いよいよ、試聴レポート書きます。
まず最初に訪れたのは、フューレン・コーディネートのデモ。
スイスのピエガという全身アルミの筐体で固めたスピーカーを、世評の高いドイツ・オクターブ社の真空管アンプでドライブしていた。
高名なピアノ調律師である依田和彦氏が、このピエガのMasterONEというフラッグシップ機をお使いになっているのを知っていたので、ピアノ調律師が使うスピーカーからはどんなピアノの音が聴けるのか、楽しみだった。
が、どうも調子がおかしい。
いや、最初のバイオリン協奏曲の音は、これ以上ないほど魅惑的な弦の音で、近代的なヴィンテージ・タンノイの音といった佇まい。
問題は、女性ジャズボーカルのバックで鳴っているピアノの音だった。
問題は、女性ジャズボーカルのバックで鳴っているピアノの音だった。
用意されたのはピエガのCoax90.2というスピーカーで、これは同軸リボンユニットという中高域をリボン型という繊細な音の出るユニットで構成している。
が、聴こえてきたピアノの音は豊かな低音に高音部が押し潰されたような、繋がりの悪い音に僕には聴こえた。
妹がピアノを習っていたので、家にはアップライトのピアノがあって、作曲を覚えたばかりの僕は中学、高校時代によくそのピアノを借りてコードの和音を探っていた。
ピアノの中央のドの音をC3というが、その近辺の音が一番豊かな倍音を持っていて、その音自体がインスピレーションを与えてくれて楽曲の次の音を僕に教えてくれたものだった。
また、バンドをやっていた頃、僕らはステージでピアノを使うとき、なるべく倍音の乗る中高音部をきちんと出そうと、胴部の中にコンデンサーマイクを突っ込んでピアノらしい音を得た。
倍音の豊かさがバンドをドライブするからだが、ピエガから聴こえてくる音は、そのような僕らがよく知っているピアノの鳴り方ではなかった。
高音から中音にかけての倍音が半分くらい出ていない感じ。
そのかわり、というよりそのおかげで、ということなのだろうが、弦楽器の響きが、これはとびっきり美しいのだ。
中音の倍音を豊かに出せば、高音部はその犠牲になる。
そこを抑えているからの、あの高音部の美しさなのだろう。
そこを抑えているからの、あの高音部の美しさなのだろう。
そういえば、依田和彦氏もピエガからは本物のピアノの音ではなく、自分の心にある理想のピアノの音が聴こえたからこれを使っているのだと言っていた。
なるほど、そういうものか。
確かに、娘のピアノ教室の発表会で、先生が本当に目の前で弾いてくれたショパンは、中音域にきた時に倍音が鳴りすぎて不協和音っぽい「ブルブルブル」という付加音を感じたが、ピアニストからすると、そういう音はしないほうがいいのかもしれない。
確かに、娘のピアノ教室の発表会で、先生が本当に目の前で弾いてくれたショパンは、中音域にきた時に倍音が鳴りすぎて不協和音っぽい「ブルブルブル」という付加音を感じたが、ピアニストからすると、そういう音はしないほうがいいのかもしれない。
それでも例えば、ジャズボーカルを聴いていて、バックに鳴っているピアノの音がピアノの鳴り方で鳴っていないキモチワルサは僕にはちょっと耐えられないものだった。
相性が悪かった、ということだろう。
次に聴いたのは、スコットランドのLINNというブランドのデモ。
今年は、新しいMCカートリッジ「Kandid」を発表したばかりということで、アナログメインのデモと聞いていたので楽しみだった。
さらにスピーカーにも「アキュバリック」というパワーアンプ内臓の新製品がある。
僕は、自分自身のラストシステムの核としてパワーアンプ内蔵スピーカーをイメージしている。
アンプのパワーや瞬発力とユニットの能率による相性は実に難しい。数値で測ることはできないし、音質に直結している。こんなやっかいなスピーカーとアンプの相性の問題を取り払い、さらにケーブルによるあれやこれやの悩みに永久に終止符を打てる。
まさかそれがオーディオの楽しみだと言うのなら僕の楽しみはオーディオではない、ということで一向にかまわない。
だからアンプ内臓のスピーカーにはいつも注意を払ってきた。
現在だと、ネルソン・パスのラシュモアか、リンの350Aか。
昨年の試聴会で聴いたリンのアンプの音は、一聴特徴がないくせに、妙にイキイキとしていて生命感に溢れ、一年経った今でも耳の奥に張り付いている。
他のどのスピーカーの音も今では思い出せないのに、リンの音だけははっきりと思い出せるのだ。
他のどのスピーカーの音も今では思い出せないのに、リンの音だけははっきりと思い出せるのだ。
そのリンから新しいアクティブ・スピーカーが出たというのだから、期待するなというほうが無理でしょう?
果たしてアキュバリックから出てきたその音は、天国の音だった。
きっともうこれ以上の音に僕は今生で出会うことはないだろうと思った。
大げさだと思うだろうか。
そうかもしれない。
まだあと8つのデモに参加するのだ。
ちょっと性急すぎる物言いだったかもしれない。
しかし、この音の素晴らしさは、スピーカーのユニット配置がどうとか、アンプの電気回路がどうとかいうような技術で作り出されていないのだ。
アキュバリックには、5つのユニットが搭載されているが、なんとその一つ一つに別々のアンプがあてがわれている。つまりそう大きくはない筐体に5つのパワーアンプを内蔵しているということだ。
つまり、それぞれのユニット間のエネルギーバランスは、ひとつのエネルギーを複数のユニットで取り合うためクロスオーバー・ネットワークで分配するという、回路上の制約に常に晒されている通常のマルチWayスピーカーと違って、作りたいように作ることができるのである。
だからこの音は抑圧されていない。
がまんしていない。
人を癒すために生まれたスピーカーにとって最も重要な資質をこのスピーカーは持っているのである。
かつてオーディオマニアと呼ばれた人たちは、低域、中域、高域のそれぞれのユニットに別々のパワーアンプを組み合わせ、エネルギーバランスを取り、それそれに何Hzの周波数帯を受け持たせるかを調整し、自分の音を作っていったと聞く。
しかし、いつかこういうやり方をする人は少なくなり、多くの人はスピーカーシステムを買って、好みのケーブルを合わせたり、電源ケーブルを変えたりして音作りを楽しむようになった。
自分のスピーカーで、「正しい」ピアノの音が出ない時、インシュレーターを噛ましてみたり、設置する角度を変えたり、吸音材を部屋いっぱいに置いたり、挙句の果てに電源工事をしたりする。
20年間の会社員生活で学んだ最も重要な行動の原則は、一度に複数の変数を扱わないことだった。
いかに効果のありそうな対策でも、お互いに関係しあっている事象を両方変更すると、相互に干渉しあって、結果のヴァリエーションが手に負えないくらい広がって、もはや対策は不可能になる。
その意味で、オーディオのことを考える時、どんな場合でもスピーカー自体から、そのような音を出させるというアプローチが一番根本的で変数が少ない。
リンの「アキュバリック」は、かつてのマニアックなスピーカーの扱いを、現代的でスマートなスタイルに置き換えただけではなく、我々のオーディオという趣味のありようそのものを問うているのではないだろうか。
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