2013年7月31日水曜日

法条遥「リライト」は文字通りバッドエンド版、時をかける少女であった

筒井康隆の「時をかける少女」は、何故あんなにもたくさんのリメイクを生むのだろうか。

原作に忠実だった原田知世主演の映画は、しかし原田知世という女優の存在の儚さが、時間の中を旅しながらも現実を変えていかない、という見事なイメージを獲得していた。

細田監督のアニメ版は、原田知世の演じた「元祖:時をかける少女」の姪を登場させ、彼女の喪失と成長の物語として描いた。

仲里依紗主演の映画は、「元祖:時をかける少女」の娘を主人公とし、元祖未来人も登場して、正統な続編として描かれた。元祖に安田成美をキャスティングした時点であの映画の成功は約束されていたと思う。うん、きっと彼女はあのように成長したはずだ。

いずれの物語も、コニー・ウィリスの言うところの「時代人」とのかなわぬ恋が全体の枠組みを作っている。
現実の世界で時間を移動する術はない。
だからそれはどうしても概念的でピュアな悲恋にならざるを得ない。
悲恋を描くにこれ以上の舞台はないのだ。

と、ばかり思っていたらとんでもないダークホースが現れた。

法条遥の「リライト」だ。


こちらは映画ではなく、文学。
バッドエンド版「時をかける少女」と銘打っていたが、読んでみてあまりに文字通りなのに驚いた。

なにやら人気のない教室に未来人が突然現れるし、タイム・リープ時にはラベンダーの香りに包まれちゃう。
そのまんま「時をかける少女」だ。
で、もう最後はあらゆる意味で救いがない。

それでもやっぱり悲恋なんだよなあ。
成就したからこその悲恋。
生理的に受け付けない人もいるんじゃないだろうか。

この後の続編がもう出ていて、最終的に四部作になるという。
読むかどうか、今迷っている。



米澤穂信「折れた竜骨」異端であろうとして正統となった「本格」ミステリ

米澤穂信の「折れた竜骨」は、不思議なミステリだ。



「本格」と呼ばれるミステリには厳格なフェアネスが要求される。

シャーロック・ホームズ様は、「不可能な事柄を消去していくと、いかにあり得そうになくても、残ったものこそが真実である。そう仮定するところから推理は出発する。」(白面の兵士 )とおっしゃっておられる。

かのエラリー・クイーン探偵は、実際に事件の捜査にあたって、愚直にすべての可能性を潰しながら真相に迫る。
時に、丁寧すぎて興を削ぐことすらあるが、今やこの丁寧さが本格ミステリ全作品の基調になっていると言ってもいいだろう。

その「らしさ」が「折れた竜骨」の全編を貫いている。

そして冒頭から、これが現代のお話でないことがわかるが、読み進めていくうち、この作品世界の中には「魔術」が存在していることがわかる。

ここで強い違和感が襲ってくる。
魔術がある世界で、どのようにフェアネスを貫くのだ?


日本SF大賞を受賞した貴志祐介の「新世界より」は、全人類が超能力者となった世界を構想した上で、超能力を使って他者を殺めたものは、その力によって自死するという機構を組み込んだ。
この世界にオールマイティな力など存在しない。
それが理(ことわり)というものだ。
超能力であっても例外ではない、という強い意思が「新世界より」を凡百の超能力SFと一線を画した存在にしている。

さて、では魔術の世界での殺人の捜査はどうすればいいのか。
作者米沢穂信は、なんと何の制約もそこに加えず、純粋に論理だけでこの事件を裁いてみせた。
なんと正統で、なんと鮮やかな本格推理。
こんな難行を、こんな読みやすい文体で仕上げてきた彼の作家力に脱帽する。

2013年7月30日火曜日

アナログレコードと、芸術の死と再生

未だに、一番よく使う音楽メディアはアナログレコードである。

それは単純な話、音楽に夢中になった少年時代、音楽メディアの主力はアナログレコードだったから、なけなしのカネでレコードのコレクションを揃えたし、だから強い愛着があって、今でも所有しているからに他ならない。

時代が変わり、CDに主力メディアの地位が移っても、配信データがCDの特性を上回り、受け皿になる再生装置が揃ってきた今日においても、僕が感受性豊かな若いころを一緒に過ごしたアナログレコードから流れてくる音楽の価値が変わることなどないのだ。


でもそれだけだろうか。
それだけのことで、持ち歩きに容易でない上に傷の付きやすい30cmのヴィニール盤を慎重に取り出し、いちいち埃を取り去り、スタイラス(針)を下し半分聴いたらひっくり返して、また埃を払い、というような手間をかけて音楽を聴いているのだろうか。

それだけのことで、まとまった自由な時間ができるといそいそと出かけて行って、カビ臭い中古レコード店の棚を、まるで宝物を隠した洞穴を覗きこむような期待を持って紐解いているのだろうか。


はっきりした理由はわからない。
わからないが、小さなダイヤモンド製のスタイラスが塩化ヴィニール盤に刻まれたマイクログルーヴをトレースしていく時、本来楽器や声の響きを「複製」したはずの空気の振動に、抽象的なサムシングを付け加えて再生しているような気がするのだ。




それが何かを知ろうとして同じ音源をCD化したものと聴き比べると、不思議なことにそのサムシングは霧散してしまう。
確かに音は違うように思うが、周波数特性のことが言いたいのではなくて、音の生命感や演奏の芸術性といったものに関わることの「何か」が違っているように思う。
しかし、そのことをうまく表現する言葉が見つからない。
だからいつもレコードが回転し続けるのを眺めながら、複製された芸術が息を吹き返していくのを虚心坦懐に受け止めることしかできない。

なんであれ芸術が複製される、ということがその芸術性のある意味での「死」であることは、絵画が原画で観るのと写真で観るのではまるきり違う顔を見せるのを経験した方には同意いただけると思う。
また、生演奏だけが音楽に触れる機会であった時代には神聖なものであったはずの演奏行為が、複製音楽が流通することによって大衆化していったことにも異論はないだろう。
現代の我々が生演奏の享受であると思い込んでいるコンサートでさえ、ひとつの演奏を大量の人に聴かせるために多くの楽器を並べたり(オーケストラ)、電気的に増幅したり(PA)して音楽体験を増幅する「大衆化」戦略の一環なのである。

大衆化は音楽を消費財に変貌させ、解釈に一定以上の努力を要求される高度だが豊穣な喜びを与えてくれる音楽よりも、わかりやすく心を動かしてくれるものをより多く生産させるようになる。

このような比定がCDとアナログレコードの関係にあてはまるかどうかは異論のあるところだろう。
しかしそれでも僕は、少なくとも生演奏が録音によって複製された時に失われたはずの「一回性」を、アナログレコードの溝をスタイラスがなぞっていく過程で書き戻しているような気がするのだ。




細川周平氏の「レコードの美学」には、こうある。
レコードのスタイラス stylus という言葉は古代文明で、象形文字やヒエログリフを刻み込むための鉄や骨でできた尖筆に由来する。
そしてそれは刻みこむ道具でありながら、同時に刻まれた跡 style に意味を転じていくのである。



刻みこむ道具と、エクリチュール(書法)の担い手が同一のものであるという一点において、このアナログレコードというメディアが、他のあらゆる大衆的な商業複製芸術の中でも極めて特殊な存在であることは間違いない。

そしてそれは聴き手の側にも、この再生そのものが「原音」であるとして聴くことができるかどうかの覚悟を要求する、ということでもある。
原音を忠実に再現しようとして芸術の死に加担するオーディオ趣味からの卒業の一歩が、その覚悟の先にある。
レコードを「演奏する」という覚悟が。

せっかくここまで音楽を愛して生きてきたのである。
そこまで行きたい。
アナログレコードと一緒に。

2013年7月29日月曜日

「スターシップ・トゥルーパーズ」はふたつの顔を持ち続ける

ポール・ヴァーホーヴェン監督の「スターシップ・トゥルーパーズ」は、ロバート・A・ハインラインのSF小説「宇宙の戦士」を映画化したものだ。



1959年に書かれた「宇宙の戦士」は、冷戦まっただ中の世情に絶望したハインラインが、こんなことなら「理想的な」軍部独裁ってのも考えてみてもいいんじゃないかという、ファシズムによるユートピア小説を真面目に書いたものだと聞いたことがある。

しかし現代の我々がこの作品を読むとき、それはどう読んでも「1984年」の系列に連なるディストピア小説にしか読めず、ヴァーホーヴェン版「宇宙の戦士」も、皮肉たっぷりに描かれたディストピア映画に見える。

ポール・ヴァーホーヴェン監督は、オランダがナチス占領下にあったハーグに生まれた。5歳の時に連合軍がドイツ本土を爆撃するために飛行していく中隊が、深夜、上空で対空砲火で撃ち落されていく様子などを見て、そのスペクタクルに興奮する。
しかし、飛行機はハーグにも墜落し、父親と堕ちた飛行機を探しに行った先で、ドイツ兵たちがバラバラに飛び散った肉片を拾って小さな箱に集めているのを見て、戦争の現実に強いショックと嫌悪感を抱く。

やがてその戦争は終結し、人類は大きな教訓を得たはずだが、どっこい紛争は無くならない。自分を映画監督にしてくれたアメリカも、パナマ、ベトナム、ニカラグアといったあらゆる紛争地域に介入し覇権を広げようとしている。

だからこの映画は、ファシスト国家の軍部によって作られた戦意高揚のプロパガンダ映画を念入りに茶化したような作りになっているのだ。


僕らの国も、長い間文化的影響を受けた隣国たちと領土に関する認識の違いからトラブルを抱えていたりする。
現政権は、彼らが攻めてきた時に充分戦えるような徴兵制を敷くための布石を打っているように見えるし、選挙の結果を見る限り国民はこの政策を支持しているようだ。

人類の歴史は、まるごと戦争の歴史と言ってもいいほどだが、人類全員を何度も殺せるような兵器を作れるようになった時代の大きないくつかの戦争を経て、僕らの国は戦争を放棄する画期的な憲法を手に入れた。
しかし、その英断は再び無に帰そうとしている。

もちろん国内には異論を唱える声も大きいが、戦争はやめようと声を上げれば、しかし実際に隣国が攻めてきたらどうするのだと諌められる。
もし愛する家族に命の危険が迫ったとして、僕にできることがあるのなら、死を賭しても愛する家族を守りたいと思う。
そのような状況が現実のものになったとき、この作品はハインラインが想定した意図を取り戻し、いっぺんにユートピア小説に姿を変えるのだろう。


