2026年6月19日金曜日

【名盤解説】ポール・マッカートニー『パイプス・オブ・ピース』|マイケルとの奇跡の共演と80年代ポップスへの先鋭的アプローチ

 巨星が模索した新たなポップの地平:ポール・マッカートニーの1980年代

1970年代を駆け抜けたウイングス(Wings)を解散し、再びソロ・アーティストとしての道を歩み始めたポール・マッカートニー。1980年代初頭の彼は、エレクトロ・ポップに大胆に接近した『マッカートニーII』(1980年)、そして盟友ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎え、世界的な大ヒットを記録した至高の名盤『タッグ・オブ・ウォー』(1982年)のリリースと、常に時代の先端を見据えながら創作活動を続けていた。

この充実期において、『タッグ・オブ・ウォー』と対をなす「双子のような存在」として1983年にリリースされたのが、本作『パイプス・オブ・ピース(Pipes of Peace)』である。前作のセッションで録音された珠玉のストックをベースにしながらも、より軽快で、当時の最先端のポップ・センスを散りばめた、ポールのポップ職人としての凄みが凝縮された一枚である。

パイプス・オブ・ピース(紙ジャケット仕様)
B00004SYPM


音楽的特徴:巨匠ジョージ・マーティンとの蜜月と、洗練されたエレクトロ・ポップの融合

本作の最大の音楽的特徴は、ビートルズ時代からの恩師であるジョージ・マーティンによる緻密なプロダクションと、1980年代のシンセサイザー・サウンドの見事な融合にある。前作『タッグ・オブ・ウォー』が重厚でオーケストラを多用した内省的なクラシック・ロック寄りのアプローチだったのに対し、本作は非常に風通しが良く、ダンサブルでエレクトロニックな質感が強調されている。

ポール特有の美しいアコースティックのメロディ・ラインは健在でありながら、シンセ・ベースやデジタル・ドラムの導入、そしてR&Bやファンクの要素を巧みに取り入れたアレンジが施されている。この時代ならではの時代の空気を吸い込み、瑞々しいポップスへと昇華するポールの柔軟な音楽的キャパシティが、アルバム全体を軽やかに彩っている。

主要楽曲の分析:マイケル・ジャクソンとの奇跡の化学反応と平和への祈り

1. 「Pipes of Peace」

アルバムのタイトル・トラックであり、ポールの「平和への願い」が込められた荘厳なポップ・バラードである。子供たちのコーラス・ワークと、トラディショナルなパイプ(管楽器)の音色、そしてタブラなどの民族楽器が巧みにミックスされ、国境を超えた普遍的なメロディが響き渡る。第一次世界大戦中の「クリスマスの休戦」をモチーフにしたミュージック・ビデオとともに、ポールのメロディ・メーカーとしての天賦の才が遺憾なく発揮された名曲である。

2. 「Say Say Say」

当時、世界のポップ・シーンの頂点に君臨しつつあったマイケル・ジャクソンとの世紀の共同作業によって生まれた、アルバム最大のヒット・シングルである。ポールのソウルフルなベース・ラインと、マイケルのキレのあるボーカルが火花を散らす。ファンキーなカッティング・ギターとキャッチーなシンセ・ブラスが交錯するこの楽曲は、ビルボード誌のシングルチャートで6週連続1位を獲得し、80年代ポップ・ミュージックの金字塔となった。

3. 「The Man」

「Say Say Say」と同様に、マイケル・ジャクソンとの共作・デュエットによる隠れたポップの名曲である。ダンサブルな前者に比べ、こちらはアコースティック・ギターの柔らかなアルペジオを基調とした、優しくも瑞々しいミディアム・ナンバーに仕上がっている。二人の天才が持つ極上のメロディ・センスが素直に溶け合っており、どこかノスタルジックな優しさを感じさせる好トラックである。

4. 「Keep Under Cover」

ウイングス時代のダイナミズムを彷彿とさせる、ドラマチックな展開が印象的なポップ・ロック・ナンバーである。変拍子を交えたトリッキーなピアノのフレーズから始まり、サビではジョージ・マーティンが得意とする華やかなストリングスが炸裂する。ポールのボーカルも非常にパワフルであり、彼の持つロック・アーティストとしての鋭いエッジが堪能できる楽曲である。

結論:時代を超えて響く、80年代ポールのポップス美学

ポール・マッカートニーの『パイプス・オブ・ピース』は、前作『タッグ・オブ・ウォー』の影に隠れがちなポジションにありながら、その実、80年代ポップスに対するポールなりの完璧な回答が詰まった傑作である。

マイケル・ジャクソンとの歴史的なコラボレーションに目を奪われがちであるが、アルバム全体に流れる軽やかなポップ・ネスと、ジョージ・マーティンによる職人技的な音響構築は、現代のインディー・ポップやシティ・ポップのリスナーにとっても新鮮な発見に満ちているはずである。平和への祈りとポップの魔法が奇跡的なバランスで同居したこの名盤に、ぜひ今一度耳を傾けてほしい。


2026年6月18日木曜日

【サラ・パレツキー】女性ハードボイルドの金字塔「V.I.ウォーショースキー」シリーズ徹底解説|タフで、知的で、よく食べる!シカゴの街を駆ける不屈の女性探偵

 『名探偵コナン』の灰原哀の「哀(あい)」の由来(ウォーショースキーの「I」)としても知られる、ミステリ界屈指の高潔なヒロイン、V.I.ウォーショースキー。

それまで「男の世界」とされていたハードボイルド小説の領域に、小柄な体と不屈の魂、そして抜群の知性を武器に殴り込みをかけた彼女の歩みと、その圧倒的な魅力に迫ります。


キャラクター分析:V.I.ウォーショースキーという「誇り高きタフ・クッキー」

主人公のV.I.(ヴィクトリア・ヘレン)・ウォーショースキーは、アメリカ・シカゴを拠点に活動する私立探偵。警察官だったポーランド系の父と、イタリア系の美しい母の血を引いています。

彼女の魅力は、これまでの「守られるヒロイン」としての女性像を完全に打ち破った、その圧倒的なタフネスと人間味にあります。

プロフェッショナルな経歴:


元公選弁護人という輝かしい知性を持ち、法律を武器に巨大な権力(大企業、政界、マフィア)の不正に立ち向かいます。

肉体的な強さと弱さ:


空手の黒帯を持ち、いざとなれば男相手にも拳を振るいますが、決して「無敵のスーパーウーマン」ではありません。ときには激しい暴行を受け、大怪我を負い、恐怖に震えることもあります。それでも彼女は、絶対にプロとしての闘いをやめないのです。

人間臭いプライベート:


高級なシルクのアンダーウェアを愛する一方で、部屋の掃除は大の苦手。あるいはハードな調査の後は、信じられないほど「よく食べ、よく飲む」!この等身大の生活感が、彼女を最高に魅力的なキャラクターに仕立て上げています。

「誰も私に指一本触れさせない。自分の身は自分で守る」

男社会のルールに屈せず、自分の足で冷徹なシカゴの街に立つ彼女の姿は、読者に強烈な爽快感と勇気を与えてくれます。



シリーズのここが見どころ!

