2016年9月16日金曜日

社会との隔絶と静謐の美しさの関係についての考察~ジョン・ヴァーリイ『残像』

ジョン・ヴァーリイ傑作選「逆行の夏」から『残像』を

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原発事故が起き、近隣に住んでいた者たちへの差別がはじまる。

論理的根拠ではなく、心象的な嫌悪感から生じる差別意識の問題は現代でもいろんな局面で見られる。
人種や国籍の問題は心の問題で、だからどんなに法整備をしても万全にはならないだろう。
『ブルークリスマス』という映画では、宇宙船からの光線照射で血が青くなってしまった人たちへの差別を描いていましたね。

『残像』の物語では放射能汚染に対する恐怖からの差別意識が描かれるが、それはこの国でも5年前に福島第一原発事故による風評被害と言うカタチで経験したばかりだ。

主人公がそんな差別の視線から逃げ、迷い込んだのは、視聴覚障害者だけで運営される村だった。
ヴァーリイは、そのような差別意識は目も見えず、耳も聴こえない人にも生じるのか、と問おうというのだ。

風疹の大流行で、聴覚・視覚に障害を持った子どもたちが大量に産まれ、その中のひとりが、政府が支払っていなかった彼らへの年金を全額引き出したことからその村は生まれた。
まとまった額の年金を集め、完全な自給自足の村を彼らは作り出した。
ボディタッチによる新しい言語体系を作り、繊細な移動ルールを作り、巧みに村を運営していた。
そこに差別を受け逃げ出した男が入り込んだのである。

物語は、淡々と進む。
ラストも一見、あっけない。
しかしこれには理由がある。

この村で産まれた子供たち(第二世代)には視聴覚に障害はない。
だから親世代の言語を超えたコミュニケーションを、通常の言葉によって補って物語の語り手になっていたのだ。
それが時間を経てコミュニティに同化していって、物語そのものが新しい価値観の中に漉き込まれていった。
それがあのラストだ。
その静謐で言葉を受け付けない情景は、ヴァーリイの代表作と呼ばれるにふさわしい美しさだと思う。

2016年9月14日水曜日

「公共」と「公の秩序」の違いについてのサンプルケース~ジョン・ヴァーリイ『バーニーはなぜ殺される』

ジョン・ヴァーリイ傑作選「逆行の夏」から『バービーはなぜ殺される』を。

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バービーとはもちろんバービー人形のことで、個性を捨て完全に差別のない世界を指向する宗教団体が、未来の優れた医学で信者全員を寸分たがわない見かけに整形する、というお話。
この教団内で殺人事件が起きるが、見かけも同じでパーソナリティの基底である個々の名前すらも捨てているので、犯人が特定できない。
それどころか、誰でも同じだということで、教団は適当に誰かを犯人として差し出してくる始末。
ヴァーリイ作品ではお馴染みのアンナ=ルイーゼ・バッハが登場する作品で、それだけで嬉しくなってしまう。

個々がない世界では、人間の自由はどうなるのだろう。
人間はそれぞれが違っているから、望むものも違う。
その望みのために隣人が邪魔なら、それを排除する「自由」はある。あるかどうかでいえば、それは絶対的にある。
しかし同様の絶対さで、その隣人に排除されず社会で自己を全うする自由も存在するのである。
結び合ってひとつの社会を成しているから、個々人の願いは無制限には実現しない。
その自由と自由の境界線を「公共」という。


その「公共」を、「公の秩序」と読み替えるのが現在の自民党憲法改正草案のコアだが、これらは似ているようでまったく違う。
自由が個々に由来することを前提とする「公共」と、民衆の代表である為政者があるべき姿を規定し、成約する「公の秩序」。
バービーたちが縛られているのは、教義という名の「公の秩序」だったのである。
だからこそ抑圧からはみ出していくカタチで、起こるはずのないタチの悪い殺人が起こってしまう。

まことに他人事でない話ではないか。

2016年9月13日火曜日

楽園の崩壊とモラトリアム~ジョン・ヴァーリイ『さようなら、ロビンソン・クルーソー』

ジョン・ヴァーリイ傑作選『逆行の夏』から、今回は『さようなら、ロビンソン・クルーソー』を。

「八世界」シリーズの一作で傑作の呼び声高い短編。
キイワードは「モラトリアム」

モラトリアムには経済の用語としての意味と、発達心理学の用語としての意味がある。
前者は支払いの猶予であり、後者は自己決定の猶予である。
そしてこのダブル・ミーニングはそのままこの物語の構造になっている。

まず経済的な側面から。
「八世界」は遠く隔たった太陽系の惑星群を繋ぐネットワークであるので、経済の成否のカギを握る「情報」の到達スピードに差がある。
ことにひとつだけ遠く離れた冥王星(現在は準惑星の扱いになっている)は、最初から大きなハンデを抱えていて、いずれどこかの植民地になるのを免れない。
物語の舞台はその冥王星で、植民地化までの「モラトリアム」状態にある。

