2012年11月15日木曜日
オルトフォンVMS20E交換針、発見!
おお!いいじゃないか。
で、調子に乗って、昔買った松本伊代ちゃんのピンクのカラーレコードもかけてみた。
うんうん。いいカートリッジは絵になりますな。
そういえば、黒く着色しないレコードが12月に発売されるそうだ。100% Pure LPシリーズ。ロック、ジャズの名盤のリリースだが、一枚5,800円!まあ、聴いたことのない盤はないので今回は見送りかな。来年クラシックのリリースもあるそうだから、いいものがあれば一枚くらい買ってみようか。
カートリッジはエージングが進みどんどんいい音になっていくが、交換針が見つからなくて困ったなあと思っていた。交換針の専門店なるものがウェブにあって、検索システムを使ってみたが該当の針はありません、と出る。お探しの針が見つからない場合はお気軽に問い合わせフォームからご連絡ください、とあったので、ダメ元で連絡してみたら、今日返事が来て、ありますよ、と言う。えー、と思ってもう一度検索してみると出てきた。ふむ、webショップってのはメンテナンスとか大変なんでしょうね。
ともかく交換針は入手可能、しかも5000円と非常にリーズナブルなお値段だ。入手できるうちに何本か発注しておいたほうがいいかもしれないな。
2012年11月14日水曜日
「さまよえるオランダ人」を聴いてみた。
当 たり前の話だが、全編ドイツ語で歌われている歌劇の内容は聴きながら理解することはできない。しかしながらBay City Rollersで音楽に目覚め、Led Zeppelinに、Eric Claptonに、Elvis Costelloに、そしてBruce SpringsteenやSteely Danに音楽の何たるかを教わった僕らは、たとえ言語としての意味はわからなくとも歌唱を「人の声による音」として楽しむことに慣れている。
オペラは違う?そうだろうか。
確かにいろいろと違うところはある。
ま ず一曲せいぜい5分、長い曲だって10分を超えることはそうないポピュラー・ソングに較べるとオペラは長い。しかし前回長い時間をかけて「ニーベルングの 指環」に取り組んだ経験から、オペラも短い歌曲の集まりであることがわかったし、構えずに聴いてみると、案外ちゃんと「サビ」のようなものも用意されてい たり、短調で始まって長調に展開していくような、よく聴く展開の曲もあったりする。ポピュラー・ソングなら「シャ・ラ・ラ」とか「ヘヘイ・ヘイ」といった ような言葉で表現されるものが「ヨー・ホイ・ホー」になっているだけで結構似たような構造になっているのだ。
そのように構えずに聴くと、オペラは純粋に楽しい。
物語は物語として別に本で読んだ。いつもクラシックのことを教えてくださるお客様が貸して下さった。
呪 いをかけられ故郷に帰ることができなくなったオランダ人の船長がクルーもろとも何年も何年も海を放浪し、自分を愛してくれる人が現れるまで呪いは解けな い。呪いが解けたとしてもそれは「死」による解放であり、しかもその愛してくれた娘も道連れとなってしまう。道連れになってもかまわないと思ってくれるこ とが、「誠」の証明になるのだ。嵐に遭遇したノルウェー船の船長がさまよえるオランダ人に出会い、娘を紹介する。その娘こそが運命の人であった、というお 話。
日本の古典芸能なんかにもありそうな話なんだけど、細かいところがよく作りこまれててけっこういい話なんだな、これが。
その印象を胸に抱いたまま、一気に聴いた。いいなあ。これ舞台で観たらどんなに素晴らしいんだろうか。機会があればぜひ観てみたいものだ。
2012年11月13日火曜日
オルトフォンVMS20Eが教えてくれる「弦」の音。
Ortofon VMS20EというMI型カートリッジ。
以前もお借りしたことがあって、いくつかお借りしたカートリッジの中で最も気に入っていたものだった。どこにも誇張のない自然な音と感じた。
僕が普段使っているのは、DENONのDP-500Mというプレーヤに付属しているオーディオテクニカのOEM品。明るい色調の元気な音が身上のカートリッジで、クラシック、ジャズ、ロック、オルタナティブとなんでも再生する僕にはありがたい存在だ。
いただいたカートリッジを取り付け、ラテラルバランス取って、針圧をかける。1gという軽針圧タイプ。重みがあまりかかっていない分針の動きを妨げずより豊かな表現につながる可能性があるが、トレースが充分できるかが難しい。どちらかというと神経質なタイプと言えるかもしれない。
大好きなバリリのベートーヴェン弦楽四重奏に針を落としてみる。
いやに音量が小さい。左チャンネルから音が出ていないようだ。一旦カートリッジを外して結線を確認すると4本あるリード線の一本が外れかかっているようだ。模型用の細いピンセットで奥までしっかりと差し込む。
再度セットすると、今度は両チャンネルから音が出た。
しかし、前回お借りした時と較べ少し音色が暗いように感じた。それまで馬鹿みたいに元気で声の大きいテクニカのカートリッジで聴いていたせいだろうかと疑うが、すぐに「もうちょっと鳴らしてあげないと調子が出るわけないじゃないか」と気がついた。レコードをワーグナーの管弦楽集に換えて慣らし運転をしてみる。小一時間ほど再生して、再びベートーヴェンに。
弦の音が違う!
以前、先輩のお家で聴かせていただいて、これはウチでは出ないぞ、と思った弦の感じにほんの少しだが近づいた気がした。
何日か鳴らしてやれば、もっともっといい音になるだろう。
ふと思いついて先日オークションで落としたばかりの稲垣潤一をかけてみる。はじめてレコードで聴いてこんなすごい低音がはいっていたのかと驚いた盤だ。
思った通り。このカートリッジの特質はおそらく低音にある。しっかりした低音がどこまでも伸びていく。この低音があるからこそ、ゆるがない高音が表現されるのだろう。そして表現の難しい弦楽器の実体感が醸し出される。
まだまだ引き出し切れていない僕のスピーカーの力を、また少しこのカートリッジが開いてくれたようだ。
かなり以前に生産が終了しているモデルで、人気モデルであったにもかかわらず、調べてみると互換針も含めて交換用の針の入手は難しいようだ。大切に使うことにしたい。
2012年10月27日土曜日
アリスのピアノが教えてくれたこと。
と、なるとそのオリジナルのピアノ版だって一度は聴いてみたくなるではないか。
特に入手しにくい音源というほどのものでもないのだが、なんとなくどれを選ぶという決め手がないまま聴かずにきたのだが、 アリス=紗良・オットの新譜がピアノ版の展覧会の絵だという。さらにシューベルトのピアノ・ソナタ17番D850も併録というではないか!
クラシック初心者の僕にいろいろと教えてくれる友人に、シューベルトは歌曲王と呼ばれているくらいだから歌曲を聴かなきゃと思って「冬の旅」を買ったと言ったらドイツ語もわからないのに歌曲を聴いてどうする。ピアノ・ソナタを聴け、なんでもいいから。と言われていろいろ調べて世評の高い内田光子さんの全集を買ったのだった。幻想曲なども含めかなりの曲数が入っているのだが、流して聴くと有名な楽興の時以外の曲はどれも同じに聴こえてしまう。とっかかりを掴むために、特に村上春樹の「海辺のカフカ」の第13章で車を運転しながら大島さんがカフカ少年に聴かせた曲である17番を聴きこんだ。
それはとても不思議な曲だった。大島さんは「不完全な曲」だと言った。またシューマンが「天国的に冗長」だと評しているとも説明している。(シューマンが本当にそう言ったかは確認していません)
僕はその曲は図形的なアイディアで構成された曲だな、と捉えた。それは美しさに主眼を置かずに、転んでいくようなリズムを、違う形のリズムが受け止めるカタチで展開していく楽譜の形が頭に浮かんだ。
ベートーヴェンが、小さな音形を組み合わせたり、並べたり、次々と変奏していったりして長大な楽曲を作っていったのとはちょっとだけ違うアプローチ。あくまでも崩れ転んでいくリズムを異なるリズムで受け止めるというアイディアを繰り返し繰り返し手を変え品を変え繰り出していくという構成。冗長という評価も厳しすぎるとは言えない。しかしクレバーな内田さんの演奏は、その図形的なアイディアを見事に音に定着させていて、僕はまったく飽きなかった。
違う人が弾いたらどうなるんだろう、というのはいつか確かめてみたかったテーマだったので、今回のアリスの新譜はうってつけだったのだ。
そのアリスの弾く「展覧会の絵」は、オーケストラ版を聞き慣れた耳にも十分な迫力を持って迫ってくる快演だった。一人で弾いている分だけ表現に自由さがあり、冒頭の四七抜き音階の素朴なフレーズから、最終キエフの大門のクライマックスに登場する現代的で不安定なペダルトーンの複雑なコード進行までを最適な表現で駆け抜けてくれた。
ライブ収録の本盤の最後の盛大な拍手がこの演奏の素晴らしさをなにより雄弁に証明している。
しかし続いてのシューベルトのピアノ・ソナタ17番は、始まった瞬間から転んだリズムが受け止められることなく、ピアノの技巧として吸収されてしまう。アリスの指は高速で動き、複雑に設計されたシューベルトの「図形」を無視して感情的に弾き切ってしまう。うまいのだと思う。でもそれゆえに、この楽曲の持っている天国的な冗長さから、どうしても欠いてはならない正確さを切り取ってしまうのだ。
このアリスの演奏は、内田光子さんの演奏がいかに非凡で貴重なものであるかを、あらためて教えてくれたのである。
2012年10月25日木曜日
人を正気にする音。
TANNOYをよく知る人たちは、私がGreenwichを使っていると知ると、必ずといっていいほどモニターゴールドの入ったIIILZというスピーカーを薦めるが、音は聴いたことがなかった。
どんなすごい音がするんだろうといつも思っていたのだが、お持ちの方にお願いしたら聴かせていただけるというので有り難くお邪魔した次第。
さらにかの有名な300Bという真空管を使ったアンプを導入されたとのことで、真空管アンプユーザーの端くれとしてそちらもぜひ聴いてみたかったのだ。
よく、「レコードにこんな音が入っていたのか!」という記述を雑誌などで見かけるが、日曜に聴かせていただいた音はまさにそういう体験だった。
さらに私のいつも聴いている音と一番違うのは「音量」で、愛聴しているベートーヴェンのピアノ協奏曲4番のCDを持っていったのだが、ウチのシステムではちょっとヒヤッとするほどピアニストが高ぶって弾くところがあるのだが、先輩のシステムではなんなく再生されたところをみると、高ぶっているのではなくてウチのシステムが追いついていけないだけだったのだと思い知った。
そういうわけで、その日からこんなもんだろうと思っていた自分のシステムにまだ先があるような気がして、初心に返って試行錯誤している。
で、勉強のためにTANNOYファンなら誰しも一度は訪れたことのあるはずの「GRFのある部屋」という個人ブログを見ていた。
ふんふん平行法ね、ほうほうCDをそんなふうに!とかまだまだ色々試していないことはあるもので、理解ったふりをしないで試してみようと思って読み進めていると、なんと10月7日に元NHKのディレクターとして小澤征爾さんの番組なんかを作っていた小林悟朗さんが亡くなったという記事を見つけた。
ご病気だったのだろうか。確かまだ50代後半くらいではなかったか。
現在はフリーでオーディオに関する執筆もかなり意欲的に行われていて、先月発刊の雑誌でも小林さんの記事を読んだばかりだ。
オーディオ誌の記事というとどうしても機械から出てくる「音」云々の話になりがちだが、小林さんの記事は完全に音楽サイドからの言葉で素直に頷かされる。
特に、ビクターのSX500DEという安価だが優れたスピーカーを、ご自身の「ゴトー」という素人にはまともな音を出すことさえ難しい巨大スピーカーシステムの前に置かれて、マニアユーザーの電源ケーブルよりも安価なスピーカーから出ているこの音が「人を正気にする音」だ、と書かれた記事には本当に衝撃を受けた。
