オリオンビールが好きだ。
いつもはサッポロの苦めのビールを愛飲しているが、どこか異国情緒のあるオリオンの佇まいを見つけると、つい買ってしまう。
昨日もスーパーで見かけて迷わず買った。
エール系で、非常に複雑な味わいを持つビール。美味でした。
オリオンビールが好きだ。
いつもはサッポロの苦めのビールを愛飲しているが、どこか異国情緒のあるオリオンの佇まいを見つけると、つい買ってしまう。
昨日もスーパーで見かけて迷わず買った。
昨年度の確定申告を終えた。
『弥生』アプリケーションを導入してからの確定申告は毎年この上なくスムーズだが、e-Taxに移行してからは苦難の道のりだった。
特に昨年は、e-Taxの利用申し込みとマイナンバーカードの折り合いが悪く、何度も何度も申請をやり直しさせられた。
ネットリテラシーが低いせいといえばその通りで一言もないが、今年のシステムでは実にスムーズ。『弥生』でほとんどの操作ができたことが大きいと思う。
スマートフォンでのマイナンバーカードの読み取りと弥生の専用アプリの組み合わせで、あっという間にデータの送信が完了。あっけないくらいだった。
昨年のことを思い起こすと、弥生の専用アプリが果たしていた役割をマイナポータルでやろうとして、ぐるぐると堂々巡りになった記憶がある。
そういえば、現在メインバンクで使っている北洋銀行が、最近、ATMの振り込みシークエンスを変更し、これが大変煩雑で、ATMの列が伸び、月末なんかだと1時間近く店内にすら入れない事態となっている。
なぜシステム開発は「すべりがち」なのか。
きっと客の言うことを聞きすぎるんだろう。
素人さんにプロのサービスを提供しているからお金がもらえるのであって、素人さんの言う通りやるなら誰にだってできる。
ジョブスがマウスにボタンを一つしか設けなかったのは、ユーザーを信用していなかったからだ。そんな制約条件の中でMacOSのインターフェイスは洗練された。
ゲイツは、Windowsの開発に際して、「DOS/Vで動くMac」が欲しいんだ!と怒鳴ったという逸話があるが、当たり前の感性で新しい洗練は作れない。
老舗の『弥生』さんの見事なDXには本当に感心した。願わくば、このような洗練がこの国に満ちますように。
2023年2月7日、札幌文化芸術劇場hitaruにて開催された山下達郎札幌公演に行ってきた。本来は昨年実施されるはずだったが、ご本人のコロナ感染で延期になっていたものだ。
山下達郎は公式に映像作品を発売していない。コンサートに行きたくても、なかなか抽選には当たらなかった。
2012年に映画館で、シアターライブが公開された時には喜び勇んで観に行った。演奏巧者の猛者揃いのライブは素晴らしく、中でも達郎本人のギターに圧倒された。ラストシーンに選ばれた北海道のフェス。圧巻の『さよなら夏の日』にスクリーンの中の観客たちが涙を流していて、映画館の僕らももらい泣きした。
そんな公演を生で経験できるのだからと、とても楽しみにしていた。
幕が開き、一曲目『スパークル』のあのイントロで、すでに僕の興奮はマックスだった。
しかし、演奏が終わった後、ラジオ『サンデーソングブック』と同じトーンで、達郎はこのように話し始めた。
「よかった。最初から総立ちになったりしたら帰るところだった。このコンサートには作法があるから初めての人は、お馴染みさんのやる通りやってください」と。
郷にいれば郷に従え。特に異論はない。
しかし、僕が長い間山下達郎の音楽から受け続けていた感銘と、完成されたエンタテインメントショーとしてのライブの間には、大きな溝があった。
最後まで、僕はそのライブの流れに乗り切れず、総立ちの会場の中で一人座って彼の歌を聴いていた。
佐野元春のコンサートで彼が叫ぶ「自由がなければ意味がないのさ、そうだろう」という言葉が僕の頭の中でずっと鳴っていた。
小学4年生のとき、おばあちゃんにおねだりしてタミヤ製のプラモデル『PORSCHE 934RSR』を買ってもらった。5000円くらいしたと思う。
当時の自分の技量ではうまく作れず、いろんなところを誤魔化してなんとか形にした。
それが気にかかって、高校生くらいまで手を入れ続けたが、そのことで却って傷は広がり、 長い時間をかけてそのプラモデルは僕に深くてリアルな教訓を与えた。
大学に行くため実家を出る時、諦めがついてそのプラモデルを捨てたが、その教訓は僕の中に残り続けた。ビジネスマン時代、周囲が焦れるほど完全な準備ができているかを見極め、慎重すぎるほど慎重にことを運び、時にはそれでチャンスを逃すこともあった。それでも対症療法を重ねて傷が残り続けるよりはマシだと思い続けた。
そして僕は『PORSCHE 934RSR』自体のことも忘れていなかった。
