2026年6月27日土曜日

映画『風の歌を聴け』に漂う1980年代の空気感──真行寺君枝が「自らの代表作」と語る幻の名作を観よ

ピーナッツで繋がった、映画版『風の歌を聴け』との出会い



村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』が、映画化されていたことを迂闊にも私は知りませんでした。

私がその存在を知ったのは、Facebookで先輩が教えてくれたのがきっかけでした。近所のTSUTAYAには置いておらず、宅配レンタル(ツタヤディスカスなど)を駆使してようやく、大森一樹監督による1981年の映画『風の歌を聴け』(DVD版)を観ることができたのです。

それはこんなやり取りから始まりました。

ジェイズ・バーの床に敷き詰められた「ピーナッツの殻」

時代が平成に変わってすぐの頃、私は銀座のとある雑居ビルの地下にあるバーボン・バーに通い詰めていました。

そこでは、席につくとまずは大きな瓶からピーナッツを掴み取りして、それがその日のお通しになる、というシステムで、剥いた殻はそのまま床に捨てるのが掟でした。マスター曰く「殻の始末を客ごとにやるのではなく、1日分まとめて掃除させてね」という、客と店の間の暗黙の了解なんだそうで。

Facebookでこの思い出を語ったところ、「風の歌を聴けの映画版に出てくるジェイズ・バーの床にもピーナッツの殻が転がっていたね」と教えてもらったのです。

「風の歌を聴け」映画になってたのか!と驚き、そして実際に映画を観てみると……床一面に殻が敷き詰められているではありませんか!

これはさすがにやりすぎですw。殻はあくまで自分の足元に捨てるものであって、営業中に店舗全体に敷き詰められるなんてこと、あるはずがありません。

しかし他にもいくつかあるこの映画のツッコミどころを、すべて帳消しにしてしまうほどの圧倒的な魅力が、この作品にはあったのです。


圧倒的な美貌。真行寺君枝が魅せるレコード店の美女


本作のヒロイン(指のない女の子)を演じる真行寺君枝さんの佇まいこそが、この映画最大の魅力でしょう。

またこの指のない女の子、音楽にもめっぽう強い。小林薫さん演じる「僕」が探しているレコードを、棚からすいすいと抜き出してくるシーンは、音楽好きなら誰しも憧れてしまうシチュエーションです。

劇中音楽のトリビア:ビーチ・ボーイズと使用料の裏話

劇中、「僕」はビーチ・ボーイズの『カリフォルニア・ガールズ』が入ったレコードを彼女に探させますが、彼女が選んだのはなぜかロンドンでのライブ盤(普通はアルバム『サマー・デイズ』ですよね)。「僕」への不信感からくるちょっとした意地悪のようにも見えて、なんとも可愛らしい演出です。

ちなみに、この『カリフォルニア・ガールズ』の楽曲使用料には数百万もの予算が費やされたのだとか。真行寺君枝さんもインタビューで「とにかく予算がなくて苦労した」と回想しつつも、この映画を「自らの代表作」と語っています。その言葉通り、彼女の存在感は作品の中で際立っています。


原作との決定的な違い:「ピアノ協奏曲」と「鼠の自主映画」

原作ファンとして見逃せないのが、原作と映画版における「選曲」の変更です。「僕」の思いつきで選ばれるベートーヴェンのピアノ協奏曲が、。原作では第3番なのですが、映画では、グレン・グールド/レナード・バーンスタイン盤のピアノ協奏曲第4番になっています。

これは監督か脚本家の趣味でしょうか。個人的にも第4番の第二楽章冒頭、ストリングスの重厚なテーマは大好きですが、ベートーヴェンの全5曲あるピアノ協奏曲中、唯一短調で描かれ、それ故の切迫感を持つ「特別な3番」を選んだ原作の村上春樹らしいチョイスに対し、映画版では、最もメロディが印象に残るト長調の4番が選ばれているのは、それがやはり「映画」だからなのでしょう。

豪華なキャスト陣と、時代が放つエネルギー

「僕」の相棒である「鼠」役には巻上公一さん、ジェイズ・バーのマスターには坂田明さんが扮しており、さらに本作は室井滋さんの商業映画デビュー作で、新人らしからぬ凄まじい存在感で短いが重要なシーンを演じ切っています。

原作の『風の歌を聴け』は、作家・村上春樹による「なぜ小説は書かれなければならないのか」というメタ構造を含んだテーマだと私は解釈しています。それはメディア違いの映画では描ききれない領域です。

そんなわけで「鼠」は小説ではなく映画を撮っているわけですが、その自主制作映画のシーンからは、粗野だがエネルギーに満ちた時代の空気が流れてくる。この自主制作映画は巻上公一の原案によるものだそうで、もともと演劇のシーンから出てきた彼の面目躍如というところかもしれません。


2026年6月26日金曜日

映画『ジョン・カーター』が残した功罪|『火星のプリンセス』実写化に見るスペースオペラの難しさ

 『火星のプリンセス』待望の実写化とその不安

SF小説の金字塔『火星のプリンセス』が実写映画化されると聞いた時、往年のスペースオペラファンで胸を熱くしなかった者はいないだろう。

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魅力的な主人公ジョン・カーター、SF史に燦然と輝くヒロインのデジャー・ソリス、そして醜悪な外見ながら圧倒的な忠誠心を持つ火星犬ウーラ。

これらが最新の映像技術でどう描かれるのか、期待が高まるのは当然であった。

しかし同時に、ファンは一抹の不安も抱えていた。製作がディズニーであり、予算2億5000万ドルを投じた「ウォルト・ディズニー生誕110周年記念作」として大々的に打たれたからである。

そもそもスペースオペラというジャンルは、科学的根拠を度外視した荒唐無稽さや、B級映画的な愛すべき「安っぽさ」、グロテスクなクリーチャーといった要素こそが魅力である。万人に受けるファミリー向けのクオリティを目指せば、作品の持つ尖った魅力が薄まり、中途半端なものになりかねない。興行的にも歴史的大失敗になるのではないかという懸念は、公開前から少なからず囁かれていた。

随所に散りばめられた「バロウズへの愛」

実際に完成した映画『ジョン・カーター』を観ると、その不安は半分当たり、半分は嬉しい裏切りとなって返ってきた。

メガホンを取ったアンドリュー・スタントン監督(ピクサー)の、原作者エドガー・ライス・バロウズに対する敬意と愛情は本物であった。それが顕著に現れているのが、物語序盤の小粋な洒落である。ジョン・カーターが店主に黄金を突きつけ、「豆(beans)を出せ」と怒鳴るシーンがある。これは、バロウズが処女作の突飛さゆえに「Normal Bean(正気の男)」というペンネームでデビューしようとした有名な逸話に引っ掛けたオマージュである。これだけで、古参のファンは思わずニヤリとさせられる。

さらに、スペースオペラのヒロインにありがちな「ハリウッド的な超有名美人女優」をあえて起用せず、作品が持つ良い意味での「キッチュさ」を残したキャスティングにも、監督のジャンルに対する理解とこだわりが垣間見える。

ピクサーの方程式という「枷」

しかし、本作が「ディズニーの記念大作」である以上、ニッチなファン向けの仕上がりのままスポンサーが納得するはずもなかった。ここで機能し(てしまっ)たのが、スタントン監督が所属するピクサー特有の「集団による緻密なストーリー構築」である。

結果として、物語は美しく整理され、科学的な整合性が与えられた。非常に安定感のある万人向けのハリウッド映画へと昇華されたのである。だが、スペースオペラにおいてはこの「安定感」こそが仇となった。

原作では、ジョン・カーターが火星へ移動する原理は語られず「不思議なことに」の一言で片付けられている。映画ではここへ納得のいく科学的な説明や新たな登場人物を足したことで、かえって普通のSF映画の枠に収まってしまった。

