2013年6月4日火曜日

そしてロンドンの街に音楽があふれた

アメリカでフォークブームを巻き起こしたレッドベリーの楽曲は、その後イギリスに飛び火していく。

1956年にロニー・ドネガンが「ロック・アイランド・ライン 」というレッドベリーの曲をカバーして、当時としては異例の100万枚の大ヒットをものにしたのだ。

このロニー・ドネガンというバンジョー弾きは、閉塞したブリティッシュ・トラッド・ジャズ界を飛び出して、洗濯板やら水差しなんかを掻き鳴らしたり、打ち鳴らしたりして陽気に歌う1930年代アメリカで流行した「スキッフル」をレッドベリーの曲なんかを使って復活させた。
その楽器演奏技術に囚われない自由に音楽を楽しむ気風が、当時のアート寄りのロンドンっ子たちに受け入れられ空前絶後のスキッフル・ブームを生み出した。

戦後の閉塞した状況にうんざりしていた若者たちが、ドネガンの真似をして安物のギターを買い、そこらにあるものを叩いて演奏に参加して、身の回りの状況を即興で歌っていく。
そしてロンドンの街に音楽があふれた。

こうして、楽器をはじめて音楽を作るようになった若者たちの中に、ヴァン・モリソン、アレクシス・コーナー、ロニー・ウッド、アレックス・ハーヴェイ、ミック・ジャガー、ジョン・レンボーン、ロジャー・ダルトリー、ジミー・ペイジ、リッチー・ブラックモア、ロビン・トロワー、デイヴ・ギルモア、グラハム・ナッシュなどがいたというのだから、この後のロック・ボップスのミュージックシーンは、ドネガンの作ったスキッフル・ブームを母として生まれたと言ってしまっても決して過言ではないだろう。


アメリカから渡っていった音楽は、そのルーツにブルーズを持っているのであり、レッドベリーの師匠であったブラインド・レモン・ジェファーソンやロバート・ジョンソンの情報も一緒に海を渡ったことだろう。

若きエリック・クラプトンは、そんなブルーズに魅せられた一人だった。
同世代のビートルズたちが世界を席巻していく中で、エリック・クラプトンもヤードバーズという人気バンドを足がかりに、ミュージックシーンに出ていくこととなる。

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しかし、自分がシングルに推したオーティス・レディングの名曲をメンバーから拒否されたことに腹を立てて65年にヤードバーズを飛び出してしまう。

そして後釜として加入したのがジェフ・ベック。
バンドはまず、ジミー・ペイジに声を掛けたようだが、セッションワークで多忙を極めていたペイジはアート・スクールで知り合いだったベックを紹介。
しかし結局ペイジ自身も後にベーシストとしてヤードバーズに加入することとなる。


その後クラプトンは、思う存分ブルーズがやれるジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズに加入することになる。
ジョン・メイオール自身は、プレイヤーとしてはもうひとつ評価の高くない人だが、この時ブルーズのレコード・コレクションを大量にエリック・クラプトンに聴かせ、フレディ・キングなど後に彼の重要なレパートリーとなるブルーズナンバーを教えた功績は大きい。
その影響でエリックはギターをテレキャスターからフレディの使っていたギブソン・レスポールに持ち替え、マーシャルアンプとの組み合わせで、永遠にロックの世界のメインストリームとなったあのオーバードライブ・トーンを生み出すのだから。

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しかし、エリックにとっては、このバンドも安住の地とはならず、アルバム一枚作って脱退。
今度の後釜は、天才ピーター・グリーンだった。
つくづく、メイオールはギタリストに恵まれたバンドマスターだった。

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しかし、このピーター・グリーンもこのバンドで知り合ったミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィーと脱退しフリートウッド・マックを作ることになる。

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そういう意味では、ジョン・メイオールは、イギリスのロック・ムーブメントの父としてもう少し評価されてもいいのかもしれない。
  

