2017年3月30日木曜日

【ネタバレ全開注意】村上春樹『騎士団長殺し』に描かれた犠牲と未来の不可分な関係

『騎士団長殺し』を読んだので、読書記録として記す。
核心に触れているかどうかは別として、物語の全体に言及しているのでご注意いただきたい。
それにこの記録は、必ずしも読むかどうか悩んでいる人にとっては、有益な情報ではないと思う。

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
村上 春樹
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騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編
村上 春樹
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村上春樹は、『海辺のカフカ』『1Q84』と、それまで書かなかった「父」について取り上げ、 続く長編『多崎つくると、彼の巡礼の年』では、「変容する父性」について言及している。
直近の(といっても4年前の)長編である『多崎つくる』は、本作『騎士団長殺し』を読み解くために必要な道標になるはずなので、簡単に振り返っておく。

裸一貫で起業し、経済的成功を収め、一日50本の煙草とともにその人生を驀進し、肺がんのために言葉を失い、時計(=ホイヤー)を残して死んでいったつくるの父親と、それとは対比的に描かれる、緑豊かなフィンランドの別荘地で半日を陶芸家として、半日を家庭人として、時に自分の技術を大学で教えながらシンプルに生きていくハアタイネン氏。

対照的に見えるが、息子のつくるに父の残した時計(ホイヤー)は、そのメーカーの創業者の名を「ハアタイネン」という。
日本の高度経済成長を牽引した世代も、心には、家庭を大事にし、自分のために時間を使う生活へのあこがれを抱いて、息子たちの世代ではそれを実現させてあげたいという心があった、というメタファーではなかったか。
そして、そのギフトを得た世代が、今度は父になったとき直面する様々な問題。
それが『多崎つくると、彼の巡礼の年』であった、というのが私の見立てであった。


本作『騎士団長殺し』は、『多崎つくる』のリアリズム文体では描ききれなかった「父性」の問題に、ねじまき鳥的(1Q84的でも、まあなんでもいいのだが、そっち系の)村上話法で「肉体」を与えた作品、と読んだ。

「私」に離婚を切り出す妻の「ユズ」という名は、『多崎つくる』でのハアタイネン氏の妻の名でもある。
その妻は『1Q84』ですっかりお馴染みの時空を超えた性交で、娘を授かる。
いくつかのレビューで、ラストで「私」がユズのもとに戻るのに納得がいかない、というのを見かけたが、「私」が戻って父となることで、このメタファーが一段実体感を増すのである。
それに納得いかないと言っても仕方がない。なにしろ、これは事件の数年後から振り返って書いている本で、本編がはじまってわずか2ページ目に「元の鞘に収まった」と書いてあるのだから。

この物語にはもう一組父娘がいて、それが免色とまりえである。
高性能な軍事用双眼鏡と叔母を通じてつながる父娘。

どちらも典型的とは言い難い親子関係だが、それらは父側からのとても深い愛情を持つものとして描かれている。
彼らの父の世代が子どもたちの世代(つまり主人公たち)に注いでいたのも、たとえそうは見えなくても同じように深い愛情で、そしてそれは自分のための何か(時間や、趣味に生きる可能性などだろう)を犠牲にすることによって、より強固な愛情となっていたのではないか。
だとすると、現代の父親は何を犠牲に差し出せばいいのか。
それが本作『騎士団長殺し』という物語が内包する大きな問いだと思う。

「私」は騎士団長を殺すことによって、それを得たのだろう。
免色は、おそらく、まりえの言う「イフク」を処理することによって、それを得るのではないかと予想していたが、そこまでは描かれていなかった。
第三部があるかもしれない、と感じる個人的根拠のひとつである。

東日本大震災による大きな喪失も、その「犠牲」に繋がっていると思う。
物語が東北への放浪の旅であったこと、そしてラストに来て、震災でそれらが破壊されていく様から立ち直っていく過程で、「私」が新しい未来を手に入れていく。
世代間で異なる「犠牲」と未来の関係について、もうひとつ大きな視点からみた構造だ。

高度経済成長そのものが、戦争に突き進んでいった日本という国が破滅していくという大きな犠牲から生まれたものである、というのが『多崎つくる』で示された犠牲と未来の構造だった。
 そう考えると、一部の政治勢力によって現在少しづつ進められているように見える歴史の修正は、それをなかったことにしようとする試みにも思えてくる。
さらに、戦争での犠牲者に対して意識的な人ほど、その犠牲を生んでしまった過ちをなかったことにしようとする傾向にあることは、僕にはとても皮肉なことに思える。

