2016年5月31日火曜日

映画『第三の男』 ~ アリダ・ヴァリのまっすぐな視線の先にあるものは

映画『第三の男』を観た。
淀川長治の世界クラシック映画100選というDVDシリーズで観たのだが、映画を観る前に淀川先生の解説がはじまり、結末までおもいっきりネタバレ食らわしてた。
未見の方はご注意いただきたい。

当記事も、もっと詳細なネタバレを含んでいるので、こちらにはもっとご注意ください。


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だいたい名作映画というものは若い時に観るもので、そしてたいてい若い時にはわからないことが描かれている。
この映画については、もう主題から読み違えていたことがわかった。
今観ると、第三の男が誰かとかはどうでもいいですね。


映画は、第二次世界大戦で破壊され、米ソ英仏四国の共同統治となったウィーンが舞台となっている。
エリアで分かれているのではなく、警察機構も四国の警察官がひとつの警察を組織して捜査にあたっているので、各国の優先順位の違いがお国柄のようなものを表していて興味深い。
特に、異なる価値観を「しょうがねえな」と許容しながら、共通のゴールを目指していく西欧サイドと、あくまでも官僚的にことを運ぼうとするソ連の動き方が、後の冷戦構造を想起させたりして。

ウィーンの街はいたるところが破壊されているが、やはりあくまでも美しく、それゆえに破壊の爪痕が、その痛々しさで心を刺す。
広大な下水道は、下水道なのに美しく、彼の国の美意識に嫉妬を覚えざるをえない。
見えない、しかも汚水を流す場所をあんなふうに綺麗なアーチで構築するなんて。


さて「事件」の本体である、ペニシリン密売事件は実際に戦後のウィーンで横行していた史実のようです。
「殺人事件より密売かい」と問いかけるアメリカ人作家に、捜査官の少佐は応えず、被害者が収容されている病院へ連れて行きます。
社会がいくら歪んでも、道義を失ってはならない。
ここにこの映画の重要な主題が隠れている、と今回思いました。


その後アメリカ人作家は、旧友であり「第三の男」であるハリー・ライムとの決着に赴きますが、そこでのハリー・ライムの台詞
「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」
を考えてみましょう。

ルネサンスを直接的に生んだのはメディチ家ですから、ここでわざわざボルジア家を選んでいることには意味があるのでしょう。
僕はボルジアの名は塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジア、あるいは優雅なる冷酷」ではじめて知りました。


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チェーザレの父がアレッサンドロ六世で、教皇の権力による現世支配を強く推し進めた人物です。
この宗教的絶対が生んだ独善的支配がスイスの民主主義と対置されているのですね。
金のためという「絶対」を、被害者が出ることを省みない独善がドライブするという、ハリー・ライムの性質を表現しているのでしょう。

そして鳩時計。
平和をイメージする鳩とスイスの主産業である時計を結び合わせて鳩時計と言ったのでしょうが、むしろ鳩時計はドイツでよく作られていたものだそうで、このあたりも、見もせず決めつけるハリー・ライムの独善性を表現しているのだと思います。


そしてあのラストです。
ハリー・ライムの旧友と恋人。
彼らの心に残る、面白くて陽気なハリー・ライムの思い出は消えない。
しかし、事件をきっかけに知り合った二人の人生が交われば、その先では、その思い出自体を少しずつ汚しながら生きていくことになる。

ナチスドイツに解体されたチェコから逃げてきた彼女には、祖国は戻りたい場所ではすでになく、しかし戦後処理で密入国者は強制送還されてしまう。
ハリー・ライムとの思い出の重みが、旧友と恋人ではまったく違ったのです。

まっすぐに視線をそらさずに生きていく人生だって、しんどいと思うけど、あの厳しい恋人の表情が、大切なモノがなんなのかわたしにはわかっている、と言っているようだった。
そしてそれが僕にはちょっと羨ましかったんだな。

2016年5月27日金曜日

YouTubeにライブ映像のアーカイヴチャンネルを開設いたしました

いつかはやろうと思いながら幾星霜。
ついにYoutubeチャンネルを開設いたしました。

Girasole Records Music Channel

1985年に北海道大学フォークソング研究会で結成したBabyface Blues Bandの社会人期のライヴ映像をアーカイヴしていく計画です。
2006年の札幌移住で、バンドは現在活動は停止中で、個人的に宅録をしてsoundcloudにアップしているのですが、録画しておいたライヴテープもカビなどで失われていくのが恐いので、重い腰を上げた次第です。