さらに、原作におけるカーターの最大の魅力は「重力の差による驚異的なジャンプ力」という単純明快な優位性だった。物語にリアリティを持たせようとすると、なぜ彼がそこまで大活躍できるのかという根幹の構造に無理が生じる。その辻褄を合わせるため、映画ではカーターの人物造形に深みを持たせようとし、「地球に妻子がいた」という設定を追加した。しかし、これがピクサーの「ヒットの方程式」に無理に当てはめたような唐突感を醸し出し、描き込み不足の印象を与えてしまう結果となった。

映画が提示した新しい可能性と、残された課題

一方で、ストーリーの再構築がもたらした功績もある。原作では後半の続編に登場する、不思議な力を持つ民族「サーン」を地球往復のエピソードに前倒しで組み込んだ点だ。これにより物語に新たな奥行きが生まれ、続編への自然な布石として機能させられるかもしれない。

本作は、生前にピクサーとも深く関わりのあった故スティーブ・ジョブズ氏に捧げられている。ジョブズ氏は周囲に何と言われようとも、唯我独尊で我が道を貫き通した人物であった。

もし本作の続編が作られる機会があるならば、万人受けの安定感に逃げるのではなく、ジョブズ氏の精神に倣い「この映画は一体誰のためにあるべきなのか」を今一度突き詰めてほしい。それこそが、スペースオペラという愛すべきジャンルを本当に活かす道ではないだろうか。


【スティーグ・ラーソン】21世紀の不滅のヒロイン「ミレニアム」三部作徹底解説|背中に龍の刺青を持つ、孤高の天才ハッカー・リスベット

21世紀のミステリ界に衝撃的な登場を果たした不世出のヒロイン、リスベット・サランデル。

それまで「男性優位の社会」に虐げられてきた女性の怒りを体現し、天才的なハッキング能力と不屈の意志を武器に、巨悪を容赦なく叩き潰す彼女の闘いと、世界中を熱狂させた『ミレニアム』三部作の圧倒的な魅力に迫ります。 

ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女 (上) (ハヤカワ・ミステリ文庫)
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キャラクター分析:リスベット・サランデルという「激しく、哀しい、天才ハッカー」


主人公のリスベット・サランデルは、スウェーデン・ストックホルムを拠点に活動するフリーの調査員。背中に巨大な龍の刺青(タトゥー)を入れ、鼻や眉にピアスをあけた、痩せっぽちでパンク風の女性です。
彼女の魅力は、これまでの「法や秩序に守られるヒロイン」とは一線を画す、「やられたら、その百倍にしてやり返す」という苛烈なまでの復讐心と、驚異的な天才性(フォトグラフィック・メモリーと世界屈指のハッキングスキル)にあります。

プロフェッショナルな経歴:


卓越した情報収集能力を持ち、ネットの闇の世界では「ワスプ(雀蜂)」の名で恐れられる天才ハッカー。ジャーナリストのミカエルと協力し、国家をも揺るがす巨大な陰謀や、女性を虐げる権力者たちの犯罪を容赦なく暴き立てます。

肉体的な強さと弱さ:


小柄で一見すると脆そうに見えますが、過去の過酷なトラウマから生き抜くために培った、凄まじい生存本能を持っています。スタンガンや催涙スプレーを迷わず使い、法を恐れず自らの力で身を守ります。しかしその内面には、他者に裏切られ続けた深い孤独と傷を抱えているのです。

人間臭いプライベート:


他人とのコミュニケーションが極めて苦手で、世間からは「社会的適合不全」とみなされています。しかし、一度「信頼に値する」と認めた相手(年老いた前後見人やミカエル)に対しては、不器用ながらも命がけで義理を通す。このギャップが、彼女を最高に愛おしいキャラクターにしています。
「世間にどう思われようと構わない。だけど、私から尊厳を奪うことだけは絶対に許さない」
男社会の理不尽や、腐敗した制度に屈せず、自らのルールで冷徹に正義を執行する彼女の姿は、読者に強烈なカタルシスを与えてくれます。

シリーズのここが見どころ!


1. 現代社会の「病理」を告発する、圧倒的スケールの社会派ミステリ


著者のスティーグ・ラーソン自身が、反ファシズムを掲げるジャーナリストであったため、本作に込められた社会批判の刃は極めて鋭いです。
性暴力、女性蔑視、富裕層の不正、そして国家機関の隠蔽工作など、現代社会の底に流れる暗部を容赦なく抉り出します。一つの連続殺人事件から始まった物語が、やがて国家を揺るがす一大スペクタクルへと変貌していく構成は見事というほかありません。

2. 正反対の二人が織りなす、奇妙で強固な「バディ・リレーション」


正義感あふれるミドルクラスのジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィストと、社会の底辺で生きるリスベット。水と油のような二人が、互いの知性と能力を認め合い、言葉に頼らない強い絆で結ばれていく過程は、冷酷な事件のなかで唯一無二の温かい救いとして描かれます。

どこから読む?「三部作」の怒涛の展開を追う


ラーソンが遺したオリジナルの「三部作」は、一つの壮大な大河小説です。必ず第1作目から順番に読むことをおすすめします。

『ミレニアム1 ドラゴン・タトゥーの女』


記念すべきシリーズ第1作。経済ジャーナリストのミカエルは、大財閥の元会長から、数十年前に行方不明になった姪の調査を依頼されます。その助手として現れたのがリスベット。孤島を舞台にした本格ミステリでありながら、後半からの二人の反撃は息をのむ面白さです。

『ミレニアム2 火と戯れる女』


リスベットの「過去」と「秘密」にスポットが当たる第2作。少女売春組織を追っていたジャーナリストが殺害され、なんとリスベットが容疑者として指名手配されてしまいます。彼女の無実を信じるミカエルと、警察・犯罪組織の三つ巴の追跡劇が展開する、極上のノンストップ・サスペンスです。

『ミレニアム3 眠れる狂気を目覚めさせる女』


三部作の圧倒的な完結編。満身創痍となったリスベットと、彼女を闇に葬ろうとする国家規模の秘密組織の最終決戦が描かれます。ミカエルが雑誌「ミレニアム」の総力を挙げて仕掛ける「言論の反撃」と、法廷でのリスベットの堂々たる闘いは、全読者が涙する最高峰のクライマックスです。

おわりに:理不尽な世界で、牙を剥くことを恐れないあなたへ


世界はときに冷酷で、不条理な暴力や構造悪が、弱い立場の人々を押しつぶそうとします。
それでも、リスベット・サランデルは決して屈しません。背中に龍を背負い、冷徹な瞳でPCの画面を見つめ、自らの知性と意志で世界の歪みを正していきます。
傷つき、孤立しても、自分の尊厳のために徹底抗戦する彼女の背中は、私たちに「どんな状況でも自分を諦めない」強さを教えてくれます。
リスベットが放つ「牙と電脳の復讐劇」に、ぜひ魂を震わせてみてください。

【名盤解説】ポール・サイモン『時の流れに』|孤独と成熟が紡ぐ、70年代SSWポップスの最高峰

 自立と成熟の狭間で:ポール・サイモンの1975年

1970年のサイモン&ガーファンクル解散後、ソロ・アーティストとして独自の音楽性を研ぎ澄ましてきたポール・サイモン。彼が1975年に発表したソロ3作目のアルバムが、この『時の流れに(Still Crazy After All These Years)』である。

本作は前作までのレゲエやゴスペルといったワールドミュージックへのアプローチから一歩進み、より洗練されたジャズやポップスのエッセンスを大胆に取り入れている。当時のポールの私生活における離婚劇や、30代半ばを迎えた都会の知識人が抱える「孤独」や「哀愁」が色濃く反映された本作は、ビルボードのアルバムチャートで1位を獲得。翌年のグラミー賞では最優秀アルバム賞を受賞するなど、彼のソロキャリアにおける決定的な金字塔となった。

時の流れに(期間生産限定盤)
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音楽的特徴:洗練されたニューヨーク・サウンドと、豪華な敏腕ミュージシャンの競演

