2013年6月22日土曜日

「スピーカー派」と「アンプ派」〜瀬川冬樹氏の著作集から

ステレオサウンド社から、発刊された瀬川冬樹氏の著作集「よい音とは、よいスピーカーとは?」が届いた。


良い音とは、良いスピーカーとは? (別冊ステレオサウンド 瀬川冬樹著作集)
瀬川冬樹
ステレオサウンド (2013-05-31)
売り上げランキング: 1,424

1981年に46歳の若さで亡くなられたオーディオ評論家。
瀬川冬樹氏の名前は、今でもオーディオ関連の本や雑誌を見れば、一定の頻度で目にする。
さぞや特別な評論家だったのだろうなあ、と思うが、この分野の書物は絶版で手にはいらないことが多いので、その瀬川冬樹氏が季刊ステレオサウンドに残した著作を集成したものが出るというので楽しみにしていたのだ。


一読して、現代の評論家たちと全く手触りの違う、生硬でありながらそのバックボーンに確かな教養を感じる文体に引き込まれる。

あっという間に読破して、いったいこの本の企画をした人間は、この文章のどこを読んでこんな陳腐なタイトルをつけたのか、と訝しく思う。

確かに、このタイトルは、ステレオサウンドで瀬川冬樹が最も長く書いた連載記事のタイトルだし、自らのことを「スピーカー派」と称して、音を変える最大のポイントはスピーカー選びにあるという持論を持つ人ではあった。

しかし、この馥郁と形容したくなるほどのこの文体の集成を、こんな即物的なタイトルで売ろうと思う編集者の常識を僕は疑う。

これに限らず、いろんな局面で編集者の無為、無教養に最近あきれることが多いのだが、まあそれは別の機会に話そう。


自らのことを「スピーカー派」と称する瀬川氏の文章を読めば読むほど痛感するのは、自分自身がどれほど根強い「アンプ派」であるか、ということだ。

子供の頃からオーディオ機器が好きで、FM fanとFMレコパルを欠かさず買っては、テクニクスとかパイオニアとか、美しいというならこれが一番だろ、と本当に思っていたオーレックスのアンプを見ては、そのカッコよさにため息をつき、そしてそれを手に入れるために必要な金額を見てはまたため息をついた。

ちょうど国内で、スピーカーの598戦争が起こっていた頃で、どのメーカーも同じような顔つきのスピーカーを作っていたからかもしれないが、スピーカーにはあまり興味がわかなかった。
その中ではYAMAHAのNS-1000Mというスピーカーが異彩を放っていてカッコいいと思ったが、大きな電器店で音を聞かせてもらった時、あまりにもゴツゴツした、輪郭だけが飛び出してくる異様な音に感じられて、その時使っていたONKYOのエントリークラスのスピーカーの方がよほど好ましい、と感じた。


長じて、オーディオ評論家の書いた本を読んだり、同じ趣味の人と話す機会も増えたが、誰もがスピーカーがまず第一で、アンプは、そのスピーカーをうまく鳴らすために選ぶべきだという意見をお持ちのようだった。

そのこと自体に異論はない。
しかし「スピーカー派」の人に多いのだが、理想のアンプってのはStraight Wire with Gain(増幅する電線)なんだから・・という出発点からオーディオ機器を組み上げていく考え方には強い違和感がある。

僕は学生時代の自分たちだけでステージを手作りするサークルでの活動を出発点にして、その後何十年にわたってバンド活動をしてきた。
スタジオでレンタルしてエフェクターを接続したギターアンプを調整して、自分好みの音を作る難しさは、オーディオ機器の調整などとは次元の違う精緻さが要求される。

ジャズドラマーあがりのジャズ喫茶店主である一関ベイシーの菅原さんが、アンプやクロスオーバーネットワークのつまみを「指でつつく」と書いているのを見て、わかるわかると大きく頷いてしまった。

自分の楽器音に関する調整というのは、ツマミを1mm動かしてピタッと合った時の音と、それ以外の音がまったく違うと感じられるデリケートなもので、だから多くの現代音楽の楽器演奏者は、音を、色とかカタチのようなものを脳内に作って判別するようになる。

よくオーディオ好きな人が「耳が良い、悪い」という表現をするが、それはこの音というカタチのないものを、どのように脳内で形作るかという能力の有無のことを言っているのだと思う。


僕たちはコンサートを見る時にだって、純粋な聴衆としては聴いていなくて、無意識に自分の手元で鳴っている楽器の音をイメージしながら音楽を楽しむ人種だ。

そしてその音を作っているものこそ、アンプやイコライザーや、空間処理のプロセッサのツマミの「1mm」なのだ。
だから、それを部屋に持ち込んで聴くオーディオの操作で言えば、一番大事なのはアンプなのであって、その意味で僕自身はどう転んでも「アンプ派」なんだと思う。


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