会社を辞めてセミリタイア時代に入る時、僕が真っ先に手に入れたのは、あの『PORSCHE 934RSR』だった。時を経てその商品は12,000円ほどになっていた。
長い時間をかけて、頭の中でシミュレーションし続けたプラモ製作。生来の不器用さゆえ、今回も完璧とはいかなかったが、2回目の製作は、その後の修正を要求しなかった。
完成させてから今年で16年になるが、今でも机の真横に鎮座している。時々磨いてあげるが、色褪せない魅力がある。
フェルディナンド・ポルシェ博士が、ヒトラーのために作った国民車をルーツに持ち、現在のラインナップにも面影を残す永遠のデザイン。
おそらく実車を入手する機会は一生あるまいが、僕の心をデザインした大切な一部として、一生残り続けるだろう。
ジャズ・ピアニストであり、シンガーソングライターでもあるパトリシア・バーバーは、現代ジャズ界において極めて独特な光を放つ存在である。
シカゴを拠点に活動を続ける彼女は、単なる「スタンダードを綺麗に歌うジャズボーカリスト」ではない。その音楽性は、冷徹なまでにコントロールされたピアノタッチ、低音で呟くようなクールなアルトボイス、そして文学的でシニカルなオリジナル曲の歌詞に特徴づけられる。
パトリシア・バーバーの音楽を聴いて感じるのは、聴き手との間にある「絶妙な距離感」だ。
一般的なジャズボーカルは、聴き手の感情に寄り添ったり、エモーショナルに訴えかけてきたりすることが多い。しかし、バーバーの歌声はどこまでもクールで、過度な感情移入を拒むかのような静けさを湛えている。
「心に勝手に入ってこない音楽」
これこそが、彼女の音楽が持つ貴重な価値だ。押し付けがましさが一切ないからこそ、聴き手は自分の孤独や思考をその音楽の隙間に滑り込ませることができる。特に、寒さで心が内向的になりがちな夜には、この「ベタつかない温度感」が最高に心地よい。
忙しい現代人にとって、朝は戦場のような時間かもしれません。しかし、世界的なファッションデザイナーのポール・スミス氏は、毎朝6時に出社し、まずオフィスでLPレコードに針を落とすといいます。
また、作家の村上春樹氏も、翌朝に聴くレコードを前夜のうちに選んでおくという習慣を明かしています。
なぜ、研ぎ澄まされた感性を持つ彼らは、あえて手間のかかる「レコード」を朝の習慣に取り入れているのでしょうか。
1981年にリリースされた『ソングズ・イン・ジ・アティック(Songs in the Attic)』は、1980年のアメリカツアーの模様を収録したライブアルバムである。しかし、本作は単なる「ヒット曲を集めた実況録音盤」とは一線を画している。
ここには、ビリー・ジョエル(Billy Joel)を一躍世界的スターダムへと押し上げた大ヒットアルバム『ストレンジャー(The Stranger)』以降の楽曲は一つも収録されていない。本作の真の目的は、ブレイク以前の初期4作品に埋もれていた珠玉の楽曲たちに、当時の最強のレギュラーバンドとともに新たな息吹を吹き込み、正当な評価を与えることにあった。
この大胆なアルバムコンセプトについて、ビリーの黄金期を支え、彼の音楽的転回点を作り出した名プロデューサー、フィル・ラモーンはライナーノーツに次のような言葉を寄せている。
いくつかの曲は時の流れを超え、常に変わらぬ美しさとインパクトを持ち続ける。一夜にしてスターになることをまだ夢見る人たちへ、これが「ストレンジャー」が私達のレコードコレクションに加わる遥か昔に書かれたビリーのソングライターそしてミュージシャンとしての力量を示すサンプルなのだ。
この言葉通り、本作は多くの人々にとって初期ビリー・ジョエルの優れた「サンプル」となり、彼のソングライティングの原点を広く知らしめる契機となった。
本作の瑞々しいライブテイクによって、かつてスタジオ盤では表現しきれなかった楽曲のポテンシャルが完全に開花した。その代表的な楽曲を解説する。
シーズ・ガット・ア・ウェイ(She's Got a Way)
デビューアルバム『コールド・スプリング・ハーバー』に収録されていたバラードである。当時はマスタリングの不備(テープ速度の誤り)などもあり埋もれていたが、このライブヴァージョンがシングルカットされるとラジオを中心に大ヒットを記録。結果として、幻となっていたファーストアルバムが再評価され、再リリースへと繋がる決定打となった。
さよならハリウッド(Say Goodbye to Hollywood)
1976年のアルバム『ニューヨーク物語(Turnstiles)』に収録されていた楽曲。フィル・スペクター調のサウンドを意識したスタジオ版に対し、このライブ版ではバンドの骨太な演奏が前面に出ている。本作をきっかけに再びシングルカットされ、見事にヒットチャートを駆け上がった。
