2017年1月23日月曜日

中島みゆき 2015-2016Concert「一会」劇場版を観てきたよ

中島みゆきさんのコンサート「一会」の映像を劇場版にしたものを観てきました。



コンサート映像の前に、リハーサルのドキュメンタリーが30分もあって、素顔のみゆきさんの飾らない感じがなんとも可愛らしくて嬉しかった!
舞台は音楽監督の瀬尾一三さんが組み上げていて、みゆきさんはシンガーとして参加しているという感じ。
むしろ衣装や演出のほうに注力しているように見えました。

コンサート本編では、「糸」も「地上の星」も、「悪女」も「時代」もやらない。
そのとき伝えたいことを軸にコンサートを組み立てているんですね。
沢田研二さんもそういうコンサートをやっていると聞いたことがあります。

セトリは事前に見ていったんですが、ほとんど知らない曲でした。
アルバムも4枚ほど持っているんですが、今回はまったく収録曲はありませんでした。
というわけで、けっこう気合を入れて歌を聴いたんですが、そのせいか不覚にも何度も泣かされてしまいましたよ。


3曲めにやった「ピアニシモ」では、おそらくストリートで歌うシンガーが、恋人らしき人に「ピアニシモ」で歌ってくださいと言われ、それでは道行く人たちの耳に届かない、と不満を覚えています。
しかし、ピアニシモで歌ったおかげで、聴いてくれた人の幽かな声が聴こえた、というくだりで、なぜか涙が・・・
きっと声なき声をあげて、恵まれない場所で日々をがんばっている人たちへの優しいまなざしを感じたせいなのでしょう。

10曲目の「ベッドルーム」では、
庇護なき人を選び 踏み石にする技があなたの国にはまさか ないですよね

と歌われてハッとするが、その後に、
あなたがあなたの国の王であるように、他人も他人の国の王であり続けられますように
と歌われる。
権力を批判するのではない。
あくまでも人としてのありようを問うている。
その視線に僕は強さに裏打ちされた優しさを感じるのです。

12曲めの「友情」では、
自由に歩いてゆくのならひとりがいい そのくせ今夜もひとの戸口で眠る 頼れるものはどこにある 頼られるのが嫌いな獣たち 背中にかくした ナイフの意味を問わないことが友情だろうか
という歌詞に、何気なく依存し合う薄い繋がりに、こんなにも時間を費やしている今の生活に、すこし疑問を感じたり。

そうやって心が揺さぶられぐずぐずになったところに、
14曲目の「命の別名」が直撃するという見事な構成。
命に付く名前を「心」と呼ぶ
という一見何気ない歌詞が、発達障害をテーマに作られた曲であるという背景を超えて、過ちを犯しがちな人の心の弱さへの絶対的な赦しとして響くのです。
そして僕の涙腺はここで完全に崩壊してしまいました。

泣かせればいいというものではありませんが、歌の一つ一つに物語や世界が感じられて、知っている歌を一緒に歌って楽しかった、というコンサートとは違うものでした。

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