2022年5月1日日曜日

俺と甲斐バンド : 甲斐よしひろのソロ活動35周年記念盤『FLASH BACK』

 甲斐よしひろのソロ活動35周年記念盤『FLASH BACK』が届いた。


一曲目の『電光石火BABY』から、あの唯一無二の声にヤられる。

この声と最初に出会ったのは、『HERO(ヒーローになる時、それは今)』だったが、決定的だったのは、NHK-FMで放送された甲斐バンド・ライブだった。

素っ裸のエイトビートに、Gmの歪んだパワーコードが重なって、甲斐さんが「あなたに抱かれるのは・・」と振り絞るように歌し出して、そのライブは始まった。『きんぽうげ』というその曲に完全に心を持っていかれた。

その日から、僕の心は常に甲斐よしひろと共にある。

そのライブを録音したテープを繰り返し繰り返し何度も聴いた。

まだレコードになっていなかった新曲『安奈』が気に入って、自分でも歌ってみたくてアコースティック・ギターを買ってもらった。

甲斐バンドの曲を何曲も弾いて歌っているうち、作曲の方法が何となくわかってきて、自分の曲を作るようになった。

甲斐さんがDJをやっていた、NHK-FM『サウンド・ストリート』は毎週欠かさず聴いていた。この番組でハウンドドッグの『嵐の金曜日』や、もんた&ブラザーズ『ダンシング・オールナイト』を知り、何より佐野元春を教えてもらった。

アルバムが出るたび、熱狂した。『黄金/GOLD』というレコードがあまりに傑作すぎて、テストの前日だというのに勉強もせず、こっそりヘッドフォンで聴いていたのを母親に見つかり、レコードを割られたこともある。

1986年に甲斐バンドは解散してしまったが、翌年ソロアルバム『ストレート・ライフ』が出て、その後期甲斐バンドらしさを継承したサウンドが本当に嬉しかったんだ。

ソロキャリアのスタートである、『ストレート・ライフ』のツアーには札幌で参戦した。

最初に生甲斐バンドを観たのは、アルバム『MY GENERATION』の頃だから79年か80年、釧路の市民会館だったと思う。時々手を振り上げ、腰を捻りながらステージ上を歩く甲斐よしひろは、まだ中学生だった僕には鮮烈そのものだった。

1987年の『ストレート・ライフ』ツアーでもそのアクションは健在で、ただただカッコよくて熱狂した。その頃、僕はもう大学生だったから、それがミック・ジャガーにそっくりなステージアクトであることを知っていたが、そんなことはどうでもよかった。

その頃には、甲斐バンドの名曲たちにそっくりな先行洋楽曲があることにも気づいてはいたが、それでも甲斐さんの声で歌われる楽曲の魅力はいささかも色褪せなかった。

だから僕はきっと、甲斐バンドの「ファン」なんだと思う。なんの前提も言い訳も必要なく、ファンだといえる対象があるのだから、僕はとても幸せな男なんだと思う。



2022年4月13日水曜日

思い出のレコード『清水健太郎:KENTARO FIRST』

 小学4年生のとき、友だちの家で聴いたBay City Rollersにすっかりやられて、音楽が好きになった、と思っていたが、もしかしたらその時に好きになったのは「レコード」だったのかもしれない。

お小遣いで、最初に買ったレコードは沢田研二さんの『勝手にしやがれ』で2枚目は清水健太郎さんの『失恋レストラン』だったが、どちらもいつの間にか失くしてしまった。

ジュリーには『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』というジャストなベスト盤があり、音源も入手していた。

その後、いろいろあった清水健太郎さんの音源は手に取る機会がなかったが、『失恋レストラン』に続いて2曲目のヒットとなった『帰らない』もテレビやラジオでよく聴いて、冒頭の印象的なフレーズは長い間記憶に残っていた。

ふとそのことを思い出し、メルカリでこのアルバムを見つけた。


故ナンシー関さんが「無人島に持っていく一枚」に選んだという名盤だが、その名盤たる所以は、ひとえに収録曲の充実にあると思う。

文句なしの名曲『失恋レストラン』『帰らない』をはじめとするつのだひろ楽曲たちに加、清水健太郎さんご自身も作詞作曲を手がけている。

中でも『両切りのキャメル』は、彼のレパートリーの中では異色作といえるアーバン・ポップで、パブリック・イメージとは異なる、彼の広い音楽趣味を窺わせる名曲だ。

そして、ダウンタウンブギウギバンドの名曲『知らず知らずのうち』も泣ける。このカバーが、宇崎竜童作詞作曲による『遠慮するなよ』という3rdシングルに繋がっていくのだろう。


