2013年7月18日木曜日

破滅しなかった天才 - Miles Davis「LIVE AROUND THE WORLD」

先日の高級オーディオ試聴会で、最も印象に残ったマイルズ・デイヴィスの「Live Around The World」を入手して聴き続けている。



マイルズが亡くなったのは1991年9月28日である。
そしてこのライブは1988年から、死の直前91年8月25日までの世界各地でのライブをオムニバス収録したアルバムなのだ。

しかしここには、老成とか円熟といったようなものは些(いささ)かも感じられない。
マイルズのプレイは生涯変貌を続けた。
それなのに一聴してマイルズのものとわかる音色(おんしょく)を持っていた。
このアルバムでもミュート-オープンで変幻自在に音色を変えながら楽曲に絡んでいく。
もちろん、全盛期のような激しいブロウはないけれど、そんなものはもともとマイルズの美点ではなく、あの「卵の殻の上を歩く」と形容されたデリケートなフレージングはますます磨きがかかっているのである。


ジャズの世界には破滅型のミュージシャンが多い。
そして最後の瞬間の輝きは、その生が儚いほどひときわ輝く。

僕はチェット・ベイカーの人生最後のライブである「The Last Great Concert」をことのほか偏愛している。
かつてイケメン(なんて言葉は当時もちろん無いが)トランペッターとして一世を風靡したとは思えないほど老け込んだチェットは、そのコンサート会場の警備員に、どうしてもチェット本人であると信じてもらえず、主催者に気づいてもらうまで会場に入れなかったという。

そしてそのボロボロの格好のままステージにあがったチェットは、その容貌からは信じられないほど清廉でリジッドなフレーズを吹いた。
そしてMy Funny Valentineでは、若き日、ボサノヴァの誕生に大きな影響を与えたクールな唱法はそのままに、「枯れた」のではなく、「人生ってさ、簡単じゃないけど、そう悪くもないよ」というような芯の強い諦念が乗った、味わい深い喉を聴かせてくれた。
その日のために友人たちが用意したバンドは、チェットの命の煌きに応えて奇跡のような演奏を残した。

そしてその演奏の二週間後、チェットは宿泊先のオランダのホテルのベランダから転落して亡くなってしまった。


マイルズは、こういう弱さ故の輝きとは無縁だった。
80年代には酒もタバコもドラッグも克服して、ロックに市場を奪われ続けたジャズの世界を軽々と飛び超えて、マイルズ・デイヴィスという名の音楽を作り続けた。

そして70年代、80年代と個性的なギタリストと組むことでその音楽性を広げていったように思う。
どんなロックよりロックらしい名盤ビッチズ・ブリューでジョン・マクラフリンと、その後もマイク・スターン、ジョン・スコフィールドなど名うての名手と作品を作り続けた。

そしてマイルズが最後のバンドのギターパートを託したのが、ジョセフ・フォーリー・マクレアリーというベーシスト(!)である。
ベースパートを弾く人は別にいて、フォーリーはリードベースという高音部を担当している。
すげえ太い音のギター、にしか聴こえない。
どこまでも、自分の音楽を作るために挑戦をやめなかったマイルズ・デイヴィスという稀代のアーティストの音楽がフォーリーのプレイから零れ落ちてくる。

このアルバムの最終曲Hannibalは、マイルズの生涯最後の演奏だ。
なぜかCDのブックレットには、この曲のみクレジットがついていないが、91年8月25日のハリウッド・ボウルでのライブ(中山康樹著、マイルズを聴け!Ver.6より)。

だが、儚くはない。
現役感たっぷりの明るさや充実感に充ちた演奏を残してマイルズはこの世を去った。
実に彼らしいと思う。

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