1. 現代社会の「闇」を抉り出す、骨太な社会派ミステリ

パレツキーが描く事件は、単なる愛憎劇に留まりません。企業の不正経理、保険金詐欺、環境汚染、不法労働など、常に現代社会が抱えるリアルな構造悪がテーマになります。

資本主義の倫理なき巨大権力に、たった一人の探偵が知恵と足で挑むリーガル・サスペンスとしての面白さは一級品です。

2. シカゴの街と、愛すべき「擬似家族」の絆

物語の舞台であるシカゴの描写が非常にリアルで、読んでいるだけで凍てつく冬の風や、混沌とした街の熱気が伝わってきます。

また、孤独な探偵であるV.I.を支える、隣人の医師ロティ(母のような存在)や、愛犬のミッチ&ピーチ、ジャーナリストの友人たちとの「血の繋がりを超えた絆」が、冷酷な事件のなかで温かい救いとして描かれます。



どこから読む?初心者へのおすすめ3選

シリーズは長寿作品となっていますが、まずは彼女の原点と、脂の乗った傑作から触れるのがおすすめです。

『サマータイム・ブルース』(原題: Indemnity Only / 1982年)

記念すべきシリーズ第1作です。大企業の保険金詐欺に絡む殺人事件に挑みます。若きV.I.の瑞々しいタフさと、行動派探偵としての基本要素がすべて詰まった、入門に最適な一冊です。

『レイク・サイド・ストーリー』(原題: Deadlock / 1984年)

第2作にして評価を決定づけた傑作です。従兄である元アメフトスター選手の不審死を追うなかで、五大湖の水運業界の闇に切り込みます。よりソリッドで、ハードボイルド色の強い名作です。

『ブラッディ・マーダー』(原題: Blood Shot / 1988年)

シリーズ屈指のドラマチックな一作です。幼馴染の母親の過去を調べるうちに、大企業の環境汚染と、狂おしい家族の秘密へ行き着きます。エモーショナルな展開が深く胸を打ちます。


おわりに:傷だらけになっても、前を向くあなたへ

世界は不公平で、不正は蔓延し、正しい者が踏みにじられることもある。

それでも、V.I.ウォーショースキーは口紅をひき、お気に入りの靴を履き、銃と知性を携えて夜の街へ繰り出します。

傷つき、打ちのめされても、自分の誇りのために何度でも立ち上がる彼女の背中は、時代を超えて「自立して生きる人間」の美しさを教えてくれます。

もしあなたが、社会の理不尽に少し疲れてしまったなら。シカゴの不屈の女性探偵が放つ、熱い魂の物語のページをめくってみてください。


【火星シリーズ完結】さらば赤き惑星!『第4集』が描くバルスーム最後の奇跡と、幻の怪奇SF(古代帝国/巨人ジョーグ/モンスター13号)

伝説のスペースオペラ、堂々の大団円!『火星シリーズ・第4集』全体の概要

100年以上にわたり世界中のSFファンを魅了し、数々の名作に影響を与え続けてきた偉大な冒険絵巻。その伝説のフィナーレを飾るのが、創元SF文庫の『合本版・火星シリーズ〈第4集〉』です。


最終集となる本作には、火星(バルスーム)を舞台にした最後の長編『火星の古代帝国』、そして中編・短編をまとめた『火星の巨人ジョーグ(木星の骸骨人間を含む)』が収録されています。さらに、合本版だけの特別なファンサービスとして、バローズが火星シリーズと同時期に執筆したマッドサイエンス・ホラーの傑作単発作『モンスター13号』までもが併載されている贅沢なボリュームです。

もちろん、武部本一郎氏の描く伝説的なカバーアートと挿絵が、最終巻の物語をこれ以上ないほど美しく、ドラマチックに彩ります。野田昌宏氏による火星地図やバローズ小伝といった解説陣も充実。ジョン・カーターたちの旅路の果てと、巨匠が遺したイマジネーションの総決算を、1作ずつ紐解いていきましょう。


第10作:『火星の古代帝国』~時をかける孫娘と黒色人帝国の罠~

【あらすじ】

ジョン・カーターの愛娘ターラの血を引き、類まれな美貌と勝気な性格を持つ孫娘、ラナ・オブ・ガソール。彼女は謎の暴漢たちに拉致され、火星の過酷な辺境へと連れ去られてしまう。

孫娘の危機を察知した大元帥ジョン・カーターは、再び愛剣を手に取り、バルスームの未踏の地へと愛機を駆る。彼が迷い込んだのは、何万年も前に滅び去ったはずの古代火星の文明を色濃く残す、狂気と忘却の帝国だった。強大な黒色人たちの陰謀を打ち破り、カーターは再び一族の絆と火星の平和を取り戻すことができるのか!


第11作:『火星の巨人ジョーグ』~130メートルの脅威と、木星からの不気味な影~

【あらすじ】

本作は、バローズの遺稿や別名義作品を含む、バルスームの「その後」を描いた中・短編集。

表題作『火星の巨人ジョーグ』では、狂科学者が造り出した身長130メートルを超える粘土の超巨大怪獣「ジョーグ」がヘリウム帝国を襲撃!カーターは愛するデジャー・ソリスを救うため、前代未聞の巨大生物に立ち向かう。

さらに、続く『木星の骸骨人間』では、舞台は火星をも飛び出し、なんと巨大惑星・木星へ!不気味な「骸骨人間」たちに囚われたカーターが、未知の重力と生態系が支配する木星で繰り広げる、シリーズ最終作にふさわしい奇想天外なサバイバルが描かれる。


特別併載:『モンスター13号』~火星の系譜を継ぐ、狂気の人造人間ホラー~

【あらすじ】

太平洋に浮かぶ孤島。そこでは、狂気の天才科学者フォン・ホルン教授が、生命をゼロから培養する禁断の実験を繰り返していた。これまでに造り出された12体の「人造人間」たちは、どれも醜悪で知性のない失敗作ばかり。しかし、13番目に生み出された「モンスター13号」は、完璧な肉体と恐るべき戦闘能力、そして美しい心を持っていた。

島に漂着した美しい令嬢を巡り、教授の野心と、暴走する実験体たちの反乱が巻き起こる。バローズが『火星の交換頭脳』や『火星の合成人間』に先駆けて描いた、怪奇とロマンが融合した傑作SFホラー!


ここが面白い!第4集の圧倒的な見どころ

1. ジョン・カーターが魅せる「最強の祖父」としての意地

初期3部作で無敵の英雄として君臨したジョン・カーター。第4集の『古代帝国』では、なんと「孫娘を救うために戦うおじいちゃん」として大活躍します。どれだけ世代が移り変わろうとも、デジャー・ソリスを愛し、家族のために剣を振るう彼の強さと気高さは衰えるどころか、ベテランの凄みを増して読者の胸を熱くさせます。

2. 火星から木星へ!限界突破のコズミック・スケール

第11作の『木星の骸骨人間』は、バローズが文字通り「宇宙(コズミック)」へイマジネーションを解き放った怪作です。火星とは全く異なる過酷な環境の木星、そしてそこに住む異形の住人たちとの攻防は、もしバローズがもっと長く書き続けていたら……という、さらなる壮大なSF世界の広がりを予感させてくれます。

3. 『モンスター13号』に見るバローズの「もう一つの原点」

ファン必見の併載作『モンスター13号』は、火星シリーズの「合成人間」のプロトタイプとも言える作品です。ジャングルでのサバイバル(ターザン映画の源流)と、マッドサイエンス(火星シリーズの超科学)が見事に融合しており、バローズという作家の持つ引き出しの多さと、怪奇ロマンへの深い愛を再発見できます。


総評:100年の時を超えて語り継がれる、冒険SFの記念碑

初期3部作の爽快なチャンバラから始まり、第2集・第3集の次世代への血統と超科学の爆発を経て、ついに幕を閉じた火星シリーズ。『合本版・火星シリーズ〈第4集〉』は、まさにバルスームというひとつの宇宙が完成を迎えた瞬間を見届けられる、記念碑的な一冊です。

バローズが描いた「赤く乾燥した、しかしどこまでもエキゾチックで情熱的な火星」は、現在のリアルな宇宙探査によって明かされた火星の姿とは異なります。しかし、だからこそ、この100年前の人間が夢見た「何でもありのワンダーランド」は、今なお私たちの乾いた想像力を極彩色に染め上げてくれるのです。

大元帥ジョン・カーターの最後の勇姿、そして巨匠バローズが遺した奇想の数々を、ぜひその目で確かめてみてください。バルスームの風は、本を閉じた後も、あなたの心の中で永遠に吹き続けるはずです!