きっとどちらが正しい、ということではない。
しかし、このような物語が我々の中に常に二面持って存在し続けているということを忘れずにいたいものだと思う。

2013年7月25日木曜日

「25年目の弦楽四重奏」に未だ残るベートーヴェンの魂の咆哮

真空管アンプとタンノイのスピーカーを買ってから、一時期集中的にクラシックを聴いた。

いろいろ聴いたが、僕にはベートーヴェンの楽曲が面白かった。
小さな、ほとんど音階的な意味を持たないフレーズを作って(「運命」のジャジャジャジャーンを思い出して欲しい)、その小さなピースを縦にずらしたり、横にずらしたりして幾重にも積み重ねて、楽想を作り上げ、そこにその時代で許されないギリギリの不協和音を忍び込ませて、新しい地平を切り拓いていく。そういうイメージがあった。

だからベートーヴェンの楽曲を聴く時はいつも、その「小さなピース」を探すことから始めた。
聴き進めていくうち、弦楽四重奏の第14番、作品番号131が耳に止まった。

第一楽章冒頭、小さなピースがあからさまに第一ヴァイオリン、第二バイオリン、ビオラ、チェロと追いかけるように重なっていくのだが、うまく重なりあっていなくて、ハーモニーが美しくとれていないように聴こえるのだ。
「考えすぎだな」と思った。
楽曲が進んでいくとあろうことかズレは増大していき、ハーモニーはますます複雑になっていく。しかしある時点から、ピースの転換点である印象的な最低音の位置が揃ってくる。
絶望さえも想起させるその低い音が四重奏団の中を貫いて、ついには全体でぴたりと揃ったピースが弾かれ、聴いている者の心を刺し抜いていく。

ああ!凄い曲だ!
そう思って以来ことあるごとに、長く難解なその楽曲を愛聴してきた。


だから、「25年目の弦楽四重奏」の予告編を見た時、冒頭のちょっとズレているように感じたピースの重なりが、細かいところまでどのように設計されているのか「見えた」ような気がして、この楽曲のより深い理解に繋がるのではないか、と劇場に足を運んだ。



この曲は1826年、作曲家の死の前年に書かれた。
この時期のベートーヴェンは大きな家族問題を抱えていた。
生涯独身だったベートーヴェンだが、甥カールを溺愛していたことが知られている。
弟カスパル・アントン・カールが亡くなると裁判に訴え未亡人ヨハンナからカール少年を奪い養子にして育てた。
カールは成長し、乱暴で極端な正確のベートーヴェンを嫌うようになり、この弦楽四重奏14番の作曲中のベートーヴェンを殴って飛び出し、ピストル自殺を図る。

幸い自殺は未遂に終わり、心機一転兵役につくのだが、そうまでされたベートーヴェンは、しかし作曲し終えた傑作中の傑作、弦楽四重奏14番をカールが所属する陸軍の元帥に献呈するのである。

わだかまりは薄れ、病の床についたベートーヴェンをカールは献身的に看病したという。

ベートーヴェンは殆どの作品において、形式的にも内容的にも「実験」を行なってきた作曲家だが、14番は飛び抜けて前衛的だ。
そしてその前衛性の最たるものが、7つもの楽章がすべて連続で演奏され、切れ目がないこと。
楽団はそれぞれがチューニングが狂い続ける楽器を抱えて、この難解な楽曲のハーモニーを維持していくことを要求されている。

映画の中でクリストファー・ウォーケン扮するチェリストのピーターのセリフに、
「我々も長いこと休みなく演奏を続けると調弦が狂ってくる、それぞれ違う形で」
「演奏をやめるべきか」
「それとも調弦が狂ったまま最後まで互いにもがき続けるか」
とある。

ベートーヴェンは、自身の家族が時間という試練に晒されて軋んでいった様を弦楽四重奏14番に反映させていったのだろうか。
映画の中の四重奏団も、25年の演奏活動の中で軋みを見せていた。
チェリストの病気をきっかけに、楽団はボロボロと崩れていく。

それでも、時折
「音楽に集中しろ」
「音楽に敬意を払え」
「音楽は祈りだ」
といったセリフが現れ、現実の人間関係と、演奏家として音楽を奏でるということは違うのだ、と意識させる。

事実、映画はこれといった決定的な解決を見せないまま、演奏会に突入し、信じられないような素晴らしい演奏が繰り広げられ、その徐々に調弦が崩れていくのに楽曲全体が調和していくという奇跡のような弦楽四重奏14番の魔力の中で、すべてのわだかまりが溶けていく。

結局この映画は、晩年の楽聖ベートーヴェンが残した魂の咆哮に、俳優やスタッフが見事に応えたもの、といえるのではないだろうか。


第二バイオリンのロバートは、バイオリニストを目指す娘に、
「シューベルトの最後の望みを知ってるか」と問う。
シューベルトは死の床で、ベートーヴェンの弦楽四重奏第14番、作品番号131しか聴きたくないと言い、死の5日前に演奏させた。
「その時、死にゆくシューベルトの前で演奏するものの気持ちになって弾くんだ」とアドバイスするのだ。

そういう、人生をまるごとつぎ込んで後悔しないほどの深みと力強さをこの時代の音楽は持っていたと思う。
200年ちかく経ったのに、未だその情熱は我々を動かしている。



2013年7月24日水曜日

クリント・イーストウッドが「グラン・トリノ」に託した贖罪

僕が少年時代を過ごした釧路は、二百海里以降ずいぶん変わってしまった。

それまでの釧路は遠洋漁業の基地として豊富な水揚げを誇り、揚がった魚を加工する工場も潤ったし、なにより一回の漁でちょっとした小金持ちになる漁師さんたちが街の消費を刺激して、猥雑で貪欲な活気に充ちた街にしていた。
それが1977年に改正された領海法と漁業水域に関する暫定措置法が施行され、遠洋漁業の漁場は大幅に制限された。
太平洋炭礦の閉山もあり、徐々に釧路の街は活気を失っていった。

同じようにオイル・ショック以降、アメリカの自動車産業を支えてきた街もずいぶん変わってしまっただろうと思う。
クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」は、そういう街のひとつ、デトロイトの湖畔のグロス・ポイントを舞台にした物語だ。



イーストウッド自身が演じるコワルスキーは、72年にフォードの組立工としてグラン・トリノのハンドルを作っていて、それをいまでもピカピカに磨いて大切にしている。
その翌年の1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。
これを受け10月16日に、OPEC加盟産油国のうちペルシア湾岸の6ヶ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。
オイル・ショックだ。

これ以降、燃費がよく壊れにくい日本車に人気が集まるようになり、大型で燃費の悪いアメリカ車は売れなくなった。
72年型グラン・トリノはアメリカ自動車産業の最後の輝きと言えるだろう。

そしてグロス・ポイント地区も自動車産業で金持ちになった人々のあこがれの高級住宅地だったのだが、自動車産業がダメになるとみんな職を求めて違う州に引っ越してしまう。
代わりに白人以外が住みついて、仕事もないので犯罪が増え、荒れ果てたギャング地帯になってしまったのだ。
おまけに手塩にかけて育てた息子はこともあろうに、自分の仕事を奪ったトヨタのセールスマンなどをしているという。

しかしそれでもコワルスキーは引っ越したりはしない。
名前からもわかるようにコワルスキーはポーランド系だが、このような非WASPの移民が初期のアメリカ自動車産業を支えていた。
彼ら移民者は貧しく教育も受けていなかった。英語も満足に話せず、カソリックや東方正教徒の彼らは宗教習慣の違いにも苦労したことだろう。
その子供たちである第二世代はフォードが開校した職業学校に通って、昼は勉強、夕方以降は工場で働いたのだそうだ。

このようなやり方は、第二世代の彼らに強い忠誠心を植え付けたと思う。
朝鮮戦争で陣地を守り通すことにも発揮された、このロイヤリティがコワルスキーをこの場所に縫い止めているのだ。


ところがそんな彼の家の隣に、モン族の一家が引っ越してくる。

モン族はラオス一帯に住んでいた少数民族だ。
ベトナム戦争では、北ベトナムが南のベトコンを支援するためにラオス・カンボジアを通って物資を送った。これをホーチミン・ルートという。
これに困ったアメリカは、山岳地帯を機敏に動くラオスのモン族の機動力に目をつけ、高い報酬でモン族を雇い特殊攻撃部隊を組織した。

ところがベトナム戦争終結後、アメリカに協力したモン族は国を失い、十万人を超えるモン族がアメリカに亡命したのだ。
モン族はアメリカに利用された被害者で、コワルスキーの、朝鮮戦争でアジア人を大量に殺したという罪の記憶を刺激する。

アメリカへの忠誠心で、その罪の記憶に崩れそうになる自分を支えてきたコワルスキーは、かつて敵だと看做していたアジアの少年の中に、自分と同じコンプレックスや自尊心、どうしようもない怒りの感情や諦め、そういうものを見出したのだ。

だからコワルスキーは贖罪を選ぶ。
コワルスキーにとっては自分自身が「許されざる者」なのだ。
モン族の少年は同じような境遇に置かない。
すべて自分が引き受ける。
引き受けきった後、分身であるグラン・トリノを罪の穢れから引き剥がした。

そしてコワルスキーはグラン・トリノをモン族の少年に遺すのだ。
イーストウッドは、映画「許されざる者」で果たせなかった贖罪をやっと果たせたのかもしれない。

「地獄の黙示録」は今も、この先も黙示録であり続けるのか

戦争の映画が嫌いだった。
合法的な殺人などない、と思うからだ。

今は少し考え方が変わった。
それでも、死刑を行う国は存在するし、戦争だってちっとも無くならない。
それどころか、憲法を変えてまで戦争ができる国家にしようぜと政治家が言い出してるのに、そいつらを選挙で勝たせる国まである。

だから、戦争の映画は必要なのだ。
きっと目で見ないとわからない人もいるのだ。



その点、「地獄の黙示録」なら、うってつけだ。
戦争よりもサーフィン大事の指揮官はワルキューレの騎行を大音量で流しながら、残忍な殺戮を行うし、河でベトナムの船を見つければ、機銃斉射しておいて負傷者を病院に運ぶ。
戦争の現場は残忍で不条理で、人間はそこに普通の神経で立っていることは出来ない。
僕らのよく知っている戦争は政治家が机の上やら会議室で作っているのだ。


だが、この映画は戦争とは関係ない文学作品を原作に作られた。
ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」という、この映画の原作小説は、象牙貿易で絶大な権力を握ったクルツという人物を探しに、アフリカ奥地へ河を遡るマーロウの旅の顛末を描いて、ヨーロッパ帝国主義の植民地支配の実態を暴く物語であった。



密林の奥で現地人の信仰を集め「王」となったクルツ。
それが「地獄の黙示録」のカーツ大佐だ。

そしてカーツ大佐には、もう一人のモデルがいる。


ベトナム戦争では、北ベトナムが南のベトコンを支援するためにラオス・カンボジアを通って物資を送った。これをホーチミン・ルートという。
これに困ったアメリカは、山岳地帯を機敏に動くラオスのモン族の機動力に目をつけ、高い報酬でモン族を雇い特殊攻撃部隊を組織した。
この時送り込まれたのがトニー・ポーという男で、結局モン族の王女と結婚し王様となった。
「闇の奥」をベトナム戦争の物語に翻案するために使われた、カーツ大佐のもう一人のモデルだ。

