2018年1月23日火曜日

映画『ちょっと今から仕事やめてくる』と『君の名は。』で考える「タイトルの挿入位置問題」について

昨夜『ちょっと今から仕事やめてくる』という映画を観た。

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衒いなく泣かせにくる映画は少し苦手だし、思ったほどコメディ要素もなかったが、 黒木華さんの名演とエンドロールのバヌアツの美しさは確かにこの映画の見どころだったように思う。

しかし、エンドロールの直前にタイトルが出る演出は最近の流行りなのか、本作でも採用されていて、ここには大いに違和感があったと表明せざるを得ない。

タイトル『ちょっと今から仕事やめてくる』は、主人公のセリフとしてこの物語のクライマックスに登場するが、それがラストではなく中盤の転換部に現れるところが美点だと思う。
そこまでの鬱屈がいったん晴らされて、その後の人生の意味を探していくラストシーンが続く。
それが綺麗なバヌアツの映像が流れるエンドロールとともに余韻となって、観ている自分の人生にも思いを馳せていくという、まさにイーストウッドの『グラン・トリノ』ばりの名演出となるはずだった。
ああそれなのに、すでに役割を終えたはずのタイトルがなぜ途中に挟まれるのか。
せっかくの余韻が台無しではないか。


映画『イニシエーション・ラブ』でも、ラストシーン、前田敦子の<テヘペロ>的笑顔にオーバーラップして、あのタイトルが出てきてなるほどー、となるわけで、効果的に使わている例はいくつもある。

新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』でも物語の終わりにタイトルを大書する演出が使われている。
僕は何度目かの鑑賞の時、なぜタイトルが最後に来なくてはならないかにハタと気付いた。
あの映画ではラストシーンから恋が始まるからなのだ。
どうしてもその人でなくてはならないと、すでに知っているのに、名前を訊かなくてはならない恋なのだ。

ろくに話もしたことがないのに、好きになって、その人でなければと思い込む。
僕もそういう恋をしたことがある。
だから、最後に大書されたタイトルの意味に気づいた時、心が震えたんだ。

2018年1月5日金曜日

片岡義男『日本語と英語 その違いを楽しむ』

正月に片岡義男の『日本語と英語 その違いを楽しむ』という新書を読んだ。

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大学生くらいの頃、片岡義男をよく読んだ。
赤い背の角川文庫。
古本屋に何冊もあったから、片っ端から買った。
女性の一人称がわたし、ではなくて「あたし」だったことがなぜがその小説群を特別なものに見せていた。

自伝的連作短編集『コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。』は趣味のレコードへの興味から手に取ったが、英語を母国語として育ったという出自がわかり、文章から感じられる独特のバタ臭さの理由がわかったような気がした。

コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。
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だからだろう。何かの記事で『日本語と英語 その違いを楽しむ』という本の存在を知って読んでみたい、と思った。
近所の本屋には置いてなくて、出かけたついでに大きな書店に寄って買い求めた。

予想通りではあるが、文法も学習ノウハウも出てこない。
英語ネイティブの日本人が感じる、英語と日本語の<感覚>の違いについて書かれている。

ひとつだけ本書に書かれている例を引用してみる。
日常会話で特に意味のない合いの手として使われる「まさか」という言葉についてだ。
本気で相手の言っていることが「ありえないこと」だとは思っていなくても、その話にちょっと驚いているよ、という意思表示として使われる言葉なんだろう。
片岡はその訳語として、「オレの聞き間違いだよね」と意訳して、
I must have heard you wrong.
と当てていた。
その心は「you」の存在で、「まさか」には、オレが驚いている、という状態は表現されても、相手の存在は考慮されていないというのだ。
英語では「あなたが言った」と明示されている。
この他にも多くの例をあげて、日本語には、「you」の影が希薄だ、という論旨を展開している。

そのような時、自分なら「まじか」「まじで?」、目上の人になら「本当ですか」、と言うだろう。どちらも「本気で言ってますか」や「あなたが知っている本当のこととして話していますか」という意味が含まれていて、立派に「you」が存在していると僕には感じられるが、それを指し示す言葉は確かに日本語の中には明示されない。
なるほど。

まして現代の(一部の)若者たちは、「まさか」も「まじで」も言わず、ただ「ま?」と言う。
会話も
「~なんだって」
「ま?」
「うん、だから明日行こうよ」
「りょ」(了解の意)
で終わる。


言葉の変化の速い時代だ。
本書のように、文法ではなく、言葉そのものを考察した資料はいずれ貴重なものになるだろう。