2013年6月25日火曜日

ゆっくり歩いて行こう、「八月の鯨」を待ちながら

まだ若かった頃、渋谷という街の、小さい異形がたくさん集まってひとつの特徴ある情熱を形成しているような熱気が好きだった。

新宿にオフィスがあったので、よくゴールデン街近くのカラオケスナックで歌った後、ゴールデン街に流れて内藤陳さんの「深夜プラスワン」そして演劇評論の本陣「ナベサン」などを廻った。
それでも酒の席では、ハードボイルドのことも、演劇のことも、語る言葉が上滑ってもどかしいことが多い。そんな時は仲間と別れてひとりタクシーで渋谷まで行った。

そして決まってセンター街の奥にある「八月の鯨」というバーで、今日話すべきだったことを想いながら映画の名前のカクテルを飲んだ。
もちろん映画の「八月の鯨」から名付けられたバーで、有名映画に題材を採ったオリジナルカクテルが人気だった。

このバーには何度も行ったのに、不思議なことに「八月の鯨」という映画は観たことがなかった。
それもそのはず、この映画つい最近までDVD化されていなかったのである。

初見なのに、不思議な懐かしさを感じながらこの映画を観た。


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サラとリビーの姉妹は、60年来、夏になるとメイン州の小さな島にあるサラの別荘で過ごしてきた。
少女の頃、八月になると入江に姿を見せた鯨を、彼女たちは駆けていって見た。
しかし、それも遠い昔のこと。
いつの間にか、鯨は入江に姿を見せなくなった。

サラは、第一次世界大戦で若くして夫を亡くした。
リビーは病のため目が不自由になった。
二人は大きな喪失を経験したが、支えあって生き抜いてきた。

しかし、視力を失い他人に頼らなければ生きていけないリビーの心は徐々に荒れ、言葉に棘を持つようになっていた。
彼女たちの家には、幼馴染みのティシャや修理工のヨシュア、近くに越してきたロシア移民のマラノフ氏らが訪ねてくるが、リビーは無関心を装う。

ある日、サラはマラノフ氏を夕食に招待した。
マラノフは自分がロシアの没落貴族であることを打ち明け、お互いの昔話に時がたつのを忘れて聞き入った。
が、リビーは何よりもサラが去って一人ぼっちになることを恐れていた。
サラの気持ちがマラノフに傾いていくのを感じてか、この家に寄宿することは期待しないでくれ、と言い捨てて宴席を立ってしまう。

サラは姉のことを詫びたが、リビーの直感は当たっていて、マラノフは、亡命してきても過去の栄華を忘れることが出来ず、各地を転々として、裕福な老婦人を見つけては取り入って寄生するという生活をしてきたのだと遠回しにサラに打ち明ける。

そしてサラとリビーにはもう近づかないとほのめかしてマラノフ氏は帰っていった。


マラノフは、ポケットにロシア王朝に仕えていた頃の母の写真を大切に抱いている。
そして永遠に失ったはずの栄華を忘れられず、自分の足で歩き始めることが出来ない。

サラは若くして夫を失いはしたが、現実を直視して足元にある幸せをかみしめて生きている。
リビーは、まだ自分が失ったものを悔やんではいるが、サラの生き方をそばで感じながら少しづつだが再び心を開こうとしている。

最後に別荘の壁に穴を開けて大きな窓を付けようと言い出したのが、その一歩だ。


マラノフには、その一歩がどうしても踏めないのだ。
ポケットの写真と宝石がそれをさせないのだ。
だからマラノフは栄華を取り戻すことはできないとわかっているのに転々とせざるを得ない。
心の時間が止まっているから、そこに生活という時間を刻むためにとどまることができないのだ。

そして、サラとリビーは、自分の時間をゆっくりとだが、確実に前に進めているからこそ、明日また鯨が入江に来てくれるのを心から信じて待つことができるのだ。

渋谷の「八月の鯨」で呑んだくれたあの懐かしい日々に確かに感じた熱狂も、幸い僕の時を止めはしなかった。
失ったものだっていくつもあるけれど、明日がくるのを楽しみにして生きている。
いつか僕にとっての鯨が入江に来るのを、今日も待ち続けながら、ゆっくりと歩いていこうと思う。

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