【名盤解説】オザーク・マウンテン・デアデビルズ『イット・シャイン』|南部の風が育んだカントリー・ロックの隠れた最高峰

独自のユートピアを鳴らした多人数編成バンド:オザーク・マウンテン・デアデビルズの軌跡

1970年代前半のアメリカン・ロック・シーンにおいて、ウェストコーストの洗練とは一線を画す、極めてアーシーでレイドバックした空気感を体現したバンドがオザーク・マウンテン・デアデビルズ(The Ozark Mountain Daredevils)である。

彼らはミズーリ州スプリングフィールドで結成され、マウンテン・スピリット(山岳信仰や伝統的な南部気質)を背景に、カントリー、ブルーグラス、ロック、ポップスを奇跡的なバランスで融合させた。

特定の固定されたリード・ボーカルを置かず、メンバーの誰もが曲を書き、歌い、多彩な楽器を操るという運命共同体的なスタイルが彼らの最大の強みである。1973年のデビュー作から「If You Wanna Get To Heaven」などのヒットを飛ばし、一躍注目を集めた彼らは、商業主義的な喧騒から距離を置きながら、自らのルーツに根ざした音楽を構築し続けた。

音楽的特徴:大自然のなかで一発録りされた、オーガニックな響き

1974年にリリースされたセカンド・アルバム『イット・シャイン(It’ll Shine When It Shines)』は、彼らの最高傑作の呼び声高い名盤である。本作の最大の音楽的特徴は、その驚くべきレコーディング環境と、そこから生まれた圧倒的な生々しさにある。


名プロデューサーであるグリン・ジョンズとデヴィッド・アンダーレは、彼らをスタジオに閉じ込めるのではなく、ミズーリ州の荒野にあるプレハブ小屋に機材を持ち込み、文字通り大自然のただ中でモバイル・レコーディングを敢行した。

洗練されたエコーや過剰なオーバーダブを排除し、風の音すら吸い込みそうなアコースティックの響き、歪みのない素朴なハーモニー、そしてアコーディオンやハーモニカといった伝統楽器の温かみがそのまま記録されている。前作の泥臭さを残しつつも、より内省的で深いレイドバック感を湛えたサウンドは、イーグルスやポコといった西海岸のバンドとは異なる、泥臭くも美しい「本物の南部」を想起させる。

主要楽曲の分析:全米1位の快挙と、息をのむアコースティックの美学



1. 「Jackie Blue」

アルバムの顔であり、全米シングルチャートで1位(キャッシュボックス誌/ビルボード誌では2位)を記録したバンド最大のヒット曲である。ラリー・リーのみずみずしいドラムと気怠くも甘いボーカルが印象的なこの楽曲は、アルバム全体の泥臭いトーンのなかで、奇跡的なポップ・サイドを担っている。柔らかなメロディと洗練されたコーラス・ワークは、のちのAORやソフト・ロックのリスナーをも虜にする普遍的な魅力を放っている。

2. 「You Made It Right」

ジョン・ディロンのペンによる、アルバムの幕開けを飾る極上のカントリー・バラードである。アコースティック・ギターの爪弾きと、叙情的なハーモニカの音色が重なり合った瞬間、リスナーの目の前にはミズーリの広大な平原が広がる。飾り気のない素朴なボーカルと、メンバー全員で紡ぎ出す美しいハーモニーが、彼らの音楽的誠実さを何よりも雄弁に物語っている。

3. 「Look Away」

バンドのマルチプレイヤーであるマイケル・"スーズ"・グリandaが手掛けた、極めてレイドバックしたルーツ・ロック・ナンバーである。抑制の効いたリズム・セクションのうえを、小気味よいアコースティック楽器のアンサンブルが転がるように進んでいく。派手なソロ回しはなくとも、プレイヤー同士の濃密な呼吸が生み出すグルーヴは、このモバイル・レコーディングならではの奇跡的な産物と言える。

4. 「It'll Shine When It Shines」

アルバムのタイトル・トラックであり、インストゥルメンタルを主体とした、まさに「山の男たちの宴」をそのまま切り取ったかのような楽曲である。フィドルやバンジョーの素朴な音色が絡み合い、タイトル通り「いつかは陽が昇るさ」という楽観的で温かな人生観が音楽そのものから溢れ出ている。スタジオの壁を壊し、音楽を生活の場に取り戻した彼らのアプローチが結実した瞬間である。

結論:すべてのルーツ・ロックファンが帰郷すべき、タイムレスな桃源郷

オザーク・マウンテン・デアデビルズの『イット・シャイン』は、商業的なポップ・ミュージックへのアンチテーゼでありながら、結果として極上のポップ・ネスを宿すことになった奇跡の一枚である。

1970年代のアコースティック・サウンドの極致とも言えるこのオーガニックな響きは、サザン・ロックやカントリー・ロックのファンのみならず、現代のインディー・フォークやアメリカーナを愛するリスナーの耳にも、時代を超えて優しく響くはずである。名匠グリン・ジョンズが捉えた、空気が震えるような奇跡のアンサンブルに、ぜひ耳を傾けてほしい。


2026年6月17日水曜日

【ジャケ買いレコード】渡辺美里『eyes』が告げた新時代の到来と、傑作『Lovin' you』への軌跡

大学一年生の時、街のレンタルレコード店で一枚のアルバムに出会った。 アーティスト名は「渡辺美里」。当時の私にはまったく未知の存在であり、それが彼女のデビューアルバムだということすら知らなかった。

しかし、LPジャケットに写る彼女の眼差し、そしてアルバムに冠された『eyes』というタイトルを見た瞬間、直感的に悟った。 「このアルバムは、聴く前から良いに決まっている」 そう確信させるだけの、圧倒的な「顔」をしていたのだ。


予想を遥かに超えた「時代を画す」歌唱力

期待を胸に針を落としてみると、そこに広がっていたのは予想を遥かに超える衝撃だった。瑞々しくも力強い、まさに「時代を画す」歌唱がスピーカーから溢れ出してきたのである。

当時は白井貴子が切り開いた女性ロックシンガーの系譜が注目を集めていた時代。しかし、渡辺美里の登場はそれまでの枠組みを完全に飛び越えていた。「可愛い」や「歌が上手い」といった従来のアイドル・歌手評では収まりきらない、新しい時代の「スタイル」そのものがそこにはあった。

1985年5月にシングル『I'm Free』でデビューした彼女は、まだ10代。にもかかわらず、その圧倒的な声量と表現力は一躍音楽シーンの注目を集めることになる。

岡村靖幸の早すぎる才能を封じ込めた名盤『eyes』

1985年10月にリリースされたデビューアルバム『eyes』の凄みは、彼女の歌唱力だけではない。特筆すべきは、参加したソングライター陣の豪華さと、その先見性だ。

特に、当時まだデビュー前だった岡村靖幸が作曲を手掛けた楽曲(『Out of Blue』のプロトタイプとも言えるエッセンスなど)には目を見張るものがある。彼の早すぎる時代感覚やファンキーなポップセンスが、渡辺美里という卓越したシンガーのフィルターを通すことで、極上のポップソングとして見事に封じ込められている。

ほかにも大江千里や木根尚登らが楽曲を提供しており、若き才能たちが火花を散らすような熱量がこの一枚に凝縮されている。まさに、1980年代後半のJ-POPの夜明けを告げる傑作と呼ぶにふさわしい。

eyes -30th Anniversary Edition- - 渡辺 美里
B016E20408

2ndアルバム『Lovin' You』で小室哲哉と共につかんだ王座

しかし、驚くのはまだ早かった。デビュー盤『eyes』の衝撃からわずか翌年(1986年)、彼女はセカンドアルバムにして2枚組の大作『Lovin' You』を発表する。

