2015年6月28日日曜日

映画「ハンナ・アーレント」〜我々の日常に棲む悪の凡庸

映画「ハンナ・アーレント」をやっと観た。

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観終わって胸を刺すのは、現代社会に生きる我々は、程度の差はあっても皆が凡庸なアイヒマンなのではないかという疑問だ。

会社に所属して仕事をしたことのある人間ならば誰でも、「それが仕事だから」というだけで、特に良心に問いかけたりせずに上司からの命令に従って日々を送った経験があるはずだ。

殺人犯が書かれた本は、それを禁じる法律が無いという理由で出版され、ベストセラーになるし、 キッチンでは、表示された消費期限が来ていなければ、食べられるものと判断するだろう。

科学は進歩し、社会は高度化したが、かえって我々の思考は停止している時間の方が長くなったのではないか。
世の中にはとうてい見きれない程のチャンネル数を備えたテレビシステムがあり、インターネットには日々膨大なコンテンツが流通している。
ネットに集積した口コミを眺めていれは、明日何を食べようか考える必要はない。自分に相応しくない店に足を踏み入れてお店に冷たくあしらわれたら、ネガティブな書き込みをして復讐だってできる。
何か答えが知りたければGoogle先生が、Wikipedia先生が、そして池上彰先生までもが、ハイデガー先生のかわりに教えてくれる。考える必要はない。信じればいい。

ハンナ・アーレントが、アイヒマン裁判を通して警告した現代の新しい悪である「凡庸さ」は、それが人間の深い部分に根ざした心性の悪でないゆえに、簡単に蝕み、簡単に拡散していく。
このことは広く理解されないまま、事実現代の病理として今我々の日常の中に静かに存在しているのではないか。
だとしたら今度人類が起こす悲劇は、アイヒマンを絞首刑にして終わるようなものではないのかもしれない。

映画のラスト8分のスピーチにあった「考える事で人間は強くなる」という言葉を信じたい。John LennonがImagineで歌ったのもきっとこのことだったんだと今は思う。

2015年6月5日金曜日

ジェシの音楽は雨のように優しい

北海道には梅雨がないというが、やはりこの時期には雨が多い。
長い間のマンション住まいから、一軒家に住まってみて気づくのは、今までは雨音が聴こえないところで暮らしていたんだな、ということ。
雨の朝、屋根を叩く雨音を聴きながらレコードを選ぶと自然にこれになることが多い。



ジェシ・ウィンチェスターの「雨のように優しく」(現行盤はタイトルが原題になっています)

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ジェシは、徴兵を拒否しアメリカからカナダへ逃れた人である。
きっと優しさゆえの強さを持った男なんだろう。

このアルバムは、カーター大統領の特赦によって10年ぶりにアメリカに帰れるようになってナッシュビル録音によって制作されたものだそうだ。
そのせいかロビー・ロバートソンプロデュースの有名盤「ジェシ・ウィンチェスター」に横たわっていた悲痛さは影を潜め、柔らかな優しさと落ち着きに包まれている。

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ジェシの近年のアルバムもこの柔らかな優しさが基調になっているように感じる。
たとえばこれ。

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2009年のこのアルバム収録の曲「Sham-A-Ling-Dond-Ding」の動画だが、この歌声にホストの役割も忘れ釘付けになっているコステロの表情がジェシの重ねてきた音楽との日々を物語っているように感じる。


残念ながら2014年4月に他界してしまったが、この柔らかな歌声は永遠にこの世界に響き続けると思う。

2015年6月4日木曜日

音楽は時間の芸術なのだから

レコードで持っている音楽を一生懸命CDで買い直していた時期があった。
就職で東京に出た1989年くらいが、アナログでは新譜が出なくなり始めた時期で、引っ越した先でオーディオ機器を新調したとき、レコードプレーヤーは買わなかったから。



自分の家を建てた時、実家に預けっぱなしだったレコードを回収したから、アナログレコードの再生環境も整えた。
結果的に部屋には、同じ音源のレコードとCDが揃ってしまった。

で、両方ある盤はアナログをかけることが圧倒的に多い。
音の鮮度が高く感じられるからだが、有名盤は近年上手にリマスターされているものもあって、そういうリマスターCDを買い直したものなんかはCDで聴いている。