この時、アメリカに協力したモン族は国を失い、十万人を超えるモン族がアメリカに亡命
した。モン族の亡命者たちが移住した町を舞台にしたのがクリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」なのだが、それはまた別の話だ。



この映画のクライマックスは、もちろんウィラードとカーツ大佐の対決だが、その対決の直前、カーツ大佐の机に置かれた「金枝篇」が明示的にスポットを浴びる。
むろん「王殺し」の示唆だ。


金枝篇での「王殺し」は、集落を護っている王の呪力を永続させるために行われる。
王の力が弱まってきたら呪力が完全に失われてしまわないうちに殺してしまい、殺したものに呪力を移すという儀式なのだ。
だからカーツを討ち、民の前に姿を現したウィラードを見て人々が次々に武器を捨てたのは、彼を次の王に承認するという意思表示だろう。
立花隆氏が言うような、この映画の平和主義的側面というのとは違う、と僕は思う。


コッポラは撮影して一度はラストシーンに組み込んだカーツ砦の爆破シーンを公開直前に削除したそうだ。
それまでのウィラードの言動から考えれば、「オールマイティ」に砦を焼き払わせるのが自然に思えるが、こちらがコッポラの意思をより忠実に反映したものだと考えると、ウィラードはすべてを焼き払うことによってこの一件を終わりにせず、自らが新しい王となって「自分の」王国を作りに旅立ったのだろう。

「闇の奥」でのマーロウ(=ウィラード)は、クルツを看取った後、生き抜いて、河を離れることなく生き抜いてクルツへの忠誠を示す。
ウィラードもまた、生き抜いて、戦いの泥沼を離れることなく生き抜いて、この世界に戦争が絶えることがないように、今もまだ呪いをふりまき続けているのではないか。

事実この作品のウィラードとカーツの対決シーンから、村上春樹「1Q84」の青豆と教祖の対峙を想起しなかった人はいないだろう。
また、伊藤計劃の「虐殺器官」の精神的バックボーンとなって、我々に戦争の狂気の存在を伝え続けているではないか。

だからこそ、この物語は「黙示録」を名乗っているのだと思う。
怖ろしい。怖ろしい。

2013年7月22日月曜日

ジョセフ・コンラッド「闇の奥」

ジョセフ・コンラッドという英国の作家を教えてくれたのは村上春樹だった。

最初は「羊をめぐる冒険」で、鼠の別荘のサイドテーブルに「コンラッドの小説」が伏せて置いてあった、とある。
その時は特に気に留めなかった。

「ノルウェイの森」では長沢が「僕」に好きな作家を訊かれて「バルザック、ダンテ、ジョゼフ・コンラッド、ディッケンズ」と答える。
バルザック、ダンテ、ディケンズは読んだことはなくとも名前くらいは知っていが、ジョセフ・コンラッドは聞いたことないな。その時はそれで終わり。

次にコンラッドの名前を見たのが、やはり村上春樹で、今度は「スプートニクの恋人」だった。
突然の電話でギリシャに行くことになった「僕」が、慌ててカバンに詰めたのが、着替えと洗面用具とコンラッドの小説を2冊。そして、水着。
春樹サン、コンラッド大好きやな。
そこまでいうなら、とその時は、コンラッドの小説ってどれのことかな、と調べてみた。

代表作は「闇の奥」で、映画「地獄の黙示録」の原案となった、とある。
ふーん、戦争の話か、と思った。

しばらくして注目している光文社古典新訳文庫から「闇の奥」が出版されると聞いてさっそく手に取った。



全然違うじゃないか!

それは、ベトナム戦争とはまるきり関係がなく、象牙貿易で絶大な権力を握ったクルツという人物を探しに、アフリカ奥地へ河を遡る旅の顛末の物語であった。

密林の奥で現地人の信仰を集め「王」となった男を探しに河を遡るという物語の基本構造を原案として使っている、ということか。



一義的に、この物語はヨーロッパ帝国主義の植民地支配の実態を暴く物語として捉えられる。「西洋文明の闇の奥」というわけだ。
そしてその歪んだ帝国主義の構造の中だからこそ、文明の理想に燃えていたクルツのような男が、精神の闇の奥に触れ、偽物の王になり、象牙の亡者に成り果てざるをえなかったのではないか。

密林の闇の奥の、言葉さえも封じ込められてしまう漆黒の闇は、我々の理性を奪う。
その先にあるものは、クルツの「怖ろしい!怖ろしい!」という最後の審判であったのだ。それもまた闇の奥。

クルツへの愛の幻想から冷めないでいる婚約者の存在でさえ、そんな狂気の連鎖の中に取り込まれてしまった。

そしてその狂気を直視できずマーロウが思わずついてしまった彼女への嘘。
これこそが、この辿り着く場所がもともとなかった旅の到達点だったのだ。

そういえば、地獄の黙示録のウィラードと闇の奥のマーロウには、どちらもチャンドラーの探偵(こちらもマーロウだ!)のようなタフネスとユーモアがある。
こういう男でなければ、この闇の奥への道は切り拓けない。

我々が理性などと呼んで珍重しているものは、その程度のものなのかもしれない。
大数学者の岡潔先生も小林秀雄との対談集「人間の建設」で「知には情を説得する力がない」とおっしゃっておられる。
まことにそのとおりだ思う。

2013年7月21日日曜日

半藤一利「幕末史」

私の家内の実家は、泊原子力発電所の目と鼻の先にある。
だから原子力発電の安全性に関しては全く人ごとではない。

ある日、こんな話を聞いた。
日本の原子力発電所のほとんどは、戊辰戦争、および西南戦争までの日本各地で蜂起された新明治政府への抵抗勢力の土地に建てられている、という。

調べてみると確かに例外は浜岡だけで、あとは朝敵藩の領土に建てられていた。

まさか今に至るまで誰かが恨み骨髄に思っていて、復讐のために原子力発電を建てて廻ったということはないだろう。
政府が運営上、朝敵藩を冷遇してきた結果、利益誘導的な日本政治のこと、自治体運営自体がうまくいかなくなり、産業が育てられなかった結果、原発建設に適した土地が残っていたということと、交付金をもらってでも自治体運営をしていかざるを得ない状況になってしまったということなのだろう。

なんてことだ。
そんな昔の戦争の影響がまだ残っているとは!

急に、教科書で習った幕末がうすっぺらなものに思えてきて、ちょうど書店に並んでいた半藤一利さんの「幕末史」を手にとった。



冒頭から、教科書の歴史は薩長史観であるとの痛烈な指摘が。
そして「坂の上の雲」や「世に棲む日日」で僕らを痺れさせてくれた司馬史観も薩長史観の裡にある。

長い間、明治維新というのは攘夷派と開国派の政争と思っていた。
しかし根は関ヶ原で敗戦側につき冷遇された薩摩と長州が国威を取り戻すため、鎖国体制下で長崎に交易権が独占されている間隙をついて密輸入で莫大な収益をあげていたところにあったのだ。
ペリーの来航で、諸外国との国交が開かれると、この資金源が絶たれる。
ゆえの攘夷なのである。
今度は関ヶ原か・・

しかし、事態が進んでいくうち、戦争の歴史に鍛えぬかれた海外の兵器の力の違いや組織化された軍の洗練に触れ、攘夷は無理だ、となる。
となれば、開国後の権益を受け取る側になりかわる他ない。
ゆえの倒幕なのである。

かくして攘夷派は統幕勢力となり、それでも戦っている場合ではないと気付いた一部の俊英の素早い策略と慶喜の不戦の英断により、全面戦争になる前に大政奉還に至るわけだ。

しかし新政府は軍人ばかりで、政治家不在のまさに烏合の衆。
岩倉具視の海外視察団を派遣して勉強の成果を新国家体制作りに活かそうと言っているのに、留守中に西郷隆盛の独断専行による改革の乱発。
しかし征韓論の挫折で西郷が鹿児島に帰ると、今度は大久保利通が西郷派が抜けた政府の中枢を大久保派で埋め、改革を続ける。
そして、佐賀の乱を手始めに九州勢が蜂起し、西南戦争に至る。

この間の報道や巷間の声は、現代の政治批判の無責任さと全く同じで、読んでいると身につまされて辛くなる。

さらに西南戦争の直後、なんと日本は台湾征討に出て勝利する。
何をしているのだ。

さらに調子に乗ったのか、朝鮮半島周辺の海路を測量するといって、江華島付近にボートを下ろしたところに砲撃を受ける。いきなり砲撃というのもどうかと思うが、何しろ台湾を攻めた後なのだ。アジア各国もピリピリしている。無理もないと思う。
さらに、これをきっかけに大型軍艦を朝鮮に乗りつけ、朝鮮側の鎖国を開かせ、不平等な条約を結ぶ。
ペリーと同じじゃないか。これでいいのか。

またこの西南戦争や台湾征討の際、シビリアン・コントロールのもどかしさに痺れを切らした経験から、山県有朋が軍の統帥権を政府から独立して天皇陛下直下に置くようにしてしまう。

昭和の軍事大国化の流れは近代日本の成立にビルドインされていたのだ。

この失敗の経験から僕らは今の憲法を手に入れた。
やっぱり、これ簡単に変えちゃいけないんじゃないか。
そう思う。

「ミスティック・リバー」戻らない時のような河の流れに

「ミスティック・リバー」は、人気作家デニス・ルヘインの傑作ミステリー小説を、「許されざる者」のクリント・イーストウッド監督が映画化した重厚なミステリー・ドラマだ。



かつての幼馴染みが、ある殺人事件をきっかけに25年ぶりに再会、事件の真相究明とともに、深い哀しみを秘めた三人それぞれの人生が少しずつ明らかになっていくさまが、静謐にして陰影に富んだ筆致で語られていく。

ジミー、ショーン、デイブの三人は少年時代、よく一緒に遊んでいた。
ある日、いつものように三人が路上で遊んでいたところ、突然見ず知らずの大人たちが現われ、デイブを車で連れ去っていってしまう。
ジミーとショーンの二人は、それをなすすべなく見送ることしか出来なかった。

数日後、デイブは無事保護されるが、彼がどんな目にあったのかを敢えて口にする者はいない。それ以来三人が会うこともなくなった。

それから25年後。ある日、ジミーの19歳になる娘が死体で発見される。殺人課の刑事となっていたショーンはこの事件を担当することになる。
一方、ジミーは犯人への激しい怒りを募らせる。やがて、捜査線上にはデイブが浮かび上がってくる。