本作『騎士団長殺し』で免色に南京大虐殺に言及させたことは、このあたりに関係があると思う。
政治的発言というよりは、払われた犠牲に対する敬意として、それはどうしても書かれなければならなかったことなのだろう。

東日本大震災をこの物語に組み込んだことも、この問題意識と繋がっていると思う。
過去の戦争と同じように、震災やそれに続く原子力発電所の事故でさえ、言葉では悼んでいても、政策的に見ればまるでなかったことにしようとしているように感じられる。
それは、まさに犠牲と未来にまつわる現代の問題なのだ。
僕たちはこれに当事者として向き合わなければならない。

当事者として向き合う。
これこそが、フィクションを読むということの本質なのだから。

2017年3月27日月曜日

結局この世界を救うのはジャズってことでいいよね~奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』

奥泉光の新作『ビビビ・ビ・バップ』を読みました。

ビビビ・ビ・バップ
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奥泉 光
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個人的に奥泉作品の最高峰と思う『鳥類学者のファンタジア』の直接の続編ということで、あそこまでの到達度を持つ小説の続編って、いったいどうやって書くんだろう、とあれこれ想像を巡らせていたわけですが、そうきたかと。

鳥類学者のファンタジア (集英社文庫)
奥泉 光
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前回は科学的でないほうのタイムスリップもの(前記事参照)でしたが、今回はディストピア系SFでした。


「直接の」続編と断ったのは、記念すべきクワコー登場第一作の『モーダルな事象』に、『鳥類学者』のメインヒロインであるところのフォギー1号(とあえて言っておきましょう)がちらりと登場しているからであります。

モーダルな事象―桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 (文春文庫)
奥泉 光
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が、この『モーダルな事象』、クワコーが主役かと思わせておいて、じつは単なる狂言回し。物語中で起きる主要な謎には徹底的に無関係です。
フォギーに至っては、ほぼモブの扱いですので、『鳥類学者』『クワコー・シリーズ』ともに無関係と言っていいでしょう。
しかし、『モーダル』にも『鳥類学者』にも、そして今回の『ビビビ・ビ・バップ』にも「宇宙音楽」という通奏低音が響いていて、世界観を共有する作品とはいえると思います。


『ビビビ・ビ・バップ』本編のお話に入る前に、まずは装丁に拍手。
いい仕事です。

さらに内容に触れる前に、地の文の語り口調について触れておく必要があるでしょう。
『鳥類学者のファンタジア』の素晴らしさのかなりの部分を担っているのが、長い一文をユーモラスなタッチで語り切る口調でした。フォギー視点の一人称ゆえなのですが、本作『ビビビ・ビ・バップ』では、猫型アンドロイドのドルフィー、つまりAI視点の一人称になっております。
しかもそのAIには漱石の文体がインストールされているという。
では、漱石文体なのかと言われるとそういう気もしなくて。

ではどうかと言うと、なんとなく、『鳥類学者』のフォギー口調からユーモラスな部分をちょっと引き算した感じ、というんでしょうか。
そんな感じで、そこが少し物足りないと言えなくもない。

さて、いよいよ本編について。
多少ネタバレ気味です。

VR技術が近未来の世界観の背骨になっています。
人間の意識そのものをデータ化してVR世界に降りていくというアイディアは幾多の類似先行作品がありますが、とりあえず『マトリックス』がひとつの雛形を作ったジャンルと言っていいでしょう。
ディストピアの類型ですね。
幻想を見せる技術だからディストピアと相性がいい。

というわけで、本作『ビビビ・ビ・バップ』もディストピアの類型で書かれているわけですが、科学技術が肉体性を凌駕することに、我々は本能的な気味の悪さを感じるようです。
だから、最先端の医療技術にはいつも生命に対する倫理観と背中合わせになる側面がありますが、『ビビビ・ビ・バップ』では、魂をデータ化して死後の生を実現したり、死者の思考を複製してアンドロイドで現実化するような技術が出てきます。

しかし『ビビビ・ビ・バップ』は、こういった科学の成果を人間性の敵とは断罪しない。
だからといって賛美もしない。

あくまでも流れの中で生じたものとして、その時時の、それぞれの人物の、非常に身近で実際的な価値観の中で処理されていきます。
あるものは苦笑いをして、あるものはジョークに紛らわせて、あるものはただ翻弄され、物語は進行していくのです。

