シンガー・ソングライター時代の寵児:ビリー・ジョエル初期の名盤『ピアノ・マン』を徹底解剖

1. 苦難のデビューから再起へ:『ピアノ・マン』誕生の背景

ビリー・ジョエルのメジャーデビュー作『コールド・スプリング・ハーバー』(1971年)は、録音時のマスタリングミスによってピッチが上がってしまうという致命的なトラブルに見舞われた。セールスは惨敗し、ツアーも途中で打ち切り。失意のビリーはロサンゼルスへと移り、偽名を使ってピアノバーで弾き語りをして糊口を凌ぐ日々を送ることとなる。

しかし、彼の天才的なメロディセンスを世界が放っておくはずはなかった。 ブレイクのきっかけは、フィラデルフィアのローカルWMMR-FM局だった。ビリーがライブで披露していた楽曲「キャプテン・ジャック(Captain Jack)」の録音テープが同局でヘビーローテーションされるようになり、早耳のリスナーの間で大きな話題を呼んだのである。

これが呼び水となり、名門コロンビア・レコードとの契約を勝ち取ったビリーは、1973年に再デビュー作となるアルバム『ピアノ・マン(Piano Man)』をリリース。ポップ史に輝く快進撃がここから始まることとなる。



2. 1970年代初頭のミュージックシーンと『ピアノ・マン』の音楽的特徴

キャロル・キングやエルトン・ジョンへと連なる「SSWブーム」の潮流

本作がリリースされた1973年当時は、キャロル・キングやジェームス・テイラーに代表されるシンガー・ソングライター(SSW)ブームの全盛期であった。それまでの華やかなロックバンドの時代から、個人の内省的なメッセージやストーリーをアコースティックなサウンドに乗せて歌うスタイルへと、リスナーの関心が移っていた時代である。

また、英国ではエルトン・ジョンがピアノをメインに据えたロックで世界を席巻していた。ビリー・ジョエルによる『ピアノ・マン』は、こうしたアメリカの叙情的なSSWサウンドと、キャッチーなピアノ・ポップ/ロックのダイナミズムが完璧に融合した、まさに時代の申し子と言えるサウンドに仕上がっている。

ラリー・カールトンら名うてのミュージシャンの参加

アルバムのクオリティを底上げしているのが、バックを固める一流のミュージシャンたちである。 特に、後にフュージョン界の大御所ギタリストとなるラリー・カールトンが参加している点は見逃せない。彼の繊細かつ巧みなギターワークは、ビリーの奏でる美しいピアノの旋律と見事な化学反応を起こし、アルバム全体に洗練された都会的なニュアンスを与えている。


3. 収録曲が巻き起こしたドラマ:「ピアノ・マン」と「キャプテン・ジャック」

哀愁のタイトルトラック「ピアノ・マン」

アルバムの顔であり、ビリーの代名詞となった「ピアノ・マン」は、彼がLAのピアノバー「エグゼクティブ・ルーム」で雇われピアニストをしていた実体験をベースに書かれた。 3拍子のワルツに乗せて、バーに集う孤独な人々(風変わりな常連客や、夢破れたバーテンダーなど)の人間模様を、冷めた、しかし温かい眼差しで描き出している。ハーモニカとピアノのイントロが印象的なこの曲は、ビルボード誌でトップ30入りを果たし、彼にとって最初の世界的ヒット曲となった。

政治論争にまで発展した「キャプテン・ジャック」

再デビューの足がかりとなった大作「キャプテン・ジャック」は、当時の若者の退屈とドラッグへの依存をリアルに描いたプロテスト・ソング的な側面を持つ。この曲は、リリースから四半世紀以上を経た2000年、思わぬ形でアメリカの政治論争に巻き込まれることとなる。

上院議員選挙に出馬していたヒラリー・クリントンのスピーチ会場で、本来流すはずだった「ニューヨークの想い(New York State of Mind)」ではなく、誤ってこの「キャプテン・ジャック」が流れてしまったのだ。 対立候補側はすかさず、歌詞中にある「今夜キャプテン・ジャックとハイになろう」という一節を切り取り、「ドラッグを肯定している」とヒラリー陣営を猛烈に批判した。

しかし、この楽曲の本質はドラッグの賛美ではない。むしろ、ドラッグに頼らざるを得ないような、閉塞感に満ちたクソッタレな現実を作り上げている社会(そして政治)への皮肉であり、「こんな生活からはおさらばしよう」という強いメッセージが込められている。政治的「切り取り案件」として消費されてしまったのは皮肉な話だが、それほどまでにこの楽曲の持つリアルな描写力が、時代を超えて強烈なインパクトを持ち続けていた証左とも言えるだろう。


Piano Man
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