僕は40代になってからこの映画を観た。

僕が幼少期を過ごした1970年代の釧路は、太平洋炭鉱の閉山と200海里で、大きく街のカタチが変わりゆく時期だった。
街の中で人口の移動があり、公務員住宅が移設されたり、新しい学校が出来たりして、転校する子が多かった。
自分自身も4年生の時に転校した。

転校したり、して来たりの中で、何人か忘れることのない友達ができて、そして別れた。
ちょっとキワドいイタズラや、野球。
ミニスキーに忍者ごっこ。
時には喧嘩もしたはずだ。


小学校での転校や中学進学でその多くの友達と離れ、自分自身が成長し変わっていく。
そして高校に入学した僕は、先輩に強く勧誘されて剣道部に入部したが、そこで縁あって小学校時代、転校前と転校後に仲良く遊んだ友達と二人と偶然再会した。

さらに時が進んで、現代は恐ろしく進んだ情報化社会。
僕はFacebookなる文明の利器で、懐かしい親友や、昔想いを寄せた人と再会した。


友達の距離感というのは不思議だ。
昔の友達と話すとき、その頃とは変わってしまった自分が照れくさくて、でも子どもの自分に戻れるわけではないし、その中間くらいの自分を演技して、ある種の浮遊感のようなものを感じながら振る舞う。


「ミスティック・リバー」には、常にその不思議な距離感と現実の行き来が描かれている。
クリント・イーストウッド監督の映画にはいつも儘ならない現実が描かれるが、本作では外面的な運命だけでなく、内面的な心情の儘ならなさに強く踏み込んで演出されている。
だから心が揺さぶられる。

そしてその揺さぶられた心を、強い違和感に導くラストのパレードシーン。
そこにまとわりつく非現実感こそが、この映画の主題である。

殺人を察知しながらも止めず、幼馴染を殺してしまった夫を家族を守る正しく強い王として抱きとめるジミーの妻。
妻の承認を得て、再び立ったジミー。
ようやく手にした幸せに酔い、刑事としての自分をその一時忘れるショーン。
皆、パレードを幸福そうな表情で見つめている。

そして、その誰とも視線を合わすことさえ出来ず、憔悴のままパレードを追うデイブの妻が、この映画に突き刺された「現実」というナイフだ。
そしてパレードは、三人の少年がナイフで名前を刻んだ場所を通り過ぎていく。

それは、パレードが行き過ぎた後に必ず現実が訪れる、という約束なのだ。
そしてその現実は、それぞれの距離感をまた激しく変えてしまいながらも、留まらずに時間を進めていく。
すべてを押し流してしまうミスティック・リバーのように。

2013年7月18日木曜日

破滅しなかった天才 - Miles Davis「LIVE AROUND THE WORLD」

先日の高級オーディオ試聴会で、最も印象に残ったマイルズ・デイヴィスの「Live Around The World」を入手して聴き続けている。



マイルズが亡くなったのは1991年9月28日である。
そしてこのライブは1988年から、死の直前91年8月25日までの世界各地でのライブをオムニバス収録したアルバムなのだ。

しかしここには、老成とか円熟といったようなものは些(いささ)かも感じられない。
マイルズのプレイは生涯変貌を続けた。
それなのに一聴してマイルズのものとわかる音色(おんしょく)を持っていた。
このアルバムでもミュート-オープンで変幻自在に音色を変えながら楽曲に絡んでいく。
もちろん、全盛期のような激しいブロウはないけれど、そんなものはもともとマイルズの美点ではなく、あの「卵の殻の上を歩く」と形容されたデリケートなフレージングはますます磨きがかかっているのである。


ジャズの世界には破滅型のミュージシャンが多い。
そして最後の瞬間の輝きは、その生が儚いほどひときわ輝く。

僕はチェット・ベイカーの人生最後のライブである「The Last Great Concert」をことのほか偏愛している。
かつてイケメン(なんて言葉は当時もちろん無いが)トランペッターとして一世を風靡したとは思えないほど老け込んだチェットは、そのコンサート会場の警備員に、どうしてもチェット本人であると信じてもらえず、主催者に気づいてもらうまで会場に入れなかったという。

そしてそのボロボロの格好のままステージにあがったチェットは、その容貌からは信じられないほど清廉でリジッドなフレーズを吹いた。
そしてMy Funny Valentineでは、若き日、ボサノヴァの誕生に大きな影響を与えたクールな唱法はそのままに、「枯れた」のではなく、「人生ってさ、簡単じゃないけど、そう悪くもないよ」というような芯の強い諦念が乗った、味わい深い喉を聴かせてくれた。
その日のために友人たちが用意したバンドは、チェットの命の煌きに応えて奇跡のような演奏を残した。

そしてその演奏の二週間後、チェットは宿泊先のオランダのホテルのベランダから転落して亡くなってしまった。


マイルズは、こういう弱さ故の輝きとは無縁だった。
80年代には酒もタバコもドラッグも克服して、ロックに市場を奪われ続けたジャズの世界を軽々と飛び超えて、マイルズ・デイヴィスという名の音楽を作り続けた。

そして70年代、80年代と個性的なギタリストと組むことでその音楽性を広げていったように思う。
どんなロックよりロックらしい名盤ビッチズ・ブリューでジョン・マクラフリンと、その後もマイク・スターン、ジョン・スコフィールドなど名うての名手と作品を作り続けた。

そしてマイルズが最後のバンドのギターパートを託したのが、ジョセフ・フォーリー・マクレアリーというベーシスト(!)である。
ベースパートを弾く人は別にいて、フォーリーはリードベースという高音部を担当している。
すげえ太い音のギター、にしか聴こえない。
どこまでも、自分の音楽を作るために挑戦をやめなかったマイルズ・デイヴィスという稀代のアーティストの音楽がフォーリーのプレイから零れ落ちてくる。

このアルバムの最終曲Hannibalは、マイルズの生涯最後の演奏だ。
なぜかCDのブックレットには、この曲のみクレジットがついていないが、91年8月25日のハリウッド・ボウルでのライブ(中山康樹著、マイルズを聴け!Ver.6より)。

だが、儚くはない。
現役感たっぷりの明るさや充実感に充ちた演奏を残してマイルズはこの世を去った。
実に彼らしいと思う。

2013年7月16日火曜日

「探偵はBARにいる」はニッポンのハードボイルドである

大学生の頃、友だちの多くはアルバイトをしていた。
塾講師や、家庭教師。
レンタルレコードショップや、大学の近くの喫茶店。

僕はといえば、昼ごろ起きて、バンドの練習か代返の効かない授業にだけ出て、あとはサークルの溜まり場で時間を潰す怠惰な生活から逃れられず、決まった時間に働くアルバイトをやっていなかった。

夏休みに故郷の釧路にある、あすなろ塾という中学生向けの学習塾で国語の講師をやって、赤いアイバニーズのエレキギターを買った。
そして時々、レコードを買うために学生課の貼り紙を見て引越しのバイトをやった。
キツいけど、カネになった。
やはり働くのはあまり好きじゃなかった。


ある時、サークルの先輩が、今度新しく喫茶店が出来るからそこで一緒にバイトをしようと誘ってくれた。
働くのは好きじゃないが、その先輩のことは尊敬していた。
その人が長く働いていたCubicというカフェバーの支店のようなものだということだったので、先輩の人間性に少し近づけるかもしれないと思い、働いてみることにした。

ススキノの南興ビル地下に出来たON THE ONという店だった。
母音だが、何故かオン・ザ・オンと発音させるその店の勤務時間は、夜の11:00から明け方の4:00までだった。
ススキノのホステスさんが、お店がハネた後、お客さんと、または同僚と立ち寄って珈琲を飲む店だ。


深夜の歓楽街の裏舞台みたいな店だった。
「お店」というステージを降りた夜のアクトレスが足を休める場所。
そこには、緊張や嫌悪感から解き放たれたやすらぎのようなものがあった。
いつもは接客をする側の人たちが、同じ接客業の僕たちにかける仄かな気遣いのようなものが心地よい空間だった。
それは、ススキノという大き過ぎない歓楽街の持っている独特のアット・ホームさの源泉だったのかもしれない。


札幌の作家、東直己さんの原作による映画「探偵はBARにいる」には、そんなススキノの空気が実によく再現されている。
ススキノのお店で話し込んでみれば、みんな他のお店のことを本当によく知っていることがわかると思う。そんな雰囲気が、この映画にはある。



事件の解決について、問題があるというレビューがこの映画には多くついているが、馬鹿なことを言ってはいけない。
この映画は「ハードボイルド」なのだよ。

僕はハードボイルドが好きだ。
彼らが理不尽と戦う存在だからだ。

世界は事実、理不尽に満ちていて、現実にはいちいちそれらと戦っているわけにはいかない。生きていくのは結構面倒な事が多いからだ。
戦わずに済むなら多少の我慢はしても戦わずに済ませたい。でしょ?
だから、物語の中で我々の代わりに戦ってくれる彼らにせめて拍手を送りたいのだ。
みんなもそうだと思う。

ハードボイルドはこの「身びいき」を楽しむ文学なのである。
我々の代わりに思う存分傷めつけられた探偵が、神サマがくれた偶然という名の思いっきりの身びいきを得て、悪党を懲らしめて溜飲を下げる。
そういう物語なのだ。


また、アメリカのハードボイルドと較べて、云々という言説も聞かれるが、無理を言ってはいけない。

アメリカという、植民地政策と奴隷貿易が生み出した国家に否応なく内在してしまう「歪」をどうしようもなく引き受けて、タフな役回りを演じさせられている探偵と、逃げ場のないムラ社会の中で、うまく立ちまわる人たちとうまく生きていけない人たちの間に生じた闇が、時に凶暴な暴力に変わってしまうのを体を張って引き受ける日本のハードボイルドは、本来較べるべきでないほどの大きな差異があるのだ。

我々はそのニッポンの風土的ハードボイルドを楽しめばよいと思う。
少なくともその点においては、この映画はとてもよく撮れていると思うから。

2013年7月15日月曜日

その耽美を打ち砕く熱線銃の一撃「シャンブロウ」C.L.ムーア

はっきりと自覚的に読書を愉しいと思った最初の一冊は、小学校の図書室にあったE.E.スミス「レンズマン・シリーズ」の子供向け編集版だった。
その後NHKで放送されたアニメ版の「キャプテン・フューチャー」が僕のスペース・オペラ志向を決定づけた。

予備校に通うため出てきた札幌の古書店で、野田昌宏さんの書かれた「SF英雄列伝」を買って、ノースウェスト・スミスのことを知った。
いくらスペース・オペラが、ホース・オペラの舞台を宇宙に移したものとはいっても、多少「科学」の入る余地があるものだが、なぜか宇宙を地球人や火星人や金星人が自由に行き交うほどの科学の時代なはずなのに、自動ドアはどこにもなく、人々は決まって貧しいスラムに住んで、古びた酒場で厳しい労働にくだを巻いている。