ですが作業をはじめてみると、miniDVに録画していたディジタルテープが一番脆かったです。2~3分ですが再生できないところがありました。
これがアナログテープだと、ちょっとした画像の乱れで済むところなのですが、ディジタルだとそうはいきません。コマ落ちになって不快な映像になってしまいます。
カメラの時にも書きましたが、やはりアナログは丈夫だと再確認いたしました。

久しぶりに映像でみると、けっこう恥ずかしいものですが、自分で演ったことですから責任を取らなくちゃいけません。
こちらの映像は、2005年のライブをフルサイズで収録したものです。
こんな大きな動画データを扱えるようになったのだからYoutubeというサイトには本当に高い技術力を感じますね。



しかし、コンテンツの提供側に廻ってみると、UIは複雑怪奇でお世辞にも洗練されたものとはいえない。
見るところGoogle+と無理に接続することでわかりにくなっているように思います。

まあわかりやすいところから言うと、チャンネルのアイコンが簡単には変更できない。
これは別段サイトのコンテンツからみると重要なことではないような気がしますが、こんなちょっとしたことを変更するのに、わざわざGoogle+ページを作ってなんて大げさなことになっちまう。
で、作業ができた!と思っても「反映に数分かかることがあります」と出て、僕の場合は5時間ほど(!)反映に時間がかかりました。

いろんな場所からアイコン写真を登録できるという罠もあって、何が原因で変わらないんだろうと二時間ほど検索の海に溺れたんですが、三ヶ月アイコンが変わらない謎に悩まされたという猛者もいましたよ。
まさか時間がかかるだけだったとは。

Google+もBlog記事の共有に重宝しているので、もう少しうまい連携を探って欲しいなとは思いましたね。

2016年5月25日水曜日

紛失したケーブルレリーズのヘッドを自作する最も簡単な方法

いつか本格的な撮影をするのに三脚が要るだろうと思って、20年くらい前に自分のライヴをビデオに撮るために買ったオーディオテクニカ製の三脚を引っ張りだしてみたんですよ。
カメラ用の本格的な三脚とはいろいろと違うんだろうけど、取り敢えずこれで練習してみようと、昨日のブログ記事用の写真を撮ってみたんですね。
その写真があまりにも細部まで鮮明に写っていて驚いてしまった。
今までピント甘いなあと思っていたのは、自分のカメラのホールドが甘かったのだと今頃気がついた次第。

そうなると俄然三脚での撮影をやってみたくなるのが人情というもの。
三脚撮影といえば、ケーブルレリーズも欲しくなる。

実は前オーナーさんからNikomatが届いた時、ケーブルレリーズも一緒に下さっていたのでした。何から何までありがとうございます。

これです。
一見普通のケーブルレリーズに見えるでしょ。
ところがさにあらず。

レリーズボタンの部分が、手芸なんかでよく使われるスナップボタンなのです。
実はこのレリーズボタンが紛失していて、部品がないかと探しても当然見つからず、なにか手はないかとネットを徘徊していて、どこかのブログにカメラ本体のレリーズボタンを、スナップボタンを改造して自作するという記事を見つけてピンときたんですね。

で、家の裁縫箱を漁ってみたら、一個だけ使って九個余っているスナップボタンがあるじゃないですか。
試しに押し込んでみたら、あまりにもぴったんこカンカンで、まるで専用品のような収まり具合。
もう簡単には外すことさえできません。

以上、ケーブルレリーズのヘッドはスナップボタンで代用できるよ、という小ネタでした。
それではまた。

2016年5月24日火曜日

接写リングNikon PK-11を使って真空管アンプを撮ってみる(NIKKOR 43-86m作例)

僕が買ったZoom NIKKOR 43-86mmは、最短撮影距離が1.2mということで、とにかく寄れない。
物撮りをするときには、望遠端にして遠くから撮るということになるし、それでも小さなものは本当に小さくしか撮れない。

てなことを言ってたら、お師匠さんが「接写リング」という秘密兵器を持ってきてくださった。


ニコンの純正品で、PK-11、PK-12、PK-13の三つが箱に入っていた。
これをカメラ本体とレンズの間に挟んでセットすると最短撮影距離が短くなって迫力ある物撮りができるということらしい。