次に発達心理学的なモラトリアム。
上記のような厳しい経済戦争の中で、心が壊れてしまった経済戦略家が療養するのもまた、太陽系の中心から遠く離れた冥王星であった。

やがてモラトリアムを脱した経済戦略家が、惑星のモラトリアムを終わらせるべく経済という戦争に立ち向かっていく、という筋立て。

作中、登場人物たちが立ち会うのは、惑星内をくりぬいて作られた偽の地球環境「ディズニーランド」の崩壊であり、SF版ロスト・ジェネレーションの物語ともいえる。

2016年9月12日月曜日

現実になった原発事故がリアリティを剥ぎ取り、この映画はアートになったのかもしれない〜『原子力戦争 LostLove』

古い日本の映画を観ていくと、「日本アート・シアター・ギルド」制作の作品に多く行き会う。これはさすがに違うだろうと思って観始めた「原子力戦争」のオープニングにも「日本アート・シアター・ギルド」の名が出てきてびっくりした。
しかし考えてみれば監督は黒木和雄さんなんだからちっとも不思議じゃないですね。
で、黒木映画でおなじみの阿藤海さんとか、浜村純さん(浜村淳じゃないですよ)とか、名脇役が脇を固めている。



そしてこの映画、当ブログではお馴染みの虚淵玄さんのお父さん和田周さんが出てますね。

出番は少ないが重要な役。
役者和田周さんをはじめて観ました。


映画は田原総一朗さんの小説を原作にしたもので、福島第一原発を舞台に、燃料棒の事故とそれを揉み消そうとする東電、暴こうとするマスコミ、地域の利益のために板挟みになる住民たちを描いている。

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実際に苛烈な事故が起きてしまった今となっては、この映画に描かれていることをリアルに体感してしまったわけで、驚きはない。
しかし、事故そのものでなく、あくまでもそれぞれの人間が組織の都合や個人の情熱にフォーカスしていて、社会で起きているいろんなことに、正しい答えなんてどこにもないんだということを痛感させられる。
もしかしたら、現実になった原発事故がリアリティを剥ぎ取り、この映画は「アート」になったのかもしれない。

そして僕は動いてる山口小夜子さん、はじめて見たよ。


スティーリー・ダンの「エイジャ」のジャケット写真くらいでしか見たことなかったから。

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映画の中で砂浜歩いてたりするんですけどね。もうそこ(だけ)パリコレ?っていう感じなんですよ。

ホント、現実感カケラもないです。

対比的に、若き日の風吹ジュンさんもいい味出してる。
こっちは現実に閉じ込められているッて感じの不思議ちゃんキャラで、それがまたカワイイ。


原田芳雄さんは、黒澤映画における三船敏郎さんのような存在感ですなあ。


役割としての「ヒモ」をステレオタイプで演じているんだけど、物語が進んでいくと「自分自身」がどうしようもなく溢れでてしまう感じ。
カッコよかった。

エディプス・コンプレックスのない世界に描かれた、あまりにも純粋で美しいボーイ・ミーツ・ガール~ジョン・ヴァーリイ『逆行の夏』

ジョン・ヴァーリイ再評価の流れが嬉しい。
大学時代に「ブルー・シャンパン」を愛読していたが、いつの間にか絶版になっていた。
その「ブルー・シャンパン」を含む『逆行の夏』という短編集、というより傑作編が編まれたので購入した。

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まずは『逆行の夏』から読んでいく

ヴァーリイのSF作品はどれも、異星人に地球を征服され太陽系の各惑星に人々が散って独自の進化を遂げた世界を描いている。
その世界では、今我々が採用している生活習慣や社会構造が大きく変化している。
この『逆行の夏』では主に、家族構成の変化を主題にしているようだ。
そこは「父親」がいない世界だ。

特に珍しい話ではない。
現在の地球でも、ゴリラとテナガザルを除いて、父親を含む核家族を社会の構成要素にしている生物は(いまのところ)人間以外には発見されていない。
京都大学霊長類研究所長から京大総長を歴任した山極寿一氏の著作「父という余分なもの」 では、「父の創造」が文化の源流であるとしている。

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文明が極限まで進化した時、人類が再び「父親」を喪失するというアイディアがこの『逆行の夏』という物語のコアだということだ。

父の無い世界には、つまりエディプス・コンプレックスもない。
男の子が、成長期に抱く母親への愛着と父親への敵意。
男の子は、しかし、父親の替わりに母親の傍らに恋人として立つことはできないと識ることで、エディプス・コンプレックスを克服し、ほんとうの意味で社会の一員となっていくのである。