このアルバムで渡辺美里は、後に日本の音楽シーンを席巻する小室哲哉の才能を完全に覚醒させ、巻き込んでいく。先行シングルとして大ヒットを記録していた『My Revolution』は、彼女の代表曲となっただけでなく、80年代のユースカルチャーを象徴するアンセムとなった。

  • 10代ソロアーティスト初の2枚組オリジナルアルバム

  • オリコンチャート1位獲得

デビューからわずか1年足らずで、彼女はマイナーな存在から、堂々と日本のポップス界の王道を歩むトップランナーへと駆け上がったのだ。

Lovin' you -30th Anniversary Edition-
B01M1HSI43

変化の時代に、あのジャケットに出会えた幸運

振り返れば、あのレンタルレコード店で『eyes』のジャケットを直感的に手に取った瞬間から、すべては始まっていた。

1980年代半ばという音楽の変革期に、リアルタイムで彼女の歌声に出会い、その後の『Lovin' You』に続く熱狂を体感できたことは、音楽ファンとしてこの上ない幸運であった。デジタル配信で手軽に音楽が聴ける現代だからこそ、あの時代に放たれたアナログレコードの放つ輝きと、彼女の「眼差し(eyes)」のインパクトを、今一度噛み締めたい。

【ジャケ買い日誌】纐纈歩美『Brooklyn Purple』〜美しきアートワークと、サックスに宿るコルトレーンの魂〜

日常のふとした瞬間に、ジャズのレコードを「ジャケ買い」したくなる。今回私のアンテナに引っかかったのは、日本のサックス奏者、纐纈(こうけつ)歩美のアルバム『ブルックリン・パープル Brooklyn Purple [Analog]』(THINK! RECORDS)だ。
今回は、この素晴らしいジャケットの魅力と、そこに針を落とした先に待っていた極上の音楽体験について綴りたい。

一目惚れしたパープルの世界観。これぞアートワークの勝利


メディアで見かける纐纈歩美というアーティストは、どちらかといえば地味で純朴な佇まいの印象が強い。しかし、このレコードを手にした瞬間、そのイメージは鮮やかに覆された。



紫を基調とした、モダンで洗練された非常に美しいジャケット。正直なところ、昔のオリジナル盤に比べて現代のレコードはジャケットの印刷クオリティが格段に向上している。この色彩の美しさとデザインの完成度は、まさにアートワークの勝利であり、所有欲をこれ以上ないほどに満たしてくれる。



ジャケットの先にある、古き良きモダンジャズの調べ

針を落とすと、ジャケットの洗練されたビジュアルとは裏腹に、どこか懐かしく骨太なジャズの音が部屋に広がる。
彼女のサックスは、往年のジャズメンを彷彿とさせる少し揺らいだビブラートを持っており、リズムに対してわずかに遅れ気味の隙を見せる。吹き姿こそ生真面目そのものだが、偉大な先輩たちが築いてきたジャズの「遊び」や「揺らぎ」を、一生懸命に、そして忠実に再現しようとしている意思が伝わってくる。



散りばめられた、ジョン・コルトレーンへのオマージュ


本作を語る上で外せないのが、モダンジャズの巨人ジョン・コルトレーン(John Coltrane)への強いリスペクトだ。アルバムの中盤、この繋がりが明確になる素晴らしい流れが存在する。

まずは、ケニー・バレルとコルトレーンの共演盤のオープニングを飾る「Freight Trane」のカバー。
原曲よりもあえて短く切り詰められたアレンジは、まるで「ここからコルトレーンを吹きます」という彼女なりの真摯な挨拶のようだ。

そして、この曲をイントロ代わりに、いよいよ本命のメロディへと美しく流れ込む。
コルトレーンの代名詞とも言える名盤『Ballads』に収録されている隠れた小品、「It's Easy To Remember」だ。
原曲ではどこか箸休め的な位置づけにも感じられるこの曲を、纐纈は本作の「A面ラスト」という極めて重要なポジションに配置。尺を拡大し、たっぷりと感情を乗せたエモーショナルなサックスでメロディを紡ぎ切る。これは文句なしの名演だ。

総評:ジャケ買いから始まる、モダンジャズの幸福な継承


音質重視のカッティングのため、外周部のカットがきつく針を落とすのには少し気合がいる。しかし、うまく針が溝に滑り込んだ瞬間、私たちは長い歴史を持つモダンジャズの正統なる末裔のサウンドに身を委ねることになる。
美しいジャケットに惹かれて手にした一枚だったが、その中に吹き込まれていたのは、コルトレーン・マナーを磨き上げ、自身の音楽を深化させようとする一人のサックス奏者の熱い意志だった。
これだから、ジャケ買いはやめられない。

【火星シリーズ徹底解説】超科学の嵐がバルスームを襲う|イマジネーションが極限に達した『第3集』の驚異(秘密兵器/透明人間/合成人間)

 超科学のアイデアが爆発!『火星シリーズ・第3集』全体の概要

初期3部作の王道冒険、第2集の次世代への血統と奇想を経て、赤き惑星「バルスーム」の物語はいよいよ佳境へと突入します!『合本版・火星シリーズ〈第3集〉』に収録されている3作品は、これまでの「剣と肉体による格闘」から一歩進み、異想天外な「超科学・ガジェット」が物語の主軸として大活躍する、シリーズ屈指のダイナミックな展開が魅力です。

創元SF文庫のページを飾る武部本一郎氏の美麗な挿絵は本作でも健在。おなじみの壮絶なチャンバラ劇に、SFマインドを刺激する狂気の科学技術が融合し、ページをめくる手が止まらなくなる極上のスペースオペラが展開されます。

異国の軍人が手にする未知の兵器、姿を消すテクノロジー、そして禁忌の生命創造――。巨匠エドガー・ライス・バローズの想像力が限界を突破した、中・後期の傑作3作品を網羅していきましょう。

火星の秘密兵器 (創元SF文庫 ハ 3-41 合本版・火星シリーズ 第 3集)
4488601413


第7作:『火星の秘密兵器』~不可視の翼と絶望の光線~

【あらすじ】

ヘリウム帝国の若き青年軍人タナ・ハドロンは、密かに想いを寄せていた傲慢な美女サンコーマが何者かに誘拐されたことを知る。彼女を救うため、愛機を駆ってバルスームの未踏の地へと飛び立った彼は、恐怖の「金属分解光線」を操り火星全土の征服を企てる狂気の帝国ジャハールへと行き着く。

敵の圧倒的な科学力を前に、タナ・ハドロンは天才科学者が開発した「自らの姿を完全に消すことができる不可視の飛行艇」を手に入れ、たった一人で巨大な陰謀に立ち向かう!


第8作:『火星の透明人間』~暗殺者ギルドの闇と月への飛翔~

【あらすじ】

バルスームの大元帥ジョン・カーターの前に、火星の治安を脅かす最凶の組織「暗殺者ギルド」が立ちはだかる。誘拐された愛妻デジャー・ソリスを奪還するため、カーターは変装して敵の拠点へと単身潜入を試みる。

そこで彼を待ち受けていたのは、精神を集中させることで自らの肉体を他人の目から見えなくする「透明人間」たちの奇妙な術策だった。新開発された最先端の宇宙船に乗り込んだカーターは、ついに人知を超えた火星の衛星(月)へと舞台を移し、宇宙規模の死闘を繰り広げる!