本作の最大の音楽的特徴は、70年代半ばのニューヨークの空気感をそのまま封じ込めたような、極めて洗練された都会的なサウンドプロダクションにある。名プロデューサーであるフィル・ラモーンとのタッグにより、アコースティックな温かみを残しながらも、緻密に計算されたコンテンポラリーなアンサンブルが構築されている。

バックを固めるミュージシャンには、スティーヴ・ガッド(ドラム)、リチャード・ティー(キーボード)、マイケル・ブレッカー(サックス)など、当時のジャズ/フュージョン界を代表するトッププレイヤーが名を連ねている。彼らが紡ぎ出すレイドバックしつつも緊張感のあるグルーヴは、ポールの文学的でパーソナルな歌詞の世界観に、これ以上ない深みと説得力を与えている。

主要楽曲の分析:切なき名バラードと、甦る奇跡のハーモニー


1. 「Still Crazy After All These Years(時の流れに)」

アルバムの冒頭を飾るタイトル曲であり、大人の哀愁が漂う至高のバラードである。かつての恋人と偶然再会し、互いに歳を重ねたことを確認し合う情景が、静かなピアノの旋律とともに描かれる。楽曲のクライマックスで炸裂するマイケル・ブレッカーによるエモーショナルなサックスソロは、主人公の胸の奥に燻る感情を代弁するかのように響き渡り、聴き手の心に深い余韻を残す。

2. 「My Little Town(マイ・リトル・タウン)」

サイモン&ガーファンクルの解散から5年、ファンを驚かせたアート・ガーファンクルとの奇跡的なデュエット曲である。生まれ育った退屈な故郷への愛憎を歌ったこの楽曲では、2人の代名詞である天上のハーモニーが復活している。しかし、そのサウンドはかつてのフォークロックではなく、ホーンセクションをフィーチャーしたダイナミックで力強い70年代ポップスへと進化を遂げている。

3. 「50 Ways to Leave Your Lover(恋人と別れる50の方法)」

全米シングルチャートで1位を記録した、本作を代表する大ヒットナンバーである。特筆すべきは、イントロから楽曲を支配するスティーヴ・ガッドによる軍隊のマーチ風のドラムパターンである。この独創的でハネるようなファンキーなリズムと、ユーモアとアイロニーが入り混じった歌詞、そして都会的なコーラスワークが融合し、ポップミュージック史に残る中毒性の高い名曲となっている。

結論:時代を超えて響く、大人のためのポップス・ショウケース

『時の流れに』は、いつの間にか「中年」になっちまった人間が直面する現実や人間関係の機微を、職人的作家ポール・サイモンが極上の音楽美へと昇華してしまったアルバムってところなんだろう。

スティーヴ・ガッドをはじめとする伝説的プレイヤーたちの職人技と、ポールの天才的なソングライティングが融合したサウンドは、今なお色褪せることがない。都会の夜の孤独に寄り添うような、贅沢なるポール・ポップスの世界を、ぜひレコードの針を落としてじっくりと堪能してほしい。


2026年6月25日木曜日

【名盤解説】ポール・マッカートニー『ヤァ!ブロード・ストリート』|豪華ゲストと名曲の再録で綴る、80年代ポップ・シネマの記憶

 自ら脚本を手掛けた映画プロジェクト:ポール・マッカートニーの1984年

1980年代初頭から『マッカートニーII』、『タッグ・オブ・ウォー』、そして『パイプス・オブ・ピース』と精力的にヒット作を連発してきたポール・マッカートニー。次なるステップとして彼が挑んだのは、自身が主演・脚本を務めるオリジナル長編映画『ヤァ!ブロード・ストリート(Give My Regards to Broad Street)』の制作であった。

1984年に公開されたこの映画のサウンドトラックとしてリリースされたのが、本作『ヤァ!ブロード・ストリート』である。映画自体の評価こそ賛否両論を巻き起こしたものの、アルバムはポールの輝かしいキャリアを総括するエンターテインメント作品として、全英チャート1位を獲得するなど世界的な大ヒットを記録した。新曲と過去の名曲のセルフ・カヴァーが渾然一体となった、彼のポップ・マジックの歴史を凝縮したような一枚である。

Give My Regards To Broad Street by Paul Mccartney
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音楽的特徴:ビートルズ/ウイングス楽曲の贅沢な再解釈と、豪華ゲスト陣の競演

本作の音楽的特徴は、何と言ってもビートルズやウイングス時代の時代を超える名曲群を、1980年代中期の最高峰のスタジオ・ワークによって贅沢にアップデートしている点にある。プロデュースは引き続き盟友ジョージ・マーティンが手掛け、過去の楽曲に施された緻密な弦楽器・管楽器のアレンジは、オリジナルへの敬意を払いながらも新鮮な響きを獲得している。

さらに、アルバムを彩るゲスト・ミュージシャンの顔ぶれも極めて豪華である。ビートルズの同僚であるリンゴ・スターをはじめ、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモア、元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ、TOTOのジェフ・ポーカロやスティーヴ・ルカサーなど、ロック・ポップス界のトップ・プレイヤーが集結した。これにより、ノスタルジーだけに留まらない、80年代特有の洗練された極上のアンサンブルが実現している。

主要楽曲の分析:世紀の超名曲バラードと、甦るマスターピース

1. 「No More Lonely Nights (Ballad)」

アルバムの幕開けを飾る新曲であり、ポールのバラードのなかでも屈指の完成度を誇る名曲である。切なくも美しいメロディ・ラインと完璧なコーラスは、彼のソングライティング能力の絶頂を示している。特筆すべきは、ゲスト参加したデヴィッド・ギルモアによるエモーショナルなギター・ソロである。ポールの甘美なボーカルとギルモアの泣きのギターが奇跡的な融合を果たし、ビルボード誌でトップ10入りを果たす大ヒットとなった。

2. 「Yesterday」「Here, There and Everywhere」

ビートルズ時代の至高のクラシックをアコースティック・メドレーの形で瑞々しく再録音している。オリジナルから約20年を経て、ポールのボーカルには深い包容力と大人の渋みが加わっており、一味違う感動を呼ぶ。ジョージ・マーティンによる流麗なアコースティック・アレンジが、ポールの原点である普遍的なメロディの美しさをさらに引き立てている。

3. 「Ballroom Dancing」

アルバム『タッグ・オブ・ウォー』に収録されていた軽快なロックンロール・ナンバーのセルフ・カヴァーである。本作のヴァージョンでは、リンゴ・スターがドラムを、ジョン・ポール・ジョーンズがベースを、そしてデイヴ・エドモンズとクリス・スペディングがギターを担当するという、音楽ファン垂涎の超豪華な布陣で演奏されている。ウイングス時代を思わせる骨太でダイナミックなグルーヴが堪能できる好トラックである。

4. 「Silly Love Songs」

ウイングス時代の1976年に全米1位を獲得した世界的ヒット曲のディスコ・ファンク調セルフ・カヴァーである。ベースにルイス・ジョンソン、ドラムにジェフ・ポーカロ、ギターにスティーヴ・ルカサーを迎えた西海岸AOR/フュージョン路線の鉄壁のリズム・セクションが、楽曲に洗練された都会的な1980年代のファンキーな躍動感を与えている。オリジナルとはまた異なる、スリリングなグルーヴの応酬が聴きどころである。

結論:サウンドトラックの枠を超えた、贅沢なるポール・ポップスのショウケース

ポール・マッカートニーの『ヤァ!ブロード・ストリート』は、単なる映画のサウンドトラックという枠組みには到底収まらない、ポールの「過去と現在」が最高純度でクロスオーバーした一大ポップ・ショウケースである。

新曲「No More Lonely Nights」の圧倒的なクオリティは言うまでもなく、伝説のプレイヤーたちと共に自らの名曲に新たな命を吹き込んだアプローチは、彼の音楽に対する終わらない情熱を証明している。80年代の洗練されたプロダクションで蘇るビートルズやウイングスの遺伝子を、今一度新鮮な耳で体験してほしい名盤である。