『失恋レストラン』を除く全曲で馬飼野康二さんの名アレンジが炸裂して、特にちょっとフェイズシフトのかかった歪み系ギターが縦横無尽に暴れる感じがとても素敵なんだが、演奏者のクレジット記載がなく、誰が弾いているのかわからない。

それだけがとても残念だ。


2022年2月20日日曜日

『スノウ・クラッシュ』:(メタヴァースの元ネタというより)メタ文化人類史学サイバーパンク風味、かな

ベゾスやイーロン・マスクなど、テクノロジー系ベンチャーの創始者たちが牽引して、新しい世界への道筋が踏み固められつつあるが、そのヴィジョンの源泉としてスティーブンスンの名前をよく見かけるようになった。

ザッカーバーグが、Facebookの社名をMetaに変更してからこっち、メタヴァースという言葉の元ネタとしてあちらこちらで取り沙汰される『スノウ・クラッシュ』が復刊されたので読んでみたら、その理由が少しだけわかったような気がした。












国家というシステムも、資本主義というイデオロギーも、とっくに限界がきている。

でもその先が見えない中で、なんとなくコンピュータ・テクノロジーの行く末には光があるんじゃないか、というより、それ以外に頼りになりそうなものが見当たらないというところだろう。

確かに、なんらかの理由でお蔵入りにされた古い思考やイズムを掘り起こすよりはいいような気がする。


しかしチューリングマシンを嚆矢とするコンピュータそのものが、人間の思考を模倣したものであること(AIに対する本質的な不信感はそのあたりに深因があるのだろう)を考えれば、それを確かな道標とするために、そもそもこの遠大な人智の来し方の根源的なところに踏み込むほかない。

本書の主題はまさにそこにあるのだと思う。


古代シュメール史を遡行し、バベルの塔の神話を横目に見ながら、まるで現代のパンデミックを見透かしたようなウィルスと人類への言及。

そのすべてが、示唆に富んでいる。


古い権威主義をぶち壊すことが、本書が指し示す人類の未来に必須な前提条件であったのだろう。

それゆえに本書が纏ったサイバーパンク風味が、その種の隠語を頻発させ、ついつい読み飛ばし気味になるところがあって、せっかくの深い考察が勿体無い気もする。

せっかくこんなに魅力的に造形したキャラクターたちだからもう少し純粋に楽しめる形であってもいいかな、とは思う。 

映像化に際して多くの伝説を残した『砂の惑星』ですら、あんなに魅力的な映画になる現代である。 


動くヒロとY.Tが観たい! 

俳優さんは誰がいいだろう? 

Ngは?

レイヴンは?

エンゾは?

想像するだけで楽しい。

2022年2月6日日曜日

エラリー・クイーンの『冒険』と『新冒険』について

エラリー・クイーンの書評を書くのは難しい。

今回二作の短編集を読んで頭を抱えてしまった。











何かのインタビューで島田荘司先生が、一番好きなミステリは?と訊かれて、気恥ずかしいが『Yの悲劇』が、と答えておられたのを読んで、『Xの悲劇』から始まる「ドルリー・レーン四部作」を読んだのが、エラリー・クイーンとの出会いだった。だからこの4冊は、純粋に本格ミステリとして最高に面白かったと感じたが、島田バイアスがかかっていたかも知れない。

そう思ってしまったのは、『ローマ帽子の謎』から始まる「国名シリーズ」を続けて何作か読んでみたが、どれもピンと来なかったからだ。しかしそれも、全作品を読んだわけではなく、これから面白い作品に出会うのかもしれない。

映画『配達されない三通の手紙』の竹下景子さんに恋をして、勢いで読んだ原作の『災厄の町』。「国名シリーズ」とはまったく違うエラリーの佇まいに驚いて、「ライツヴィルシリーズ」を読破した。シリーズ全体に漂う、あの独特の雰囲気。深い人間描写。巻を進めるほどにミステリとしての話法が進化していく様子にとても感心した。


