2015年10月25日日曜日

国内盤と輸入盤の音質は違うのか、聴き較べてみたよ

レコード保護袋を買ったので、古くなってしまったものを選んで交換した。
ついでに、聴くたびに適当に戻して探しにくくなってしまったレコードを整理した。

うちには、もうレコードは聴かないからと友だちがくれたレコードがたくさんあって、だから同じレコードが何対かある。
友だちはレコードを輸入盤で買っていた。僕も輸入盤が多いが、中古店で買う時は手頃な国内盤を選ぶ。あまり聴かれていなくて綺麗な盤が多いからだ。
だからいくつかのレコードは国内盤と輸入盤というセットになる。

ここで思い出したのは、ウェザー・リポートのファーストに書かれていた[SX-68 Mark-II]の文字で、これはレコードの原盤を作るカッティングマシーンの機種の名前だ。
独ノイマン社の製品で、古いオーディオファンの間では、このマシン導入後日本のレコードの音が悪くなったとまことしやかに囁かれている。


その話の真贋は僕にはわからない。
聞けばこのマシンを導入したのもテイチクとSONYの二社だけとのこと。
昔から輸入盤の方が音がいいという話はよく聞いていたが、「洋行帰り」なんて言葉があったこの国にしつこく根付いた「ムコウにはカナワナイ」的自虐嗜好なんだろう、くらいに思っていた。

でもここに、恰好のサンプルがあるじゃないかと気付いてしまえば試さない理由もない。
棚から一組のライブ盤を取り出した。


ブルース・スプリングスティーンの5枚組のライブ盤である。
右側の右上はしに5LPsと表記のあるのが友人のくれた輸入盤。左側がデパートの中古レコード市で1000円で買った国内盤。

輸入盤のレーベルはこのように凹凸のある仕上げで、この盤以外では見たことがない仕様である。

国内盤はこのようなノーマルな仕様で、米コロンビア盤は輸入盤もこのようなデザインが一般的だったと思う。

肝心の音だが、これは明らかに違った。
レーベルのデザインが示唆していた、なんてのはただのこじつけだが、輸入盤の方が立体的で、楽器の持つ付帯音のニュアンスがよく伝わってくる。
ボスの掠れたシャウトの余韻に含まれる金属的なシャープさは断然輸入盤の方から伝わってきた。

ではこちらはどうかと、ボストンの「サード・ステージ」を聴き比べてみた。


ボストンのMCA盤でも、スプリングスティーンのライブとよく似た差異が聴き取れた。
特に入念に施されたドラムスへの硬いリヴァーブの質感の違いは顕著だった。

なるほど、どのレコードでもこれほどの差があるのなら輸入盤信仰が生まれるのも止むを得ないだろう。

思えば1989年に就職で東京に出てパイオニアのアンプとCDプレーヤを買って、それを機に、僕は本格的にCDに移行しはじめたのだった。
CDは棚に並べた時、背のデザインがはっきりと目に入るが、国内盤のアーティスト名のカタカナ表記が気になって輸入盤ばかりを買っていた。
LPでは海外のアーティストなら欧字表記だったはずで、今見直してみてもカタカナ表記のLPは見当たらない。あれは何だったんだろう。

そんなわけでCDの背デザインが気に入らないという瑣末な理由で輸入盤を買い続けていたわけだが、ある時、会社に入ってきた後輩がやたらと音楽に詳しいので訊いてみると、CDはできるだけ国内盤で買ってライナーを熟読するのだと言っていた。

そう言われて、子供の頃買ってもらったベイ・シティ・ローラーズのレコードのライナーノーツに鉛筆で印をつけて何度も何度も熱心に読んだことを思い出した。
少しカタカナ表記への嫌悪は薄れて、歌詞に重要性がある何人かのアーティストやライナーを書いている人などをチェックして選択するようになった。価格はやはり輸入盤が安かったから。

しかし、そんな話も今は昔で、アナログレコードのブームが来ているとはいうが生産の体制はお粗末という他なく、輸入盤の新譜がまともな状態で届くかは五分五分というところ。ギャンブルより少し確率がいいという程度だ。

高音質を謳う一部のレーベルのものは安心だが、安価なジャズの再発輸入盤はほとんどに爪の跡があったり、指の脂がべったりついている。
盤が歪んでいるものも少なくない。

そういうわけで、レコードはしばらく中古レコード店で探そうと思っている。
今回の輸入盤 vs 国内盤比較はそれなりに得るものはあったが、それでも僕はきっと国内盤を見かければそちらを買うだろう。
帯も楽しいし、ライナーノーツも読みたい。

何より丁寧に扱われた盤に出会う確率が高い。
90年代にアメリカから大量に仕入れられた、彼の地で消耗品として扱われ二束三文で売られていた中古輸入盤は、たいていジリジリパチパチ音がして、いかにも針が傷みそうだ。
丁寧に扱われたレコードは、それが古いものであっても驚くほどノイズが出ないものだ。

音質のことを言えば、較べれば違うということは、較べなければ違わないということだ。
もっといい音の盤があるかも知れないと思いながら音楽を聴くことは、僕にはできない。
音楽はもっと多くの大切なことを、一定のリズムに乗せて同時多発的に発声している。
聞き逃がせばすぐに消えてしまう。

時を超えて残ってきた音盤を、僕は大切に聴いていきたいと思っているのだ。

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