いつか本格的な撮影をするのに三脚が要るだろうと思って、20年くらい前に自分のライヴをビデオに撮るために買ったオーディオテクニカ製の三脚を引っ張りだしてみたんですよ。
カメラ用の本格的な三脚とはいろいろと違うんだろうけど、取り敢えずこれで練習してみようと、昨日のブログ記事用の写真を撮ってみたんですね。
その写真があまりにも細部まで鮮明に写っていて驚いてしまった。
今までピント甘いなあと思っていたのは、自分のカメラのホールドが甘かったのだと今頃気がついた次第。
そうなると俄然三脚での撮影をやってみたくなるのが人情というもの。
三脚撮影といえば、ケーブルレリーズも欲しくなる。
実は前オーナーさんからNikomatが届いた時、ケーブルレリーズも一緒に下さっていたのでした。何から何までありがとうございます。
これです。
一見普通のケーブルレリーズに見えるでしょ。
ところがさにあらず。
レリーズボタンの部分が、手芸なんかでよく使われるスナップボタンなのです。
実はこのレリーズボタンが紛失していて、部品がないかと探しても当然見つからず、なにか手はないかとネットを徘徊していて、どこかのブログにカメラ本体のレリーズボタンを、スナップボタンを改造して自作するという記事を見つけてピンときたんですね。
で、家の裁縫箱を漁ってみたら、一個だけ使って九個余っているスナップボタンがあるじゃないですか。
試しに押し込んでみたら、あまりにもぴったんこカンカンで、まるで専用品のような収まり具合。
もう簡単には外すことさえできません。
以上、ケーブルレリーズのヘッドはスナップボタンで代用できるよ、という小ネタでした。
それではまた。
2016年5月25日水曜日
2016年5月24日火曜日
接写リングNikon PK-11を使って真空管アンプを撮ってみる(NIKKOR 43-86m作例)
僕が買ったZoom NIKKOR 43-86mmは、最短撮影距離が1.2mということで、とにかく寄れない。
物撮りをするときには、望遠端にして遠くから撮るということになるし、それでも小さなものは本当に小さくしか撮れない。
てなことを言ってたら、お師匠さんが「接写リング」という秘密兵器を持ってきてくださった。
ニコンの純正品で、PK-11、PK-12、PK-13の三つが箱に入っていた。
これをカメラ本体とレンズの間に挟んでセットすると最短撮影距離が短くなって迫力ある物撮りができるということらしい。
現行品がこのPK-11A
いろいろ試してみたが、一番薄いPK-11が一番このレンズには相性が良さそうだ。
ところで、このリングを挟むと露出連動用の爪が使えなくなる。
マニュアルには、爪を一番右側に倒しておいて、フルマニュアルで撮れと書いてあった。
だから接写の場合は本体の露出計が使えず、この外部露出計の出番というわけだ。
で、僕の部屋で最も高価な被写体(w)であるMcIntosh MC275アンプを撮ってみる。
なんと、こんなに寄らないとピントが合わないのである。
別アングルと、僕の部屋に住む子猫ちゃんにもモデルをお願いした。
やっぱり露出の加減が難しいのである。
いやどんな場合も露出は難しいんだろうと思うし、構図とともにそれがこの趣味の本体なのではないか、という気がする。
何か参考になる本でも探してみよう。
物撮りをするときには、望遠端にして遠くから撮るということになるし、それでも小さなものは本当に小さくしか撮れない。
てなことを言ってたら、お師匠さんが「接写リング」という秘密兵器を持ってきてくださった。
ニコンの純正品で、PK-11、PK-12、PK-13の三つが箱に入っていた。
これをカメラ本体とレンズの間に挟んでセットすると最短撮影距離が短くなって迫力ある物撮りができるということらしい。
現行品がこのPK-11A
いろいろ試してみたが、一番薄いPK-11が一番このレンズには相性が良さそうだ。
ところで、このリングを挟むと露出連動用の爪が使えなくなる。
マニュアルには、爪を一番右側に倒しておいて、フルマニュアルで撮れと書いてあった。
だから接写の場合は本体の露出計が使えず、この外部露出計の出番というわけだ。
で、僕の部屋で最も高価な被写体(w)であるMcIntosh MC275アンプを撮ってみる。
なんと、こんなに寄らないとピントが合わないのである。
別アングルと、僕の部屋に住む子猫ちゃんにもモデルをお願いした。
やっぱり露出の加減が難しいのである。
いやどんな場合も露出は難しいんだろうと思うし、構図とともにそれがこの趣味の本体なのではないか、という気がする。
何か参考になる本でも探してみよう。
2016年5月23日月曜日
初夏の札幌を撮影してみたよ 〜 大通公園の噴水と時間に忘れられた家(NIKKOR 43-86mm作例)
晴れた日曜日、Nikomat ELにZoom NIKKOR 43-86mm f3.5を付けて撮影に出かけた。
被写体のアテはなかったが、街並みを撮りたいという気持ちだけがあった。