そして今回の短編集である。

二作目の『新冒険』には、あらゆるガイドブックでミステリ短編の代表的傑作と評される『神の灯』が収録されているが、僕にはこれがまったく駄目だった。

似たようなトリックを多くのミステリ作家が料理しているからだろうか。僕自身は島田センセ、そりゃ流石に大技すぎでは・・と思わせても、物語そのものが魅力的ならそれでいいと思うタイプだが、『神の灯』は「動機とトリックのバランス」が取れていないように思えてならなかった。

『冒険』の方は、物語そのものの魅力は充分で、楽しめるには楽しめたのだが、やはりエラリーの謎解きはあの怒涛の「傍点」がないと、あの「ぐうの音も出ない」感が味わえず、どうも気分が出ないのである。

ドルリー・レーン四部作ではそのような物足りなさを感じないところを見ると、やはりこれは探偵エラリーの人物造形に因るものだろう。

『新冒険』に至っては、多くの評論家さんも指摘しているように、物語の魅力そのものにも少し物足りないところがある。

そして『新冒険』には「異色なスポーツ連作」と題されたパートが収録されている。ポーラ・パリスなる女性記者とのアベック探偵もので、ここではエラリー・クイーンのキャラが少し軟派な方向に崩壊している。だからそれはそれで面白いのだが、ミステリとしてどうかと言われるとどうなんだろうというのが正直なところだ。

2022年2月1日火曜日

五輪真弓とキャロル・キング:五輪真弓『風のない世界』

 最近は、もっぱらジャケ買いで日本の古いレコードを買ってるわけだけど、こんなのを見つけて買ってみた。

五輪真弓『風のない世界』



僕が五輪真弓さんの音楽を知ったのは、もちろんあの『恋人よ』からで、当時はすでに落ち着いた実力派SSW的な雰囲気だったから、この『風のない世界』のジャケットに映る若き日の彼女からダダ漏れに溢れてくる気迫のようなものに驚き、抗い難く手に取った次第だ。

風のない世界 - 五輪真弓
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帯にあるようにキャロル・キングがA3『昨日までの想い出』とB3『家』にピアノで演奏に参加している。

ソニーが戦略的に『和製キャロル・キング』のセンを狙って、72年の五輪真弓のファーストアルバム『少女』からキャロル・キングに参加してもらっているわけだが、71年発表の『つづれおり』が大ヒットしている中でのサポートであることを考えると、これは非常に貴重なテイクと言える。

五輪真弓さんのこのセカンドアルバムでは全曲で、当時のキャロルのご主人チャールズ・ラーキーがベースを弾いている。

つづれおり(完全生産限定盤)(紙ジャケット仕様)(SACD HYBRID)
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『つづれおり』では、キャロルのピアノが強くフィーチャーされているからだろうか。五輪真弓さんのこのアルバムのサウンドからは、キャロル・キングの空気感よりも、チャールズ・ラーキーが参加したセッションの空気感を感じるのだ。

キャロル・キング、チャールズ・ラーキー夫妻は、当時オード・レコードの所属で、デヴィッド・T・ウォーカーのレコーディングの常連であった。

デヴィッド・Tがオード・レコードに残した黄金期の大傑作『David T,Walker(通称Real T)』『PRESS ON』『ON LOVE』が大好きすぎる僕は、つい五輪真弓さんのこのアルバムにも彼らの演奏の空気感を探してしまっている、ということなのかもしれないが。

プレス・オン(紙ジャケット仕様)
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2022年1月30日日曜日

高純度のジャケ買い:高田真樹子『MAKIKO first』

「思い出のレコード」的なものはだいたい入手できた今となっては、中古レコード漁りは、極めて純度の高い「ジャケ買い」になっている。

今回レーダーに引っ掛かったのは、これ。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高田真樹子さんの『MAKIKO first』

実に雰囲気のあるジャケットだが、初見でした。

 

1973年のポプコンで認められ、翌74年デビュー。

このデビューアルバムには、ポプコン出場曲の『糸』も収録されているが、この曲のみ星勝さんの編曲で、その他は萩田光雄さんがアレンジしている。

『糸』は優秀曲賞で、その年のグランプリは小坂明子さんの『あなた』だった。

デビューシングルには、その『糸』ではなく、『屋根』という別の曲が選ばれたようだ。両曲ともこのアルバムに収録されている。

ドラムがポンタさんで、ギターが高中正義という、なかなか豪華なレコーディングメンバーが用意されているところを見れば、相当に期待されていたようで、朗らかなポップ歌謡から情念的なシャウトまで幅広い表現を持った歌い手とみました。