オーディオ誌でそんなこと書いていいのか!でもそうだよなあ、と思い、いろんな所で「人を正気にする音」というフレーズを使わせていただいた。ここに盗用を告白し謝罪いたします。
しかし使わせていただいた手前、小林さんのこのご遺志、微力ながらも引き継いでいきたいものだなあと思う。
まずは、自分のスピーカーと感性を信じることから始めよう、と決めてボリュームをぐいっと上げた。
アルゲリッチの演奏するファリャの「スペインの庭の夜」が思いの外、大きな音像で鳴り響く。まだ追い込みが足りないが、やはりまだまだ引き出せていなかった自分のシステムの力の片鱗が垣間見えたような気がした。
2012年10月19日金曜日
僕のSoundtrack of Lifeに刻まれた音。
買ってくれたのは、ビリー・ジョエルの「イノセント・マン」と「コールド・スプリング・ハーバー」、稲垣潤一の3rdアルバム「J.I」、レイ・パーカー・ジュニアの「I Still 愛してる」、松田聖子の「Canary」。
どれも素晴らしいアルバムだったし、何より、母の心づくしが嬉しくて、予備校のよく出来たテキストをやりながら小さな音で繰り返し繰り返し聴いた。
ミュージックテープは、レコードに較べると多少扱いが雑でも大丈夫なので、こういう何かをしながらの聴取に向いている。それに思ったよりずっと耐久性が高い。
5年後、社会人になって初めて車を買った。黒いISUZUジェミニ1600ZZ Handling by LOTUS。まだCDに否定的だった僕は自分で取り付けたKENWOODのカーステレオにはカセットテープ用のモジュールしか載せなかった。車では母が買ってくれたミュージックテープが現役で大活躍していた。
時は流れ、我が家にはカセットテープを再生する手段が無くなった。しかたなくテープ類は、自分たちのバンドのライブ演奏などを収めたものはデジタルメディアに移し、その他のものは処分した。
札幌に引っ越してきて、レコードプレーヤーを新調したこともあって、年に何回かデパートなどで行われる中古レコード市に出かけていった。そこで、レイ・パーカー・ジュニアの「I Still 愛してる」の帯付きのレコードを見つけた。
今回、このGirasole Records Blogを書き始めて、やはり自分のレコード棚に「J.I」がないというのは大きな欠落なのではないか、という気がして、あらためてオークション・サイトを覗いてみると三枚だけある!ファクトリー・シール付きの初回限定写真集付きで美盤とあった。しかも600円。600円で落札できました。ありがとう。
ついに再会したJ.I.は、カセットテープよりも伸びやかな高音と驚くような豊かな低音を備えた優秀録音盤であった。名曲「夏のクラクション」が始まると一気に予備校時代のあの狭い寮の部屋の緑色の机にトリップしてしまう。最終曲「生まれる前にあなたと...」ではやっぱりちょっと胸に迫ってくるものがある。
例えば、その頃よく読んでいた片岡義男さんの作品が数年前に早川書房と池上冬樹さんの実に優れた再編集で世に出た時、それを読んでも当時の思い出が胸に迫ってきたりはしなかった。音楽だけがそういう不思議な、時を超える力を持っているのだろうか。
評論家の傅信幸さんが、Soundtrack of Lifeという言い方をよくするが、もし僕らが人生が流れていくタイムラインの横を、音楽が刻まれていく専用のトラックを持っているのだとしたら、そこに何を刻んで生きていくのかは思ったより重要なことなのかもしれない。何かを想い出す時のきっかけは、できれば美しいものであって欲しいと思うから。
2012年10月18日木曜日
ショルティ指揮のワーグナーが届いた。
少し前に、縁あってCDをお貸しくださる方がいて、ワーグナーの「ニーベルングの指環」全曲を聴いたのだ。一緒に寺山修司さんが一巻目をお書きになったという翻訳書も一緒に貸していただいたので数週間にわたって少しづつ聴き進めていった。物語の壮大さに惹かれ、最初難解で、退屈にすら感じることがあった音楽も、最後が近くなってくると、その素晴らしさが心に届くようになってきて、他のオペラも聴いてみたいなと思うようになった。
このニーベルングの指環、実際の劇場では四日間にわたって上演されるという長大な作品で、CDも確か14枚組だったと思う。そういう作品なので、上演された作品をライブで録音することはあっても、全曲をスタジオで録音したものというのはあまりない。お借りしたCDもライブだった。また主に演奏されるドイツのバイロイトというワーグナー自身が作った劇場は、オーケストラが隠されているため音響的には録音の難しい環境で、音の良いスタジオ盤がないかなあ、と思っていたところに、そのCDを貸して下さった方が、ショルティのスタジオ盤が再発されるよ、と教えてくれたのだ。
届いたのを聴いてみると、一聴、やはりはっきりした音像。楽器の分離がよい音で、スタジオ録音のメリットが出ている。それぞれのメロディがはっきり聴こえるために、おそらく全幕で一番退屈な冒頭のライン川を描写するメロディさえも、ワーグナーの意図した複雑なメロディの交わりとして聴こえてくる。これはいい!
はやる気持ちを抑えきれずズルをして、一気に全幕で最も感動的な最も最終章近くの「ジークフリートの葬送曲」まで飛ばす。すごい!夜中で残念ながらヴォリュームは上げられなかったが、強いダイナミズムが聴こえてきた。
演奏自体はどちらかというとクールな印象で、ライブ録音の方が演者の高揚が伝わってくる。しかしこの楽曲は、どちらが良い演奏なのか、などという評価を拒絶するところがある。どう演奏してもワーグナーの音楽にしかならないし、どちらにしても相当な質量で聴者の心を叩く。むしろどこまでワーグナーの用意した音楽空間に身を委ねることができるかを問われる、これはそういう音楽なのだと思う。
例えば、剣を鍛え直す音や、雷の音など、舞台で実際に演者が鳴らす音を使わざるを得ないライブ録音と違って、スタジオ録音の場合は効果音は自由に足すことが出来る。このショルティの録音でも凝りに凝った効果音が聴けると聞いたことがある。こちらも楽しみにしたい。
2012年10月16日火曜日
アナログレコード演奏者の流儀
イベントの合間に展示されているターンテーブルを見ると、どれもずーっと回っていて、ああ展示の時も回して雰囲気出してるんだな、なんて思っていた。
いざイベントが始まってみると最初から最後までターンテーブルは回しっぱなしで、そのまま止めずにレコードを置いたり、レコードを外したりするのだ。ふーむ、そういうものなのか、と思ったが、自分ではおっかなくて出来ない。
レンタルレコード店なんかでバイトをしてたしアナログレコードの扱いは知っているつもりでいたが、やはり何事も極めようと思えば道は長く険しいのだと知った。
ここでは私の極めて個人的なアナログレコードの流儀について書き記しておこうと思う。各方面からのご批判が予想されるが、若造の戯言とお聞き流しください。
まず、演奏前にダストカバーを外す。これはもう外してしまう。演奏するときだけ外して、邪魔にならないところに置いておいて終わったらまた戻すのだ。
閉じたままにしていても開けた状態にしても、やはりアクリル製のカバーが振動しているような気がするからだ。昔の大型機でガラス製のダストカバーをつけている機種があったが、あれならいいなあと思う。
現在発売されているほとんどの高級プレーヤーには最初からダストカバーがついていない。しかし、それも厭なのだよなあ。あの精密な機構がむき出しになっている機械が、カバーもなく日常生活の場に放置されているというのは、どうにも抵抗がある。
というわけでダストカバーは必須だが、演奏時には外す。これが私の流儀だ。
そして、レコードを載せる。
スピンドルでレーベル面を擦ってしまって「髭」を付けないようにするのがレコードを愛する者の礼儀だ。
そしてターンテーブルの上で埃を払う。
オーディオテクニカの湿・乾両式クリーナーを使うことが多い。
この作業をターンテーブルの上で行うことは一般にタブーとされている。で、皆さん古いターンテーブルを清掃用の台に使ったり、それ用のスペースを作ったりしていらっしゃる。
実は私もKENWOODの古い安価なプレーヤーをHARDOFFで捕獲して使っていたのだが、安価なものはターンテーブルそのものが小さく、手で押さえて固定することができず、充分なクリーニングができない。
もうそれなら、それほどの高級機でもないのだし、壊れたら壊れたで仕方ないと割りきってDENON DP-500M上で直接埃を払うことにした(スマン、500Mくん。でもどっかから出てたオーディオ入門のムックにターンテーブルを回してベルベットを当てれば楽に埃が取れるなどと書いてあったが、さすがにそれはマズイと思うぞ)。
しかし、汚れがひどいものは完全に湿式で汚れを取っておく必要があり、この盤に力がかかる作業ばかりはターンテーブルではできないのでテーブルにレコードを置いて行う。もっともこういう作業が必要なのは中古盤を買ったり、新盤でも安価なものなどは汚れていることが多いので、そういう時だけなのだが。
さて、いよいよレコードに針を落とすが、針圧は大丈夫だろうか。
通常マニュアルに書いてある手順では、カートリッジをターンテーブルの上まで持ってきて、軽く手でアームを持って水平を保つ。ウエイト(重り)をくるくる回して手を離しても水平を保てる位置を探す。ウエイトが外に行くほどカートリッジ側が上に上がり、内に来るほど下に下る。ゆっくりと回してポイントを探れば良い。
ぴったりになったら一旦アームレストに戻して、今度は目盛りだけをまわして、ゼロに合わせる。
そして今度はウエイトの方を回せば目盛りも一緒についてくるから指定された針圧に合わせれば良い。
ちなみに私のカートリッジは2gの指定である。言っておくが、ここで好みの音質を探るためなどといって、少し重めとか少し軽め(という人はほとんどいないが)にするのはヤメておいたほうがいいと思う。
レコードには必ずいい音が入っている。そしてそれぞれの機械は適切に設計されている、と信じていないと自分に言い訳を与えるからだ。
レコードや針のコンディションは万全か。
水平はとれているか。
スピーカーの向きはズレていないか。
ユニットの固定は緩んでいないか。
ケーブルの端子は汚れていないか。
自分のやれることは山ほどあるのだ。
まずそれをやろう。何かを疑うのはそれからにしよう。
さて、針圧の設定だが、なんて面倒な、と思われただろうか。大丈夫。今はこの手順を大幅に簡略化する道具があるのだ。それが「針圧計」だ。
これは端的に言えば「精密な秤」だ。考えてみれば当たり前の話で、針圧は針がレコードにかけている重量なのだから、直接秤に載せてしまえばいいのだ。
手順は本当に簡単で、ターンテーブルの端に針圧計を置き、軽量ポイントに針をそのまま置いて、指定された針圧になるまでウェイトを回すだけだ。面倒な事は何もない。
しかし、この針圧計、中身は普通の秤で「精密秤」という製品名で売られているものはだいたい2000円くらいのものだが、これがオルトフォン・ブランドで針圧計として売られると突然1万円以上になったりするのだ。なんとなく納得はいかないが、それでもオルトフォンのが欲しいな、と思ってしまう自分が哀しい。
針圧の設定が終わったら、かけた針圧と同じだけの力をインサイドフォース・キャンセラーにかけて設定終了。
さて、めでたく良い音でレコードを聴き終わった後、大事な仕事が待っている。
レコードと針の掃除だ。これがこの一連の動作で最も大事なところだ。衣服の洗濯と同じで早ければ早いほど汚れは落としやすい。レコード盤は触ったりしていなければクリーナーでさっと埃を落とすだけでいいだろう。問題は針だ。
針は、クリーニングのためにレコード盤につけた薬液が乾いたものをこそげ取ったり、そのこそげ取った樹脂状のゴミに埃を貯めこんだりして一晩聴くとかなり汚れている。
