買ってくれたのは、ビリー・ジョエルの「イノセント・マン」と「コールド・スプリング・ハーバー」、稲垣潤一の3rdアルバム「J.I」、レイ・パーカー・ジュニアの「I Still 愛してる」、松田聖子の「Canary」。
どれも素晴らしいアルバムだったし、何より、母の心づくしが嬉しくて、予備校のよく出来たテキストをやりながら小さな音で繰り返し繰り返し聴いた。
ミュージックテープは、レコードに較べると多少扱いが雑でも大丈夫なので、こういう何かをしながらの聴取に向いている。それに思ったよりずっと耐久性が高い。
5年後、社会人になって初めて車を買った。黒いISUZUジェミニ1600ZZ Handling by LOTUS。まだCDに否定的だった僕は自分で取り付けたKENWOODのカーステレオにはカセットテープ用のモジュールしか載せなかった。車では母が買ってくれたミュージックテープが現役で大活躍していた。
時は流れ、我が家にはカセットテープを再生する手段が無くなった。しかたなくテープ類は、自分たちのバンドのライブ演奏などを収めたものはデジタルメディアに移し、その他のものは処分した。
札幌に引っ越してきて、レコードプレーヤーを新調したこともあって、年に何回かデパートなどで行われる中古レコード市に出かけていった。そこで、レイ・パーカー・ジュニアの「I Still 愛してる」の帯付きのレコードを見つけた。
今回、このGirasole Records Blogを書き始めて、やはり自分のレコード棚に「J.I」がないというのは大きな欠落なのではないか、という気がして、あらためてオークション・サイトを覗いてみると三枚だけある!ファクトリー・シール付きの初回限定写真集付きで美盤とあった。しかも600円。600円で落札できました。ありがとう。
ついに再会したJ.I.は、カセットテープよりも伸びやかな高音と驚くような豊かな低音を備えた優秀録音盤であった。名曲「夏のクラクション」が始まると一気に予備校時代のあの狭い寮の部屋の緑色の机にトリップしてしまう。最終曲「生まれる前にあなたと...」ではやっぱりちょっと胸に迫ってくるものがある。
例えば、その頃よく読んでいた片岡義男さんの作品が数年前に早川書房と池上冬樹さんの実に優れた再編集で世に出た時、それを読んでも当時の思い出が胸に迫ってきたりはしなかった。音楽だけがそういう不思議な、時を超える力を持っているのだろうか。
評論家の傅信幸さんが、Soundtrack of Lifeという言い方をよくするが、もし僕らが人生が流れていくタイムラインの横を、音楽が刻まれていく専用のトラックを持っているのだとしたら、そこに何を刻んで生きていくのかは思ったより重要なことなのかもしれない。何かを想い出す時のきっかけは、できれば美しいものであって欲しいと思うから。
昔のエントリーへのコメント失礼します。
返信削除半年前に仕事で釧路へ移り住み、一昨日山下達郎氏32年ぶりの釧路ライブへ行ってきました。
同日の氏のFMラジオ番組でミサキレコードの単語が出て来ましてこちらへ辿り着きました。
傅さんも懐かしいですね。
私は一番新譜を購入していた1988前後の音が自分のサウンド嗜好の中心になっていて、今でも大切にしています。
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