2013年6月7日金曜日

カーティス・メイフィールドの「夢」に耳を傾けて

ダリル・ホール&ジョン・オーツというあまりにも有名なデュオの曲を初めて聴いたのは、まだ釧路ではFM放送がNHKの一局しかなかった頃、松任谷正隆さんのサウンドストリートでかかった「Wait For Me」だった。
松任谷正隆さんは「僕はあんまりギターが前に立つアレンジが好きじゃないんだけど、これはうまくいっていると思う」と言ってこの曲を紹介してくれた。

ご紹介のとおりの印象的なエレキギターのフレーズに、 ぞくぞくするような低音のギターのハモりがほんの二小節だけ重なって、「あの」ダリル・ホールの声が入ってくる。

このギターのギミックは残念ながらオリジナルの「X-Statics」(邦題:モダン・ポップ)でしか聴くことは出来ず、多くの編集盤ではライブ・バージョンが採用されている。残念なことだ。かっこいいのになあ。


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そしてあの、ちょっと忘れられないあのサビのリフレイン。
最後に執拗に繰り返される「wait for me」には毎回異なるメロディーが与えられ、彼の持つ豊かな音楽的バックボーンを感じた。

まだ、手探りで自作曲を書き始めたばかりのその頃の僕には、それは偉大すぎる手本で、事実、参考にすることすらできなかった。
メロディや節回しなどいくら真似しても、あの声がなければ何の意味もないように思われた。


ある日の深夜のラジオで80年代後半のソロ活動でダリル・ホールと共演した桑田佳祐が、「ダリル・ホールの真似をするのは簡単だ。聞かせどころでディミニッシュ・コードを使って、全体にリバーブを深くかけるだけで彼らしくなるよ。」と言っていた。

なるほど確かに、ディミニッシュ・コードを使えば、一部のホール&オーツ楽曲のような感じが出るような気がしたが、やはりそれだけではないような気がしていた。


そしてその、「それだけでない、何か」を教えてくれたのもやはりラジオだった。

予備校時代にたまたま聴いていた深夜ラジオでDJが
「今日と明日の二日間ホール&オーツの特集をやります。」
と言ったのを聴き、手近にあったテープをラジカセに放り込んで急いで録音を始めた。

そのAMラジオの番組は、お世辞にも音質が良いとはいえない音だったけど、押しも押されぬヒットメイカーになっていたホール&オーツが、フィラデルフィアでソウル・デュオとしてデビューして、サラ・スマイルやリッチ・ガールなどの良質なソウルテイストのヒット曲いくつかを出していた頃から大ブレイクする直前までの、いわば彼らのルーツが色濃く残っていた時期の音楽を特集していて、非常に面白かった。

そこで聴いたセカンドアルバム「Abandoned Luncheonette」に収録された何とも素朴でフォーキーなサウンドに彩られた独特のブルーアイド・ソウルのメロディーに、僕はすっかり心を奪われてしまった。


Abandoned Luncheonette
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後になってからフィラデルフィアのその独特のソウルシーンを、フィリー・ソウルと呼ぶのだと知った。

その後、東京に出てから、渋谷の輸入レコード店CISCOで見つけたファーストアルバム「Whole Oates」のアナログ盤を何度も聴いて、あの「Wait For Me」の魅力は、印象的なギターサウンドを纏い、ダリル・ホールの個性的な歌いまわしに着飾られ、モダンなポップソングの装いに身を固めていたから、一聴わからなかったが、そのバックボーンにあるソウル・ミュージックの力が大きいのだなあ、と確信したのだ。


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とは言え、そのソウル・ミュージック自体は、依然、僕にとって「よくわからない音楽」だった。

あのクネクネとうねるフェイクした歌メロや、ファルセット・ボイス。
なんだかペラペラしたギターの音。

正直に言ってどこがいいのか、よくわからなかった。

でもホール&オーツのような、どうしようもなくポップなセンスをもった人たちの音楽に「にじんでくる」ソウルへの憧れを聴いて、やっとソウル・ミュージックの良さを「わかりたい」という気持ちになっていた。