アナログレコードの専門誌(なんてものもあるのだ)でのスタイラス・クリーニング(=針の掃除)の特集でも、かなりの紙幅を使いながら結局のところ究極のスタイラス・メンテナンスはレコードを正しくクリーニングすることである、と断言してしまっている。
しかし、現実的には針をまったく汚さないほどレコードを綺麗にするために必要な薬液は目玉が飛び出るほど高価だし、手洗いなので結構な手間がかかる。
だから僕はむしろ針を洗う。
なぜレコードクリーニングの方に重点を置くかというと、アルコールを含むクリーニング液で針を洗うと針を固定しているカンチレバーとそれを支えるダンパーが痛むからだ。
しかし、一年や二年でダメになってしまうほどの影響ではないのだ。
毎日欠かさずレコードを聴いて毎日欠かさず針をオーディオテクニカの600円のクリーニング液で洗ってた上、毎日宝石用の20倍ルーペで逐一目で確認している私が言うのだから間違いはない。
いやもちろん、一年か二年で必ず針を交換する私にしか言えないことでもあるのだが。
これが私のアナログレコードの流儀である。
すべての理由が合理的に帰結してDENON DP-500Mという中級プレーヤーを使うというスタイルを形作っているのを感じていただけただろうか。
そしてこの流儀に合致する商品は、かつて日本の市場のメインストリームで、パイオニア、ビクター、ケンウッドなど主要ブランドの数々の名機はどれもこのスタイルの支持者たちだった。
時が流れ再び来たアナログの小ブームの中では、選択肢がDENONのDP-1300Mk-IIとDP-500Mしかないという事態の異常さが今のオーディオ業界の裾野の狭さを窺わせてちょっと暗澹たる気分にもなるが、ともあれさすがはDENON。あなたがいなかったら僕は今頃どうしていたことか。
2012年10月15日月曜日
僕がアナログレコードを聴き続ける理由、そしてDENON DP-500MとMMカートリッジを偏愛する理由。
別に不満があるというわけじゃない。それでもアナログレコードをかけると、いつも「鮮烈さ」のようなものを感じる。
昔懐かしいレコードを聴いているのだから、ノスタルジーも手伝ってレコードの音を味わい深く感じているだけではないか、と疑わなくもないが、僕は新譜も可能ならばアナログで買うことにしていて、新しいサウンドの音楽もレコードで聴くとやっぱり鮮やかでカラフルな印象を受けるので、それだけでもないだろうと思う。
このCDとレコードの音の関係について、なるほど、そういう理由かと腑に落ちた事件があった。
僕は自分のオーディオに疑問を持ったことはほとんどなく、必要になった時、その時持っている予算で最も自分の好きな音を奏でてくれる機械を買って、しばらくあれこれ納得いくまでセッティングを詰めたら、何度聴いても、ああいい音だなあ、と思えてしまう幸せな男だ。
だからオーディオ店の試聴会なんてのには行ったことがなかったのだが、今年の夏に前の会社の先輩に、札幌で一番大きなオーディオ専門店であるCAVIN大阪屋の試聴会イベントに誘われて、もちろんオーディオは大好きなのでウキウキしながら出かけていった。
そこで心底驚くようなデモンストレーションを聴いてしまったのだ。
それはCDプレーヤーにマスター・クロック・ジェネレーターを加えると音がどう変化するのか、というものだった。と、言われても何のことだかわからない人も多いと思う。
なるべく簡単に説明しよう。
音は空気の振動だから、「波」のカタチをしている。
これをそのままビニール盤に刻み込んだのがレコードだが、CDはデジタルだから、この波を細かく切り分けてその回数だけ信号を読み込んで再生することになる。
その回数をサンプリングレートといって、現在のCDの規格では44.1kHz、つまり1秒間に4万4100回信号を読み取っている。
この4万4100分の1秒を測る時計をクロックと言っている。
普通のCDプレーヤーに搭載されているクロックは2~3ヶ月に1秒狂うくらいの精度のものだが、その精度を高めていくために外部から高精度のクロック信号を送る機器をマスター・クロック・ジェネレーターと呼んでいるのである。
さて、今回のデモで見たエソテリック社の新鋭マスター・クロック・ジェネレーターは10年に1秒の誤差、という精度のもの。
我々の感覚ではそれがどういう差なのかはちょっと判然としないが、出てくる音はまったくの別物だった。
まるで深い森の中に迷い込んだような濃密な空気感が突然音楽に纏わりついたような感じ。うまく言葉ではいえないが、それは確かに音楽再生の技術がひとつ高いステージに飛び込んだことを確信させる音質変化だった。
しかしこの機械、なんとお値段141万7500円也。
私の愛用しているCDプレーヤーは16万8000円である。なんという高価なグレードアップか。
そして、これはレコードプレーヤーに置き換えると「ターンテーブルの回転精度を上げる」ということに相当する。
モーターの回転精度を上げるなんていうのは、もう程々に「枯れた」技術で、大抵の中級機なら相当に高い精度で回ってくれるし、今回のCDにクロックを足したような驚愕の変化はたぶん現れようがない。
つまり、アナログレコードの再生システムと同等の音を出そうとした時の、CD再生にかかるコストは相当に高く付くということだ。
クロックのデモは、音がどこまで良くなるのかという限界点はもしかしたらデジタルの方が高いのではないかと思わせるに足るものだったが、無限の予算がない以上、僕はアナログの方を選ぶ。
同じように、CDプレーヤーは10年も回しているとピックアップが読み取りエラーを出すようになる。これを交換するとなると面倒だし、結構なコストもかかるから、それなら新技術の投入されたニューモデルが欲しくなるだろう。
何れにしても結構な出費だ。
アナログでは針を交換してしまえば、音がフレッシュになる。僕のカートリッジの交換針は2000円弱だから、毎年交換しても全然平気だ。
事実毎年正月に針を交換するのを習慣としている。
近年、またアナログ関連の商品は息を吹き返してきていて、プレーヤーもオーソドックスなスタイルのものからアバンギャルドなデザインのものまで様々な新製品が店頭に並んでいる。
それらの多くは音質的に有利とされるストレートアームを備え、簡単にカートリッジを外すことが出来ない。
私の使っているプレーヤーは今ではとんと見なくなったユニバーサルアームというのがついていて、簡単にカートリッジを外すことができるので、毎日レコードを聴いた後必ずテクニカのスタイラスクリーナーで針を掃除している。
このクリーナーの薬剤が針に(正確に言うと針を支えているカンチレバーやそれを支えているダンパーに)悪いというので、あまり頻繁には掃除をしないほうがいいという説があるが、それはまったくその通りなのだが、私の場合はそんな影響が出てくる前に針を交換してしまうのでぜーんぜん関係ないのだ。
いや、これが本当にいい音するんですよ。信じないかもしれませんが。
2012年10月14日日曜日
レンタル・レコード・ラプソディ、あるいはCDから聴こえてこない音について。
店長さんと僕と少し年上のギタリストの三人だけのお店。
だからとてもアットホームで、店長さんはとても優しい人でお店にかける音楽とかは僕達におまかせだった。
お気に入りのアーティストの新譜が入ると、僕らは店内にそれを流して、ついでに自分のテープに録音したりしてたけど店長さんは何も言わなかった。
そのうち、朝、開店するために鍵を預けられるようになった僕は少し早めに出勤して、開店前の店内で好きなレコードを聴いていた。
だから、この時期新しいレコードを聴くのに不自由はしなかったけど、録音するためにテープをたくさん買って(もちろんレイコードーで)いたから、バイト代はほとんど残らなかったな。
そういうわけで、この時期お気に入りになった音楽は自分で録音したカセットテープで持っていた。
テープはやがて劣化していくし、録音メディアもデジタルに移行していく。
もううちにもカセットデッキはなかったりする。
CD化されたものは、それを買えばいいのかもしれないが、アルバイトでずっとレコードを聴いていた僕にはその当時の音楽をCDで聴くのはちょっと違う気がして、数年前から中古レコード店やオークション・サイトなどで探して少しづつ買い揃えたりしている。
そんなレコードの中で今でも、よくターンテーブルに載せるものがある。
そんな一枚が、このセンチメンタル・シティ・ロマンスの「夏の日の想い出 SUMMER DAYS」だ。
とにかく歌詞がいい。まるで自分自身が書いた歌を聴いているような気分になる。それも若い頃の自分のだ。もちろんこんな完成度の高い楽曲を書けるはずはないのだが。
こちらも今でも本当によく聴く一枚。安部恭弘の「MODERATO」。
ジャケットがいいよなあ。B-2の「トパーズ色の月」を聴くといつだって胸が詰まるように苦しくなるのは何故なんだ。
心理学者でも精神科医でもいいから誰か教えて欲しい。
それにしても何故CDの音に違和感を感じるのだろうか。
僕がレイコードーに入った頃、店ではまだCDのレンタルは扱っていなかった。
最初にCDがお店に入ってきた時、あの小さなジャケットやプラスティックのケース、規格化された「背」のデザインなどを見て、こんなものを買う人がいるのだろうか、と思った。
一緒に入ってきたCDプレーヤーをお店のシステムに繋いで音を出してみると、これまた何だか鼻をつまんで聴いているような抜けの悪い音で、レコードのように掃除をしなくていいのと、頭出しやスキップが出来たりするのは確かに便利だとは思ったが、やっぱりこれは欲しくない、と思った。
しかし、予想に反してCDはあっという間に市場からヴィニール盤を駆逐していった。かつてヴィニール盤がSP盤を駆逐していったように。
ところがCDへの市場の移行後もLPレコード・ユーザーはしぶとく手持ちのレコードを聴き続けたし、逆に中古市場に放出されたレコードたちを救出しては、自らのコレクションを充実させていった。
確かにしばらくレコードでの新譜は出ない時期があったものの、現在でも音質を重視するアーティストたちが新譜でレコードを出し続けている。
かくいう自分は、それほど熱心なレコード・リスナーではなかった。
それまでのコレクションを売りはしなかったが、レコードで新譜が出なくなった頃、TEACのプレーヤーを質屋のガラスケースに見つけてCDリスナー・デビューをした。
CDの音は徐々に良くなって、今や空前のリマスターブーム。
僕も音質的に劣った盤をずいぶん買い直した。
けっこういいところまでレコードの音に近づいてきたんじゃないかとも思う。
PCでリッピングしてiPodで聴いたり、車用のCDを編集したりなんてことも出来て、本当はもうレコードなんていらないのかもしれない。
でも何故なんだろう。
新譜で買った高音質のクラシックやジャズのレコードをかける時は湿式のクリーニング・ウォーターとワイピング・ペーパーを使うのに、懐かしいレコードをかける時には、レコードに悪いとわかっていながらもNagaokaのレコードスプレーをシューっとかけてベルベットのクリーナーでひと拭き。
スプレーの匂いの残ったレコードをターンテーブルにセットして針を落とすと、あの若かった頃の僕を取り巻いていた空気ごと再生してくれる。
そしてそれは、どんなにリマスターしても決してCDからは聴こえてこない音なのだ。
2012年10月13日土曜日
予備校の湿っぽい廊下で、僕が見つけたものは。
最初の年の受験に失敗し、釧路を出て札幌の予備校に通わせてもらった。
はじめて親元を離れて予備校の近くの寮に暮らした。
この新しい生活の中で、僕は本当にたくさんのものに出会った。
浪人することがほぼ確実になってから高校の進路指導室とは名ばかりの資料置き場に置いてあった予備校生のための学生寮「桑和学生ハイツ」のリーフレットを見つけた。
