2017年10月31日火曜日

絵夢の4thアルバム『夜から朝への流れの中で』のB面が素晴らしすぎた件

絵夢(えむ)というフォークシンガーをご存じだろうか。
僕は知らなかった。

大学時代の先輩から譲り受けた大量のレコードの中に見慣れないこのシンガーのアルバムが4枚も入っていて、興味を惹かれ聴いてみた。

1975年のデビュー作から、78年の4作目まで。
79年の『バリエーション』というアルバムが最後の作品になったようだ。残念ながらCD化はされていない。

18歳で制作されたファースト・アルバムの『絵夢』は、その若さを感じさせない練られたメロディを、18歳そのものの声で歌うというギャップにある種の<萌え>があると思う。
デビュー曲となった『傷心』はエヴァーグリーンになりうる力を持った曲で、埋もれているのが大変惜しい佳曲だ。
75年といえば、中島みゆきさんのデビューもこの年で、その影に隠れてしまったのかもしれない。
山崎ハコや森田童子も同年のデビュー。
きわめて個性的なシンガー・ソングライターたちの中で、際立って絵夢の歌は「上手」い。
そしてその上手さこそが埋没の一因になる、そういう時代だったんだと思う。

19歳で出した『絵夢II』というセカンド・アルバムのライナーでは、
オフクロが持ってきたホワイトホースを、ちびちびやりながら窓から入ってくるやさしい月明かりに酔っている。
という本人自筆のメモが記されていて、思わず「未成年やろ!」と突っ込みたくなるが、そういえば自分だって予備校に通うために親元を離れた19歳の時、酒も飲んだしタバコも吸っていたことを思い起こす。
時代のおおらかさを感じるが、まさにそれは日本のフォークマインドであったと思う。

音楽的にも紛れもない日本のフォークソングだが、サウンドにロック、ブルース寄りのアプローチが採用されていて、そういえば前年デビューした甲斐バンドも含め、フォークミュージックが少しずつロックに接近していった時代といえるかもしれない。

4枚目の『夜から朝への流れの中で』は、A面をNight-Side、B面をMorning-Sideとしたコンセプト・アルバムで、そのB面をタケカワユキヒデやミッキー吉野、そして浅野孝己のゴダイゴチームの全面バックアップに委ねて、そうしたロック化するフォークソング的アプローチから根本的に脱してみせた。
このB面が実にイイんである。

甲斐バンドがニューヨーク録音を敢行しデジタルロックへの一歩を踏み出した『虜』が82年。みゆきさんがご自身で「御乱心時代」とよぶデジタルロック時代の代表作『Miss M』が85年だから、絵夢のこの進化は、日本フォークの正常進化を飛び越えた<変身>とでもいうべきものだったろう。
未入手の5枚目を聴いてみたくなる。

現在どうしているのかわからないが、長く活動して欲しかったシンガーだ。

2017年10月9日月曜日

エネルギー至上主義経済への警鐘:キャプテン・フューチャー第十巻『月世界の無法者』

第九巻『輝く星々のかなたへ!』で、我らがフューチャーメンは、酸素が無くなった水星のために、太陽系の遥か遠く、別の銀河にある「物質生成の場」に乗り込んだ。
ヒーローと立憲主義:キャプテン・フューチャー第九巻『輝く星々のかなたへ!』
そのため彼らは、何ヶ月もの間、消息が不明になっていた。
誰も行ったことのない太陽系の外側へ飛び出した彼らは、すでに死んだものと思われていた。

科学者アルバート・ウィスラーは、月に隠されたフューチャーメンの基地を暴けば、まだ公表されていないカーティスの科学的業績を奪えるのではないかと考え、月を探査していた。
ウィスラーは探査中、カーティスによって月には無いと発表されていたラジウムの大きな鉱床を発見してしまい、このラジウムの採掘権を太陽系政府に認めさせるために、実業家ラルセン・キングに話を持ちかけた。

