2016年6月19日日曜日

映画『WILD SEVEN』の見どころは深田恭子の普遍の美である

クリント・イーストウッドの映画を観ようとDVDを借りたら、予告編になぜか「ワイルド7」が入っていて、そういえば望月三起也もこの間死んだんだったな、と思い出し、観てみることにした。

漫画未読の僕は、ワイルド・セブンなんだから、きっと「荒野の七人」がモデルで、そのオリジナルにあたる黒澤監督の「七人の侍」とも共通性があるんだろうと思っていたが、似ているのは「七人」というところだけだったように思う。

それでもこの映画を観てよかったと思う。
だってここには最良の深田恭子がいるからだ。
ドロンジョ様も良かったけどね。

どうして二次元系のキャラを上書きした深田恭子はこんなに魅力的なのか。
それはきっと深田恭子の美貌が、普遍の美だからなんだろうと思う。



飛葉陸大(瑛太)に強引にバスを降ろされ、その後すぐに、遅れそうだからバイトに送って行きなさいよとバイクの後ろに乗って身を寄せる。
かわいいです。



バイト先に着くと、売上に貢献しなさい、とレストランの席につかせ、ソムリエという意外な一面を見せる。
普通夢中になるよね。
で、酔っ払った飛葉と一夜を・・
メロメロですよね。


その後、彼女の意外な過去が明らかになり・・・

ともに追われる身となる。
なんてタンデムの似合うヒトなんだ・・・

最後はワイルド7の一員になるんですね。
しかしここで、深田恭子の熱演に水を差すこのだっさい衣装。
ちょっと衣装なんとかしなさいよ。
もう峰不二子でいいじゃない。
次元大介だって、荒野の七人のブリットがモデルなんだしさ。

ワイルド7の見どころについては以上になります。

付記
以前の記事「映画「ルームメイト」:物語のミスリードと映像のミスリード 」
にもほぼ同義の分析をしておりましたので、付記しておきます。

また、峰不二子のモデルとなったマリアンヌ・フェイスフルについてはこちらの記事「映画『あの胸にもういちど』〜マリアンヌの黄色いヘッドライト」に書いております。

2016年6月17日金曜日

トイラボさんの現像&データダウンロード・サーヴィスが素晴らしい

いただきもののリバーサルフィルムが数本あって、撮影したはいいが、現像の方法に迷っていた。
いつものキタムラに持っていけばやってくれるが、10日ほどかかった上に、データCDを作ってもらうためには一度全数のプリントを作る必要があるという。
総コストを考えると手軽に撮影ができない。

いろいろネットで調べてみると、現像サーヴィスがけっこうある。
そのなかの「トイラボ」さんのサーヴィスに、現像したポジをそのままスキャンして、小さいサイズのものなら無料でダウンロードできるというのを見つけた。

現像も安いし、送料も定形外料金+αで良心的だ。
さっそく申し込もうとホームページを見ると、なんとこの会社熊本の会社で先の熊本地震で小さくない被害を受けていた。
多くの機材が失われ、生活の再建もあり、現像作業に時間がかかっていると書いてあった。
これも復興支援と思い、落ち着くのを待ってフィルムを二本送ってみた。
送ったのは、札幌の西区を流れる琴似発寒川に撮影に出かけた時のもの。

月曜の朝に郵便局から送って、水曜には先方着。
木曜午前には現像が終了し、昼ごろには画像がダウンロードできるようになっていた。
充分早いと思う。

琴似発寒川の撮影には、画像比較をしてみようとコンデジLeica C-LUX 1も持っていって、何枚か同アングルで撮影したおいた。

Leica C-LUX 1

左側にNikomatのフィルム写真、右側にLeica C-LUX 1のデジカメ画像を配置して比較してみよう。




ずいぶん色が違うものだ。
左のNikomat画像の緑は鮮やかだが、少々不自然な発色ではないか、と思い窓の外を見ると、円山の森の緑もそのような色で、これはLeicaの写り方に慣れすぎたせいなのかもしれない。