会社員だった頃はだいたい営業で一日中外にいるから、買ったCDはiPodに入れてイヤホンで聴いていた。外出しなくなった今iPodは用済みになってしまったが、PCに取り込んだデータは残っている。時々、カラオケの練習にAmazonでMP3を買うこともある。
常時起動しているPCで手元で音源を扱うのにデジタルファイルは便利だ。
ちまたではハイレゾハイレゾと喧しいが、そのような高音質音源ならPCのスピーカーやヘッドフォンで聴いてもしかたがない。しかしメインシステムに組み込むためにはDACか、ストリームプレーヤーを導入する必要がある。

レコードにCDにデジタルファイル。
音楽を聴くために三種類の再生環境を用意するというのは、いささかシンプルさに欠け、自分のスタイルでないと思うのでハイレゾに踏み込むのは自粛している。

とはいえ今どきは、試聴会などにでかければデジタルファイルの再生音に触れる機会も多い。昨年はマランツの新しいネットワークプレーヤーの音を聴いたが正直感心しなかった。
先駆者であるLinnのDSは素晴らしい音を出していた。
20万円のマランツと140万円のLinnを較べても仕方がないような気もするが、これはまだデジタルファイルでまともな音を出そうとするととんでもないカネがかかるということを意味しているのだろうか。
それともLinnというメーカーそのものに力があるということか。
そのLinnにしても、演奏途中でプレーヤーがネットワークを見失って失音してしまうアクシデントがあった。
このコンピュータ・システムやインターネットの業界は、こういう不安定さを解消しないまま性能だけ高度化させていく傾向があり、どうも信頼がおけない。
ひかり電話なんぞに通信インフラを預ける気になれず、いまだにアナログ回線を保持しているのはそういうわけだ。
業者さんとの大切な日々の連絡は今でもファックスを使っている。

例えば、CDで新譜が出なくなるような事態になってもちっともかまわない。
LPレコードもそういいながら今でも入手できている。
だいたい所有するのが目的ではない。
音楽は時間の芸術で、演奏するのと同じだけの時間が鑑賞するのにかかるのだから、自ずと聴くことのできる限界が決っているし、「聴いてみた」だけでわからないのが音楽というものだ。
自分の経験につれて音楽の聴こえ方は変わっていく。
そういう意味でもやはり音楽は時間の芸術なのだ。
今世の中に流通している音源を賞味し尽くせるほど僕の時間も残っていないだろう。
縁あって入手できた音楽たちと大切に付き合っていきたいと思う。

2015年5月19日火曜日

科学と野心の狭間で~キャプテン・フューチャー第七巻「透明惑星危機一髪!」

キャプテン・フューチャー第七巻は「透明惑星危機一髪!」
宿敵ウル・クォルンが、ヌララとともに刑務所を脱獄してきます。
今までカーティスが捕まえてきたおなじみの悪役さんたちも一緒に引き連れての脱獄劇は、今なら劇場版の企画にぴったりな総集編的シナリオになっています。

ハミルトンのスペースオペラにはよく荒唐無稽という形容詞がつきますが、カーティスの活躍の裏で、科学の魅力に取り憑かれ、どうしようもなく悲劇的な運命をたどってしまう科学者の物語も描かれているのです。

異次元の世界にあるという秘宝を求めて、次元の壁を超える宇宙船を開発し、そこで出会った悲運の星の人たちに心を寄せ、そこで暮らす老科学者。
そして、科学の力で太陽系の支配者たらんとするウル・クォルン。
どちらも科学に魅せられ、野心に駆られ、そして悲劇的な末路に誘い込まれていきます。

それまでできなかったことを可能にする科学の力は、隣人を幸せにもするが、力の非対称の魅力にはやはり抗いがたいものがある。
僕らはどのような知見を以って科学と共存していくべきなのか。
おそらく答えの出ないこの問いを、ハミルトンは大衆SFを書くことで発信しつづけていたのでしょう。

ラストで自ら死を選んだウル・クォルンですが、マンリー・ウェイド・ウェルマンが書いた最終巻「小惑星要塞を粉砕せよ!」と翻訳者野田昌宏さんの書かれた「風前の灯!冥王星ドーム都市」でも登場します。
やはりクォルンとヌララのカップルはシリーズ随一の人気悪役キャラなのですね。

ところで本作でもジョオン・ランドールのツンデレ指数はまた少し上がってきています。
野田総帥の名訳は文化遺産として残すべきとしても、近年のライトノベル作家による正調ツンデレによるジョオンも見てみたいものです。新訳か、新解釈のアニメ化などの企画はないものでしょうか。
いいと思うんだけどなあ。