家には、2001年に使用期限の切れたコダックの400Goldが二本あった。
取り敢えずカメラという機械の使い方を知るために装填してあった最初の一本は、前回夜明けの街を撮るのに使いきっていた。
残りの一本を装填して自転車で出かけた。
札幌の中心地には大通公園があって、そこには大きな噴水があった。
お師匠さんに、シャッタースピードを変えると、水の表現が変わる、とお聞きしたのを思い出し、さっそくパチリ。
その日は朝から季節外れの暑い日だった。
噴水の涼やかさが、シャッターを押させたのだと思う。
街を走っていると、札幌のような大きな街でも時間に取り残されたような旧い建物が見つかる。
これらの写真は、撮影後、カメラのキタムラに持ち込んで現像してもらい、同時にデータCDに焼いてもらったものをMacのiPhotoで補正したものだ。
ASA400のフィルムは粒子が粗く、ノイズ除去をしなければならなかった。
どの写真も彩度が足りず、かなり持ち上げている。
これがフィルムが古いせいなのか、それとも持ち味なのかわからないし、レンズの影響がどの程度あるのかもわからない。
また露出が不正なのかもしれない。
いずれ他のフィルムで撮ってみることでしか判断はできないだろう。
家にはお師匠さんにいただいたリバーサルフィルムが何本かある。
こちらはISO100。
さてどのような写真が撮れるだろう。
2016年5月22日日曜日
Zoom NIKKOR 43-86mmがやってきたら、思いがけず多重露光がおもしろかった件
先輩から送られてきたNikomat ELを手に取ってはじめて、自分が一眼レフのフィルム・カメラのことを何も知らないことがわかった。
社会人になって、海外旅行なんかに行くようになってカメラを買った。
当時よく売れていたKonicaのBiG miniという機種だった。
今でも持っている。
久しぶりに電源を入れようとしたら電池が切れていた。
ホームセンターで電池を買ってきて、スウィッチを入れてファインダーを覗いてまず気付いたことは、これズームないんだ、ということだった。
今の知識で言うなら、単焦点の35mm f3.5専用のコンパクトカメラ。高性能の「写るんですHi!」
自分が動いて構図を決めたらシャッターを押すだけだ。
そしてその調子でNikomatに接すると、あまりの無愛想さにちょっとビビる。
まずシャッターが押せない。
巻き上げレバーを予備位置に動かすという知識すらなかったのだ。
いろんな場所についているつまみやハンドルなどいちいちわからない。
ネットの海を探索すると一応まとまったマニュアルのようなものがアップされていてなんとか全体像が把握できた。
それからレンズを買った。
Zoom NIKKOR 43-86m f3.5という機種で、日本製としては最初の標準ズームレンズだそうだ。1963年に発売(53年前だ!)されて現在は生産されていないが、ずいぶんなロングセラーだったそうで、タマ数も豊富なせいか、手頃な価格で中古品を入手できた。
単焦点の明るいレンズが欲しくて一眼レフを始めたのに、どうしてこんなレンズを買ったかというと、写真にも見えているこのカラフルなヒゲが!なんとも!!かっこいいなーと思った次第なのです。
くだらない理由でスミマセン。
でもほら、趣味だからね。愛着がまずないとね。
一応道具が揃って、フィルムを入れてみるわけです。
家に昔買ったKodakのASA400の36枚撮りが2本あったので、まずそれを。
ここで初心者的な発見があって、フィルム売り場に並んでいたのがたいていASA100か400。で、何も知らない僕は400が「高性能版」なんだと思って買ってるわけ。
今回は100でいいかな、みたいな感じで。
暗いところでも写る高感度が400で、そのかわり写真の粒子が粗くなる、なんてことはまったく知らなかったので今本当に心から吃驚しております。
たしかに撮ってみると粒子感が半端ないです。
まいったな。
でもこの逆光の感じ、ちょっと好きかも。
逆光のカメラマン、なんてね。目指してみるかな。
これ撮り終えたら、今度はISO100のフィルムを買ってみたいです。
そう。
ASAがデジカメ時代によく言っているISOと同じものだというのも今回知ったお作法のひとつですね。
NikomatにもASAって書いてます。
この日は、明け方の街を撮ってみようと、暗いうちから出かけたんですが、こんな奇妙な写真が撮れてしまいました。
三重に露光されているようです。
前のオーナーからNikomat ELには多重露光の機能があるとは聞いていたのですが、これはまったくの偶然で、どんな操作でそうなったのか自分ではまったく覚えがないのです。
どなたか操作法をご存知でしたら教えて下さい。
社会人になって、海外旅行なんかに行くようになってカメラを買った。
当時よく売れていたKonicaのBiG miniという機種だった。
今でも持っている。