2026年6月19日金曜日

【名盤解説】ポール・マッカートニー『パイプス・オブ・ピース』|マイケルとの奇跡の共演と80年代ポップスへの先鋭的アプローチ

 巨星が模索した新たなポップの地平:ポール・マッカートニーの1980年代

1970年代を駆け抜けたウイングス(Wings)を解散し、再びソロ・アーティストとしての道を歩み始めたポール・マッカートニー。1980年代初頭の彼は、エレクトロ・ポップに大胆に接近した『マッカートニーII』(1980年)、そして盟友ジョージ・マーティンをプロデューサーに迎え、世界的な大ヒットを記録した至高の名盤『タッグ・オブ・ウォー』(1982年)のリリースと、常に時代の先端を見据えながら創作活動を続けていた。

この充実期において、『タッグ・オブ・ウォー』と対をなす「双子のような存在」として1983年にリリースされたのが、本作『パイプス・オブ・ピース(Pipes of Peace)』である。前作のセッションで録音された珠玉のストックをベースにしながらも、より軽快で、当時の最先端のポップ・センスを散りばめた、ポールのポップ職人としての凄みが凝縮された一枚である。

パイプス・オブ・ピース(紙ジャケット仕様)
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音楽的特徴:巨匠ジョージ・マーティンとの蜜月と、洗練されたエレクトロ・ポップの融合

本作の最大の音楽的特徴は、ビートルズ時代からの恩師であるジョージ・マーティンによる緻密なプロダクションと、1980年代のシンセサイザー・サウンドの見事な融合にある。前作『タッグ・オブ・ウォー』が重厚でオーケストラを多用した内省的なクラシック・ロック寄りのアプローチだったのに対し、本作は非常に風通しが良く、ダンサブルでエレクトロニックな質感が強調されている。

ポール特有の美しいアコースティックのメロディ・ラインは健在でありながら、シンセ・ベースやデジタル・ドラムの導入、そしてR&Bやファンクの要素を巧みに取り入れたアレンジが施されている。この時代ならではの時代の空気を吸い込み、瑞々しいポップスへと昇華するポールの柔軟な音楽的キャパシティが、アルバム全体を軽やかに彩っている。

主要楽曲の分析:マイケル・ジャクソンとの奇跡の化学反応と平和への祈り

1. 「Pipes of Peace」

アルバムのタイトル・トラックであり、ポールの「平和への願い」が込められた荘厳なポップ・バラードである。子供たちのコーラス・ワークと、トラディショナルなパイプ(管楽器)の音色、そしてタブラなどの民族楽器が巧みにミックスされ、国境を超えた普遍的なメロディが響き渡る。第一次世界大戦中の「クリスマスの休戦」をモチーフにしたミュージック・ビデオとともに、ポールのメロディ・メーカーとしての天賦の才が遺憾なく発揮された名曲である。

2. 「Say Say Say」

当時、世界のポップ・シーンの頂点に君臨しつつあったマイケル・ジャクソンとの世紀の共同作業によって生まれた、アルバム最大のヒット・シングルである。ポールのソウルフルなベース・ラインと、マイケルのキレのあるボーカルが火花を散らす。ファンキーなカッティング・ギターとキャッチーなシンセ・ブラスが交錯するこの楽曲は、ビルボード誌のシングルチャートで6週連続1位を獲得し、80年代ポップ・ミュージックの金字塔となった。

3. 「The Man」

「Say Say Say」と同様に、マイケル・ジャクソンとの共作・デュエットによる隠れたポップの名曲である。ダンサブルな前者に比べ、こちらはアコースティック・ギターの柔らかなアルペジオを基調とした、優しくも瑞々しいミディアム・ナンバーに仕上がっている。二人の天才が持つ極上のメロディ・センスが素直に溶け合っており、どこかノスタルジックな優しさを感じさせる好トラックである。

4. 「Keep Under Cover」

ウイングス時代のダイナミズムを彷彿とさせる、ドラマチックな展開が印象的なポップ・ロック・ナンバーである。変拍子を交えたトリッキーなピアノのフレーズから始まり、サビではジョージ・マーティンが得意とする華やかなストリングスが炸裂する。ポールのボーカルも非常にパワフルであり、彼の持つロック・アーティストとしての鋭いエッジが堪能できる楽曲である。

結論:時代を超えて響く、80年代ポールのポップス美学

ポール・マッカートニーの『パイプス・オブ・ピース』は、前作『タッグ・オブ・ウォー』の影に隠れがちなポジションにありながら、その実、80年代ポップスに対するポールなりの完璧な回答が詰まった傑作である。

マイケル・ジャクソンとの歴史的なコラボレーションに目を奪われがちであるが、アルバム全体に流れる軽やかなポップ・ネスと、ジョージ・マーティンによる職人技的な音響構築は、現代のインディー・ポップやシティ・ポップのリスナーにとっても新鮮な発見に満ちているはずである。平和への祈りとポップの魔法が奇跡的なバランスで同居したこの名盤に、ぜひ今一度耳を傾けてほしい。


2026年6月18日木曜日

【サラ・パレツキー】女性ハードボイルドの金字塔「V.I.ウォーショースキー」シリーズ徹底解説|タフで、知的で、よく食べる!シカゴの街を駆ける不屈の女性探偵

 『名探偵コナン』の灰原哀の「哀(あい)」の由来(ウォーショースキーの「I」)としても知られる、ミステリ界屈指の高潔なヒロイン、V.I.ウォーショースキー。

それまで「男の世界」とされていたハードボイルド小説の領域に、小柄な体と不屈の魂、そして抜群の知性を武器に殴り込みをかけた彼女の歩みと、その圧倒的な魅力に迫ります。


キャラクター分析:V.I.ウォーショースキーという「誇り高きタフ・クッキー」

主人公のV.I.(ヴィクトリア・ヘレン)・ウォーショースキーは、アメリカ・シカゴを拠点に活動する私立探偵。警察官だったポーランド系の父と、イタリア系の美しい母の血を引いています。

彼女の魅力は、これまでの「守られるヒロイン」としての女性像を完全に打ち破った、その圧倒的なタフネスと人間味にあります。

プロフェッショナルな経歴:


元公選弁護人という輝かしい知性を持ち、法律を武器に巨大な権力(大企業、政界、マフィア)の不正に立ち向かいます。

肉体的な強さと弱さ:


空手の黒帯を持ち、いざとなれば男相手にも拳を振るいますが、決して「無敵のスーパーウーマン」ではありません。ときには激しい暴行を受け、大怪我を負い、恐怖に震えることもあります。それでも彼女は、絶対にプロとしての闘いをやめないのです。

人間臭いプライベート:


高級なシルクのアンダーウェアを愛する一方で、部屋の掃除は大の苦手。あるいはハードな調査の後は、信じられないほど「よく食べ、よく飲む」!この等身大の生活感が、彼女を最高に魅力的なキャラクターに仕立て上げています。

「誰も私に指一本触れさせない。自分の身は自分で守る」

男社会のルールに屈せず、自分の足で冷徹なシカゴの街に立つ彼女の姿は、読者に強烈な爽快感と勇気を与えてくれます。



シリーズのここが見どころ!

