1980年に発表された『Double Fantasy(ダブル・ファンタジー)』は、ジョン・レノンとオノ・ヨーコによる共同名義のアルバム。
5年間のハウス・ハズバンド生活を経て音楽活動を再開したジョンと、前衛芸術家としての確固たるキャリアを持つヨーコが、交互に楽曲を配置してそれはまるで「ダイアローグ(対話)」のようでもある。
本作はジョンの遺作という文脈で語られることが多いが、本稿では両者の音楽的キャリアと、各楽曲の特質から、その芸術的価値を分析的に検証してみたい。
ジョン・レノンの音楽キャリアにおける本作の位置づけ
ジョン・レノンのキャリアは、ザ・ビートルズにおける革新的なポップ・ミュージックの探求から始まり、解散後は『John Lennon/Plastic Ono Band(ジョンの魂)』に代表される、極限まで装飾を削ぎ落とした自己表白へと向かった。
1975年の息子の誕生を機に訪れた沈黙期間を経て制作された本作において、レノンのソングライティングは、かつての尖鋭的な社会批判や内省的な苦悩から、日常の肯定へとシフトしている。音楽的には、1950年代のロックンロールの骨格をベースにしながらも、ニューヨークの精鋭ミュージシャン(ヒュー・マクラッケン、トニー・レヴィンら)による洗練されたAOR(Adult Contemporary)の意匠を纏っている点も無視はできまい。
オノ・ヨーコの芸術的背景と音楽性
オノ・ヨーコは、1960年代の国際的な前衛芸術運動「フルクサス」における中心人物のひとりであり、コンセプチュアル・アートの先駆者である。彼女の音楽的アプローチは、従来の西洋音楽のメロディ構造にとらわれない、ヴォイス・パフォーマンス(叫びや変調)を特徴としていた。
しかし本作においてヨーコは、当時ニューヨークのクラブシーンで台頭していたニュー・ウェイヴやポスト・パンク(B-52'sやベースメント・5等)の潮流と共振しているヨーコの提示したタイトなリズムセクションと変則的なボーカルアプローチは、ジョンのコンサーバティブなロックンロールに対する鋭いカウンターとして機能している。
収録曲の分析的評論
本作は、ジョンとヨーコの楽曲が1曲ごとに交互に展開する。この構成がもたらす音楽的ダイナミズムを、主要楽曲から読み解く。
1. (Just Like) Starting Over(ジョン・レノン)
アルバムの幕開けを飾るこの楽曲は、3連符を中心とした1950年代のドゥーワップの構造を持つ。ジョンはエルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーを想起させるヒーカップ唱法を交えつつ、オーソドックスなコード進行の中で瑞々しい平穏を歌う。伝統的なロックンロールへの回帰でありながら、緻密なリバーブ処理と重層的なコーラスワークにより、1980年代初頭のモダンなプロダクションとして成立させている。
2. Kiss Kiss Kiss(オノ・ヨーコ)
前曲のオーソドックスな響きから一転し、当時の最先端であったニュー・ウェイヴのビートが導入される。ファンク調の鋭いベースラインとカッティングギターが牽引するトラックの上で、ヨーコは日本語と英語を交えた変則的なリフレインを展開する。楽曲後半の過激なヴォイス・パフォーマンスは、お茶の間的なポップ・ミュージックの枠組みを揺るがす前衛性を身上として、ジョンの伝統主義と鮮烈に対立しているように見える。
3. Watching the Wheels(ジョン・レノン)
音楽業界や社会的な狂騒から距離を置き、ただ「車輪が回るのを眺めている」自分を語る、本作中、最も内省的な楽曲。アコースティック・ギターとピアノのシンプルなコードをベースに、ダルシマー調のキーボードの音色が浮遊感を添える。ミドルテンポの落ち着いたリズムは、ジョンが得た精神的な自立と平穏を表現しているようにも思える。
4. Beautiful Boy (Darling Boy)(ジョン・レノン)
息子のために書かれたこのバラードは、スティール・ドラムや、波の音のSEが導入されるなど、視覚的な音響デザインを持っていて、変拍子を自然に組み込んだメロディラインと併せ、ビートルズ時代から続く、ジョンのポップ・センスと実験的精神の健在を示している。
普通に子守歌を書いても、歴史的傑作になってしまうのが、ジョン・レノン。ありふれたコードのみによって構成されているのに、この楽曲にしかなり得ないものになるのは、『(Just Like) Starting Over』と同じで、ここがジョンの到達点であったのだろう。
5. ※補足:ヨーコ楽曲について
アルバム本編のヨーコ楽曲(『Give Me Something』や『I'm Moving On』など)に通底するのは、緻密に計算されたピッチ(音程)の安定感と、自由なアレンジメントの同居だと思う。後にシングルカットされる『Walking on Thin Ice』に見られるような、ポスト・パンク的なディスコ・ビートと実験的電子音の融合は、本作の制作過程においてすでに確固とした方向性として確立されている。

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