1971年の『Led Zeppelin IV』でジャケットからコトバを排除し、音楽そのものにフォーカスしたレッド・ツェッペリン。それから8年後、彼らが1979年8月にリリースした8枚目のスタジオアルバム『In Through the Out Door(イン・スルー・ジ・アウト・ドア)』は、再び商業的常識を覆す奇妙な「仕掛け」を伴って世に送り出された。
全世界のチャートで1位を獲得した大ヒット作で、同時にバンドの事実上のラストアルバムとなった本作の、過激なギミックと音楽的変遷を紐解いていく。
1. 記憶に残るギミック:何が出るか分からない「茶色い紙袋」の謎
本作を語る上で絶対に外せないのが、当時のレコード業界を騒がせた、前代未聞のアートワーク戦略である。デザインを手がけたのは、お馴染みのデザイン集団「ヒプノシス(Hipgnosis)」。
ジャケットが見えない「お楽しみ袋」
店頭に並んだ本作は、アートワークが一切見えない「無地の茶色いクラフト紙袋」に完全に包まれて密閉されていた。リスナーは、購入して家に帰り、その袋から取り出すまで隠れているジャケットを見ることができなかった。
6種のマルチ・ジャケット
紙袋から現れるジャケット(バーのカウンターに座る男を異なる人物の視点から描いたもの)は全部で6パターン(A〜F)。
外袋からはどのパターンが入っているか判別できないため、お目当てのジャケットを引き当てるために複数枚を買い求めるファンもいたという。
「ブラインドパッケージ」の先駆けとも言えるアイディアだった。
水で染まるインナースリーブ
仕掛けはこれだけにとどまらない。内袋(インナースリーブ)に印刷された白黒のイラストは、水で濡らすと色が浮き出る特殊なインク(水溶性インク)で印刷されていた。視覚的な遊び心をこれでもかと詰め込んだ仕様は、当時の音楽シーンに大きなインパクトを与えた。
2. 音楽的特徴:ジョン・ポール・ジョーンズが主導した新しい「音」
本作のサウンドは、これまでのツェッペリンのトレードマークであった「ジミー・ペイジの重厚なギターリフ」から一転し、ジョン・ポール・ジョーンズのキーボードやシンセサイザー(ヤマハ・GX-1)が全編をリードするモダンなポップ・サウンドへとシフトしている。
バンド内のパワーバランスの変容
この劇的な変化の背景には、当時のバンド内の深刻な機能不全があった。
ギタリストのジミー・ペイジとドラマーのジョン・ボーナムは重度の薬物・アルコール問題を抱えてスタジオに遅刻することが増え、ボーカルのロバート・プラントは愛息を亡くした失意の底にいた。
結果として、最も健全な状態にあったジョン・ポール・ジョーンズが主導権を握り、アルバムの楽曲制作の大部分を牽引することとなった。
多彩な楽曲アプローチ
結果として、南米風のサンバ・ビートを取り入れた「Fool in the Rain(フール・イン・ザ・レイン)」や、10分に及ぶシンセ・エピック「Carouselambra(ケラウズランブラ)」、プラントの切ないボーカルが光るバラード「All My Love(オール・マイ・ラヴ)」など、これまでのハードロックの枠組みを超えた、極めてカラフルで80年代を予感させるポップな楽曲が並んだ。
3. バンドの行末:出口から入り、そして伝説へ
アルバムタイトルの『In Through the Out Door(出口から入る)』には、パンク・ロックの台頭や度重なる悲劇によって音楽シーンで孤立しかけていた彼らが、「逆境(出口)から再び王座(入り口)へ戻ってきてやったぞ」という、メディアに対する皮肉とプライドが込められていたと聞く。
事実、アルバムは大ヒットを記録し、彼らは見事に復権を果たしたかに見えた。
しかし、この最高級のポップ・マジックが、彼らの最後の打ち上げ花火となってしまう。
本作リリースからわずか1年後の1980年9月、ドラマーのジョン・ボーナムが過度な飲酒の末に急逝。唯一無二のグルーヴの核を失ったバンドは、同年12月、「ボーナムのいないバンドは考えられない」として、潔く解散を発表。
そしてすべては伝説となった。


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