米澤穂信の「折れた竜骨」は、不思議なミステリだ。
「本格」と呼ばれるミステリには厳格なフェアネスが要求される。
シャーロック・ホームズ様は、「不可能な事柄を消去していくと、いかにあり得そうになくても、残ったものこそが真実である。そう仮定するところから推理は出発する。」(白面の兵士 )とおっしゃっておられる。
かのエラリー・クイーン探偵は、実際に事件の捜査にあたって、愚直にすべての可能性を潰しながら真相に迫る。
時に、丁寧すぎて興を削ぐことすらあるが、今やこの丁寧さが本格ミステリ全作品の基調になっていると言ってもいいだろう。
その「らしさ」が「折れた竜骨」の全編を貫いている。
そして冒頭から、これが現代のお話でないことがわかるが、読み進めていくうち、この作品世界の中には「魔術」が存在していることがわかる。
ここで強い違和感が襲ってくる。
魔術がある世界で、どのようにフェアネスを貫くのだ?
日本SF大賞を受賞した貴志祐介の「新世界より」は、全人類が超能力者となった世界を構想した上で、超能力を使って他者を殺めたものは、その力によって自死するという機構を組み込んだ。
この世界にオールマイティな力など存在しない。
それが理(ことわり)というものだ。
超能力であっても例外ではない、という強い意思が「新世界より」を凡百の超能力SFと一線を画した存在にしている。
さて、では魔術の世界での殺人の捜査はどうすればいいのか。
作者米沢穂信は、なんと何の制約もそこに加えず、純粋に論理だけでこの事件を裁いてみせた。
なんと正統で、なんと鮮やかな本格推理。
こんな難行を、こんな読みやすい文体で仕上げてきた彼の作家力に脱帽する。
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