首尾よく了承を取り付けたキングが採掘を始めたちょうどその頃、フューチャーメンが長い旅から戻った。
その時にはすでにキングによって、カーティスが私利のため月の大きなラジウム鉱床を秘匿していたと喧伝され、フューチャーメンの名誉は地に堕ちていたのだ。


キャプテン・フューチャー・シリーズでは、ラジウムは発電のための安価な原料と設定され、各惑星にあるラジウム鉱山はしばしば陰謀の舞台となっている。
原子力発電が苛烈な事故を起こす度、国のエネルギー政策は揺れるが、実際に原発ゼロを政策として採用した先進国はまだ少ない。
それはやはりその発電効率の高さがもたらす低ランニングコストの魅力に抗えないからだ。

カーティスは実際、月にラジウムの大鉱床があることを知りながら政府にも隠していたわけだが、それはこんな大きなエネルギー源である物質を、「安価な発電用燃料源として浪費すべきでない」と考えてのことだった。
エネルギー至上主義経済は現代も続いている。
資源が有限であることを知っても、我々はそれを経済成長のために使い続けるしかない。
となると、政策的にそれを制限していく必要が本来はあるのだろう。

現実世界の僕らはすでに、かなりの化石燃料を「浪費」し、何億年にもわたって繁栄した巨大生物の遺産を数百年で使い尽くすのではないかと言われている。
石油の有る無しは、国家経済の有り様に大きな影響を与え、かつては戦争の理由になったりもした。
この<石油の遍在>の問題から、資源を持たない国に主導され、原子力発電のシステムが作られた。
しかし夢の新技術のはずの原子力発電は、結局何度も事故を起こし、地球のいくつかの地域が回復不能のダメージを受けた。
現在は水素やヘリウムを使う核融合炉の研究が進んでいるが、またきっと実用化されれば新しい問題が出てくるだろう。

エネルギー政策は、経済と密接に関係しすぎていて、それを当事者である民衆が判断することが難しい。
個人として原子力発電に反対し、ソーラーパネルによる自家発電のみでやっていくような人々も現れてきたが、 こういう人が増えると、皆でコストを負担しあっているからこそ運用できている電力会社の電力供給が、どんどんコスト高になっていく。
民主主義国家に生きる我々は、一人ひとりに主権者としての責任がある。
社会基盤に関するものと個人で勝手にやっていいこととの区別は付けておく必要があるが、このような視点を持つことそのものが難しいのだ。

しかし現実世界に<カーティス・ニュートン>はいない。
我々自身が考えるしかない。

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2017年10月6日金曜日

尾崎亜美『HOT BABY』のことを書くはずがつい・・

大学時代の先輩に松崎真人というシンガー・ソングライターがいて、現在地元札幌のSTVラジオで「MUSIC★J」という番組を持っている。
なんと今秋から、広島のRCCという局でも同番組が放送されることになったそうだ。
で、10月から放送が始まっているのだが、肝心のお膝元札幌では野球放送が優先されて「MUSIC★J」が放送されていないという珍事態となっている。

しかし何の心配もいらない。
もともと松崎先輩は静岡のK-MIXという局でも「ラジオ新千歳ー静岡線」という番組をやっていてこれを聴くためにラジコ・プレミアムに僕は入っている。
慌てず騒がず、部屋のMacで放送を聴いた。

第一回の放送で、尾崎亜美さんの『蒼夜曲(セレナーデ)』という曲がかかったが、僕の知っている蒼夜曲とアレンジが全然違う。
アルバム・バージョンはデヴィッド・フォスター御大によるアレンジで、キメキメのドラマティックなロッカ・バラードになっている。
珍しくアウト気味のリズムで感情たっぷりに歌われる歌唱が素晴らしい曲だ。
ラジオで聴いたそれは、いつものキュートな尾崎亜美節の佳曲で、こうして聴くとシングル・バージョンのほうが安心して聴いていられる。アレンジは尾崎亜美ご本人によるものだそうだ。