まるで昔夢中になった松本零士さんの「キャプテン・ハーロック」の世界で、これはぜひ読んでみたいと思って、随分探してすでに絶版になっていた「大宇宙の魔女」という短篇集を手に入れた。

編集さんも同じ事を考えたのだろう。表紙絵が松本零士先生だった!
冒頭に収録された「シャンブロウ」の妖しくてセクシーな筆致にたちまち夢中になった。



「異次元の女王」「暗黒界の妖精」という姉妹編もある。
後に暗黒界は神保町で見つけて買ったが、異次元は入手できないまま、いつかノースウェスト・スミスのことは忘れてしまっていた。


今年2013年の始めに、野田昌宏氏翻訳のスペース・オペラ短篇集「太陽系無宿」と「お祖母ちゃんと宇宙海賊」が二冊合本で復刻された。



懐かしい野田節に舌(耳?)鼓を打ったわけだが、翻訳ミステリの新作を探していて平台に「シャンブロウ」の文字を見つけた。
「まさかあのシャンブロウか」と手に取ってみると、まさにあのシャンブロウで、しかも「大宇宙の魔女」「異次元の女王」「暗黒界の妖精」の三部作の合本復刊ではないか。
これは買うしかない、と即購入したというわけだ。



まとめて読んでみて、ノースウェスト・スミスが他のスペース・オペラ・ヒーローとは随分違っていることに気がついた。

スペース・オペラのヒーローというやつは、たいてい憎々しい異星の悪漢と戦うものだが、ノースウェスト・スミスはどのお話でも、古代から人々に恐れられる、おどろおどろしい異形の怪異と対決することになるのだ。

まるでそれらの異形の怪異たちは、人間の心に巣食う憎しみや強欲、嫉妬といったものの原初のカタチであるかのように描かれている。
スミスも、その馴染み深い、おそらく彼自身の心にも存在する弱さに抗しきれず、取り込まれそうになって、相棒のヤロールが駆けつけて我に返って熱線銃で一発、という展開でだいたい決着する。

その異形のものどもを描くムーアの耽美な筆致がノースウェスト・スミスの物語の真の中心点なのだ。
人々は表向き社会の中の一員として、それに接するときには忌み嫌い、憎み、そして恐れているように振舞う。
しかし心中ではどうしようもなく惹かれているのだ。

その感情の発露が「耽美」だ。
ムーアはぎりぎりのところで、スミスを踏みとどまらせ、死と同義の耽美から、楽しい事ばかりではない日常の日々に引きずり戻す。
熱線銃の一撃で。

熱線銃を持たない我々は、耽美の世界を覗きこまないほうがいいのだろう。
きっと。

2013年7月12日金曜日

「真夏の夜のジャズ」に封じ込められた幸福な記憶

「真夏の夜のジャズ Jazz On A Summer's Day」 1958年(日本公開1959年)
(監督)バート・スターン Bert Stern、アラム・アヴァキアン Aram Avakian
(制作)ハーヴェイ・カーン Harvey Kahn、バート・スターン
(撮影)バート・スターン、コートニー・ヘイフェラ、レイ・フェアラン
(音楽)ジョージ・アヴァキアン


1958年に、ロード・アイランド州ニューポートで行われた第5回のニューポート・ジャズ・フェスティバルを、気鋭の写真家バート・スターンが切り取った幸福の記録。

7月3日から6日までの4日間カメラを回し続け、トータル24時間分のフィルムを撮り、80分にまで刈り込まれたゆえに、その時代の記録は儚い輝きを放っている。

だからそこには、この後も図太く自らの音楽を追求していくマイルズ・デイヴィスの姿も、ブロウ一発でそこにロリンズしか見えなくなる、時代にまったく左右されないトーンを持つソニー・ロリンズの姿もないのだ。


翌1959年のキューバ革命で喉元にナイフを突き立てられることになるアメリカ。
人種差別の撤廃を求める公民権運動は盛り上がりつつあり、ワシントンでの大きなデモ行進が行われたのはこの1958年のことだ。
アメリカの国内は、いよいよ混乱の時代を迎えようとしていた。
そして、アメリカにとって屈辱的な敗北となるヴェトナム戦争もいよいよ始まろうとしていた。

だからこそ、まるで南仏を思わせるリゾート地ニューポートに集まった白人の聴衆のファッションが、非現実性をまとって僕らに強い憧憬の感情を掻き立てる。

セロニアス・モンクの名曲「ブルー・モンク」が流れている。
ギンガムチェックのワンピースの上に羽織った赤いサマー・カーディガンの前を深く合わせて、その上に腕を組んで睨みつけるようなしかめっ面でモンクのピアノを観ていた女性が、演奏が終わった瞬間、パッと花が開いたような笑顔を見せる。

なんという幸福の切り取り方なのか。
その幸福感はコンサートの会場だけでなく、街中の映像やヨット・レースのシーンなど、すべてに満ちあふれている。

アニタ・オデイのその後を考えれば、ここでの「スウィート・ジョージア・ブラウン」「二人でお茶を」のチャーミングな名唱は貴重だ。
チコ・ハミルトンの「ブルー・サンズ」で観ることの出来るエリック・ドルフィーの演奏シーンこそはこの映画の、というよりはこの年のジャズのハイライトシーンだったろう。


この映画は幸福な時代の「幸福な演奏者と聴衆」をとらえている。
ここで我々はひとときの「真夏の夜の夢」を見る。

たとえそれが永遠に続かないものと知っていても、それなしでは生きていけない。
それが夢だし、それがジャズだ。
そう思う。

2013年7月11日木曜日

書評不可能な怪作、大江健三郎「水死」に溺れる

大江健三郎の「水死」は、極めて複雑に構成されていて、「読む」という行為では真意をはかることが難しい。

よって「書評」はしない。

この物語の構造を、まずは再構成してみようと思う。

まずは、劇団穴居人の女優ウナイコが演劇の素材に使う、夏目漱石の「こころ」。
ここに書かれる先生の遺書には、「明治天皇が崩御されたのだから明治の影響を強く受けた自分などが、その後に生き残っているのは必竟時代遅れではないか、と妻に言うと、では殉死でもしたら可かろうとからかわれ、では明治の精神に殉死する、と答えた」と書いてある。

次に老作家長江古義人(ちょうこう・こぎと)=大江健三郎が、抜き差しならぬ事情で最後の小説のテーマに選ぶ「父の水死」。

古義人の父は1945年の敗戦の直前、若き将校たちと特攻の計画を立てるが、その計画が郷里の森を破壊せざるをえないことが明らかになるや、翻意し、計画の中止を宣言して自ら短艇で川に乗り出し単独で自死する。
ここに、「昭和の精神に殉死する」という夏目漱石との関連性が見られる。

そして、この水死の際、携行した赤革のトランク。
この中にはフレイザーの「金枝篇」の原書が入っていた。
書き込みのある位置を調べると、王殺しの必要性について考えていたことがわかる。
また、森を守ることの神聖性も、金枝篇の中心テーマであったことから、この本が計画の中止に大きな影響を与えたこともわかる。

そしてここに来て、計画されていた特攻の対象が敵ではなく昭和天皇その人であったことが明らかになり、父の水死はその特攻に先んじての殉死であったことがわかる。

このいわば森の神話と現代史の接続の試みを軸に、障害を持つ作家の息子アカリと父の確執と雪解けが描かれ、その後突然舞台はウナイコの家族の確執へと移り、急速に拡大しスピードを上げてクライマックスに突き進む。

そして衝撃のラスト!
いったい何故、いつの間に、このような話になったのか読者が追いつけないほどのスピードでたちまち物語は密度を何百倍にも上げて結末する。

これはやはりただただ大江健三郎から迸る奔流に身を任せるほかない。
書評などは無意味だ。

ただ、やはりここに描かれた多義的な現代史を見せつけられた今は、現政体によって書かれた明治維新以降の歴史を、あらためて戊辰戦争での朝敵側から見た姿も検証してみる必要があるような気がして、半藤一利さんの「幕末史」を入手した。
そして「こころ」も、もう一度読んでみようと思う。



2013年の「華麗なるギャツビー」は、現代に何を語る

この映画の評判がいいのは聞いていた。


しかし、ディカプリオのジェイ・ギャツビーってのはどうにも想像がつかなかった。
あまりに露悪的にすぎるじゃないか、と思っていた。

僕はこの俳優の軽薄な眉間の皺がどうも好きになれなくて、タイタニックにしても、アビエイターにしても初期の出演作そのものの印象が悪くなってしまうくらいなのだが、それがルヘインのシャッター・アイランドの映画化での彼の好演で、お、ワルい顔が板についてきたね、と思っていたので、逆にあのワル顔でギャツビーをやられてもなあ、と思っていたのだ。

しかし、それはまったくの思い違いだった。

原作者スコット・フィッツジェラルドの文章は、言語という不自由で不器用な武器を巧みに操って、あらゆるものを現実よりも現実らしく提示してみせる。
ジェイとニックの出会いのシーンで、ジェイが最初に見せる微笑みをフィッツジェラルドはこう書いている。

「彼はとりなすようににっこり微笑んだ。いや、それはとりなすなどという生やさしい代物ではなかった。まったくのところそれは、人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類まれな微笑みだった。」(中央公論新社、村上春樹訳 P92-P93)

この後も、微笑みについての表記が9行にわたって続くのだが、このように書かれた微笑みを「演じる」ってのはどんな気分なんだろうか。
人に永劫の安堵を与えかねないほどの、類まれな微笑みをもし持っていたら、僕の人生が変わりかねないじゃないか。
つまるところそれは、「普通に生きていれば一生お目にかかれないほどの」微笑みという意味で書かれているのだ。

しかし、ディカプリオはそれを「演技して」みせた。
少なくとも僕には、フィッツジェラルドが意図した微笑みはきっとこういうものだったに違いないと、確信できた。
あまりに印象的な表情だったので、鏡の前で練習してみたが自分が嫌いになりそうだったのでやめた。それは別にヤツのせいじゃないが、やっぱりディカプリオは好きになれないな。





今回の映画独自の演出もなかなかいいと思う。

語り手であるニック・キャラウェイが作家志望であったという設定も原作にはないし、狂騒の日々をなんとか生き抜いた後、アルコール中毒と不眠症でサナトリムで療養して、そこでこのギャツビーの物語を書いた、という設定も映画独自のものだ。

ニックという語り手は、原作では、冒頭にある父親の「誰かのことを批判したくなったときは、世間の人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではない、ということを思い出せ」という忠告を忠実に守って、周囲の狂騒に一歩踏み込まず、自分という存在を固持する存在として描かれている。

だからこそ、騒動のあと一人西部に戻っていくわけだが、映画では、この冒頭の父親の忠告の中核部は注意深く取り去られ、彼自身も深く騒動に取り込まれ傷ついてしまう。

この映画の核心は、この成熟の時代の観客を、現代の映像技術を最大限に(文芸作品には珍しく3Dまで)駆使して、1920年代を象徴する狂乱のパーティーシーンにどこまで引き込めるか、リアルに感じさせるかにあったと思う。