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2015年4月30日木曜日

音楽の枠を超えて「表現されてしまう個」を聴き取りたいのだ~「ライブ・アット・セラードア」ニール・ヤング

ニール・ヤングの名前を知ったのは、あのエアチェック・ブームの時代、マルディロというイタリアのイラストレーターの表紙が素敵だったFMレコパルに掲載された漫画でのことだった。

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングという長い名前のグループ名も苦もなく覚えられた少年時代の柔らかい心には、どこのグループに入ってもその強い個性で音楽的な「和」を乱すニール・ヤングというアーティストは、いったいどんな音楽を作る人なんだろう、さぞや激しい音楽なんだろうなと想像されたが、80年代への変わり目のその頃、ニール・ヤングにヒット曲は無く、釧路に一局しかないFM局から流れてきた「Tell Me Why」は、なんとも優しくて儚げな歌だった。

大学に進学して札幌で一人暮らしを始めた頃、大好きでよく読んでいた「LIVE! オデッセイ」というロック漫画で主人公のバンドが長い放浪を経て再結成をする時「あれをやろう。永遠の名曲だ」というボーカリストの一言でみなが頷いて演奏を始めた曲がニール・ヤングの「Like a Harricane」だった。
その漫画での表現は、かつて聴いた「Tell Me Why」とはまったく異なる音楽のそれで、髪を振り乱し汗を飛び散らせながら歌われていたこの「Like a Hurricane」という曲こそが、僕が昔イメージしていたニール・ヤングの音楽なのかもしれないと思うと、もう聴いてみたくて、いてもたってもいられなかったが、その頃バイトしていた貸しレコード店にはその曲の入ったレコードは置いていなかった。
インターネットすらないその時代、僕らはわりに諦めと物分かりのよい消費マナーを身につけていたようだ。それ以上手を尽くすことなくニール・ヤングについてはそのままにしておいた。

会社に入って東京に出て、渋谷のタワーレコードでニール・ヤングの二枚組のライブ盤を買った。クレイジー・ホースと演奏している「Like a Hurricane」は、やはりイメージとは違って音こそ歪んでラウドなトーンだったが、メロデイはあくまで美しく、声はやはり優しかった。

Tell Me WhyとLike a Hurricaneというまったく異なる手触りの音楽を、どうしようもなく唯一無二の存在感で演奏してしまうことが、ニール・ヤングというアーティストの本質なんだと気がついた。
そしてそれは、音楽という肉体性を伴う芸術のコアだ。
レコーデッド・メディアに封じ込めるべきものが何なのか、ニール・ヤングにはきっとわかっているのだと思う。

2006年に会社を辞めた時、毎日オーディオ店を廻っていた。
どこに行っても「で、ジャズを聴くんですか、クラシックを聴くんですか」と訊かれることに辟易していた。
最初は「いえ、音楽を」と皮肉を込めて答えていたが、そんなニュアンスはもとからまったく通じない人たちなんだとわかったので、「ニール・ヤングを」と答えると、今度はまじめに取り合ってくれなくなった。

ジャンルとか年代とか、そういうものを超えて「表現されてしまう個」のようなものを感じ取れるオーディオを、だから僕は独力で探し当てようとしていた。
そしてそういう時、もっとも優れた被写体はやはりニール・ヤングだった。

近年、発表されているニール・ヤングのライブ・アーカイブはその意味で実に興味深い。
今朝はそのアーカイブの中の一作、「ライブ・アット・セラードア」を聴く。

全編弾き語りのこのライブで歌われる、どちらかと言うとライク・ア・ハリケーン系の楽曲である「シナモン・ガール」が好きだ。
バンド・サウンドで装飾されない剥き出しの歌の裏側に、ニール・ヤングのロックサイドがより明確に浮かんでくる。



シンプルなレーベルがとてもカッコいい。レコードを現役のメディアと捉えているニール・ヤングらしいデザインだと思う。


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2015年4月24日金曜日

条文万能主義という思考停止、あるいはヒーローを希求するということ〜キャプテン・フューチャー第六巻「謎の宇宙船強奪団」

NHKのデレビアニメ版ではスペシャル扱いだった本編は、実に映像的な作品だ。
手に汗握る展開の宇宙レースやストップモーションの世界を泳ぐように繰り広げられる逮捕劇など、頭のなかにはっきりした映像が浮かぶ。
またアニメ版ですっかり有名になった「おいらは淋しいスペースマン」という名挿入歌もこの物語でグラッグが歌うものだ。