画像編集ソフトでの調整についてはまったく知識がない。
当てずっぽうに弄っても、なかなか思ったような色にはならないものだ。
修行がいるな。

三段目の写真では、一眼ならではの前ボケが写り写真の奥行きを深めている。
コンデジの小さな撮像素子からは出てこない表現だと思う。

反面Leica画像の方が、水の動きまでがはっきりわかる解像度を感じるが、これはアップしたNikomat画像が小さいサイズのスキャン画像であるせいかもしれない。

これからトイラボさんから現像されたフィルムが送られてくる。
高解像度のデジタルデータを作る必要を今は感じていないが、これからのためにいろいろ調べてみようと思っている。

2016年6月5日日曜日

映画『市民ケーン』 〜 トリックスター、オーソン・ウェルズの残した偉大な遺言状

映画史上最大の傑作に挙げられることもある、オーソン・ウェルズ監督・主演の『市民ケーン』だが、映画マニアでない僕にとって、オーソン・ウェルズという名前は英語教材の吹き込みをしている過去の名優というイメージを想起させるばかりで視聴に至らなかった。
「家出のドリッピー」や「追跡」といったシドニィ・シェルダン作品をウェルズが朗読した英語教材の広告が新聞や雑誌によく載っていましたね。

だがフィルムカメラを始めて、モノクロームの面白さに気付いてから白黒時代の映画に興味が湧いて、『第三の男』とこの『市民ケーン』をレンタルしてきた。


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映画は二時間の尺を緩みなく構成して、最後まで見飽きることが無かった。

Wikipediaにこのような記述がある。
ニューヨークで作品を見たフランスの映画評論家ジャン=ポール・サルトルは「『市民ケーン』はわれわれが従うべきお手本ではない」と批判し、「(物語が)一切が終わった地点から遡って見られているため、映画固有の現在形の生が失われてしまっている」と指摘している。
しかし、この映画『市民ケーン』は、新聞王ケーンが残した「バラのつぼみ」という謎の言葉の意味を探偵役であるジャーナリストが追いかけていく推理劇である。
この構成のおかげで、「バラのつぼみ」とは何か、という物語的興味が生成されるのであり、必要不可欠な演出だったと思う。
しかもこの「バラのつぼみ」という言葉は、この映画がモデルにしている新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストが愛妾マリオン・デイヴィスをこっそりこう呼んでいた秘密の愛称で、当時の人々の噂に頻繁にのぼった符牒なのである。
だからむしろこれは、この映画の時代性を支えるコアであるともいえるものだ。
また、このような記述もある。
ジョルジュ・サドゥール(フランス語版)も作品を「ハリウッドに一夜降ったドルの大雨で生えてきた巨大なキノコ」と呼び、ここにあるのは「古いテクニックの百科事典」と述べた。前景と後景を同時に写す撮影法はリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』で実現済みであり、非現実的なセットはジョルジュ・メリエス、素早いモンタージュや二重露光は20年代の作品、天井が写るのはエリッヒ・フォン・シュトロハイムの『グリード (1924年の映画)(英語版)』、ニュース映像の挿入はジガ・ヴェルトフを思わせるものであり、ウェルズはそれらをつぎはぎしたに過ぎない
テクニックが映画を魅力的にすることに貢献していなければ批判の対象になるだろうが、百科事典的であることは別に悪いことではないだろう。
この映画ではそれらのテクニックが、結末のわかっている伝記映画特有の退屈さを払拭する見飽きない起伏を作り出す効果をあげていて、むしろ過去に生み出されたテクニックを効果的に活用する教科書として機能していると僕には感じられた。

この映画は強大な影響力を持つメディア王を正面からおちょくった問題作であり、当然大きな妨害を受けたようで、映画館でも上映拒否があったようだし、大きな賞を受けることもなかった。
それでもこの映画が長い時間を超えて傑作と賞賛されていることを考えれば、これらの批判がいかに的外れであったかがわかるだろう。

しかしやはり現実にはトラブルメーカーは歓迎されないわけで、遂にはハリウッドでは映画を作れなくなったオーソン・ウェルズ。
資金作りに奔走し、三流映画に出演し、サントリーのCMにも出演したそうだ。
そのような資金作りの一環が僕の知っていた「英語の教材の吹き込み」で、それでもそれが彼の知名度の一部となり、結局僕はこの映画に辿り着いてこの文章を書かせている。
万事塞翁が馬である。