このアルバムでは全曲で作詞作曲を担当しており、楽曲のレベルも74年のポプコンでデビューする八神純子さんが、このアルバムの一曲目に収録されている『私の歌の心の世界』を後にカバーするほどのもの。

ところが、この人、Kittyに移籍して出した77年のセカンドアルバム『不機嫌な天使』では一転、林哲司さんをソングライターに起用した『しおどき』や小椋佳さんの『送り風』をカバーして、後にシティポップのメロウ系再評価の中で重要な役割を果たすんだからわからんもんです。





2022年1月18日火曜日

映画『クライ・マッチョ』:クリント・イーストウッド、贖罪の旅の終着地

 こればかりは映画館で観なければ!と出かけてきました。

クリント・イーストウッド91歳の監督・主演作『クライ・マッチョ』








冒頭から素晴らしい演奏の、哀切なカントリーが流れてきて、これこそが映画館で映画を観る最大の動機であることを思い出させてくれる。

監督としてのイーストウッドに心底参ったのが、『許されざる者』だった。それまで数々の西部劇やダーティー・ハリー・シリーズで白人主義のアメリカを演じてきたイーストウッドが、その贖罪のために作った映画のように思えた。


『グラントリノ』では、ベトナム戦争で現地でのゲリラに使った民族を移住させた街を舞台に、朝鮮戦争を戦った元兵士の葛藤を描いた。


強いアメリカの矛盾は『アメリカン・スナイパー』でも描かれた。


そしてイーストウッドの映画は、そのようなアメリカの過ちをさまざまな角度から描きながらも、同時に古き良きアメリカの生活を描き続けた。

イーストウッドがアメリカを愛している気持ちは彼の政治活動にはストレートな形で表れていて、カーメル市の市長時代には、近代的なリゾート地を開発しようと広大な市有地を購入した開発会社から、古い景観を維持するため、私財を投げ打って買い戻したりしている。

本作『クライ・マッチョ』で、イーストウッドは、「人は、自分を強いと思わせたがるものだが、成長して知ることは、自分が無知であるということだ」と、表現を変えながら繰り返し語る。

原作とはまったく異なるあのラストシーンを描くことで、イーストウッドはアメリカと一体である自分自身を赦したんだと思う。

心がスッと、軽くなる。

そんな映画だった。

2022年1月16日日曜日

『黄金列車』佐藤亜紀:「悪の陳腐さ」に深く迫る2年がかりの価値ある読書体験


 

佐藤亜紀さんの作品とは、作家でミステリ評論家の友人からお薦めされて出会った。

その時友人が教えてくれた「新潮社との揉め事」が、この作家さんに強い興味を抱くきっかけだったのは否定しない。下世話な話だが、自分自身の会社勤めの経験からも、組織に属する人間の判断がこのような事案を引き起こしてしまうのは、如何にもありそうなことだと思わせるものだったから。

まあ、そんなことが無くても佐藤亜紀さんの作品は抜群に面白い。特に、北海道新聞の書評欄で豊崎由美さんが絶賛した「スウィングしなけりゃ意味がない」の読後感の豊かさは、大袈裟でなく、ああ文学とはなんと素晴らしいものかと思わせるものだった。

なんの保留もなくお薦めできる本など滅多にないものだが、これは自信を持って万人にお薦めできる。最近、文庫化もされたのでぜひお読みいただきたいと思う。


「スウィング」の2年後、同じ書評欄で激推しされた「黄金列車」も、なんの躊躇いもなく購入、読み始めたが・・

今度は、読了までに足掛け2年かかってしまった・・ 

状況を写実的に切り取る簡潔な現在形の語り口が、物語への「共感」による没入を妨げ、度々読書は中断した。

しかし、それでも読み進めるうち、この冷徹な印象がまさにこの作品に仕掛けられた筆者の企みなのだろうと思い始めた。

「黄金列車」でも扱われている、あのドイツの戦争においてハンナ・アーレントが喝破した「悪の陳腐さ」が、本作では権力の暴走を抑える武器として機能していて、その一面的に語られるべきでない構造を安易なカタルシスに導かないための筆者の良識が、この作品をとっつきにくいものにしている、ということなのだろう。