小学校時代からの友達でもあった剣道部の同期の主将と一緒にそこに入ろうと決めた。
ベッドと机以外何もない狭い部屋で、調理器具などは持ち込み禁止ですと書かれていた。
入寮したその夜、こんな壁だらけの場所で本当に勉強なんてできるんだろうかと心配しながらも予備校の資料を眺めていると、部屋のドアがノックされた。
お、一緒に入寮した剣道部のヤツか、と思いドアを開けると見たことのない大柄の男がインスタントラーメンの入った鍋を片手に持って立っていた。
まったく何の挨拶もなく「ラーメン食べる?」と言う。
いかにも人のよさそうな笑顔につい「お、おう」と答えると、じゃ隣来て、と。
ああ、隣の部屋の住人だったか、と後について彼の部屋に入った。
何も置いてはいけないはずの部屋にはカセットコンロの他に、レコード・プレーヤーまで備えた簡易ステレオが置いてあり、壁には大きなカセットテープのラックが設置され100本近いテープが並んでいた。
二人でインスタントラーメンを食べながら自然と音楽の話になって、そのままずっと話し込んだ。何年も昔から友達だったような気がした。
彼は留萌の出身で、同じ高校からやはりこの寮に入っている友人がいて、これがまた相当な音楽バカだという。
さっそくその友人の部屋を急襲することにした。
予想に反して歓待を受け、音楽談義は続いた。
その彼が「無名なんだけど、これだけは絶対聴いておいたほうがいいよ」と二本のカセットテープを貸してくれた。
鈴木雄大のファースト「フライデイ・ナイト」とセカンドの「YUDAI」だった。
これは本当にぶっ飛んだなあ。
鈴木茂みたいなソリッドなギタープレイに、甘くて高い声。
小学生の僕を音楽の世界に引きずり込んだローラーズみたいに心を震わせて切なくなっちゃうようなポップセンス。
ある種の諦念観の中をあくまでも軽やかに泳ぎきるような独特の歌詞がその時の気分にものすごくマッチしてあっという間に大ファンになってしまった。
隣の部屋の友人とは今でも続く長い付き合いになった。
お互い雑な性格をしているせいで、住むところや職場が変わるたびに何度も音信不通になるのだが、その度奇跡的に再会して絆が切れない。
僕が札幌に帰ってきた時も、偶然そういえばあいつどうしてるかなあ、と気まぐれにGoogleで彼の名前を検索したら札幌の某専門学校にいることがわかって、学校に電話して再会したのだ。
その後彼は転職するため関東に移ったが、その時にあの懐かしい予備校時代から大事にしてきたLPレコードのコレクションを僕の家に置いていった。半分くらいもともと自分のものであったような気がするくらい懐かしいレコードたちと今、暮らしている。
予備校の寮で生涯の親友を見つけたのと同じ頃、僕は予備校の廊下で見覚えのある女の子の横顔を見つけていた。
高校の時、休み時間に廊下で、周りの人よりも一段も二段も白くて透明で儚げなのに強い光を放っているような女の子の横顔を見かけて、あれは一体誰なんだろうと思っていて、いつの間に転校でもしたのか見かけなくなった女の子がそこにいた。
高校の時はなんとなく気になっていただけだし、いつの間にか忘れていたのだが、札幌の予備校で突然再会してしまうと、どうにも気になってしまって、でも話しかける勇気はなかった。
同じ教室にいるだけで僕は充分幸せだった。
だから灰色のはずの予備校生活は、完璧な薔薇色をしていた。
毎日予備校に通うのが楽しいし、帰れば話しても話しても尽きず音楽の話をする友がいる。
しかし、予備校の日々などしょせん、このまま続けばいいと願うたぐいのものではない。
春が来て、僕と彼女は同じ大学の同じ学部に合格し、友だちは郷里に帰ってもう一年頑張って進学を目指すことになった。
時間はいろんなものを変えていく。
二年後僕は結局フォークソング研究会というサークルで知り合った人とお付き合いしていた。
その頃サークルの先輩に紹介してもらった貸しレコード店でバイトをしていた。
そのお付き合いしていた人は浜田省吾が大好きだったので、新譜で入ってきた「J-BOY」を僕はよく店でかけていた。
そして「19のままさ」が流れる度に予備校の教室でいつも見ていたあの横顔のことをこっそり思い出していたのだ。
2012年10月12日金曜日
あの素晴らしきラジオ・デイズ。
そのラジオだって音質の良いFM局は、わが故郷釧路にはNHK-FMの一局しかなくて、だからNHKの放送をできる限り多く聴いた。
中でも平日の夜放送されていた「サウンド・ストリート」という番組は、クラシック番組の多かったNHKの中で貴重なポップス系の番組で、毎日欠かさず聴いた。
当時のDJは月曜日が松任谷正隆でティン・パン・アレイ人脈の細野晴臣氏を招いて作曲や録音のデモをやってくれたのが印象に残っている。今でも自宅録音の際にこの時学んだノウハウを使うことがあるくらいだ。
火曜日の森永博志にも大変感謝している。なにしろ彼の放送では、ブレイク寸前の若手のスタジオライブが多かった。ヒロスケというシンガーソングライターのライブは本当に最高で、録音したテープはMDにダビングして今でも大事に持っている。デビューアルバムのComing Soonは石田長生のプロデュースで金子マリがバックコーラスやってたりしてゴージャス。独特の嗄れ声で歌う「深夜営業午前二時」とか「いくつもの星が流れ」といったブルージーな歌がカッコ良かったが、なぜかまったく売れず、ミサキレコードでも、これは入荷しないから、と言って見本盤をくれた。兵藤ゆきと結婚したあたりまでは情報が入ってきていたが今は何をしているのだろう。
水曜日は、甲斐さんですねえ。もうこの水曜日の放送だけは一言一句聞き逃すまいとヘッドフォンを両側から押さえて聴いていた。この放送で教えてもらった名曲は数しれないが、やはり何と言っても佐野元春のガラスのジェネレーションではないだろうか。その声と日本の楽曲では聴いたことのなかった純度の高いポップ性に衝撃を受けた。 釧路のミサキレコードでまずシングルを買って、その後発売されたハートビートも予約して買った。
甲斐さんはこの曲をかけた後、正直この声に嫉妬している、と言い、こいつの歌はいつか必ず日本中の人が聴くようになる、とまで予言していた。事実そのとおりになったと言っていいだろう。
それからすぐに、佐野元春は月曜日のDJに抜擢された。一回目と二回目の放送は佐野元春& The Heartlandのスタジオライブで、「さよならベイブ」での伊藤銀次さんのギターソロがもうとにかく最高で、まだ買ってもらったばかりでろくに弾けなかった白いグレコのジェフベックモデルで一生懸命練習したものだ。この録音も今でも大事に持っている。
木・金は不動の渋谷陽一先生。なんか今思うと、ストーンズとツェッペリンばかりかけてたような気がしなくもないが、洋楽に疎かった僕にはありがたい放送でした。
クラシック音楽を聴くようになった今、ラジオをまた聴くようになった。ポップスに比べてクラシック音楽の歴史ははるかに長く名曲と呼ばれる楽曲の数も膨大だ。どんなに聴いても聴ききれない気がするのに、ひとつの楽曲を何度も聴かないと理解も覚束ないときている。NHKは相変わらず、コンスタントに有名、無名問わずに多くの楽曲を流してくれる。シューマンのピアノ・コンチェルトやブルッフのバイオリン・コンチェルトなんかはラジオが教えてくれた名曲で、何度となく聴き続ける愛聴盤となった。
現代は便利な時代で、録画の指示を機械にしておけば、好きなときに何度でも見られるしいい曲だなと思えば、iTMSからすぐにダウンロード購入できる。試聴だってし放題だ。まさにオン・デマンドの時代。
しかし、不便さにだっていいところがある。ラジオの非オン・デマンド性こそが僕らを音楽に真剣に向き合わせていたのではないかと思うからだ。あの頃聴いた曲が心に深く刺さっているのは、その頃若かったからという理由もあるだろうが、どんな細かい音も聞き逃すまいと真剣に聴いたからではなかったか。なにしろ録音する時だって、テープをひっくり返すためにいつも以上に真剣に聴いていたのだから。
その一分一秒をもゆるがせにしない音楽への姿勢が、僕達の音楽体験を作り出していたことを今はとても幸せなことだと僕は思っているのだ。
2012年10月11日木曜日
甲斐バンドを教えてくれたラジオとレッド・ツェッペリンのドラマーの死を教えてくれた僕の担任。
その頃住んでいたのは釧路市の桜ヶ岡という町で、大きな生協の店舗に隣接してそうご電器という電器店があった。
小学生の頃ラジカセが流行って、休みの日には悪友たちとその電器店をひやかしに行った。
次のステップとしてのステレオのカタログを無闇矢鱈と集めたりした。
いろんなメーカーのカタログを集めたが、当時テクニクスのカタログがぶっちぎりでカッコ良かった。
中学に入って、ステレオを買ってくれることになった。
カタログを手に母と意気揚々と電器店に乗り込んだが、その時点で自分の中ではすでにテクニクス一択。
あとはスポンサーである母の予算次第で、どのランクのものが手に入るのか。そういう選択なのだと思っていた。
そう、その時までは。
ところが、母が「ステレオが欲しいのです。息子がテクニクスというのがいいと言うのですが、どれですか。」と聞くと店員は
「ああ、テクニクスはいけません。あれはナショナル。家電メーカーが副業でやっているようなものです。専業メーカーのものになさい。中学生ならこのくらいでしょう。」
とONKYOのシステムコンポを指差すのだった。
それはその店で扱っているテクニクスのシステムコンポのどれよりも安価で、それなのにラックはガラス扉付きで豪勢だったし、スピーカーのサイズが一回り大きかった。
価格が思っていたより手頃で、しかも理由が一見まっとうで、あまりに店員が自信たっぷりに言うものだから、もう即断に近いカタチで、そのONKYOは僕のものになったのだった。
長いこと憧れていたテクニクスは手に入らなかったが、そのセットが僕の部屋に来たちょうどその日にNHK-FMで甲斐バンドの武道館ライブが放送された。これをその真新しい機械を使ってエアチェックした。
甲斐バンドは小学生の時に大ヒットした「HERO、ヒーローになる時それは今」を聴いて、それまで好きだった西城秀樹や松山千春なんかとはずいぶん違う音楽で、これがロックだと思っていたBay City Rollersともちょっと違うカッコよさをもった音楽だなと思っていた。
放送がはじまると、大きなスピーカーから松藤英男が叩くシンプルなエイトビートが、それまで行ったことのないコンサート会場の残響を引き連れて僕の小さな部屋に鳴り響いた。
それに合わせてこちらの鼓動までドクドクいいはじめた。
大森信和の弾く伸びやかに歪んだレスポール・カスタムのリフが高らかに曲のテーマを提示し、甲斐よしひろがあの嗄れ声で「あなたに抱かれるのも今夜かぎりね」と歌い始めた。
名曲「きんぽうげ」に僕はすっかりやられてしまった。
タイミングの良いことに数週間後には、柳ジョージ&レイニーウッドのライブがやはりNHK-FMで放送されたし、甲斐よしひろがDJをつとめるサウンド・ストリートというラジオ番組を見つけたりで、ヘッドフォンにかじりつくようにラジオを聴いた。
当時の釧路にはFM局がNHKしかなく、それを聴くしかなかったわけだが、もしかしたらそれが良かったのかもしれない。
なにしろずっとそればかり聴いているのだから、クラシックや洋楽なんかにも(不思議にジャズはまったく印象に残っていない)いい曲があるなあ、と思えたからだ。
特にNHKはクラシックの番組が多い。
ドヴォルザークの「新世界」とベートーヴェンの「田園」、そしてホルストの「惑星」は録音して繰り返し聴いた。今でもとても好きな曲だ。
そして部活の剣道部の時間以外は音楽のことばかり考えていた。で、一番そういうものに近そうな文化専門委員会というのに入って学校の仕事をするようになった。
その年の委員長は、同級生の兄貴で、やはり音楽の好きな人だった。