久しぶりに電源を入れようとしたら電池が切れていた。
ホームセンターで電池を買ってきて、スウィッチを入れてファインダーを覗いてまず気付いたことは、これズームないんだ、ということだった。
今の知識で言うなら、単焦点の35mm f3.5専用のコンパクトカメラ。高性能の「写るんですHi!」
自分が動いて構図を決めたらシャッターを押すだけだ。
そしてその調子でNikomatに接すると、あまりの無愛想さにちょっとビビる。
まずシャッターが押せない。
巻き上げレバーを予備位置に動かすという知識すらなかったのだ。
いろんな場所についているつまみやハンドルなどいちいちわからない。
ネットの海を探索すると一応まとまったマニュアルのようなものがアップされていてなんとか全体像が把握できた。
それからレンズを買った。
Zoom NIKKOR 43-86m f3.5という機種で、日本製としては最初の標準ズームレンズだそうだ。1963年に発売(53年前だ!)されて現在は生産されていないが、ずいぶんなロングセラーだったそうで、タマ数も豊富なせいか、手頃な価格で中古品を入手できた。
単焦点の明るいレンズが欲しくて一眼レフを始めたのに、どうしてこんなレンズを買ったかというと、写真にも見えているこのカラフルなヒゲが!なんとも!!かっこいいなーと思った次第なのです。
くだらない理由でスミマセン。
でもほら、趣味だからね。愛着がまずないとね。
一応道具が揃って、フィルムを入れてみるわけです。
家に昔買ったKodakのASA400の36枚撮りが2本あったので、まずそれを。
ここで初心者的な発見があって、フィルム売り場に並んでいたのがたいていASA100か400。で、何も知らない僕は400が「高性能版」なんだと思って買ってるわけ。
今回は100でいいかな、みたいな感じで。
暗いところでも写る高感度が400で、そのかわり写真の粒子が粗くなる、なんてことはまったく知らなかったので今本当に心から吃驚しております。
たしかに撮ってみると粒子感が半端ないです。
まいったな。
でもこの逆光の感じ、ちょっと好きかも。
逆光のカメラマン、なんてね。目指してみるかな。
これ撮り終えたら、今度はISO100のフィルムを買ってみたいです。
そう。
ASAがデジカメ時代によく言っているISOと同じものだというのも今回知ったお作法のひとつですね。
NikomatにもASAって書いてます。
この日は、明け方の街を撮ってみようと、暗いうちから出かけたんですが、こんな奇妙な写真が撮れてしまいました。
三重に露光されているようです。
前のオーナーからNikomat ELには多重露光の機能があるとは聞いていたのですが、これはまったくの偶然で、どんな操作でそうなったのか自分ではまったく覚えがないのです。
どなたか操作法をご存知でしたら教えて下さい。
2016年5月21日土曜日
Nikomat ELがやってきた ~ そして僕はフィルムカメラという沼地へと征く
ディジタルは確かにいろいろと便利だ。
でもアナログにもいいところがたくさんある。
一般にアナログは「融通が効く」
CDのデータが読み取れなくなった時に出てくるディジタル・ノイズはちょっと耐え難い音が出るが、レコードについた傷は幾度も聴いているうちにその盤の個性のようなものとして受け入れることができる。
DVDに記録された映像も事情は同じで、盤の傷が一定のレヴェルを超えれば「このディスクは読み取りできません」とにべもなく突き返されるし、DVDーRに至っては色素の変質で数年で使えなくなったりするが、録画されたヴィデオテープは、確かに画質の劣化はあるが、驚くほど長い間映像を保存しておいてくれる。
光ファイバーを通ってくるひかり電話なんぞは停電の時には何の役にも立たないが、アナログ回線は、電気が無くてもその時必要な声を届けてくれる。
デジカメで撮りためた大切な写真をハードディスクのクラッシュで喪って、気を失いそうになった人だっているだろう。現像したフィルムなら家が火事にでもならなければ失われることはない。
そんなアナログの「丈夫さ」に惹かれて、アナログ・レコードを愛聴し続け、真空管アンプを使い、携帯電話にも背を向けてアナログ回線の固定電話を使い続けている。
そしてこの度、もう一つアナログ趣味を持つことになったのでご報告したい(別に聞きたくないか)
それは「フィルム・カメラ」
会社員時代の大先輩に譲っていただいた。
Nikomat ELという(ニコマートと読みます)
40年ほど前のニコン製のカメラらしい。
友人たちに言うと、決まって「現像はできるのか」とか「フィルムは売ってるのか」などと訊かれるが、真空管アンプを使っているというと、真空管が切れたらおしまいですね、などと言われるのと同じだから別に気にならない。
真空管もフィルムもまだ作られているし、現像だってカメラのキタムラが入っているAEONが近くにあれば、昔懐かしい55分DPEサーヴィスが今でも受けられる。