その意味で、深緑野分氏が帯に寄せた「ここに人間がいる」という推薦文が、2年目の読後に沁みた。


2022年1月15日土曜日

位相っていったい何なん・・15年目のSACDプレーヤーをめぐって

 真空管パワーアンプMcIntosh MC275が故障修理から戻ってきたのが嬉しくて、いろんなCDを毎日毎日取っ替え引っ替えかけていた。

もちろんマイルズ・デイヴィスのこの2枚もかけてみた。








今更名盤というのも恥ずかしいくらいのキング・オブ・名盤だ。今だと最高オブ最高っていうのかな。

これは、SONYがSACDという高音質フォーマットの新CDを発売した時、最初期にリリースされた「シングルレイヤー」盤。CD層が無いため、普通のCDプレーヤーでは再生できないというシロモノだ。

ところが2006年12月に購入したうちのSACDプレーヤーDENON DCD1650AEに久しぶりに入れてみると、なんと認識してくれない。イジェクトボタンも効かなくて焦ったが、電源ボタンを一度切って、再度オンしたところでイジェクトすると取り出せることがわかった。

今のSACDは、大体CD層とSACD層の両方を持つハイブリッドSACDになっている。ものすごく音が違う!というわけではないと思うが、その微細な音質にこだわっている盤で聴く安心感のようなものを求めて、名盤と言われるものはSACDで買うことが多い。









これはブルーノートのコレクションで、これも聴けなかったら悲しいな、と思って、恐る恐るプレーヤーに入れてみると、これらは認識してくれた!

のは、よかったんだが、なんか妙に管楽器の音だけが引っ込んで聴こえる。ピアノの音ははっきりしてるんだが、サキソフォンとかがモゴモゴした音に聞こえるんだ。今までこんな現象は起きたことがないが、なんとなく「位相」っていうのに関係がありそうだと思った。

あくまでも直感的にね。だって位相って専門的すぎてよくわからないですよ。

とはいえこういう時は、チェックCDを使うというのは先輩オーディオファイルに聞いて知っていたし、一枚もらったのがある。









この「左右チャンネル/位相チェック」というのをかけてみる(これしか使ったことない)と、

「右のスピーカーです」という再生音の後に聞こえるはずの「左のスピーカーです」がまったく聞こえない。

ところが続いて再生される、「スピーカーの内側、真ん中です」の音声は左側のスピーカーから発音されるのである!さらに、「スピーカの外、右側です」でも、「スピーカーの外、左側です」でも、今度は微弱な音で左側スピーカーで再生されるんだから、もうわけがわからない。

左のスピーカーの音が出ない、だったら対処の方法も想像つくんだけどね。

ネットでも検索しまくるが、位相に関する専門用語は私にはまったく手に負えず、しょうがないからマニュアルでも読んでみるか、と思ったが、








英語なんよね・・・

それでも、と読み進めていくうち、あ、と思ったのが上の写真で、モノラルモードにするスイッチがある!

なんかの拍子にモノラルになってのでは、と見てみると、ビンゴ!でした。

ステレオモードに切り替えて、元通りのいい音になりました。

結局、ブルーノートの多くの録音は、ライブでの演奏位置に忠実な定位になっていて、だいたい管楽器は極端に左側に定位されていることが多いってのが、今回の現象の原因なんだけど、それにしても、だからなんで左端に定位されてるものだけがモノラルモードでオミットされるのかは理解できないままです。

本当に位相ってよくわからない・・


最初の話題だった、SACDシングルレイヤー認識しない問題については、キャロル・キングやらジェフ・ベックなんかも持ってるんですが、そいつらは認識してくれて、盤の方の問題なのかな、と思ってはおります。

15年目のCDプレーヤーどうするか、も考えなくはないですが、大昔のマランツCD34、今でも愛用していらっしゃるパイセンたちもたくさんいらっしゃることですし、もう少し頑張ってみようかな。

2021年12月26日日曜日

McIntosh MC275の故障とあっけない帰還

 ある日の朝、目を覚まして自室に入るとプリアンプ(McIntosh C2200)の電源が入ったままだった。

前日の夜、電源を切るのを忘れたのだと気がついたが、はて、ならばなぜパワーアンプの方は電源が切れているのだ?と思い、チェックするとスイッチは「ON」側に倒れている。

ははあ、ヒューズが飛んだな、と近くのホームセンターに走り、ヒューズを入れ替え、無防備にスイッチを入れたら、ボンッと嫌な音がして、4つあるKT88真空管のひとつから白煙が上がった。