そしてクラプトンは、クリーム(1966-68)を結成。高い演奏力、爆発的な大音量、どこまでも長く緊張感の高い即興演奏で一世を風靡する。ブルーズとハードロックの融合をクラプトンが極めた瞬間だった。

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また、時はビートルズのサージェント・ペパーズの頃(1967)。つまりサイケデリック全盛期。
クリームの演奏もサイケ色の強いものだった。


同じ67年、イギリスでスティーブ・ウィンウッド率いるトラフィックが活動を始めていた。ファーストのミスター・ファンタジーは ウィンウッドのサイケ趣味が強く現れた作品だった。
しかし、ギタリストのデイヴ・メイソンは、グラム・パーソンズなどと交流があって、アメリカの南部音楽に造詣が深く、68年の2枚目「トラフィック」で南部フィーリングのある名曲「Feelin' Alright」を吹き込んでいる。
デイブ・メイソンが最も早く気付いたと思われるこの南部音楽=スワンプの魅力が、この後イギリスの、いや世界のロック・シーンを大きく方向転換させていく。

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そして、奇しくも同じ頃サイケのお膝元アメリカではボブ・ディランが、オートバイ事故の療養中にザ・バンドとウッドストックに籠り、アメリカ南部のルーツ・ミュージックに回帰していく優れた楽曲を大量にレコーディングしていたのだ。

このセッション音源はアセテート盤化され音楽業界に流れていった。
この音源はもちろんイギリスにも流れてきて、クラプトンの耳にも入る。本当にやりたかったブルーズからだんだん離れていくクリームの音楽性に疑問を持っていたクラプトンの心を揺るがせる音がそこにはあった。

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そして決定的だったのはザ・バンドのデビュー盤「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」。
このままクリームを続けていたらこういう世界観のある音楽作りは一生できないかもしれないとエリックは悩み始めていた。

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そして、実は一足早くサイケデリックに嫌気がさしていたトラフィックのギタリスト、デイヴ・メイソンは交流のあったグラム・パーソンズの紹介でアメリカ南部で活躍を始めたデラニー&ボニーという夫婦デュオを紹介され、彼らの力を借りてスワンプ色たっぷりのソロ・アルバムをレコーディングしていた。

クリームを解散し、スティーブ・ウィンウッドとブラインド・フェイスを結成していたクラプトンは デイヴ・メイソンとも交流があり、彼が既に録音していたソロ・アルバムの音を、親友ジョージ・ハリソンとともに聴いて衝撃を受ける。
そこには「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」から感じた世界観とアメリカ・ルーツ・ミュージックのビートが躍動していた。
  
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デイヴ・メイソンから紹介を受け、デラニー&ボニーをブラインド・フェイスのアメリカツアーの前座に雇い一緒にツアーをしていくうち、思い断ちがたくなったクラプトンは、ブラインド・フェイスを脱退し、アメリカに移住。
デラニー&ボニーの一員として彼らのツアーに帯同するようになる。

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そしてデラニー・ブラムレットのプロデュースで初めて自身で全曲のボーカルを取るソロ第一作、その名も「エリック・クラプトン」を70年に発表。

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そしてさらにその時のメンバーとデレク&ザ・ドミノスを結成し、名作「いとしのレイラ」をリリースするのだ。

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また同じメンバーでジョージ・ハリソンのビートルズ解散後第一弾のソロ作にしてロック史上屈指の名作「オール・シングス・マスト・パス」のレコーディングにおおいに貢献する。

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いとしのレイラというロック史に残る名曲のモデルが、ジョージの妻パティ・ボイドであることは有名な話だが、ミック・フリートウッドの最初の奥さんが、パティの妹のジェニー・ボイドであったのはあまり知られていない。
それはもしかしたら、ロンドンという小さな街で起こった「文化の衝突」が生み出した大きすぎるケミストリーの余波なのかもしれない。

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