繰り返すが、アナログは丈夫なのである。
でもアナログにもいいところがたくさんある。
一般にアナログは「融通が効く」
CDのデータが読み取れなくなった時に出てくるディジタル・ノイズはちょっと耐え難い音が出るが、レコードについた傷は幾度も聴いているうちにその盤の個性のようなものとして受け入れることができる。
DVDに記録された映像も事情は同じで、盤の傷が一定のレヴェルを超えれば「このディスクは読み取りできません」とにべもなく突き返されるし、DVDーRに至っては色素の変質で数年で使えなくなったりするが、録画されたヴィデオテープは、確かに画質の劣化はあるが、驚くほど長い間映像を保存しておいてくれる。
光ファイバーを通ってくるひかり電話なんぞは停電の時には何の役にも立たないが、アナログ回線は、電気が無くてもその時必要な声を届けてくれる。
デジカメで撮りためた大切な写真をハードディスクのクラッシュで喪って、気を失いそうになった人だっているだろう。現像したフィルムなら家が火事にでもならなければ失われることはない。
そんなアナログの「丈夫さ」に惹かれて、アナログ・レコードを愛聴し続け、真空管アンプを使い、携帯電話にも背を向けてアナログ回線の固定電話を使い続けている。
そしてこの度、もう一つアナログ趣味を持つことになったのでご報告したい(別に聞きたくないか)
それは「フィルム・カメラ」
会社員時代の大先輩に譲っていただいた。
Nikomat ELという(ニコマートと読みます)
40年ほど前のニコン製のカメラらしい。
レンズはあらためて購入した『Ai Nikkor 43-86mm F3.5』一本を練習がてら使い倒す計画である。
友人たちに言うと、決まって「現像はできるのか」とか「フィルムは売ってるのか」などと訊かれるが、真空管アンプを使っているというと、真空管が切れたらおしまいですね、などと言われるのと同じだから別に気にならない。
真空管もフィルムもまだ作られているし、現像だってカメラのキタムラが入っているAEONが近くにあれば、昔懐かしい55分DPEサーヴィスが今でも受けられる。
繰り返すが、アナログは丈夫なのである。
2016年5月20日金曜日
【島田荘司・御手洗潔シリーズ考察】『屋上の道化たち』書評|御手洗潔シリーズ50作目の魅力と「救い」の眼差し
島田荘司先生の御手洗潔シリーズ記念すべき50作目、『屋上の道化たち』を読みました。前作の大作『星籠(せいろ)の海』に続く、ファン待望の新作です。
私は普段、本の重さやページをめくる手触りにこだわり、文庫化されるまでじっくり待つ「頑固な文庫派」です。ハードカバーは読書への没入を妨げることがあるから……というのが建前ですが、島田先生の作品だけは完全に別格。発売された瞬間に、居ても立ってもいられず単行本を手に取ってしまいます。なぜなら、島田作品の圧倒的なリーダビリティ(読みやすさ)の前では、本の体裁など些細な問題になり、一瞬で物語の世界へ引き込まれてしまうからです。
読者を惹きつける「謎の提示」とリアルな人間模様
島田作品の最大の魅力は、なんといっても物語の幕開けに用意される「強烈な謎の提示」にあります。
本作で描かれるのは、「絶対に自殺などしそうにない人々が、次々と飛び降りてしまう不可解な屋上」という不気味な謎。一見シンプルに見える状況の裏に、一体どんな真相が隠されているのか。その答えが知りたくて、ページをめくる手が止まらなくなります。
また、事件の背景に描かれる市井の人々のリアルな描写も、物語に深い説得力を与えています。
予期せぬ不運のサイクルに巻き込まれ、もがいても抜け出せない人
組織の同調圧力や空気に飲まれ、流されていく人
彼らの姿は決して他人事とは思えず、「僕たちもきっと、そんな『道化』の一員なんだ」と、どこか身に覚えのある光景に強く感情移入してしまいます。
探偵・御手洗潔が放つ「温かい視線」
『屋上の道化たち』の素晴らしさは、こうした「時代」や社会の歪みに翻弄される人々を、作者が安易に批判も擁護もしない点にあります。
探偵・御手洗潔は、社会のルールや固定観念に縛られることなく、ただ目の前の「人間」を真っ直ぐに見つめます。そして、鮮やかに謎だけを解き明かしていく。その振る舞いからは、ミステリーという文学ジャンルが持つべき「大切な役割」や救いのようなものを強く感じます。
スケールの大きな『星籠の海』も名作ですが、個人的にはこの『屋上の道化たち』のような中規模の作品にこそ、御手洗潔というキャラクターが持つ「人間の弱さに対する視線の温かさ」が色濃く現れていて、深く心に刺さりました。
ファン必携!巻末の「全作品ガイド」も必見
なお、今回の単行本にはシリーズ50作目を記念して、「御手洗潔シリーズ全作品ガイド」が巻末にまるごと収録されています。
これまでの歴史を振り返る公式ガイドとしてのクオリティが高く、この特典部分だけでも十分に購入する価値がある、ファン必携の一冊です。
2016年5月16日月曜日
