2013年7月11日木曜日

書評不可能な怪作、大江健三郎「水死」に溺れる

大江健三郎の「水死」は、極めて複雑に構成されていて、「読む」という行為では真意をはかることが難しい。

よって「書評」はしない。

この物語の構造を、まずは再構成してみようと思う。

まずは、劇団穴居人の女優ウナイコが演劇の素材に使う、夏目漱石の「こころ」。
ここに書かれる先生の遺書には、「明治天皇が崩御されたのだから明治の影響を強く受けた自分などが、その後に生き残っているのは必竟時代遅れではないか、と妻に言うと、では殉死でもしたら可かろうとからかわれ、では明治の精神に殉死する、と答えた」と書いてある。

次に老作家長江古義人(ちょうこう・こぎと)=大江健三郎が、抜き差しならぬ事情で最後の小説のテーマに選ぶ「父の水死」。

古義人の父は1945年の敗戦の直前、若き将校たちと特攻の計画を立てるが、その計画が郷里の森を破壊せざるをえないことが明らかになるや、翻意し、計画の中止を宣言して自ら短艇で川に乗り出し単独で自死する。
ここに、「昭和の精神に殉死する」という夏目漱石との関連性が見られる。

そして、この水死の際、携行した赤革のトランク。
この中にはフレイザーの「金枝篇」の原書が入っていた。
書き込みのある位置を調べると、王殺しの必要性について考えていたことがわかる。
また、森を守ることの神聖性も、金枝篇の中心テーマであったことから、この本が計画の中止に大きな影響を与えたこともわかる。

そしてここに来て、計画されていた特攻の対象が敵ではなく昭和天皇その人であったことが明らかになり、父の水死はその特攻に先んじての殉死であったことがわかる。

このいわば森の神話と現代史の接続の試みを軸に、障害を持つ作家の息子アカリと父の確執と雪解けが描かれ、その後突然舞台はウナイコの家族の確執へと移り、急速に拡大しスピードを上げてクライマックスに突き進む。

そして衝撃のラスト!
いったい何故、いつの間に、このような話になったのか読者が追いつけないほどのスピードでたちまち物語は密度を何百倍にも上げて結末する。

これはやはりただただ大江健三郎から迸る奔流に身を任せるほかない。
書評などは無意味だ。

ただ、やはりここに描かれた多義的な現代史を見せつけられた今は、現政体によって書かれた明治維新以降の歴史を、あらためて戊辰戦争での朝敵側から見た姿も検証してみる必要があるような気がして、半藤一利さんの「幕末史」を入手した。
そして「こころ」も、もう一度読んでみようと思う。



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