この映画がロングライフであることには、もうひとつの意味があると思う。
スキャンダラスなメディア王の実態を、ドキュメンタリーではなく、あくまでもフィクションとして描いたことである。
成功のためならば手段を選ばぬことは、このような物語に仕立てられてはじめて近視眼的に見えるが、渦中にいる人間にはわからない。
幸運にも、そして不幸にもそれが出来る環境が手に入ってしまえば、それを抑えることはとても難しいだろう。

しかし、そのような教訓も、抽象化された物語が長い時間を経ると、もともとの含意が人々の記憶とすれ違っていく。
だからさんざん語り尽くされたことではあれど、ここにもウィリアム・ランドルフ・ハーストという新聞王の所業を書き残しておこうと思う。


19世紀の終わり頃、キューバの独立運動を宗主国スペインが弾圧していた。
アメリカはキューバの砂糖産業に投資していたために、スペインがこれを接収してしまうことは避けたかったし、潜在的に太平洋に隠然とした存在感を持つスペインの植民地を奪い、太平洋覇権を手に入れたいという政治的思想を持つ勢力もあった。
ハーストは、この思想に共鳴していたのだろう。情報操作によってこれを後方支援した。

1897年、ハースト系の新聞に掲載された「アメリカ婦人を裸にするスペイン警察」という煽情的な記事で反スペイン感情は高まり、翌98年、アメリカ戦艦メイン号が撃沈された事件を契機にアメリカはスペインに宣戦布告。米西戦争となったのだ。
結果アメリカはこの戦争に勝利し、キューバの独立とともに、フィリピンやグァム、プエルトリコを得て、太平洋覇権を固めることになる。

ハーストの命を受けてキューバに赴いた画家フレデリック・レミントンは、「スペイン人の残虐行為を描いて送れ」との指令を真に受けて探し歩いたが何も見つからず、その旨を電報で知らせた。
これに対するハーストの返答は、「何でもいいから絵を用意せよ。当方は戦争を用意する」だったという。
そして言葉通り、戦争はメディアによって用意された。


他人ごとではないのである。
メディアが政権に寄り添うことの危険は、人間の知性が持つ、目的を定めれば、それが論理で想定できるものならたいていどんなことも実現できてしまうという万能性と、それを押しとどめるはずの良心の視界が、あくまでも主観の裡にとどまるという限界性にある。

人間の知性が未完成であることを識ることほど重要なことはなく、それを教えてくれるのはいつもオーソン・ウェルズのような「トリックスター」なのかもしれない。
そう思う。

2016年5月31日火曜日

映画『第三の男』 ~ アリダ・ヴァリのまっすぐな視線の先にあるものは

映画『第三の男』を観た。
淀川長治の世界クラシック映画100選というDVDシリーズで観たのだが、映画を観る前に淀川先生の解説がはじまり、結末までおもいっきりネタバレ食らわしてた。
未見の方はご注意いただきたい。

当記事も、もっと詳細なネタバレを含んでいるので、こちらにはもっとご注意ください。


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だいたい名作映画というものは若い時に観るもので、そしてたいてい若い時にはわからないことが描かれている。
この映画については、もう主題から読み違えていたことがわかった。
今観ると、第三の男が誰かとかはどうでもいいですね。


映画は、第二次世界大戦で破壊され、米ソ英仏四国の共同統治となったウィーンが舞台となっている。
エリアで分かれているのではなく、警察機構も四国の警察官がひとつの警察を組織して捜査にあたっているので、各国の優先順位の違いがお国柄のようなものを表していて興味深い。
特に、異なる価値観を「しょうがねえな」と許容しながら、共通のゴールを目指していく西欧サイドと、あくまでも官僚的にことを運ぼうとするソ連の動き方が、後の冷戦構造を想起させたりして。

ウィーンの街はいたるところが破壊されているが、やはりあくまでも美しく、それゆえに破壊の爪痕が、その痛々しさで心を刺す。
広大な下水道は、下水道なのに美しく、彼の国の美意識に嫉妬を覚えざるをえない。
見えない、しかも汚水を流す場所をあんなふうに綺麗なアーチで構築するなんて。


さて「事件」の本体である、ペニシリン密売事件は実際に戦後のウィーンで横行していた史実のようです。
「殺人事件より密売かい」と問いかけるアメリカ人作家に、捜査官の少佐は応えず、被害者が収容されている病院へ連れて行きます。
社会がいくら歪んでも、道義を失ってはならない。
ここにこの映画の重要な主題が隠れている、と今回思いました。