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現行品がこのPK-11A



いろいろ試してみたが、一番薄いPK-11が一番このレンズには相性が良さそうだ。

ところで、このリングを挟むと露出連動用の爪が使えなくなる。
マニュアルには、爪を一番右側に倒しておいて、フルマニュアルで撮れと書いてあった。
だから接写の場合は本体の露出計が使えず、この外部露出計の出番というわけだ。


で、僕の部屋で最も高価な被写体(w)であるMcIntosh MC275アンプを撮ってみる。


なんと、こんなに寄らないとピントが合わないのである。


別アングルと、僕の部屋に住む子猫ちゃんにもモデルをお願いした。
やっぱり露出の加減が難しいのである。
いやどんな場合も露出は難しいんだろうと思うし、構図とともにそれがこの趣味の本体なのではないか、という気がする。

何か参考になる本でも探してみよう。

2016年5月23日月曜日

初夏の札幌を撮影してみたよ 〜 大通公園の噴水と時間に忘れられた家(NIKKOR 43-86mm作例)


晴れた日曜日、Nikomat ELにZoom NIKKOR 43-86mm f3.5を付けて撮影に出かけた。
被写体のアテはなかったが、街並みを撮りたいという気持ちだけがあった。

家には、2001年に使用期限の切れたコダックの400Goldが二本あった。
取り敢えずカメラという機械の使い方を知るために装填してあった最初の一本は、前回夜明けの街を撮るのに使いきっていた。
残りの一本を装填して自転車で出かけた。

札幌の中心地には大通公園があって、そこには大きな噴水があった。
お師匠さんに、シャッタースピードを変えると、水の表現が変わる、とお聞きしたのを思い出し、さっそくパチリ。


その日は朝から季節外れの暑い日だった。
噴水の涼やかさが、シャッターを押させたのだと思う。

街を走っていると、札幌のような大きな街でも時間に取り残されたような旧い建物が見つかる。


これらの写真は、撮影後、カメラのキタムラに持ち込んで現像してもらい、同時にデータCDに焼いてもらったものをMacのiPhotoで補正したものだ。
ASA400のフィルムは粒子が粗く、ノイズ除去をしなければならなかった。
どの写真も彩度が足りず、かなり持ち上げている。
これがフィルムが古いせいなのか、それとも持ち味なのかわからないし、レンズの影響がどの程度あるのかもわからない。
また露出が不正なのかもしれない。
いずれ他のフィルムで撮ってみることでしか判断はできないだろう。

家にはお師匠さんにいただいたリバーサルフィルムが何本かある。
こちらはISO100。
さてどのような写真が撮れるだろう。

2016年5月22日日曜日

Zoom NIKKOR 43-86mmがやってきたら、思いがけず多重露光がおもしろかった件

先輩から送られてきたNikomat ELを手に取ってはじめて、自分が一眼レフのフィルム・カメラのことを何も知らないことがわかった。
社会人になって、海外旅行なんかに行くようになってカメラを買った。
当時よく売れていたKonicaのBiG miniという機種だった。
今でも持っている。


久しぶりに電源を入れようとしたら電池が切れていた。
ホームセンターで電池を買ってきて、スウィッチを入れてファインダーを覗いてまず気付いたことは、これズームないんだ、ということだった。
今の知識で言うなら、単焦点の35mm f3.5専用のコンパクトカメラ。高性能の「写るんですHi!」
自分が動いて構図を決めたらシャッターを押すだけだ。

そしてその調子でNikomatに接すると、あまりの無愛想さにちょっとビビる。
まずシャッターが押せない。
巻き上げレバーを予備位置に動かすという知識すらなかったのだ。
いろんな場所についているつまみやハンドルなどいちいちわからない。
ネットの海を探索すると一応まとまったマニュアルのようなものがアップされていてなんとか全体像が把握できた。

それからレンズを買った。


Zoom NIKKOR 43-86m f3.5という機種で、日本製としては最初の標準ズームレンズだそうだ。1963年に発売(53年前だ!)されて現在は生産されていないが、ずいぶんなロングセラーだったそうで、タマ数も豊富なせいか、手頃な価格で中古品を入手できた。
単焦点の明るいレンズが欲しくて一眼レフを始めたのに、どうしてこんなレンズを買ったかというと、写真にも見えているこのカラフルなヒゲが!なんとも!!かっこいいなーと思った次第なのです。
くだらない理由でスミマセン。
でもほら、趣味だからね。愛着がまずないとね。