宗教戦争の時代にあらためて読まれるべき名作の復刊 ~ フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』
早川書房から『デューン 砂の惑星』が新訳を奢られて復刊された。
まあ、ちょっとした事件ですよね。
翻訳は『ハイペリオン』の酒井昭伸先生。
さすが、あの難物をノンストップで読ませる実力派で、砂の惑星もお見事な仕上がりです。
砂の惑星、というと高校生くらいの頃映画化されて、スティングが出演していることばかりが話題になって、観てみたらなんじゃこれ?という、ある種トラウマ系の作品で、まあそれでもガイドブックなんかによれば歴史的な名作らしいから原作はどうなんだろうと、大学生の時に古本屋を漁って読んでみたが、やっぱりどこが面白いのかわからなかったわけです。
近年多くの名作が新しい翻訳を与えられて、新しい装丁を纏って書店に並んでいる。
そのどれもが、よく理解できなかった名作を身近にしてくれた。
今回の『デューン 砂の惑星』もその意味では成功していると言えるだろう。
それでもう一度デヴィッド・リンチ監督の映画版『デューン 砂の惑星』も観てみたのだが、こちらの印象は変わらない。当たり前か。
当のリンチ監督も同じように思っていたようで、DVDを見ると、何らかの理由で出来上がった作品に自分の名前を入れたくない時に付けられる「匿名」=アラン・スミシー名義になっていた。
『デューン 砂の惑星』の物語世界は、まず人工知能の反乱で、人間が奴隷化され、それを再度人間が反攻制圧して、今度は機械文明を否定した精神世界を構築している、というところから始まる。
精神の力が現実世界への「力」の脅威になりうるこのような世界では、「宗教」が現実的な武力と不可分なものとなる。
そこに、キリスト教とイスラム教の相剋の構図を載せたのが『デューン 砂の惑星』の基本構造と言えるだろう。
最初に読んだあの頃、そういうことはまったくわからなかった。
世界の各地でイスラム原理主義のテロが起きている。
知人たちが世界中で働いていて、ニュースを見てハッとすることもある。
なぜそのようなことが起こるのか、出来事の連なりだけを読んでわかったような気になっても、こうした物語を読むと、どちらの側にも人間としての真っ当な心があり、正しいとか正しくないというような問題ではないということに想いが至らない。
物語にしか伝えられないことがある。
この時期に、この作品を復刊しようとした編集者にはきっとそれがわかっているのだろう。
出版社の役割の重要な部分だと思う。
であればこそ、「書き入れ時」を「掻きいれ時」と誤記するような凡庸なミス(中巻)を見逃さないで欲しいものではあるが。
フランク ハーバート
早川書房
売り上げランキング: 8,082
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売り上げランキング: 17,456
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まあ、ちょっとした事件ですよね。
翻訳は『ハイペリオン』の酒井昭伸先生。
さすが、あの難物をノンストップで読ませる実力派で、砂の惑星もお見事な仕上がりです。
砂の惑星、というと高校生くらいの頃映画化されて、スティングが出演していることばかりが話題になって、観てみたらなんじゃこれ?という、ある種トラウマ系の作品で、まあそれでもガイドブックなんかによれば歴史的な名作らしいから原作はどうなんだろうと、大学生の時に古本屋を漁って読んでみたが、やっぱりどこが面白いのかわからなかったわけです。
近年多くの名作が新しい翻訳を与えられて、新しい装丁を纏って書店に並んでいる。
そのどれもが、よく理解できなかった名作を身近にしてくれた。
今回の『デューン 砂の惑星』もその意味では成功していると言えるだろう。
それでもう一度デヴィッド・リンチ監督の映画版『デューン 砂の惑星』も観てみたのだが、こちらの印象は変わらない。当たり前か。
当のリンチ監督も同じように思っていたようで、DVDを見ると、何らかの理由で出来上がった作品に自分の名前を入れたくない時に付けられる「匿名」=アラン・スミシー名義になっていた。
Happinet(SB)(D) (2015-08-04)
売り上げランキング: 3,090
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『デューン 砂の惑星』の物語世界は、まず人工知能の反乱で、人間が奴隷化され、それを再度人間が反攻制圧して、今度は機械文明を否定した精神世界を構築している、というところから始まる。
精神の力が現実世界への「力」の脅威になりうるこのような世界では、「宗教」が現実的な武力と不可分なものとなる。
そこに、キリスト教とイスラム教の相剋の構図を載せたのが『デューン 砂の惑星』の基本構造と言えるだろう。