その後アメリカ人作家は、旧友であり「第三の男」であるハリー・ライムとの決着に赴きますが、そこでのハリー・ライムの台詞
「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」
を考えてみましょう。

ルネサンスを直接的に生んだのはメディチ家ですから、ここでわざわざボルジア家を選んでいることには意味があるのでしょう。
僕はボルジアの名は塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジア、あるいは優雅なる冷酷」ではじめて知りました。


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チェーザレの父がアレッサンドロ六世で、教皇の権力による現世支配を強く推し進めた人物です。
この宗教的絶対が生んだ独善的支配がスイスの民主主義と対置されているのですね。
金のためという「絶対」を、被害者が出ることを省みない独善がドライブするという、ハリー・ライムの性質を表現しているのでしょう。

そして鳩時計。
平和をイメージする鳩とスイスの主産業である時計を結び合わせて鳩時計と言ったのでしょうが、むしろ鳩時計はドイツでよく作られていたものだそうで、このあたりも、見もせず決めつけるハリー・ライムの独善性を表現しているのだと思います。


そしてあのラストです。
ハリー・ライムの旧友と恋人。
彼らの心に残る、面白くて陽気なハリー・ライムの思い出は消えない。
しかし、事件をきっかけに知り合った二人の人生が交われば、その先では、その思い出自体を少しずつ汚しながら生きていくことになる。

ナチスドイツに解体されたチェコから逃げてきた彼女には、祖国は戻りたい場所ではすでになく、しかし戦後処理で密入国者は強制送還されてしまう。
ハリー・ライムとの思い出の重みが、旧友と恋人ではまったく違ったのです。

まっすぐに視線をそらさずに生きていく人生だって、しんどいと思うけど、あの厳しい恋人の表情が、大切なモノがなんなのかわたしにはわかっている、と言っているようだった。
そしてそれが僕にはちょっと羨ましかったんだな。

2016年5月27日金曜日

【音楽エッセイ】我が青春のBabyface Blues Band|YouTubeチャンネル開設!

いつかはやろうと思いながら幾星霜。
ついにYoutubeチャンネルを開設いたしました。

Girasole Records Music Channel

1985年に北海道大学フォークソング研究会で結成したBabyface Blues Bandの社会人期のライヴ映像をアーカイヴしていく計画です。
2006年の札幌移住で、バンドは現在活動は停止中で、個人的に宅録をしてsoundcloudにアップしているのですが、録画しておいたライヴテープもカビなどで失われていくのが恐いので、重い腰を上げた次第です。



ですが作業をはじめてみると、miniDVに録画していたディジタルテープが一番脆かったです。2~3分ですが再生できないところがありました。
これがアナログテープだと、ちょっとした画像の乱れで済むところなのですが、ディジタルだとそうはいきません。コマ落ちになって不快な映像になってしまいます。
カメラの時にも書きましたが、やはりアナログは丈夫だと再確認いたしました。

2016年5月25日水曜日

紛失したケーブルレリーズのヘッドを自作する最も簡単な方法

いつか本格的な撮影をするのに三脚が要るだろうと思って、20年くらい前に自分のライヴをビデオに撮るために買ったオーディオテクニカ製の三脚を引っ張りだしてみたんですよ。
カメラ用の本格的な三脚とはいろいろと違うんだろうけど、取り敢えずこれで練習してみようと、昨日のブログ記事用の写真を撮ってみたんですね。
その写真があまりにも細部まで鮮明に写っていて驚いてしまった。
今までピント甘いなあと思っていたのは、自分のカメラのホールドが甘かったのだと今頃気がついた次第。

そうなると俄然三脚での撮影をやってみたくなるのが人情というもの。
三脚撮影といえば、ケーブルレリーズも欲しくなる。

実は前オーナーさんからNikomatが届いた時、ケーブルレリーズも一緒に下さっていたのでした。何から何までありがとうございます。

これです。
一見普通のケーブルレリーズに見えるでしょ。
ところがさにあらず。

レリーズボタンの部分が、手芸なんかでよく使われるスナップボタンなのです。
実はこのレリーズボタンが紛失していて、部品がないかと探しても当然見つからず、なにか手はないかとネットを徘徊していて、どこかのブログにカメラ本体のレリーズボタンを、スナップボタンを改造して自作するという記事を見つけてピンときたんですね。