そしてこのような態度で現実に対応する感じが、なんとなくビ・バップ以降のジャズに似ているなあ、と思うわけなんです。
ニュー・オーリンズで白人文化と黒人文化のぶつかり合いから生まれたジャズという音楽が、あっという間にダンスの伴奏になってしまい(スウィング)、そんな状況への演奏者たちからのカウンターとして生まれたのがビ・バップ。
だからビ・バップは逞しい。

白人音楽のメロディと、それに呼応する形で発展させられたアドリブが一体となって(コール&レスポンス)ジャズを象り、一度破壊され、アドリブ部分が純化してビ・バップとなった、というのは多少単純に図式化しすぎとしても、だからビ・バップには嘘がない。
本作でのフォギーの役どころそのものではないですか。


クワコー以降の奥泉作品はキャラがいいですね。
屍者の帝国なんぞをアニメ化する予算があるならこっちをやれよ、と言いたい。
メディア展開も楽しそうだし、副産物としてジャズが売れますよ。

なにしろ読む度に聴きたくなるから、ずいぶん懐かしいCDをかけました。
とりあえず、これは用意しておいたほうがいいかも、のドルフィー版A列車で行こうの収録盤です。

Cornell 1964
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Charles Sextet Mingus & Eric Dolphy
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「鳥類学者」には一周廻って滑稽に感じるほどの悲壮感があったのですが、今回はそこが希薄。
おそらくこれは作者の意図でしょう。
「個人」が希薄になった社会の行く末をこの物語は描いている。
僕はそんな気がします。

だからこのカタストロフには、決定的な悪役が存在しない。
技術の進化が必然的に生んでしまったワームホールをうまく避けられない人たちの右往左往があるだけ。
救いはジャズにある。
なんなら落語でもいいし。
そのくらいがちょうどいいんでしょう。

2017年3月7日火曜日

ヴァレリー・カーターが死んだ夜に

2017年3月3日、ヴァレリー・カーターが死んだ。64歳だったそうだ。
ヴァレリー・カーター、誰それ?という人でも、家にクリストファー・クロスの「南から来た男」はあるのではないだろうか。

このアルバムのA3に収録されているSPINNINGという曲でデュエットしているのがヴァレリー・カーターである。


全体にのどかで安定的な楽曲が並ぶこの名盤に、どこか不安定な緊張感を残す彼女の歌がこのアルバムの重要なアクセントになっていると僕は思う。

南から来た男
南から来た男
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クリストファー・クロス
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彼女自身のアルバムで言えば、やはり「愛はすぐそばに」をどうしても思い出す。

ジャケ買いで買ったアルバムの一曲目が素晴らしかったら、とても嬉しい。
ドリカムのセカンドとこのアルバムがその最高の事例だ。
Ooh Childというその曲は何度繰り返し聴いたかわからない。

愛はすぐそばに
愛はすぐそばに
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ヴァレリー・カーター
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そして一曲目が素晴らしいアルバムのその他の曲の印象が薄くなってしまうのは、キャノンボール・アダレイの「サムシン・エルス」とこのアルバムの共通点である。
しかし聴きこんでいくと、後半に(アナログで言うとB面に)少し印象の異なる手触りの曲が二曲入っているのに気付く。
原題の「Just A Stone's Throw Away」が由来する「A Stone's Throw Away」という楽曲とそれに続く「Cowboy Angel」だ。
この二曲はプロデュースと演奏にリトル・フィートのローウェル・ジョージが参加していて、しかも「A Stone's Throw Away」は作曲がバーバラ・キースとある。

この「A Stone's Throw Away」が収録されたアルバムは僕の愛聴盤の一枚で、しかし、まったく気付かなかった。

聴き較べてみれば同じ曲だとわかるが、あまりにも印象が違う。
テネシーから夢を抱いてジョージアに出てきたが、厳しい現実と孤独に直面してしまうその葛藤を、ヴァレリー・カーター盤では、少し神経質に上下するメロディで表現するが、バーバラ・キース盤ではおおらかで力強く、あくまでもまっすぐ伸びていく歌で受け流そうとしているように聴こえる。

バーバラ・キース
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バーバラ・キース
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今夜聴いているヴァレリー・カーターは、なぜだかOoh Child以外の曲が胸に沁みる。