物語では、忘れかけられた母星(地球)の歴史として、妻殺し、夫殺し、子の虐待、戦争、飢え、といったものがいっしょくたになって、「誰かと結婚したあげく、手遅れになってから相手がまずかったとわかる」という悲劇に起因しているとして「一人の親に一人の子供」という新しい社会的伝統を作ってきたことになっている。
充分に発展した文化の中では、子供の心理的発達は教育によって担保される。
確かに現代においてさえ、巣立ちの装置としてのエディプス・コンプレックスは必要のないものなのだろう。

だからこの物語に展開される「ボーイ・ミーツ・ガール」はとても純粋だ。
情感的に希薄で、だから儚く美しい。
だからラストの虚無がこんなに美しいんだろう。

2016年9月7日水曜日

真行寺君枝も自らの代表作と言う、映画『風の歌を聴け』を観よ

村上春樹の「風の歌を聴け」が映画化されているのを知ったのはFacebookで先輩が教えてくれたからだった。

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20年ほど前、まだ銀座にオフィスのある会社でサラリーマンをしていた頃、会社の近くにある小さなバーに入り浸っていた。
「あらじん」という名前のそのバーはコリドー街近くの雑居ビルの地下にあった。
席につくと、ピーナッツの入った大きな瓶の中に手を入れて掴み取りをするのが決まりで、とれた分がその日のお通しになる。
マスターは「あ、殻はそのまま下に捨ててください」と言う。
見ると、 カウンター席だけのその店の丸い椅子の下には確かにピーナッツの殻が捨てられるままになっていた。
今でもそのマスターは別の看板を掲げて銀座でバーをやっていて、昔の仲間が時々行って、マスター元気だったよと教えてくれるから、懐かしくてピーナッツの話をFacebookに投稿したら、「風の歌を聴け」の映画版に出てくるジェイズ・バーの床にもピーナッツの殻が転がっていたね、と教えてくれたのだ。

近所のTSUTAYAにはそのDVDは置いていなくて、宅配レンタルを使ってやっと大森一樹監督の「風の歌を聴け」を観た。
そんなわけだから、ジェイズ・バーの床にまず注目することになるが、これは酷い。


床一面に殻が敷き詰められている。
ピーナッツを食べた客が殻を放り投げなければこのような状態にはなるまい。
そんな客も店もあるはずがない。殻はあくまでも自分の足下に捨てるのだ。
そしてその日の営業が終われば、殻はまとめて捨てられる。
これは、厄介な殻の始末をお客様ごとにやるのではなく、お客様にご勘弁いただいてそれだけは一日分まとめてやらせてね、という客とマスターとの間の暗黙の了解のようなものなのである。


この映画の気になるところはこれだけではないが、それらをすべて帳消しにする真行寺君枝の美貌を、まずはとくとご覧頂きたい。


レコード店の美女。
綺麗なだけじゃなくて、音楽にも詳しい。
「僕」が探しているレコードをすいすいラックから抜き出してくる。


いいなあ。ホントにいいなあ。

ところで、この美女に「僕」は、カリフォルニア・ガールズの入っているビーチ・ボーイズのレコードを探してもらうのだが、彼女、よりによってロンドンでのライブ盤を選んでいる。まあ、入ってるけどさ。普通はサマーデイズだよね。
このシーンでかかってるのもサマーデイズ収録のカリフォルニア・ガールズだし。


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この時点で真行寺君枝は小林薫演じる「僕」に不信感を抱いているので、意地悪をしたのかもしれないね。
そう考えるとなんか可愛いよね。

そういえば、このカリフォルニア・ガールズを映画に使うための使用料が数百万もかかっているらしく、他のシーンがチープなのはそのせいなんだそうだ。
真行寺君枝も、とにかく予算がなくて苦労したとインタビューに答えている。
同じインタビューで、真行寺君枝はこの映画を自らの代表作って言ってる。
うん、その言葉に値する雰囲気出てますよ。


「僕」はまた、思いつきでベートーヴェンのピアノ協奏曲の4番をグレン・グールド、レナード・バーンスタイン盤で選ばせるが、原作ではこれ3番なんである。
ということは、まあ、監督か脚本家の趣味なのかもしれない。

僕個人の話をすれば、一番よく聴くのはやっぱり4番で、第二楽章冒頭のストリングスの重厚なテーマが好きだ。だが、演奏者がグレン・グールドということになると話は変わってくる。
おそらく他のどのピアニストも、この3番をこんなにゆっくり弾いたりはしないだろう。特別な3番。村上らしいチョイスだと思う。

真行寺君枝の話ばかりでもなんなので、他の出演者にも触れておく。
小林薫(=「僕」)の相棒「鼠」には巻上公一が、そしてジェイズ・バーのマスターには坂田明が扮していてる。
バーにいる真行寺君枝さんも素敵(って結局そればかり)


