2022年1月18日火曜日

映画『クライ・マッチョ』:クリント・イーストウッド、贖罪の旅の終着地

 こればかりは映画館で観なければ!と出かけてきました。

クリント・イーストウッド91歳の監督・主演作『クライ・マッチョ』








冒頭から素晴らしい演奏の、哀切なカントリーが流れてきて、これこそが映画館で映画を観る最大の動機であることを思い出させてくれる。

監督としてのイーストウッドに心底参ったのが、『許されざる者』だった。それまで数々の西部劇やダーティー・ハリー・シリーズで白人主義のアメリカを演じてきたイーストウッドが、その贖罪のために作った映画のように思えた。


『グラントリノ』では、ベトナム戦争で現地でのゲリラに使った民族を移住させた街を舞台に、朝鮮戦争を戦った元兵士の葛藤を描いた。


強いアメリカの矛盾は『アメリカン・スナイパー』でも描かれた。


そしてイーストウッドの映画は、そのようなアメリカの過ちをさまざまな角度から描きながらも、同時に古き良きアメリカの生活を描き続けた。

イーストウッドがアメリカを愛している気持ちは彼の政治活動にはストレートな形で表れていて、カーメル市の市長時代には、近代的なリゾート地を開発しようと広大な市有地を購入した開発会社から、古い景観を維持するため、私財を投げ打って買い戻したりしている。

本作『クライ・マッチョ』で、イーストウッドは、「人は、自分を強いと思わせたがるものだが、成長して知ることは、自分が無知であるということだ」と、表現を変えながら繰り返し語る。

原作とはまったく異なるあのラストシーンを描くことで、イーストウッドはアメリカと一体である自分自身を赦したんだと思う。

心がスッと、軽くなる。

そんな映画だった。

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