で、家の裁縫箱を漁ってみたら、一個だけ使って九個余っているスナップボタンがあるじゃないですか。
試しに押し込んでみたら、あまりにもぴったんこカンカンで、まるで専用品のような収まり具合。
もう簡単には外すことさえできません。

以上、ケーブルレリーズのヘッドはスナップボタンで代用できるよ、という小ネタでした。
それではまた。

2016年5月24日火曜日

接写リングNikon PK-11を使って真空管アンプを撮ってみる(NIKKOR 43-86m作例)

僕が買ったZoom NIKKOR 43-86mmは、最短撮影距離が1.2mということで、とにかく寄れない。
物撮りをするときには、望遠端にして遠くから撮るということになるし、それでも小さなものは本当に小さくしか撮れない。

てなことを言ってたら、お師匠さんが「接写リング」という秘密兵器を持ってきてくださった。


ニコンの純正品で、PK-11、PK-12、PK-13の三つが箱に入っていた。
これをカメラ本体とレンズの間に挟んでセットすると最短撮影距離が短くなって迫力ある物撮りができるということらしい。


Nikon 接写リング PK-11A
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現行品がこのPK-11A



いろいろ試してみたが、一番薄いPK-11が一番このレンズには相性が良さそうだ。

ところで、このリングを挟むと露出連動用の爪が使えなくなる。
マニュアルには、爪を一番右側に倒しておいて、フルマニュアルで撮れと書いてあった。
だから接写の場合は本体の露出計が使えず、この外部露出計の出番というわけだ。


で、僕の部屋で最も高価な被写体(w)であるMcIntosh MC275アンプを撮ってみる。


なんと、こんなに寄らないとピントが合わないのである。


別アングルと、僕の部屋に住む子猫ちゃんにもモデルをお願いした。
やっぱり露出の加減が難しいのである。
いやどんな場合も露出は難しいんだろうと思うし、構図とともにそれがこの趣味の本体なのではないか、という気がする。

何か参考になる本でも探してみよう。

2016年5月23日月曜日

初夏の札幌を撮影してみたよ 〜 大通公園の噴水と時間に忘れられた家(NIKKOR 43-86mm作例)


晴れた日曜日、Nikomat ELにZoom NIKKOR 43-86mm f3.5を付けて撮影に出かけた。
被写体のアテはなかったが、街並みを撮りたいという気持ちだけがあった。

家には、2001年に使用期限の切れたコダックの400Goldが二本あった。
取り敢えずカメラという機械の使い方を知るために装填してあった最初の一本は、前回夜明けの街を撮るのに使いきっていた。
残りの一本を装填して自転車で出かけた。

札幌の中心地には大通公園があって、そこには大きな噴水があった。
お師匠さんに、シャッタースピードを変えると、水の表現が変わる、とお聞きしたのを思い出し、さっそくパチリ。


その日は朝から季節外れの暑い日だった。
噴水の涼やかさが、シャッターを押させたのだと思う。

街を走っていると、札幌のような大きな街でも時間に取り残されたような旧い建物が見つかる。


これらの写真は、撮影後、カメラのキタムラに持ち込んで現像してもらい、同時にデータCDに焼いてもらったものをMacのiPhotoで補正したものだ。
ASA400のフィルムは粒子が粗く、ノイズ除去をしなければならなかった。
どの写真も彩度が足りず、かなり持ち上げている。
これがフィルムが古いせいなのか、それとも持ち味なのかわからないし、レンズの影響がどの程度あるのかもわからない。
また露出が不正なのかもしれない。
いずれ他のフィルムで撮ってみることでしか判断はできないだろう。

家にはお師匠さんにいただいたリバーサルフィルムが何本かある。
こちらはISO100。
さてどのような写真が撮れるだろう。

2016年5月22日日曜日

Zoom NIKKOR 43-86mmがやってきたら、思いがけず多重露光がおもしろかった件

先輩から送られてきたNikomat ELを手に取ってはじめて、自分が一眼レフのフィルム・カメラのことを何も知らないことがわかった。
社会人になって、海外旅行なんかに行くようになってカメラを買った。
当時よく売れていたKonicaのBiG miniという機種だった。
今でも持っている。