最初に読んだあの頃、そういうことはまったくわからなかった。
世界の各地でイスラム原理主義のテロが起きている。
知人たちが世界中で働いていて、ニュースを見てハッとすることもある。
なぜそのようなことが起こるのか、出来事の連なりだけを読んでわかったような気になっても、こうした物語を読むと、どちらの側にも人間としての真っ当な心があり、正しいとか正しくないというような問題ではないということに想いが至らない。
物語にしか伝えられないことがある。
この時期に、この作品を復刊しようとした編集者にはきっとそれがわかっているのだろう。
出版社の役割の重要な部分だと思う。
であればこそ、「書き入れ時」を「掻きいれ時」と誤記するような凡庸なミス(中巻)を見逃さないで欲しいものではあるが。
2016年4月25日月曜日
念入りなニオイ消し ~ スペンサー・クイン『名犬チェットと探偵バーニー・シリーズ』
なにやら空前の猫ブームらしく、犬派の僕は意味もなく対抗してみたくなる。
それで、というわけでもないのだがスペンサー・クインの「名犬チェットと探偵バーニー」というシリーズが面白いのでご紹介してみる。
現在三作品が翻訳されていて、うち二作が文庫化されている。
ぜひ文庫版で読んでいただきたい。
表紙イラストが秀逸でずっと眺めていたくなる本だ。
とにかくチェットがカワイイ。
ローレンス・ブロックの泥棒バーニーシリーズによく似た筆致で、おそらく名前の一致は偶然ではないだろう。
非トラディショナルなミステリの書き手が筆名を変えて書いているわけだが、その名がスペンサーというところから見ても、サスペンスものによくある偶発的解決を茶化して書くことが主題のひとつなんだと思う。
その「悪意」の匂い消しに犬という話者を使っているのだろう。
その企図は完全に成功していると思う。
また、ハードボイルドというジャンルは話者(=推理者)が心の声を語らない、というところに本質があると思っているのだが、このシリーズはそれを超えて話者が犬だから念入りだ。
ハードボイルド特有の最後物語のスピードが上がっていくのに、完全な情報が手に入らないまま読者が「焦れていく」感じがマキシマムになる。
そして、誰もが複雑な存在だと思いたがっている人間の本質が、実はとても身も蓋もないところにあるという、ちょっと直視しにくい現実を、心の声を語らないからこそ暴いてしまうハードボイルドという文学ジャンルにあって、犬が話者であることで救われている部分は大きい。
なかなかいいね。
それで、というわけでもないのだがスペンサー・クインの「名犬チェットと探偵バーニー」というシリーズが面白いのでご紹介してみる。
現在三作品が翻訳されていて、うち二作が文庫化されている。
ぜひ文庫版で読んでいただきたい。
表紙イラストが秀逸でずっと眺めていたくなる本だ。
スペンサー・クイン
東京創元社
売り上げランキング: 186,847
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売り上げランキング: 85,366
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とにかくチェットがカワイイ。
ローレンス・ブロックの泥棒バーニーシリーズによく似た筆致で、おそらく名前の一致は偶然ではないだろう。
非トラディショナルなミステリの書き手が筆名を変えて書いているわけだが、その名がスペンサーというところから見ても、サスペンスものによくある偶発的解決を茶化して書くことが主題のひとつなんだと思う。
その「悪意」の匂い消しに犬という話者を使っているのだろう。
その企図は完全に成功していると思う。
また、ハードボイルドというジャンルは話者(=推理者)が心の声を語らない、というところに本質があると思っているのだが、このシリーズはそれを超えて話者が犬だから念入りだ。
ハードボイルド特有の最後物語のスピードが上がっていくのに、完全な情報が手に入らないまま読者が「焦れていく」感じがマキシマムになる。
そして、誰もが複雑な存在だと思いたがっている人間の本質が、実はとても身も蓋もないところにあるという、ちょっと直視しにくい現実を、心の声を語らないからこそ暴いてしまうハードボイルドという文学ジャンルにあって、犬が話者であることで救われている部分は大きい。
なかなかいいね。
2016年4月22日金曜日
プリンスの訃報と「海辺のカフカ」
プリンスが死んだ。
ボウイが亡くなったばかりだというのに、いったいどうなってるんだ。
とはいえ、僕は近年のプリンスの熱心なリスナーとは言えない。
大学生の頃、貸しレコード屋でバイトをしていた。その二年間の間にパレード、サイン・オブ・タイムス、そしてラブセクシーが相次いでリリースされたが、パレードとサイン・オブ・タイムスが本当に素晴らしかったから、遡ってアラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイを聴いて叩きのめされた。
