2013年6月5日水曜日

ビートルズ・コンプレックス

ビートルズ。

幾多のアーティストに絶大な影響を与え、たぶんロックの世界に最も大きな足跡を残した偉大なるバンド。
でも僕には、長い間、周囲が言うほど素晴らしいバンドだとは思えずにいた。

とりあえず買ってみたベスト盤の赤盤・青盤には有名曲が目白押しではあった。
しかしどれも教科書に収録されたクラシックのピアノ曲みたいにお行儀よく聴こえて、繰り返し何度も聞く気にはなれなかった。

毎号買っていたギターマガジンでビートルズ特集が組まれる度に、オリジナルアルバムを買ってみたりして、結局ほとんどのアルバムを揃えた。
時々、いいなと思う瞬間はあったが、クラプトンやコステロやスティーリー・ダンみたいに一日中聴いていたいと思えるほどのハマり方は出来なかった。
そして、そのことは長い間僕の音楽的なコンプレックスの根っこにあったものだ。


だから2003年に「Let It Be...Naked」という、彼らの最後のアルバムであるLet It Beをレコーディング時の意図に近いミックスを施したという編集盤が出た時も、買うべきか迷った。

Let It Be... Naked [Bonus Disc]
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Beatles
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Let It Beというアルバムはビートルズというモンスターバンドが壊れていく記録のようなものだ。

Let It Be (Dig)
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Beatles
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このカタストロフィの始まりは1967年、彼らの善き水先案内人であったマネージャーのブライアン・エプスタインがこの世を去るところから始まる。

先導役を失い音楽的にも結合が少し緩やかになったメンバーは、この後レコーディングセッションに入り、それぞれの音楽的趣向を追求したソロ曲の集合体ともいうべき「ホワイト・アルバム」を作り上げる。
このアルバムは、そのため比較的シンプルな楽曲が多く、前作の「サージェント・ペパーズ〜」のようなスタジオエンジニアリングの粋を尽くしたような作りになっていなかった。

久しぶりにライブでも演奏可能な楽曲群を前に、アルバムリリースと同時にツアーを打ってはどうか、とポールが思いつく。
実際は、この頃設立したアップルというビートルズ資本のレコード会社の経営を考えてのことだったろうが、ポール以外のメンバーがこれに反対。
一回限りならば、ということで話がつく。

このコンサートはテレビ放映を前提にスポンサーがつくが、諸般の事情でコンサートが中止になってしまう。
押さえてしまったテレビ枠は埋めなくてはならない。
じゃあ、とポールが考えたのが、テレビスタジオでのライブショウ。

ビートルズ絡みの企画が出てくれば、そのカネの匂いに惹かれてわらわらと企画が持ち込まれて来るのは仕方のない事だったかもしれない。
結果的には、リハーサルから撮影してドキュメンタリー番組とライブショウ本編のテレビ放映、そしてショウのライブアルバム発売、というような大掛かりな企画になっていく。

このリハーサル中に、ポールの過剰な仕切りにジョージが反発。ビートルズ脱退を宣言して撮影現場を去ってしまう。
とは言え長い付き合いの四人は、その後手打ちをするが、大掛かりなテレビショウの企画は実現不可能となり、ではせめて90分のフィルムを撮ってテレビ放送しようということで収まる。

で、仕切り直してリハーサルをスタートして、ここから、後にLet It Beとして発表される音源の録音がやっと始まるのだ。

プロデューサーのジョージ・マーティンは、生演奏を重視した今回の企画にあたってキーボーディストを入れたほうがいいのでは、と進言。
ここで奇跡が起こる。

ビートルズのデビュー前、ハンブルグでの修行巡業中に知り合ったビリー・プレストンとジョージがアップルのロビーで偶然再会するのだ。数々の大物アーティストをバックアップしてきた実力派プレイヤーで人柄も抜群のビリーをセッションに加えてから、ビートルズが甦る。

That's the Way God Planned It
この時の縁でアップル・レコード
に移籍して2枚のアルバムを作る。
That's the Way God Planned It
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Billy Preston
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こちらが2枚目。どちらも傑作。
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今までのグダグダが嘘のように急速に曲が仕上がっていく。
そしてこの勢いで、撮影を担当していたマイケル・リンゼイ・ホッグが持ち込んだアップル本社屋上でのゲリラライブ企画が敢行される。
元来こういう子どもじみたイタズラが大好きなファブ・フォーは、ノリノリでこのセッションをこなすのだ。

スタジオで残り数曲の録音を済ませて、多事多難のこのプロジェクトも終了した。

し・か・し、このレコーディングには大きな欠陥があった。
それは、映像商品のための録音には、映像ギルドのプロデューサーしか関われないという制約のためジョージ・マーティンが関わっていなかったのだ。
そのため無計画に録音された膨大な音源は、はじめてビートルズと仕事をするグリン・ジョンズという若干27歳のエンジニアにまかされてしまう。

遅々として進まない編集作業。完成した曲にもメンバーのOKは出ない。
ジャケ撮影も終了し、告知も打たれたが、結局この音源はお蔵入りとなる。

この経験から、再びジョージ・マーティンを現場に引き戻して作られたアルバムが「アビーロード」で、こちらはなぜかすんなり制作され、すっと発売され、新作を待ち望んでいた世界から大歓迎を受ける。
さすが、ジョージ・マーティン。

さて、その裏で徐々に力を付けていたのが、ストーンズの財政難を救って、今度はアップルに雇われていた芸能会計士アレン・クライン。
彼はお蔵入りになっていた音源を、自分のツテでフィル・スペクターという分厚いエコーで音作りをすることで有名なプロデューサーに預ける。
ジョージ・ハリスンも自分のソロ・プロジェクトに起用していて、信頼していた。

お蔵入り音源の再マスターは、ジョージ・マーティンもグリン・ジョンズも外され、フィル・スペクターの手によってジョージ・ハリスン、そしてアレン・クライン立ち会いのもと行われる。
これが、現在我々の知っているLet It Beの原盤だ。


だから、2003年に発表されたLet It Be...Nakedは、単にフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドを剥ぎ取っただけでなく、利権や名声や、カネには関係ない音楽演奏家としてのビートルズの裸の姿を見せてくれるものだった。

そこには、人柄からか交友範囲が広く、一歩先んじてスワンプ・テイストを獲得していたジョージ・ハリスンの善きミュージシャン・シップが溢れているし、ビリー・プレストンのファンキーなオルガンワークがそれを効果的にサポートしている。
そして何より、「ロックバンドの音がする」ことが肝心だと思う。

だからこんなことを言い出すのはロックファンとして噴飯物だと重々知りながら、「ビートルズの中でどのアルバムが一番好きか」という通常のロックファンには実に答えにくい質問に、堂々と「Let It Be...Naked」と答えるのだ。

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