そうまでしているのに、語り手が一歩引いたメンタリティでは、物語がうまく牽引されていかないということだろう。

しかし、ニックをサナトリウムに入れてしまうことで、ギャツビーの精神的な続編とも言える「バビロンに帰る」の喪失感を映画の中に組み込むことに成功しているのだ。
すでに何度も映画化されている「華麗なるギャツビー」をこの時代に再演することの意味を実によく考えてある作品だと感心させられた。



そして全編を印象的に導く「緑の灯火」。
第一次世界大戦で、莫大な富を得たアメリカという国が、目的を見失い、大恐慌が来るまでの10年間繰り広げた狂騒の日々。
そのロスト・ジェネレーションの只中で、ただ愛を信じて手段を選ばず突き進んだジェイ・ギャツビーを導く灯台の灯りが、デイジーの桟橋で輝く緑の灯火だった。


原作では、灯火に導かれてアメリカという新大陸を発見した人々の驚きにまで言及して、この国がどこへ行こうとしているのか、悦楽の果てにある陶酔の未来など現実には来ないのだと、語っているが、さすがに映像的な説得力をもってしても、幻想的に演出された緑の灯火一発でそこまでは表現できない。

そこでパーティシーンに予言的に起用されたのが、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」という楽曲なのだろう。



アメリカは、戦争によって国家としての富は得たものの、積み上げてきた歴史をもたない悲しさで文化面では一歩欧州に及ばないという劣等感を持っており、独自な「アメリカ的」なるものを渇望していた。
ラプソディ・イン・ブルーは、その思いに応えてガーシュインが、移民によって、また奴隷貿易によってできたアメリカという国が宿命的に持っていた文化的な衝突が生み出したブルースを母体に発展したジャズを取り入れた交響曲として仕上げたものである。

アメリカの歴史の浅さへの劣等感を強くはね返していこうとする意志を込めたこの楽曲に、フィッツジェラルドが「華麗なるギャツビー」に織り込んだアメリカへのエールを託したのではないか。
そしてそれに続く、現代的な音楽が、この物語を現代の物語としても認識させる。
ジャズ・エイジもロスト・ジェネレーションも、いつでも繰り返し我々の前に現れるよ、という予言。
この映画はそこまで踏み込んで表現しているような気がする。


さすがにこれだけ奥行きの深い文学作品を、しかもすでに何度も映画になっているものを映像化するのは大変な作業だったと思うが、ディカプリオ氏の名演も含め、実によく出来た映画に仕上がっていたと思う。


2013年7月10日水曜日

「人間の建設」知には情を説得する力はない

「人間の建設」



これは評論家小林秀雄と、他変数解析函数論で世界中の数学者が挫折した三つの大問題をひとりで全部解決してしまったという大数学者、岡潔先生の対談集だ。

まさに知の巨人としかいいようのないこの人たちは、文系代表小林秀雄からアインシュタインと哲学者ベルクソンの確執のエピソードが飛び出したり、理系代表岡先生からドストエフスキーやらピカソの論評が飛び出したりでまったく油断できない。

さらに小林の言葉には独特の難解さがつきまとう。
論理が飛躍しているからだ。

この本は対談集だから、対談相手に伝わるように例解してくれるのでその飛躍の正体がわかるが、それはその言葉の本来の成り立ちとは関係のない彼自身の「世界の見方」のようなものを付加させて語られているということだと思う。

芭蕉の「不易流行」は、句作には「変わらないもの」も「はやりもの」もどちらも大事だ、という意味の言葉だが、小林にかかるとこの「不易」という言葉に、「詩的言語」は必ず幼時の記憶から生まれていると言う彼の確信を織り込まれて語られる。
だから「伝統的」という意味合いの不易という言葉に「個人の記憶」という意味合いがまとわりつくのだ。

逆に岡先生は、対談で取り上げられる様々なテーマの主題をことごとく「情緒」という言葉ひとつに集約させていく。

小林は、だから岡にとっての「情緒」という言葉にどんな「個人の記憶」がからみついているのかを暴こうと、「色彩」がゴッホの絵を変容させていったという話になれば、ゴッホがどれほど色彩を芸術的にではなく心理学的に捉えていたかというエピソードを持ち出し、トルストイの小説の「稚気」に話が及べば、ドストエフスキーの俗な邪心に触れ、都度都度激しく「知」と「知」が激突し、小心な僕は思わず目を背けることさえあった。

しかし、この知の奔流に圧倒されてはいけない。

この対談で彼らが一貫して言っていることは、結局のところ「知には情を説得する力はない」ということだからだ。

近年の原発事故後のエネルギー政策の議論が空転している主な要因が、低線量被爆での発癌率は受動喫煙のそれと同じかやや低い程度と知っても、「怖さ」が薄れるわけではない、というあたりにあるところを見ても、まさに「知には情を説得する力はない」のである。


この本は1965年の対談だが、いまだ我々はこの問題を解決できていないようだ。
であれば、さらに巨人たちの言葉を続けて聞こう。
彼らはさらにこう言い募る。

万人の感情を満足させるほどの力は「確信」したものからしか生まれないと。また、確信するまでは事物は複雑で言葉にならないと。だから、確信していない人を確信するように説得することは端から出来はしないし、余計な理屈が並ぶだけで意味がないと。

結局のところ我々が社会の中で交わしている言葉の多くが、「この体系の中には矛盾はない」ことだけを証明しようとやっきになっていて、個人が実物の中に感じる「直感」のようなものを感じる力が失われているのではないか、と彼らは訝っているのだ。

そして自然、彼らは理屈と対症療法に塗りこめられた教育の問題に切り込んでいく。
そして意味がわからなくとも古典を丸覚えしたご自身たちの経験が長い思索の人生の中でどれほど大きな効用をもたらしたかについて語っている。

まさに「人間の建設」としての教育を憂う、本書は箴言のカタマリだ。

20年弱、間接的にではあるが教育という事業に関わった一人としてまことに胸が痛い本だった。

2013年7月9日火曜日

CAVIN大阪屋、2013高級オーディオ試聴会に行ってみた「番外編」我が愛しのMcIntosh

試聴会に行くといつも、デモの合間に小さな音でかけている時の方がよかったな、と思う。
そんな小音量派の僕が、愛してやまない現用システムの中核がMcIntoshのC2200真空管プリアンプと、MC275真空管パワーアンプだ。

理由?
まずは、もちろんカッコイイからなんだけど、ほかにもあって、それは昨今のプリアンプがシンプルすぎて、僕のリスニングスタイルを満足させてくれる製品がこれしかないからだ。

まずトーン・コントロールが無いのは困ってしまう。
僕は文章修行を、今の生活の最重要テーマに置いているが、机を壁に向けると文章が書けなくなる特異体質のため、部屋の長手方向に中心を向いて机を設置している。
その後ろに本棚、という配置。
自然オーディオシステムはその対面に設置されるため、結果的に音は長手方向に出て行く。
で、この配置で石井伸一郎氏のお作りになったシュミレーション・ソフトでこの部屋の周波数特性を出してみると、500Hz付近に大きなディップ(谷)が出来るのがわかる。

実際に聴いてみても、その通り。
でもそれは困るのだ。

僕は高校生の時初めて組んだバンドで、ベースが入ってきた時に「曲になる」魔法の瞬間を体験した。
大学生の時組んだバンドで初めて自作曲を演った時、ベースのフレーズを変えることが一番曲のイメージを変えるポイントだと知った。

だからいつも低音の動きを聴いている。
そこの量感が豊かでないと、音楽の構造が心に届いてこない。

だからアンプのトーンコントロールは常にベースが+2にセットされている。


それと、僕はアナログレコードもよく聴くわけだけど、試聴会なんかでもみんながやってるボリュームを絞りきって、針を落として、そしてボリュームをまた上げるってのにどうも抵抗がある。
だって最初のところ間に合ってないんだもの、みんな。

で、僕はアンプのミュートスイッチをリモコンで操作して、ミュート、針下ろす、ミュートオフ、とやってる。これなら一瞬でもとのボリュームに戻るからね。

今時、そういう化石のような多機能アンプをラインナップしてくれているMcIntoshだが、最新の機器はどんな音がするんだろうと、昨年は聴かなかったマッキンのデモにも参加してみたのだ。

うん、マッキンの音はすぐわかる。
僕が音楽をドライブする上で重要だと思っている中域から低域にかけての繋がりが密接で、音楽がカタマリになって飛んでくる感じ。
これは他のブランドにはない特徴だ。
変わってないね。

変わらないのはいいことだ。
楽器だって、音楽だって、もちろん人間だって、そんなに変わってはいないんだから。

それと復活したマッキンのスピーカーの音を今回初めて聴いた。
お世辞にも現代スピーカーなんて言えない、古色蒼然とした音だ。
昔からそうなんだが、中音域のユニットをたくさん搭載するのがマッキン流だ。



今回はじめてその理由を知った。
あの沢山のユニットは、実はそれぞれ微妙に違う方向を向いていて、広い定位面を作っているのだそうだ。
ちょっと頭の位置を変えただけで音が変わってしまうなんて弱っちい定位のスピーカーはダメなんだよ、っていう思想なんだそうだ。

そうだよ。そうなんだよ。
なんかおかしいよね。
音楽聞いてるのに頭動かしちゃいけないなんてさ。
ますますマッキンが好きになったよ。

まだしばらくはお世話になるつもりだから、よろしく頼むよ。
マッキンくん。

2013年7月8日月曜日

CAVIN大阪屋、2013高級オーディオ試聴会に行ってみた「急」

何気なくタイトルに使っている「序」「破」「急」だが、雅楽で楽曲を構成する三つの楽章のことで、特に深い意味はない。
つまり本稿がVol.3ということです。


さて、視聴レポートを続けよう。

早くも二つ目のデモで、「今生で最高の音」に出会ってしまったので、どうも続くデモに気持ちが入らない。

しかし、これだけは絶対に確かめておかなくては、と思っていたのがdCSが新しく出した、VivaldiというSACD/CDプレイバック・システムで、フルセットで4筐体の超ド級機だ。お値段も超ド級で、フルセットでなんと1千235万8500円也。


うん。かっこいいね。
まあ、出展側もこれはさすがにと思ったようで、最低限のトランスポートとDACの2筐体でのデモとなった。いやこれでも821万1,000円ですけども。

さて、このVivaldiのDACにはボリューム機能がついていて、プリアンプが要らない。
ジェフ・ロゥランドのパワーアンプに直結されて、ADAMというドイツ製のスピーカーを駆動していた。