彼は放課後の音楽室を開放してレコードコンサートをやろうと企画した。
レコードはオレが持ってくるから、と言っていた。
そのレコードはLED ZEPPELINの1~4で、僕はその仕事の手伝いをしてはじめてZEPの音楽を聴いたのだった。
ざらついたギターの音。
どこまでも金属質の声。
とてつもなく重いビート。
それはなんというか、衝撃という言葉以外ではとても表現できないものだった。
時は流れて、中三の秋。
放課後教室でたむろしていた僕らに担任の先生が「おい、大変だぞ。ちょっと職員室に来い。」と声をかけてきた。
ついていくと夕刊の小さな記事を指さした。
「ロックバンド、レッド・ツェッペリンのドラマーが死亡」と書いてあった。担任の先生はロックなんかを聴くような人ではない。
学校で起きていたムーブメントや生徒たちの関心事について深く理解していた人だったのだろう。
そんなこんなで、僕にとってLED ZEPPELINの音楽は中学時代を過ごしたあの校舎の空気の感じと深く結びついているのである。
Bay City Rollersがくれた胸の震えを探して。
胸が震えた。
レコードを買ってもらって、何度も聴いた。
歌詞を聞き取っては父にもらった大学ノートに、カタカナで書きつけた。
自分で歌いたくて外に出て大声で歌った。
ちっとも恥ずかしくなんてなかった。
胸はもっと大きく震えていた。
僕は今もあの時の胸の震えを探して音楽を聴き続けているのだと思う。
はじめて買ってもらったレコードはBay City Rollersの二枚のアルバムだった。
その時点での最新アルバム「青春に捧げるメロディー」とベスト盤である「ニュー・ベスト」の二枚。
この「青春に捧げるメロディー」というアルバムは本当に素晴らしかった。
名プロデューサー、ジミー・イエナーの仕掛けたポップの宝箱だ。
一曲目がエリック・カルメンの在籍したラズベリーズの永遠の名曲「レッツ・プリテンド」。そしてダスティ・スプリングフィールドのヒット曲「二人だけのデート」。ビーチ・ボーイズのポップなラブソング「ドント・ウォリー・ベイビー」。
これらのナイスなカバー曲だけでもかなりクラクラだが、彼らの本領はグラム・ロック・バンドとしてのハードなサウンドにあるのだ。
「ロックン・ローラー」「イエスタデイズ・ヒーロー」のオリジナル曲2曲をお聴きいただければ、このバンドがアイドルバンドだったなどとはいえないはずだ。
実は僕も武道館でのコンサート映像を見て、「演奏してねえじゃん」と思ったのだが、一昨年ふとしたことで知り合ったBCRファンから新潟公演をこっそり録音したテープを聴かせていただいて、明らかにかなり演奏力の高いバンドであったことを自分の耳で確認した。
僕はその素晴らしい歌をどうしても自分で歌ってみたくて、歌詞カードにレコードから聴き取った発音をカタカナで書き込んで英語で歌う練習をしたのだった。
歌うとますますその歌が好きになった。
学校の休み時間にもずっと歌を歌っていた。
街を歩いているときも。
小学校の遠足のバスで目的地につくまで歌合戦をしようということになった時も真っ先に手を上げてツイストの「燃えろいい女」を歌った。担任の先生が審査員のその歌合戦で僕は優勝して、商品に図書券500円をもらったのだ。
今思えばその図書券は先生の自腹だったのだろうなあ。
その担任の先生も先日亡くなってしまった。
遺品を整理していたら、「お葬式にかけて欲しい音楽」というメモがでてきて、伸之助くん(私のことです)の「雨宿り」と書いてあったとお嬢さんから聞いた。
さだまさしさんのコミカルなのにじーんとくる名曲で、当時よく校庭で歌っていたお気に入りのレパートリーだ。
そんなことまで憶えていてくださってありがとうございます。
天国の先生のために、これから何度でも歌います。
音楽はいつだって人の人生の傍らにあり、その瞬間瞬間を彩っている。
そしてその彩りはとても深く胸に刻まれている。
だからそれは、ただの趣味ではないし、ましてや消費財では決してない。
明日からも、あの日見つけたこの胸の震えを探して歩いて行こう。
2012年8月29日水曜日
山下達郎シアターライブ:拍手に包まれた8番シアター
アナログレコードで山下達郎を聴きまくっていたら、友達が言っていたシアターライブのことを思い出した。札幌駅のシネコン「シネマフロンティア」のWEBを見るとまだやっているではないか。
思い切って出かけてみた。
もちろんライブ盤「JOY」も持ってるし、Ray Of Hopeも初回盤で買ってるから特典の「JOY1.5」も聴いている。しかし、この映画で観る山下達郎体験はまるきり別のものだった。
昔から言われていることだが山下達郎自身のカッティング・ギターが凄すぎる。
どちらかというと前のめりに走っていくカッティングがバンド全体を引っ張っていく。リズムセクションまでもがその上に乗っかってゆったりと音楽の重心を下に押し下げて揺るぎない安定感を作っている。
驚くべきはそのオンタイムのギターを弾いているご本人の歌が、もっとも後ろから伴奏を追いかけてたっぷりとした溜めのある歌唱になっているってとこだ。体の中に二つのタイム感を共存させられるのか。そんなこと人間に出来るのか。
ボーカルの冴えも恐ろしいほどだ。80年代の歌声と2012年の歌声がほとんど変わらない。まさに圧倒的な声の力。
最後に流れた曲は、夏の夕刻のフェスで歌われた「さよなら夏の日」だったが、会場の若い女性が声の力に心が押されてべしょべしょに泣いているのを観てこちらもちょっと涙ぐんでしまったし、若い男性の信じられないものを見たようなリスペクトの表情をうかべ目を見開いて身じろぎもせず歌に聴き入っている姿にこちらも感動してしまった。
Ray Of Hope発売時に菊池成孔が、はじめて山下達郎に「加齢」を感じたとコメントしていたが、この映像を見たら撤回せざるをえないだろう。
映画を観ている間中、終わるとつい拍手をしかけて、いかんいかんと我に返る連続であったが、他のお客さんも同様であったらしく、映画が終わった瞬間誰かが拍手をしてみんなも追いかけて大拍手で8番シアターを包んだ。
シアターライブ、いいもんですね。
2012年7月10日火曜日
CAVIN大阪屋、高級オーディオ試聴会体験記 Part-3にして最終回
試聴会では、機器の音色の違いを楽しむのに加えて、今まで知らなかった音楽を知るというところも大きな楽しみのひとつだ。
今回の大発見はなんと「デューク・エイセス」。
ソナスのデモでドイツのドクトル・ファイキャルトという新進メーカーのターンテーブルを使ってかけてくれたデューク・エイセスのアナログレコードは、本当にびっくりするようなリアリティで彼らの名人芸的なボーカル技術を堪能することになった。
ことにベートーベンの田園をコーラスで再現した曲では、動物の鳴き真似などが入っているのだが、もう圧倒的なクオリティの録音でしかも聴いていて楽しい。
これぞオーディオの愉悦、という楽曲だった。
次のデモは日本のオーディオの歴史そのものと言っても良い「ラックスマン」。
今回聴いた中では唯一の真空管のセットでしたので期待していたのだが、部屋に入った途端厭な予感が。
組み合わせたスピーカーがJBLのS4700だった。
最近僕はこのJBLというブランドの音と相性が悪い。
セッティングのため軽く流されている音がやはり濁っている。
この日は最初のセッションで聴いた高級機S9900もこのS4700も不調だった。
どうも現代のJBLは肌に合わないという印象。
昔、中野ブロードウェイのフォーク喫茶で聴いた小さなJBL、すごくいい音してたのになあ。
そして、今日一番聴いてみたかったアンプ、ダン・ダゴスティーノのデモに向かう。
組み合わせたスピーカーはウィルソン・オーディオのSophia3という中堅機。
ウィルソンは1989年作のWatt/Puppyという名作スピーカーで、なんとスピーカーの置かれた位置のむしろ後ろ側に大きく音像が広がっていくのを志向した、音像表現に革命をもたらしたといわれたスピーカー開発者だ。
その後、多くの開発者がこの方向性を突き詰めて行き、現在ではスピーカーの後ろにサウンドステージがあるのはむしろ一般的。
最近ではむしろこのウィルソン・オーディオの方が、オーソドックスなスピーカーメーカーというイメージになっている。
そんなことで私はウィルソン初体験ではありましたが、スピーカーの方には大きな期待をしてはいませんでした。
マジコとソナスに盛大に驚かされた後だったしね。
でも音が出てきた瞬間、体が凍り付いてしまった
私は自分の不見識を恥じた。
音楽が躍動している。
他のハイエンド・スピーカーたちの音場が、固着化して精度を増していくのに対して、このスピーカーは音が飛び回って、その熱情を伝えようとしている。
ウィルソンは、自分が作った新しいスピーカーの潮流を軽々と乗り越えて、すでに別の場所に到達していたんだな。
この音にプリアンプのエアーKX-Rも、ダゴスティーニのパワーアンプも大きな貢献をしているはずだ。
人生最後の音はこれでいけよ、と言われた気分だった。
この後、ふらふらな頭で、さっきちらと聴いただけで、すごく良さそうだったので、きちんと聴いておきたくてLINNのデモをもう一回聴いた。
どこにも出っ張りや引っ込みのない、超ナチュラルな再生で、筐体もウルトラ・クール。大人のオーディオだなあ。
残念だったのはアナログ再生をやってくれなかったことで、なにしろ多分日本で一番ユーザーの多いハイエンド・ターンテーブルはLINN LP12なのだろうから、自分のDENONとどのくらい違うのかぜひ聴いてみたいものだった。
試聴会を後にした我々は食事もせずに一日中音楽ばかり聴いていたので、まあメシでも食おうと、家の近所の、パラゴンという伝説のスピーカーを置いているという「カフェイドラ」さんに。
まだ聴くんかい。
実はその数日前に、某ジャズ喫茶で、爆音パラゴンの音に100年の恋が醒めたばかりだったのだが、こちらのパラゴンは噂に聞く「西海岸の音」そのものの爽やかで弾むようなサウンド。
よかった。
マスターと話も弾んでジャズのレコード聴きながら和やかで楽しい時を過ごした。
スピーカーとにらめっこの一日だったので最後に楽しく音楽と向き合えて良かった。
やっぱこうじゃないとね。
2012年7月9日月曜日
CAVIN大阪屋、高級オーディオ試聴会体験記 Part-2
さて、次が困った。お目当てのマジコQ3とソナス・ファベールAMATI FUTURAの時間帯が被っているのである。
一緒に行った先輩と相談して、15分で区切って両方聴こうと決めた。
まずはマジコQ3。
ドライブするアンプはパス・ラボのプリと、パス・ラボを主宰するネルソン・パスのプライベート・ブランドであるファースト・ワットのパワーアンプだ。
これは音が出た瞬間から先輩と微笑み合ってしまったぐらい文句のないいい音だった。
言葉で言うなら「安定」。
先輩はいみじくもスピーカーの重さが音に出てるって感じだな、と言っておられた。
言い得て妙。
ごく一般的なトールボーイサイズのこのスピーカーの重量は一台110kg。
一人ではとうてい持てない。
どんな信号を入れようとまったく揺るがない筐体なのだ。
聞き惚れているうちにあっという間に時間が。
後ろ髪を引かれながらも別室のソナス・ファベールのもとへ。
これまた、部屋に入ったとたんに魅了された。
いかにもこのスピーカーの得意そうなバイオリンの独奏。
しかしこれは自然な音ではない。
スピーカーによって上手に色付けされた魅惑的な音像。
綺麗な木目の筐体はおそらく入力された信号に沿って音楽的な振動で「鳴っている」はずだ。
意外なことだが、ジャズもかなりいい。そして最高だったのは次に鳴らされた手嶌葵だった。
曲はさきほどのものとは違い「アルフィー」。
こちらも名曲の名唱。
そして音像は完全に実物大だった。
まるでそこにいるのではないかというリアリティ。