1. 現代社会の「闇」を抉り出す、骨太な社会派ミステリ

パレツキーが描く事件は、単なる愛憎劇に留まりません。企業の不正経理、保険金詐欺、環境汚染、不法労働など、常に現代社会が抱えるリアルな構造悪がテーマになります。

資本主義の倫理なき巨大権力に、たった一人の探偵が知恵と足で挑むリーガル・サスペンスとしての面白さは一級品です。

2. シカゴの街と、愛すべき「擬似家族」の絆

物語の舞台であるシカゴの描写が非常にリアルで、読んでいるだけで凍てつく冬の風や、混沌とした街の熱気が伝わってきます。

また、孤独な探偵であるV.I.を支える、隣人の医師ロティ(母のような存在)や、愛犬のミッチ&ピーチ、ジャーナリストの友人たちとの「血の繋がりを超えた絆」が、冷酷な事件のなかで温かい救いとして描かれます。



どこから読む?初心者へのおすすめ3選

シリーズは長寿作品となっていますが、まずは彼女の原点と、脂の乗った傑作から触れるのがおすすめです。

『サマータイム・ブルース』(原題: Indemnity Only / 1982年)

記念すべきシリーズ第1作です。大企業の保険金詐欺に絡む殺人事件に挑みます。若きV.I.の瑞々しいタフさと、行動派探偵としての基本要素がすべて詰まった、入門に最適な一冊です。

『レイク・サイド・ストーリー』(原題: Deadlock / 1984年)

第2作にして評価を決定づけた傑作です。従兄である元アメフトスター選手の不審死を追うなかで、五大湖の水運業界の闇に切り込みます。よりソリッドで、ハードボイルド色の強い名作です。

『ブラッディ・マーダー』(原題: Blood Shot / 1988年)

シリーズ屈指のドラマチックな一作です。幼馴染の母親の過去を調べるうちに、大企業の環境汚染と、狂おしい家族の秘密へ行き着きます。エモーショナルな展開が深く胸を打ちます。


おわりに:傷だらけになっても、前を向くあなたへ

世界は不公平で、不正は蔓延し、正しい者が踏みにじられることもある。

それでも、V.I.ウォーショースキーは口紅をひき、お気に入りの靴を履き、銃と知性を携えて夜の街へ繰り出します。

傷つき、打ちのめされても、自分の誇りのために何度でも立ち上がる彼女の背中は、時代を超えて「自立して生きる人間」の美しさを教えてくれます。

もしあなたが、社会の理不尽に少し疲れてしまったなら。シカゴの不屈の女性探偵が放つ、熱い魂の物語のページをめくってみてください。


【火星シリーズ完結】さらば赤き惑星!『第4集』が描くバルスーム最後の奇跡と、幻の怪奇SF(古代帝国/巨人ジョーグ/モンスター13号)

伝説のスペースオペラ、堂々の大団円!『火星シリーズ・第4集』全体の概要

100年以上にわたり世界中のSFファンを魅了し、数々の名作に影響を与え続けてきた偉大な冒険絵巻。その伝説のフィナーレを飾るのが、創元SF文庫の『合本版・火星シリーズ〈第4集〉』です。


最終集となる本作には、火星(バルスーム)を舞台にした最後の長編『火星の古代帝国』、そして中編・短編をまとめた『火星の巨人ジョーグ(木星の骸骨人間を含む)』が収録されています。さらに、合本版だけの特別なファンサービスとして、バローズが火星シリーズと同時期に執筆したマッドサイエンス・ホラーの傑作単発作『モンスター13号』までもが併載されている贅沢なボリュームです。

もちろん、武部本一郎氏の描く伝説的なカバーアートと挿絵が、最終巻の物語をこれ以上ないほど美しく、ドラマチックに彩ります。野田昌宏氏による火星地図やバローズ小伝といった解説陣も充実。ジョン・カーターたちの旅路の果てと、巨匠が遺したイマジネーションの総決算を、1作ずつ紐解いていきましょう。


第10作:『火星の古代帝国』~時をかける孫娘と黒色人帝国の罠~

【あらすじ】

ジョン・カーターの愛娘ターラの血を引き、類まれな美貌と勝気な性格を持つ孫娘、ラナ・オブ・ガソール。彼女は謎の暴漢たちに拉致され、火星の過酷な辺境へと連れ去られてしまう。

孫娘の危機を察知した大元帥ジョン・カーターは、再び愛剣を手に取り、バルスームの未踏の地へと愛機を駆る。彼が迷い込んだのは、何万年も前に滅び去ったはずの古代火星の文明を色濃く残す、狂気と忘却の帝国だった。強大な黒色人たちの陰謀を打ち破り、カーターは再び一族の絆と火星の平和を取り戻すことができるのか!


第11作:『火星の巨人ジョーグ』~130メートルの脅威と、木星からの不気味な影~

【あらすじ】

本作は、バローズの遺稿や別名義作品を含む、バルスームの「その後」を描いた中・短編集。

表題作『火星の巨人ジョーグ』では、狂科学者が造り出した身長130メートルを超える粘土の超巨大怪獣「ジョーグ」がヘリウム帝国を襲撃!カーターは愛するデジャー・ソリスを救うため、前代未聞の巨大生物に立ち向かう。

さらに、続く『木星の骸骨人間』では、舞台は火星をも飛び出し、なんと巨大惑星・木星へ!不気味な「骸骨人間」たちに囚われたカーターが、未知の重力と生態系が支配する木星で繰り広げる、シリーズ最終作にふさわしい奇想天外なサバイバルが描かれる。


特別併載:『モンスター13号』~火星の系譜を継ぐ、狂気の人造人間ホラー~

【あらすじ】

太平洋に浮かぶ孤島。そこでは、狂気の天才科学者フォン・ホルン教授が、生命をゼロから培養する禁断の実験を繰り返していた。これまでに造り出された12体の「人造人間」たちは、どれも醜悪で知性のない失敗作ばかり。しかし、13番目に生み出された「モンスター13号」は、完璧な肉体と恐るべき戦闘能力、そして美しい心を持っていた。

島に漂着した美しい令嬢を巡り、教授の野心と、暴走する実験体たちの反乱が巻き起こる。バローズが『火星の交換頭脳』や『火星の合成人間』に先駆けて描いた、怪奇とロマンが融合した傑作SFホラー!


ここが面白い!第4集の圧倒的な見どころ

1. ジョン・カーターが魅せる「最強の祖父」としての意地

初期3部作で無敵の英雄として君臨したジョン・カーター。第4集の『古代帝国』では、なんと「孫娘を救うために戦うおじいちゃん」として大活躍します。どれだけ世代が移り変わろうとも、デジャー・ソリスを愛し、家族のために剣を振るう彼の強さと気高さは衰えるどころか、ベテランの凄みを増して読者の胸を熱くさせます。

2. 火星から木星へ!限界突破のコズミック・スケール

第11作の『木星の骸骨人間』は、バローズが文字通り「宇宙(コズミック)」へイマジネーションを解き放った怪作です。火星とは全く異なる過酷な環境の木星、そしてそこに住む異形の住人たちとの攻防は、もしバローズがもっと長く書き続けていたら……という、さらなる壮大なSF世界の広がりを予感させてくれます。

3. 『モンスター13号』に見るバローズの「もう一つの原点」

ファン必見の併載作『モンスター13号』は、火星シリーズの「合成人間」のプロトタイプとも言える作品です。ジャングルでのサバイバル(ターザン映画の源流)と、マッドサイエンス(火星シリーズの超科学)が見事に融合しており、バローズという作家の持つ引き出しの多さと、怪奇ロマンへの深い愛を再発見できます。


総評:100年の時を超えて語り継がれる、冒険SFの記念碑

初期3部作の爽快なチャンバラから始まり、第2集・第3集の次世代への血統と超科学の爆発を経て、ついに幕を閉じた火星シリーズ。『合本版・火星シリーズ〈第4集〉』は、まさにバルスームというひとつの宇宙が完成を迎えた瞬間を見届けられる、記念碑的な一冊です。

バローズが描いた「赤く乾燥した、しかしどこまでもエキゾチックで情熱的な火星」は、現在のリアルな宇宙探査によって明かされた火星の姿とは異なります。しかし、だからこそ、この100年前の人間が夢見た「何でもありのワンダーランド」は、今なお私たちの乾いた想像力を極彩色に染め上げてくれるのです。

大元帥ジョン・カーターの最後の勇姿、そして巨匠バローズが遺した奇想の数々を、ぜひその目で確かめてみてください。バルスームの風は、本を閉じた後も、あなたの心の中で永遠に吹き続けるはずです!