この機会に改めて、このアルバムを聴く。



この『HOT BABY』は全曲のアレンジをデヴィッド・フォスターが手がけた海外録音盤。
参加ミュージシャンがすごい。

スティーブ・ルカサー、ジェイ・グレイドン、そしてジェフ・ポーカロ。
スゴいな。
この錚々たるメンツの中で見落とさないで欲しいのが、B-1でピアノを弾いているトム・キーンという男だ。
フォスターとともに二曲でアレンジも手がけている。

このトム・キーンという人は、1977年、弟のジョン・キーン(ドラム)と一緒にデヴィッド・フォスターのプロデュースでデビューし、その後ピーター・アレンのアルバムでピアノを弾いたりしている。
1981年、TOTOの弟分という触れ込みで、弟のジョンを含む4人組でその名も「キーン」というバンドで再デビュー。(もちろんあのイギリスのピアノ・ロック・バンド「キーン」とは違います。 あっちは00年代ですから)
このファースト・アルバム『キーン』が僕の大愛聴アルバムなんである。


なんとこのアルバム、81年の発表当時、日本でしか発売されなかったらしい。
そのせいかCD化はずっとされず、中古LPも入手困難のままだった。

だからCOOL SOUNDというレーベルが2001年にCD化してくれた時には狂喜した。

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このCDの解説にも、尾崎亜美さんの『HOT BABY』に参加して「スリリングな左手のバッキング」を聴かせた、と記載されている。
その『HOT BABY』も81年の発表で、同年なんですね。

HOT BABYのことを書くはずが、つい「キーン」のことばかり。
現在発売中のリマスタ盤では、シングル・バージョン(とカップリング曲)も併せて収録されています。まだお聴きでなければ是非。

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2017年10月4日水曜日

早瀬耕『未必のマクベス』の恋と謎

なにしろ「この本を読んで、早川書房に転職しました」という帯の煽りにやられた。
早瀬耕のデビュー以来22年ぶり2冊めの長編小説という『未必のマクベス』

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ちょっとそれはさすがに無理では、と思わせる部分もなくはないが、それでも続きが気になって仕方がないからページを捲る手を止めることができない。
強く物語に巻き込まれていく。
同じように感じている人が多いのは、きっとこの物語が、若い日にうまく対処できなかった恋の想い出を持っているからだろう。


恋というのとは違うかもしれないが、小学校三年生の時、幼馴染のハルカちゃんとふたりっきりで近所にあった青少年科学館に行ったときのことを思い出した。
仲良しだった親同士が計画した夏休みのイベントだったんだと思う。

急にそんなこと言われても、突然女の子とふたりきりにされると困る。
最初照れくさくて、ひと言も交わさず、道の両端まで離れて歩いていた。
 でも科学館で、いくつかのイベントを二人でこなす度、気持ちはほぐれて、帰り道では二人で大笑いしながら、並んで歩いた。

迎えに出てきた互いの親が「ずいぶん仲良くなったのね」と言ったのを聞いて僕は我に返り、それから逆に意識的に彼女のことを避けるようになってしまった。
学校でも冷たい態度を取ってしまって、そのことがずっと心に刺さったトゲのようにチクチクしていた。


そういえばこんな話もある。
僕はその翌年転校して、新しいクラスにも馴染んで五年生になった。
バレンタインデーのその日、いつもの通り僕はひとつのチョコレートも貰わずに帰宅した。
もはや慣れっこになった軽い失望とともに部屋でラジオ(ベスト10北海道だった。ああ、Mr.デーブマン!)を聴いていると、チャイムが鳴って、母が、ニヤニヤしながら僕を呼びに来て言った。
「女の子が来てるわよ」

何が起きているのかわからないまま、玄関に向かうとそこにはクラスメイトの女の子(ハルカちゃんじゃないよ)が立っていた。
戸惑っている僕に、彼女は小さな袋に入った、ハート型のチョコレートをくれた。
「あの、これ」
「ありがとう」
「じゃあね」
くらいの会話だったと思う。

今だったら、あ、家まで送るよ、と言えただろう。
でもその日のぼくにはそんなことは思いつきもしなかった。
大人になってからもその時のことはよく思い出して、子どもだった自分をとても歯がゆく思った。