替えたばかりのヒューズはまた溶けていた。

愛用のアンプから音が出なくなっても真空管アンプユーザーは慌てない。近くに信頼できる修理屋さんがいれば尚の事。

さっそくお預けして診ていただくと意外にも、うん、回路にも異常はないですね、とのこと。一本の真空管に異常があり、そのせいで回路に負担がかかってヒューズが飛ぶことがあるんだそうだ。

というわけで4本のKT88真空管を交換していただいて、バイアス調整して、飛んじゃった真空管のソケットも調整して、修理完了。しかもこの方どういうツテがあるのか、いつも相場よりずいぶん安く真空管を手配してくださる。

今回はPSVANE(プスヴァン)という中国製真空管を用意していただきました。







修理代も、え?というほど安くて本当に助かる。

マッキンはエレクトリに修理に出すと目ん玉飛び出るような見積が出てきますから・・










無事電源ON!













早速聴いてみる。

帰ってきたらまずこれを聴こうと用意していたのは、纐纈歩美がアート・ペッパーへのトリビュートとして制作した「Art」

修理に出している間に入手したものだが、修理明けに聴こうと思って開封していなかった。


サキソフォンの音が出た瞬間、これだ!と思う。

マッキンのジャズの表現はやはりこれでなくては、という太さとエネルギー感がある。代打ちで使っていたCOPLAND CTA401のEL34に較べると音像もグッと大きくなる。

もっと!という気分になってついついボリュームが上がる。

真空管の温度が上がると、演奏の温度も上がって・・・の無限ループ!

2021年12月21日火曜日

NO NUKESのBruce Springsteen

 スリーマイル島の原発事故を契機として、1979年に開催されたコンサート「NO NUKES」。その存在は知っていたし、映画化されたものを断片的には観ていた。

今回、Bruce Springsteenのステージが映像作品化されたということで購入してみた。

NO NUKES、そしてそれを先導し、今も活動を続けているMUSE(安全エネルギーのためのミュージシャン連合)の意義に関しては、爆発的なテクノロジー・イノベーションで先の見えにくく、多様なエネルギー政策の運用が必要と思われる世界の現状に鑑みて、本稿では触れない。


正方形のボックス入り。

当時のNO NUKESコンサートのチケットが復刻されて封入されている、
ブックレットはオリジナルと日本語版の2冊入り。
CD2枚、Blu-Ray1枚の3枚組。







スプリングスティーンのライブ映像なら、BORN TO RUNの30周年記念盤に収録された1975年のハマースミスオデオンLIVEをよく観ていた。











79年、THE RIVER発表直前のタイミングで行われたNO NUKES公演で完成度の高いRock'n Rollショウとして見事な構成を持つRosalita[Come Out Tonight]Detroit Medleyも、75年、BORN TO RUN発表当時のこのLIVEで披露されているものとほぼ変わらないが、それが何度目であろうとも、観ている我々を否応なくロックンロールの夢の世界に引き込んでしまう。

この2演目が、佐野元春のライブ構成に極めて強い影響を与えているのはファンならば誰でも知っていることだろうが、あまりにも「血肉」になりすぎていて、スプリングスティーンのライブを観ると、いつも平静な気分ではいられないほどだ。

また、(おそらく)元祖「孕ませ」ソングであるThe Riverを聴くと、(音楽的にはそうでもないが)甲斐バンドのあの名曲「BLUE LETTER」を思い出させ、日本のロックシーンへの強い影響を改めて実感する。


あらゆる意味で、この時期ボスが作り上げたロックンロール・ショウの素晴らしさは、ロックの歴史の最重要エポックの一つだろう。しかしそれを措いてもこのライブ、クラレンス・クレモンズを喪った今観ると、涙なしでは観られない。

ドラムセットの後ろに左右に分かれて立つボスとビッグ・マンが、アイコンタクトでステージに駆け降りていくところは、それだけでまるで一編の映画のようだ。

ショウマン・シップなんて言葉では到底片付けられない尊い友情が、この奇跡のロックンロールライブの奇跡たる所以だと思う。

【Anthologies #1】心に澱が積もる夜には|大貫妙子『ライブラリー』

 還暦を過ぎ、いつの間にか貪欲に新しい音楽を探すことはなくなった。 それでも、日々を生きていれば音楽に頼りたくなることはあるものだ。そんなとき聴きたくなるのは、アーティストたちの人生が垣間見える<アンソロジー>で、いくつか愛聴盤がある。 誰かの心無い言葉や、諍いに心に澱が募るよう...