コニー・ウィリス
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2057年、オックスフォード大学は、空襲で焼失したコヴェントリー大聖堂の復元計画のために大わらわ。
計画の責任者兼スポンサーのレイディ・シュラプネルは人使いが荒く、とにかく強引で、 こき使われる学生も職員も疲労困憊。
そのなかでも失われた「主教の鳥株」の行方を探せと命じられた史学部の大学院生ネッド・ヘンリーは、ネットで20世紀・21世紀間の時間旅行を繰り返させられ、とうとう重症のタイムラグ(時間旅行酔いのこと)に陥ってしまった。
2週間の絶対安静を言い渡されたが、そのくらいでレイディ・シュラプネルが解放してくれるとも思えない。
ネッドの身を案じたダンワージー教授は、ちょっとした任務を与えて、ネッドを19世紀のヴィクトリア朝へ逃がすことにした。
ところが、タイムラグで聴力も思考回路も麻痺しているネッドは、 そのちょっとした任務すら把握できていなかった。
というわけで、冒頭、時間酔いでふらふらになっているネッドくんの主観で物語が語られていくため、読んでいる側も、どうもよくわからない。
わからなくていい。
そして任務の中核になるアイテムがどっか行ってしまっているのに気づいて、一緒に慌てればいい。
ここで慌てておかないと、この後が面白くない。
そして、簡単なはずのミッションが、俄然困難なものになってから、サポートに力を発揮するヒロインのヴェリティがいい。
なにしろユーモアの理解度が高いってのが実にいい。
ユーモアってのは、教養をベースにした「ひけらかし」だし、ある種の不適切さを燃料に発火する害のない悪意のことだから、そういう無意味さを楽しむというような性向は、どちらかというと男性的なものだと思う。
100万円の真空管アンプを買って、あれやこれや真空管を取り替えて「うーん、音が違う」などと呟いたり、古くてカビ臭いレコードを買い集めて回ったうえに「うーん、やはりオリジナル盤は・・」などと唸ったりするのは、この性向の延長にある。
この不可思議な性向を理解してくる女性がいてくれたら・・というのは実は男性が無意識に胸に秘めている願望でもある。
そしてその流れに乗っかって、ユーモアの応酬を楽しんでいると、ラスト近くで、
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「ネッド」
ヴェリティが緑がかった茶色の瞳をまんまるにしてあとずさった。
「ハリエット」
僕はすでに輝いているネットの中へとヴェリティを引き寄せた。
そして、百六十九年間にわたるキスをした。
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と不意打ちがくる。
(男性であるネッドだけが、この期に及んで、まだセイヤーズを引用して「ハリエット」と呼びかけていることに注意。これこそが、ユーモアが男性的なものである証拠である)
まいったなあ。
SF小説というのは、ジャンル小説なのであって、気を抜くとすぐに類型的なものに堕してしまうものだ。
本作は、イギリスの古典文学に材を採り、喜劇という最古の物語プロットを借りて、世の中でもっとも陳腐なものになりやすい「男と女」というテーマを描いたものだ。
それでもなお、ステレオタイプを許さないのが天才ウィリス。
第一級コメディの筆致に、がははと笑いながら身をゆだねて、その奥にしのばせた女性作家ウィリスの目から見た「ユーモア」の本質への冷たい眼差しをちくりと感じる。
これもまた小説の楽しみなんだなあ。
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