【名盤考察】バーティー・ヒギンズ『カサブランカ』が放つタイムレスな魅力|AOR/ヨットロックの視点から紐解くトロピカル・ロマンティシズム

1980年代初頭、日本のポップス界に多大な影響を与えた名曲がある。郷ひろみが1982年に発表し大ヒットを記録した『哀愁のカサブランカ』だ。





そのオリジナルを収録したアルバムこそが、アメリカのシンガーソングライター、バーティー・ヒギンズ(Bertie Higgins)のデビュー作『Just Another Day in Paradise(邦題:カサブランカ)』である。


日本では「哀愁の歌謡ポップス」のイメージが強い本作だが、本国アメリカの評価や音楽的系譜を紐解くと、当時の音楽シーンを象徴する「AOR」「ヨットロック(Yacht Rock)」の傑作としての異なる素顔が見えてくる。本稿では、このアルバムの多角的な魅力と、ヒギンズというアーティストの音楽性に迫る。


本国アメリカでの評価:映画へのオマージュと「キー・ラーゴ」の成功


日本においてアルバムタイトルにもなった『Casablanca(カサブランカ)』は、本国アメリカではシングルカットされておらず、実はシングルとしてのヒットには至っていない。しかし、アルバム自体は全米ビルボード200で38位を記録し、確固たる成功を収めた。その原動力となったのが、先行シングル『Key Largo(キー・ラーゴ〜遙かなる青い海)』である。

『Key Largo』は、全米シングルチャート(Billboard Hot 100)で最高8位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは第1位を獲得する大ヒットを記録した。


ハリウッド黄金期への郷愁


『Key Largo』も『Casablanca』も、ハンフリー・ボガート(ボギー)とローレン・バコールが主演した往年の名作映画(『キー・ラーゴ(1948)』『カサブランカ(1942)』)を直接的なモチーフにしている。ヒギンズの書く歌詞は、単なる恋愛模様ではなく「深夜テレビの古い映画を寄り添って観たあの冬」といった、ノスタルジーとシネマティックな情景描写が特徴である。この「古き良きアメリカへの憧憬」が、当時の米成人の心に深く突き刺さった。


『Just Another Day in Paradise』が持つ音楽的二面性


本作は、爽快な海岸線を連想させる「ヨットロック」や、都会的で洗練された「AOR」の文脈で語られることが多い。アルバム冒頭を飾るタイトル曲『Just Another Day in Paradise』の鳥のさえずりや波の音、軽快なピアノアレンジは、まさにその象徴と言える。

しかし、アルバム全体を聴き込むと、単なる「お洒落なリゾート・ミュージック」に留まらない、男臭くアーシーなロックのダイナミズムが存在することに気づかされる。


トロピカル・ロックと裏社会の影

ジミー・バフェットに代表される「トロピカル・ロック」の流れを汲みつつも、アルバム後半に収録された『White Line Fever』では当時のコカイン密輸といったダークな時代の影(初期のグレン・フライを彷彿とさせる世界観)を描き、『Down at the Blue Moon』では荒々しい酒場での喧嘩を泥臭く歌い上げている。


洗練された南部サウンド

本作はジョージア州やアトランタのスタジオで録音されており、美しいストリングスを配したAORマナーを守りながらも、南部の土着的なポップ・ロックの力強さが絶妙なバランスで同居している。


日本における「カサブランカ現象」の時代背景


日本において本盤がオリコンの洋楽チャートで1982年間売上2位を記録するほどの社会現象となった背景には、完璧に地ならしされた「ボギー(ハンフリー・ボガート)ブーム」があった。

1979年、沢田研二が『カサブランカ・ダンディ』で「ボギー、あんたの時代はよかった」と歌い、大衆にそのアイコンを再認識させていた。そこへ、本国からラフテスト盤を聴いてヒットを確信した日本のプロデューサー陣が、ラジオ企画を通じて訳詞と歌い手を募集し、郷ひろみのカバーへと繋げた。

バーティー・ヒギンズが紡いだ哀愁を帯びたマイナーコードのメロディは、アメリカの乾いたトロピカル・サウンドでありながら、日本人の琴線(歌謡曲的メンタリティ)に驚くほど合致していたのである。


異国への旅路:ヒギンズのその後の作品と音楽的足跡


『Just Another Day in Paradise』で一躍スターダムにのし上がったヒギンズだが、その後のキャリアも一貫して「旅」と「映画」、そして「ロマンティシズム」を追い求め続けた。


1983年のセカンドアルバム『Pirates and Poets』では、さらにジミー・バフェット的な「カリブ海の海賊」の世界観へと傾倒。その後もコンスタントにリリースを続け、2000年代以降も『Trop Rock』(トロピカル・ロックの意)と呼ばれるジャンルのパイオニアの一人として、現在に至るまで根強い支持を集めている。


彼は一発屋(ワン・ヒット・ワンダー)と評されることもあるが、その本質は「日常から離れた楽園の物語」を生涯歌い続ける、極めてコンセプチュアルなストーリーテラーなのである。


色褪せない「楽園の白昼夢」として


バーティー・ヒギンズの『カサブランカ』は、80年代初頭というポップ・ミュージックの黄金期が生んだ、奇跡的なマイルストーンである。


J-POP/歌謡曲の歴史的ルーツとして聴くもよし、クリストファー・クロスやパブロ・クルーズらと並ぶヨットロックの名盤として心地よい風に吹かれるもよし。針を落とした瞬間に、部屋の空気を南国のプライベート・ビーチへと変えてしまうこのアルバムの魔力は、発売から40年以上が経過した今なお、全く色褪せていない。

Just Another Day in Paradise
B0000025QR

コメント