亡くなった原尞さんに導かれるようにして、ポケミス(ハヤカワ・ミステリ)版の『そして夜は蘇る』を手に取った。それをきっかけに、私はすっかりポケミスの持つ独特な装丁の美しさに夢中になってしまった。
幸いにも私が暮らす街には、今や貴重となった「ポケミスコーナー」を常設している大型書店がある。旧刊から新刊までが充実した棚を眺めてはニヤニヤするだけの日々に終止符を打つべく、先日、完全なる“ジャケ買い”で一冊の本を購入した。
それが、ジェイムズ・ケストレル著の『真珠湾の冬』(原題:Five Decembers / 山中朝晶 訳)だ。
圧倒的スケールで描かれる『真珠湾の冬』のあらすじ
本作は、2022年のエドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞)最優秀長篇賞を受賞し、世界中のミステリファンを震撼させた歴史サスペンス巨編だ。
【あらすじ】
舞台は1941年11月のハワイ・ホノルル。アメリカ陸軍上がりの不器用な刑事ジョー・マグレディは、白人男性と日本人女性が惨殺された奇怪な猟奇殺人事件の捜査を命じられる。
わずかな手がかりを追い、ウェーク島を経て容疑者がイギリス領の香港へ向かったことを突き止めたマグレディは、すぐさま現地へと飛び立つ。しかし、彼が香港に降り立った直後、日本軍による真珠湾奇襲攻撃が勃発。世界は太平洋戦争の激動へと巻き込まれていく。
開戦により、敵地となった香港で日本軍に囚われ、やがて戦時下の東京へと流れ着くマグレディ。激動する歴史の渦に翻弄されながらも、彼は自らが奉じた刑事という職業への強い使命感を胸に、執念で連続殺人犯の行方を追い続ける――。
本書を強くおすすめする3つの「読みどころ」
単なる犯人探しのミステリに留まらない、本作の凄まじい魅力を3つのポイントに絞って紹介する。
1. 歴史の渦に翻弄される「距離と孤独」のドラマ
ハワイ、香港、そして日本。主人公マグレディの前に立ちはだかるのは、戦争という圧倒的な現実と、愛する人が待つ故郷との間に横たわる「太平洋の巨大な距離」だ。
自由を奪われ、世界の片隅に置き去りにされながらも、事件の真実だけを見つめ続ける彼の孤独な横顔が胸を締め付ける。
2. 敵国としての「日本」の描写と、戦争が狂わせる運命
アメリカ人作家の手によって描かれる戦時下の日本や歴史的背景は、驚くほど真摯で重厚だ。声高に「リメンバー・パールハーバー」と叫ぶような単純なプロパガンダ小説ではない。
極限状態の中で主人公自身も手を汚さざるを得なくなる展開は、「戦争がいかに人間の運命を狂わせ、無垢な者を追い詰めるか」を鋭く描き出しており、この国に生きる私たち読者にも深く考えさせるものがある。
3. やるせない喪失の果てに用意された「至高のラスト」
職務への身を焦がすほどの使命感ゆえに、マグレディが背負わなければならなかった喪失はあまりにも重く、どこまでもやるせない。
しかし、作者はこの重厚な物語の幕引きに、これ以上ないほどふさわしいラストを用意してくれた。読み進めるにつれて、我がことのように主人公の救いを求めるようになっていた私にとって、その結末はまさに「福音」そのものだった。
ぜひご自身でこの福音を噛み締めていただきたい。
真珠湾の冬 (ハヤカワ・ミステリ)
著者ジェイムズ・ケストレルと「幻の他作品」について
これほどの怪作を書き上げたジェイムズ・ケストレル(James Kestrel)とは、一体何者なのだろうか。
彼は、刑事事件の調査員など様々な職種を経験した後、現在は弁護士としても活動している異色の作家だ。その現場経験に裏打ちされたリアルな捜査描写と人間の心理描写が、本作のリアリティを支えている。
「これほどの筆力を持つ作家なら、他の作品も読みたい!」と思うのは当然だが、実は「ジェイムズ・ケストレル」という名義での長編邦訳作品は、現在のところこの『真珠湾の冬』のみとなっている。まさに、満を持して日本のミステリ界に投下された一撃必殺の傑作なのだ。
まとめ:この国に生きるすべての人に読んでほしい、逃げ場のない読書体験
『真珠湾の冬』は、ページをめくる手が止まらなくなるサスペンスとしての面白さと、歴史の荒波に引き裂かれる人間のドラマが見事に融合した、本物の文学だ。
重く、苦しく、逃げ場のない読書体験をもたらす本ではあるが、心底この本に出会えてよかったと断言できる。
かつてポケミスが黄金期を築いた時代のような、重厚な翻訳ミステリの醍醐味がここには詰まっている。ミステリ好きはもちろん、歴史の波間に生きた人間の魂の彷徨を感じたいすべての人に、ぜひ手に取ってほしい。

コメント
コメントを投稿