久しぶりに電源を入れようとしたら電池が切れていた。
ホームセンターで電池を買ってきて、スウィッチを入れてファインダーを覗いてまず気付いたことは、これズームないんだ、ということだった。
今の知識で言うなら、単焦点の35mm f3.5専用のコンパクトカメラ。高性能の「写るんですHi!」
自分が動いて構図を決めたらシャッターを押すだけだ。

そしてその調子でNikomatに接すると、あまりの無愛想さにちょっとビビる。
まずシャッターが押せない。
巻き上げレバーを予備位置に動かすという知識すらなかったのだ。
いろんな場所についているつまみやハンドルなどいちいちわからない。
ネットの海を探索すると一応まとまったマニュアルのようなものがアップされていてなんとか全体像が把握できた。

それからレンズを買った。


Zoom NIKKOR 43-86m f3.5という機種で、日本製としては最初の標準ズームレンズだそうだ。1963年に発売(53年前だ!)されて現在は生産されていないが、ずいぶんなロングセラーだったそうで、タマ数も豊富なせいか、手頃な価格で中古品を入手できた。
単焦点の明るいレンズが欲しくて一眼レフを始めたのに、どうしてこんなレンズを買ったかというと、写真にも見えているこのカラフルなヒゲが!なんとも!!かっこいいなーと思った次第なのです。
くだらない理由でスミマセン。
でもほら、趣味だからね。愛着がまずないとね。

一応道具が揃って、フィルムを入れてみるわけです。
家に昔買ったKodakのASA400の36枚撮りが2本あったので、まずそれを。
ここで初心者的な発見があって、フィルム売り場に並んでいたのがたいていASA100か400。で、何も知らない僕は400が「高性能版」なんだと思って買ってるわけ。
今回は100でいいかな、みたいな感じで。

暗いところでも写る高感度が400で、そのかわり写真の粒子が粗くなる、なんてことはまったく知らなかったので今本当に心から吃驚しております。
たしかに撮ってみると粒子感が半端ないです。


まいったな。
でもこの逆光の感じ、ちょっと好きかも。
逆光のカメラマン、なんてね。目指してみるかな。
これ撮り終えたら、今度はISO100のフィルムを買ってみたいです。

そう。
ASAがデジカメ時代によく言っているISOと同じものだというのも今回知ったお作法のひとつですね。

NikomatにもASAって書いてます。


この日は、明け方の街を撮ってみようと、暗いうちから出かけたんですが、こんな奇妙な写真が撮れてしまいました。


三重に露光されているようです。
前のオーナーからNikomat ELには多重露光の機能があるとは聞いていたのですが、これはまったくの偶然で、どんな操作でそうなったのか自分ではまったく覚えがないのです。
どなたか操作法をご存知でしたら教えて下さい。


2016年5月21日土曜日

Nikomat ELがやってきた ~ そして僕はフィルムカメラという沼地へと征く

ディジタルは確かにいろいろと便利だ。
でもアナログにもいいところがたくさんある。

一般にアナログは「融通が効く」

CDのデータが読み取れなくなった時に出てくるディジタル・ノイズはちょっと耐え難い音が出るが、レコードについた傷は幾度も聴いているうちにその盤の個性のようなものとして受け入れることができる。

DVDに記録された映像も事情は同じで、盤の傷が一定のレヴェルを超えれば「このディスクは読み取りできません」とにべもなく突き返されるし、DVDーRに至っては色素の変質で数年で使えなくなったりするが、録画されたヴィデオテープは、確かに画質の劣化はあるが、驚くほど長い間映像を保存しておいてくれる。

光ファイバーを通ってくるひかり電話なんぞは停電の時には何の役にも立たないが、アナログ回線は、電気が無くてもその時必要な声を届けてくれる。

デジカメで撮りためた大切な写真をハードディスクのクラッシュで喪って、気を失いそうになった人だっているだろう。現像したフィルムなら家が火事にでもならなければ失われることはない。

そんなアナログの「丈夫さ」に惹かれて、アナログ・レコードを愛聴し続け、真空管アンプを使い、携帯電話にも背を向けてアナログ回線の固定電話を使い続けている。

そしてこの度、もう一つアナログ趣味を持つことになったのでご報告したい(別に聞きたくないか)