一応道具が揃って、フィルムを入れてみるわけです。
家に昔買ったKodakのASA400の36枚撮りが2本あったので、まずそれを。
ここで初心者的な発見があって、フィルム売り場に並んでいたのがたいていASA100か400。で、何も知らない僕は400が「高性能版」なんだと思って買ってるわけ。
今回は100でいいかな、みたいな感じで。

暗いところでも写る高感度が400で、そのかわり写真の粒子が粗くなる、なんてことはまったく知らなかったので今本当に心から吃驚しております。
たしかに撮ってみると粒子感が半端ないです。


まいったな。
でもこの逆光の感じ、ちょっと好きかも。
逆光のカメラマン、なんてね。目指してみるかな。
これ撮り終えたら、今度はISO100のフィルムを買ってみたいです。

そう。
ASAがデジカメ時代によく言っているISOと同じものだというのも今回知ったお作法のひとつですね。

NikomatにもASAって書いてます。


この日は、明け方の街を撮ってみようと、暗いうちから出かけたんですが、こんな奇妙な写真が撮れてしまいました。


三重に露光されているようです。
前のオーナーからNikomat ELには多重露光の機能があるとは聞いていたのですが、これはまったくの偶然で、どんな操作でそうなったのか自分ではまったく覚えがないのです。
どなたか操作法をご存知でしたら教えて下さい。


2016年5月21日土曜日

Nikomat ELがやってきた ~ そして僕はフィルムカメラという沼地へと征く

ディジタルは確かにいろいろと便利だ。
でもアナログにもいいところがたくさんある。

一般にアナログは「融通が効く」

CDのデータが読み取れなくなった時に出てくるディジタル・ノイズはちょっと耐え難い音が出るが、レコードについた傷は幾度も聴いているうちにその盤の個性のようなものとして受け入れることができる。

DVDに記録された映像も事情は同じで、盤の傷が一定のレヴェルを超えれば「このディスクは読み取りできません」とにべもなく突き返されるし、DVDーRに至っては色素の変質で数年で使えなくなったりするが、録画されたヴィデオテープは、確かに画質の劣化はあるが、驚くほど長い間映像を保存しておいてくれる。

光ファイバーを通ってくるひかり電話なんぞは停電の時には何の役にも立たないが、アナログ回線は、電気が無くてもその時必要な声を届けてくれる。

デジカメで撮りためた大切な写真をハードディスクのクラッシュで喪って、気を失いそうになった人だっているだろう。現像したフィルムなら家が火事にでもならなければ失われることはない。

そんなアナログの「丈夫さ」に惹かれて、アナログ・レコードを愛聴し続け、真空管アンプを使い、携帯電話にも背を向けてアナログ回線の固定電話を使い続けている。

そしてこの度、もう一つアナログ趣味を持つことになったのでご報告したい(別に聞きたくないか)

それは「フィルム・カメラ」
会社員時代の大先輩に譲っていただいた。





Nikomat ELという(ニコマートと読みます)
40年ほど前のニコン製のカメラらしい。

レンズはあらためて購入した『Ai Nikkor 43-86mm F3.5』一本を練習がてら使い倒す計画である。

友人たちに言うと、決まって「現像はできるのか」とか「フィルムは売ってるのか」などと訊かれるが、真空管アンプを使っているというと、真空管が切れたらおしまいですね、などと言われるのと同じだから別に気にならない。
真空管もフィルムもまだ作られているし、現像だってカメラのキタムラが入っているAEONが近くにあれば、昔懐かしい55分DPEサーヴィスが今でも受けられる。
繰り返すが、アナログは丈夫なのである。

2016年5月20日金曜日

僕たちもきっとそんな「道化」の一員なんだ 〜 島田荘司『屋上の道化たち』

島田荘司先生の新作「屋上の道化たち」が出た。
星籠(せいろ)の海に続く、御手洗潔シリーズの記念すべき50作目である。


僕はかなり依怙地な文庫派で、いくら世評の高い作品でも文庫化を待つ。
本自体の重さも苦痛だし、表紙が曲がらないのがページを繰るのになんとも不具合で、読書への没入を妨げるからであって、決して貧乏症だからではない。

