、今なお根強い支持を集めている。

2002年の鮮烈なデビュー作『Come Away With Me』でグラミー賞を総なめにし、一躍21世紀のジャズ/ポップ・シーンの女王へと登り詰めたノラ・ジョーンズ。スモーキーで温かみのある歌声と心地よいアコースティック・サウンドは彼女の代名詞となったが、彼女は決して一つの場所に留まるアーティストではなかった。
キャリアを重ねるごとにフォーク、カントリー、インディ・ロックへと音楽性を広げていった彼女が、2012年にリリースした5作目のスタジオ・アルバムが『リトル・ブロークン・ハーツ』である。本作は、当時の彼女が経験した実際の失恋(ブロークン・ハート)が色濃く反映された、極めてパーソナルでダークな情念が渦巻くコンセプチュアルな作品となった。これまでの「癒しのノラ」というイメージを鮮やかに覆し、人間の内面にある孤独や怒り、哀愁を剥き出しにした本作は、彼女のキャリアにおける最大の転換点として今なお異彩を放っている。
本作の最大の音楽的特徴は、プロデューサーにデンジャー・マウス(Danger Mouse)ことブライアン・バートンを迎えたことにある。ナールズ・バークレイやゴリラズ、ザ・ブラック・キーズなどを手がけ、独自のヴィンテージかつサイケデリックな質感で知られる彼との共同作業は、ノラ・ジョーンズの音楽に劇的な変化をもたらした。
これまでのピアノを中心としたオーガニックなジャズ・アプローチは影を潜め、本作を支配するのは、歪んだベースライン、浮遊感のあるシンセサイザー、そしてミニマルでスモーキーなドラム・ビートである。ノラ自身も多くの楽曲でベースやギターを弾き、ダークなポップ・センスを開花させている。デンジャー・マウスが構築したエッジの効いたモダンな音響空間と、ノラのアンニュイなハイトーン・ボイスが絶妙に融合し、独自の「オルタナティヴ・ポップ」が生み出されている。
アルバムの幕開けを飾る、静謐で幻惑的なナンバーである。朝を迎えた瞬間の虚無感と、別れの余韻を漂わせる歌詞が、深いリバーブのかかったアコースティック・ギターとシンセのレイヤーに乗せて歌われる。リスナーを瞬時にアルバムのダークな世界観へと引きずり込む、完璧なオープニング・トラックである。
軽快でキャッチーなポップ・ビートとは裏腹に、痛烈な別れのプロセスを歌った楽曲である。デンジャー・マウス節とも言えるヴィンテージ感のあるドラムと、ノラの弾むようなベースラインが印象的である。サウンドのポップさと、歌詞に滲む冷徹な感情のコントラストが、本作の持つ多面性を象徴している。
アルバムのクライマックスであり、最も衝撃的なフォーク・バラードである。浮気相手である「ミリアム」という女性に向けられた、静かな怒りと狂気を孕んだ歌詞が、淡々としたギターの爪弾きと呪術的なコーラスに乗せて歌われる。ノラの歌声はどこまでも美しく、それゆえに聴き手の胸を締め付けるような、生々しいドキュメントとして響く。
『Little Broken Hearts』は、ノラ・ジョーンズというアーティストが「癒しの歌姫」であると同時に、極めて尖った表現力を持つソングライターであることを証明した一枚である。失恋という普遍的なテーマを、デンジャー・マウスという最高の相棒と共に、ここまで深く、そして美しく昇華してみせた。
過剰な装飾を削ぎ落とし、内省的な音響美を追求した本作は、リリースから時間が経った現在でも全く色褪せることがない。アナログ・レコードの針を落とせば、そこには彼女が流した涙と、それを芸術へと変えた強固な意志が、生々しい空気感と共に立ち上る。