そしてまた別の話。
中学三年間を剣道部で過ごした僕は、地元の高校に進学した。
入学式から教室に戻ると中学時代の先輩が待っていて、剣道部に入れよ、と言う。
高校では音楽がやりたかったが、仕方がない。
先輩の言うことは絶対、という時代だったのだ。
野球部と同じように、高校の剣道部ではだいたい坊主頭にさせられる。
もちろん僕も坊主頭にした。

どこで聞きつけてきたのか、ほかの高校に進学した中学時代のクラスメイトの女の子が、わざわざ放課後剣道場まで来て、「坊主にしたって聞いたから」と言って僕に会いに来た。
その時はとても嬉しかったのに、すぐに気持ちが日常のなかに埋もれてしまって、これまた大人になってから、あの時、もっとほかに話すべきことがあったんじゃないのか、そのあとなぜ電話の一本もかけなかったのかと強い後悔の念に何度も襲われることになった。

そんな気持ちをいちいち思い出させる物語なのだ。
その意味で『未必のマクベス』は恋愛小説であるが、全体の枠組みはミステリ小説といったほうがいいだろう。
物語を支える構造に、事件には一見関係ないほんの小さな「謎」を据えていて、僕自身は物語の成り行きとは関係なく、解けそうで解けないこの謎が知りたくて知りたくてたまらなかった。
実に上手い構成だと思う。

結局この謎は物語の終わりに意外な存在感を伴って解かれる。
しかしだからこそ、僕にはこの謎解きでは表現として不十分ではないかと思うのだ。

筆者は自明のことと思っていたようだが、僕には直感的に理解できなかった。
だから読後、物語の余韻に立ち尽くすべきところを、この謎解きの真意を知るためにwikipediaと首っ引きになってしまった。

ネタバレにもなるし、一目で理解できる知識人もいるだろうから、ここにはくどくどと書かないが、もし僕と同じように釈然としない思いを抱いた方がいたら、下記のリンクをご参照ください。
このページを見て僕は、結局この魅力的な謎を教えてくれたことを、やはりこの物語の作者に感謝することになった。
それほど面白い話です。

0.999...

2017年10月2日月曜日

日本的ジャジー・ノット・ジャズの草分けと言っちゃっていいんじゃないかな:佐藤奈々子『ファニー・ウォーキン』

記念すべき佐藤奈々子のファースト『ファニー・ウォーキン』なのである。
これ欲しかったー。
ファミレスの駐車場でやってた古本市のレコードコーナーから、こんなお宝を掘り当てるなんてね。



デビュー前の佐野元春との共作によるこのアルバムには、初期佐野元春の瑞々しいメロディが溢れかえっている。
佐藤奈々子本人が書く歌詞にも、都会の洒脱さと孤独を嘆かない軽快な佐野イズムが感じられる。
同時にアレンジャー大野雄二を得て展開する日本的ジャジー・ノット・ジャズの世界。
そして彼女のファニー・ボイス。
ぜんぶ素敵です。

このアルバムは77年に出た。
当の佐野元春は3年後の80年にデビューとなる。
そのデビューから佐野元春を長く支えたバンド「ハートランド」の最後のギタリストが長田進。
その長田がプロデュースした「グレート3」
そのデビュー期のグレート3のジャケット写真を撮っていたのが、その後写真家に転身した佐藤奈々子だった。
その撮影には、オランダ人の(元)夫との間に生まれたばかりのjan(ヤン)も連れて行っていたそうだ。
そして現在そのjanは活動再開したグレート3のベーシストなんである。
元ベーシストの高桑圭は、現在佐野のバンドでベースを弾いているし、このサークルは極めて強固だ。

詳しくはこちらを
Great 3のニューアルバム「愛の関係」が凄い:または佐野元春とGreat 3の深い関係について  

そしてこの『ファニー・ウォーキン』発売の3年後、佐野元春と同時に松原みきもデビューしているのである。
こりゃもう日本のジャジー・ノット・ジャズの草分けと言っちゃっていいんじゃないかな。

CDも今年復刻されてます。


Funny Walkin’
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