バイトをしていた店でレンタル落ちになったアラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイを買って何度も聴いた。
ラブセクシーにはちょっとピンとこなかったが露悪的なジャケットデザインのせいだったと思う。
そしてこの時期の三枚が僕にとってのプリンスのすべてで、時々MTVでかかるシングル曲を聴くくらいだった。
しかしその後、僕はプリンスとの決定的な再会を果たす。
それは村上春樹の「海辺のカフカ」で、だった。
主人公の少年がMDで繰り返し聴くプリンスの「リトル・レッド・コーヴェット(小説内の表記どおり)」
小さな赤いコルベットは、重要な登場人物のスポーツカーと対置されたものだろう。
そしてそのスポーツカーの中ではシューベルトのピアノソナタが流れていた。
シューベルトという作曲家の主要なモチーフは「父との対立」だった。
すべての要素を慎重にメタフォリカルに配置したこの小説で、これはきっと重要な意味を持つ対置なんだ、と僕は感じた。
さらに物語の後半、少年はプリンスの「Sexy MF」を聴きながら関係を持った女性のことを考える。
MFはMother-Fuckerのことで、ロックミュージックの歌詞でよく聴く侮蔑語だが、ここではおそらく文字通りの近親相姦者の意味を暗示させている。
音楽を使って立体的な文学表現をするのが村上春樹の作法ではあるが、その中でも際立って印象的な楽曲の使い方だと思う。
この少年にこころ寄せて物語を読んだ僕の中では、「海辺のカフカ」とプリンスの音楽が分かちがたく結びついてしまった。
プリンスの訃報に接して、偉大な音楽的業績よりも先に「海辺のカフカ」のことを思い出してしまったが、これさえも、プリンスの音楽の偉大さの一部なのだろう。
Thank You , Prince.
R.I.P
ボウイが亡くなったばかりだというのに、いったいどうなってるんだ。
とはいえ、僕は近年のプリンスの熱心なリスナーとは言えない。
大学生の頃、貸しレコード屋でバイトをしていた。その二年間の間にパレード、サイン・オブ・タイムス、そしてラブセクシーが相次いでリリースされたが、パレードとサイン・オブ・タイムスが本当に素晴らしかったから、遡ってアラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイを聴いて叩きのめされた。
バイトをしていた店でレンタル落ちになったアラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイを買って何度も聴いた。
ラブセクシーにはちょっとピンとこなかったが露悪的なジャケットデザインのせいだったと思う。
そしてこの時期の三枚が僕にとってのプリンスのすべてで、時々MTVでかかるシングル曲を聴くくらいだった。
プリンス&ザ・レヴォリューション
ワーナーミュージック・ジャパン (2005-05-25)
売り上げランキング: 444
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Prince
Warner Bros / Wea (1994-11-24)
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プリンス&ザ・レヴォリューション
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それは村上春樹の「海辺のカフカ」で、だった。
主人公の少年がMDで繰り返し聴くプリンスの「リトル・レッド・コーヴェット(小説内の表記どおり)」
小さな赤いコルベットは、重要な登場人物のスポーツカーと対置されたものだろう。
そしてそのスポーツカーの中ではシューベルトのピアノソナタが流れていた。
シューベルトという作曲家の主要なモチーフは「父との対立」だった。
すべての要素を慎重にメタフォリカルに配置したこの小説で、これはきっと重要な意味を持つ対置なんだ、と僕は感じた。
さらに物語の後半、少年はプリンスの「Sexy MF」を聴きながら関係を持った女性のことを考える。
MFはMother-Fuckerのことで、ロックミュージックの歌詞でよく聴く侮蔑語だが、ここではおそらく文字通りの近親相姦者の意味を暗示させている。
音楽を使って立体的な文学表現をするのが村上春樹の作法ではあるが、その中でも際立って印象的な楽曲の使い方だと思う。
この少年にこころ寄せて物語を読んだ僕の中では、「海辺のカフカ」とプリンスの音楽が分かちがたく結びついてしまった。
プリンスの訃報に接して、偉大な音楽的業績よりも先に「海辺のカフカ」のことを思い出してしまったが、これさえも、プリンスの音楽の偉大さの一部なのだろう。
Thank You , Prince.