【名盤解説】オザーク・マウンテン・デアデビルズ『イット・シャイン』|南部の風が育んだカントリー・ロックの隠れた最高峰

独自のユートピアを鳴らした多人数編成バンド:オザーク・マウンテン・デアデビルズの軌跡

1970年代前半のアメリカン・ロック・シーンにおいて、ウェストコーストの洗練とは一線を画す、極めてアーシーでレイドバックした空気感を体現したバンドがオザーク・マウンテン・デアデビルズ(The Ozark Mountain Daredevils)である。

彼らはミズーリ州スプリングフィールドで結成され、マウンテン・スピリット(山岳信仰や伝統的な南部気質)を背景に、カントリー、ブルーグラス、ロック、ポップスを奇跡的なバランスで融合させた。

特定の固定されたリード・ボーカルを置かず、メンバーの誰もが曲を書き、歌い、多彩な楽器を操るという運命共同体的なスタイルが彼らの最大の強みである。1973年のデビュー作から「If You Wanna Get To Heaven」などのヒットを飛ばし、一躍注目を集めた彼らは、商業主義的な喧騒から距離を置きながら、自らのルーツに根ざした音楽を構築し続けた。

音楽的特徴:大自然のなかで一発録りされた、オーガニックな響き

1974年にリリースされたセカンド・アルバム『イット・シャイン(It’ll Shine When It Shines)』は、彼らの最高傑作の呼び声高い名盤である。本作の最大の音楽的特徴は、その驚くべきレコーディング環境と、そこから生まれた圧倒的な生々しさにある。


名プロデューサーであるグリン・ジョンズとデヴィッド・アンダーレは、彼らをスタジオに閉じ込めるのではなく、ミズーリ州の荒野にあるプレハブ小屋に機材を持ち込み、文字通り大自然のただ中でモバイル・レコーディングを敢行した。

洗練されたエコーや過剰なオーバーダブを排除し、風の音すら吸い込みそうなアコースティックの響き、歪みのない素朴なハーモニー、そしてアコーディオンやハーモニカといった伝統楽器の温かみがそのまま記録されている。前作の泥臭さを残しつつも、より内省的で深いレイドバック感を湛えたサウンドは、イーグルスやポコといった西海岸のバンドとは異なる、泥臭くも美しい「本物の南部」を想起させる。

主要楽曲の分析:全米1位の快挙と、息をのむアコースティックの美学



1. 「Jackie Blue」

アルバムの顔であり、全米シングルチャートで1位(キャッシュボックス誌/ビルボード誌では2位)を記録したバンド最大のヒット曲である。ラリー・リーのみずみずしいドラムと気怠くも甘いボーカルが印象的なこの楽曲は、アルバム全体の泥臭いトーンのなかで、奇跡的なポップ・サイドを担っている。柔らかなメロディと洗練されたコーラス・ワークは、のちのAORやソフト・ロックのリスナーをも虜にする普遍的な魅力を放っている。

2. 「You Made It Right」

ジョン・ディロンのペンによる、アルバムの幕開けを飾る極上のカントリー・バラードである。アコースティック・ギターの爪弾きと、叙情的なハーモニカの音色が重なり合った瞬間、リスナーの目の前にはミズーリの広大な平原が広がる。飾り気のない素朴なボーカルと、メンバー全員で紡ぎ出す美しいハーモニーが、彼らの音楽的誠実さを何よりも雄弁に物語っている。

3. 「Look Away」

バンドのマルチプレイヤーであるマイケル・"スーズ"・グリandaが手掛けた、極めてレイドバックしたルーツ・ロック・ナンバーである。抑制の効いたリズム・セクションのうえを、小気味よいアコースティック楽器のアンサンブルが転がるように進んでいく。派手なソロ回しはなくとも、プレイヤー同士の濃密な呼吸が生み出すグルーヴは、このモバイル・レコーディングならではの奇跡的な産物と言える。

4. 「It'll Shine When It Shines」

アルバムのタイトル・トラックであり、インストゥルメンタルを主体とした、まさに「山の男たちの宴」をそのまま切り取ったかのような楽曲である。フィドルやバンジョーの素朴な音色が絡み合い、タイトル通り「いつかは陽が昇るさ」という楽観的で温かな人生観が音楽そのものから溢れ出ている。スタジオの壁を壊し、音楽を生活の場に取り戻した彼らのアプローチが結実した瞬間である。

結論:すべてのルーツ・ロックファンが帰郷すべき、タイムレスな桃源郷

オザーク・マウンテン・デアデビルズの『イット・シャイン』は、商業的なポップ・ミュージックへのアンチテーゼでありながら、結果として極上のポップ・ネスを宿すことになった奇跡の一枚である。

1970年代のアコースティック・サウンドの極致とも言えるこのオーガニックな響きは、サザン・ロックやカントリー・ロックのファンのみならず、現代のインディー・フォークやアメリカーナを愛するリスナーの耳にも、時代を超えて優しく響くはずである。名匠グリン・ジョンズが捉えた、空気が震えるような奇跡のアンサンブルに、ぜひ耳を傾けてほしい。


2026年6月17日水曜日

【ジャケ買いレコード】渡辺美里『eyes』が告げた新時代の到来と、傑作『Lovin' you』への軌跡

大学一年生の時、街のレンタルレコード店で一枚のアルバムに出会った。 アーティスト名は「渡辺美里」。当時の私にはまったく未知の存在であり、それが彼女のデビューアルバムだということすら知らなかった。

しかし、LPジャケットに写る彼女の眼差し、そしてアルバムに冠された『eyes』というタイトルを見た瞬間、直感的に悟った。 「このアルバムは、聴く前から良いに決まっている」 そう確信させるだけの、圧倒的な「顔」をしていたのだ。


予想を遥かに超えた「時代を画す」歌唱力

期待を胸に針を落としてみると、そこに広がっていたのは予想を遥かに超える衝撃だった。瑞々しくも力強い、まさに「時代を画す」歌唱がスピーカーから溢れ出してきたのである。

当時は白井貴子が切り開いた女性ロックシンガーの系譜が注目を集めていた時代。しかし、渡辺美里の登場はそれまでの枠組みを完全に飛び越えていた。「可愛い」や「歌が上手い」といった従来のアイドル・歌手評では収まりきらない、新しい時代の「スタイル」そのものがそこにはあった。

1985年5月にシングル『I'm Free』でデビューした彼女は、まだ10代。にもかかわらず、その圧倒的な声量と表現力は一躍音楽シーンの注目を集めることになる。

岡村靖幸の早すぎる才能を封じ込めた名盤『eyes』

1985年10月にリリースされたデビューアルバム『eyes』の凄みは、彼女の歌唱力だけではない。特筆すべきは、参加したソングライター陣の豪華さと、その先見性だ。

特に、当時まだデビュー前だった岡村靖幸が作曲を手掛けた楽曲(『Out of Blue』のプロトタイプとも言えるエッセンスなど)には目を見張るものがある。彼の早すぎる時代感覚やファンキーなポップセンスが、渡辺美里という卓越したシンガーのフィルターを通すことで、極上のポップソングとして見事に封じ込められている。

ほかにも大江千里や木根尚登らが楽曲を提供しており、若き才能たちが火花を散らすような熱量がこの一枚に凝縮されている。まさに、1980年代後半のJ-POPの夜明けを告げる傑作と呼ぶにふさわしい。

eyes -30th Anniversary Edition- - 渡辺 美里
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2ndアルバム『Lovin' You』で小室哲哉と共につかんだ王座

しかし、驚くのはまだ早かった。デビュー盤『eyes』の衝撃からわずか翌年(1986年)、彼女はセカンドアルバムにして2枚組の大作『Lovin' You』を発表する。