第9作:『火星の合成人間』~生命の禁忌を侵す狂気の人造人間~

【あらすじ】

かつて『火星の交換頭脳』でその狂気を見せた天才外科医ラサーム・ケン。彼の弟子を自称する新たな狂科学者が、生体組織を培養して生命をゼロから造り出す禁断の技術を完成させていた。

しかし、その実験室から生まれた醜悪にして強靭な「人造人間(合成人間)」たちが反乱を起こし、独自の独立王国を樹立してしまう。この怪奇極まる事態に巻き込まれた新たな英雄と、かつてないバルスームの危機。肉体と生命の神秘を冒涜する異形の軍団との、おぞましくも熱い戦いが幕を開ける。


ここが面白い!第3集の圧倒的な見どころ

1. 現代SFの源流を見る「超科学ガジェット」の数々

第3集最大の魅力は、バローズのパルプSFとしての本領が発揮されたガジェットの数々です。触れた金属を瞬時に塵に換える「金属分解光線」の脅威、男のロマンを体現した「透明になる飛行艇」、そして現代のクローン技術やバイオホラーを先取りしたような「合成人間」の描写など、現代のSFやアニメ、ゲームに多大な影響を与えたアイデアの引き出しに圧倒されます。

2. 舞台はついに宇宙へ!スケールアップする冒険の舞台

これまで赤き惑星の砂漠や死の海、地下世界を巡ってきた冒険は、第8作『火星の透明人間』でついに火星を飛び出し、その衛星(月)へと到達します。スペースオペラとしてのスケール感が一気に拡大し、未知の天体でのエキゾチックなサバイバルが読者のイマジネーションを激しく刺激します。

3. 「剣戟」と「ホラー・サスペンス」の奇跡的な融合

バローズのお家芸である、名誉と美女のために命をかける熱いソード・アクションはそのままに、第3集では「姿の見えない敵との心理戦」や「不気味な人造人間の怪奇」といったホラー・サスペンス要素が色濃く絡み合います。一筋縄ではいかないピンチの連続に、ハラハラドキドキが止まりません。


総評:スペースオペラの限界を押し広げた、贅沢すぎる三本立て

偉大な英雄ジョン・カーターの活躍はもちろん、彼に憧れる若き戦士たちの視点を通して描かれるバルスームは、回を追うごとにその奥深さを増していきます。

『合本版・火星シリーズ〈第3集〉』に詰め込まれた「透明化」「光線兵器」「人造人間」というモチーフは、まさに100年後の私たちが読んでも色褪せないロマンの塊。バローズの筆力は、異世界のルールをただ説明するのではなく、血湧き肉躍る活劇の中にそれらを最高の調味料として組み込む天才的な冴えを見せています。

異星の空を翔ける不可視の翼、月面での決闘、そして生命の禁忌。スペースオペラの歴史にその名を刻む、最も贅沢で最もスリリングな興奮をぜひ体験してください!


【P.D.ジェイムズ】『女には向かない職業』徹底解説|灰原哀の由来にもなった聖女、コーデリア・グレイが歩む不屈の探偵道

はじめに:「女には向かない職業」へようこそ

「優しすぎる人間は、探偵には向かない」

ミステリの世界には数多くの名探偵が存在しますが、これほどまでに健気で、知的で、そして孤独な痛みを抱えたヒロインがほかにいるでしょうか。

今回ご紹介するのは、イギリスミステリ界の女王、P.D.ジェイムズが1972年に発表した珠玉の名作『女には向かない職業』(原題:An Unsuitable Job for a Woman)です。

本作は、後に続く「女性探偵モノ」の金字塔として今なお燦然と輝く傑作。タイトルの持つ皮肉と、それに抗うようにして自らの足で立つヒロインの姿は、現代の私たちの胸を激しく揺さぶります。 

女には向かない職業 (ハヤカワ・ミステリ文庫 129-1)
4150766010


キャラクター分析:コーデリア・グレイという「ひたむきな魂」とその生い立ち


本作の主人公は、わずか22歳の若き女性探偵コーデリア・グレイ。
彼女の魅力は、いわゆる「スーパーヒーロー」的な万能さではなく、どこまでもリアルでひたむきな人間味にあります。その強さの背景には、彼女の複雑な生い立ちが深く関係しています。
放浪癖のある革命家の父を持ち、幼少期はまともな家庭の温もりを知らずに育ったコーデリア。里親を転々とし、修道院の学校で教育を受けた彼女は、孤独に対して並外れた耐性を持っています。
そんな彼女が巡り合ったのが、うだつの上がらない中年探偵バーニィ・プライドでした。彼の助手として雇われたことで、コーデリアは初めて「自分の居場所」を見出します。
しかし、物語は、そのバーニィが自ら命を絶ち、彼女に「一丁の拳銃(38口径のオートマチック)」と「傾きかけた探偵事務所」を遺すところから始まります。周囲から「女には向かない職業だ」と冷ややかな目を向けられながらも、彼女はバーニィの誇りを受け継ぎ、たった一人で事務所を維持することを決意するのです。

コラム:『名探偵コナン』灰原哀のルーツを探る


実は日本の国民的ミステリ漫画『名探偵コナン』に登場する人気キャラクター、**灰原哀(本名:宮野志保)**の名前の由来の一端が、このコーデリア・グレイにあることをご存じでしょうか。
作者の青山剛昌氏により、彼女の「灰(グレイ)」はまさに本作の「コーデリア・グレイ」から(そして「哀」はサラ・パレツキーの描く女性探偵V.I.ウォーショースキーの「I」から)取られたと明かされています。
孤独を抱えながらも、高い知性と不屈の精神で過酷な運命に立ち向かう灰原哀の凛とした佇まいは、確かにコーデリアの遺伝子を色濃く受け継いでいると言えます。

『女には向かない職業』あらすじ


共同経営者の自殺という最悪の状況のなか、コーデリアのもとに初めての「大きな依頼」が舞い込みます。
依頼主は、著名な一流学者であるロナウド・カレンダー。内容は、ケンブリッジ大学を中退し、不可解な首吊り自殺を遂げた不肖の息子、マーク・カレンダーの死の真相を調査してほしいというものでした。
マークが命を絶ったとされる古びた小屋へと向かったコーデリア。現場に残された不自然な痕跡、そして生前の彼を知る友人たちの奇妙な態度から、彼女は直感します。「これは自殺ではない」と。
特権階級の冷酷な人間関係と、歴史ある学園都市の暗部に、たった一人で切り込んでいくコーデリア。しかし、真相に近づくにつれ、彼女の身にも容赦のない悪意の罠が襲いかかります。

ここが見どころ!『女には向かない職業』の深層


1. ダルグリッシュ警視シリーズとの「美しい交錯」


P.D.ジェイムズといえば、詩人でもある名刑事「アダム・ダルグリッシュ警視」シリーズが有名です。実は本作、その「ダルグリッシュ・シリーズの番外編」としての側面を持っています。
亡くなったバーニィ・プライドは、かつてスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)でダルグリッシュの部下だった男。コーデリアはバーニィから「ダルグリッシュ警視の捜査哲学」を叩き込まれており、作中でも彼の教えを羅針盤にして捜査を進めます。
そして終盤、ある運命的な形でコーデリアとダルグリッシュ警視は対峙することになります。この二人の間で交わされるスリリングかつ緊迫した心理戦、そして最後に残る「ある余韻」は、ミステリ史に残る名シーンです。

2. 残酷なまでの心理描写と、英国情緒のコントラスト


P.D.ジェイムズの筆致は、どこまでも緻密で容赦がありません。ケンブリッジの美しい風景やイギリスの伝統的な生活様式の描写の裏側で、人間の醜いエゴや階級社会の冷徹さがこれでもかと暴かれていきます。
その張り詰めた空気の中で、コーデリアが恐怖に震えながらも、バーニィの教えを胸に「プロフェッショナル」として振る舞おうとする姿が、健気で、だからこそ圧倒的に美しいのです。

おわりに:彼女は今日も、38口径の銃をバッグに忍ばせて


世界は不条理で、男たちの社会は排他的で、真実はいつもビターな味わいを残します。
それでも、すべての調査を終えたとき、コーデリア・グレイはひとまわり大きな人間へと成長しています。
『女には向かない職業』は、単なる犯人探しの謎解きに留まらない、一人の若き女性の「自立と目覚め」を鮮烈に描いた、時代を超える青春サスペンスの傑作です。
もしあなたが、傷つきながらも前を向く人間の強さに触れたいなら、ぜひコーデリアの叩く探偵事務所のドアの音に、耳を澄ませてみてください。