昨年、エソテリックのデモでクロックを追加した時のCDの音の変わり様にびっくり仰天して、思わずおお!と声が出たくらいだったので、今回はどんな驚きが待っているのかと期待していたが、出てきたのは著しく生気にかけた、音で象られた彫塑物のような音だった。

やはりプリアンプって大事なんだな、と妙に納得させられたデモだった。
さらば1千235万8500円。どうせ縁は(というより円が)なかったけどね。


午後には面白いデモが用意されていて、昨年一番イイ!と思ったウィルソン・オーディオが昨年の中堅機Sophia3に換えて、最新機ALEXIAを持ってきてくれていたが、それをまず輸入元のデモとしてダン・ダゴスティーノで鳴らし、その後ゴールドムンドのデモでも同じスピーカーを鳴らすというものだ。
出展者を超えて、聴き比べができるとは粋な企画をしてくれるものだ。




今年はプリアンプも発表したダゴスティーノのフルセットで鳴らされたウィルソン・アレクシアは、Sophia3の美点だった躍動する音場が、さらにハイグレードになった感じ。
LINNにしてもやはり、音の生命感のようなものが僕が音に求める絶対条件なんだろうと思う。


メモもとらず音楽に酔いしれ、あっという間に35分が終わり、次のデモでアンプがゴールドムンドに換えられた。
するとどうだろう。
躍動する音場はそのままに、音そのものに「艶やかさ」のようなものが纏わりついた。
魅惑的な音だ。
クラシックは良かったと思う。
ゴールドムンド・ジャパンの山崎さんは、古いジャズをかけなかった。
慧眼だと思う。
ジャズは、歴史が黒人たちに生み出させた音楽だ。まことにやむを得ない事情から世に産み落とされた音楽は、だから決して嘘をつけない。
それ故、ジャズには化粧が似合わないのだ。
かければきっと、拭えない違和感を感じただろう。

思えば、昨年このウィルソンを聴いた時、はじめて僕の頭に「ラスト・システム」という考えが浮かんだんだったな。
そして今年、LINNというブランドがアンプ内蔵スピーカーという答えを携えて僕の前に現れた。

先輩が実演までしてアドバイスしてくださった上に、有難いことにケーブルまで貸してくださって「平行法」という決定的なスピーカーセッティングに導いてくださった。
そして気になっていたカートリッジやフォノケーブルも替えることができて、システムは今「僕の音」を奏でている。

もしかしたら、そろそろ趣味としてのオーディオとは一歩距離を置いて、純粋に音楽に向き合う季節が来たのかもしれないな。

CAVIN大阪屋、2013高級オーディオ試聴会に行ってみた「破」

CAVIN大阪屋さんが主催した高級オーディオ試聴会の報告第二弾。
いよいよ、試聴レポート書きます。


まず最初に訪れたのは、フューレン・コーディネートのデモ。
スイスのピエガという全身アルミの筐体で固めたスピーカーを、世評の高いドイツ・オクターブ社の真空管アンプでドライブしていた。



高名なピアノ調律師である依田和彦氏が、このピエガのMasterONEというフラッグシップ機をお使いになっているのを知っていたので、ピアノ調律師が使うスピーカーからはどんなピアノの音が聴けるのか、楽しみだった。

が、どうも調子がおかしい。
いや、最初のバイオリン協奏曲の音は、これ以上ないほど魅惑的な弦の音で、近代的なヴィンテージ・タンノイの音といった佇まい。
問題は、女性ジャズボーカルのバックで鳴っているピアノの音だった。

用意されたのはピエガのCoax90.2というスピーカーで、これは同軸リボンユニットという中高域をリボン型という繊細な音の出るユニットで構成している。
が、聴こえてきたピアノの音は豊かな低音に高音部が押し潰されたような、繋がりの悪い音に僕には聴こえた。

妹がピアノを習っていたので、家にはアップライトのピアノがあって、作曲を覚えたばかりの僕は中学、高校時代によくそのピアノを借りてコードの和音を探っていた。

ピアノの中央のドの音をC3というが、その近辺の音が一番豊かな倍音を持っていて、その音自体がインスピレーションを与えてくれて楽曲の次の音を僕に教えてくれたものだった。

また、バンドをやっていた頃、僕らはステージでピアノを使うとき、なるべく倍音の乗る中高音部をきちんと出そうと、胴部の中にコンデンサーマイクを突っ込んでピアノらしい音を得た。
倍音の豊かさがバンドをドライブするからだが、ピエガから聴こえてくる音は、そのような僕らがよく知っているピアノの鳴り方ではなかった。

高音から中音にかけての倍音が半分くらい出ていない感じ。
そのかわり、というよりそのおかげで、ということなのだろうが、弦楽器の響きが、これはとびっきり美しいのだ。
中音の倍音を豊かに出せば、高音部はその犠牲になる。
そこを抑えているからの、あの高音部の美しさなのだろう。

そういえば、依田和彦氏もピエガからは本物のピアノの音ではなく、自分の心にある理想のピアノの音が聴こえたからこれを使っているのだと言っていた。

なるほど、そういうものか。
確かに、娘のピアノ教室の発表会で、先生が本当に目の前で弾いてくれたショパンは、中音域にきた時に倍音が鳴りすぎて不協和音っぽい「ブルブルブル」という付加音を感じたが、ピアニストからすると、そういう音はしないほうがいいのかもしれない。

それでも例えば、ジャズボーカルを聴いていて、バックに鳴っているピアノの音がピアノの鳴り方で鳴っていないキモチワルサは僕にはちょっと耐えられないものだった。
相性が悪かった、ということだろう。


次に聴いたのは、スコットランドのLINNというブランドのデモ。

今年は、新しいMCカートリッジ「Kandid」を発表したばかりということで、アナログメインのデモと聞いていたので楽しみだった。
さらにスピーカーにも「アキュバリック」というパワーアンプ内臓の新製品がある。

僕は、自分自身のラストシステムの核としてパワーアンプ内蔵スピーカーをイメージしている。
アンプのパワーや瞬発力とユニットの能率による相性は実に難しい。数値で測ることはできないし、音質に直結している。こんなやっかいなスピーカーとアンプの相性の問題を取り払い、さらにケーブルによるあれやこれやの悩みに永久に終止符を打てる。
まさかそれがオーディオの楽しみだと言うのなら僕の楽しみはオーディオではない、ということで一向にかまわない。

だからアンプ内臓のスピーカーにはいつも注意を払ってきた。
現在だと、ネルソン・パスのラシュモアか、リンの350Aか。
昨年の試聴会で聴いたリンのアンプの音は、一聴特徴がないくせに、妙にイキイキとしていて生命感に溢れ、一年経った今でも耳の奥に張り付いている。
他のどのスピーカーの音も今では思い出せないのに、リンの音だけははっきりと思い出せるのだ。

そのリンから新しいアクティブ・スピーカーが出たというのだから、期待するなというほうが無理でしょう?



果たしてアキュバリックから出てきたその音は、天国の音だった。
きっともうこれ以上の音に僕は今生で出会うことはないだろうと思った。
大げさだと思うだろうか。

そうかもしれない。

まだあと8つのデモに参加するのだ。
ちょっと性急すぎる物言いだったかもしれない。

しかし、この音の素晴らしさは、スピーカーのユニット配置がどうとか、アンプの電気回路がどうとかいうような技術で作り出されていないのだ。

アキュバリックには、5つのユニットが搭載されているが、なんとその一つ一つに別々のアンプがあてがわれている。つまりそう大きくはない筐体に5つのパワーアンプを内蔵しているということだ。
つまり、それぞれのユニット間のエネルギーバランスは、ひとつのエネルギーを複数のユニットで取り合うためクロスオーバー・ネットワークで分配するという、回路上の制約に常に晒されている通常のマルチWayスピーカーと違って、作りたいように作ることができるのである。

だからこの音は抑圧されていない。
がまんしていない。

人を癒すために生まれたスピーカーにとって最も重要な資質をこのスピーカーは持っているのである。


かつてオーディオマニアと呼ばれた人たちは、低域、中域、高域のそれぞれのユニットに別々のパワーアンプを組み合わせ、エネルギーバランスを取り、それそれに何Hzの周波数帯を受け持たせるかを調整し、自分の音を作っていったと聞く。

しかし、いつかこういうやり方をする人は少なくなり、多くの人はスピーカーシステムを買って、好みのケーブルを合わせたり、電源ケーブルを変えたりして音作りを楽しむようになった。

自分のスピーカーで、「正しい」ピアノの音が出ない時、インシュレーターを噛ましてみたり、設置する角度を変えたり、吸音材を部屋いっぱいに置いたり、挙句の果てに電源工事をしたりする。

20年間の会社員生活で学んだ最も重要な行動の原則は、一度に複数の変数を扱わないことだった。
いかに効果のありそうな対策でも、お互いに関係しあっている事象を両方変更すると、相互に干渉しあって、結果のヴァリエーションが手に負えないくらい広がって、もはや対策は不可能になる。

その意味で、オーディオのことを考える時、どんな場合でもスピーカー自体から、そのような音を出させるというアプローチが一番根本的で変数が少ない。

リンの「アキュバリック」は、かつてのマニアックなスピーカーの扱いを、現代的でスマートなスタイルに置き換えただけではなく、我々のオーディオという趣味のありようそのものを問うているのではないだろうか。


CAVIN大阪屋、2013高級オーディオ試聴会に行ってみた「序」

昨年行ってみて楽しかったので、別にオーディオ機器を買う予定もないのだが、札幌最大のオーディオ専門店CAVIN大阪屋さんの「高級オーディオ試聴会」に行ってみた。

今年で二回目の参加のフレッシュマンとして、まずは雑感を申し上げておきたい。

ではまず。
もう無理強いの「課題曲」はおやめなさい。

多くのメーカーがデモを行うこのイベントでは、参加者が各システムの音色を比較しやすく、という配慮から決まった曲を二曲どのデモでもかけることになっているが、まるで無意味だ。

「高級」と名の付くオーディオ機器は今や最低でも100万円からのプライスタグがついている。
そういう機器を買おうと思う瞬間というのは、それを手に入れなければこの音が聴けない、それは絶対に嫌だ、と思える「天国の音」に出会う瞬間だ。

そのような出会いに、課題曲でシステムの出来を採点するような聴き方は無縁だと思う。
そのシステムが奏でる音楽が、どれほど聴いた人の心に届くのかが重要なのだ。
だから、予め比較しやすいような仕組みを施して、さて比較するぞという心構えを持たせて聴かせないほうがいいのではないか。

僕はいつも試聴会のその部屋で、ダイナミックな素晴らしい音で再生されて、スウィングしまくるジャズを、身じろぎ一つせずスピーカーを睨みつけて聴き入る人たちの背中を見て、せっかくいい音で鳴っているんだから音楽を楽しめばいいのに、と思っていたが、課題曲の存在が、そういう心持ちを作る遠因になっているのではないか、と思うのだ。