恥ずかしい話だが、告白する。

僕にとってわからないソウル・ミュージックの筆頭が、マーヴィン・ゲイの「What's Going On」だった。
大学の音楽サークルの先輩が、「明るいメロディなのに、聴いていると涙が出てくるんだ」と褒めちぎっていたので聴いてみたのだが、最初に聴いた時、涙が出るどころか、どこで一曲目から二曲目に変わったのかの区別すらつかず、三曲目くらいで深い眠りに誘われ、後のことはよく憶えていない。


 
それ以来、黒人音楽を敬遠する傾向が僕にはあったと思う。
好きなのは、マイケル・ジャクソンの「スリラー」と「BAD」、そしてプリンスの「Around The World In A Day」「Parade」「Sign Of The Time」ぐらい。
スティービー・ワンダーでさえ、人が言うほどすごいとは思えずにいた。


その偏見をぶち破ってくれたのが、友人が勧めてくれたカーティス・メイフィールドだった。

カーティス・メイフィールドの名前は昔から知っていた。

それはジェフ・ベックとロッド・スチュワートの久しぶりのリユニオンで注目を集めた1985年のアルバム「フラッシュ」に収録された「People Get Ready」という超有名曲の作者としてだった。


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この曲がヒットした時は、ジェフ・ベックの決して他の人には出せないトーンで弾き出される、シンプルそのものなのに心震わせるオブリガートにため息をつき、そしてロッド・スチュワートの唯一無二のヴォイスで歌われるあの郷愁とも哀愁ともつかない、この世のものならざる儚く美しいメロディを何度も何度も繰り返し聴いた。

オリジナルは、カーティス・メイフィールドのいたインプレッションズというグループが1965年に発表したノーザン・ソウルの名曲と知り、ベスト盤を買って聴いてみたが、黒人音楽への苦手意識からか、凡庸なコーラスグループの楽曲に聞こえてしまった。


ある日会社の仲間と、カラオケボックスで「洋楽縛り」カラオケをやっていて、気まぐれに「People Get Ready」を入れて、当時流行っていた即興翻訳で歌った。

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用意は出来たかい。列車が来るよ
荷物はいらない。乗るだけでいい
信じる心だけで、ディーゼル(のうなり)は聞こえる
切符はいらない(神に)祈るだけさ。
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たぶん、こんな感じで歌ったと思う。

あ、こういう歌だったのか。出エジプト記のイメージを現代に重ねて歌っているのかな、と思った。

1965年は、キング牧師の公民権運動が最高の盛り上がりを見せていた時期だ。
キング牧師の語った、I have a dream,に始まる演説で語られた「夢」のカタチ。
それを感じ取ったカーティス・メイフィールドの信じたもの、それがこの「People Get Ready」なのだろう。

それはおそらく、本当の自由を勝ち取ることで、生きながらにこの世に「天国」を現出させられるのでは、という願いだったはずだ。


しかし、その夢は実現しなかった。
キング牧師も、1968年に暗殺されてしまった。

「People Get Ready」から10年たった1975年、カーティス・メイフィールドは、「There's No Place Like America,Today」と題されたアルバムを発表した。
ジャケットに込められた痛切なメッセージをまずは感じて欲しい。

カーティスの歌は、希望と神への感謝に充ちた「People Get Ready」とは一転して、黒人たちの犠牲の上に繁栄を謳歌するアメリカという国の奇妙さを、切実に訴えている。


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そう、その歌はあまりに切実すぎて、とてもスムースなファルセットなのに、心には叫び声のように聴こえてくる。
音楽家の想いが「届いた!」とこんなに強く思ったことはない。

その想いは、心を突き抜けて記憶の中にあったマーヴィン・ゲイの「What's Going On」にまで届き、今度は、マーヴィンの声までもが僕の心に強く響き始めた。

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ダリル・ホール&ジョン・オーツの初期の作品群が僕の中にあったポップとソウル・ミュージックとの隙間を、まずは橋渡してくれたんだと思う。

それから、歌詞を読み込んだところで、彼らが音楽に「託さざるを得なかった」想いが刺さってきたのだと思う。

うかつな僕らは、いつも言葉に込められた大切な意味を聴き逃してしまう。
特にそれが母国語でないときや、身近な社会に起きていない出来事を扱っている時には。

それでもそれが、世界の共通言語である音楽に載って流れてくる限り、いつかは必ず心に届く。それが必要なものならば必ず。
いつの間にかラジオを聴く習慣はなくなってしまったけれど、そんな音楽にいつも耳を傾けていたいと思う。

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