このアルバムで渡辺美里は、後に日本の音楽シーンを席巻する小室哲哉の才能を完全に覚醒させ、巻き込んでいく。先行シングルとして大ヒットを記録していた『My Revolution』は、彼女の代表曲となっただけでなく、80年代のユースカルチャーを象徴するアンセムとなった。

  • 10代ソロアーティスト初の2枚組オリジナルアルバム

  • オリコンチャート1位獲得

デビューからわずか1年足らずで、彼女はマイナーな存在から、堂々と日本のポップス界の王道を歩むトップランナーへと駆け上がったのだ。

Lovin' you -30th Anniversary Edition-
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変化の時代に、あのジャケットに出会えた幸運

振り返れば、あのレンタルレコード店で『eyes』のジャケットを直感的に手に取った瞬間から、すべては始まっていた。

1980年代半ばという音楽の変革期に、リアルタイムで彼女の歌声に出会い、その後の『Lovin' You』に続く熱狂を体感できたことは、音楽ファンとしてこの上ない幸運であった。デジタル配信で手軽に音楽が聴ける現代だからこそ、あの時代に放たれたアナログレコードの放つ輝きと、彼女の「眼差し(eyes)」のインパクトを、今一度噛み締めたい。

【ジャケ買い日誌】纐纈歩美『Brooklyn Purple』〜美しきアートワークと、サックスに宿るコルトレーンの魂〜

日常のふとした瞬間に、ジャズのレコードを「ジャケ買い」したくなる。今回私のアンテナに引っかかったのは、日本のサックス奏者、纐纈(こうけつ)歩美のアルバム『ブルックリン・パープル Brooklyn Purple [Analog]』(THINK! RECORDS)だ。
今回は、この素晴らしいジャケットの魅力と、そこに針を落とした先に待っていた極上の音楽体験について綴りたい。

一目惚れしたパープルの世界観。これぞアートワークの勝利


メディアで見かける纐纈歩美というアーティストは、どちらかといえば地味で純朴な佇まいの印象が強い。しかし、このレコードを手にした瞬間、そのイメージは鮮やかに覆された。



紫を基調とした、モダンで洗練された非常に美しいジャケット。正直なところ、昔のオリジナル盤に比べて現代のレコードはジャケットの印刷クオリティが格段に向上している。この色彩の美しさとデザインの完成度は、まさにアートワークの勝利であり、所有欲をこれ以上ないほどに満たしてくれる。



ジャケットの先にある、古き良きモダンジャズの調べ

針を落とすと、ジャケットの洗練されたビジュアルとは裏腹に、どこか懐かしく骨太なジャズの音が部屋に広がる。
彼女のサックスは、往年のジャズメンを彷彿とさせる少し揺らいだビブラートを持っており、リズムに対してわずかに遅れ気味の隙を見せる。吹き姿こそ生真面目そのものだが、偉大な先輩たちが築いてきたジャズの「遊び」や「揺らぎ」を、一生懸命に、そして忠実に再現しようとしている意思が伝わってくる。



散りばめられた、ジョン・コルトレーンへのオマージュ


本作を語る上で外せないのが、モダンジャズの巨人ジョン・コルトレーン(John Coltrane)への強いリスペクトだ。アルバムの中盤、この繋がりが明確になる素晴らしい流れが存在する。

まずは、ケニー・バレルとコルトレーンの共演盤のオープニングを飾る「Freight Trane」のカバー。
原曲よりもあえて短く切り詰められたアレンジは、まるで「ここからコルトレーンを吹きます」という彼女なりの真摯な挨拶のようだ。

そして、この曲をイントロ代わりに、いよいよ本命のメロディへと美しく流れ込む。
コルトレーンの代名詞とも言える名盤『Ballads』に収録されている隠れた小品、「It's Easy To Remember」だ。
原曲ではどこか箸休め的な位置づけにも感じられるこの曲を、纐纈は本作の「A面ラスト」という極めて重要なポジションに配置。尺を拡大し、たっぷりと感情を乗せたエモーショナルなサックスでメロディを紡ぎ切る。これは文句なしの名演だ。

総評:ジャケ買いから始まる、モダンジャズの幸福な継承


音質重視のカッティングのため、外周部のカットがきつく針を落とすのには少し気合がいる。しかし、うまく針が溝に滑り込んだ瞬間、私たちは長い歴史を持つモダンジャズの正統なる末裔のサウンドに身を委ねることになる。
美しいジャケットに惹かれて手にした一枚だったが、その中に吹き込まれていたのは、コルトレーン・マナーを磨き上げ、自身の音楽を深化させようとする一人のサックス奏者の熱い意志だった。
これだから、ジャケ買いはやめられない。

【火星シリーズ徹底解説】超科学の嵐がバルスームを襲う|イマジネーションが極限に達した『第3集』の驚異(秘密兵器/透明人間/合成人間)

 超科学のアイデアが爆発!『火星シリーズ・第3集』全体の概要

初期3部作の王道冒険、第2集の次世代への血統と奇想を経て、赤き惑星「バルスーム」の物語はいよいよ佳境へと突入します!『合本版・火星シリーズ〈第3集〉』に収録されている3作品は、これまでの「剣と肉体による格闘」から一歩進み、異想天外な「超科学・ガジェット」が物語の主軸として大活躍する、シリーズ屈指のダイナミックな展開が魅力です。

創元SF文庫のページを飾る武部本一郎氏の美麗な挿絵は本作でも健在。おなじみの壮絶なチャンバラ劇に、SFマインドを刺激する狂気の科学技術が融合し、ページをめくる手が止まらなくなる極上のスペースオペラが展開されます。

異国の軍人が手にする未知の兵器、姿を消すテクノロジー、そして禁忌の生命創造――。巨匠エドガー・ライス・バローズの想像力が限界を突破した、中・後期の傑作3作品を網羅していきましょう。

火星の秘密兵器 (創元SF文庫 ハ 3-41 合本版・火星シリーズ 第 3集)
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第7作:『火星の秘密兵器』~不可視の翼と絶望の光線~

【あらすじ】

ヘリウム帝国の若き青年軍人タナ・ハドロンは、密かに想いを寄せていた傲慢な美女サンコーマが何者かに誘拐されたことを知る。彼女を救うため、愛機を駆ってバルスームの未踏の地へと飛び立った彼は、恐怖の「金属分解光線」を操り火星全土の征服を企てる狂気の帝国ジャハールへと行き着く。

敵の圧倒的な科学力を前に、タナ・ハドロンは天才科学者が開発した「自らの姿を完全に消すことができる不可視の飛行艇」を手に入れ、たった一人で巨大な陰謀に立ち向かう!


第8作:『火星の透明人間』~暗殺者ギルドの闇と月への飛翔~

【あらすじ】

バルスームの大元帥ジョン・カーターの前に、火星の治安を脅かす最凶の組織「暗殺者ギルド」が立ちはだかる。誘拐された愛妻デジャー・ソリスを奪還するため、カーターは変装して敵の拠点へと単身潜入を試みる。

そこで彼を待ち受けていたのは、精神を集中させることで自らの肉体を他人の目から見えなくする「透明人間」たちの奇妙な術策だった。新開発された最先端の宇宙船に乗り込んだカーターは、ついに人知を超えた火星の衛星(月)へと舞台を移し、宇宙規模の死闘を繰り広げる!