2017年1月30日月曜日

北海道神宮への初詣 Nikomat EL & Zoom-Nikkor 43-86mm

実は昨年末から、尿管結石の発作が出たり、転んで腰を痛めて入院したり、歯を治療しようとしたら抗生物質で妙な副作用が出て具合が悪くなったりして大変だったのですが、そういえば昨年は無精をして神社へのお参りを欠礼したりしていたなあ、などと思いあたったので2017年は、年が明けるとさっそく北海道神宮にお参りに行ったのです。

冬の神社に行くのにカメラを持っていかないはずもなく、写真を撮ってきました。
いつもにNikomat ELに、もう最近はこれしか使ってないというほど愛用しているZoom-Nikkor 43-86mmです。








2017年1月26日木曜日

ジョー・ライト『つぐない』の虚構を支えるリアルは、キーラ・ナイトレイの不自然な笑顔だと思う。

最近、ジョー・ライト監督の撮った映画をまとめて観ている。
どれも巧みな構成と、大胆な映像効果で飽きさせない秀作だったが、特に『つぐない』という作品が気に入った。

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原作はイアン・マキューアンの小説『贖罪』だが、少女の付いた「嘘」が物語の核にある。

贖罪
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嘘なんかが核にあるもんだから、どこまで信じていいかわからないし、案の定後半にデカいどんでん返しが待っている。
こういう物語では、やはりどこか拠り所になるものがないと、感情移入の起点を持てないものだ。
ジョー・ライト監督は、彼の多くの作品に主演しているキーラ・ナイトレイに、その起点を委ねた。

この物語で確かでなければならないのは、何と言ってもセシーリアとロビーの恋だろう。
そしてその恋が確かなものだと観客が感じるのは、セシーリアの表情を見て、ロビーの心が今動いた!と感じられる瞬間があればこそだと思う。
キーラ・ナイトレイという女優は、そういう表情を持っていて、他の映画でもその必殺の表情を多用する。

一言で言ってしまえばそれは「笑顔」なのだが、キーラ・ナイトレイはふたつの笑顔を持っている。
美人顔のまま笑うと本当に綺麗なのだが、口角が綺麗に上がらず、上唇が不自然に上がる感じの笑顔をここぞという時に使うのだ。
その完璧な美貌を一瞬崩してしまうところに逆にハッとさせられてしまう。
それまで本心が見えなかったのに、不意に素顔が覗いたような感じ。
そこがいい。


日本では、桐谷美玲さんが、そういう魅力をもつ女優さんだと思う。
文句なく美しい人だが、わりと変顔もいける。
近作では『ヒロイン失格』がとてもいい。

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ひとつの作品の中でのキャラの幅が広い。
そして本作中で桐谷美玲は、キーラ・ナイトレイそっくりの必殺の笑顔を見せてくれるのだ。

そう言えば、名前もちょっと似てるじゃないか。
キーラ・ナイトレイにキーリタニ・ミレイ

・・・そうです。
これが言いたかっただけなのです。
では、今日はこのへんで失礼致します。

2017年1月24日火曜日

『火星の人』と『アポロ13』と『キャプテン・フューチャー:宇宙囚人船の反乱』と

昨年話題になった『火星の人』の原作本が面白かったので、映画も観てみた。

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映画には強い既視感があった。
これ『アポロ13』だよね。

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似ているところを較べると、『アポロ13』に軍配が上がるのは仕方がない。
あっちは実話だもの。
事故を引き起こす原因に、実話ならではの「可笑しみ」のようなものがある。

1:バッテリーの定格を揃えるために仕様変更された酸素タンクのサーモスタット部分をなぜか変更し忘れる。
2:酸素タンクをモニターする温度計が、なぜか摂氏38度(華氏100度)までしか表示されない仕様になっていた。
3:なぜか酸素タンクを設置する棚が電磁ノイズの原因となり、修理の際にボルトをなぜか一本外し忘れ棚自体が落下、酸素を抜き取るパイプが破損する。
4:なぜか破損に気付かず、訓練のため液体酸素を充填してしまい、抜き取れなくなった酸素を加熱して放出することに。
5:定格の異なるサーモスタットが溶着し、温度計は38度までしか表示しないからヒーターは止めるものがいないまま酸素タンクを摂氏538度まで加熱した。

