2012年10月12日金曜日

あの素晴らしきラジオ・デイズ。

中学生の頃はまだレンタルレコード店というのは一般的な存在でなく、少なくとも近所にはなかったし、そうそうLPレコードが買えるような小遣いはもらっていないわけで、音楽を愛する少年にはラジオこそが味方だった。
そのラジオだって音質の良いFM局は、わが故郷釧路にはNHK-FMの一局しかなくて、だからNHKの放送をできる限り多く聴いた。
中でも平日の夜放送されていた「サウンド・ストリート」という番組は、クラシック番組の多かったNHKの中で貴重なポップス系の番組で、毎日欠かさず聴いた。
当時のDJは月曜日が松任谷正隆でティン・パン・アレイ人脈の細野晴臣氏を招いて作曲や録音のデモをやってくれたのが印象に残っている。今でも自宅録音の際にこの時学んだノウハウを使うことがあるくらいだ。
火曜日の森永博志にも大変感謝している。なにしろ彼の放送では、ブレイク寸前の若手のスタジオライブが多かった。ヒロスケというシンガーソングライターのライブは本当に最高で、録音したテープはMDにダビングして今でも大事に持っている。デビューアルバムのComing Soonは石田長生のプロデュースで金子マリがバックコーラスやってたりしてゴージャス。独特の嗄れ声で歌う「深夜営業午前二時」とか「いくつもの星が流れ」といったブルージーな歌がカッコ良かったが、なぜかまったく売れず、ミサキレコードでも、これは入荷しないから、と言って見本盤をくれた。兵藤ゆきと結婚したあたりまでは情報が入ってきていたが今は何をしているのだろう。


水曜日は、甲斐さんですねえ。もうこの水曜日の放送だけは一言一句聞き逃すまいとヘッドフォンを両側から押さえて聴いていた。この放送で教えてもらった名曲は数しれないが、やはり何と言っても佐野元春のガラスのジェネレーションではないだろうか。その声と日本の楽曲では聴いたことのなかった純度の高いポップ性に衝撃を受けた。 釧路のミサキレコードでまずシングルを買って、その後発売されたハートビートも予約して買った。
甲斐さんはこの曲をかけた後、正直この声に嫉妬している、と言い、こいつの歌はいつか必ず日本中の人が聴くようになる、とまで予言していた。事実そのとおりになったと言っていいだろう。

それからすぐに、佐野元春は月曜日のDJに抜擢された。一回目と二回目の放送は佐野元春& The Heartlandのスタジオライブで、「さよならベイブ」での伊藤銀次さんのギターソロがもうとにかく最高で、まだ買ってもらったばかりでろくに弾けなかった白いグレコのジェフベックモデルで一生懸命練習したものだ。この録音も今でも大事に持っている。

木・金は不動の渋谷陽一先生。なんか今思うと、ストーンズとツェッペリンばかりかけてたような気がしなくもないが、洋楽に疎かった僕にはありがたい放送でした。

クラシック音楽を聴くようになった今、ラジオをまた聴くようになった。ポップスに比べてクラシック音楽の歴史ははるかに長く名曲と呼ばれる楽曲の数も膨大だ。どんなに聴いても聴ききれない気がするのに、ひとつの楽曲を何度も聴かないと理解も覚束ないときている。NHKは相変わらず、コンスタントに有名、無名問わずに多くの楽曲を流してくれる。シューマンのピアノ・コンチェルトやブルッフのバイオリン・コンチェルトなんかはラジオが教えてくれた名曲で、何度となく聴き続ける愛聴盤となった。

現代は便利な時代で、録画の指示を機械にしておけば、好きなときに何度でも見られるしいい曲だなと思えば、iTMSからすぐにダウンロード購入できる。試聴だってし放題だ。まさにオン・デマンドの時代。
しかし、不便さにだっていいところがある。ラジオの非オン・デマンド性こそが僕らを音楽に真剣に向き合わせていたのではないかと思うからだ。あの頃聴いた曲が心に深く刺さっているのは、その頃若かったからという理由もあるだろうが、どんな細かい音も聞き逃すまいと真剣に聴いたからではなかったか。なにしろ録音する時だって、テープをひっくり返すためにいつも以上に真剣に聴いていたのだから。
その一分一秒をもゆるがせにしない音楽への姿勢が、僕達の音楽体験を作り出していたことを今はとても幸せなことだと僕は思っているのだ。

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