このCDは自室で聴いていても息づかいが間近に聴こえて、ときどきぞくっとすることのある優良録音盤なのだが、ソナスの色まで加算されて届けられた歌声は、また格別な手触りだった。
ドライブしていたアンプはドイツのブルメスターのセパレートアンプであった。この見事な音に少なくない貢献をしているのだろうし、本当にカッコいいアンプで、こんなのを部屋に置けたらと思わなくもないが、とにかくデカイし、なにより非常識に高価なので、はなから考える必要もないのだが。
まったく動かない筐体で、あくまでも録音した音のすべてを伝えようとするマジコの音。そして、音楽的な箱鳴りを作り出して、録音メディアを再生することだって楽器を演奏するのと同じように音楽を作り出す行為なんだよ、と我々に教えてくれるソナス・ファベール。
マジコが450万円でソナスが380万円なわけで、もはや買うとしたらどちらなどという設問自体が意味を持たないが、もし答えようとしても今の自分には答えが出せないと思う。強いていうなら後傾していないマジコのデザインの方が好みではある。
だから、音で絞り込んでいって最後の最後迷ったら、もうデザインで選ぶという選択基準しか残っていないような気がする。まあ、そんな機会に恵まれる幸運が私にあれば、ということだが。
さらに続く
2012年7月8日日曜日
CAVIN大阪屋、高級オーディオ試聴会体験記 Part-1
会場はチサンホテルの新館。
4つの部屋に分かれて各社のハイエンド機を聴くのだが、おそらく比較の便を図って課題曲が2曲設定されていた。
しかし、これがいけない。
ジャズボーカルでカサンドラ・ウィルソンの新譜から「オ・ソレ・ミオ」と、クラシックでシューベルトの交響曲第一番の四楽章が選ばれていたが、誰も聞いたことがない曲なんかかけてオーディオ機器の力を伝えることなんてできるのだろうか。
むしろそのシステムの力を最大限発揮できる曲をかけてもらったほうが聴く方も感動できるだろうし、プレゼン側も力が入るのではないだろうか。
まあ、文句はともかく最初はセオリー通りリファレンスっぽい音が出そうな「アキュフェーズ」社のデモから。
新発売のモノラルパワーアンプA200をフューチュアしたセットでスピーカーはJBL Pjt K2 S9900だった。
これがいきなり爆音系で、しかもなんだかくぐもった音だった。
あれあれなんか変だなと思いながら先輩と部屋を出た。
奥の部屋で同時に開催されていたLINNというスコットランドのブランドのデモの最後の一曲に滑り込んで聴いた。
このピアノ曲がもうなんとも言えず透明な音ですばらしかったな。
うんうん、こうでなくちゃね。
気を取り直して、次に開催されたエソテリックのデモに。
今度はスピーカーがアバンギャルド!
巨大なホーンの付いた個性的なルックスのスピーカーで、音を聴くのはこれが初めてだったが、見かけに似合わず繊細な音を出して音場の見通しがすごくいい。
で、このデモが面白かったのは、CDプレーヤーにクロックジェネレーターのオンオフで音がどのくらい変わるのかの実験をしてくれたことだ。
CDを再生するというのは、本来音波というアナログデータをデジタル信号に変換してCDに焼き付けて、それを読み取り、またアナログ信号に変換するという作業なのだが、この際1秒間を44,100回切り分けてその瞬間瞬間のデータを記録し、それを再生しているのだ。
この「1秒」を計っている時計がCDプレーヤーに内蔵されているわけだが、この水晶発振を使った時計、1年に1秒くらい狂う、という程度の精度なのだ。
で、これを500年に一秒しか狂わないという精度に高めるという機材がクロックジェネレーターというやつだ。
はて、そんなことでどの程度音が変わるのだろうと疑問に思われるだろう。
ワタクシもまったく懐疑的な態度でこの実験に臨んだわけだが、これはすごい。
劇的に音が変わる。
音がふんわりとやわらかくなって、質量を増したように感じる。
思わずこれなら買ってもいいかな、と思ったがこの機械140万円くらいする。
16万円のCDプレーヤーに繋いでいいものじゃない。まあ、専用の端子がついてないから繋げないんだけど。
いい体験をさせてもらったと同時に人間の耳ってすげえところまで聴き取ってるのね、と改めて感心した次第だ。
エソテリックのセパレートアンプと、こちらもセパレート構成のCDプレーヤーにクロックジェネレーターを加えたシステムでアバンギャルドのDuoを鳴らすデモ。
その見かけからは思いもよらなかった見通しの良いすっきりした音を聴いてびっくりした。
しかし、一曲だけ手嶌葵のThe Roseだけは、奇異なほど「口の大きな」手嶌葵の音像が出現し、強い違和感を覚えた。
クラシックや複雑な音像を持つ現代のジャズではさほど気にならなかったのだが、そう考え出すとどの曲も音像は極端に膨らんだものであったような気もする。
しかし、現代のポピュラー音楽のコンサートで聴いている音というのは、まさにここで聴いたような音像の大きな音なのだ。だから、それ自体は問題ではないという向きもあるだろうが、いずれにせよ、このアバンギャルドというスピーカーは音像再現に不器用なところのあるスピーカーであることは間違いない、と思う。
続く
2012年6月22日金曜日
コクリコ坂から part-2
あれは、父である駿氏への壮絶なラブレターだった。
駿氏が世に問うた名作へのオマージュに溢れていた。
そして彼は長大なル=グウィン原作の小説「ゲド戦記」の中から特に父と子の物語を抽出して描きさえした。
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しかしだからこそなのだろうか、試写会で観た自分へのラブレターに父は酷評をもって応えた。
その評価のコトバは「大人になっていない」だった。
両者の気持ちを思うに今でも胸が痛い。
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その後の駿氏の作品には、その経験が色濃く反映されている。
ポニョは、海底世界の父から逃れてはじめて自己を実現する物語であった。
アリエッティは、尊敬するパパエッティとの借り暮らしの枠を自ら打ち破って拡大することで種族の未来そのものを切り開いた。
作品を通じて会話する親子。
なんという不器用な関係か。
そして前作から5年。またしても吾郎氏は「父なる存在」に振り回されるものたちの物語を描くこととなったわけだ。
しかも今回は脚本をその父自身が書いた作品の演出を行うこととなったのだから、これはもう試練というしかない。
しかしその駿氏の脚本こそが進化していた。
ポニョやアリエッティでは、いわば「ステレオタイプな父性からの逃避」を描ききって見せた。
その成果として描かれた「コクリコ坂から」の世界は、そこにあるのは父性とか母性ではなく、連綿とした命の連鎖そのものなのだという地平に到達している。
そしてそれは血ではなく、心で紡いでいくのだというメッセージに結実しているのだ。
風間くんは、カルチェラタンの取り壊しの是非を話し合う学生集会で、「古いものを壊していかなければ、新しい時代はこない」と主張する多数派に対し、「古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じだ。人が生きて死んでいった記憶をないがしろにすることだ。」と叫ぶ。
この台詞は、主人公たちの複雑な生い立ちと相まって観ている我々の心に大事なことを問いかける、この映画の真のクライマックスである。
善と悪、美と醜を二分法で語る未熟。
自分の中にある言葉でしか、他者を斟酌することのできない人間の知性の不調法。
人とはなんと不器用な存在か。
吾郎氏は、再度の監督起用に反対だった駿氏を、自身で描いたコクリコ坂のイメージイラスト一枚で黙らせたほどの才能のある人だ。
それでもやはり監督としてはまだ二作目。
業界での経験も浅い彼は、この深みのある脚本にはずいぶん手を焼いたようで、その苦悩の様子やその結果生まれた駿氏との真剣勝負とも言える交流がNHKの制作した「ふたり」というドキュメンタリーに描かれている。
その中で、行き詰まる息子を見かねてやはりこちらも自身で描いたイラスト一枚でスタッフのモティベーションを一気に盛り返してあげたりする。
やっぱ親子なんだね。
でもこの様子をテレビ放送で観たとき、吾郎氏は自分自身の本当に才能に気付いていないように思えた。
ゲド戦記のハイライトシーンは、と聞けば、多くの人が「テルーの唄」と答えるだろう。
あれは本当に凄かった。広い映画館の空気が一瞬で変わってしまった。
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僕にとってコクリコ坂で最も印象的なシーンは徳丸理事長のカルチェラタン視察だが、あの大きな心のゆらぎを作り出すきっかけになったのも、カルチェラタンの住人たちの合唱による「紺色のうねりが」だ。
特に冒頭4小節の女学生によるソロパートの美しさには完全に心をもっていかれた(って前も書きましたね)。
宮崎吾郎の「声」の演出は凄いと思う。手嶋葵という奇跡の声を発掘し世に出した功績は大きい。そしてだからこそ声の登場に関する彼の演出はいつも完璧だ。
いわば感性の演出。
父駿氏の脚本はいつも宗教観や文学や哲学の素養を下敷きにしたもので、言ってみれば知性の演出だったりする。
それをなぞろうとして苦労しているということなのだろうが、そんな必要あるのだろうか。
人間の声の力、その一発でこれだけ心を動かす作品を作る力を持っているのだ。
コクリコ坂は、紆余曲折を経て結果的に二人の素晴らしいコラボレーション作となったと思う。
まさに父子鷹。
素直に拍手を送りたいと思う。
2012年6月21日木曜日
コクリコ坂から part-1
何を隠そう私もその一人だ。
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2011年のジブリ作品「コクリコ坂から」(宮崎吾朗監督作品)の作品世界には「耳をすませば」によく似た風が吹いている。
「コクリコ坂から」は同名の少女漫画を原作としているが、今回脚本を担当した宮崎駿氏は、またも大幅なストーリーの改変を行っている。
最も大きな改変は、学校を舞台にした学生たちの「運動」が、原作の漫画では「制服の自由化」であるのに対して「カルチェラタンと呼ばれる部室棟の取り壊し反対」になっている。
「制服の自由化」については、おそらく原作を読んだ時に駿氏はなんでわざわざこんなものをテーマに描くんだ?と思っただろう。
学生服は軍服に、セーラー服はその名の通り水兵服に起源がある。普通の表現者なら、話の展開上主人公たちには最後まで制服着ていて欲しいだろうから。
この自分たちの由来を暗喩する制服の存在のおかげで、彼らの複雑な親子の関係の中に真摯さのようなものを湛えさせているという意味で、この改変は成功していると思う。
そして、カルチェラタンだ。
カルチェ・ラタン(Quartier latin)とはフランス語で「ラテン語を話す(=教養のある)学生の集まる地域」の意味で、ソルボンヌ大学を擁する学生街を指す。
また、学生紛争の時代に中央大学や明治大学で起きた安保への反対運動の一環で神田周辺をバリケードで占拠しようとした試みを「神田カルチェラタン闘争」と呼ぶが、ソルボンヌ大学では1968年に学制改革を求めて学生主体の闘争が起き、実際にカルチェラタンを解放区とした。
さらにその運動は後に労働者のストライキや工場占拠に波及しフランス5月革命の引き金にさえなったのだ。
そして、おそらくここに駿氏の問題意識があるのではないか。
教養の欠如がいろんな問題の遠因となっている。
きっと、彼はそう考えている。
民衆の思考停止を憂いていて、どこか他人事なこの国にあがる閧の声を聴きたいと思っているのではないか。
だから徳間、いや徳丸理事長がカルチェラタンを視察に来た際、樽に住む哲人=ディオゲネスの名前なんかを口走らせたりするのだ。