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さて、前作「太陽系七つの秘宝」で、非常に魅力的な敵性女性キャラクターであるヌララが登場したことを受けてか、本作ではジョオン・ランドールの積極性が格段に前面化しており、すぐ敵に拉致され救出される守られるヒロインとしての立場から、熱心な追っかけにジョブチェンジしている。相変わらず事件解決への貢献度は低いものの存在感は増している。

物語は、水星の新造宇宙船のテスト場から飛行テスト中の宇宙船が忽然と姿を消す事件が多発するところから始まる。
今までの作品が「宇宙の危機」を扱っていることを考えると、私企業の倒産の危機を救う本編のスケールは小さい。しかし現代の我が国の改悪され続けていく税制や労働関連法規が大企業の経営者の意思の反映であることを考えれば実にリアルだ。

リアルといえば、宇宙船建造会社の経営者が作ったカジノ小惑星にはいろいろ考えさせられる。太陽の周りを回るすべての天体に適用されると規定された太陽系憲章を出し抜くために、強力なジェット噴射で公転を止めた小惑星を作ればいいというロジックはバカバカしくも見えるが、実際法の抜け穴を突くというのは万事こういうバカバカしさを内在しているものだ。

条文万能主義はある種の思考停止だが、権力の魅力に腐敗しがちな人の王のかわりに法という名の人造の王を戴いた近代社会の限界がここにある。

これを超法規的に乗り越えていくキャプテン・フューチャーのような存在を物語に求める気持ちの源泉も、人間の社会が硬直化していく中でいや増していく、正直に生きていることで損をしているような気分の中にあるのではないか。


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2015年4月18日土曜日

SFのリアリティを損なうものと、翻訳文体の問題~「レッド・ライジング」

新人作家ながら草稿で映画化までの契約を勝ち取ったというピアース・ブラウンの「レッド・ライジング」はそのエピソードに違わぬ魅力を持った作品だった。

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これほど物語世界に没入できた小説に出会ったのは、おそらく「ミレニアム」以来だと思う。

ラスト100ページくらい、文字通りの「息もつかせぬ」展開で本当にちょっと酸欠気味になった。
最終ページまでまったくスピードが緩まないので、読了後に大きく深呼吸したくらい。

戦闘のスペクタクルと心の葛藤を同じスピードで書けるこの作家が新人だとはにわかには信じられない。
しかし完璧というわけでもない。
「歴史上の人物の発言を引用すると必ずリアリティが損なわれる」ので、そこをどう処理するかというSF特有の流儀に無頓着なところがあったりもする。
SFはこの現実世界の延長を描いたものであっても、かならずそれ以降の大きな社会変化を前提として持っている文学形態である。
言語は社会に強い影響を受け、大きく変化するものだ。
その変化に晒された者たちが、僕らの知っている昔話を同じ意味合いで使うという事態には強い違和感を感じる。
その感覚を持つSF作家は実にたくみに神話や故事を引用するのである。
たとえばダン・シモンズのように。

そういえば、士官養成学校で寮同士の争いが描かれるので、エンダーのゲームとかハリー・ポッターの類似性が指摘されているが、このレッド・ライジングという小説のストーリーテリングのイメージは圧倒的にダン・シモンズの「イリアム」「オリュンポス」に近い。

骨太なのである。
それだけに、翻訳がなぜか現在形主体の特殊な文体を採用しているのが気になる。
村上春樹がアフターダークと多崎つくるで使ったあれだ。

この文体が生む「帰属感の希薄さ」や「浮遊感」は本当にこの物語に必要だったか。
語尾のバリエーションが極端に制限されるデメリットばかりが目についた。

2015年4月11日土曜日

この作品が「ルパン三世」というズバリのタイトルでいいのだろうか

実写版「ルパン三世」を観ました。
しかしこのタイトルは何なんだろう。
映像作品だけでもオリジナル3シリーズにたくさんの劇場版、TVスペシャル、優れたスピンオフが複数あるのに、ズバリ「ルパン三世」とは。
これが決定版であるとでも言うつもりか。

小栗旬のルパン三世については、特に申し上げることはない。
メインキャストの中では玉山鉄二の次元大介が一番カッコよかったかな。
綾野剛は、いつも通りで、まあ何を演じても何かを演じている綾野剛のままだった。

