2013年6月1日土曜日

そしてボブ・ディランへ

ボブ・ディランの名を初めて聞いたのは、「学生街の喫茶店」の歌詞に出てくる「片隅で聴いていたボブ・ディラン」という一節だった。

最初に聴いた曲は、たぶん「風に吹かれて」だったと思う。
その時はメロディが魅力的とは思えず、反戦フォークの人なんだから英語の歌詞が理解できないとわからない歌なんだろうな、と思った。

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でも大丈夫。僕らには日本語で歌ってくれる吉田拓郎がいるんだぜ、ってなもんで実はあまり関心がなかった。

ディランは、その後もずっと現役で、MTV全盛の1983年に「ジョーカーマン」という曲のPVをテレビで観た。
ポップ・ロックのバックに載せた、メロディとは呼びがたい嗄声の歌は、やはり僕の心には届いてこなかった。

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その後、社会に出て三年くらいしてから、大学時代同じ軽音楽サークルにいた友人と再会した。
彼もサラリーマンになっていたが、ミュージシャンになる夢は諦めていなかった。
僕らは二人でデモテープを作って、たくさんの音楽出版社やオーディションに送ったが、合格通知はどこからも来なかった。

会社員としての生活だって、順風満帆ってわけじゃなかった。
そんな時、みうらじゅんさんの「アイデン&ティティ」という漫画を読んで、その中に書かれていたみうらさんの翻訳によるいくつものディランの詩が、大きなハリケーンみたいに心のなかを通り過ぎていった。

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「どんな気がする/どんな気がする/誰にも知られないことは/帰る家がないことは/転がる石のように」という「Like A Rollingstone」のメッセージの普遍性は、きっと社会というゴツゴツした道をむき出しの心で転がり続けていく経験を経なければ理解できないものなのだろう。


「ボブ・ディラン」を生み出したニューヨークのフォーク・ムーブメントは、アメリカの、いや世界のミュージックシーンにとって重要な出発点だった。

ハーバード大学は、1920年代、国会図書館にアメリカの音楽を、言葉だけではなく録音によって残すという大きなプロジェクトを発足した。
それを成し遂げたのは、土着音楽の研究家としてオープンリールを担いでアメリカ全土を回って音楽を収集していたジョン・ロウマックスとアラン・ロウマックスの親子だった。

すごいブルーズを弾く奴がいると話題だったロバート・ジョンソンを探す旅に出て、すでに毒殺されていたことを知ったロウマックス親子は、もしかしたら刑務所の中にこそすごい歌い手が隠れているんじゃないか、と思いあたり、全国の刑務所を回り始めるようになる。

その探索行の中で、ルイジアナのアンゴラ刑務所に収監されていたハディ・レッドベター、後にレッドベリーとして知られるようになる歌い手に出会う。

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この時の旅や、他の音源収集の旅の記録。
何とそのときの音源もCDで付属している。
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労働歌やバラッド、宗教歌にいたるアメリカのありとあらゆる口承の民族音楽を記憶していて、すべて歌うことができたこのレッドベリーという男は、それ故にか、事件や心情を即席の歌にして歌うのがうまかった。

当時のブルーズは、「メイドアップ・ソング(拵えた歌)」といって、女の取り合いや強盗殺人など身の回りに起こる事件を歌に仕立てて記録し、伝えていくものだった。ブルーズマンにはそういった吟遊詩人的要素もあったのだ。

レッドベリーは、複数の殺人により終身刑となっていたが、釈放を望んでいた。
彼の歌の素晴らしさやメイドアップの才能に惚れ込んだロウマックス親子は、一計を案じ、彼自身が罪を悔い反省している心情を「メイドアップ」させて知事に聴かせて特赦を嘆願しようという作戦を立てる。

もうこんな作戦が思いつかれている時点で、レッドベリーの才能がちょっと恐ろしいが、この作戦、何と成功して、レッドベリーは釈放される。

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その時歌ったGovernor OK Allen Bluesも
大ヒットしたGoodnight Irenも入っている。
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ロウマックス親子は、レッドベリーを自分たちの運転手として雇い入れニューヨークで一緒に生活を始める。
そして、ニューヨークのフォーククラブで彼を歌わせ始めた。


そのクラブにいたのが、ウディ・ガスリーやピート・シーガーといった50年代にフォークブームを作り上げるシンガーたち。
彼らは、レッドベリーの歌う本物のブルーズに感銘を受け、多くの歌を習った。
そしてメイドアップ・ソングの精神を学び、時事的な問題や自分の心情を歌に込めて発信していくことを学んでいく。

それらの歌がヒットしていく中でフォークはムーブメントになり、ボブ・ディランという稀有なアーティストを生み出していく。

そしてそこで終わらないのが、ディランのディランたる所以。
メイドアップ・ソングの精神から発展した新しいフォークソングのフォーマットを真っ先に脱ぎ捨てて、むしろブルーズ・ロックへ回帰的にそのサウンドを変化させて、新しくて古い、頑丈なロック・フォーマットを作っていったディランの音楽には、長いアメリカの民族音楽の歴史が刻み込まれているのであり、その変化は必然であったともいえる。

この変化に大きな影響を受けたザ・バーズは、後にカントリー・ロックの発明者となるし、ディランの同志としてこの変化を牽引していったザ・バンドらが、サイケデリックに疲れていたイギリスのミュージックシーンにスワンプを持ち込む。
そうしてロックの歴史は塗り替えられていった。
だからここは、本当に重要なロックの転回点の起源であったのだ。
 
そんなわけで、すっかりディランにはまり、たくさんのアルバムを聴きあさった僕の耳には、あのさっぱりわからなかった「ジョーカーマン」のメロディが、きわめてポップなわかりやすいメロディに響いたのには、自分が一番驚いた。
音楽を聴く耳というのは不思議なものですね。

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