それは「フィルム・カメラ」
会社員時代の大先輩に譲っていただいた。





Nikomat ELという(ニコマートと読みます)
40年ほど前のニコン製のカメラらしい。

レンズはあらためて購入した『Ai Nikkor 43-86mm F3.5』一本を練習がてら使い倒す計画である。

友人たちに言うと、決まって「現像はできるのか」とか「フィルムは売ってるのか」などと訊かれるが、真空管アンプを使っているというと、真空管が切れたらおしまいですね、などと言われるのと同じだから別に気にならない。
真空管もフィルムもまだ作られているし、現像だってカメラのキタムラが入っているAEONが近くにあれば、昔懐かしい55分DPEサーヴィスが今でも受けられる。
繰り返すが、アナログは丈夫なのである。

2016年5月20日金曜日

【島田荘司・御手洗潔シリーズ考察】『屋上の道化たち』書評|御手洗潔シリーズ50作目の魅力と「救い」の眼差し

島田荘司先生の御手洗潔シリーズ記念すべき50作目、『屋上の道化たち』を読みました。前作の大作『星籠(せいろ)の海』に続く、ファン待望の新作です。


私は普段、本の重さやページをめくる手触りにこだわり、文庫化されるまでじっくり待つ「頑固な文庫派」です。ハードカバーは読書への没入を妨げることがあるから……というのが建前ですが、島田先生の作品だけは完全に別格。発売された瞬間に、居ても立ってもいられず単行本を手に取ってしまいます。なぜなら、島田作品の圧倒的なリーダビリティ(読みやすさ)の前では、本の体裁など些細な問題になり、一瞬で物語の世界へ引き込まれてしまうからです。

読者を惹きつける「謎の提示」とリアルな人間模様


島田作品の最大の魅力は、なんといっても物語の幕開けに用意される「強烈な謎の提示」にあります。
本作で描かれるのは、「絶対に自殺などしそうにない人々が、次々と飛び降りてしまう不可解な屋上」という不気味な謎。一見シンプルに見える状況の裏に、一体どんな真相が隠されているのか。その答えが知りたくて、ページをめくる手が止まらなくなります。
また、事件の背景に描かれる市井の人々のリアルな描写も、物語に深い説得力を与えています。
予期せぬ不運のサイクルに巻き込まれ、もがいても抜け出せない人
組織の同調圧力や空気に飲まれ、流されていく人
彼らの姿は決して他人事とは思えず、「僕たちもきっと、そんな『道化』の一員なんだ」と、どこか身に覚えのある光景に強く感情移入してしまいます。

探偵・御手洗潔が放つ「温かい視線」


『屋上の道化たち』の素晴らしさは、こうした「時代」や社会の歪みに翻弄される人々を、作者が安易に批判も擁護もしない点にあります。
探偵・御手洗潔は、社会のルールや固定観念に縛られることなく、ただ目の前の「人間」を真っ直ぐに見つめます。そして、鮮やかに謎だけを解き明かしていく。その振る舞いからは、ミステリーという文学ジャンルが持つべき「大切な役割」や救いのようなものを強く感じます。
スケールの大きな『星籠の海』も名作ですが、個人的にはこの『屋上の道化たち』のような中規模の作品にこそ、御手洗潔というキャラクターが持つ「人間の弱さに対する視線の温かさ」が色濃く現れていて、深く心に刺さりました。

ファン必携!巻末の「全作品ガイド」も必見


なお、今回の単行本にはシリーズ50作目を記念して、「御手洗潔シリーズ全作品ガイド」が巻末にまるごと収録されています。
これまでの歴史を振り返る公式ガイドとしてのクオリティが高く、この特典部分だけでも十分に購入する価値がある、ファン必携の一冊です。

屋上の道化たち
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【Anthologies #1】心に澱が積もる夜には|大貫妙子『ライブラリー』

 還暦を過ぎ、いつの間にか貪欲に新しい音楽を探すことはなくなった。 それでも、日々を生きていれば音楽に頼りたくなることはあるものだ。そんなとき聴きたくなるのは、アーティストたちの人生が垣間見える<アンソロジー>で、いくつか愛聴盤がある。 誰かの心無い言葉や、諍いに心に澱が募るよう...