1. 1970年代末のAORブームと『イブニング・スキャンダル』の登場
1970年代後半、ロックの力強さとソウル、ジャズの洗練されたエッセンスを融合させた音楽ジャンル「AOR(Adult Oriented Rock / Album Oriented Rock)」が全盛期を迎えようとしていた。その決定打として1978年にシーンに登場したのが、ボビー・コールドウェル(Bobby Caldwell)のデビュー・アルバム『Bobby Caldwell(邦題:イブニング・スキャンダル)』である。
本作に収録された名曲「What You Won't Do for Love(邦題:風のシルエット)」は、印象的なホーンのイントロと甘美なメロディが溶け合う、AORの鋳型とも言えるマスターピースだ。後にR&Bやヒップホップの分野で数多くサンプリングされたことからも、その楽曲クオリティの高さが窺える。
しかし当時、マイアミの「T.K. Records」傘下のレーベルからリリースされた本作は、本国アメリカでのプロモーションが十分に行き届かなかった。結果としてアメリカ以上に、ここ日本において「ミスターAOR」として絶大な人気を確立するという特異な足跡を残すことになる。
2. 黒人シンガーと見紛う「ブルー・アイド・ソウル」の歌声と驚異のマルチプレイヤーぶり
ボビー・コールドウェルを語る上で欠かせないのが、その卓越した音楽的才能である。
アルバムのジャケットでは、夕暮れをバックにハットを被った男のシルエットのみが描かれている。これは当時、所属レーベルが彼を「黒人R&Bシンガー」として売り出そうとしたための戦略であった。実際に音を聴けば、そのソウルフルでレイドバックしたボーカルは完全に洗練された黒人音楽のそれであり、リスナーが彼の姿を「白人青年」だと知った時の衝撃は極めて大きかった。これがいわゆる「ブルー・アイド・ソウル(白人が歌うソウル・ミュージック)」の代表格とされる所以である。
さらに特筆すべきは、彼が単なるシンガーソングライターに留まらず、極めて優秀なマルチミュージシャン(マルチプレイヤー)であった点だ。
デビュー作『イブニング・スキャンダル』において、ボビーはボーカルだけでなく、ギター、ベース、キーボード、さらにはドラムやパーカッションに至るまで、大半の楽器を自ら演奏してレコーディングを行っている。
この時代、AORといえばロサンゼルスの腕利きスタジオミュージシャン(ジェフ・ポーカロやジェイ・グレイドンなど)を大挙して起用し、緻密に構築された贅沢なサウンドメイクが主流であった。その中にあって、ほぼ単独でこれほど洗練されたグルーヴとアンサンブルを生み出したボビーのワンマン・レコーディング能力は、驚異的と言うほかはない。
3. ボズ・スキャッグス人気との交錯、そして「ハート・オブ・マイン」への系譜
AORの潮流を語る上で、ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs)の存在は避けて通れない。
ボズが1974年に発表した『スロー・ダンサー』や、1976年の不朽の名盤『シルク・ディグリーズ』の成功によって、AORは完全にロック・ミュージックの新しい一大潮流として確定した。ボビー・コールドウェルがデビューした1978年は、まさに日本中がボズ・スキャッグス流の都会的で洗練されたサウンドに酔いしれていた真っ只中であった。日本のリスナーは、ボズによって耕されたAORという土壌の上に、彗星のごとく現れたボビーのサウンドを極めて自然に、そして熱狂的に受け入れたのである。
この2人の天才の物語は、10年後の1988年に美しく交差する。
当時、長いブランクを経てカムバックを画策していたボズ・スキャッグスに対し、ボビー・コールドウェルは「Heart of Mine(ハート・オブ・マイン)」という楽曲を提供する。ボズのハスキーで都会的な歌声にマッチしたこの曲は見事にヒットし、ボズの鮮やかな復活劇をサポートすることとなった。
その後、ボビー自身もこの「ハート・オブ・マイン」をセルフカバーする。このバージョンは1990年代にパーラメント(PARLIAMENT)というタバコのCMソングに起用され、スタイリッシュな映像とともに夜の都会を彩った。これにより、リアルタイムで70年代を体験していない若い世代にも、ボビー・コールドウェルという稀代のメロディメーカーの知名度が広く浸透することとなった。


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