と、いうような経緯で、宇宙に飛ぶため、再度液体酸素が充填された酸素タンクは、もうそれ自体が爆弾のようなものになっていたのである。

いかにも人間にありそうな、「なぜか」を問えないような小さな見落としの積み重なりがこの重大インシデントを生み出している。
そうそうあるよなー、という感覚が映画『アポロ13』への共感を深めてるんだね。

一方『火星の人』のほうはフィクションだから、原因結果ともにドラマティックに描かれているし、その冒険の純粋な痛快さにおいて比すものはない。
当時よりはるかに一般人の科学的リテラシーも上がっているし、結局最先端の科学も小学校で習った理科の基礎の上に積み上げられているという感じは、実に感動的だ。

そしてこれはもう言われ尽くしていることだけど、何より、諦めないマーク・ワトニー(マット・デイモン)の「明るさ」がいい。
宇宙で一人きりなのに、報告書を書くのにいちいち面白い台詞考えてる。
ちょっとフィリップ・マーロウっぽいよね。
あれも半分強がりだし。

それと『火星の人』を観てて思い出したものがもうひとつある。
我らがキャプテン・フューチャーの『宇宙囚人船の反乱』だ。

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これなんかは、人の住まない星に宇宙船が不時着し、直後噴火に巻き込まれて宇宙船を失うという悲劇から無事生還してきちゃう。
キャプテン・フューチャーの「人類の科学の歴史を繰り返せばいいのさ」という脳天気な掛け声にのっかって、囚人たちの手を借りて石器からはじめて原子炉まで作っちゃうという破天荒さだが、これがまた面白いんだなあ。
危機を乗り越えるための団結が功を奏して、ラストに囚人たちも更生しちゃってるし。

キャプテン・フューチャーって人は、ちょくちょく体一つで宇宙空間に置き去りにされるが、常時身につけている原子力電池を動力に、ありあわせの材料で無線機を作ったりして難を逃れるのだが、それはちょっと運が良すぎるでしょ、という感じは拭えない。
その点、この『宇宙囚人船の反乱』はフェアですよ。
『火星の人』にも、このフェアな感覚がある。
頼りになるのは科学だけ、という環境が共通してるからですね。
その意味で、異論はお有りでしょうが、宇宙遭難もののひとつの源流がこの『宇宙囚人船の反乱』で、そのよくできた末裔が『火星の人』ってことでいいですかね。

2017年1月23日月曜日

中島みゆき 2015-2016Concert「一会」劇場版を観てきたよ

中島みゆきさんのコンサート「一会」の映像を劇場版にしたものを観てきました。



コンサート映像の前に、リハーサルのドキュメンタリーが30分もあって、素顔のみゆきさんの飾らない感じがなんとも可愛らしくて嬉しかった!
舞台は音楽監督の瀬尾一三さんが組み上げていて、みゆきさんはシンガーとして参加しているという感じ。
むしろ衣装や演出のほうに注力しているように見えました。

コンサート本編では、「糸」も「地上の星」も、「悪女」も「時代」もやらない。
そのとき伝えたいことを軸にコンサートを組み立てているんですね。
沢田研二さんもそういうコンサートをやっていると聞いたことがあります。

セトリは事前に見ていったんですが、ほとんど知らない曲でした。
アルバムも4枚ほど持っているんですが、今回はまったく収録曲はありませんでした。
というわけで、けっこう気合を入れて歌を聴いたんですが、そのせいか不覚にも何度も泣かされてしまいましたよ。


3曲めにやった「ピアニシモ」では、おそらくストリートで歌うシンガーが、恋人らしき人に「ピアニシモ」で歌ってくださいと言われ、それでは道行く人たちの耳に届かない、と不満を覚えています。
しかし、ピアニシモで歌ったおかげで、聴いてくれた人の幽かな声が聴こえた、というくだりで、なぜか涙が・・・
きっと声なき声をあげて、恵まれない場所で日々をがんばっている人たちへの優しいまなざしを感じたせいなのでしょう。

10曲目の「ベッドルーム」では、
庇護なき人を選び 踏み石にする技があなたの国にはまさか ないですよね

と歌われてハッとするが、その後に、
あなたがあなたの国の王であるように、他人も他人の国の王であり続けられますように
と歌われる。
権力を批判するのではない。
あくまでも人としてのありようを問うている。
その視線に僕は強さに裏打ちされた優しさを感じるのです。