オーティス・レディングの再来と称された男。フランキー・ミラー & アラン・トゥーサンの「知られざる最高傑作」

はじめに:プロデューサー、アラン・トゥーサンが放つ「涼し気なファンクネス」


アラン・トゥーサンといえば、パフォーマーとしてよりも敏腕プロデューサーとしての実績が名高い存在です。しかし、彼本人名義のアルバムにも『サザン・ナイツ』という不朽の名盤が存在します。
このアルバムで聴けるのは、実になんとも涼し気なファンクネス。リズムの根底にあるのは、間違いなくニューオーリンズ土着のセカンド・ライン・シンコペーション(独自のハネるようなリズム)です。それにもかかわらず、どこにも暑苦しさを感じさせません。濃密なオリジナリティーを湛えたサウンドに、少し線の細いクールで知的な歌声が乗る――そのバランスが絶妙なのです。
近年ではNonesuchレーベルからインスト中心のジャズアルバム『Bright Mississippi』もリリースしていますが、こちらも録音・演奏ともに最高峰。ジャズという枠組みでありながら「ジャズ臭さ」を感じさせないあたりに、実にトゥーサンらしい洗練されたセンスが光っています。

サザン・ナイツ
サザン・ナイツ
posted with amazlet at 14.05.29
アラン・トゥーサン
Warner Music Japan =music= (2008-05-28)
売り上げランキング: 20,253


Bright Mississippi
Bright Mississippi
posted with amazlet at 14.05.29
Allen Toussaint
Nonesuch (2009-04-21)
売り上げランキング: 53,122

音楽界に広がるトゥーサンの偉大な足跡とコネクション


CD棚を改めて眺めてみると、このアラン・トゥーサンのコネクションから生まれた素晴らしい音楽がいかに多いかに驚かされます。
たとえば、ハリケーン・カトリーナのチャリティー・アルバムとして制作された、エルヴィス・コステロとの連名作『ザ・リヴァー・イン・リヴァース』。当時、トゥーサンのスタジオも被災して全壊するという苦境のなかにありましたが、アルバムからは彼のご機嫌で元気な歌声が聴こえてきて、多くのファンを安心させ、喜ばせました。また、日本からは中島美嘉さんがカトリーナ復興チャリティとしてリリースした『All Hands Together』に、彼が参加していたことも記憶に新しいところです。

ザ・リヴァー・イン・リヴァース(初回生産限定盤)(DVD付)
エルヴィス・コステロ&アラン・トゥーサン
ユニバーサル ミュージック クラシック (2006-05-27)
売り上げランキング: 150,512


出色の一枚:フランキー・ミラー『Frankie Miller's High Life』


そんな数あるトゥーサン関連作のなかでも、彼が「プロデューサー」として最高の仕事を果たした一枚として真っ先に挙げたいのが、フランキー・ミラーの『High Life』です。
本作に収録されている楽曲の約半数は、トゥーサン自身のソロアルバムからのナンバー。天才マエストロ自らが厳選しただけあって、どれも一級品の名曲ばかりです。トゥーサンは全曲のアレンジを手掛け、ピアノも自ら演奏するという八面六臂の活躍を見せていますが、それ以上に凄いのがフロントに立つフランキー・ミラーの「歌」そのものです。
かつて“オーティス・レディングの再来”とまで称されたミラーのソウルフルな歌声が、トゥーサンの紡ぐ濃密なニューオーリンズ・サウンドと融合しているのですから、これが悪くなるはずがありません。奇妙なほどに知名度は低いものの、間違いなく「名盤中の名盤」と言えるクオリティを誇っています。

Frankie Miller's High Life
Frankie Miller's High Life
posted with amazlet at 14.05.29
Frankie Miller
Repertoire (2007-10-31)
売り上げランキング: 411,663

総論:時代に埋もれさせてはならない「文化遺産」


これほどの傑作でありながら、世間一般での知名度の低さゆえに、本作は長らく廃盤の憂き目に遭ってきました。2007年に再発された際も、熱心なリスナーの間であっという間に完売してしまったほどです。
「どのレーベルからリリースされたか」という大人の事情や流通の都合だけで、このような素晴らしい音楽という名の“文化遺産”が手に入りにくくなってしまうのは、音楽ファンとしては本当に納得がいかないものです。
サブスクリプションや再発の波のなかで、こうした「知る人ぞ知る名盤」に再び光が当たり、一人でも多くのリスナーの耳に届くことを願ってやみません。もしどこかで見かける機会があれば、それは間違いなく「買い」の一手です。

【名盤解説】オーティス・レディング『ペイン・イン・マイ・ハート』|魂を揺さぶるサザン・ソウルの原点、伝説はここから始まった

 孤高の天才シンガー:オーティス・レディングが遺した偉大なる足跡

1960年代の音楽シーンにおいて、ソウル・ミュージックの本質を体現し、後世のロックやR&Bに計り知れない影響を与えた巨人がオーティス・レディングである。アメリカ南部ジョージア州出身の彼は、教会でのゴスペル体験をベースに、搾り出すようなエモーショナルな歌声と圧倒的なダイナミズムを確立した。

1967年、人気絶頂の中で飛行機事故により26歳という若さで急逝。その直後に発表された「(Sittin' On) The Dock of the Bay」が全米1位を獲得するという悲劇的なドラマも含め、彼は今なお「キング・オブ・ソウル」として音楽史に君臨し続けている。彼の歌唱スタイルは、単に音符をなぞるのではなく、感情のすべてを言葉に叩きつけるような情熱に満ちており、聴き手の魂を激しく揺さぶる。

音楽的特徴:スタックス・サウンドの産声を記録した、アーシーで熱いデビュー作

1964年にリリースされた本作『ペイン・イン・マイ・ハート(Pain In My Heart)』は、オーティス・レディングの記念すべきファースト・アルバムである。本作の最大の音楽的特徴は、南部ソウルの聖地であるメンフィスの「スタックス/ヴォルト・レコード」が誇る、極めてタイトでアーシーなバンド・サウンドとの融合にある。

Pain in My Heart
B000002IH3


バックを固めるのは、ブッカー・T&ザ・MG'sやマーキーズといった伝説的なミュージシャンたち。洗練されたモータウン・サウンドとは対照的に、歪んだホーン・セクションの泥臭い響き、うねるようなベースライン、そして無駄を削ぎ落としたシンプルなドラムが、オーティスのロゥ(生々しい)なボーカルを最大限に引き立てている。リトル・リチャードやサム・クックといった偉大な先人からの影響を濃密に感じさせながらも、すでにオーティスにしか出せない「サザン・ソウルの熱量」がアルバム全体から溢れ出ている。

主要楽曲の分析:激情のバラードと瑞々しいR&Bの躍動

1. 「Pain In My Heart」

アルバムのタイトル・トラックであり、オーティスのバラード・シンガーとしての才能を世に知らしめた初期の名曲である。アラン・トゥーサンが書いた楽曲をベースにしており、哀愁を帯びたホーンのイントロから、じわじわと感情を高ぶらせていくオーティスのボーカルが圧巻である。失恋の痛みを文字通り「体現」するようなソウルフルなシャウトは、聴き手の胸を締め付ける。

2. 「These Arms of Mine」

オーティスがスタックス・レコードと契約するきっかけとなった、バンドの運命を決定づけた歴史的なスロー・バラードである。彼自身の手によって書かれたこの楽曲は、極めてシンプルな伴奏の中で、オーティスの歌声が持つ「切実さ」と「包容力」が際立つ。言葉の一つひとつに魂を込めるような歌唱は、ゴスペルに根ざした彼ならではの表現力の極致と言える。