第9作:『火星の合成人間』~生命の禁忌を侵す狂気の人造人間~

【あらすじ】

かつて『火星の交換頭脳』でその狂気を見せた天才外科医ラサーム・ケン。彼の弟子を自称する新たな狂科学者が、生体組織を培養して生命をゼロから造り出す禁断の技術を完成させていた。

しかし、その実験室から生まれた醜悪にして強靭な「人造人間(合成人間)」たちが反乱を起こし、独自の独立王国を樹立してしまう。この怪奇極まる事態に巻き込まれた新たな英雄と、かつてないバルスームの危機。肉体と生命の神秘を冒涜する異形の軍団との、おぞましくも熱い戦いが幕を開ける。


ここが面白い!第3集の圧倒的な見どころ

1. 現代SFの源流を見る「超科学ガジェット」の数々

第3集最大の魅力は、バローズのパルプSFとしての本領が発揮されたガジェットの数々です。触れた金属を瞬時に塵に換える「金属分解光線」の脅威、男のロマンを体現した「透明になる飛行艇」、そして現代のクローン技術やバイオホラーを先取りしたような「合成人間」の描写など、現代のSFやアニメ、ゲームに多大な影響を与えたアイデアの引き出しに圧倒されます。

2. 舞台はついに宇宙へ!スケールアップする冒険の舞台

これまで赤き惑星の砂漠や死の海、地下世界を巡ってきた冒険は、第8作『火星の透明人間』でついに火星を飛び出し、その衛星(月)へと到達します。スペースオペラとしてのスケール感が一気に拡大し、未知の天体でのエキゾチックなサバイバルが読者のイマジネーションを激しく刺激します。

3. 「剣戟」と「ホラー・サスペンス」の奇跡的な融合

バローズのお家芸である、名誉と美女のために命をかける熱いソード・アクションはそのままに、第3集では「姿の見えない敵との心理戦」や「不気味な人造人間の怪奇」といったホラー・サスペンス要素が色濃く絡み合います。一筋縄ではいかないピンチの連続に、ハラハラドキドキが止まりません。


総評:スペースオペラの限界を押し広げた、贅沢すぎる三本立て

偉大な英雄ジョン・カーターの活躍はもちろん、彼に憧れる若き戦士たちの視点を通して描かれるバルスームは、回を追うごとにその奥深さを増していきます。

『合本版・火星シリーズ〈第3集〉』に詰め込まれた「透明化」「光線兵器」「人造人間」というモチーフは、まさに100年後の私たちが読んでも色褪せないロマンの塊。バローズの筆力は、異世界のルールをただ説明するのではなく、血湧き肉躍る活劇の中にそれらを最高の調味料として組み込む天才的な冴えを見せています。

異星の空を翔ける不可視の翼、月面での決闘、そして生命の禁忌。スペースオペラの歴史にその名を刻む、最も贅沢で最もスリリングな興奮をぜひ体験してください!


【P.D.ジェイムズ】『女には向かない職業』徹底解説|灰原哀の由来にもなった聖女、コーデリア・グレイが歩む不屈の探偵道

はじめに:「女には向かない職業」へようこそ

「優しすぎる人間は、探偵には向かない」

ミステリの世界には数多くの名探偵が存在しますが、これほどまでに健気で、知的で、そして孤独な痛みを抱えたヒロインがほかにいるでしょうか。

今回ご紹介するのは、イギリスミステリ界の女王、P.D.ジェイムズが1972年に発表した珠玉の名作『女には向かない職業』(原題:An Unsuitable Job for a Woman)です。

本作は、後に続く「女性探偵モノ」の金字塔として今なお燦然と輝く傑作。タイトルの持つ皮肉と、それに抗うようにして自らの足で立つヒロインの姿は、現代の私たちの胸を激しく揺さぶります。 

女には向かない職業 (ハヤカワ・ミステリ文庫 129-1)
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キャラクター分析:コーデリア・グレイという「ひたむきな魂」とその生い立ち


本作の主人公は、わずか22歳の若き女性探偵コーデリア・グレイ。
彼女の魅力は、いわゆる「スーパーヒーロー」的な万能さではなく、どこまでもリアルでひたむきな人間味にあります。その強さの背景には、彼女の複雑な生い立ちが深く関係しています。
放浪癖のある革命家の父を持ち、幼少期はまともな家庭の温もりを知らずに育ったコーデリア。里親を転々とし、修道院の学校で教育を受けた彼女は、孤独に対して並外れた耐性を持っています。
そんな彼女が巡り合ったのが、うだつの上がらない中年探偵バーニィ・プライドでした。彼の助手として雇われたことで、コーデリアは初めて「自分の居場所」を見出します。
しかし、物語は、そのバーニィが自ら命を絶ち、彼女に「一丁の拳銃(38口径のオートマチック)」と「傾きかけた探偵事務所」を遺すところから始まります。周囲から「女には向かない職業だ」と冷ややかな目を向けられながらも、彼女はバーニィの誇りを受け継ぎ、たった一人で事務所を維持することを決意するのです。

コラム:『名探偵コナン』灰原哀のルーツを探る


実は日本の国民的ミステリ漫画『名探偵コナン』に登場する人気キャラクター、**灰原哀(本名:宮野志保)**の名前の由来の一端が、このコーデリア・グレイにあることをご存じでしょうか。
作者の青山剛昌氏により、彼女の「灰(グレイ)」はまさに本作の「コーデリア・グレイ」から(そして「哀」はサラ・パレツキーの描く女性探偵V.I.ウォーショースキーの「I」から)取られたと明かされています。
孤独を抱えながらも、高い知性と不屈の精神で過酷な運命に立ち向かう灰原哀の凛とした佇まいは、確かにコーデリアの遺伝子を色濃く受け継いでいると言えます。

『女には向かない職業』あらすじ


共同経営者の自殺という最悪の状況のなか、コーデリアのもとに初めての「大きな依頼」が舞い込みます。
依頼主は、著名な一流学者であるロナウド・カレンダー。内容は、ケンブリッジ大学を中退し、不可解な首吊り自殺を遂げた不肖の息子、マーク・カレンダーの死の真相を調査してほしいというものでした。
マークが命を絶ったとされる古びた小屋へと向かったコーデリア。現場に残された不自然な痕跡、そして生前の彼を知る友人たちの奇妙な態度から、彼女は直感します。「これは自殺ではない」と。
特権階級の冷酷な人間関係と、歴史ある学園都市の暗部に、たった一人で切り込んでいくコーデリア。しかし、真相に近づくにつれ、彼女の身にも容赦のない悪意の罠が襲いかかります。

ここが見どころ!『女には向かない職業』の深層


1. ダルグリッシュ警視シリーズとの「美しい交錯」


P.D.ジェイムズといえば、詩人でもある名刑事「アダム・ダルグリッシュ警視」シリーズが有名です。実は本作、その「ダルグリッシュ・シリーズの番外編」としての側面を持っています。
亡くなったバーニィ・プライドは、かつてスコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)でダルグリッシュの部下だった男。コーデリアはバーニィから「ダルグリッシュ警視の捜査哲学」を叩き込まれており、作中でも彼の教えを羅針盤にして捜査を進めます。
そして終盤、ある運命的な形でコーデリアとダルグリッシュ警視は対峙することになります。この二人の間で交わされるスリリングかつ緊迫した心理戦、そして最後に残る「ある余韻」は、ミステリ史に残る名シーンです。

2. 残酷なまでの心理描写と、英国情緒のコントラスト


P.D.ジェイムズの筆致は、どこまでも緻密で容赦がありません。ケンブリッジの美しい風景やイギリスの伝統的な生活様式の描写の裏側で、人間の醜いエゴや階級社会の冷徹さがこれでもかと暴かれていきます。
その張り詰めた空気の中で、コーデリアが恐怖に震えながらも、バーニィの教えを胸に「プロフェッショナル」として振る舞おうとする姿が、健気で、だからこそ圧倒的に美しいのです。

おわりに:彼女は今日も、38口径の銃をバッグに忍ばせて


世界は不条理で、男たちの社会は排他的で、真実はいつもビターな味わいを残します。
それでも、すべての調査を終えたとき、コーデリア・グレイはひとまわり大きな人間へと成長しています。
『女には向かない職業』は、単なる犯人探しの謎解きに留まらない、一人の若き女性の「自立と目覚め」を鮮烈に描いた、時代を超える青春サスペンスの傑作です。
もしあなたが、傷つきながらも前を向く人間の強さに触れたいなら、ぜひコーデリアの叩く探偵事務所のドアの音に、耳を澄ませてみてください。