2017年10月4日水曜日

早瀬耕『未必のマクベス』の恋と謎

なにしろ「この本を読んで、早川書房に転職しました」という帯の煽りにやられた。
早瀬耕のデビュー以来22年ぶり2冊めの長編小説という『未必のマクベス』

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)
早瀬 耕
早川書房
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ちょっとそれはさすがに無理では、と思わせる部分もなくはないが、それでも続きが気になって仕方がないからページを捲る手を止めることができない。
強く物語に巻き込まれていく。
同じように感じている人が多いのは、きっとこの物語が、若い日にうまく対処できなかった恋の想い出を持っているからだろう。


恋というのとは違うかもしれないが、小学校三年生の時、幼馴染のハルカちゃんとふたりっきりで近所にあった青少年科学館に行ったときのことを思い出した。
仲良しだった親同士が計画した夏休みのイベントだったんだと思う。

急にそんなこと言われても、突然女の子とふたりきりにされると困る。
最初照れくさくて、ひと言も交わさず、道の両端まで離れて歩いていた。
 でも科学館で、いくつかのイベントを二人でこなす度、気持ちはほぐれて、帰り道では二人で大笑いしながら、並んで歩いた。

迎えに出てきた互いの親が「ずいぶん仲良くなったのね」と言ったのを聞いて僕は我に返り、それから逆に意識的に彼女のことを避けるようになってしまった。
学校でも冷たい態度を取ってしまって、そのことがずっと心に刺さったトゲのようにチクチクしていた。


そういえばこんな話もある。
僕はその翌年転校して、新しいクラスにも馴染んで五年生になった。
バレンタインデーのその日、いつもの通り僕はひとつのチョコレートも貰わずに帰宅した。
もはや慣れっこになった軽い失望とともに部屋でラジオ(ベスト10北海道だった。ああ、Mr.デーブマン!)を聴いていると、チャイムが鳴って、母が、ニヤニヤしながら僕を呼びに来て言った。
「女の子が来てるわよ」

何が起きているのかわからないまま、玄関に向かうとそこにはクラスメイトの女の子(ハルカちゃんじゃないよ)が立っていた。
戸惑っている僕に、彼女は小さな袋に入った、ハート型のチョコレートをくれた。
「あの、これ」
「ありがとう」
「じゃあね」
くらいの会話だったと思う。

今だったら、あ、家まで送るよ、と言えただろう。
でもその日のぼくにはそんなことは思いつきもしなかった。
大人になってからもその時のことはよく思い出して、子どもだった自分をとても歯がゆく思った。


そしてまた別の話。
中学三年間を剣道部で過ごした僕は、地元の高校に進学した。
入学式から教室に戻ると中学時代の先輩が待っていて、剣道部に入れよ、と言う。
高校では音楽がやりたかったが、仕方がない。
先輩の言うことは絶対、という時代だったのだ。
野球部と同じように、高校の剣道部ではだいたい坊主頭にさせられる。
もちろん僕も坊主頭にした。

どこで聞きつけてきたのか、ほかの高校に進学した中学時代のクラスメイトの女の子が、わざわざ放課後剣道場まで来て、「坊主にしたって聞いたから」と言って僕に会いに来た。
その時はとても嬉しかったのに、すぐに気持ちが日常のなかに埋もれてしまって、これまた大人になってから、あの時、もっとほかに話すべきことがあったんじゃないのか、そのあとなぜ電話の一本もかけなかったのかと強い後悔の念に何度も襲われることになった。

そんな気持ちをいちいち思い出させる物語なのだ。
その意味で『未必のマクベス』は恋愛小説であるが、全体の枠組みはミステリ小説といったほうがいいだろう。
物語を支える構造に、事件には一見関係ないほんの小さな「謎」を据えていて、僕自身は物語の成り行きとは関係なく、解けそうで解けないこの謎が知りたくて知りたくてたまらなかった。
実に上手い構成だと思う。

結局この謎は物語の終わりに意外な存在感を伴って解かれる。
しかしだからこそ、僕にはこの謎解きでは表現として不十分ではないかと思うのだ。

筆者は自明のことと思っていたようだが、僕には直感的に理解できなかった。
だから読後、物語の余韻に立ち尽くすべきところを、この謎解きの真意を知るためにwikipediaと首っ引きになってしまった。

ネタバレにもなるし、一目で理解できる知識人もいるだろうから、ここにはくどくどと書かないが、もし僕と同じように釈然としない思いを抱いた方がいたら、下記のリンクをご参照ください。
このページを見て僕は、結局この魅力的な謎を教えてくれたことを、やはりこの物語の作者に感謝することになった。
それほど面白い話です。

0.999...

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