ソロデビュー前に世界的ポップ・スター、ビリー・ジョエル(Billy Joel)が在籍していたアメリカのサイケデリック・ロックバンド、ザ・ハッスルズ(The Hassles)。
彼らが1969年にリリースした2ndアルバム『Hour of the Wolf』は、ビリー・ジョエルの膨大なキャリアを紐解く上で、極めて特異かつ重要な位置を占める作品である。
ビリー・ジョエルのキャリアにおける本作の位置付け
ビリー・ジョエルの音楽キャリアは、1970年代の「Piano Man」や「The Stranger」といった洗練されたポップ・ロック、バラードのイメージが強い。しかし、その前史にあたる1960年代後半、彼は地元ロングアイランドのブルー・アイド・ソウル/サイケデリック・ロックバンドであるザ・ハッスルズの鍵盤奏者として活動していた。
ザ・ハッスルズは1967年にデビュー・アルバムを発表したが、商業的な成功を収めるには至らなかった。前作がカヴァー曲中心であったのに対し、翌1969年にユナイテッド・アーティスツ・レコードからリリースされた本作『Hour of the Wolf』は、バンドメンバー(主にビリー・ジョエル)によるオリジナル楽曲で固められた意欲作である。
しかし、本作も商業的には不発に終わり、バンドは同年に解散。ビリーはドラマーのジョン・スモール(Jon Small)と共に、よりヘヴィなサイケデリック・ロック・デュオ「アッティラ(Attila)」を結成することになる。つまり本作は、ビリー・ジョエルが「シンガーソングライター」としての自我を確立する直前、1960年代末期のサイケデリック・ムーブメントの混沌に身を投じていた時期の、極めて貴重なドキュメントといえる。
音楽的特徴:アート・ロックと実験精神の融合
『Hour of the Wolf』の最大の特徴は、後年のビリー・ジョエル作品からは想像もつかないほどの実験精神とサイケデリック・ロック/アート・ロックへの傾倒である。
ハモンドオルガンの多用: ピアノではなく、重厚で歪んだオルガンの音色がサウンドの中心を担っている。
プログレッシブな展開: 緻密なストリングス・アレンジが施されている一方で、予測のつかないリズムチェンジや、ジャズやブルースの要素が混ざり合う実験的なアプローチが随所に見られる。
若き日のボーカル: 後年の力強いハスキーボイスとは異なり、繊細で初々しさを残したビリーのボーカルを聴くことができる。
主要楽曲の分析
1. 「Country Boy」
アルバムのオープニングを飾る楽曲。ビリー・ジョエルとジョン・スモールの共作であり、ザ・ビートルズとオールマン・ブラザーズ・バンドがセッションしたかのような独特のグルーヴを持つ。オルガンとギターが絡み合うスリリングなリフが特徴であり、比較的キャッチーでストレートなロック・ナンバーに仕上がっている。
2. 「Hour Of The Wolf」
アルバムのハイライトであり、11分を超える大作。当時のアシッド・ロックやノイズ・ミュージックの影響を強く受けた実験的構成となっている。狼の遠吠えや不気味な笑い声といったエフェクト音が挿入され、混沌としたサイケデリック空間を演出している。後年のポップ職人としてのビリーからは最も遠い、アヴァンギャルドな一面が露わになった楽曲である。
3. 「4 O'Clock In The Morning」
アルバム前半の緊張感を和らげる、比較的レイドバックしたサイケ・ポップ・ナンバー。気怠くもどこか幻想的なメロディラインには、ビリーが本来持っている優れたメロディセンスの片鱗が垣間見える。
4. 「Cat」
曲の前半は統一されたビートを見出すのが難しいほど展開が激しいが、後半に向けてアンサンブルが収束していく実験的な構造を持つ。特筆すべきは中盤以降のビリーによる圧倒的なキーボード・プレイであり、彼の鍵盤奏者としての高い技術が客観的に証明されている。
コレクターズ・アイテムとしての価値
本作リリース後、ザ・ハッスルズの音源は長らく廃盤状態が続き、音楽ファンの間では幻のコレクターズ・アイテムとして扱われてきた。日本においては『ビリー・ジョエル・イン・ザ・ビギニング』という独自の邦題で紹介され、彼の原点を知るための重要作として語り継がれている。
世界的ポップ・スターの「洗練される前の剥き出しの才能」と「時代特有のサイケデリックな狂気」が同居した本作は、ビリー・ジョエルのファンのみならず、1960年代後半の熱いロック・シーンを俯瞰する上でも無視できない一枚である。

0 件のコメント:
コメントを投稿