12曲めの「友情」では、
自由に歩いてゆくのならひとりがいい そのくせ今夜もひとの戸口で眠る 頼れるものはどこにある 頼られるのが嫌いな獣たち 背中にかくした ナイフの意味を問わないことが友情だろうか
という歌詞に、何気なく依存し合う薄い繋がりに、こんなにも時間を費やしている今の生活に、すこし疑問を感じたり。

そうやって心が揺さぶられぐずぐずになったところに、
14曲目の「命の別名」が直撃するという見事な構成。
命に付く名前を「心」と呼ぶ
という一見何気ない歌詞が、発達障害をテーマに作られた曲であるという背景を超えて、過ちを犯しがちな人の心の弱さへの絶対的な赦しとして響くのです。
そして僕の涙腺はここで完全に崩壊してしまいました。

泣かせればいいというものではありませんが、歌の一つ一つに物語や世界が感じられて、知っている歌を一緒に歌って楽しかった、というコンサートとは違うものでした。

2016年11月20日日曜日

有島記念館、冬。Nikomat EL & Zoom-NIKKOR 43-86mm 1:3.5

ニセコにある有島記念館に行くことになった。
冬の羊蹄山を撮るチャンスと、重いフィルムカメラを持って出かけたが、残念ながら天候が悪く、羊蹄山は姿を見せてくれなかった。
それでも有島記念館周辺は、やはり雄大な北海道ならではの雰囲気を持っていて充分感動的。
興奮してシャッターを切ったが、やはり構図を切る力は無く、見たままの迫力は感じられない。
それでも何枚かまともなものを選んでアップしてみます。

有島記念館の入り口の背の高い白樺。


門から入ると本館の塔が見える。


本館に辿り着く前に広い前庭があり、いくつものオブジェが。
いい雰囲気です。夏にも来てみたい。


有島武郎像。
有島はこのニセコの地にあった有島農園の農園主であった。ロシア革命の影響を受け、小作農に地所を開放したが、おそらくその時の様子を再現したものと思われる。
記念館内にその時の用水路の上に立ち演説している写真が展示されていたが、その構図によく似ている。



記念館内のカフェスペース。
せっかく来たしアイスクリームでも思ったが完売だった。



最寄り駅はJRニセコ駅だが、この駅からはバスの便が悪い。
この地域で最も大きな倶知安駅から道南バスに乗って行くのが便利だ。
写真は倶知安駅前のカフェ。
なかなかオシャレ。


駅前の電柱に集まる電線と大きなトランス。


秋の琴似発寒川を撮影してみた。Nikomat EL & Zoom-NIKKOR 43-86mm 1:3.5

フィルムカメラをもらって写真を撮り始めてから、紅葉の季節を待っていた。
すこし早いかなと思いながらも、あんまり天気がいいから10月も終わりそうな日曜日に、家から歩いていける琴似発寒川に出かけてみた。
生活に追われてなかなか現像に出せず、 やっと現像、仕上げができたのでアップします。


家を出てすぐに、ナナカマドが綺麗だったから撮ってみた。
秋の午前中の光が、鮮やかなはずの実を淋しげに見せてくれた。


琴似発寒川に架かる橋の上から望む稜線が霞んでこれも秋の気配。
紅葉はまだ三分というところ。


カメラを川面に向けた。
夏とは違う厳しい表情。


川沿いの散策路から覗く川面。


散策路を進んでいくと、分かれ道があった。
白樺の並木道も北海道らしい日常の風景と思う。


2016年10月31日月曜日

2016 北海道オーディオショウに行ってきた vol.3~「スピーカーの話をしよう」編

今回の北海道オーディオショウで最初に訪れたのはアクシスのブースだった。
はじめてお邪魔した年から一貫してウィルソン・オーディオのスピーカーにエアーのセパレートアンプでデモをしていた。

今回のウィルソンのスピーカーはまだ雑誌にも載っていないという新製品だったので、お願いして写真を撮らせてもらった。
製品名は聞き損なってしまった。


一見するとソフィアのツイータをアレクシア風に角度を付けてセッティングした感じ。
まあ、技術的にどうこうというよりはレコーディング・エンジニアであったデヴィッド・ウィルソン氏の感性が作り出す「真っ当な」音がこのブランドの魅力だと思う。

ソフィアや昨年聴いたサブリナに較べると、高音部に厚みというか落ち着きというか、そういうものが加わって確かに品位が上がっている感じがする。
キャラクタとしては少し重厚寄りで、去年聴いたサブリナの軽快さが好ましいものだったことを逆に思い出してしまった。
それでも今回出展されたスピーカの中で一、二を争ういい音だった。

