コニー・ウィリスのオックスフォード大学史学科シリーズの第三弾は、「ブラックアウト」と「オールクリア」の二巻構成で、ポケット版ハヤカワSFシリーズに収録された翻訳は、少し長いオールクリアが一冊におさまらず、ブラックアウトとオールクリア1・2の三巻構成になっている。
400字換算で3500枚で、ほとんどミレニアム三部作と同じくらいある。
著者は執筆に8年の歳月をかけ、翻訳も2年がかり。
そこまでして描きたかったものとは何だったのか。
2060年、オックスフォード大学の史学生三人は、第二次大戦下のイギリスでの現地調査に送りだされる。
アメリカ人記者に扮してドーヴァーをめざしたマイク。
ロンドンのデパートの売り子となったポリー。
そして郊外にある領主館でメイドをしていたアイリーンことメロピーの三人は、それぞれが未来に帰還するための降下点が使えなくなり、過去に足止めされてしまう。
同時代にタイムトラベルしていることがわかっていた三人は、お互いを探して降下点を借りて帰還しようとするが、もうほんとうになんでこんな時に限ってって感じで、無茶苦茶な不都合が全員に襲いかかり、行き違い、すれ違い、それでも結局偶然が重なってロンドンで再会、集結することになる。
もうこのあたりの事態の進まなさってのはコニー・ウィリスの真骨頂。
で、三人は力と知恵を合わせてなんとか帰還をしようとするが、なにぶん時は第二次大戦下で、うまくいかない。
命の危険に晒されながらも、その時代の人たちと心通わせながらなんとか生き延びていく。未来からの救援を心待ちにしながら。
ウィリスが8年もかけて構築したパズルのような大絵巻は、一章ごとに読み手を混乱させ、ページを進めるたびに事態は進まず、謎だけが増えていく。
そして本当にもうすぐ終わっちゃうけど、これどうなるのと思いはじめたあたりから、ピタピタピタとパズルのピースが嵌っていく。
ドゥームズデイ・ブックでも犬は勘定に入れませんもそうだった。
ああ、クロージングがはじまったんだ!と思ったらもうページを止めることは出来ない。
今まで愚図愚図してた主人公たちは重大な決断をビシビシ決めちゃうし、周りの人たちも、あんなに大事な情報を出し渋ってたのに、決め台詞バシバシ放り込んでくるし、でもうたまりまへん。
この瞬間のためにこの長い物語読んできたんだよなあ、という感じ。
結局やっぱりウィリスは最高だ、という結論で本を閉じた。
この長い物語は、9.11を契機に書かれたと聞いた。
人類の歴史に絶え間なく起こる諍い。
領土の拡大のため、宗教的信念のため、はたまた奥さんを寝取られたから、とか軍需産業保護のため、とか・・
とにかくいろんな理由で戦争は起こる。
どんな理由で起ころうと、戦争は人を傷つける。
人間は知恵の力で身体能力を拡張し続けるよう運命づけられたイキモノだ。
戦争はどんどん非人間的になり、尊厳なき死をふりまく。
そして理不尽なやり方で命を奪われるその直前まで、人は社会の中で欠くべからざる役割を演じながら生きる。
そして死を迎え、大きな喪失の傷跡を残す。
それでも人は生きていく。
その力強さが、ブラックアウト/オールクリアの世界を生きる人たちのひとりひとりを輝かせている。誰も失いたくない、と思わせる。
そしてその願いも虚しく失われてしまうことが、とても哀しい。
でもそう思うことこそが生きているということじゃないか。
だからウィリスは、史学生(ヒストリアン)が、時空を遡ってその一時点だけを知ろうとすることを許さなかった。
観察することだけでなく、時代の中に溶けこむことを要求し、あまつさえ今回は長期間閉じ込めさえした。
ウィリスはタイムトラベルを主題とした、しかも生半可な覚悟では開けないほど長大な物語を書くことで、我々が文学を覗き見のような態度で扱うことに警告を発しているのではないか。
9.11の悲劇を宗教上の対立のような卑小な記憶に風化させないために。
例えばヘミングウェイの「日はまた昇る」を読むときに、第一次大戦で豊かになったアメリカという国の大金持ちたちが、それでも、いやそれだからこそ文化的にはヨーロッパに一歩も二歩も遅れている田舎者たちである自分たちを恥じてヨーロッパに大挙して移住し、結果根無し草の生活を送り、目的を見失い堕ちていくという「ロスト・ジェネレーション」という背景を知らなければ、「金持ちってカネだけあっても空しいよね」くらいの感想にしかならないのではないか。
今何度目かの映画化で話題を集める「華麗なるギャツビー」だって、ロスト・ジェネレーションの文脈で読まなければ、セレブの退廃、別世界のメロドラマを覗き見る楽しみ、としか読めないのではないか。
映画も、絵画も、写真も、そして文学も、「切り取られた」フレームの中にある表現だ。
そして僕らはその「切り取られ方」こそに作者の意図があることを意識すべきだ、と思う。
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