R.I.P
2016年3月14日月曜日
カーリン・クローグ&デクスター・ゴードン「ブルース・アンド・バラード」
今日の朝のレコードは、カーリン・クローグ&デクスター・ゴードンの「ブルース・アンド・バラード」
どちらかと言うと「夜のレコード」という趣きのアルバム。
テイチクのOVERSEAS RECORDSというレーベルから1971年に発売された盤だそうです。同年のスイングジャーナル誌「ジャズディスク大賞」のジャズ・ボーカル賞を受賞しているそうです。
なんとB1でデクスター・ゴードンご本人も歌っていらっしゃいます。
続くB2〜3で、ライオネル・ハンプトン楽団で歌っていたジミー・スコットの曲を採り上げています。
御存知の通り、デクスター・ゴードンはライオネル・ハンプトン楽団でそのキャリアをスタートした人ですから、自分のルーツへのオマージュという意味合いがあるのでしょう。
どちらかと言うと「夜のレコード」という趣きのアルバム。
テイチクのOVERSEAS RECORDSというレーベルから1971年に発売された盤だそうです。同年のスイングジャーナル誌「ジャズディスク大賞」のジャズ・ボーカル賞を受賞しているそうです。
なんとB1でデクスター・ゴードンご本人も歌っていらっしゃいます。
続くB2〜3で、ライオネル・ハンプトン楽団で歌っていたジミー・スコットの曲を採り上げています。
御存知の通り、デクスター・ゴードンはライオネル・ハンプトン楽団でそのキャリアをスタートした人ですから、自分のルーツへのオマージュという意味合いがあるのでしょう。
2016年3月13日日曜日
クリント・イーストウッド監督作品「ヒアアフター」を観る
クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」を観た。
「許されざる者」以降のイーストウッド映画にはいくつか、スッキリとわかりやく解釈することができない映画がある。これはその最右翼と言えるだろう。
来世(=ヒアアフター)の存在を僕自身は信じていない。
が、だからといってこの映画の描こうとしている心象風景を否定する理由にはならない。
「死」そのものは厳然と存在する。
霊能力者のジョージ(マット・デイモン)は、触れた人間に関わりの深い死者とコミュニケートすることができる。
そしてそれゆえに、生者の世界とディス・コネクトしてしまう。
しかし、人は一人では生きていけないのだから、ディス・コネクトだってコネクトの結果でしかない。
ジョージのような特殊な能力が無くても、人は常にコミュニティとの断絶の可能性をリスクとして持っている。
双子の兄を喪った少年マーカスは、そのようなリスクが実際にその身に降りかかった者として描かれている。社会との接点をその兄ジェイソンに全面的に依存してきたため、彼の死によって社会から孤立してしまうのだ。
マーカスは、ジョージの能力によって、亡くなったジェイソンの最後の指示を聞くことができ、それによって社会に戻っていくことが出来た。
死者自身の言葉でしか、その死を受け入れられないこともあるということだろう。
ではジョージのディス・コネクトは誰が救うのか。
料理教室で知り合った女性に心惹かれるが、やはり能力によって知ってはならない過去を暴いてしまい、関係は破局する。
ラストで、ジョージを救うのが「臨死体験」を持つジャーナリストの女性、マリーである。
マリー自身も臨死体験に縛られ、それまでのキャリアから放逐されてしまっているから、ジョージとの出会いは彼女にとっても救いであったろう。
死にとらわれた者を、死にとらわれた者が救う。
しかしジョージのような能力を皆が持たないこの世界では、このような救いは容易に実現しない。
で、あれば誰かの死を受け入れるために僕らができることは、生者の「思い残し」を死者のせいにしない、ということしかないだろう。
「許されざる者」以降のイーストウッド映画にはいくつか、スッキリとわかりやく解釈することができない映画がある。これはその最右翼と言えるだろう。
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来世(=ヒアアフター)の存在を僕自身は信じていない。
が、だからといってこの映画の描こうとしている心象風景を否定する理由にはならない。
「死」そのものは厳然と存在する。
霊能力者のジョージ(マット・デイモン)は、触れた人間に関わりの深い死者とコミュニケートすることができる。
そしてそれゆえに、生者の世界とディス・コネクトしてしまう。
しかし、人は一人では生きていけないのだから、ディス・コネクトだってコネクトの結果でしかない。
ジョージのような特殊な能力が無くても、人は常にコミュニティとの断絶の可能性をリスクとして持っている。
双子の兄を喪った少年マーカスは、そのようなリスクが実際にその身に降りかかった者として描かれている。社会との接点をその兄ジェイソンに全面的に依存してきたため、彼の死によって社会から孤立してしまうのだ。
マーカスは、ジョージの能力によって、亡くなったジェイソンの最後の指示を聞くことができ、それによって社会に戻っていくことが出来た。
死者自身の言葉でしか、その死を受け入れられないこともあるということだろう。
ではジョージのディス・コネクトは誰が救うのか。
料理教室で知り合った女性に心惹かれるが、やはり能力によって知ってはならない過去を暴いてしまい、関係は破局する。
ラストで、ジョージを救うのが「臨死体験」を持つジャーナリストの女性、マリーである。
マリー自身も臨死体験に縛られ、それまでのキャリアから放逐されてしまっているから、ジョージとの出会いは彼女にとっても救いであったろう。
死にとらわれた者を、死にとらわれた者が救う。
しかしジョージのような能力を皆が持たないこの世界では、このような救いは容易に実現しない。
で、あれば誰かの死を受け入れるために僕らができることは、生者の「思い残し」を死者のせいにしない、ということしかないだろう。
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