黒木メイサの峰不二子は、予想以上に健闘したと言っていいと思う。
だいたい、森雪と峰不二子というキャラクターは、現実に置き換えないからこそ成立するアイコンとして設計されている。
そういう役に抜擢されているという事実が彼女の女優としての評価なのだろう。

映画全体を通じて古臭いイメージを感じるのは、たとえば兵士が爆弾にふっとばされているシーンでの体の動きがありのまますぎる、というような不作為のせいだ。
マンガやアニメに見られるようなデフォルメされた動きを作りこむことで、ホンモノでないからこそ感じられるリアルが標準になった今、どうしてもこの映画の動きはやっつけ仕事に見えてしまう。
CGで何でも出来てしまう今、リアルの定義は明らかに変わりつつあるのだ。


不幸な条件もあった。
「峰不二子という女」という先行スピンオフがあまりにも良く出来ていたため、峰不二子の過去を改変する、というこの映画の(唯一の)シナリオ上のフックが無効になっている。
またこの「峰不二子という女」という作品、ジャズがホンモノだった。
菊地成孔が作り出した、ルパンのジャズ。

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それにひきかえ、小栗版ルパンのジャズが中途半端なことといったら!
それっぽいシーンに挿入されただけでは、いくらフレーズがジャズっぽくても、それはジャズっぽい音楽であるというだけだ。
全体を通底するテーマが流れていなければ。
その意味では布袋寅泰のテーマ曲も有効に機能していなかった。

この映画をプロデュースした人間からは、ルパン三世という長い歴史を持つ作品に対する敬意のようなものも感じられないが、もっと基本的なところで作品作りというものを甘く考えているのではないか、という気がしてならない。


よかったところもある。
映画でメイサ不二子の乗ってるバイクがハーレーじゃなくてYAMAHAのVMAXだったことと、ルパンのフィアットが古いチンクエチェントじゃなくて、新しいチンクだったこと。


ちょうどいいんだよ、そのくらいが。
カタチだけ真似ても仕方ないんだ。

あと、最後に銭形が追っかけるシーンで古い国産車が使われてるんだけど、その中に初代のチェイサーがあって、それもよかった。


だってベタでしょう。チェイサーで追っかけるなんてさ。
そのくらい自虐的にふざけてくれないと、ちょっとやりきれないよ。この映画。

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2015年4月9日木曜日

フォーシーズンズの光と影~「ジャージー・ボーイズ」クリント・イーストウッド

フォーシーズンズの名前を初めて知ったのは小学校4年生の時だった。

当時学校ではベイ・シティ・ローラーズが流行っていた。
クラスメイトのお姉さんが持っていた3枚のアルバムを録音してもらって、自分のラジカセで何度も聴いて歌っていた。そのうち自分でもあの大きなジャケットに収納された丸いレコード盤が欲しくなって母におねだりした。
とはいえ、当時我が家の音響機器はナショナルのラジカセだけで、レコードプレーヤーはなかったのだ。

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父はあまり音楽に興味がない人だったが、翌日東芝のモジュラーステレオを買ってきてくれた。肝心のレコードは、母と一緒に当時釧路で一番大きな百貨店だった丸三鶴屋のレコード売り場に買いに行った。
そこで買ってもらった「ニュー・ベスト」というベスト盤の最終曲として収録されたバイ・バイ・ベイビーのオリジナルがフォーシーズンズだったのだ。

その後、例の「君の瞳に恋してる」を何度もラジオで聴いて、フランキー・ヴァリの名前も聞き知ってはいたが、その人がフォーシーズンズのリード・ヴォーカルだとはずいぶん後になってから知った。

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そのフォーシーズンズの伝記的ミュージカルをあのクリント・イーストウッドが映画化すると聞いては黙ってはいられない、と言うわりには結局劇場には行かずDVDでの鑑賞となった。

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しかしまあ、クリストファー・ウォーケンが出てくるだけで、画面の中の人間関係に奥行きが出てくるのはどういう仕掛けなんだろう。映画によってさして演技を変えているようには見えない。
彼自身の人柄のなせる技なのでしょう。いつもどんな役をやっても彼自身はクリストファー・ウォーケンにしか見えないのだから。
「ディア・ハンター」以外では、「ヘアスプレー」や「25年目の弦楽四重奏」といずれも音楽系の映画でお逢いすることになったので、何か音楽とのご縁があるのかなと思って調べたらもともとミュージカル俳優だったのですね。

