日本でもいい音で音楽を聴こうというムーヴメントが徐々に盛り上がり、その後のオーディオ大国になっていく成長期の記録として、現在のファンにありがたい資料だと思う。
岩崎 千明
ステレオサウンド
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読んでいて、大きな違和感を覚えるのは、オーディオ機器の「音楽性」についての認識の違いだ。
現在の我々の感覚では、日本のオーディオメーカーは、欧米のメーカーに較べ、計測した数値に頼りすぎて、耳で音を作る能力に欠けているのではないか、というイメージがあるし、近年のオーディオ誌での評論でもそういう論調が多い。
しかし、この1978年の評論集では、音響機器の「音楽性」などというものは買った消費者が評価するものであって、欧米ではメーカーも、販売店も、そして評論家すらも、もっぱら物理特性の数値の如何を以って開発をし、その機器を説明し、評論すると書いている。そして欧米ではその機器が醸し出す「音楽性」のことなど語りはしない、と言っているのだ。
考えてみればその通りで、誰かが何か言ったら、その機器の与える感銘の「カタチ」が変わるようでは、その人は音を感じ取っていることにならない。
その機器が自分の好きな音楽を十全に再生できる性向を持っているか否かは、買う側が判断するほかはあるまい。
しかし一方で、物理特性をどこまでも追い詰めて開発をすれば、どの機器も同じ音になるのではないか、という気がするのだが、彼らが開発した機器はそれぞれに実に個性的な音を出す。
ただそれは、「ジャズ向き」とか「クラシック向き」といったような安直な思考停止の言葉では表現できないもので、だから機器を市場に送り出す側や、評論サイドではそのような言葉では語りませんよ、ということなのだろう。
その意味で、この岩崎千明という評論家の言葉は実に見事だ。
徹頭徹尾「自分」と向き合っている。
ジャズという音楽の深い精神性まで理解したところで、オーディオ機器の使いこなしや聴きどころのポイントを解説し、そうかと思うと、クラシック曲に、生活のシーンの中で聴き入り、涙をながす。
そこには他人の所為にするという甘さがない。
そしてそれは、評論というものに必要不可欠なスタンスだ。
現代は「素人評論」の時代である。
このブログも含め、世の中には素人の率直な言葉が溢れ、誰もがそこにアクセスできる。
通販サイトには必ず利用者のレヴューが付記され、グルメサイトにはお客さんの言葉が踊る。
利用者は、「売りたい人はいいことしか言わない」と思い込み、騙されたくない一心で、利害関係がない(と思い込んでいる)消費者の言葉のほうを重んじる。
評論の世界が劣化して、言葉が届かなくなったのだ。
自業自得なのかもしれない。
市場最優先の理屈にのって、工場でつくられるように生産された文学や音楽がないとは言えないし、マーケティングの名のもとに底の浅い運営をしているお店だって確かにあるしね。
それに、そういうことなら今回復刻された岩崎千明著作集だって、編集された形跡はどこにもない。
この時代に、「自分と向き合う」ことに拘り抜いて夭折した男の評論を出版した意義は大きい。
であればこそ、それを語る今を生きる者の言葉が必要だった、と僕は思う。
その必要に気付いて巻頭言を付けようと考える者がいなかったか、それとも価格との折り合いでこうなったか。
そんな安直な復刻こそ、この評論集の精神にもとるものであり、岩崎氏が一番してほしくなかったことではないかと僕は思う。
いずれにせよ、あとは読み手に委ねられた。
こんな時代だからこそ、他人の所為にしない生き方をしてきた善き評論の時代の言葉を語り継いでいきたいし、それを「懐かしい」で片付けない知見が求められていると思う。
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