他にも、ピアノの鍵盤を叩きつけるようなエネルギッシュなパフォーマンスが光る楽曲や、のちの「ロックンロール・エンターテイナー」としてのビル・ジョエルの雛形が、すでに初期の段階で完成していたことを証明するテイクが並ぶ。弦も切れよとばかりにピアノを駆り立て、ステージを支配するビリーと、彼を完璧に支えるバンドとの鉄壁の信頼関係が、すべてのトラックから生々しく伝わってくる。
フィル・ラモーンのプロデュースワークの功績は、このライブバンドを篤く遇し、その一体感をレコードに封じ込めた点にあると思う。
1980年に発表されたビリー・ジョエル(Billy Joel)の7作目のスタジオ・アルバム『グラス・ハウス(GLASS HOUSES)』は、彼のキャリアにおける最大の転換点であり、同時に世界的な大ヒットを記録した重要作である。
グラス・ハウス(期間生産限定盤)
それまでの「ピアノ・マン」や「吟遊詩人」といった都会的で洗練されたイメージを覆し、剥き出しのロック・アプローチを敢行した本作。その音楽的背景、楽曲分析、そして印象的なアルバム・タイトルに込められた真意について、考えてみたい。
本作を紐解く上で欠かせないのが、1970年代末から1980年当時の音楽シーンの潮流である。当時はパンク・ロックやニュー・ウェイヴ(New Wave)が台頭し、旧来のポップスやシンガー・ソングライターを「過去の遺物」として批判する空気が確かに存在していた。
音楽メディアからしばしば「主流派のソフト・ロッカー」とカテゴライズされていたビリーは、この風潮に鋭く反応した。その回答こそが、本作で見せた「エッジの効いたギター・サウンド主体のロック」である。
本作における最大の音楽的変革は、ビリーの代名詞であるピアノの音色がミックスの奥へと退き、代わりにディストーションの効いたツイン・ギター(デヴィッド・ブラウンとラッセル・ジェイヴァス)と、リバティ・デヴィートのパワフルなドラムが前面に押し出された点にある。
レコーディングは、彼のバックバンド(後に「The Lords of 52nd Street」と呼ばれるメンバー)とともに、ほぼ一発録りに近いライブ感溢れる手法で行われた。これにより、シンガー・ソングライター的な予定調和を排した、緊迫感と疾走感のあるサウンドが完成したのである。
全米アルバム・チャートで6週連続1位を獲得した本作は、緻密に計算されたポップ・センスとロックの衝動が見事に融合している。
ガラスのニューヨーク(You May Be Right)
アルバムの幕開けを告げるガラスの破砕音。ピアノではなくギターのリフがドライヴする、ビリー流のハード・ロックである。
ロックン・ロールが最高さ(It's Still Rock and Roll to Me)
自身初の全米シングルチャート1位を獲得。流行を追うメディアを痛烈に風刺しつつ、骨太なビートとサックスソロで聴かせる。
ドント・アスク・ミー・ホワイ(Don't Ask Me Why)
マッカートニー調の軽快なメロディとラテン風味のシャッフル・ビート。本来のポップ職人としてのクオリティが光る佳曲。
レイナ(All for Leyna)
シンセサイザーの印象的なフレーズと、狂気的な愛を歌うビリーの歪んだボーカルが、スケールの大きなドラマを生み出している。
アルバム・タイトル『グラス・ハウス(Glass Houses)』は、英語圏の警句から発想されている。
"People who live in glass houses should not throw stones."
(ガラスの家に住む者は、他人に石を投げてはならない)
このフレーズは、「自分自身に欠点や弱みがある(完璧ではない)人間は、他人を批判・攻撃すべきではない」という意味を持つ。
アルバムのジャケットでは、レザー・ジャケットを身にまとったビリーが、実在する広大なガラス張りの邸宅(当時彼が所有していたウォーターフロントの家)に向かって、今まさに石を投げつけようとする過激なヴィジュアルが切り取られている。
この寓意(アレゴリー)が示しているのは、批評家や音楽メディアに対するビリーからの強烈な皮肉と異議申し立てである。
「安全な場所(ガラスの家)から、自分を古臭いと批判してくるメディアやトレンド追従者たちよ、お前たち自身の足元は本当に安全なのか?」という、ビリーのタフで攻撃的なアティチュードの表れなのだ。
アルバムの冒頭が「ガラスの割れる音」から始まるのも、この既成概念や批判の壁を自ら打ち破るという、強力な宣言に他ならない。
還暦を過ぎ、いつの間にか貪欲に新しい音楽を探すことはなくなった。 それでも、日々を生きていれば音楽に頼りたくなることはあるものだ。そんなとき聴きたくなるのは、アーティストたちの人生が垣間見える<アンソロジー>で、いくつか愛聴盤がある。 誰かの心無い言葉や、諍いに心に澱が募るよう...