次に、ステラのブースへ。
実は今回一番楽しみにしていたのが、この会社で扱っているVivid Audioの新作B1-Decadeだ。


昨年はG3 GIYAというスピーカーがあまりにもいい音で鳴っていたので、新作にも期待していたわけだが、結論から言うと期待はずれ。
アインシュタイン社のセパレートアンプでドライブしていたが、どこか詰まっているようなコモッたような音がしていた。


B&Wの800D3に関しては別稿にて詳述している。


NOAのブースではソナス・ファベールの新作、イル・クレモネーゼをブルメスターの大きなパワーアンプでドライブしていたが、これがソナスらしからぬ軽い音。
もうひとつの特徴が音像の大きさだが、こちらはその通りだった。
デモが終わってシステムを見ると、プリアンプがなくてパッシブのボリュームを繋いでいた。
なるほどね。
ブルメスターのプリでも繋いでおけば相当迫力のある音を聴けただろうと思うと少し残念だ。


エソテリックのブースではアバンギャルドのDuo XDという新しいモデルを鳴らしていた。



以前違うモデルを聴いたときは、音像ばかり大きくて、ホーンの風切音も気になって仕方なかったが、かなり練れてきてはいると思う。
ジャズ喫茶なんかでアツい音を聴かせる時なんかに、こういうスピーカーもいいのかもしれない。
見た目のインパクトに似合う雰囲気のある音。
ただこれ絶対部屋に入らないから。

最後に回ったのがエレクトリのブースで、今年もマジコの新作を持ってきてくれた。
今までの金属筐体にカーボンをプラスしてさらに強度を追求した「M3」というスピーカー。

しかし、記憶に残っているのは、マジコ社で最も小さいS1 Mk-2というモデルで、上級機のM3と音の姿がまったく変わらない。その上で寛いだ軽やかさの雰囲気も纏っている。
ナイスサウンド!

徹底的に物量投入して、どんな入力を入れてもビクともしないM3では、パコ・デ・ルシアの無名時代の激しいフラメンコの実況盤がかかったが、これには本当に驚いた。
他の機械でこの音量が出てきたら多少不快になると思うが、このスピーカーではそれがない。
揺るがない。
歪まない。

そのようなスペックに支えられたM3の美点にも関わらず、S1 Mk-2の音に理屈でない好感を感じる。
スピーカーを選ぶというのはそういうことだと思う。

それは伴侶を選ぶことに似ていて、違う音が聴きたいから、という理由で簡単に取り替える気持ちになれない。
それでも恋に落ちれば、いろんなことを犠牲にして替えるかもしれない。
そうか、試聴会ってお見合いパーティーみたいなもんなんだな。

vol.1「B&W 800D3」編
http://girasole-records.blogspot.jp/2016/10/2016-vol1b.html
vol.2「ネットワークプレーヤーへの換え時は来たか」編
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vol.3「スピーカーの話をしよう」編
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2016 北海道オーディオショウに行ってきた vol.2~「ネットワークプレーヤーへの換え時はきたか」編

昨年からリニューアルされた「北海道オーディオショウ」だが、二回目にして大きな転機が来たかなという印象を受けた。

いつも楽しみにしているブースはアクシス、ステラ、エレクトリの三社だが、今回この三つのブースともにCDプレーヤーを持ってこなかった。
ネットワークプレーヤーの先駆者LINNは、デモ冒頭の挨拶で、まずは日本ハムファイターズの日本一に祝意を示し、続いて北海道のオーディオユーザーは保守的で、ネットワークプレーヤーへの切り替えが進んでいないと述べた。

かくいうワタクシもネットワークプレーヤーに対しては、まだちょっと全幅の信頼を置くに至っていない。
むしろCDプレーヤーへの不信感もここにきて高まっているくらいで、この先も信頼感が高まっていく気がしないのである。

そもそもの原因を作ったのが当のLINNで、何年か前に別のホテルでやっていた試聴会の際、デモの途中でプレーヤーがWi-Fiを見失って、音楽が途切れたことがあった。
仕事用の書類を家で作っていて、本番用のちょっといい紙に印刷をしている途中で「通信エラー」のアラートが出て印刷が止まり、紙が台無しになったことがあって、すごく悔しい思いをしたこともある。

