ジョセフ・コンラッドという英国の作家を教えてくれたのは村上春樹だった。
最初は「羊をめぐる冒険」で、鼠の別荘のサイドテーブルに「コンラッドの小説」が伏せて置いてあった、とある。
その時は特に気に留めなかった。
「ノルウェイの森」では長沢が「僕」に好きな作家を訊かれて「バルザック、ダンテ、ジョゼフ・コンラッド、ディッケンズ」と答える。
バルザック、ダンテ、ディケンズは読んだことはなくとも名前くらいは知っていが、ジョセフ・コンラッドは聞いたことないな。その時はそれで終わり。
次にコンラッドの名前を見たのが、やはり村上春樹で、今度は「スプートニクの恋人」だった。
突然の電話でギリシャに行くことになった「僕」が、慌ててカバンに詰めたのが、着替えと洗面用具とコンラッドの小説を2冊。そして、水着。
春樹サン、コンラッド大好きやな。
そこまでいうなら、とその時は、コンラッドの小説ってどれのことかな、と調べてみた。
代表作は「闇の奥」で、映画「地獄の黙示録」の原案となった、とある。
ふーん、戦争の話か、と思った。
しばらくして注目している光文社古典新訳文庫から「闇の奥」が出版されると聞いてさっそく手に取った。
全然違うじゃないか!
それは、ベトナム戦争とはまるきり関係がなく、象牙貿易で絶大な権力を握ったクルツという人物を探しに、アフリカ奥地へ河を遡る旅の顛末の物語であった。
密林の奥で現地人の信仰を集め「王」となった男を探しに河を遡るという物語の基本構造を原案として使っている、ということか。
一義的に、この物語はヨーロッパ帝国主義の植民地支配の実態を暴く物語として捉えられる。「西洋文明の闇の奥」というわけだ。
そしてその歪んだ帝国主義の構造の中だからこそ、文明の理想に燃えていたクルツのような男が、精神の闇の奥に触れ、偽物の王になり、象牙の亡者に成り果てざるをえなかったのではないか。
密林の闇の奥の、言葉さえも封じ込められてしまう漆黒の闇は、我々の理性を奪う。
その先にあるものは、クルツの「怖ろしい!怖ろしい!」という最後の審判であったのだ。それもまた闇の奥。
クルツへの愛の幻想から冷めないでいる婚約者の存在でさえ、そんな狂気の連鎖の中に取り込まれてしまった。
そしてその狂気を直視できずマーロウが思わずついてしまった彼女への嘘。
これこそが、この辿り着く場所がもともとなかった旅の到達点だったのだ。
そういえば、地獄の黙示録のウィラードと闇の奥のマーロウには、どちらもチャンドラーの探偵(こちらもマーロウだ!)のようなタフネスとユーモアがある。
こういう男でなければ、この闇の奥への道は切り拓けない。
我々が理性などと呼んで珍重しているものは、その程度のものなのかもしれない。
大数学者の岡潔先生も小林秀雄との対談集「人間の建設」で「知には情を説得する力がない」とおっしゃっておられる。
まことにそのとおりだ思う。
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