また課題曲の存在は、デモの成否そのものにも影響を与えていると思う。

鳴らす人の感性を載せてシステムは鳴る。
そのシステムを知り抜いた人が選んだ曲を信頼してシステムは歌うのだ。

人間だって、自分を試されるような目にあったらその人を信頼できるだろうか。
また今回の選曲も実に意地悪な選曲だった。


特にこの、ヒグドンという人が、ヒラリー・ハーンのために書き下ろしたという協奏曲。やたらと繊細なピアニッシモで始まって3分くらいで怒涛のフォルテッシモ。
しかも録音がアレなもんだからパーカッションのアタックがちょっと割れ気味に入ってくる。
そういう音源をわざわざ用意して、スピーカーの音が「破綻するか否か」でスピーカーを判断させるなんて、オーディオを愛する人のやることだろうか。

アンケートにも書いたが、ぜひ考えなおしていただきたいと思う。


で、デモンストレーター側も、同じようなことを感じていたのではないのだろうか。
今回は、異なるデモで同じ曲を使うケースを見た(聴いた)。

リン・ジャパンとエレクトリのMcIntoshデモで、マイルズ・デイヴィスのLive Around the Worldのアナログ盤と、CDを使っていたのだ。
二人とも「Time After Time」をかけたのだから偶然ではないだろう。



この曲は90年代に相次いで発掘されたマイルズの、LONG VACATION以降のライブ音源の中でもとびっきりの感動テイクで(帰ってから僕も買いました)、リンとマッキンのまるで方向性の違う音を同じ感動的な音源で表現することを、示し合わせて企(たくら)んだ二人のデモンストレーターに大きな拍手を送りたい。

こういうのが演出として機能するように、プログラムに自由度を持たせたほうがいい。
そして、最高に自信のあるとびっきりの音楽をお客さんに聴かせてあげてください、とだけ言っておけばいいのではないですか?

2013年7月7日日曜日

我「容疑者Xの献身」を楽しむ者に如かず

1999年のクリスマス。
僕はドイツ行きの飛行機に乗っていた。
妻がゴスラーという小さな町にある菓子店でやっていた修行が空けるので、迎えに行くためだった。

その年大ヒットした東野圭吾の「白夜行」が道連れだった。
隣にはドイツ人の女性が座っていて、話しかけたそうにしている。

僕は大学時代、必修のドイツ語を何度も落とし、再履修を重ねてやっと卒業したのでドイツ人に話しかけられるのが怖かった。
だから食事の時間を除いて11時間ずっと「白夜行」に鼻を突っ込んで過ごした。

無理をする必要はなかった。
その小説はとても面白くて、読む手を止めることはできなかったからだ。
最後に押し寄せたカタルシスはあまりにも大きく、本を閉じて思わず、ずっとこちらの様子を伺っていた隣席のドイツ人に微笑みかけてしまった。

彼女は「You finished ?」と英語で言って笑った。
Yes,Very interesting.と応えたものの、少し違和感は残った。
これってミステリだったか?


それ以降の数冊も、探偵(役)が、提示された根拠から論理的な推論で犯罪の全容を解き明かす本格推理小説の本道を外れ、ヒューマン・ドラマ寄りの作風になっていったように感じられて、寂しいな、と思っていた。

その東野圭吾が、容疑者Xの献身という作品で、2005年度の直木賞を獲り、同時に本格ミステリ大賞や本格ミステリベスト10の第一位を獲ったと聞いて、おお本格の世界に戻ってきたんだね、よかった、と思っていた。

しかし、推理小説文壇では、作家二階堂黎人氏の、これは本格ではないという発言に端を発する「容疑者Xの献身、本格論争」なる騒動が起きていた。
くわしくはこちらをご覧いただきたい。

ここでは、この問題に関する私見は述べない。

今年2013年に公開されたガリレオシリーズの映画第二弾「真夏の方程式」に合わせて、「容疑者Xの献身」がテレビ放送されるというので、二階堂黎人氏が、議論の発端とした、

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この本の真相(湯川の想像)には、読者に対する手がかりも証拠も充分でなく、読者はそれをけっして推理できない。よって、作者が真相であるとするものが最後に開示されるまで、読者は真相に到達し得ない。つまり、そういう結末の得られ方(作者からの与え方)は《捜査型の小説》であるから、《推理型の小説》ではない(=本格推理小説ではない)、ということなのである。
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に注意して、それが映像でもそうなっているのか、という視点で全編見なおしてみようと思ったのだ。
叙述のみに頼る小説よりも、映像が提示されてしまう映画では、手がかりを「隠す」こと自体が難しいからだ。

実際、あらためてそのような目で観てみると、むしろ映像を効果的に使って、真相を想起させる効果をあげているシーンがいくつか挿入されている。
しかしそれが「伏線」だったか、と言われると、それを探偵(役)が使って推理した形跡はなく、今問題になっている視点では大きな構造に変化はないのだ。

「読者が真相に達し得ない」ことが本格と呼ばれるジャンルの瑕疵になるのだとしたら、その瑕疵は確かに存在するようだ。
しかし、それでも映画を観た人間はガリレオの仮説構成能力には舌を巻くのではないか。
そして天才VS天才の、息詰まる頭脳戦を、つまり論理的な帰結をはるかに超えていく人間の心の複雑さにこそ、この物語の真髄があるのではないか。

書評投稿サイトでは、ミステリに対してよく「途中で、犯人わかっちゃった」というコメントを見かける。
自分の推理力を自慢したいのだろうね。

犯人がわかればいいのなら探偵や、警官になればいい。
容疑者Xもコロンボの諸作も犯人自体は最初にわかっている。
読書家は真相の露呈を避けようとする犯人とそれを暴く探偵の頭脳戦の品質を楽しむものだ。

その意味でこの「容疑者X」はガリレオという探偵役の造形を含め、充分なエンタテインメント性を持つ作品になっていると思う。

2013年7月5日金曜日

コニー・ウィリス「ブラックアウト/オールクリア」は覗き見を許さない

コニー・ウィリスのオックスフォード大学史学科シリーズの第三弾は、「ブラックアウト」と「オールクリア」の二巻構成で、ポケット版ハヤカワSFシリーズに収録された翻訳は、少し長いオールクリアが一冊におさまらず、ブラックアウトとオールクリア1・2の三巻構成になっている。


400字換算で3500枚で、ほとんどミレニアム三部作と同じくらいある。
著者は執筆に8年の歳月をかけ、翻訳も2年がかり。

そこまでして描きたかったものとは何だったのか。


2060年、オックスフォード大学の史学生三人は、第二次大戦下のイギリスでの現地調査に送りだされる。

アメリカ人記者に扮してドーヴァーをめざしたマイク。
ロンドンのデパートの売り子となったポリー。
そして郊外にある領主館でメイドをしていたアイリーンことメロピーの三人は、それぞれが未来に帰還するための降下点が使えなくなり、過去に足止めされてしまう。

同時代にタイムトラベルしていることがわかっていた三人は、お互いを探して降下点を借りて帰還しようとするが、もうほんとうになんでこんな時に限ってって感じで、無茶苦茶な不都合が全員に襲いかかり、行き違い、すれ違い、それでも結局偶然が重なってロンドンで再会、集結することになる。

もうこのあたりの事態の進まなさってのはコニー・ウィリスの真骨頂。
で、三人は力と知恵を合わせてなんとか帰還をしようとするが、なにぶん時は第二次大戦下で、うまくいかない。

命の危険に晒されながらも、その時代の人たちと心通わせながらなんとか生き延びていく。未来からの救援を心待ちにしながら。


ウィリスが8年もかけて構築したパズルのような大絵巻は、一章ごとに読み手を混乱させ、ページを進めるたびに事態は進まず、謎だけが増えていく。

そして本当にもうすぐ終わっちゃうけど、これどうなるのと思いはじめたあたりから、ピタピタピタとパズルのピースが嵌っていく。

ドゥームズデイ・ブックでも犬は勘定に入れませんもそうだった。

ああ、クロージングがはじまったんだ!と思ったらもうページを止めることは出来ない。
今まで愚図愚図してた主人公たちは重大な決断をビシビシ決めちゃうし、周りの人たちも、あんなに大事な情報を出し渋ってたのに、決め台詞バシバシ放り込んでくるし、でもうたまりまへん。

この瞬間のためにこの長い物語読んできたんだよなあ、という感じ。
結局やっぱりウィリスは最高だ、という結論で本を閉じた。


この長い物語は、9.11を契機に書かれたと聞いた。

人類の歴史に絶え間なく起こる諍い。
領土の拡大のため、宗教的信念のため、はたまた奥さんを寝取られたから、とか軍需産業保護のため、とか・・
とにかくいろんな理由で戦争は起こる。

どんな理由で起ころうと、戦争は人を傷つける。
人間は知恵の力で身体能力を拡張し続けるよう運命づけられたイキモノだ。
戦争はどんどん非人間的になり、尊厳なき死をふりまく。

そして理不尽なやり方で命を奪われるその直前まで、人は社会の中で欠くべからざる役割を演じながら生きる。
そして死を迎え、大きな喪失の傷跡を残す。

それでも人は生きていく。
その力強さが、ブラックアウト/オールクリアの世界を生きる人たちのひとりひとりを輝かせている。誰も失いたくない、と思わせる。
そしてその願いも虚しく失われてしまうことが、とても哀しい。
でもそう思うことこそが生きているということじゃないか。


だからウィリスは、史学生(ヒストリアン)が、時空を遡ってその一時点だけを知ろうとすることを許さなかった。
観察することだけでなく、時代の中に溶けこむことを要求し、あまつさえ今回は長期間閉じ込めさえした。

ウィリスはタイムトラベルを主題とした、しかも生半可な覚悟では開けないほど長大な物語を書くことで、我々が文学を覗き見のような態度で扱うことに警告を発しているのではないか。
9.11の悲劇を宗教上の対立のような卑小な記憶に風化させないために。

例えばヘミングウェイの「日はまた昇る」を読むときに、第一次大戦で豊かになったアメリカという国の大金持ちたちが、それでも、いやそれだからこそ文化的にはヨーロッパに一歩も二歩も遅れている田舎者たちである自分たちを恥じてヨーロッパに大挙して移住し、結果根無し草の生活を送り、目的を見失い堕ちていくという「ロスト・ジェネレーション」という背景を知らなければ、「金持ちってカネだけあっても空しいよね」くらいの感想にしかならないのではないか。

今何度目かの映画化で話題を集める「華麗なるギャツビー」だって、ロスト・ジェネレーションの文脈で読まなければ、セレブの退廃、別世界のメロドラマを覗き見る楽しみ、としか読めないのではないか。

映画も、絵画も、写真も、そして文学も、「切り取られた」フレームの中にある表現だ。
そして僕らはその「切り取られ方」こそに作者の意図があることを意識すべきだ、と思う。