そのようなことはコンピュータを使っていれば、多々あって、しかも原因はたいていわからないまま復帰して再現性もないことが多いという、そのようなコンピュータの振る舞いについての根強い不信感がその背景にはある。
年々、ボク個人のオーディオ的関心がアナログに募っていく所以である。


しかし、多くの出展者がネットワークプレーヤーやPCからの音源をDACで再生してくれるから、いろいろとディジタル音源との付き合い方というか、作法のようなものについての考察が得られるのは有り難いことだ。

さて、今年のオーディオショウ全体を見れば、残念ながら本家LINNの音が一番ショボかった。

LINNは10年前に「Klimax DS」というネットワークプレーヤーの草分けを発表し、オーディオ界に革命を起こした。その後すぐにデジタルディスクプレーヤーの生産自体を止めてしまい、その本気度に感心したものだった。
その革命的ネットワークプレーヤー「DS」のフルリニューアル機「Klimax DS/3」というのが今回のデモの目玉だった。

旧モデルとの比較ではたしかに新開発のDACが効いていて音の鮮度がぐっと上がる感じが聴き取れたが、いかんせん音楽の熱さが伝わってこないのである。
冷え切った音。
四年前に聴いたLINNのアキュバリックというパワーアンプ内蔵スピーカーの音に痺れきった僕は、これをいつか必ず買うんだと決めていたが、今回のスピーカもそのパッシブ版で、パワーアンプもLINN純正。
その原因がさっぱりわからなかった。

デモの最後にセッティングの説明があり、ラックにはネットワークプレーヤー内臓のプリアンプが置いてあったのだが、DSにはデジタルボリュームがついていて、直接リモコンから音量コントロールができるため、今回は接続していないとのことだった。
であれば、それが原因に違いない。

一昨年、dCsというブランドの1000万円もする四筐体のSACDプレーヤーの音を聴いた。
これもデジタルボリュームがついていて、プリアンプ無しで直接パワーアンプに接続していたが、今日のLINNと同じような醒めきった音だったのだ。

対して、アクシスはエアー社の定評あるリファレンス・プリアンプを、エレクトリはマッキントッシュの真空管プリアンプを使ってデジタルファイルを再生していた。
どちらもとてもいい音で、今回のオーディオショウで甲乙つけがたいアツい音を聴かせてくれたブースとなった。
プリアンプ、大事なんだな。

僕自身の話をすれば、二十数年も前から自作曲を作っては自宅で録音するというのが趣味だ。
カセットテープに録音していた頃は、今とは比較にならないほどのナローレンジだったが、テープという狭いキャパシティに入り切らない熱量がもたらす「歪」が音楽をイキイキとしたものにしてくれていたように感じる。
デジタルで録音するようになると、キモチワルイほどそのままの状態で録音されるが、PAを通して聴くステージ音楽や、観客や演奏者の生体が出す盛大な暗騒音の中で聴くクラシックコンサートの音ともそれは違う。
演奏した音がそのまま出てくればいいというものではないのである。

アンプで増幅するときの「歪」が、
通ったケーブルでついた「匂い」が、
スピーカーのユニットが振動する時の「癖」が、
演奏者の想いと相乗して聴いている僕たちの心を震わせているのではないだろうか。

1982年にCDが出てきた時、これからは機器によっての音の差は無くなります、と技術サイドではアナウンスしていたらしいが、当然ながらそんなバカなことはなかった。
30年以上経った今、やっといい音のCDが出てきたなと思えるくらいなのである。
本格的なデジタルファイル移行の時代を迎えて、また同じような過ちをおかそうとしているのかもしれないと思う。

かくいう自分も、ノイズがなく、疵が即音飛びにつながらないといったCDの扱いやすさに飛びついて、それまでのレコードコレクションを手放しはしなかったものの、入手しないままになっている名盤がたくさんあって、今それを非常に後悔している。
個人的にはだからこそのアナログ回帰なのであって、デジタルファイルの新しい作法を覚えている暇は、今しばらくは無いのである。

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 還暦を過ぎ、いつの間にか貪欲に新しい音楽を探すことはなくなった。 それでも、日々を生きていれば音楽に頼りたくなることはあるものだ。そんなとき聴きたくなるのは、アーティストたちの人生が垣間見える<アンソロジー>で、いくつか愛聴盤がある。 誰かの心無い言葉や、諍いに心に澱が募るよう...