BCRがカバーしたバイ・バイ・ベイビーと君の瞳に恋してるしか知らなかったが、ボブ・ゴーディオという才能あふれる作曲家の音楽をこれまで聞き逃していたことが残念になるくらい、映画は素晴らしかった。
ある意味優等生(ベビーフェイス)的な音楽だが、映画で描かれた彼らの人生は順風満帆とは対極の壮絶さだった。
マフィアとの繋がり。多額の借金。不法侵入。窃盗。逮捕、収監。
クリント・イーストウッド作品に共通して流れる、善悪の二分法を拒絶する雰囲気が彼らの音楽そのものにもあるのだ。

許されざる者、グラン・トリノ、ミスティック・リヴァー、トゥルー・クライム。
善悪という相対の中に揺れる自我と、それを錨のように繋ぎ止める「家」という存在が、イーストウッドの映画にはいつも描かれている。
その意味で、このジャージー・ボーイズという作品を、これほど「正しく」映画化できる監督も、クリント・イーストウッドしかいなかっただろうと思うのだ。


2015年4月8日水曜日

もうひとつのゴースト・オブ・トム・ジョード~「インターステラ-」クリストファー・ノーラン

クリストファー・ノーラン監督の最新作「インターステラー」が早くもDVDになったので早速レンタルしてきた。
逸る心でプレーヤーにディスクをセットすると冒頭の砂まみれのシーンから、「怒りの葡萄」の印象的な導入部が想起された。

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怒りの葡萄は、文豪スタインベックの代表作。
1931年から1939年に実際に起きた「ダストボウル」と呼ぼれるグレートプレーンズを断続的に襲った砂嵐を題材に採っている。
ダストボウルは、作物以外の草木を根こそぎ刈り取ってしまう効率重視の大規模農法が、剥き出しになった肥沃な土壌を乾燥した砂に変え、それが風に乗って砂嵐になる現象だ。
オクラホマ州の多くの農民は、その苛烈な砂嵐に作物をやられ、土地を捨てざるを得ず、果樹園での働き手を探していたカリフォルニア西部に移民していった。
怒りの葡萄は、エジプト王の圧政に耐えかねて約束の地カナンへ旅立つ旧約聖書の「出エジプト記」にその構造を借りている。
クリストファー・ノーランも、インターステラ-を「出“地球”記」として描いたのかもしれない。


約束の地カナンを探す宇宙への旅。
この旅の途中で人類は次元認識の異なる異種族とのファーストコンタクトを果たすが、これはまるでカール・セーガンの原作をジョディ・フォスター主演で映画化した「コンタクト」のようだ。

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そういえば、「コンタクト」にもマシュー・マコノヒー出てますね。


ワームホールや、異次元の認識に「時間」を使うなど道具立てがよく似ているからそう感じるのだが、映像の表現力はやはりクリストファー・ノーランに軍配が上がる。
 「インセプション」の夢の世界も素晴らしかったが、今度の宇宙も凄いよ。
特に「時間」という我々の目に見えないモノを可視化した映像技法には本当に感心した。
もし時間を視る目があるとしたらきっとあんな感じなんだろうと思わせる。


「出エジプト記」や「怒りの葡萄」のような、権力に虐げられる民衆とその中から立ち上がる導き手の物語は、西欧圏のコミュニティに深く根付いている。
ブルース・スプリングスティーンは、1995年のアルバム「ゴースト・オブ・トム・ジョード」で、アメリカは未だ怒りの葡萄の問題を解決してはいない、と語りかけている。
怒りの葡萄の問題意識は、今やグローバルに拡大された。
経済圏を拡大すれば国家の問題も世界の問題となる。

インターステラ-で描かれる未来世界も、疫病で主要な農作物が次々と地球規模で全滅し、食糧戦争で疲弊しきっている。
もはや最後に残されたトウモロコシの絶滅を目の前にして、人類の命運も風前の灯火となった。
しかし、教師までが「アポロ計画」はソ連を破産させるためのプロパガンダ。宇宙計画は二十世紀という贅沢と浪費の徒花で、だから科学教育などは無駄だと言い、未来を切り拓く力をもった子どもたちは生まれようがない社会になってしまっていた。