シニカルの語源となったキュニコス派の哲人。
ことあるごとに言葉の力で金持ちや政治家や大物哲学者(特にプラトンは目の敵だった)につっかかっていった清貧の人。
清貧のあまり樽に住んでいた。
アレキサンダー大王の呼び出しを無視して、興味を持って御自らディオゲネスに会いにきた大王に、望みはないか、と聞かれて、そこに立たれると日が当たらないのでどいてくれと言ったというエピソードまである。
プラトンのイデア論を現実世界で役に立たない思考ゲームと切り捨て、「僕の目には”机そのもの”なんてものは見えないね」と言った。
プラトンと対立したことから教養を嫌悪していたと解説されることがあるが、本質は強者に迎合しないことにあったのではないかと思う。
徳丸理事長のモデルとなった徳間書店の創業者、故徳間康快氏は、自分の母校である逗子開成高校が、八方尾根での遭難事故で被害者家族と決定的な決裂をし経営が傾きかけた時、自ら理事長に就任し、多くの理事や職員が責任を回避しようとして徒に長引いていた事態の早期収拾に動き、その後幾多の改革を経て、地域有数の名門校へと変革させた人だ。
何かと豪快な人柄で有名な人だが、SF小説の愛好家の僕としては、康快氏がSFジャンルでのトップ企業早川書房が折り合いの悪い小説家を締め出して冷や飯を食わせてると聞き、新しい雑誌を作って徳間書店から彼らの作品を率先して出版していたというエピソードが好きだ。
あの頃は徳間文庫をよく買っていた。
こんな康快氏をモデルにした、「コクリコ坂から」の徳丸理事長は、だから物わかりのいい大人などではなく、むしろ大人の事情のようなものに迎合せず、自分のやり方を貫く「樽の中の哲人」そのものなのだと思う。
そして、僕にとってのコクリコ坂のツボはここにあった。
徳丸理事長を迎えるカルチェラタンの面々が一通りの見学の後タイミングを見計らって歌い出される歌。
最初の女性のソロが素晴らしい(おそらく手嶌葵さんでしょう)。
たった4小節ほどの清廉な歌唱に心を持って行かれる。そして折り重なって行く声。
宮沢賢治の「生徒諸君に寄せる」という詩から翻案された歌詞が心の中の水位を徐々に上げていく。
「水平線に没するなかれ」という印象的なリフレインで歌がクライマックスを迎え、終了したその直後に発せられた徳丸理事長の「諸君!」という見事な呼応が聴こえた瞬間、僕の胸の中でなにかが、まるで振り子のように揺れて大きな音を立てた。そして、理由もわからないまま涙腺が決壊し、嗚咽していた。
チャプター12を何度繰り返して観たことだろう。そしてそのシーンを観るたびに感動の波は何度でも僕の心に現れるのだ。
徳間ジャパンコミュニケーションズ (2011-07-13)
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僕の心を揺らしたものは多分、「理解されたい」という願いだ。
この徳丸理事長に、肩を叩かれたい、という思いだ。
物語の主人公たちのような複雑さなど欠片もないのに、やはりそれなりに悩み多かった両親や友人たちとの関係。
そして今度は自分が親になって直面する楽しくも悩ましい我が子との日々。
そんなものを飲み込んで繰り返し続いていく平凡な日々を讃えてくれる存在である「樽の中の哲人」に、僕は「それでいいんだよ」と言ってもらいたかったのだ。
PART-2に続きます。
2012年6月20日水曜日
借りぐらしのアリエッティ
2010年、スタジオジブリ。米林宏昌監督作品。
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観終わって、短いな、と感じてパッケージを見ると94分。
ふむ。崖の上のポニョは101分だからそんなに違わないのだな。
多分短く感じる理由は、この脚本が単線で描かれているからだろうと思う。
今までの宮崎脚本の多くは、「トンネル」によって繋がれた「生」と「死」の世界を行き来することで複線構造を成していた。
ナウシカの腐海の底、ラピュタの坑道、トトロの木のうろ、千と千尋の廃屋、ハウルの洞窟、ポニョのトンネル。
彼らは、その向こう側で自身の存在意義を見つけ、成長し、そして生還する。
そして観ている我々はその不可思議さの中で論理を超えた共感を得るのだ。
今回の脚本には、表向き目に見える形で死の世界は提示されない。
だから、最後に少年の語る言葉に共感しにくいのだと思う。
なんとなく納得のいかない思いで二周目のプレイ。
必ずどこかに隠してあるはずだと思って観ていたら、ああ、そこにあったのか。
少年が病床で読んでいるバーネットの「秘密の花園」がきっと宮崎さんの仕掛けた死のにおいだったのだ。
未読の方は、絶対後悔しないから読んでみて欲しいが、親の愛情をほとんど感じずに育った病床の少年コリンは、いつも「僕は死ぬんだ。放っておいてくれ」と言っているが、メアリーの力で見捨てられた花園が再生していくのと歩調を合わせるように、生きる力を取り戻して行く。
この本を読みながら「アリエッティ」の少年は病床で何を考えていただろう。
自分の大きな手術を前にしても仕事で海外にいったまま帰ってこない母親。
死の影におびえながらもいい子を演じてしまう自分。
そこに、母親が小さい頃見たという小人にまつわるエピソードが残る古い実家で、自身も小人の影を見つけ、「生」との繋がりを見出す。
少年の心の中で、やはり「生」と「死」は繋がり、彼に生きる意味を与えていたのだ。
それでこそ最後の少年の台詞に力が与えられる。
新人監督には少し、このあたりの脚本意図は表現するに難しかったかもしれないが、全く別の作品世界ごと見事に引用して、一瞬で観ているこちらの心象風景を変えてみせたのだから、やはりこの脚本はただものではない。
観る度に深みをもたらすような「わかりにくさ」を意図していたのかもしれないな。
一回観て感じ取れる表側のテーマは、「人類の借りぐらし」について、ということだろうと思う。
小人たちは人間の家に寄生し、人間の物資をほんの少量づつ「借り」ながら暮らしている。今はほとんどないだろうが、昔よくあった、お隣にお醤油や砂糖を「借りる」ような、返却を前提としない「借り」。
そしてそれは、我々人類と自然との関係を暗喩している。
少年とアリエッティの会話から、我々は、我々自身が大自然の恵みから、返却を前提としない借用を続けて生きてきた存在だと気付くのだ。
そして今の我々のやっていることは、その返却におよばない「借り」の限度を超えた「簒奪」の領域に入っているのではないのか、と自問させられるのだ。
エコロジーという言葉は、ギリシャ語の家を意味する「オイコス」を語源としている。
古代ギリシャでは企業なるものはなく、経済単位は「家業」だった。
この家業そのものが上手くいくための技術的方法論を「オイコノミー」と言い、後にエコノミーになった。
そして都市国家の中で多くの家業が共存共栄していくための社会的方法論を「オイコロジー」と良い、後のエコロジーとなった。
人間社会は進化し、企業体が経済の中心となったが、エコロジーは、自然界で多種多様な生物が共存共栄していくために精緻なバランスシステムが構築されていることに驚いた人間が、自らが昔都市の中で構築したシステムに酷似したそれをエコロジーと呼ぶようになり、今はもっぱら自然環境のことを指すようになったものだ。
我々はそうやって、自らの存在を自然界から孤立させてしまった。
それでも地球の力なくしては生きていくことはできない。
映画「愛と哀しみの果て」で、アフリカの少数民族の族長が言う「水は誰のものでもない」という印象的な台詞があるが、かつて我々の祖先は自覚と自制を持って自然の恵みを「借り」ていたのだと思う。
たぶんこの映画で一番印象的なのはアリエッティとパパエッティの「借り」のシーンだと思うが、「狩り」に模したあの冒険を「借り」と呼んでいることこそは、その自嘲の感情の現れなのではないだろうか。
2012年6月6日水曜日
1Q84 REVIEW3 村上春樹は教養で世界を書き換える
ゴムの木の花言葉は「永遠の愛」。
だから1Q84の背骨は、天吾と青豆の永遠の愛の物語であることは間違いない。
であると同時に、1Q84は「王殺し」の物語でもある。
深田保と青豆が対峙する重要なシーンで、深田はフレイザーの「金枝篇」を引用して王の役割を「声を聴くもの」と定義する。そしてその役割を終えるとできるだけ残虐な方法で殺され、贄とならなければならず、それこそが最大の名誉なのだと言う。そして、そうであったからこそ神聖であった王という役割もいつの間にか世襲の職業になってしまったと嘆いてみせる。
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「金枝篇」は未開社会の神話・呪術・信仰に関する集成的研究書で、タイトルの金枝というのは宿り木のこと。イタリアのネミにおける宿り木信仰に伝えられる、森のディアナ神の聖所の祭司になるためには、金枝(宿り木)を持って来て、現在の祭司を殺さなくてはならないという政権交代の作法から名付けられているのだ。
そしてこの祭司は「森の王」と呼ばれている。
祭司=声を聴くもの=王という構図は、いにしえの神話世界のものなのだ。
天吾が「ふかえり」に読み聞かせるチェーホフの「サハリン島」ではギリヤーク人という先住民がサハリン島が文明化されて道路が整備された後も、森から出ず「森の道」を使っていたというエピソードが登場する。
近代的な、いわば人のための宗教とは異なる価値観がそこでは語られている。
「森の王」や「森の道」に彩られた1Q84の世界は、その意味で、金を集め、権力を求め、政治を動かして世界に道を拓いていった近代的な思想を排除して神話世界に復古していく物語ともいえる。
この他にも1Q84という文芸作品には、まるで目くらましのように過去の文学作品などの引用が入り乱れている。
優秀な殺人者であるタマルはチェーホフを引用して「小説に拳銃が出て来たら、それは発射されなければならない」と拳銃を持つことの危険性を語り、さらに潜伏中の青豆にプルーストの「失われた時を求めて」を読むよう勧める。
天吾は幼少時にディケンズを愛読しているし、識字障害のあるふかえりは平家物語の任意の章を暗唱出来るほどテープで聴いている。
牛河は、自分を「罪と罰」の登場人物になぞらえてソーニャと出会えなかったラスコーリニコフのようだと感じた。
人は、この価値観の大きく揺れ動いた時代の波を超えてたくさんの「本」を読み継いで来た。失われた物語もあるかもしれないが、時の洗礼を受けて生き残ってきた物語が、これほど多様な彩りをひとつの小説に与えていることに私は深い感銘を覚える。
そしてもちろん、ジョージ・オーウェルの「1984年」。
1Q84は、今日的に「1984年」の問題意識を読み替えていく物語でもある。
オーウェルがイメージしたような全体主義による統制は起こらなかった。資本主義はそのままのカタチで暴走ともいえる発展を遂げた。
そして人間の欲望をどこまでもドライブした。
そしていろんな怪物が生まれた。
市場万能主義の陰で広がり続ける格差。
競争至上主義の陰で衰退する道徳心。
社会の中で居場所が見つけられない人たち。
他人の失点を目を皿のようにしてさがしている人たち。
蔓延する批評家気質。
1984年と1Q84。
どちらの行く末も、それぞれに問題がある。そういうものなのだ。
結局その中でどのような「生」を選び取るのか、ということにつきるのだ。
王を殺して新しい王を戴くことの繰り返しでは書き換えられない未来がある。
青豆と天吾だけが、なぜ1Q84の世界から脱出できたのか。
それはもちろん二人の心が繋がっていたということだ。
自分の心の中に「他人」をセットする機会は近代化の中で得難くなったもののひとつだ。
天吾は父を喪い、まるで他人のようだと思っていた父が実は深い愛情を寄せてくれていたことを知ることではじめて他人にも自分と同じように気持ちがあるのだ、と気付いた。
