2013年1月9日水曜日

MILES SMILESに記録されているもの。

購入した中古レコードを聴いている。

まずはマイルズ・デイヴィスのMILES SMILES。
マイルズの傑作群の中では比較的評価の低い盤だと思う。僕もジャズ入門者に薦めようとは思わない。
しかしこのアルバムには、60年代後半のロック・ミュージックの嵐のような台頭に晒されたジャズの迷走と、それに対するマイルズの回答が込められているのだ。
そしてそれは、我々が芸術に相対するときに必要な心構えのようなものを示唆しているようにさえ思う。
マイルズ自身も音楽を含む文化が大きな曲がり角に来ているのを感じていたのだろう。60年代半ばに、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらと新しいクインテットを結成して、E.S.Pというアルバムを世に問う。しかし、折り悪く、直後マイルズは病気に倒れ、しばらく休養をとらなくてならなくなってしまう。リーダー作が何枚もある売れっ子のマイルズは、まあ休んでいればいいだろうが、雇われの4人はそうはいかない。いろんなミュージシャンとステージに立つことになる。
時代は、閉塞するジャズへのひとつの回答として「フリー・ジャズ」に傾いていた。
オーネット・コールマンやセシル・テイラーなんかの音楽が人気を博していて、ロン・カーターを除く、マイルズ・カルテットのメンバーは彼らとステージを共にして、すっかりフリー病に冒されてしまうのだ。
恢復して、再び招集したメンバーたちとステージに立ったマイルズは、わずかな間で様変わりしてしまった彼らのプレイに驚き、憤慨する。おいおい、お前らのやってることは、簡単なことを難しそうに演奏しているだけだ。新しい芸術というのは、こういうのを言うのさ、と普段は細やかなコントロールで繊細なメロディを吹くマイルズが、力の限りトランペットを吹き上げて、彼らの甘っちょろい芸術観を粉砕しようとしたのである。しかし敵もさるもの、カルテットはマイルズの魂のブロウに感応して、フリーの階段を一段だけ降りて、マイルズの目指した新しいジャズの一部となろうとしている。
この相克の記録こそがMILES SMILESの正体である。ジャケットのマイルズの満足そうな顔を見て欲しい。勝負の行方は明らかなのである。

マイルズは、この後のMiles in the skyやキリマンジャロの娘、そしてネフェルティティとアルバムを追うたび、徐々に自身では作曲もしなくなり、トランペットもあまり吹かなくなっていく。マイルズが目指した、まさに「マイルズの音楽」という独立したジャンルが完成に近づいていくからである。オレが吹かなくてもオレの音になってこそ、マイルズ・デイヴィスの音楽なのさ、と言えるところまで追い込んでいるのだ。そしてそれは、このMILES SMILESで「フリージャズとの対決」を余儀なくされたことで、それがいくらフリーと銘打たれていても新しいフリージャズという括りを作るだけなのであって、本当に我々に必要なのは、真に我々にしか作り得ない音楽を作っていく事しかないんじゃないのか、ということに気付いたからではないかと思うのだ。
音楽に限らず、美術や文学にもおそらく共通する、それは芸術というものがこれほど長い間人間の心を魅了し続けてきた「動機」だろう。

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