3. 「Security」

アルバムに躍動感をもたらす、アップテンポでキャッチーなR&Bナンバーである。のちに多くのロック・アーティストにもカバーされることになる本作は、ジョン・ホールらのツイン・ギターのカッティングにも通じるような、小気味よいドライヴ感を持ったホーン・セクションとリズムのリフレインが心地よい。オーティスのリズミカルで歯切れの良いボーカルが、バンドと見事な一体感を見せる名演である。

4. 「Hey Hey Baby」

オーティス自身のペンによる、ルーツ・ロックンロールの熱気を含んだエネルギッシュなトラックである。リトル・リチャード直系の激しいシャウトとテンポの良いビートが絡み合い、当時のライブ・ステージの熱狂をそのままスタジオに封じ込めたかのような生々しさがある。バラードだけではない、彼のシンガーとしてのダイナミックなレンジの広さを証明している。

結論:すべてのロック・ソウルファンが通るべき、不滅の記念碑

オーティス・レディングの『ペイン・イン・マイ・ハート』は、のちに世界を震撼させることになる偉大なソウル・シンガーが、その産声をあげた瞬間を捉えた貴重なマスターピースである。

荒削りながらも圧倒的な熱量を持つボーカルと、メンフィス・ソウルのタイトなアンサンブル。この豊潤なルーツ・ミュージックの洗礼は、ソウル・ファンのみならず、1970年代のアメリカン・ロックやAORを愛するリスナーの耳にも、時代を超えて深く響くはずである。魂の叫びに身を委ねる至福の音楽体験を、ぜひ今一度体感してほしい。


2026年6月16日火曜日

マリリンの輝きと、全盛期ベティ・デイヴィスの圧倒的な憑依演技!名画『イヴの総て』の真髄

現代アメリカSFの女王、コニー・ウィリス。

彼女の特集が組まれた『SFマガジン』2013年7月号に掲載された短編「エミリーの総て」が面白いと友人から聞いたのが、すべての始まりでした。

「でも『エミリーの総て』は、名画『イヴの総て』という映画を下敷きにしているから、できれば映画を観てから読んだほうがいいよ」

そうアドバイスをもらったものの、その映画を観るまでに、まずは一苦労することになります。

名作を求めて:ワンコイン版へのこだわりと、我が善き友


まずは近所のTSUTAYAに駆け込みましたが、結果は「お取り扱いありません」。
ならば名画だし買ってしまおうと調べるも、現在流通しているのはワンコイン(500円)の簡易版ばかり。
私はあのワンコイン版で映画を観ると、作品そのものがみすぼらしく思えてしまう質(たち)なのです。
すでに生産を終えた「スタジオ・クラシックス版」の在庫を求めてタワーレコードまで出かけましたが、そこにも在庫はなく、最後の手段であるワンコイン版すら大手書店で見当たらない始末。
困り果てていたところ、件の友人がスタジオ・クラシックス版を快く貸してくれました。ようやく鑑賞にこぎつけ、持つべきものは善き友だとしみじみ痛感したものです。



全盛期のベティ・デイヴィスが魅せる、圧倒的な演技力


さて、『イヴの総て』というタイトルですから、アン・バクスター演じるイヴ・ハリントンが策略を巡らせて演劇界をのし上がっていくサクセスストーリーかと思いきや、何よりもベティ・デイヴィスの存在感が凄まじい作品でした。

私がこれまで観たことのあるベティ・デイヴィス出演作といえば『八月の鯨』のみ。往年の名女優が実年齢で人生の黄昏を演じるというコンセプトでしたが、当時はその魅力を十全に味わいきれていませんでした。しかし、ここでついに「全盛期のベティ・デイヴィス」に出会えたのです。

作中で彼女が演じるマーゴ・チャニングは、現実の彼女に近い役どころ。全盛期だからこそ、この後に訪れる衰えを恐れています。
しかし、「愛や生というものは、その時々のものを慈しめば良いのだ」と気づいてからの彼女は、まるで別人のように変化します。その演技は本当に憑依したかのようで、劇中のマーゴは内側から光り輝いて見えました。彼女の鏡像のように印象を変えていくイヴの不気味さも、ベティの圧倒的な演技があってこそ引き立つものです。

視線を独占する、特別なマリリン・モンロー


そして、この映画でチャンスを掴んでブレイクしていくマリリン・モンローの、あの特別な空気感はいったい何でしょうか。



彼女はまだ脇役でありながら、そこに佇んでいるだけで、その場の空気をさっとすべて攫っていってしまう。その後の数々の主演作では逆に観ることができなくなってしまった、初々しくも圧倒的な「スペシャルなマリリン」がここにいます。彼女を観るためだけでも、この映画を再生する価値があります。

ハイセンスな台詞回しが紡ぐ、至高の「演劇賛歌」


この映画に用意された台詞は、どれもハイセンスなユーモア精神によって磨き抜かれたものばかり。耳にしているだけで「舞台芸術って、やっぱりいいものだなあ」と贅沢な気持ちにさせてくれます。演出家や脚本家が、時折興奮気味に語る演劇論も実に小気味いい。
人気商売ゆえのドロドロとした人間模様も描かれながらも、根底にあるのは「やっぱり舞台って最高だよね」という純粋な演劇賛歌。

コニー・ウィリスのSF短編を読むための予習のつもりでしたが、映画そのものの魅力にすっかり平伏してしまった、忘れられない一本です。


イヴの総て [Blu-ray]
B004NYB4J0

【ジャケ買いジャズ】ソニー・ロリンズ『Contemporary Leaders』の美学と、西海岸の名手たちが織りなす芳醇な空間

 はじめに:『サキソフォン・コロッサス』だけじゃない!ロリンズ至高の「美ジャケ」

ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)の代表作といえば、誰もが真っ先に『サキソフォン・コロッサス(Saxophone Colossus)』を挙げるでしょう。ジャズ史に燦然と輝く名盤であることは間違いありません。

しかし、「レコードのジャケット(ルックス)」という一点において、私はどうしてもこのアルバムに軍配を上げざるを得ません。

それが今回ご紹介する、1958年録音の『Sonny Rollins and the Contemporary Leaders』です。

何と言っても、ジャケットに写るロリンズの凛々しい表情と、サックスを携えた堂々たる立ち姿。一目で心を射抜かれるような格好良さがあり、まさに「ジャケ買い」の醍醐味が詰まった1枚です。ちなみに、この作品にはなぜか別バージョンのジャケットもいくつか存在しますが、やはりこのオリジナルデザインの佇まいが最高だと確信しています。


コンテンポラリー・リーダーズ +3 (限定盤)(SHM-CD)
B004HHARAA

ジャズの巨人、ソニー・ロリンズの尽きない魅力


ここで少し、ソニー・ロリンズというミュージシャンの魅力について触れておきましょう。
ロリンズは、豪快で太く、豊かなサックスのトーンが持ち味のテナーサックス奏者です。彼の最大の魅力は、「即興演奏(アドリブ)における圧倒的なストーリーテリング能力」にあります。
メロディをただなぞるのではなく、ユーモアを交えながら解体し、ドラマチックに再構築していく展開力は唯一無二。本作でも、その歌心あふれる豪快なプレイは健在です。

タイトル通り!西海岸の最高峰(コンテンポラリー・リーダーズ)が集結


内容の重厚さやストレートなジャズの熱量だけで言えば、ピアノにトミー・フラナガン、ドラムにマックス・ローチを配した『サキソフォン・コロッサス』が1枚も2枚も上手という評価に、大方の異論はないかと思います。
しかし、本作もアルバムタイトル(Contemporary Leaders)に偽りはなく、当時のアメリカ西海岸(ウエストコースト)ジャズ界を代表する大物リーダーたちがずらりと顔を揃えています。