青豆は、潜伏期間中ずっとプルーストの「失われた時を求めて」を読んでいる。
プルーストの執拗な人間描写は、本人が気付かずに行動しているであろうことまで詳細に解き明かしながらいっさいの省略なく描かれ続けていく。
この読書体験はおそらく天吾の経験した喪失に匹敵するものだっただろう。
そうして二人は1Q84の世界を抜け出す資格を得たのだと思う。
私は確かに見届けたような気がする。
村上春樹が、世界を書き換えた瞬間を。
2012年6月5日火曜日
1Q84 REVIEW2 村上春樹は「暴力」で世界を読み解く
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しかしどれだけ読んでも共通点はほとんどなく、すぐに見て取れるのは「1984年」で管理社会の親玉として描かれる「ビッグ・ブラザー」と「1Q84」での「リトル・ピープル」という言葉上の対比くらいだ。
ビッグとリトル。
対置する概念。
つまり、村上春樹は、オーウェルの思い描いたのとはまったく違う「1984年」像を描きたかったのだろう。
オーウェルの「ビッグ・ブラザー」が象徴しているものは、政治的な管理社会の脅威という名の「20世紀的暴力」だった。
フランス革命から始まった「近代」は、支配者であり、民の所有者であった「王」から市民自身に主権を委譲させて行くというモーメントだ。
しかし程なく、その近代化を支えたブルジョアジーが新たな簒奪を始めることになり、早くもユートピアの衰退が始まる。
王の簒奪から市民同士の簒奪にと、よりやるせない方向に舵を切っていったわけだ。
いかに経済が発展し科学が進化しても、その社会は新しくて深刻な歪みを抱え込んだものとなってしまう。
解決策として持ち出されたのは、社会主義や共産主義といった管理的な社会で、オーウェルはその管理社会の行く末を、個人の判断や自由が侵された社会の不自然さとして描くことで警鐘を鳴らしたのだ。
しかし、現実は残念ながらもう少し複雑で残酷だ。
マルクスが資本主義社会の爛熟の果てに出現すべく予想した社会主義は、資本主義が浸透せず経済的劣位にあった国々にこそ根付いてしまい、冷戦という薮睨みの構造を作り出す。
そしてその混沌を率いてくれるはずのリーダーのことを思うとき、現代に生きる我々は民衆に負担を強いるタイプの為政者を歓迎する傾向を持つことをすぐに思い出せるだろう。ナポレオン、ヒトラー、そして我らが小泉純一郎。
20世紀は、世界の枠組みを模索しながら我々が我々自身を傷つけていく暴力の時代だったのだ。
このように現実の1984年はもちろんオーウェルの予言したようなものにはならなかったことを誰もが知っている。
そこが近未来を題材にした小説のつまらなさ(あるいは無意味さ)だと村上春樹はインタヴューに答えて語っている。
だから現実の1984年を経験してきた立場で、もう一度1984年という時代に潜っていって、本当にそうだったのか、何かの悪意がそこにあったのではないのかと問い直すために、現実を書き換えて行く力を持ったリトル・ピープルを登場させた、とそういうことではないか。
オーウェルの1984年でも、不都合な情報に政府が目を光らせていて、それを文字通りいちいち書き換えていくことで現実を改変していく。
1Q84の世界では、リトル・ピープルが不思議な力で世界を改変していくが、ではリトル・ピープルもビッグ・ブラザーもいないこの現実の世界では、何が作用して世界がこのような姿になっているのか、と村上春樹は問うているのだ。
そしてリトル・ピープルは、露悪的な脅威というよりは、個人を通路として姿を現す、不可思議で原初的な「恐怖」として描かれているように思う。
あくまでもその力を地下の世界から引き込んだのは我々自身であるように書かれている。
大きな戦争の時代を経て、復興、オイルショック、新しいスタイルの高度経済成長、バブル経済、そしてそれ以降の「失われた時代」へと繋がっていく暗い底流はいったいどこから来たのか。
オーウェルが想像した国家的なアイコンとしてのビッグ・ブラザーに対置したものが、個人と地下世界の密通者であるリトル・ピープルであったところに村上春樹の思う「21世紀的な暴力の姿」を知る鍵が隠されているように思う。
かつてか弱い存在だった人類は、社会性を纏い、群れることでその欠点をカバーしていき、やがて充分な強さを得たとき、個人性や自由を重視するようになっていった。
オーウェルの問題意識が社会性の延長に想定された「暴力」であったのに対して、村上春樹の問題意識の核にある「暴力」はあくまで個人性に根源を求めようとしているのではないかと思われてならないのだ。
だからそれを知ることは我々一人一人の中に潜む「リトル・ピープル」と対峙することでしか見えてこないのかもしれない。
そして文学はそのために我々に残された数少ない有効な武器のひとつではないかと思う。
だからだろうか。この1Q84には、(おそらく)村上春樹の読んできた本がそのまま登場して、タマルや天吾や青豆によって読まれている。これはもしかしたら我々のために村上春樹が用意してくれたブックガイドなのかもしれない。
そのあたりに焦点をあてて、次回最終回になるREVIEW3の稿を起こそうと思う。
2012年6月4日月曜日
1Q84 REVIEW1 村上春樹は運命を冷徹で厳密な視線で扱う
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熱に浮かされるように全編を三日間で読み切って、最初に頭に浮かんだのは、ついに村上春樹は「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」ではすれ違うことしかできなかった運命の恋人たちを、再び邂逅させられるほどの「強い」情熱に貫かれた物語を書いたのだな、ということだった。
村上春樹を最初に読んだのは、大学生の頃だったと思う。
当時一番好きだったのは、「カンガルー日和」という短編集に収録された「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という10ページにも満たないとても短い掌編だった。
そこに描かれていたのは、街ですれ違った女の子に何故か運命的な縁を感じるのだが、32歳になりある種の無邪気さを喪ってしまった彼には彼女にどう声をかけていいのかわからずに、そのまま声もかけないまま行き過ぎてしまう、というごく日常的な風景だった。
そして彼が後に「こう話しかければ良かった」と思いつく独白の中で、運命の出会いをしたのに、あまりにも簡単に叶ってしまった運命の人との出会いを疑ったがゆえにその縁を喪ってしまった恋人同志について語られる。
村上春樹の「運命」というものへの冷徹な視線がとても新鮮に思えた。ちょうどその頃大学の哲学科にいた私は、ハイデガーの「存在と時間」にある「時間というものは過去から現在、そして未来へと流れているのではなくて、「現在」という時間こそが過去や未来を参照したり開示したりして時間というものを生み出す「働き」をするのだ」との主張に触れ、ああ、もしかしたら村上春樹の言っていることもそういうものの延長にある考え方なのかも知れないなと思ったりした。
村上春樹は、同様に運命的な少年と少女の物語を、「国境の南、太陽の西」でも描いている。
これも大好きな物語だが、少年はここでは運命の女性とせっかく決定的な再会を果たすのに、最終的には積み重ねてきた平凡な日常の中に帰って行くことを選ぶ。
「ノルウェイの森」でも主人公は直子と結ばれることはなく、直子の服を着て現れる玲子さんと体を触れ合わすだけだ。
「スプートニクの恋人」では、主人公はすみれと再会を果たす(と私は読んだ)が、すみれの運命の人はミュウなのであって、やはり運命の恋は成就しないのだ。
そして、1Q84では(たぶん)はじめて運命の二人を、これ以上ないハッピーエンドに導いた。この青豆と天吾の顛末を読むに至って、村上春樹は運命に「冷徹」なのではなくて、そいつに抗うには相当なエネルギーが必要だと知っていて、まだ過去の諸作を書いた時点では物語にそういう超越的なエネルギーを持たせられなかったのではないのか、と思うようになった。
作者村上春樹本人が語っているように(新潮社「考える人」2010年夏号)この作品は、バッハの平均律クラヴィーアというピアノ曲にその構成を借りている。
この曲は1オクターヴの中にある12の半音それぞれを主音とする長調と短調を使った、計24曲で構成されていてBOOK1とBOOK2の二つの楽譜として発表されたものだ。
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1Q84では天吾と青豆をそれぞれ長調と短調に見立てて24章で構成してご丁寧にBOOK1とBOOK2という形で出版されたわけだ。
この構成のおかげで、1Q84は青豆と天吾の独立した一人称のふたつの物語となり、それぞれが影響を受けずに自分自身の強さでもって「時間」という存在と闘うことができ、そして勝利したのだ、と感じた。
だから感動した。BOOK2の終わりで、すべての運命が閉じた、と感じた。
そして、それを受けて完結した物語を再起動したように始まるBOOK3という物語。
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最初のうち解説的で、村上春樹的でない物語運びだなあと感じていたのだが、読み進めていくうちに、BOOK3の各章は、BOOK1やBOOK2のそれのようには一人称としての独立性を持っていないように感じ始めた。
独立した一人称として機能しているのは牛河だけで、青豆と天吾はすでに引き合うように相互に依存しながら動いている。バッハに構成を借りてまで整った物語を書いたわけだから、もちろんBOOK3を書くつもりは最初なかったはずだ。
今までのほぼすべての作品で、村上春樹は作中を生きた愛すべき登場人物たちの「その後」を描くことを慎重に避けている。
場合によっては必要な記述さえも省いて。
それはきっと運命とか因果というものに対する村上春樹の態度に起因している。
人生は「こういう生き方をしてきたのでこうなりました」というふうにはいかないものだ、という考え方がそこには息づいているような気がする。
だからたいていの場合、物語は主人公が何かを決断したところで終わることになっている。
しかし、1Q84ではこれまでにないほどはっきりと運命の二人の結末を描いた。
きっと描きたくなった。
そのためには完全に調和して完結したBOOK1とBOOK2の外側にキャンバスが必要だったのだと思う。
そしてそれは、とりも直さず、私が「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に感じている気持ち悪さへの回答でもあった。
あの物語は「ハードボイルド・ワンダーランド」側で終わるべきだった、と今でも思っている。
家に本をお持ちの方ははためしに39章と40章の順序を入れ換えて読んでみてほしい。
実に納まりが良く、「普通」の小説らしくみえるはずだ。
しかし、前述の理由で、「世界の終わり」側での決断が現実社会でどのような姿を取るのかを述べてしまうことは村上春樹にとってはどちらかというと不自然なことで、その決断そのものがあの物語の結末にふさわしいということなのだろう。
一人の人格の内と外を描いている以上、そして決断が心の裡で下されるものである以上、あれ以外の書き方はやはりなかったのだ。
そしてだからこそ、やはり1Q84のBOOK3はああいうカタチで書かれて良かったのだ、と思う。
しかしこの1Q84という物語、大量の紙幅を使いながらいつも以上に積み残した謎は多い。その中でもタイトルから推測するに物語の核心を担っているはずなのに、まるで内実については語られなかった「リトル・ピープル」を主題に、稿を改めて感じたことを書いてみたい。
REVIEW2に続く。