そして室井滋さんの商業映画デビュー作なんだそうな。
もうデビューからすごい存在感ですね。


原作「風の歌を聴け」は、作家村上春樹の「なぜ小説は書かれなければならないのか」についての言葉にならない考察だった、と僕は思っているのだが、物語という形態でしか小説の蓋然性を描けないというある種のメタ構造になっている原作の主題は、メディア違いの映画には描きようがない。
そんなわけで「鼠」は小説ではなく映画を撮っているわけだが、その自主制作映画のシーンからは、粗野だがエネルギーに満ちた時代の空気が流れてくる。この自主制作映画は巻上公一の原案によるものだそうで、もともと演劇のシーンから出てきた彼の面目躍如というところかもしれない。




2016年9月4日日曜日

FUJIFILMのSUPERIA X-TRA400で、夏の終わりの札幌を撮ってみた

リバーサルフィルムの残りが少なくなってきたので、そちらは冬の札幌を撮影するために温存すべく、ネガフィルムを調達しにビックカメラに行ってきました。
ネガフィルムならば自転車を飛ばして桑園イオンのカメラのキタムラに行けば、60分で現像してCD-ROMに焼いてくれます。

カメラ用品はヨドバシカメラで探すことが多いです。
それは売り場の整理がユーザーの意識に寄り添っていて探しやすいからなんですね。
フィルムの売り場も、現像を依頼するカウンターの横に現像用品とセットになって置いてあります。

ビックカメラでは探しているものが見つからない事が多く、店員さんに訊いてみて、なんでここ?って思うことがよくあったんです。それで今回は敢えて店員さんに訊かずに、ビックカメラでのフィルム売り場を見つけるまで探してみようと決めていたのです。

果たして今回はホントに困難を極めました。
結局フィルム売り場は現像用品とはまったく違う場所で、デジカメのデータをプリントするコーナーの奥に冷蔵ショーケースが置いてあってその中に並んでいました。
プリントコーナーには常に人がたくさんいて、その横にフィルムの現像依頼コーナーもあるのですが、あろうことかその反対側の奥なのです。
まいった・・

で、これを買ってみました。
FUJIFILMのSUPERIA  X-TRA400です。


感度の高いフィルムを買ったので、早起きして夜明け直後の空などを。
改めて電線、電柱だらけの国なんだなと思いますな。
いつもの大倉山を登っているうちにすっかり日が昇ってしまいました。
札幌が山に囲まれた街であることがよく分かるアングルです。


大倉山から降りてくる道の途中には本郷新記念彫刻美術館があります。いつもの庭園の像に赤とんぼがとまっていました。もう少し倍率の高いズームがあれば、と一瞬思いましたが、無い物ねだりをしても仕方がないですね。
今回は、記念館(別館)の隣にある「宮の森緑地」という小さなスペースに知らなかった本郷作品を見つけました。


下界に降りてくると、舗道に植え込まれた向日葵が夏の終わりを惜しむように、せいいっぱい凛と咲いていました。

2016年9月2日金曜日

映画『不連続殺人事件』を観た

映画『不連続殺人事件』を観た。
坂口安吾の原作らしいが、未読。


クリスティーやエラリー・クイーン的な本格推理の仕立てになっていて、事件の舞台は人里離れて孤立した「館」である。
舞台設定に戦後の日本の事情を加味してあって、安吾という作家の巧みさが光る。
そこに多様な奇人たちが集まる、というのがまた「本格」っぽい。




最初に死ぬ望月王仁役の人、『青春の殺人者』で殺される人だな。
まだまだいますが、こんなところで。
この奇人たちの中でも内田裕也の存在感が凄い。


そんな中で、掃き溜めの鶴を演じるのが、夏純子さん。
例のパーマネントブルーにも出てるらしい。
ますます観たくなるじゃないか。


かなり濃い目の面々を揃えたものの、事件そのものはわりと普通で、そのギャップがこの物語を成立させていると言えなくもないわけですが、特に探偵役の造形があまりに薄いので、犯人当てに興じるよりは、容疑者たちの振る舞いを楽しむのが吉と思います。
ただこの探偵いいこと言うんだよなあ。
この殺人事件は「不連続」だ、とか、「心理の足跡」とか。
キャスティングによっては化けたかもしれないですね。

さて、音楽についてですが、やはり70年代の邦画は音楽が凝ってます。
この映画では冒頭から強くひずんだエレクトリックギターがプログレチックなフレーズを奏でて、いやが上にも盛り上がるわけですが、名古屋を中心に活動したコスモス・ファクトリーというバンドが担当しているそうです。
知らないなあ・・でもなかなかいいですよ。

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