そんな僕も島田荘司先生だけは別格で、出ればすぐ読みたいという気持ちが勝り、ハードカバーで買ってしまう。それに、島田作品だけは本がどんな体裁であろうとも読書への没入が妨げられるということはありえない。

あのリーダビリティはどこからくるのだろう。
もちろんその最大のキーは「謎の提示」にあると思う。
今回も、絶対に自殺などしそうもない者が次々と飛び降りてしまう不思議な屋上、という謎が提示される。
一見シンプルに視える「状況」に隠された真相が知りたくてページを捲る手が速まる。

また島田作品に描かれる市井の人々のリアルさも重要な要素だと思う。
不運のサイクルに組み敷かれ、もがいても這い出せない人たち。
組織の空気に組み込まれ、流されていく人たち。
僕たちもきっとそんな「道化」の一員だ。
どこかに身に覚えのある光景につい感情移入しながらまたページを捲る。

そんな人たちが織り成す「時代」という現象を、批判せず、擁護もせず、ルールよりも人間を見つめて、鮮やかに謎だけを解く御手洗という探偵の振る舞いに、ミステリーという文学ジャンルの大切な役割のようなものを読む度に感じさせられる。
『星籠の海』のような大作ではないが、むしろこの『屋上の道化たち』のような作品にこそ、御手洗潔の視線の温かさが感じられて僕は好きだ。

この単行本にはシリーズ50作目を記念して、御手洗潔シリーズ全作品ガイドが巻末に収録されている。この部分だけでも充分購入する価値があると思う。

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2016年5月16日月曜日

宗教戦争の時代にあらためて読まれるべき名作の復刊 ~ フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』

早川書房から『デューン 砂の惑星』が新訳を奢られて復刊された。


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まあ、ちょっとした事件ですよね。

翻訳は『ハイペリオン』の酒井昭伸先生。
さすが、あの難物をノンストップで読ませる実力派で、砂の惑星もお見事な仕上がりです。

砂の惑星、というと高校生くらいの頃映画化されて、スティングが出演していることばかりが話題になって、観てみたらなんじゃこれ?という、ある種トラウマ系の作品で、まあそれでもガイドブックなんかによれば歴史的な名作らしいから原作はどうなんだろうと、大学生の時に古本屋を漁って読んでみたが、やっぱりどこが面白いのかわからなかったわけです。

近年多くの名作が新しい翻訳を与えられて、新しい装丁を纏って書店に並んでいる。
そのどれもが、よく理解できなかった名作を身近にしてくれた。
今回の『デューン 砂の惑星』もその意味では成功していると言えるだろう。

それでもう一度デヴィッド・リンチ監督の映画版『デューン 砂の惑星』も観てみたのだが、こちらの印象は変わらない。当たり前か。
当のリンチ監督も同じように思っていたようで、DVDを見ると、何らかの理由で出来上がった作品に自分の名前を入れたくない時に付けられる「匿名」=アラン・スミシー名義になっていた。

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『デューン 砂の惑星』の物語世界は、まず人工知能の反乱で、人間が奴隷化され、それを再度人間が反攻制圧して、今度は機械文明を否定した精神世界を構築している、というところから始まる。
精神の力が現実世界への「力」の脅威になりうるこのような世界では、「宗教」が現実的な武力と不可分なものとなる。
そこに、キリスト教とイスラム教の相剋の構図を載せたのが『デューン 砂の惑星』の基本構造と言えるだろう。

最初に読んだあの頃、そういうことはまったくわからなかった。
世界の各地でイスラム原理主義のテロが起きている。
知人たちが世界中で働いていて、ニュースを見てハッとすることもある。

なぜそのようなことが起こるのか、出来事の連なりだけを読んでわかったような気になっても、こうした物語を読むと、どちらの側にも人間としての真っ当な心があり、正しいとか正しくないというような問題ではないということに想いが至らない。

物語にしか伝えられないことがある。
この時期に、この作品を復刊しようとした編集者にはきっとそれがわかっているのだろう。
出版社の役割の重要な部分だと思う。

であればこそ、「書き入れ時」を「掻きいれ時」と誤記するような凡庸なミス(中巻)を見逃さないで欲しいものではあるが。