2013年5月11日土曜日

ワーグナーの「ニーベルングの指環」に思う人生の傲慢と煉獄。


(旧Cafe GIGLIO Blogから転載)

クラシックに目覚めたのも40歳の時で遅かったが、その後もしばらくはオペラの面白さはわからなかった。
ベートーヴェンが、シンプルな音形を構築的に組み上げ、変形させてドラマティックな楽曲を作り上げていく様子や、一音も忽(ゆるが)せにせず、精緻な音による小世界を組み上げていくバッハの音楽に夢中になったが、歌劇は食わず嫌いをしていた。

縁あって、ワーグナーの大作オペラ「ニーベルングの指環」全曲を聴く機会があり、その印象は随分変わった。
それにしても長い。CDにして14枚。生演奏の際は四日間かけて上演が行われる壮大な物語だ。
ドイツ語で歌われる物語は入り組んだプロットで、ドイツ人でも聴いただけでは意味は理解出来ないという難物だ。
オーディオの大先輩がCDといっしょに貸してくださった、一部を寺山修司さんが手がけたという翻訳本を読んで、CDについている英語独語対訳を参照しながら聴いていった。



傲慢さだけが切り開ける道がある。しかし、その先に待っているものもやはり煉獄である。

ワーグナーの示す人間観はあくまでも厳しい。しかし、その厳しさこそが崇高なのだとワーグナーの作った厳粛そのものの音楽が語っている。だからこの芸術は、音楽を消費材として扱う現代風の風潮を隔絶しながらも長く生きながらえているのだろう。

外国語のわからない歌詞を一生懸命追いかけて音楽を聴いていると、初めて音楽に夢中になった小学生の頃を思い出す。

小学4年生の時だった。
あの頃放課後になるとクラスの男子のほとんどが集まって、みんなで野球をやっていた。帰り数人でどこかの家に寄っていろんな話をした。

ある日クラスメートの馬場くんが「今日は姉貴いねえから」と言ってお姉さんの部屋からベイ・シティ・ローラーズのレコードを持ち出してみんなで聴いた。
当時もうラジカセは持っていたと思うけど、聴くのはベスト10北海道というローカルの歌謡曲番組で松山千春とか、キャンデーズとかを聴いていたので、英語で歌われたローラーズのロック・サウンドはずいぶん大人っぽく聴こえたものだ。
それで僕も親にねだってベイ・シティ・ローラーズの「青春に捧げるメロディー」というアルバムを買ってもらった。

このアルバムは本当に素晴らしかった。
名プロデューサー、ジミー・イエナーの仕掛けたポップの宝箱だ。
一曲目がエリック・カルメンの在籍したラズベリーズの永遠の名曲「レッツ・プリテンド」。
そしてダスティ・スプリングフィールドのヒット曲「二人だけのデート」。
ビーチ・ボーイズのポップなラブソング「ドント・ウォリー・ベイビー」。
これらのナイスなカバー曲だけでもかなりクラクラだが、彼らの本領はグラム・ロック・バンドとしてのハードなサウンドにあるのだ。

「ロックン・ローラー」「イエスタデイズ・ヒーロー」のオリジナル曲2曲をお聴きいただければ、このバンドがアイドルバンドだったなどとはいえないはずだ。
実は僕も武道館でのコンサート映像を見て、「演奏してねえじゃん」と思ったのだが、一昨年ふとしたことで知り合ったBCRファンから新潟公演をこっそり録音したテープを聴かせていただいて、明らかにかなり演奏力の高いバンドであったことを自分の耳で確認した。

小学生だった僕はその素晴らしい歌をどうしても自分で歌ってみたくて、歌詞カードにレコードから聴き取った発音をカタカナで書き込んで英語で歌う練習をしたのだった。
歌うとますますその歌が好きになった。
学校の休み時間にもずっと歌を歌っていた。
街を歩いているときも。

ところかまわず大声で歌を歌う僕の「傲慢さ」は中学に入ると急にしぼんで、おかげで僕は「煉獄」を味わわずにすんだのかもしれないが、もしあのまま貫いていたら今頃歌手になれていただろうか、と考える日もなくはない。

ともあれ、その日から現在にいたるまで、いつも音楽と一緒にいた。
今は「ずっと音楽と一緒にいられる仕事」という高校時代に思い描いたどうしようもなく子どもっぽい将来像を曲がりなりにも「音楽が流れるカフェを経営する」というカタチで実現できたことを素直に喜んでいる。
小学生の時にベイ・シティ・ローラーズを聴いて心が動いたあの時のキモチを、バッハが、スプリングスティーンが、コステロが、元春が、甲斐バンドが、ドヴォルザークが、ベートーヴェンが、そして今度はワーグナーが再現してくれた。

いろいろ持っていないものはあるけれど、僕は本当に幸せな男だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