ピアノ: ハンプトン・ホーズ
ギター: バーニー・ケッセル
ベース: リロイ・ヴィネガー
ドラムス: シェリー・マン

東海岸のロリンズが、西海岸の精鋭たち(コンテンポラリー・レーベルの看板ミュージシャンたち)の胸を借りる形で実現した、異色の、そして奇跡的なセッションなのです。

音楽的な聴きどころ:サックスとギターが絡み合う、緩やかで芳醇な音空間


本作最大の音楽的なハイライトであり、全体のトーンを決定づけているのは、ギタリストのバーニー・ケッセル(Barney Kessel)が参加している点です。
一般的なピアノ・トリオ+サックスという編成にギターが加わることで、サウンドに独特の「柔らかさ」と「奥行き」が生まれています。
激しくスウィングするというよりは、サキソフォンとギターが優しく、かつ濃密に絡み合う。どちらかと言うと緩やかですが、どこを切り取っても味わい深く、大人の夜にふさわしい芳醇な音空間が広がっていきます。スタンダード曲を中心とした選曲も相まって、ロリンズのディスコグラフィの中でも非常にリラックスして聴ける隠れた名盤です。

コレクター心をくすぐる「コンテンポラリー盤」のレーベル面


さらに、アナログレコード好きとして語らずにはいられないのが、この「Contemporary Records」のレーベル(中央のラベル部分)面のカッコよさです。


黒地に映える印象的なデザインは、ターンテーブルで回っている姿を見ているだけで所有欲を満たしてくれます。ジャケットの美しさはもちろん、盤そのものが持つ佇まいも含めて、これぞ「レコードで持っておきたい1枚」と言えるでしょう。

おわりに:目も耳も幸せにする、タイムレスな名盤


洗練されたジャケットデザインに惹かれて手に入れ、針を落とせば西海岸の名手たちとロリンズが紡ぐ極上のアンサンブルに包まれる——。
『Sonny Rollins and the Contemporary Leaders』は、まさにジャケ買いから始まる素晴らしい音楽体験を約束してくれる名盤です。「サキコロ」とはまた一味違う、ロリンズの芳醇な世界に、ぜひ耳を傾けてみてください。


【火星シリーズ徹底解説】次世代へ受け継がれる赤き惑星の血統|バルスームを翔ける新たな英雄たち(第2集:幻兵団/チェス人間/交換頭脳)

 英雄の遺伝子とさらなる奇想!『火星シリーズ・第2集』全体の概要

初期3部作で地球人ジョン・カーターの戦いはひとつの大団円を迎えましたが、赤き惑星「バルスーム」の伝説はそこでは終わりません!『合本版・火星シリーズ〈第2集〉』に収録されている中期の3作品は、カーターの息子や娘、そして新たなる地球人が主人公となり、火星のさらに深い秘境へと読者を誘うエキゾチックな冒険絵巻です。

もちろん、創元SF文庫版のページをめくれば、武部本一郎氏によるあの溜息が出るほど美しい挿絵が健在。第1集でデジャー・ソリス派に魂を奪われたファンたちを、今度は彼女の血を引く娘ターラや、数々の美女たちが再び惑わせにやってきます。

第2集の最大の魅力は、前作以上に「奇想天外なアイデア」が爆発している点です。思考を具現化する幻兵、人間を駒に見立てた命がけのチェス、そして恐るべきマッドサイエンスによる脳の交換――。バローズの想像力がさらに研ぎ澄まされた、中期の3作品を1作ずつ紐解いていきましょう。



第4作:『火星の幻兵団』~観念が紡ぐ悪夢と若き王子の試練~

【あらすじ】

ジョン・カーターとデジャー・ソリスの息子であり、偉大な父の血を受け継いだ若き王子カーソリス。彼は、かつてカーターに救われたプータスの王女スビアに密かに恋心を抱いていた。しかし、スビアが何者かに誘拐される事件が発生し、カーソリスにその疑いがかけられてしまう。

身の潔白を証明し、愛する彼女を救うため、カーソリスは火星の未踏の地へと飛び立つ。彼が迷い込んだのは、古代火星の栄華を今に伝える幻影の帝国「ロサール」。そこは、念じるだけで数十万の「幻の戦士」を現実に出現させる、恐るべき精神力を持った怪人たちが支配する悪夢の世界だった――。

第5作:『火星のチェス人間』~命を賭けた盤上の死闘~

【あらすじ】

ジョン・カーターの愛娘であり、母譲りの絶世の美女であるターラ王女。彼女は勝気な性格が災いし、飛行艇での遠乗り中に巨大な嵐に巻き込まれ、未開の秘境へと不時着してしまう。そこで彼女を待ち受けていたのは、頭部だけの奇怪な精神生命体「カルド」と、その乗り物として支配される肉体「リカル」という、歪んだ生態系を持つ恐怖の種族だった。

ガソールの若き王ガハンに助けられ、辛くも脱出したターラだったが、次に迷い込んだ都市では、火星の伝統的なチェスに似たゲーム「ジェタン」を、本物の人間を駒にして戦わせる狂気の闘技が行われていた。敗北は即「死」を意味する命がけの盤上で、彼女を賭けた究極のゲームが始まる!

第6作:『火星の交換頭脳』~マッドサイエンスが迫る肉体の神秘~

【あらすじ】

戦傷によって瀕死の重傷を負った地球人の若き大尉ユリシーズ・パックス。彼は前世の記憶を保ったまま、精神のみが火星へと転移し、奇跡の復活を遂げる。しかし、彼が目覚めたのは、火星最高峰の天才でありながら、倫理観を完全に喪失した老科学者ラサーム・ケンの実験室だった。

ラサーム・ケンが確立していたのは、生きた人間の「脳」を別の肉体へと移植する恐るべき『交換頭脳』の技術。富豪の醜い老女に、美しき王女ババ・リサの若々しい肉体を移植する非道な実験を目の当たりにしたパックスは、王女の心を救うため、自らも怪しき医術の世界へと身を投じ、狂気の科学者に立ち向かう!


ここが面白い!第2集の圧倒的な見どころ

1. 「知略と奇想」がパワーアップした世界観

第1集が「圧倒的な身体能力による肉弾戦」だったとすれば、第2集は「心理戦やSF的ガジェット」が前面に押し出されています。『幻兵団』の思考具現化や、『交換頭脳』のグロテスクでありながらワクワクさせる外科手術の描写など、現代のダークファンタジーやSFサスペンスの先駆けとも言えるアイデアが詰め込まれています。

2. 生き生きと躍動する「次世代のヒロインたち」

デジャー・ソリスの気高さを受け継いだ娘ターラをはじめ、第2集のヒロインたちは一筋縄ではいかない魅力を持っています。特に『チェス人間』でのターラは、囚われの身でありながらも誇り高く、男たちを翻弄する強さを持っており、バローズの描く女性像の進化を感じさせます。

3. 新たな地球人主人公の登場

第6作『交換頭脳』では、ついにジョン・カーター以外の地球人「ユリシーズ・パックス」が主人公として登場します。カーターが「無敵の戦士」だったのに対し、パックスはマッドサイエンティストの弟子として知恵と技術を武器に戦うため、シリーズに全く新しい風を吹き込んでいます。


総評:バローズの想像力が頂点に達した、珠玉の冒険ワンダーランド

偉大な英雄ジョン・カーターの物語を引き継ぎつつも、それを単なる二番煎じに終わらせないバローズの筆力には脱帽するほかありません。

親から子へと受け継がれるバルスームの血統、そして「チェス人間」に代表される、異文化のルールに命がけで挑むプロットの巧みさは、今読んでもページをめくる手が止まらなくなる極上のエンターテインメントです。

リアルな宇宙探査が進んだ現代だからこそ、この「脳内移植も幻兵も何でもあり」な大らかでエキゾチックな火星の姿が、私たちの乾いたイマジネーションを極彩色に染め上げてくれます。

第1集を読み終えたなら、迷わずこの第2集の扉を開けてみてください。そこには、まだまだ私たちが知らないバルスームの深淵な魅力が広がっています!


火星の幻兵団 (創元SF文庫 ハ 3-40 合本版・火星シリーズ 第2集)
4488601405