2013年6月2日日曜日

季刊ステレオサウンド187号を読む

季刊ステレオサウンド187号が届いた。

目次を見てまず目に飛び込んできたのが「フランコ・セルブリン氏を悼む」の文字。
また訃報だ。

上杉佳朗氏、細谷信二氏。前前号では小林吾郎さんの追悼記事を読んだばかり。
フランコ・セルブリン氏は、イタリアのソナス・ファベールというスピーカー工房の創業者だ。最近自分が作ったソナス・ファベールを離れ、自らの名前を冠したフランコ・セルブリンブランドで素晴らしいスピーカを発表し始めていたばかりなので、残念である。


今号からはじまった特別企画「池辺晋一郎と檀ふみの黄金の耳、名曲はここを聴く」が素晴らしい。


一人の作曲家の作品5点を取り上げ、楽譜をベースに名曲の名曲たる所以を探っていくという今時珍しい硬派な企画だ。
僕は決して楽譜を自在に読める方ではないが、所詮楽譜。根気よく読めば必ずわかる。
最近レコードでよく聴いている「ます」でのコントラバスの聴きどころが特に面白く、またこの曲が身近な存在になったのを感じる。
大好きな「冬の旅」と「未完成」も取り上げられているので、じっくり取り組んでいきたい。

アナログレコード愛好家として愛読している、海老澤徹先生の連載「アナログの宇宙」は、我が意を得たりの記事。


「MC型はMM型より優れているのか?」
僕は従来から劣化した際本体ごと取り替えるMC型のありように疑問を持っていて、それでも音質を犠牲にしているのでは、との疑いを拭えずにいた。

記事には、空芯で音の輪郭を機敏に描くMCと、機構全体で振動して音のエネルギー感をそのまま伝えるMMのそれぞれの個性を理解して使えばよいのだ、とあり、どちらが優れているという議論そのものの思考停止を詰る海老澤先生の言葉に深く頷いたのだった。


オーディオが好きな人なら、その関連で作家石田衣良の名前を聞いたことがあるだろう。
仕事部屋に高級オーディオを置き、雑誌やネットメディアのインタヴューに何度も登場している。
スタジオと称する仕事部屋もハイセンスで、自分の部屋の家具配置を考える際にも真似させてもらった。


彼の機材は見る度に違う。
前回読んだネットメディアの記事では、やはり音楽はアナログで聴くのが良いとおっしゃっていたが、今回やっぱりアナログは消えていてCDプレーヤが二つになっていた。
次回世にこの部屋が出るときはリンのデジタルネットワークプレーヤが加わっているかもしれないな。



それにしてもいつも思うのは、なんて本の少ない作家の家なのだろうか、ということだ。

僕は他人の本棚に興味のある男だ。
西村書店の「作家の家」という豪華本をいつも見ているし、内澤旬子さんの「センセイの書斎」も愛読書のひとつだ。次はあの立花隆氏の書棚を詳細に検証した「立花隆の書棚」を狙っている。

そんな文豪たちの本が溢れた家の隙間に暮らすような彼らの生活と、石田衣良の生活は全く違う。
この書斎を作るとき、石田衣良氏は「完成しない図書館」というコンセプトを建築家に伝えて作ってもらったと言っていた。
もう10年近く経つだろうに、まだ書棚には空きがある。
確かに未完成だ。

それに今回の記事には載っていないが執筆スペースの後ろの本棚は半分くらいの棚が帽子で占められていた。
側面の大きな本棚は80%がCDで埋まっており、書籍が占めるのはその残り。
もしかしたら別の場所に収納しているのかもしれないが、書籍そのもので自分のスペースを埋めてしまわないという発想が作家さんとしては実に特殊だと思う。

それが関係しているのかどうかわからないが、僕は石田衣良さんの本が苦手だ。あくまでも「物語世界の中でのリアル」を描く筆致が心に届いてこないのである。
しかし同じ文脈で彼の言う「演劇よりも映画が好きだ」「生演奏よりも録音芸術の方が好きだ」という気持ちはとてもよくわかるのだ。

多層性のある人間の心が生み出した芸術を、表現者と同じカタチの心を持たない受け手側が、そのまま十全に受け取ることは難しい。
だから、その中のある一面を純化して咀嚼するしかない。
それが、演劇をカメラワークを通して切り取った映画なのであり、演奏を録音というフィルターで切り取ったレコーデッドメディアなのだと僕は思う。

それといつも業界に丁寧な苦言を呈する大阪のオーディオ店「逸品館」の広告が今回も秀逸だったので、機会があればぜひ読んでみてほしい。350ページだ。

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