今を生きる我々に、それをまるっきりの絵空事と笑うことは出来まい。
爆発的に増え続ける人口は現実の問題だ。
それを養うために、遺伝子を操作して人間に都合よく作り替えられた動物や植物たち。
温暖化をいいながら、二酸化炭素の排出量をカネで取引する国際社会。
役に立つか立たないかを基準に、子供の教育を考える人たち。
何が起きてもおかしくない。
その時、導き手は現れるのだろうか。

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2015年4月6日月曜日

【映画考察】少女ヒーローの系譜を継ぐもの~実写映画版「Another」

筋金入りの少女ヒーローヲタク早見慎司氏が語り尽くす「つみきみほ」


福田沙紀主演のテレビドラマ「メイド刑事」は、スケバン刑事の流れを正統的に引き継いで、00年代を代表する少女ヒーローものの傑作と思うが、それもそのはず。原作者の早見慎司氏は筋金入りの少女ヒーローヲタクなのである。


そんな筆者が新刊「少女ヒーロー読本」で本領を発揮している。

角川映画が作った若年向け邦画マーケットの中から生まれた傑作「セーラー服と機関銃」を嚆矢に、不良少女とよばれて、ポニーテールはふり向かない、スケバン刑事と続いていく「少女が戦う」ことの商品価値を語り抜く。

少女ヒーロー読本
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現在入手できないマニアックな番組も含め、詳細に語りおろしていくが、なぜかこの「少女が戦う」ドラマにはバカバカしい演出が頻発し、そのバカバカしさを大真面目にひとつひとつバカバカしいと断罪していく筆致が実に痛快な傑作評論だ。

その最終章をまるまる使って「つみきみほ」という女優について語られている。
懐かしい名前だが、実は近年も実写映画版の「Another」に出演していると聞き、原作も読み、アニメ版も清原紘版のコミックも、オリジナルアニメ付きの予約限定版コミックも入手したというのに、実写版だけは観ていなかったことを思い出して、借りてきた。

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実写映画版「Another」の諸々の問題


実際に観るまでは見崎鳴を演じる橋本愛がミスキャストではないか、と懸念していたが実にVery Goodで、ミステリアスな造形から、後半素顔を見せていくところがあるのだが、この性格描写は実写版が一番よく描けているかもしれない。

物語の成立にも関わる「赤沢さん」問題

問題は「赤沢さん」だ。
Anotherという物語は、見崎鳴と赤沢泉美の対立軸が背骨になっている。
重要な役なのである。
漫画版でもアニメ版でも入念なキャラクターデザインが施されている。



なのに実写版ではクライマックスの合宿シーンまで、ほとんど赤沢さんの出番はないのだ。




これはマズイ。
俳優さんに責任はない。

物語の冒頭から「現象」の対策に責任を持つ立場としての赤沢泉美を描いていないから対立構造が生まれないのだ。
食堂でのイザコザなんかでそれを表現しようとしているからいかにも軽い。


この対立がないと、「死」と距離を置きたい見崎鳴が、その気持ちを押し切ってどうしてもこの「現象」の解決を自分の手で、という決意が生まれてこない。

案の定「もう誰も死んでほしくないの」などという実に彼女らしくない台詞で動機を説明することになってしまっている。

緻密な骨格を持つ作品だけに細かい改変が随所に影響を及ぼす。
残念だ。

原作既読者は、「死者」に関するある叙述的なトリックが映像作品でどう処理されているか気になっている方もいらっしゃるだろう。
漫画版もアニメ版もうまく処理していたが、人間が演じる実写ではどちらの手も使えない。そこで脚本をうまく変更して対応していた。
まるで違和感はなく、現実的。
この処理は原作よりも優れていると思う。

「つみきみほ」の無駄遣い


で、肝心の「つみきみほ」だが、本当にワンシーンのみの登場で、きっとあらかじめ意識していなければ「つみきみほ」だとは気づかなかっただろう。
若い時の顔が思い出せなかった。

「時をかける少女」でも、細田守アニメ版にも、仲里依紗版にも、成長した芳山和子が出てくるように、かつて花のあすか組などで、少女ヒーローの時代の終焉を看取ったつみきみほが、どちらかというと過保護な親類を演じるというところに意味があったのだろう。

しかし脚本も演技もそのコンセプトを表現できていたとは言いがたい。
Anotherという作品を二次的に表現し尽くしたのはアニメ作品の方だった。
よりカネの集まるアニメの世界の方に人材が育ってきた、ということなのかも知れない。


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